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自然災害

2021年11月25日 (木)

災害と公衆電話

災害が発生した時に重要な通信手段となる公衆電話、知っている人は多いと思いますが、普通の電話や携帯電話が使えなくなった時、優先的に接続できる手段として重要な物なのです。だから決められた範囲(たぶん500メートル)に1台は設置しなければならないとされています。

 先日、NTTの工事業者から「佐伯区役所前」電停横の公衆電話を撤去したいという連絡がありました。私に直接あったのではなく、その公衆電話近くに住んでいる方からの連絡で分かったのです。撤去したい理由は、この公衆電話の利用が少なく採算が取れないからということです。携帯電話の普及で、公衆電話の使用が少ないというのはよーく分かります。僕自身も公衆電話を利用するのは1年に1~2回でしょうか。使う理由?、それは相手側にこちらの電話番号を知らせたくない時、さりとて「非通知」にするというのも変だし、「公衆電話」と表示される方が良心的かなと思う気持ちからです。

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 今年も大雨による災害が発生しました。被災地の方が語るのは「こんなことは初めてだ!」という言葉です。7月1日~3日にかけて熱海市伊豆山地区での大雨による土砂災害、総雨量が400ミリを超えたということでした。こういう災害が日本だけでなく、世界中で発生していることがとても心配です。

 私の住んでいる広島市佐伯区内でも、1999年6月に大雨が降り死亡者も出るという大きな被害が発生しました。先日町内会の会合で、この時の記録の約1時間の映像を観る機会がありました。大雨はただ単に降った量だけでなく、その地域の地形やどういう降り方をしたかなどによって、被害の状況も変わるとのことですが、熱海市の時の雨量よりも佐伯区の方が相当に少なかったとのことでした。でも私も記憶に残っているような被害でした。

 私の住んでいるところには八幡川というのが流れていますが、その上流に魚切(うおきり)ダムというのがあります。町内会の会合である人が「魚切ダムに熱海市のような雨が降ったら、八幡川が氾濫してここら辺りは水浸しになる」と話しておられました。

 広島市内中心に通勤通学する人の多い住宅街ですが、リアルに大雨被害を考えることはありません。

木原省治

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2021年9月18日 (土)

台風14号への備え

停滞を続けていた台風14号の進路は、予報どおり昨日から進路が多きく変わり、夕方前に九州に上陸した後、瀬戸内海の四国よりを通過することになりました。

広島県には、17日夜から18日の朝にかけて最も近づき、雨と風が非常に強まり、大荒れの天気になる恐れがあると、予報されていました。同時に、台風への備えを急ぐようにと予報士が繰り返しています。

わが家では、台風接近の予報が出る度に、雨対策は心配ないのですが、強い風に備えて、どうしてもやっておかなければならないことがあります。それは、ベランダに並ぶ植木が風に飛ばされたり折れたりしないように部屋の中に移動させることです。

昨日も、午後に入り雨が降り始めましたので、植木が雨に濡れないうちにと、午後2時ころから作業を開始しました。毎年、年に1,2度は行っていますので、一応手順良く進めることができます。

狭いベランダですが、洗濯物干しにじゃまにならないような場所に小さなものからやや大きめの31個の植木鉢があります。

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ベランダに接した部屋にまず、黒い大きめのビニール袋を3枚ほど敷き、一鉢一鉢部屋の中に移動させます。近年は、何度も移動させなければならないことがありますので、だいぶ手際が良くなったような気がします。

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10分ほどで、植木鉢の移動は終わりました。だいぶ葉っぱが落ちていますので、きれいに掃除しないと、これも風で飛んで近所に迷惑をかけることになります。植木鉢が無くなったベランダは、何か広く感じられ、普段のベランダ掃除では、ホウキが届かない部分も掃くことができます。

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その他にも飛びそうなものがありますので、一つひとつに植木鉢の嵩上げや固定のために使っているレンガを重しとして乗せます。後は物干し竿を屋内に入れれば、ベランダの台風への備えは終わりです。

次は、玄関前です。玄関前にも植木鉢が、3個ほど並べています。

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玄関には自転車を入れていますので、空きスペースが狭くなっていますが、3鉢ほどですので、全部入れます。

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鉢を移動させると、ここにも落葉がありますので、ホウキを持ってきて掃除をします。

