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自然災害

2023年11月 7日 (火)

柳田邦男さんの企画展「空白の天気図」特別講演

国立広島原爆死没者追悼平和祈念館で開催されている企画展「空白の天気図―気象台員たちのヒロシマ-」(4月4日のブログ「「空白の天気図―気象台員たちのヒロシマ-」: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)」で紹介)の監修者であり「空白の天気図」の著者でもあるノンフィクション作家の柳田邦男さんの3回目となる講演会が、昨日午前10時から広島平和記念資料館メモリアルホールで開催されました。

柳田さんの講演をぜひ聴きたいと、過去の2回(314日と89日)応募しましたが、抽選に漏れ参加できませんでした。しかし、最後の講演会となる今回は、300人の会場に400人を超える応募があったようですが、抽選に当たり参加することができました。

柳田さんの講演のタイトルは「死の灰、黒い雨、二次災害―解明された被害拡大のメカニズム-」です。

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講演は、「空白の天気図」の元原稿が見つかったことから始まりました。「信州大学の図書館から、この夏『柳田さんの特別コーナー』を作りたいとの話があり、わが家の蔵書や資料、原稿などを搬出している時に、もう手元にはないと思っていた50年前の『空白の天気図』の原稿が出てきました。出版元である新潮社が、400字詰め原稿用紙で700枚ある生原稿に表紙を付け製本した状態でプレゼントしてくれていました。ペンで書いています。」というエピソードの紹介から始まりました。「今回持参し、会場入り口に展示しています。追悼祈念館の企画展開会中は、会場に展示することになっています。」

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「空白の天気図」の生原稿

その後、「空白の天気図」のねらいが紹介されます。「70年代、2重災害によって原爆の被害から生き延びた被爆者が、枕崎台風によって亡くなっていった。しかし、それはほとんど報道されていなかった。また、黒い雨の被爆者は援護されていない状況にあった。」「原爆によって気象台の機能がなくなって通信手段が途絶していた。襲来した台風についても、当日の広島気象台の天気図には、輪郭が書かれているだけ。」「水害の被害が伝えられていなかった」。そんな中で「①原爆と台風 複合災害の象徴的なものー枕崎台風の見直し」「②社会災害 戦争の中で起きる複合災害がいかに大変なものか」「③原点に返って考える 放射能被害の実相を見つめ直す 複合災害の実態も」を考えながら、「空白の天気図」を書かなければならないと思ったということでした。

この後、黒い雨のメカニズム、「空白の天気図」を読んで黒い雨の調査を行った宇田さん足跡を知り「黒い雨」の再調査を行った気象研究者増田善信さん、そのことによって黒い雨地域の拡大が証明され、その後の「黒い雨裁判」に活かされたことなどが科学的に、そして詳細に紹介されました。

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増田資料を手にする柳田さん

 特に増田善信さんの黒い雨地域の再調査は、「宇田雨域の原点である広島地方気象台における『観測精神』の実践、『現地調査』による記録」の考え方を引き継ぎ、「宇田氏の原資料の発掘、さまざまな手記類の調査、全国の体験者からの通報、現地住民の聞き取り」による調査の紹介は、原爆被害への向き合い方を教えていただける内容でした。

複合災害の危険性についての話もありましたが、ここでは省略します。

最後に「一人ひとりの人間が、複合災害に巻き込まれると本当に大変なことになる。一人ひとりが、それに巻き込まれたらどんなことになるか、調査し、記録することが大切だ」ということを強調されて講演は終わりました。

「空白の天気図」を読み直し、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館企画展「空白の天気図―気象台員たちのヒロシマ-」(来年2月29日まで開催)にもう一度出かけたいと思わされる講演会でした。

いのちとうとし

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2023年9月19日 (火)

「ワタシのミライ」スタンディングアクション@広島

ニューヨークの国連本部で、9月24日に開催される国連の「気候サミット」を成功させようと、全国各地で、呼応する行動が展開されています。

広島でも、昨日午後2時から1時間、紙屋町電停前で、気候変動の取り組む市民と連帯し県原水禁や平和フォーラムも参加し、「『ワタシのミライ』スタンディングアクション@広島」のアクションが実施されました。

これは、東京で同じ日に代々木公園で、再エネ100%と公正な社会をめざすプロジェクト「ワタシのミライ」と気候危機の解決を求める若者の団体「Fridays For Future Tokyo(FFF Tokyo)、原水禁や平和フォーラムが中心になった活動する「さよなら原発1000万人アクション(さようなら原発)」が、初めて共同して実施した大規模なアクション行動に連帯して取り組まれた行動です。

