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核兵器廃絶

2024年2月26日 (月)

見学の早期再開が望まれる中国軍管区司令部跡旧防空作戦室

一昨日のブログ「被爆建物国史跡指定と広島原爆遺跡調査報告書」で、市内6つの被爆建物が、国史跡に指定されたことを紹介しました。

6つの被爆建物のうち、5つの建物は現在見学が可能ですが、中国軍管区司令部跡旧防空作戦室のみ、外からは見ることができますが、内部の見学はできません。

広島原爆遺跡調査報告書によれば、「1993年から平和学習を目的とした場合に限って内部への立ち入りが許可し、2011年度から2016年度は、中央公園の指定管理者である(公財)広島市みどり生きもの協会が、同協会のホームページで見学について紹介し、同協会で受付を行なった上で内部の見学を認めてきた。(年度別見学者数は概ね8,000人~11,000人)。・・・しかし、2017年4月より、施設の老朽化によるコンクリートの剥離等が進行しておし、今後、降雨による施設への浸水によりさらなる剥離の危険性が増すことが予測されるため、施設内部への立ち入りを禁止している。」と、2017年より見学が不可能となったことが記されています。

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この記述を読んで気づいたのは、年度別の見学者数の多さです。他の被爆建物(希望すれば自由に見学できる)と違って、(公財)広島市みどり生きもの協会で受付の手続きを経なければ内部見学が不可能であるにもかかわらず、年間に1万人前後、一日平均30人ぐらいの人たちの見学希望があったということです。

被爆直後「広島が新型爆弾にやられて全滅状態です」との第一報が、動員された比治山高等女学校の女子勤労隊員2名によって発せられた場所を見学したいという希望者が多いことを表しています。

確かに危険性のある建物内部の見学を現状では許可することは難しいと思いますが、国史跡指定を機に、修理補修をして見学を再開してほしいと思い、市役所に行ってきました。

最初にこの調査報告書を作成して文化振興課を訪ねたのですが、「施設の管理などは、緑政課が行なっていますので、そちらに聞いていただけませんか」との答えでしたので、次に緑政課を訪ねました。

「修復は、これまでもを検討してきたのですが、財政的なこともあり、具体的にはなっていません。」とのことでしたので「今回国の史跡に指定されたので、修理補修のための財政負担について国が二分の一補助することになるので、ぜひ保存・活用の推進ためにも早急に対策を講じて見学できるようにして欲しいのですが」と要望したところ「まだ史跡指定されたばかりですので、きちんとした回答はできませんが、今後あらためて修復などの対策について検討することになると思います」とのことでした。

早急に修復計画を策定し、見学が再開できるよう今後も働きかけを強めたいと思います。

いのちとうとし

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2024年2月22日 (木)

被爆者桑原千代子さんの死

「桑原千代子さんの通夜が今夜午後6時から、葬儀は明日午前10時からです」と教えてもらい、19日の葬儀に参列しました。

被爆者桑原千代子さんは、2月16日92才の天寿を全うし生涯を閉じられました。

式場には、生前の写真が何枚か飾られていましたが、私の目を引いたのは、被爆73周年原水爆禁止成果大会広島大会の開会総会で,被爆体験を語る桑原さんの写真と新聞の切り抜きでした。

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私もよく知っている次女の琴さんの話では、「これが母の最後の被爆証言になりましたので、大切にしていました」とのことでした。

1945年、当時第三国民学校(現在の翠町中学校)高等科2年生だった桑原さんは、8月5日まで学徒動員で、専売局(現在の日本たばこ)のたばこ工場(現在の「ゆめタウン広島」)で働いていましたが、たまたま原爆が投下された8月6日と7日は、雑魚場町での建物疎開に参加することになり、当時13才、爆心地からは800メートルで被爆しました。

原水禁世界大会での桑原さんの被爆証言の様子は、ブログ「ヒロシマの心を世界に」https://kokoro2016.cocolog-nifty.com/blog/2018/08/1-c1b9.htmlに記載されています。桑原さんは、大会での証言を次の言葉で締めくくっています。「どんなことがあっても戦争や核はあってはならない。多くの犠牲の上にある今の平和を大切にしたい。そのため、証言活動を続けていく」「平和は自分の手でつかみ取り、作り上げるもの。自分ができる平和への努力をやって下さい」

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13才で被爆した桑原さん。9月になると櫛で梳かすたびに髪が抜け、堅田に斑点が浮かび、歯を磨くと出血し、高熱が出て3ヶ月間の入院生活。1950年専売局にで働くことになったのが、学徒動員で働いたことのある広島たばこ工場だったのに、不思議な縁を感じます。

ここで、労働運動に参加することになったのが、その後の桑原さんに大きな影響を与えることになります。それは、桑原知巳さんとの出会い,そして結婚です。

私が、桑原千代子さんと出会ったのも桑原知巳さんを通じてですが、明るい人だったことが今も強く印象に残っています。50年ほど前のことですが、その後もずっと交流を持ってきました。