わが家には、ベランダ以外にも部屋の出窓という出窓にも、沢山の植木鉢が並べていますので、台風対策で、植木鉢を移動する時には、「もう少し鉢を減らせばよいのに」と思うのですが、一生懸命に面倒を見て(といっても水と時々肥料をやるだけですが)、年を超えて再び花をつけてくれた時の喜びを思うと簡単には捨てることはできません。

今回は大きな被害が出なければよいがと祈りながらのわが家の台風への備えでした。

いのちとうとし

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2021年7月24日 (土)

いざという時のために…

観測史上2番目の早さで梅雨入りした中国地方ですが、7月13日に梅雨明けしたとみられると気象庁から発表がありました。よく梅雨の終わりには大雨が降ることが多いと言われていますが、先日の豪雨により、県内では「緊急安全確保」(警戒レベル5)や「避難指示」(警戒レベル4)が出された市町もあり、土砂災害や河川の氾濫、道路の冠水など多くの被害が出ています。被災されたすべてのみなさんに、心からお見舞い申し上げます。

ニュースや気象情報を見ていると、「50年に一度の記録的な大雨」という表現を使われる場合があります。しかも年に何回も「50年に一度」と言われると、若干違和感がありますが、これは「その地域では50年に一度しか経験しないような雨」という意味のようです。「50年に一度の記録的な大雨」という表現を見聞きしたときには、土砂災害等の発生につながる記録的な大雨が降っていることを意味しているので、各市町が発表する避難情報などを確認して、速やかに適切な行動をとるようにしたいものです。

今から49年前、私が住む三次市では3日間の総雨量が400ミリを超え、土砂崩れや市内を流れる江の川や馬洗川等の氾濫等により、甚大な災害が発生しました。私が生まれる1年前のことで、当時のことは正直よく分かりません。しかしながら、災害を経験していない子どもたちや市民にも分かるように、「2.2m 1972年7月12日 洪水水位」といった表示が市内中心部である十日市地域の各所に設置されています。

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また、これには「日頃から、緊急避難場所・避難所を確認しておきましょう」と表示され、最寄りの避難場所も記されています。

この表示には、かつて豪雨災害があったことを決して風化させることなく、今後災害が発生したときに適切な避難行動をとってほしいという願いが込められているように感じます。今一度私が住んでいる地域のハザードマップを確認するなどして、防災への意識を高めていきたいと思いました。

(まるちゃん)

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2021年4月26日 (月)

政府の基本姿勢は? ――主権者たる国民を「尊重」することなど全く念頭にない――

政府の基本姿勢は?

――主権者たる国民を「尊重」することなど全く念頭にない――

 

「自然災害から学ぶ」シリーズで問題にしたのは、大災害の被災者に対する政府の基本的姿勢でした。それは、私有財産に公費を投じる施策は取らないというものです。私たちが、このことを明示的に知らされたのは、1995年の阪神淡路大震災の時でした。

そこから、被爆者援護についての政府の基本的な姿勢である「受忍論」へと発想が展開して行きました。それは、「戦時には、国民が被害を受けても政府は何もしなくて良い」と言い換えることができます。これは、1980年のいわゆる基本懇の意見として示されましたので、個人的にはこちらを出発点として政治を考えてきました。

「戦時には」という限定が付いているのですから、「平時」には、政府が国民のために施策を展開し生活を助けることは当然だ、という前提があると普通は考えますよね。ですから、阪神淡路大震災後の政府の方針、「自然災害により個人が被害を受けた場合には、自助努力による回復が原則」は受け入れ難いものでした。

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阪神淡路大震災時のボランティア Taken on 18 January 1995    photo by Nezumi

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kobe34.jpg

 

しかし、「被災者生活再建法」ができ、地震等の災害時に政府が被害者に差し伸べる手が少しずつ改善されて行く様を見て、少しは希望が湧いてきたのですが、東日本大震災と福島第一原発事故後の対応で、日本政府の本質は変わっていないことを改めて認識せざるを得なくなりました。

「受忍論」では、「戦時」には政府は国民を見捨てると宣言し、論理的な帰結として、「平時」には政府が責任を果すと約束したのだ、と私たちは理解したのです。戦争責任についての政府の立場を受け入れた訳ではありませんが、政府の姿勢について正確に理解しつつ、憲法に則っての私たちの権利の主張のためには、まず政府の立場を正確に論理的に理解する必要があるからです。