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「再エネ100%と公正な社会を目指して」のスローガンを掲げて今回の行動への呼びかけのチラシには「世界でたくさんの人々が、気候危機に対して声をあげています。あなたもムーブメントに参加しませんか」と書かれ、「ワタシのミライ」について、こう書かれています。

「夏休みに子どもたちが外で遊べている/みどりが身近で、美しい四季を楽しめる/地球のめぐみを分け合い、循環させている/子どもを持つという選択を安心してできる/みんなの意見が反映されて、誰もが安心して暮らせる/1日の終わりに、明日を楽しみにできる/それがワタシの望むミライ/

それなのに今、/熱波、干ばつ、洪水、海面上昇、/生物多様性の危機、放射能汚染や大気汚染/弱者へのしわ寄せ・・・/

気候危機はもう現実なのに、/すでに多くのいのちが奪われ、/この先もっと苦しむ人が増えるのに、/なぜ化石燃料の延命、不確実な新技術?/

原発事故はまだ終わっていないのに、/コストも高く、この先数万年も負の遺産を残し続けるのに、/なぜ再稼働、運転延長、新増設、汚染水放出?/

このままではワタシのミライはありません。/でも、今なら間に合います。/化石燃料にも原発にも依存せず、/再エネ100%で安心して暮らせるミライへ、/世界の仲間と一緒に、一歩踏み出しませんか。/」

今年の夏の異常な暑さ、数年に一度の、観測史上初めての降水量、それに伴う全国各地での水害。この異常気象は、日本だけでなく世界の各地で起こっています。

「このままで地球はどうなるのだろう?」と考えている人は、多くいますが、さてどうするのか?何とかしたい、私は何をすればよいの?と思っている人たちに呼びかけたのが、今回の「『ワタシのミライ』スタンディングアクション@広島」でした。

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2018年、スウェーデンの15歳の少女グレタ・トゥーンベリさんが、1人で気候変動に対するストライキを始め、徐々に賛同者が増えていきました。私たちも、このアピールを通じて一人でも多くの人が気候危機に関心を持ち、何らかの行動してくれればと思いながら私もマイクを握りました。

アクション行動には、手作りのプラカードを持参するなど30名の参加があり、6名がマイクを握りスピーチを行いました。

いのちとうとし

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2022年6月27日 (月)

県道71号線昨年の大雨土砂災害現場を再び訪れて

「昨年の水害で崩落した道路などでむき出しとなった土砂が流れ出し農作業にも影響が出ているので、見に来ませんか」と誘われて、昨年9月14日の恵下廃棄物処分場建設と大雨土砂災害: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)の現場に行ってきました。

現場と言っても、道路などが崩落し、土がむき出しになっている場所は、ようやく今月から重機が入って作業が始まったようですので、直接見ることはできませんでしたが、友人が撮った写真から今だ、ほとんど手が付かず、雨の度に真砂土が流れ出ていることがわかります。

昨年私が撮った崩落現場の写真です。

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 今月友人が撮って写真です。

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真ん中が大きくえぐられ、水の通り道となっているのがわかります。何の措置もされていませんから、雨が降るたびに大量の土砂が下流に流れているようです。

下流では、その砂が、川底にたまっています。ここからは現場を見ました。

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 これでも川底をさらって土砂を何度か取り除いたそうですが、凹凸のあった川底は、土砂で埋まり平になっています。

その少し上流の堰から、用水路に水を引いていますが、堰もほとんど土砂で埋まっていますので、少し上流から導水管を設け、何とか水が確保されています。

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黒い導水管の左側に用水路の取り入れ口があります。

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田んぼに水を引くための用水路の底にも土砂がたまっています。手前には、土砂がありませんが、白っぽくなっているところからは、土砂が底にたまっています。田んぼに土砂が流れ込まないように何度か、川底をさらったそうですが、しばらくするとこのように土砂がたまるそうです。

崩落現場では、大量の土砂が手つかずのままで何の対策も打てていませんから、しばらくこの状態が続くと思われます。土砂が用水路にたまっているだけでなく、田んぼにまで流れ込むようになると稲そのもののできにも大きな影響を与えることになると思います。

