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学校

2021年12月29日 (水)

2021年の年末に思う

あっという間に年末です。年々1年経つのが早くなります。思い出すのが大学の講義でのある先生の「人生はレコードのようだ」ということば。つまり、人生の初め頃は針がレコードの外側をぐるりぐるりと回るので1周(1年)が長い、人生が進むにつれてレコードの内側に入っていくのでどんどん1周が短くなると。確かに最近は友だちと話をしていても、「つい、この前」が20年前、30年前のことだったりします。そんな、自分にとっては「つい、この前」だけど結構前の、初任校での話です。

初任校で1年生を担任してたとき、平和学習の中で、ある子が「その頃の子どもは、今のわたしたちみたいに、先生から戦争はいけないよって教えてもらわなかったん?」と言いました。私は「その頃は、戦争に行ってお国のために戦えと教えてたんよ」と話しながら、ぞくっとしました。そうしないと罰せられる世の中であっても、自分は本当に戦争反対と言えるのか?「昔」の話と思っていたことが今の自分に地続きであることに気づき、身が震えたのです。弾に当たって死ぬのも怖いけれど、個が大きな力に押しつぶされ絡めとられることが本当に怖いと思いました。

4校目に勤務していたとき、平和集会の最後のあいさつで校長が「平和のためにはルールを守ることが大切」と言いました。そうですか?当時のルールは「敵を殺せ」「お国のために死んでこい」と教えることでした。だからこそ、決められたことに思考停止で従うのでは無く、真実を見抜くこと、声に出すこと、声を出せない時代をつくらないことが、平和を築く上で必要なのです。

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30年前の、私に問うた子どもの顔と自分の身震いを、ずっと忘れずにいたいと思っています。

 

よりのぶ

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2021年11月27日 (土)

「衆院選大敗」に中学校教員として思うこと

「自民党大勝」……10月末の衆院選の結果は予想外のものとなってしまった。

緊急事態宣言下、多くの国民の反対を押し切ってのオリ・パラの強行開催。開催を機に新型コロナウイルスの感染爆発を招き、入院できず死亡する自宅療養者が相次ぐ医療崩壊を招いた。内閣支持率は菅内閣発足後最低の数字に落ち込み、8月末に行われた横浜市長選では、菅前首相が全面支持した候補が落選し、立憲民主党が推薦した候補が大勝。9月初め、このまま衆院選を迎えれば、与党・自民党の大敗は確実視されていた。

ところが、その後の自民党総裁選一色の報道により風が変わったのか、衆院選後間もなくの新聞報道等には、「自民党単独で過半数の議席確保の見込み」との文字が躍った。「ウソだろ~。新型コロナウイルス感染拡大で苦しんだこの1年半や、安倍・菅政権の9年間に政府・自民党がやってきたことをみんな忘れたのか」、そう思わずにはおれなかった。

結局、自民党が議席を減らしたとはいえ絶対安定多数を維持し、さらに、改憲に前向きな日本維新の会等を含めれば改憲勢力の2/3を上回る議席を確保した。「モリ・カケ・桜」等の問題に見られる政治の私物化や、政治の信用を失墜させるウソ・隠蔽・改ざん等のオンパレードに「政治とカネ」の問題、憲法を無視して臨時国会を開催していないこと、コロナ対策における失政の数々等、自公政権にNOを突きつける材料は枚挙にいとまがない。「国民はすぐに忘れる」……いつか自民党議員が言ったこの言葉を思い出した。

さらに、ショッキングだったのは、「無党派層で自民党に投票した有権者が一番多かった年代は20代・30代」との報道だ。愕然とした。コロナ禍で、多くの人々が日々の生活と政治が密接に繋がっていると実感したはずなのに、なぜそんなことになるのか。