持病の糖尿病が悪化したばこ工場を早期に退職した桑原さんは、夫である桑原知巳さんの励ましもあり、被爆証言者としての活動を始めます。

私にとっての桑原さんとの思い出の一つに、一緒に参加した1987年にニューヨークで開催された第1回核被害者世界大会があります。桑原さんは、この大会参加後の感想を次のように述べています。「婦人の参加者も多かったこの大会で、言葉の弊害を乗り越え、子どもを持つ母親として、なにものにも汚されない地球を、平和で豊かな社会を子どもたちに残していくために、共にがんばっていくことを誓い合うことができたのは、何よりもうれしいことでした。」

一生懸命に証言活動を続けてきた桑原さんへの家族の思いが、葬儀で配布された「追憶のしおり」には、次のように書かれています。

「原爆に遭った母が祈り続けた平和な世界。それまで触れることのなかった自身の辛い体験を,二人の娘を出産後、『子どもたちの未来を守らなければならない』との強い思いが芽生えた母は、やがて戦争の語り部となりました。以来、母は修学旅行や平和学習などで広島を訪れる皆さんに当時の様子を伝え続けたのです。」さらにこうも綴られています。「父と共働きだった母ですが、持病で退職した後は、療養に努めつつ、平和運動に力を尽くす日々。家族でヨーロッパを訪ねた折、チップの折り鶴を添えて渡した母に感激したホテルのスタッフが、お礼にと花束をプレゼントしてくれたことがありました。振り返れば、長く病を抱えながらも明るく笑顔を絶やさず、平和を目指して歩みを進めてがんばった母・・・今はただ、安らかにと祈るばかりです。」

この文章の最初には「母が撒いた平和の種をこれからも大切に育てていきます」とタイトルが付けられています。

また大切な被爆証言者がいなくなったと寂寥感を覚える桑原千代子さんの死でしたが、桑原さんの思いは、二人の娘さんにしっかりとつながっているのを感ずることのできたお見送りでした。

いのちとうとし

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2024年2月 9日 (金)

映画「寡婦たちの村」

カナダのウラン採掘による先住民族の被曝を扱った映画「寡婦たちの村」の上映会&トークが、4日の午後2時から広島市民交流プラザで行なわれました。

カナダのウラン鉱山は、早くから採掘が行なわれ、第2次世界大戦中のアメリカの原爆開発に寄与したとされ、広島、長崎に投下された原爆の原料の一部になったとも言われています。

この映画は、先住民族サーツ・デネとカナダ北西準州のウラン鉱山の歴史に光を当てたドキュメンタリー映画で、1999年に上映されましたが、長く広島で知られることがありませんでした。最近、アメリカやカナダにおける原爆・核エネルギーをめぐる言説あるいは文化表象を研究対象している広島大学松永京子准教授によってその存在が明らかになりました。

当時は、日本語字幕はなかったようですが、松永さんの努力によって、日本語字幕版が完成し、昨年12月10日にピーター・ブロー監督を広島に招き、初めての上映会が行なわれ、その後大阪大学でも上映されました。今度の上映会が3度目ということになりました。

私の記憶にはないのですが、サーツ・デネの代表団8人が、1998年8月に広島を訪れ、広島の被爆者や渡日治療中に在韓被爆者との交流や平和記念式展への参加を行なっています。ピーター・ブロー監督もこの訪日に同行し、その時の様子も含めて作成された映画が、「寡婦たちの村」です。

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今回の上映会は、この映画を日本に紹介した松永京子さんや、当時広島での受け入れに協力した韓国の原爆被害者を救援する市民の会・広島支部、第九条の会ヒロシマなどの主催で開催されました。

映画の上映の前のトークでは、サーツ・デネの代表団が広島を訪れたときの様子が、それぞれの団体の代表から紹介されました。

トークのメインは、松永京子さんの「『寡婦たちの村』の背景とその後をめぐって」の報告です。その一部を紹介します。

ウランが採掘されたポートラジウムは、カナダのノーストウエスト準州のグレートベア湖の東岸にあり、北米最大のウラン産地で1942年から1960年にウラン採掘が行なわれ、アメリカに輸出されています。

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ノースウエスト準州とグレートベア湖(赤い矢印)

サーツ・デネ人の住む村デネリは、グレートベア湖の西岸にあり、ウランなどの鉱石をこの湖の東岸から西岸に運搬する作業に30人以上がかかわっていたようです。当時の村の住人は、約600人。もちろん、その危険性が知らされることはありません。その結果、1970年代から1998年までに少なくとも14名ががんで死亡しています。運搬中にこぼれた鉱石や湖に投棄された鉱滓、残土による汚染、さらに鉱石の袋などが先住民族の住宅のテントなどに使用したため汚染は広がったのです。

それらの事実をデネ人が「公式」に知ったのは、1980年代半ばです。

ピーター・ブロー監督は、1985年にデネの人と出会い、1997年からデネリに入り、1998年の広島訪問にも同行したのです。

ずっと無視し続けてきたカナダ政府が、「寡婦たちの村」の上映をきっかけとして、ようやくポートラジウムのウラン採掘による環境と人体への影響調査を実施し、2005年8月に100ページにわたる最終報告を出しました。しかし「特定の個人の死や病気が,放射線被曝によるものかどうかを確実に知ることは可能でない」と,その因果関係をほぼ否定する内容でした。