全体として、今回の崩落の原因を究明し対策を建てることが重要ですが、急がれるのはむき出しになり、雨が降るたび、雨だけでなく自然に地中から湧いて出る水に押し流され、下流へ流れる土砂対策が急がれることを実感しました。住民のみなさんからすでに要望書も出ているようですから、住民の声をよく聞き、対処してほしいものです。

恵下廃棄物処分場建設の影響があったのではないかと言われている昨年の山崩れですので、廃棄物運搬方法の抜本的な見直しなどが求められているように思います。

いのちとうとし

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2021年11月25日 (木)

災害と公衆電話

災害が発生した時に重要な通信手段となる公衆電話、知っている人は多いと思いますが、普通の電話や携帯電話が使えなくなった時、優先的に接続できる手段として重要な物なのです。だから決められた範囲(たぶん500メートル)に1台は設置しなければならないとされています。

 先日、NTTの工事業者から「佐伯区役所前」電停横の公衆電話を撤去したいという連絡がありました。私に直接あったのではなく、その公衆電話近くに住んでいる方からの連絡で分かったのです。撤去したい理由は、この公衆電話の利用が少なく採算が取れないからということです。携帯電話の普及で、公衆電話の使用が少ないというのはよーく分かります。僕自身も公衆電話を利用するのは1年に1~2回でしょうか。使う理由?、それは相手側にこちらの電話番号を知らせたくない時、さりとて「非通知」にするというのも変だし、「公衆電話」と表示される方が良心的かなと思う気持ちからです。

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 今年も大雨による災害が発生しました。被災地の方が語るのは「こんなことは初めてだ!」という言葉です。7月1日~3日にかけて熱海市伊豆山地区での大雨による土砂災害、総雨量が400ミリを超えたということでした。こういう災害が日本だけでなく、世界中で発生していることがとても心配です。

 私の住んでいる広島市佐伯区内でも、1999年6月に大雨が降り死亡者も出るという大きな被害が発生しました。先日町内会の会合で、この時の記録の約1時間の映像を観る機会がありました。大雨はただ単に降った量だけでなく、その地域の地形やどういう降り方をしたかなどによって、被害の状況も変わるとのことですが、熱海市の時の雨量よりも佐伯区の方が相当に少なかったとのことでした。でも私も記憶に残っているような被害でした。

 私の住んでいるところには八幡川というのが流れていますが、その上流に魚切(うおきり)ダムというのがあります。町内会の会合である人が「魚切ダムに熱海市のような雨が降ったら、八幡川が氾濫してここら辺りは水浸しになる」と話しておられました。

 広島市内中心に通勤通学する人の多い住宅街ですが、リアルに大雨被害を考えることはありません。

木原省治

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2021年9月18日 (土)

台風14号への備え

停滞を続けていた台風14号の進路は、予報どおり昨日から進路が多きく変わり、夕方前に九州に上陸した後、瀬戸内海の四国よりを通過することになりました。

広島県には、17日夜から18日の朝にかけて最も近づき、雨と風が非常に強まり、大荒れの天気になる恐れがあると、予報されていました。同時に、台風への備えを急ぐようにと予報士が繰り返しています。

わが家では、台風接近の予報が出る度に、雨対策は心配ないのですが、強い風に備えて、どうしてもやっておかなければならないことがあります。それは、ベランダに並ぶ植木が風に飛ばされたり折れたりしないように部屋の中に移動させることです。

昨日も、午後に入り雨が降り始めましたので、植木が雨に濡れないうちにと、午後2時ころから作業を開始しました。毎年、年に1,2度は行っていますので、一応手順良く進めることができます。

狭いベランダですが、洗濯物干しにじゃまにならないような場所に小さなものからやや大きめの31個の植木鉢があります。

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ベランダに接した部屋にまず、黒い大きめのビニール袋を3枚ほど敷き、一鉢一鉢部屋の中に移動させます。近年は、何度も移動させなければならないことがありますので、だいぶ手際が良くなったような気がします。

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10分ほどで、植木鉢の移動は終わりました。だいぶ葉っぱが落ちていますので、きれいに掃除しないと、これも風で飛んで近所に迷惑をかけることになります。植木鉢が無くなったベランダは、何か広く感じられ、普段のベランダ掃除では、ホウキが届かない部分も掃くことができます。

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その他にも飛びそうなものがありますので、一つひとつに植木鉢の嵩上げや固定のために使っているレンガを重しとして乗せます。後は物干し竿を屋内に入れれば、ベランダの台風への備えは終わりです。