ふと、自分の若かりし頃を思い返してみた。その報道はまんざら他人事ではないと感じた。というのも、私は職に就くまで社会のあり様や矛盾に疑問を持つことなく、「『偉い人』たちは自分たち(国民)を守ってくれている」的に「平和」に生きていた。批判的に社会を見るとか、実相に迫るとかまったく思ってもみなかった。その報道内容について自分自身の被教育体験や生育歴を下敷きに考えた時、学校教育のありようが大いに関わっているのではないかと思えてならない。

本来、学校は、市民社会の中で様々な人たちと共に生き、憲法の理念を実現するために、平和や人権を尊重する、一人ひとりが大切にされる社会を築く力を身につけていくための場だが、現実にはそうはなり得てはいない。多くの学校では、権利を教えずに義務を教える。また、個より集団を重んじる学校文化を基盤に、子ども一人ひとりの実態や思いを考慮することよりも、事細かにルールや約束事が決められ(校則のみならず無言掃除に無言給食、授業中の座る姿勢や挙手の際の手の挙げ方、個人用ロッカーの整理の仕方等)、いろいろな場面で「同調圧力」によってその「枠」に入ることが強要されている。部活動においても、「縦社会」の中で自分の思いを封印することを学ぶ。本来であれば、自分たちで決める民主主義の実践の場である児童会・生徒会活動も、教職員集団の「下請け」機関との感は否めない。その日々の積み重ねの結果、子どもたちは目の前の現実に疑問を持つどころか、ルールに従うことを良しとし、「思考停止」状態の中で何も言おうとしなくなる。

多くの若者がこのような学校生活を経て有権者になるのだから、体制に疑問を持つはずもなく、現状を「従順に」容認する結果、「自民党支持」を選んだとしても何ら不思議ではないのかもしれない。

まずは、教育現場に民主主義をとり戻すことから始めよう。主権者である国民が、権力者に全てを委ね、何も考えなくなってしまったら国民主権は成り立たなくなり、民主主義は実現しない。学校教育の責務は、賢明な主権者を育てることであるので、学校教育の場に、教職員や子どもたちが自分で考え、判断し、行動できる土壌をつくり直していくことが全ての出発点のように思う。また、そのことと併せて、民主主義のしくみはもちろん、主権者として判断し権利を行使することを見据え、人権教育や平和教育を通して現実の社会の問題について子どもたちと考えを深める機会をつくっていく必要がある。

「選挙に行っても何も変わらない」との若者の声を聞くたびに、教員として責任を痛感する。「憲法を守るのは権力側。権力側がきちんと憲法を守っているかをチェックし、守られていな時は『退場』してもらう。そして、憲法を守る政権を選ぶのが選挙の目的である。国民が権力側によってコントロールされるのではなく、選挙等の機会を通じて、国民が権力側をコントロールしていかなければならない。自分の頭で考える主権者の育成は学校の責務である」……10月に参加した楾大樹さん(弁護士)の憲法学習会でそう学んだ。

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≪楾大樹さん著書の挿絵より≫

ライオンは「国家権力」を、檻は「憲法」を表している。ライオンを檻の中に入れて、いつも監視しなければならない。

 

広教組憲法学習会「檻の中のライオン 檻を壊すライオン」2021.10.23

https://youtu.be/zJ0MWMpU8F8

学校教育の場において、このことが確実に子どもたちに理解されていけば、選挙をめぐる風景も変わっていくのだろう。また、そのことが憲法第12条で謳われている「憲法が国民に保障する自由及び権利は、不断の努力によって保持しなければならない」 につながっていくことにもなるはずだ。

政治の主人公は政治家ではなく、主権者である私たちなのだ。「自分で考え選択し、今や未来を自分自身で変えていくことができる」……子どもがそう希望を持てるよう、学校教育でできることにとりくんでいこう。今しっかり小さな種をまくことが、やがて真の民主主義の大きな花を咲かせることにつながると信じて。

<未来のそら>

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2021年11月 3日 (水)

