柳田邦男さんの企画展「空白の天気図」特別講演
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館で開催されている企画展「空白の天気図―気象台員たちのヒロシマ-」(4月4日のブログ「「空白の天気図―気象台員たちのヒロシマ-」: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)」で紹介)の監修者であり「空白の天気図」の著者でもあるノンフィクション作家の柳田邦男さんの3回目となる講演会が、昨日午前10時から広島平和記念資料館メモリアルホールで開催されました。
柳田さんの講演をぜひ聴きたいと、過去の2回(3月14日と8月9日)応募しましたが、抽選に漏れ参加できませんでした。しかし、最後の講演会となる今回は、300人の会場に400人を超える応募があったようですが、抽選に当たり参加することができました。
柳田さんの講演のタイトルは「死の灰、黒い雨、二次災害―解明された被害拡大のメカニズム-」です。
講演は、「空白の天気図」の元原稿が見つかったことから始まりました。「信州大学の図書館から、この夏『柳田さんの特別コーナー』を作りたいとの話があり、わが家の蔵書や資料、原稿などを搬出している時に、もう手元にはないと思っていた50年前の『空白の天気図』の原稿が出てきました。出版元である新潮社が、400字詰め原稿用紙で700枚ある生原稿に表紙を付け製本した状態でプレゼントしてくれていました。ペンで書いています。」というエピソードの紹介から始まりました。「今回持参し、会場入り口に展示しています。追悼祈念館の企画展開会中は、会場に展示することになっています。」
「空白の天気図」の生原稿
その後、「空白の天気図」のねらいが紹介されます。「70年代、2重災害によって原爆の被害から生き延びた被爆者が、枕崎台風によって亡くなっていった。しかし、それはほとんど報道されていなかった。また、黒い雨の被爆者は援護されていない状況にあった。」「原爆によって気象台の機能がなくなって通信手段が途絶していた。襲来した台風についても、当日の広島気象台の天気図には、輪郭が書かれているだけ。」「水害の被害が伝えられていなかった」。そんな中で「①原爆と台風 複合災害の象徴的なものー枕崎台風の見直し」「②社会災害 戦争の中で起きる複合災害がいかに大変なものか」「③原点に返って考える 放射能被害の実相を見つめ直す 複合災害の実態も」を考えながら、「空白の天気図」を書かなければならないと思ったということでした。
この後、黒い雨のメカニズム、「空白の天気図」を読んで黒い雨の調査を行った宇田さん足跡を知り「黒い雨」の再調査を行った気象研究者増田善信さん、そのことによって黒い雨地域の拡大が証明され、その後の「黒い雨裁判」に活かされたことなどが科学的に、そして詳細に紹介されました。
増田資料を手にする柳田さん
特に増田善信さんの黒い雨地域の再調査は、「宇田雨域の原点である広島地方気象台における『観測精神』の実践、『現地調査』による記録」の考え方を引き継ぎ、「宇田氏の原資料の発掘、さまざまな手記類の調査、全国の体験者からの通報、現地住民の聞き取り」による調査の紹介は、原爆被害への向き合い方を教えていただける内容でした。
複合災害の危険性についての話もありましたが、ここでは省略します。
最後に「一人ひとりの人間が、複合災害に巻き込まれると本当に大変なことになる。一人ひとりが、それに巻き込まれたらどんなことになるか、調査し、記録することが大切だ」ということを強調されて講演は終わりました。
「空白の天気図」を読み直し、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館企画展「空白の天気図―気象台員たちのヒロシマ-」(来年2月29日まで開催)にもう一度出かけたいと思わされる講演会でした。
いのちとうとし
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