次は、玄関前です。玄関前にも植木鉢が、3個ほど並べています。

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玄関には自転車を入れていますので、空きスペースが狭くなっていますが、3鉢ほどですので、全部入れます。

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鉢を移動させると、ここにも落葉がありますので、ホウキを持ってきて掃除をします。

わが家には、ベランダ以外にも部屋の出窓という出窓にも、沢山の植木鉢が並べていますので、台風対策で、植木鉢を移動する時には、「もう少し鉢を減らせばよいのに」と思うのですが、一生懸命に面倒を見て(といっても水と時々肥料をやるだけですが)、年を超えて再び花をつけてくれた時の喜びを思うと簡単には捨てることはできません。

今回は大きな被害が出なければよいがと祈りながらのわが家の台風への備えでした。

いのちとうとし

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2021年7月24日 (土)

いざという時のために…

観測史上2番目の早さで梅雨入りした中国地方ですが、7月13日に梅雨明けしたとみられると気象庁から発表がありました。よく梅雨の終わりには大雨が降ることが多いと言われていますが、先日の豪雨により、県内では「緊急安全確保」(警戒レベル5)や「避難指示」(警戒レベル4)が出された市町もあり、土砂災害や河川の氾濫、道路の冠水など多くの被害が出ています。被災されたすべてのみなさんに、心からお見舞い申し上げます。

ニュースや気象情報を見ていると、「50年に一度の記録的な大雨」という表現を使われる場合があります。しかも年に何回も「50年に一度」と言われると、若干違和感がありますが、これは「その地域では50年に一度しか経験しないような雨」という意味のようです。「50年に一度の記録的な大雨」という表現を見聞きしたときには、土砂災害等の発生につながる記録的な大雨が降っていることを意味しているので、各市町が発表する避難情報などを確認して、速やかに適切な行動をとるようにしたいものです。

今から49年前、私が住む三次市では3日間の総雨量が400ミリを超え、土砂崩れや市内を流れる江の川や馬洗川等の氾濫等により、甚大な災害が発生しました。私が生まれる1年前のことで、当時のことは正直よく分かりません。しかしながら、災害を経験していない子どもたちや市民にも分かるように、「2.2m 1972年7月12日 洪水水位」といった表示が市内中心部である十日市地域の各所に設置されています。

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また、これには「日頃から、緊急避難場所・避難所を確認しておきましょう」と表示され、最寄りの避難場所も記されています。

この表示には、かつて豪雨災害があったことを決して風化させることなく、今後災害が発生したときに適切な避難行動をとってほしいという願いが込められているように感じます。今一度私が住んでいる地域のハザードマップを確認するなどして、防災への意識を高めていきたいと思いました。

(まるちゃん)

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2021年4月26日 (月)

政府の基本姿勢は? ――主権者たる国民を「尊重」することなど全く念頭にない――

政府の基本姿勢は?

――主権者たる国民を「尊重」することなど全く念頭にない――

 

「自然災害から学ぶ」シリーズで問題にしたのは、大災害の被災者に対する政府の基本的姿勢でした。それは、私有財産に公費を投じる施策は取らないというものです。私たちが、このことを明示的に知らされたのは、1995年の阪神淡路大震災の時でした。

そこから、被爆者援護についての政府の基本的な姿勢である「受忍論」へと発想が展開して行きました。それは、「戦時には、国民が被害を受けても政府は何もしなくて良い」と言い換えることができます。これは、1980年のいわゆる基本懇の意見として示されましたので、個人的にはこちらを出発点として政治を考えてきました。

「戦時には」という限定が付いているのですから、「平時」には、政府が国民のために施策を展開し生活を助けることは当然だ、という前提があると普通は考えますよね。ですから、阪神淡路大震災後の政府の方針、「自然災害により個人が被害を受けた場合には、自助努力による回復が原則」は受け入れ難いものでした。

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阪神淡路大震災時のボランティア Taken on 18 January 1995    photo by Nezumi

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kobe34.jpg

 

しかし、「被災者生活再建法」ができ、地震等の災害時に政府が被害者に差し伸べる手が少しずつ改善されて行く様を見て、少しは希望が湧いてきたのですが、東日本大震災と福島第一原発事故後の対応で、日本政府の本質は変わっていないことを改めて認識せざるを得なくなりました。