しかし、「平時」には政府がその責任をきちんと果すはずだという私たちの期待・理解は裏切られました。地震の被害を含めて、「自然災害」による犠牲は「原則個人」が負担するという、つまり「平時」でも政府は責任を持たなくても良いという責任回避の姿勢が、堂々と表に出て来たのです。

政府の基本姿勢については主権者である私たちの力で正してゆく必要のあることを再度強調しつつ、それでも政府の立場を論理的に整理して行くと、この段階では次のようになります。「戦時」における国民の犠牲は、国民が「受忍する」。「平時」の内、自然災害による国民の犠牲は、原則国民個人が負担する。となると残されている、自然災害以外の災害、つまり人工的な原因による災害については政府が責任を果すという立場が出てくるのだと期待してしまいます。

現実はどうだったでしょうか。福島第一原発の事故は、東電や政府によると「想定外」であり、30ほどの訴訟においても、政府の責任はないという主張がなされています。地方裁判所レベルでの裁判所の判断は、分れています。とは言え、結局、日本政府は国民の被る被害について、何もしないというのが基本姿勢だという結論にしかなりません。

「戦時」には責任を取らない、「平時」でも自然災害は個人の責任、そして人為的災害にも責任は取らないのですから、論理的には、この結論以外はあり得ないのです。

さて、憲法に戻ると、一番大切な条文の一つは13条です。

13条  すべて国民は、個人として尊重される。

「尊重」するのはだれかと言えば、当然、権力を持つ為政者です。日本政府は当然その中心です。しかし、どんな状況でも国民の犠牲には関心を持たないという基本姿勢は、13条の規定である、国民を「個人として尊重」する、という義務とは対極にあると言わざるを得ません。

これを変えるための有効な手段が選挙です。

そして、(これを書いている今日) 4月25日に行われた広島県の参議院再選挙では、午後9時ころ発表された中国新聞の出口調査では、野党候補の宮口氏が優勢とのことですので、北海道と長野の補欠選挙と合わせて、自民党が全敗です。

憲法に則った、特に平和を重んじる政治が実現するための第一歩になることを心から祈っています。 

[2021/4/26 イライザ]

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2021年4月21日 (水)

自然災害の歴史から学ぶ (4) ――政府の姿勢を問うと、「受忍論」に戻ってしまいます――

自然災害の歴史から学ぶ (4)

――政府の姿勢を問うと、「受忍論」に戻ってしまいます――

 

前回、最後に問題にしたのは、大災害の被災者に対する政府の基本的姿勢でした。それは、私有財産に公費を投じる施策は取らないというものです。しかし、阪神淡路大震災後、世論の力で1998年に「被災者生活再建法」ができました。とは言えその法律には大きな欠陥がありました。まず、遡及適用がなされませんでした。つまり、阪神淡路大震災の被災者には適用されなかったのです。またこの法律が支給したお金は、住宅の再建には使えないどころか、補修にも使えない、基本的には住宅関連の費用に充てることはできなかったのです。つまり、本来の目標とはかけ離れた法律だったのです。しかも、最大の額が100万円でした。

何故、このように非人間的な対応になってしまうのかを知るには、当時の村山富市首相の発言、「自然災害により個人が被害を受けた場合には、自助努力による回復が原則」が役立ちます。

ここで論理的な立場から問題にしたいのは、「自然災害により個人が被害を受けた場合には」です。特に「には」です。その他の場合とは違って、自然災害という原因で個人が被害を受けた場合、という特定がされているからです。

こんな特定の仕方をされるとすぐ頭に浮かぶのが、1980年12月に「原爆被爆者対策基本問題懇談会」、略して「基本懇」が発表した意見書です。これまで何回も取り上げていますが、日本政府ならびに日本社会を牛耳ってきた人たちの基本的な考え方を忠実に示している文書ですので、これに対抗する枠組みが我が国にしっかり定着するまで、打破すべき対象として繰り返し掲げます。

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このような、戦争肯定とその被害に対する開き直りを、恥じることなく言語化した人たちが誰だったのかも記憶し続けなくてはなりません。

委員(全員故人)は、

茅誠司・東京大名誉教授(座長)