天満小学校のプラタナスの歴史

先月25日に行った「古本まつり」で、気になりながらも購入しなかった本があったことを、29日のブログで紹介しましたが、その本は広島市立天満小学校の「創立百周年記念誌 てんま」でした。

その場でパラパラとページをめくると、昨年5月29日のブログ「平和と愛(友情)のシンボル プラタナスの碑」-天満小学校の原爆の絵第6号碑: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)」で紹介したプラタナスが、「なぜ学校のシンボルとなったのか」などが詳しく記載されていました。

最初に目にしたのが次の文章です。

「プラタナス(PTAの新聞)の創刊号に、名づけ親の神崎竹千代さんはこう書いています。『私は学校に出入りするたびにいつも思う。戦前も常に子どもとともに明けくれ、夏にはいこいの日陰をあたえ、いく度か6年生を送り、1年生をむかえたプラタナスのことを。原爆により焼け出されてから私は、あのなつかしいプラタナスはもうだめだと思ったが、校舎の仮建築が終わり、本建築も一部出来上がり、昔の天満校に一歩一歩近づきつつある時、あのはだかになったプラタナスも自らの力で復活し、今は青々として子どもの作文に仲間入りし、画題となり、遊び場に日かげをつくって常に学校と共にある姿こそ今回出発したPTAのよきシンボルであり天満校と共にある唯一のものであろう。(以下略)』」

原爆資料館の「情報資料室」に、学校の「○○年誌」が収蔵されていることを思い出し、貴にはなったのですが、購入せずに後日情報資料室を訪れることにしました。

やはり情報資料室には、この本が収蔵されていました。

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ここからは、この版に記載されている天満小学校のプラタナスの歴史をたどります。

このプラタナスが天満小学校の校庭に植えたのは、昨年5月のブログにも書きましたが、1931年(昭和6年)度の卒業生です。「細くて子どもの背丈ぐらいしかない」10本余りの木が植えられました。

2年後の学校の見取り図では、左下の民家の上の方にプラタナスが描かれています。

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その後1942年(昭和17年)に、南西隅の民家が立ち退き、敷地が広がり、プラタナスは、運動場の真ん中に取り残されることになります。その様子が1945年(昭和20年)の見取り図に画かれています。

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そして1945年8月6日、爆心地から1.2キロ離れていた天満小学校(当時は、国民学校)も校舎は全壊し、完全に消失したのですが、4-5本のプラタナスが焼け残ったのです。戦後の校舎建築でも焼け残ったプラタナスを大切に扱って設計されたことが、1955年(昭和30年)頃の見取り図からは読み取れます。

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こうした学校の変遷を見ると、いつもプラタナスが大切にされてきたことが分かります。

最後に1974年に発刊された「創立百周年記念誌 てんま」の「あとがき」の一部を紹介します。

「本校の象徴ともいえるプラタナスは、今は葉を落とした細い枝を、何本も空に向かって伸ばし、冬の日差しを少しでも吸いとろうとするかのようです。

わたしたちは、今までこのプラタナスについて何一つ知りませんでした。そればかりかプラタナスがあること自体、ごくあたりまえのことと気にもとめなかったのです。百年の歴史は多くのものをつみあげてくれたと同時に、逆に多くのものを無関心に彼方に追いやってしまいました。(以下略)」

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「平和と愛(友情)のシンボル」となって元気な姿を見せている天満小学校の3本のプラタナスの長い歴史を知ることができました。

「古本まつり」会場を最終日(31日)に再び訪れたのですが、この「創立百周年記念誌 てんま」は、棚から消えていました。

いのちとうとし

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2021年10月 6日 (水)