「受忍論」では、「戦時」には政府は国民を見捨てると宣言し、論理的な帰結として、「平時」には政府が責任を果すと約束したのだ、と私たちは理解したのです。戦争責任についての政府の立場を受け入れた訳ではありませんが、政府の姿勢について正確に理解しつつ、憲法に則っての私たちの権利の主張のためには、まず政府の立場を正確に論理的に理解する必要があるからです。

しかし、「平時」には政府がその責任をきちんと果すはずだという私たちの期待・理解は裏切られました。地震の被害を含めて、「自然災害」による犠牲は「原則個人」が負担するという、つまり「平時」でも政府は責任を持たなくても良いという責任回避の姿勢が、堂々と表に出て来たのです。

政府の基本姿勢については主権者である私たちの力で正してゆく必要のあることを再度強調しつつ、それでも政府の立場を論理的に整理して行くと、この段階では次のようになります。「戦時」における国民の犠牲は、国民が「受忍する」。「平時」の内、自然災害による国民の犠牲は、原則国民個人が負担する。となると残されている、自然災害以外の災害、つまり人工的な原因による災害については政府が責任を果すという立場が出てくるのだと期待してしまいます。

現実はどうだったでしょうか。福島第一原発の事故は、東電や政府によると「想定外」であり、30ほどの訴訟においても、政府の責任はないという主張がなされています。地方裁判所レベルでの裁判所の判断は、分れています。とは言え、結局、日本政府は国民の被る被害について、何もしないというのが基本姿勢だという結論にしかなりません。

「戦時」には責任を取らない、「平時」でも自然災害は個人の責任、そして人為的災害にも責任は取らないのですから、論理的には、この結論以外はあり得ないのです。

さて、憲法に戻ると、一番大切な条文の一つは13条です。

13条  すべて国民は、個人として尊重される。

「尊重」するのはだれかと言えば、当然、権力を持つ為政者です。日本政府は当然その中心です。しかし、どんな状況でも国民の犠牲には関心を持たないという基本姿勢は、13条の規定である、国民を「個人として尊重」する、という義務とは対極にあると言わざるを得ません。

これを変えるための有効な手段が選挙です。

そして、(これを書いている今日) 4月25日に行われた広島県の参議院再選挙では、午後9時ころ発表された中国新聞の出口調査では、野党候補の宮口氏が優勢とのことですので、北海道と長野の補欠選挙と合わせて、自民党が全敗です。

憲法に則った、特に平和を重んじる政治が実現するための第一歩になることを心から祈っています。 

[2021/4/26 イライザ]

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2021年4月21日 (水)

自然災害の歴史から学ぶ (4) ――政府の姿勢を問うと、「受忍論」に戻ってしまいます――

自然災害の歴史から学ぶ (4)

――政府の姿勢を問うと、「受忍論」に戻ってしまいます――

 

前回、最後に問題にしたのは、大災害の被災者に対する政府の基本的姿勢でした。それは、私有財産に公費を投じる施策は取らないというものです。しかし、阪神淡路大震災後、世論の力で1998年に「被災者生活再建法」ができました。とは言えその法律には大きな欠陥がありました。まず、遡及適用がなされませんでした。つまり、阪神淡路大震災の被災者には適用されなかったのです。またこの法律が支給したお金は、住宅の再建には使えないどころか、補修にも使えない、基本的には住宅関連の費用に充てることはできなかったのです。つまり、本来の目標とはかけ離れた法律だったのです。しかも、最大の額が100万円でした。

何故、このように非人間的な対応になってしまうのかを知るには、当時の村山富市首相の発言、「自然災害により個人が被害を受けた場合には、自助努力による回復が原則」が役立ちます。

ここで論理的な立場から問題にしたいのは、「自然災害により個人が被害を受けた場合には」です。特に「には」です。その他の場合とは違って、自然災害という原因で個人が被害を受けた場合、という特定がされているからです。

こんな特定の仕方をされるとすぐ頭に浮かぶのが、1980年12月に「原爆被爆者対策基本問題懇談会」、略して「基本懇」が発表した意見書です。これまで何回も取り上げていますが、日本政府ならびに日本社会を牛耳ってきた人たちの基本的な考え方を忠実に示している文書ですので、これに対抗する枠組みが我が国にしっかり定着するまで、打破すべき対象として繰り返し掲げます。