大河内一男・東京大名誉教授

緒方彰・NHK解説委員室顧問

久保田きぬ子・東北学院大教授

田中二郎・元最高裁判事

西村熊雄・元フランス大使

御園生圭輔・原子力安全委員会委員の7人

茅、大河内の二人は東大の総長を務めた人たちです。日本政治を動かしてきた官僚組織・制度や日本の思考の元となる学問の世界、その他にも財界や産業界等、いわゆるエスタブリッシュメントを構成するエリートたちを育ててきた人たちです。

改めて、この「基本理念」を読み直したのですが、今回も腹の立つことに変りはありません。先月も一通りの批判をしましたが、毎月一回は腹を立てていることになります。再度お読み頂ければ幸いです。

先月問題にしたのは、「国をあげての戦争」という部分に注目して、せめてそれが真実であるのなら、つまり、国民投票なり世論調査に基づいて全国民の意思を確かめ、その結果、「戦争をしよう」ということになったのであれば、その戦争の結果生じる犠牲を「一般の犠牲」として、全国民が等しく「受忍」するという論の立て方は、それなりに論理的だと考えられるという点でした。

しかし、主権は国民にはなく天皇にあったのですから、「国家の意思」と国民の意思とは別物だったのです。

本論に戻りましょう。1998年の「被災者生活再建法」から始まって、国の施策も徐々に改善されていることは事実です。しかし、2007年に二度目の改正がされたこの法律には、まだ大きな問題が残されているのです。

この法律の趣旨は、災害によって引き起こされた被害から生活を再建するための「支援金」を支給することなのですが、それは「基礎支援金」と「加算支援金」の二本立てになっています。「基礎」の方は、住宅の壊れ具合で決まるのですが、全壊の場合には100万円が支給されます。「加算」は、住宅の再建方法で決められます。新築や購入だと200万円で、補修だと100万円ということになっています。

大きな問題点は、このお金が「補助金」ではなく「見舞金」だということです。つまり、国の大方針である「私有財産の価値を高めるために公費は使わない」には反していないのです。住宅の再建や補修のための「補助金」ではなく、「家が全壊して大変でしたね、お見舞い申し上げます。その印です。」という趣旨なのです。

実はそれにもメリットはあります。実際にかかった費用が支給額より低くても、全額支給されという点です。建設や修理のための補助金ではなく「見舞金」だからです。

このような形で法律を作る国の姿勢は、「被爆者援護」施策における国の姿勢と並行しています。基本懇の基本理念でも被爆者援護法制定後の援護の実態を見ても、「戦争による犠牲は国民が受忍すべき」という基本方針は変えていないからです。

基本理念では、持って回った言い回しで、放射線による被害が戦争の結果生じ、それに対して国の責任があるのだとは明言していないのです。ですから被爆者に対する援護も、戦争と被爆者の被った被害・犠牲との因果関係を認めているのではなく、戦争の結果生じた犠牲に「相応」する形で、それに対する補償に「相当」する措置を行うという、分り難いけれど戦争責任を避ける表現になっているのです。簡単にまとめれば、お金に換算すれば「相当」する額を出しているのだから、「何故」出すのかという点にまで文句を言うなということです。

「被災者生活再建法」では、被害に「相当」する金額を「見舞金」として支給することにしたのと同型の、論理のすり替え、「最後はお金でしょ」という人間の尊厳無視の姿勢です。

1994年、被爆者援護法が制定されたとき、それを無視して法律を作った政府に対して、国の戦争責任に基づく国家補償を求めていた被爆者たちの気持を代表する言葉が残っています。広島県被団協の理事長だった伊藤サカエさんによる、「せめて線香の一本でも供え、悪かったと言ってほしい」です。日本政府が主権者である国民一人一人を尊重する気のないことを余すところなく伝えています。

 [2021/4/21 イライザ]

 

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2021年4月16日 (金)

自然災害の歴史から学ぶ (3) ――災害対応にも政治にも「論理」を持ち込もう――

自然災害の歴史から学ぶ (3)

――災害対応にも政治にも「論理」を持ち込もう――

 