「いじめ」に対応する「第三者機関」 ――小山田圭吾事件が問いかけているのは? (9)――

「いじめ」に対応する「第三者機関」

――小山田圭吾事件が問いかけているのは? (9)――

  ずいぶん長いシリーズになってしまいましたが、小山田圭吾事件が契機となって、遅まきながら私も「いじめ」についての俄か勉強を始めました。マスコミの報道はもちろん、何冊かの本や論文を読みながら、学んだ内容を整理してこのブログで報告してきたのですが、心許ない右往左往にお付き合い下さり、有難う御座いました。

  俄か勉強をする前から、北欧の「いじめ」対策に一日の長があるらしいことには気付いていましたが、勉強するにつれて「集団的自立」や「教師集団」を強調する考え方こそこの問題の本質を突いているのではないかと感じて、我が国における研究と実践にも注目しました。さらに、コールバーグの発達段階説という枠組みからも刺激を受けて、「第三者機関」の必要性についての提案をする準備ができました。

《フィンランドの「KiVa」プログラム》

  そのために、この2か月弱の間に学んだことを改めて最初から整理するうちに、最初の北欧に戻ることになりました。フィンランドの「KiVa」というプログラムが、その全てを包摂する実践的な内容を持ち、かつ実証実験においてその効果が証明されている優れたものであることに気付いたからです。さらに、ヨーロッパの数か国、そしてニュージーランド等では、国単位でこのプログラムを採用し、効果を挙げているという報告もショッキングでした。

  しかし、我が国ではウイキペディアに「KiVa」の項目はありませんでした。解説している論文やマスコミ報道も少なく、その中で北川裕子氏他による「学校におけるいじめ対策教育―フィンランドのKiVa に注目して―」(不安障害研究,5(1), 31–38, 2013) が手短に「KiVa」を分り易く紹介しています。PDF版は、ダウンロードできます。

  また東京都議会議員の風間ゆたか氏は、御自分のブログで「KiVa」の考え方を元にして世田谷区が2018年度にいじめ防止プログラムを導入したことを紹介しています。

  となると、今回から「KiVa」の紹介をするのが理に適っているのですが、もう少し勉強が必要です。まずはこのシリーズのそもそもの目的に戻って、「いじめ」の被害者を守るための「第三者機関」についての提案をしておきたいと考えています。

  そのために、9月21日の第五回で紹介した、村瀬学著『いじめ――10歳からの「法の人」への旅立ち――』 (ミネルヴァ書房、2019年、以下、『いじめ』と略します) で提案されている「特別クラス会」と、毎年最初の時間に先生が子どもたちに提案する「六つの合意」を枠組みとして使います。それは、「KiVa」の考え方にも沿っていますので、方向性としては問題ありません。大きな違いは、これからの提案は「いじめ」そのものの防止という大きな観点ではなく、「いじめ」が起きた時にどう対応するのかに焦点を絞って考えていることです。

  何度もお読み頂くことになりますが、大切なリストですので、再度「六つの合意項目」を掲げます。

六つの合意項目 (『いじめ』141ページ)

合意① 「アンケートの項目」をわたしはしない、させない。

合意② トラブルは「公開の場」へ持ち出して議論する。

合意③ 公にされたことでの「仕返し」を許さない。

合意④ 「仕返し」がわかれば、緊急クラス会を開く。

合意⑤ 「緊急クラス会」でも改善が見られないのなら、親に来てもらい、現状を話す。

合意⑥ 家族と先生と学校が話をしても、違法性の改善が見られないのなら警察に訴える。

  これまで大きく報道されてきた「いじめ」事件は、被害者が自殺する、あるいは殺されるといった最悪の事態が生じてからのものが多いのですが、事後的にその真実を究明するための、我が子を失った親による大変困難な努力が目立ちます。これらの事件では、被害者は必ず何らかの訴えをしているのですが、それを学校側が受け止められなかったことから悲惨な結果につながっています。

  となると、上記の合意の②「トラブルは「公開の場」へ持ち出して議論する」を実現するために、誰が主役になれば良いのかが問われなくてはなりません。ほとんどの場合、先生や親にも「いじめ」を受けている事実が十分に伝わらなかったことを考えると、被害者本人が自ら「いじめ」を「公開の場」に持ち出すことは至難の業なのではないでしょうか。