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このような、戦争肯定とその被害に対する開き直りを、恥じることなく言語化した人たちが誰だったのかも記憶し続けなくてはなりません。

委員(全員故人)は、

茅誠司・東京大名誉教授(座長)

大河内一男・東京大名誉教授

緒方彰・NHK解説委員室顧問

久保田きぬ子・東北学院大教授

田中二郎・元最高裁判事

西村熊雄・元フランス大使

御園生圭輔・原子力安全委員会委員の7人

茅、大河内の二人は東大の総長を務めた人たちです。日本政治を動かしてきた官僚組織・制度や日本の思考の元となる学問の世界、その他にも財界や産業界等、いわゆるエスタブリッシュメントを構成するエリートたちを育ててきた人たちです。

改めて、この「基本理念」を読み直したのですが、今回も腹の立つことに変りはありません。先月も一通りの批判をしましたが、毎月一回は腹を立てていることになります。再度お読み頂ければ幸いです。

先月問題にしたのは、「国をあげての戦争」という部分に注目して、せめてそれが真実であるのなら、つまり、国民投票なり世論調査に基づいて全国民の意思を確かめ、その結果、「戦争をしよう」ということになったのであれば、その戦争の結果生じる犠牲を「一般の犠牲」として、全国民が等しく「受忍」するという論の立て方は、それなりに論理的だと考えられるという点でした。

しかし、主権は国民にはなく天皇にあったのですから、「国家の意思」と国民の意思とは別物だったのです。

本論に戻りましょう。1998年の「被災者生活再建法」から始まって、国の施策も徐々に改善されていることは事実です。しかし、2007年に二度目の改正がされたこの法律には、まだ大きな問題が残されているのです。

この法律の趣旨は、災害によって引き起こされた被害から生活を再建するための「支援金」を支給することなのですが、それは「基礎支援金」と「加算支援金」の二本立てになっています。「基礎」の方は、住宅の壊れ具合で決まるのですが、全壊の場合には100万円が支給されます。「加算」は、住宅の再建方法で決められます。新築や購入だと200万円で、補修だと100万円ということになっています。

大きな問題点は、このお金が「補助金」ではなく「見舞金」だということです。つまり、国の大方針である「私有財産の価値を高めるために公費は使わない」には反していないのです。住宅の再建や補修のための「補助金」ではなく、「家が全壊して大変でしたね、お見舞い申し上げます。その印です。」という趣旨なのです。

実はそれにもメリットはあります。実際にかかった費用が支給額より低くても、全額支給されという点です。建設や修理のための補助金ではなく「見舞金」だからです。

このような形で法律を作る国の姿勢は、「被爆者援護」施策における国の姿勢と並行しています。基本懇の基本理念でも被爆者援護法制定後の援護の実態を見ても、「戦争による犠牲は国民が受忍すべき」という基本方針は変えていないからです。

基本理念では、持って回った言い回しで、放射線による被害が戦争の結果生じ、それに対して国の責任があるのだとは明言していないのです。ですから被爆者に対する援護も、戦争と被爆者の被った被害・犠牲との因果関係を認めているのではなく、戦争の結果生じた犠牲に「相応」する形で、それに対する補償に「相当」する措置を行うという、分り難いけれど戦争責任を避ける表現になっているのです。簡単にまとめれば、お金に換算すれば「相当」する額を出しているのだから、「何故」出すのかという点にまで文句を言うなということです。

「被災者生活再建法」では、被害に「相当」する金額を「見舞金」として支給することにしたのと同型の、論理のすり替え、「最後はお金でしょ」という人間の尊厳無視の姿勢です。

1994年、被爆者援護法が制定されたとき、それを無視して法律を作った政府に対して、国の戦争責任に基づく国家補償を求めていた被爆者たちの気持を代表する言葉が残っています。広島県被団協の理事長だった伊藤サカエさんによる、「せめて線香の一本でも供え、悪かったと言ってほしい」です。日本政府が主権者である国民一人一人を尊重する気のないことを余すところなく伝えています。

 [2021/4/21 イライザ]

 

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2021年4月16日 (金)

自然災害の歴史から学ぶ (3) ――災害対応にも政治にも「論理」を持ち込もう――

自然災害の歴史から学ぶ (3)

――災害対応にも政治にも「論理」を持ち込もう――

 