既定事実を無理矢理、押し付けようとするとき、為政者は「分り易い」喩えや理屈で説得しようとする癖があります。福島の第一原発の汚染水についての麻生副総理・財務大臣の発言が典型例です。汚染水を、処理済みとは言え海洋放出することに何の問題もないと強調するために、「別にあの水飲んでもなんてことないそうですから」と宣うた。

そこで論理に登場して貰うと、「だったら、飲んで見せて」、「飲み水と同じなら、何故捨てなくちゃいけないの?」等々、究めて当たり前の結論です。

それに対して、麻生副総理が論理的な対応をするのであれば、一番簡単なのは、「汚染水」を飲んで見せることでしょう。「飲んでもなんてことない」のですから。それで、政治的な責任が果たせるのであれば安いものです。

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これは、カフェラテですから飲んでも大丈夫

でも、十中八九、飲まないでしょう。安部・菅政権の常套手段、そして歴代自民党の常套手段は「白を切る」ことだからです。つまり、「答えられない」のです。論理的には破綻していることを、「答えない」という行動を通して認めてはいるのですが、それだけではなく、その事実を認めない上に、最初の言葉、つまり「飲んでもなんてことない」が嘘だったことも認めないのですから、何重にも人を馬鹿にしています。

それでも、政党の支持率では自民党が一番多いのです。その理由は全く理解できませんが、それを変えるのはやはり選挙です。手始めに、今月の参議院選挙で自民党候補を落とすことから始めましょう。とは言ってもこのブログを読んで下さっている方には、釈迦に説法なのですが、あまり関係のないような場でも話を選挙に持って行って、河井夫妻のことや麻生副総理のこと等、遣り切れない思いであることを伝えるという作戦はどうでしょうか。

自然災害について遣り切れない思いをした記憶はたくさんあるのですが、その一つとして阪神・淡路大震災後の復興についての国の対応があります。自宅が倒壊して住めなくなった人は20万人以上に上りました。全壊が104,906戸、半壊が144,274戸、全焼が7,036 戸、半焼が96戸という数字が、ウイキペディアには載っています。

しかしながら、我が国の法的な立場は伝統的に、私有財産に公費を投じる施策は取らないというもので、当時の村山富市首相は「自然災害により個人が被害を受けた場合には、自助努力による回復が原則」と言っています。

つまり、ローンを組んでようやく建てた家が地震で倒れてしまっても、再び自力でローンを組んで家を建て、地震でなくなってしまった家のローンと新しい家のローンの両方を払い続けるのが原則だったということです。

義援金や自治体からの援助もありましたが、やはり国の責任で、主権者である国民の窮状を救うのが筋であるという多くの国民の声を受けて、ようやく1998年になって「被災者生活再建法」ができました。「自助努力による回復が原則」から、市民の生活にようやく目が向いたのですが、それでも多くの問題がありました。

まず、この法律は遡及適用がされなかったのです。つまり、阪神淡路大震災の被災者には適用されなかったのです。これって、あまりにも冷たい、非人間的な対応ですよね。

さらに、住宅の再建には使えないどころか、補修にも使えない、基本的には住宅関連の費用に充てることはできないものだったのです。しかも、最大の額が100万円でした。

そんな中で、大きな一歩になったのが、2000年10月に、鳥取県西部地震の後、片山善博知事 (当時) が「鳥取県西部地震被災者向け住宅復興補助金」という制度を作ったことでした。その結果、住宅再建に公金が使えるようになったのです。国のレベルでもこの法律の後追いをして、法的にも徐々に整備がされてきました。

このような政治の貧困 (それに風穴を開けた片山元知事の様な例外のあったことも重要ですが―――) が、なかなか改善されない背景を考えてみると、そこに再び、「受忍論」の影がチラつくのです。その点を検討する上で、やはり「論理」を持ち出さなくてはならないのです。以下は次の機会に。

 [2021/4/16 イライザ]

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2021年4月11日 (日)

自然災害の歴史から学ぶ (2) ――6・29豪雨災害――

自然災害の歴史から学ぶ (2)

――6・29豪雨災害――

 

自然災害の歴史を繙き、それに対してどのような対策が取られてきたのかを検証しています。前回は、明治以降に起きた地震で、死者数からどのくらいの被害があったのかを年代順に整理した表を見てみました。

その中でも関東大震災の被害の大きさに胸を突かれました。亡くなった方が10万人を超えているのですから、東日本大震災と比べると、正に桁が違うのです。そして、その内の9割が、火災によって亡くなっています。