  さらに、六つの合意の内、③と④、そして⑤まで入れても良いと思いますが、それらはトラブルを公にした場合の「仕返し」対策です。「チクる」という言葉が実態を良く表現していますが、被害者が「いじめ」を受けていることを誰かに話すこと自体の難しさの中でも「仕返し」をされるだけではなく、「いじめ」が一層酷くなるのが通例であることを示しています。

《被害者の側に立つ「駆け込み部屋」》

  これら、二つの点に焦点を合わせての「第三者機関」が必要です。それをどのようなものにすべきなのかを記述する前に、学校を巡る大切な条件を整えておくべきだと思います。

  最大の条件は、「いじめ」についてどのような対応を行うにしても、先生方への負担が増す結果になってはいけないということです。今までにないことをしなくてはならないのですから、そのために必要な時間に相当する分のこれまでの仕事を減らさなくてはなりません。もっと大掛かりな改革ができるのなら、学校制度そのものの見直しをして、子どもたちが学校そのものの運営により主体的に関与できるシステムを創ることも考えるべきだと思います。

  しかし、それほど大掛かりではなくても、これまでの学校教育で決定的に欠けてきた「少人数学級」を実現することくらいはして貰わなくてはなりません。これが「いじめ」問題解決のためには大きな力になることも御理解頂けると思います。それも、中途半端な「35人」学級ではなく、「20人」学級にすることです。子どもたち一人ひとりとの意味ある関わりが先生の側の犠牲的な献身によって実現されるのではなく、余裕のある創造的環境の中で継続されるためには、これが前提条件です。

  その上で、学年の最初には先生と生徒との間での「六項目合意」を結ぶという順序です。また、被害者が被害を比較的容易に訴えられる仕組みとして、子どもたちによる「いじめパトロール」を組織します。数人のグループで、休み時間や放課後に「いじめられてはいませんか?」という問い掛けをして、「いじめ」を受けている子どもからの発信があれば、子ども同士の問題として「特別クラス会」を開いて議題にする役割も果します。さらに、「第三者機関」への報告はオプションとしてできることにしておきましょう。

  その「第三者機関」の名前も付けておきましょう。イメージとしては、江戸時代の駆け込み寺のように、被害者が加害者から隔離され、駆け込んでからは身の安全が保障されるという機能が大切ですので、「駆け込み部屋」にしておきましょう。「Hot Line」という側面もありますのでそれでも良いのですが、電話だけというイメージが強くなりますので、「駆け込み部屋」にしてみました。

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  「駆け込み部屋」は各学校に一室を持ち、担当の専門職とスタッフが常駐します。官僚組織としての学校には所属せず、例えば民間の公益財団法人のような立場で学校や子どもたちと関わります。先生方、子どもたちとの信頼関係の存在することが大前提になりますので、そのためにどのような位置付けにするのかは、法的な枠組みの整備も含めて、これからの課題としておきます。

  仮にある子どもが「いじめ」に遭ったとして、「いじめパトロール」にも言えない場合、「駆け込み部屋」に物理的に駆け込むか、SNSなどを通して被害を受けていることを発信し、それを受け取るのが「駆け込み部屋」の第一の役割です。

  「駆け込み部屋」は「第三者機関」ではあるのですが、とは言っても、徹底的に被害者の立場に立ちます。「仕返し」の可能性がありますし、それ以前にその時点で続いている「いじめ」から被害者を守らなくてはなりません。被害者が加害者と顔を合わせなくて済むように一時的、あるいはそれ以上の期間被害者を保護することが第二の役割です。場合によっては転校等の対応も視野に入れる必要があります。