既定事実を無理矢理、押し付けようとするとき、為政者は「分り易い」喩えや理屈で説得しようとする癖があります。福島の第一原発の汚染水についての麻生副総理・財務大臣の発言が典型例です。汚染水を、処理済みとは言え海洋放出することに何の問題もないと強調するために、「別にあの水飲んでもなんてことないそうですから」と宣うた。

そこで論理に登場して貰うと、「だったら、飲んで見せて」、「飲み水と同じなら、何故捨てなくちゃいけないの?」等々、究めて当たり前の結論です。

それに対して、麻生副総理が論理的な対応をするのであれば、一番簡単なのは、「汚染水」を飲んで見せることでしょう。「飲んでもなんてことない」のですから。それで、政治的な責任が果たせるのであれば安いものです。

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これは、カフェラテですから飲んでも大丈夫

でも、十中八九、飲まないでしょう。安部・菅政権の常套手段、そして歴代自民党の常套手段は「白を切る」ことだからです。つまり、「答えられない」のです。論理的には破綻していることを、「答えない」という行動を通して認めてはいるのですが、それだけではなく、その事実を認めない上に、最初の言葉、つまり「飲んでもなんてことない」が嘘だったことも認めないのですから、何重にも人を馬鹿にしています。

それでも、政党の支持率では自民党が一番多いのです。その理由は全く理解できませんが、それを変えるのはやはり選挙です。手始めに、今月の参議院選挙で自民党候補を落とすことから始めましょう。とは言ってもこのブログを読んで下さっている方には、釈迦に説法なのですが、あまり関係のないような場でも話を選挙に持って行って、河井夫妻のことや麻生副総理のこと等、遣り切れない思いであることを伝えるという作戦はどうでしょうか。

自然災害について遣り切れない思いをした記憶はたくさんあるのですが、その一つとして阪神・淡路大震災後の復興についての国の対応があります。自宅が倒壊して住めなくなった人は20万人以上に上りました。全壊が104,906戸、半壊が144,274戸、全焼が7,036 戸、半焼が96戸という数字が、ウイキペディアには載っています。

しかしながら、我が国の法的な立場は伝統的に、私有財産に公費を投じる施策は取らないというもので、当時の村山富市首相は「自然災害により個人が被害を受けた場合には、自助努力による回復が原則」と言っています。

つまり、ローンを組んでようやく建てた家が地震で倒れてしまっても、再び自力でローンを組んで家を建て、地震でなくなってしまった家のローンと新しい家のローンの両方を払い続けるのが原則だったということです。

義援金や自治体からの援助もありましたが、やはり国の責任で、主権者である国民の窮状を救うのが筋であるという多くの国民の声を受けて、ようやく1998年になって「被災者生活再建法」ができました。「自助努力による回復が原則」から、市民の生活にようやく目が向いたのですが、それでも多くの問題がありました。

まず、この法律は遡及適用がされなかったのです。つまり、阪神淡路大震災の被災者には適用されなかったのです。これって、あまりにも冷たい、非人間的な対応ですよね。

さらに、住宅の再建には使えないどころか、補修にも使えない、基本的には住宅関連の費用に充てることはできないものだったのです。しかも、最大の額が100万円でした。

そんな中で、大きな一歩になったのが、2000年10月に、鳥取県西部地震の後、片山善博知事 (当時) が「鳥取県西部地震被災者向け住宅復興補助金」という制度を作ったことでした。その結果、住宅再建に公金が使えるようになったのです。国のレベルでもこの法律の後追いをして、法的にも徐々に整備がされてきました。

このような政治の貧困 (それに風穴を開けた片山元知事の様な例外のあったことも重要ですが―――) が、なかなか改善されない背景を考えてみると、そこに再び、「受忍論」の影がチラつくのです。その点を検討する上で、やはり「論理」を持ち出さなくてはならないのです。以下は次の機会に。

 [2021/4/16 イライザ]

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2021年4月11日 (日)

自然災害の歴史から学ぶ (2) ――6・29豪雨災害――

自然災害の歴史から学ぶ (2)

――6・29豪雨災害――

 

自然災害の歴史を繙き、それに対してどのような対策が取られてきたのかを検証しています。前回は、明治以降に起きた地震で、死者数からどのくらいの被害があったのかを年代順に整理した表を見てみました。

その中でも関東大震災の被害の大きさに胸を突かれました。亡くなった方が10万人を超えているのですから、東日本大震災と比べると、正に桁が違うのです。そして、その内の9割が、火災によって亡くなっています。