となると、東日本大震災に関係のある事柄での「9割」が頭に浮かびます。それは、東日本大震災で亡くなった方の9割が溺死だということです。つまり、津波で亡くなっているのです。さらに亡くなった方の内、3分の2は、60歳以上の方なのです。

このように数字から数字へと連鎖を辿ることでも、自然災害の形が見えてくるように思います。連鎖を辿らなくても一つ一つの災害を客観的に把握するためには数字が役立ちます。

 その中でも忘れられないのは、市長就任直後に起きた「629豪雨災害」です。被害の状況、そして広島市の対応は次の図を御覧下さい。

  629

その日の午後、開会中の市議会の議場が突然雷雨の音に包まれ、人の声が聞えるようになるまでかなりの時間がたったくらい、それまでに経験したことのないような豪雨が降り始めたことを覚えています。

 被害状況は、報告を受ける度に拡大し、夜には自衛隊の派遣を依頼しましたが、遅きに失したのかもしれません。30日には現地の視察もしましたし、市としての対応にも追われましたが、とにかく消防を初めてとして全職員が力を合わせて頑張ってくれました。

私個人としても、その時点では事後的な対応しかできませんでした。しかしこれほどの惨事になった原因を確かめて、それに対する「事前」の対策を取れないものかとも考えていました。

 それは、次の年に実現しました。通称、「土砂災害防止法」が制定されたからです。それについては、4年後の防災の日、つまり91日付で市の広報誌に掲載された記事の一部をお読み下さい。

 

「それ以上に忘れられないのは、4年前の629日の、梅雨前線豪雨による災害です。死者20名、負傷者45名、全半壊家屋203戸といった甚大な被害を広島市にもたらしました。

その直後に関谷勝嗣建設大臣(当時)が視察に来てくれましたが、一日も早い災害復旧と、今後これほど大きな被害を出さないための対策をお願いしました。大臣は直ぐに手を打つことを約束してくれましたが、特に、「こんなに山ぎりぎりのところにまで家を建てることは止めるべきだ。法的な規制が必要だ。」と強く主張されたことが印象的でした。

その結果、通称では「土砂災害防止法」という画期的な法律が一年後にできました。629日に起きたような土砂災害を防止することを目的とする法律ですが、分り易く説明すると、危険が起こりそうな地域についての調査を行い、「警戒区域」と「特別計画区域」を指定する。特に「特別警戒区域」については、その区域内に新たに家を建てないようにしたり、既に建っている場合には移転、あるいは現在の建物の建て替えや構造補強によって、被害を最小に食い止めるというのがこの法律の内容です。

しかし、個人の責任で別の住居を探して移転したり、自宅の建て替えや構造の補強を行うとしたら、経済的負担だけでも大変です。国からの支援策という形で、解決できないものか、機会ある毎に要望を続けています。

しかし、個人でできることも多くあります。例えば、安佐南区の伴地区では住民の自主的組織である自主防災会が中心になって「防災マップ」を作りました。

内容は、危険区域の表示や、いざ災害が起きた場合、水や食料、災害復旧のための道具がどこにあるのか、避難の際に、一人では避難できない例えば一人住まいのお年寄りがどこに住んでいるか等、実際に役立つ情報が中心になっています。

このような地図は、地域を熟知したその地域の住民の皆さんでなくては作成できないものです。皆さんの協力で素晴らしい物を作って頂きましたが、それが全国的にも認められ、消防庁の災センター長表彰を受ける栄誉に輝きました。

もちろん地図だけでは十分とは言えません。市内では、各区毎に防災訓練も行っていますが、特に安佐南区では、毎年、泊り込みの防災訓練を行っています。今年は8月の3031日に行われますが、こうした形での、市民の皆さんの日頃からの努力が、万一災害が起きたときの備えとして大切です。多くの皆さんのこれまでの努力に感謝しつつ、今後の御協力をお願い致します。」

 

「特別警戒区域」では、三つの措置が取られることになったのですが、それも図で見て頂いた方が分り易いと思います。

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残念なのは、良い法律ができても予算措置が伴わないと実質的な効果はないということですし、「天災は忘れたころにやってくる」という寺田寅彦の言葉を裏切って、かなり頻繁に台風の被害や、2014年そして2018年と再三にわたる大きな土砂災害が起きてしまっていることです。