  そして、先生方にこの「いじめ」についての調査を迅速に行うよう要請し、調査に立ち会い、調査の補助を行えるようにします。その際、保護者との連絡等を学校が行うのか「駆け込み部屋」が行うのかについては、今後の課題としておきましょう。

  さらに、この「いじめ」が犯罪としての要件を満たしている場合には、学校と連携して、警察の関与を求めます。

  日夜、学校現場で努力を続けられている皆さんには「机上の空論」としか見えないのでないかと思いが強いのですが、それなりのイメージは伝わったでしょうか。とにかく子どもたちが元気で安心して通える学校を実現するためには、私たち大人が当事者意識を持って関わらなくては何事も始まらないという点だけでも共有できたとしたら有り難い限りです。

 [21/10/6 イライザ]

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2021年9月26日 (日)

「いじめ」とコールバーグの道徳性発達理論 ――小山田圭吾事件が問いかけているのは? (7)――

「いじめ」とコールバーグの道徳性発達理論

――小山田圭吾事件が問いかけているのは? (7)――

前回は、村瀬学著『いじめ――10歳からの「法の人」への旅立ち――』 (ミネルヴァ書房、2019年、以下、『いじめ』と略します) がどのように「いじめ」を把握しているのか、そしてその理解を元にした対策はどんなものなのかを概観しました。

「いじめ」の対策として村瀬が『いじめ』の中で薦めているのは、普通の「クラス会」とは別に「特別クラス会 (広場) 」を設けていじめの問題を話し合うことです。普通のクラス会が、「授業の場」あるいは「教育の場」に位置付けられているのに対して、「特別クラス会」は「法の場」として位置付けられます。それは、「先生のルール」と「子どもの自由なルール」という公開された場で共有されているルールの場に、「掟 = 子ども法」という地下に潜ったルールを持ち出して話し合いをするということです。

この「特別クラス会」を機能させるために、4月の新しい学年が始まる最初の日に、先生は生徒との間で「六つの合意」を取り交わします。念のために、「六つの合意」を再掲します。

合意① 「アンケートの項目」をわたしはしない、させない。

合意② トラブルは「公開の場」へ持ち出して議論する。

合意③ 公にされたことでの「仕返し」を許さない。

合意④ 「仕返し」がわかれば、緊急クラス会を開く。

合意⑤ 「緊急クラス会」でも改善が見られないのなら、親に来てもらい、現状を話す。

合意⑥ 家族と先生と学校が話をしても、違法性の改善が見られないのなら警察に訴える。

このような合意が守られれば、「いじめ」そのものを防げるであろうことは分ります。同時にいくつかの疑問も生じます。

例えば、「いじめ」は、一つのクラスの中に限定されているものではありません。例えば部活などの場で「いじめ」のあることは良く知られています。その場合はどうすれば良いのでしょうか。あるいは、前の年から続く「いじめ」があり、組替えで別のクラスになった「仲間」が、新学年になってもその行為を続けるというケースはどうでしょうか。

『いじめ』は、基本的な教科書であり、このような応用問題については別の著作や研究・実践があるのかもしれませんが、「クラス」より広範囲の場、例えば全校での取り組みも必要になってくるのではないでしょうか。

また「いじめ」は世界のどこでも起きているのですから、外国での経験や研究も参考になるはずです。その際に、「いじめ」を考える枠組みの一つとして、ロレンス・コールバーグの道徳的発達理論が役に立つと思えるのですが、村瀬の『いじめ』では、コールバーグへの言及が一切ありません。9歳から10歳頃に、子どもの中に「法」という意識が芽生えることを基本として「いじめ」の問題を扱っているのですから、コールバーグ理論の中の、中間的段階に現れる正義や法についての志向の変化・発達との関連を考えるのは自然なように思えるのですがどうでしょうか。

心理学や教育学を勉強した方には常識だと思いますが、ここで、コールバーグ理論の発達段階を日本語と英語のウイキペディアを元に簡単に示しておきましょう。各段階の下のイタリックの言葉は、その段階での道徳的思考の典型を示しています。

