修道中学校職員生徒慰霊碑
日本被団協のノーベル平和賞受賞のニュースに接して以降、何人もの被爆者の皆さんのことを思い出しました。
その一人が近藤幸四郎さんです。近藤さんは、1974年の広島被爆者団体連絡会議発足に尽力し、その後亡くなる2002年まで、事務局長を努められました。私が接した多くの被爆者の中で、もっとも身近で,もっとも多くのことを教えていただいたのが近藤幸四郎さんでした。写真は、2001年12月6日の写真で、近藤さんのお気に入りの一枚で,小澤こうさんの写真集「2002ひろしま」の巻頭に掲載されています。
1945年4月修道中学入学した近藤さんも、連日「学徒動員」にかり出されていました。8月1日から10日間の予定で、広島市役所裏の雑魚場町で建物疎開に従事していた近藤さんですが、作業効率が低下した生徒の姿を見かねた担任の先生が5日の作業終了後「疲れているから明日はゆっくり休め」と言い渡され、原爆が投下された8月6日は、自宅近くの御幸橋で友人と遊ぶことになり、命を奪われることから免れました。
前々から訪ねようと思いながら実現していなかった近藤さんが修学していた修道中学(現在の修道高校)の「修道中学校職員生徒慰霊碑」をこの機会に訪ねようと,学校が冬休みになった27日に中区南千田西町にある修道高校に行ってきました。
学校に着くと、許可を得なければと事務所を訪ねました。応対していただいた事務員さんから、予想もしなかった返事が返ってきました。
「今、修道学園創設300周年事業として本館建て替えなどの工事をしているため、わたしたちも慰霊碑に近づくことができないのです。」
そして、示されたのが「修道学園同窓会会報第90号」でした。
そこには、本館建て替え工事のための「慰霊碑」を移設させた時の写真やきれいに整備された広場の完成予想図が、掲載されています。
慰霊碑の移設は、4月19日から6月26日までに執り行われたようです。
完成後の広場の中心に慰霊碑が建っています。
「来年10月には、整備が終了しますので、あらためてきていただけませんか」とのこと。
残念ですが、今回は慰霊碑への参拝はあきらめるしかありません。
あきらめて事務所から外に出ると、向かい側に工事用の資材の間に慰霊碑の上部が見えます。作業の邪魔にならないよう遠くから写真を撮りました。
蔵のような建物の左側に慰霊碑が写っています。
今回この碑を訪れようと思ったのは、近藤さんのことを思い出したことの他にもう一つ理由があります。
11月に開催された紙屋町シャレオ古本まつりで「修道学園史」を購入していたからです。「修道学園史」には、「動員・原爆」の項があり,約40ページにわたって詳細に記述がありますので、この本を手に訪れたいと思っていたからです。
「修道中学校職員生徒慰霊碑」めぐりは、学校整備が終わった来年10月頃に改めて行いたいと思います。
「修道学園史」に書かれた被爆の被害の実相はその時に紹介したいと思います。
いのちとうとし
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