 [2021/4/11 イライザ]

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2021年4月 1日 (木)

完全に舐められている私たち (2) ――東電からも官僚からも――

 

完全に舐められている私たち (2)

――東電からも官僚からも――

 

「完全に舐められている」シリーズを続けようと思うと、その実例が毎日、「これでもか、これでもか」と現れますので、完結することはなくなってしまうような気がします。そうならないように、私たち主権者が責任を果さなくてはなりませんが、その結果が早く出ることを祈りつつ、今回は東電と厚労省の官僚を取り上げます。

 東電の柏原刈羽発電所の不祥事についてのマスコミ報道は、抑制の利いた表現で感心したのですが、これは皮肉です。これほどの不祥事を伝えるのに抑制を利かしてはいけないのです。

 言うまでもありませんが、原発と原爆は同じ原理でエネルギーを発生させます。原爆は、核分裂によって生じるエネルギーをそのまま放出させるのですから、技術的にはそれほど難しいことではありません。事実40年ほど前にも、プリンストン大学の学部4年生の書いた設計図が、「軍事秘密」だという理由で没収されるという事件がありました。物理学の専攻とは言え、そのレベルの勉強でできるということです。

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それに対して原発は、同じ原理で発生するエネルギーを、原爆のように瞬間的に放出するのではなく、お湯を沸かせるくらいの低レベルで何時間も何日も続けさせるという技術なのです。複雑な装置が必要なのですが、問題は、この装置のどこかが上手く作動しないと、原爆の爆発にすぐつながってしまうという点です。そして、どの段階でも毒性の強い放射線が発生していることなのです。

 そんな装置がテロの対象になれば、核兵器で攻撃されるのと同等のあるいはそれ以上の被害を受けることはお分り頂けると思います。

 324日付の『東洋経済電子版』によると、

 「テロリストなど外部からの不審者の侵入を検知するための設備の複数が故障したまま、十分な対策が講じられずに放置されていたことがわかった。

 原子力規制庁の検査を機に、20203月以降、16カ所で設備が故障していたことが判明。そのうち10カ所では機能喪失をカバーする代替措置が不十分な状態が30日以上続いていた。」

 それだけではなく、原発の頭脳ともいえる中央制御室に、他人のIDを使って侵入した職員 (Aと呼びましょう) がいたことも報じられています。『新潟日報』の電子版によると、この職員Aは、他の職員のロッカーからIDを盗み出し、中央制御室に入ったようなのですが、入るまでに二回も警備の職員に怪しまれています。IDの写真とAの顔が一致しなかったからです。でも警備員は、そのままAを通過させています。しかも、二度目のときには、IDに掲載されていた電子情報まで書き換えさせていたということなのです。IDは、また元のロッカーに返されたとのことです。

 それが分ったのは、IDを盗まれた本人がそのことを知らずに職場に入ろうとして、認証の失敗が何度かあって「おかしい」ということでIDをチェックして貰い、記載情報が書き換えられていたため、認証されなかったことが分かったという報道内容です。

Aという職員も問題ですが、Aを見抜けず簡単に通してしまった警備システムそのものが、もう完全にアウトです。それも昨日今日始まったことではないでしょう。そんなセキュリティー・システムで今まで良く大事件が起きなかったのか不思議です。日本という国は善人ばかりが住んでいるのでしょうか。

そして仮に、このAが、日本に強い敵意を持つどこかの国のスパイだったとすると飛んでもないことになっていたはずですね。中央制御室からの操作で原発そのものを止めることもできるのですから、これはお分り頂けるでしょう。それだけの事件なのですから、抑制を利かせるのではなく、「もし」という仮定で警告を発しても良かったのではないでしょうか。

 ことによると、そんなことをすると、本物のスパイがこの不祥事に目を付けて、それこそとんでもない結果になるのを心配したのかもしれません。でも、手遅れです。この事件のもう一つ大きな「効果」は、日本の原発が本物のスパイにとって、いかに容易く侵入できる施設であるのかを、大々的に宣伝してしまったことです。