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http://www.afirstlook.com/docs/diffvoice.pdf

 

1.慣習以前のレベル

第一段階=罰と服従への志向

「警察に捕まらないならば、それはOKだ」

罰の回避と力への絶対的服従がそれだけで価値あるものとなり、罰せられるか褒められるかという行為の結果のみが、その行為の善悪を決定する。

第二段階=道具主義的相対主義への志向

「気持ちが良ければ、やって良いんだ」

正しい行為は、自分自身の、また場合によっては自己と他者相互の欲求や利益を満たすものとして捉えられる。具体的な物・行為の交換に際して、「公正」であることが問題とされはするが、それは単に物理的な相互の有用性という点から考えられてのことである。

2.慣習的レベル

第三段階=対人的同調あるいは「よい子」への志向

「私のためだから、そうして欲しい」

善い行為とは、他者を喜ばせたり助けたりするものであって、他者に善いと認められる行為である。多数意見や「自然なふつうの」行為について紋切り型のイメージに従うことが多い。行為はしばしばその動機によって判断され、初めて「善意」が重要となる。

第四段階=「法と秩序」の維持への志向

「義務を果せ」

正しい行為とは、社会的権威や定められた規則を尊重しそれに従うこと、すでにある社会秩序を秩序そのもののために維持することである。

3.脱慣習的レベル

第五段階=社会契約的遵法への志向

「思慮深い人たちみんなの考えだ」

ここでは、規則は、固定的なものでも権威によって押し付けられるものでもなく、そもそも自分たちのためにある、変更可能なものとして理解される。正しいことは、社会にはさまざまな価値観や見解が存在することを認めたうえで、社会契約的合意にしたがって行為するということである。

第六段階=普遍的な倫理的原理への志向

「みんながそれと同じことをしたらどうなる?

正しい行為とは、「良心」にのっとった行為である。良心は、論理的包括性、普遍性ある立場の互換性といった視点から構成される「倫理的原理」にしたがって、何が正しいかを判断する。ここでは、この原理にのっとって、法を超えて行為することができる。

ここで「慣習的」という言葉は、「世間で受け入れられている善悪の判断」という意味です。多くの人は十代でこのレベルに達します。村瀬は『いじめ』の中で、9歳か10歳頃に子どもたちは「法の人」としての目覚めを経験することを指摘していますが、それは第1レベルの第二段階から第2レベルの第三そして第四段階への発達だと考えられます。

そして、『いじめ』の中の中心的解決方法として提案されている「特別クラス会」は、子どもたちを第3レベルの第五段階における判断をするような環境を創ることだと考えて良いでしょう。それも自分たちの手で「社会契約」をつくるという積極的な意味を持つことになるのです。

そして、コールバーグの理論を活用することで、「いじめ」の問題にどう取り組むのかという研究や実践も世界的に、そして我が国でも行われてきています。ネット上で探しただけでも、星野真由美による「いじめ問題への道徳的発達理論によるアプローチの方法について」(教育科学研究 第15号 1996年7月、17-27)や、その中でも触れられているコールバーグの提唱した「ジャスト・コミュニティ」の実践を取り上げている「ジャスト・コミュニティを目指す全校(学年)道徳という指導法」(田沼茂紀道徳教育研究室 2006年2006年12月24日号)が見付かります。

「ジャスト・コミュニティ」は、これまでこのブログで取り上げてきた、「集団的自立」や「特別クラス会(広場)」と共通した考え方ですので、これらの異なる理論や実践が相互に補い合い適用範囲を広げるなどすることで、さらに効果的な「いじめ」対策が可能になるのではないかと思います。

私は、コールバーグの発達段階理論を見詰めながら、第三者機関についての要件をより具体的に考えられるようになりました。その結果は次回に。

 [21/9/26 イライザ]

 

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