となると、東日本大震災に関係のある事柄での「9割」が頭に浮かびます。それは、東日本大震災で亡くなった方の9割が溺死だということです。つまり、津波で亡くなっているのです。さらに亡くなった方の内、3分の2は、60歳以上の方なのです。

このように数字から数字へと連鎖を辿ることでも、自然災害の形が見えてくるように思います。連鎖を辿らなくても一つ一つの災害を客観的に把握するためには数字が役立ちます。

 その中でも忘れられないのは、市長就任直後に起きた「629豪雨災害」です。被害の状況、そして広島市の対応は次の図を御覧下さい。

  629

その日の午後、開会中の市議会の議場が突然雷雨の音に包まれ、人の声が聞えるようになるまでかなりの時間がたったくらい、それまでに経験したことのないような豪雨が降り始めたことを覚えています。

 被害状況は、報告を受ける度に拡大し、夜には自衛隊の派遣を依頼しましたが、遅きに失したのかもしれません。30日には現地の視察もしましたし、市としての対応にも追われましたが、とにかく消防を初めてとして全職員が力を合わせて頑張ってくれました。

私個人としても、その時点では事後的な対応しかできませんでした。しかしこれほどの惨事になった原因を確かめて、それに対する「事前」の対策を取れないものかとも考えていました。

 それは、次の年に実現しました。通称、「土砂災害防止法」が制定されたからです。それについては、4年後の防災の日、つまり91日付で市の広報誌に掲載された記事の一部をお読み下さい。

 

「それ以上に忘れられないのは、4年前の629日の、梅雨前線豪雨による災害です。死者20名、負傷者45名、全半壊家屋203戸といった甚大な被害を広島市にもたらしました。

その直後に関谷勝嗣建設大臣(当時)が視察に来てくれましたが、一日も早い災害復旧と、今後これほど大きな被害を出さないための対策をお願いしました。大臣は直ぐに手を打つことを約束してくれましたが、特に、「こんなに山ぎりぎりのところにまで家を建てることは止めるべきだ。法的な規制が必要だ。」と強く主張されたことが印象的でした。

その結果、通称では「土砂災害防止法」という画期的な法律が一年後にできました。629日に起きたような土砂災害を防止することを目的とする法律ですが、分り易く説明すると、危険が起こりそうな地域についての調査を行い、「警戒区域」と「特別計画区域」を指定する。特に「特別警戒区域」については、その区域内に新たに家を建てないようにしたり、既に建っている場合には移転、あるいは現在の建物の建て替えや構造補強によって、被害を最小に食い止めるというのがこの法律の内容です。

しかし、個人の責任で別の住居を探して移転したり、自宅の建て替えや構造の補強を行うとしたら、経済的負担だけでも大変です。国からの支援策という形で、解決できないものか、機会ある毎に要望を続けています。

しかし、個人でできることも多くあります。例えば、安佐南区の伴地区では住民の自主的組織である自主防災会が中心になって「防災マップ」を作りました。

内容は、危険区域の表示や、いざ災害が起きた場合、水や食料、災害復旧のための道具がどこにあるのか、避難の際に、一人では避難できない例えば一人住まいのお年寄りがどこに住んでいるか等、実際に役立つ情報が中心になっています。

このような地図は、地域を熟知したその地域の住民の皆さんでなくては作成できないものです。皆さんの協力で素晴らしい物を作って頂きましたが、それが全国的にも認められ、消防庁の災センター長表彰を受ける栄誉に輝きました。

もちろん地図だけでは十分とは言えません。市内では、各区毎に防災訓練も行っていますが、特に安佐南区では、毎年、泊り込みの防災訓練を行っています。今年は8月の3031日に行われますが、こうした形での、市民の皆さんの日頃からの努力が、万一災害が起きたときの備えとして大切です。多くの皆さんのこれまでの努力に感謝しつつ、今後の御協力をお願い致します。」

 

「特別警戒区域」では、三つの措置が取られることになったのですが、それも図で見て頂いた方が分り易いと思います。

  Photo_20210410234201

残念なのは、良い法律ができても予算措置が伴わないと実質的な効果はないということですし、「天災は忘れたころにやってくる」という寺田寅彦の言葉を裏切って、かなり頻繁に台風の被害や、2014年そして2018年と再三にわたる大きな土砂災害が起きてしまっていることです。

 [2021/4/11 イライザ]

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