 それに対抗できるセキュリティー・システムを構築するのは、並大抵の努力では叶わない仕事です。福島の原発事故では、「自然」のせいにして、主要幹部の責任はないと公然と宣言しているくらいなのですから、今回も「悪いのは一人の職員」、事実上「更迭」しましたから、それで終わりでしょう、といった幕引きになるかもしれません。

 そんなシナリオが頭に浮かぶのは、厚労省の職員への「懲戒処分」と関連があるのですが、それは次の機会に。

 [2021/4/1 イライザ]

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2021年3月21日 (日)

自然災害の歴史から学ぶ ――基本的事実から始めましょう――

自然災害の歴史から学ぶ

――基本的事実から始めましょう――

 

来月、台湾で開かれる「2021 Asia-Pacific Disaster Management Summit」、つまり、アジア太平洋地域の防災会議に参加するため、勉強を続けています。その中で、私自身の知識がまだまだ足りないことに気付きました。これまでかなり勉強してきた積りですし様々な形で防災には関わってきましたので、「こんなことも知らなかった」という事実に吃驚しています。同時に、私の勉強の中身を多くの皆さんと共有することも大切なのではないかと考えることにもなりました。長いシリーズになるかもしれませんが、お付き合いいただければ幸いです。

今回は、その決意表明といくつかの基本的事実をお浚いしておきたいと思います。

まず、明治以降に起きた地震で、死者数からどのくらいの被害があったのかを表にすると、次のようになります。年代順に整理しましたが、死者・行方不明者数からも、被害の大きさが分ります。

 

 

被害順

発生日時

名称

 

マグニチュード

死者・行方不明者数

1891-10-28

濃尾地震 

8.0

7,273

1896-06-15

明治三陸地震津波

8.5

21,959

1923-09-01

関東大震災 

7.9

105,385

1927-03-07

北丹後地震

7.3

2,925

1933-03-03

三陸沖地震

8.1

3,008

1943-09-10

鳥取地震 

7.2

1,083

1944-12-07

東南海地震 

7.9

1,223

1945-01-13

三河地震

6.8

2,306

1946-12-21

南海地震

8.0

1,432

1948-06-28

福井地震 

7.1

3,728

1995-01-17

阪神淡路大地震 

7.3

6,437

2011-03-11

東日本大地震

9.0

18,430

 

ここで、改めて分るのは、関東大震災での死者・行方不明者数が桁違いに大きいという点です。10万人を超えているのですから、東日本大震災と比べると、正に桁が違うのです。

 しかも、その内の9割が、火災によって亡くなっているのです。地震の起きた時刻が1158分と丁度お昼の支度をしている時間帯で、しかも、当時の煮炊きは薪や炭、ガスが中心だったので、倒壊した建物に火が付いたのですが、その日の関東地方には強い風が吹いていたことも相俟って、短時間で火の手が広がったと考えられています。

 私たち世代が子どもの頃、親からも学校でもその他の場所でも、徹底して教えられたのは、「地震があったら、火を消しなさい」ということだったのですが、それは、関東大震災の教訓が生きていたからなのだということも、今回、一覧表を見て納得できたことの一つでした。

 この表を見てもう一つ気付いたのは、1940年代に被害の大きい地震が多発していることです。偶然のなせる業なのか、人為的な要素があるのか、その辺についてこれから調べる積りです。

 もう一つの問題点として、1989年にサンフランシスコで起きた地震があります。高速道路が崩壊したりといった大きな被害が出たのですが、今もはっきり覚えているのは、建設省の関係者そして専門家と称する人たちがテレビで得意顔をして、「日本の技術は優れているから、日本でこの規模の地震が起きても、同じような被害は起きない」と宣言している姿です。これは、6年後の阪神淡路大震災で、嘘であることが証明されてしまっているのですが、サンフランシスコ地震についての言明について、建設省や専門家たちがどのような反省をしたのかが未だに分りません。この点についても検証したいと考えています。

 最悪の場合、このような立場の人たちが誤った「自信」と「傲慢さ」を持ち続けているとすると、現時点でこうした人々の発するメッセージに対する信頼度が無くなるからです。

 簡単な年表を見ただけでも、次から次へと疑問が湧いてきたのですが、「出来る範囲でしか」と言う他はないのですが、出来るだけ事実を掘り起こして、次のステップにつなげて行きたいと思っています。

 [2021/3/21 イライザ]

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