こうしたカナダの先住民の核被害の実態は、私にとって初めて聞く話でした。先住民が核サイクル社会の犠牲者になり、その被害が無視されていることを改めて認識させられる映画上映&トークの集いでした。

同時にサーツ・デネの人々は、運搬と鉱滓の投棄などによる核被害者ですが、鉱山の採掘現場で働いていた人たちはどういう人たちで、その後どうなっているのか、調べてみたいと思います。

そして、核兵器禁止条約でこの人々がきちんと救済の対象となるようにするのも私たちの課題だということも突きつけられることになりました。

いのちとうとし

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2024年2月 4日 (日)

2024年全国被爆二世団体連絡協議会総会

隔年で開催されている全国被爆二世団体連絡協議会(以下「全国被爆二世協」)の2024年総会が、3日,4日の二日間、広島の自治労会館で開催されました。2年前はオンラインでの総会でしたので、久しぶりの対面の総会となりました。

初日の3日は、午後1時から始まりました。

開会のあいさつに立った崎山昇全国被爆二世協会長は、運動の現状と今後の課題について次のように述べました。

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「今私たちの運動にとって大変重要な時期を迎えています。第5の被爆者として被爆者援護法の適用を求めてきましたが、未だ実現していません。被爆70周年の年に新たな方針を決めました。その一つは、国際社会に訴えることですが、国連人権委員会、核兵器禁止条約第1回締約国会議、NOT再検討会議などに参加し取り組んできました。裁判を通じて被爆者援護法の適用を実現させることは、2017年2月の集団訴訟提訴以来すでに7年が経過しました。2022年そして2023年に長崎地裁・広島地裁において出された判決は到底納得できるものではありません。影響を否定できなかったことは大きな足がかりですので、福岡・広島両高裁では、正面から向きあった公正な判決を求めます。裁判を通じて、被爆二世問題を政治課題として押し上げることができました。こうした面を前進させるため、今後も全力で取り組みたいと思っています」

続いて来賓のあいさつが行われ、私も原水禁国民会議、広島県原水禁を代表してあいさつを行いました。

その後、平野克博事務局長から,この2年間の活動報告、今後の運動方針が提起され、全体の拍手で確認されました。

提起された運動方針の柱は次の通りです。

1、再びヒバクシャをつくらせないため、核廃絶と世界の平和を求める活動への積極的な取り組みを進めます。

2,国家補償と被爆二世・三世への適用を明記した被爆者援護法の改正をめざします。また、被爆二世健康診断の法制化、充実に向けて取り組みます。

以下8つのテーマがありますが、省略します。

総会の最後に、「被爆地ヒロシマ選出の岸田文雄内閣総理大臣・自由民主党総裁への要請」が採択されました。要望の要旨は次の通りです。

「1、核兵器禁止条約に日本政府として署名・批准すること。2、戦争遂行主体であった国が自らの責任によりその救済を図るという被爆者援護法の立法趣旨の立場に立って、広島の黒い雨被爆者や長崎の『被爆体験者』など高齢化し原爆による特殊な被害に苦しむ被爆者や,原爆放射線の遺伝的影響を否定できない被爆二世を広く救済すること。3、国策ですすめた福島第一原子力発電所で重大事故を起こした責任を果たすこと。①トリチウムを含む放射能汚染水の海洋放出を直ちに中止し、責任を持って陸上で保管すること②全ての福島原発事故被害者に国の責任による『健康手帳』など『被爆者援護法』に準じた新たな法整備を行うこと③原発推進エネルギー政策を転換し脱原発を推進すること」

総会に引き続き、被爆二世裁判弁護団長の在間秀和弁護士の「“被爆二世に対する援護”諦めない闘いを」と題した記念講演が行われ第1日目が終了しました。

二日目となる今日は、午前9時から「今後の取り組みの提起」を受けての意見交換・各地の取り組み報告が行われます。

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2024年2月 3日 (土)

2004年広島県原爆被害者団体協議会新春代表者会議

広島県原爆被害者団体協議会(以下「広島県被団協」)は、2月2日の午前10時から平和ビルで「2004年新春代表者会議」を開催しました。

全員で黙祷の後、箕牧智之理事長が開会のあいさつ。

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箕牧理事長は、「元日の能登半島沖地震、羽田での航空機事故、今年はどんな年になるだろうかとの思いが強くなっています。被爆79周年を迎え、被爆者は高齢化し,集まるのも難しくなっています。先日、この会議にもよく参加していただいた三原の中林さんが亡くなられたという訃報が届きました。

昨年11月に開催された第2回締約国会議に参加し、若い人、教会、大学、高校で被爆証言をし、核兵器廃絶を訴えてきました。この会議で、これまで2000回を超えた核実験による被害者に対し、救済基金をつくることが決まりました。先日厚労大臣との交渉に参加しました。原爆症認定が厳しすぎることを訴えると共に、黒い雨では、なぜ長崎は適用されないのかと問いましたが、明確な回答はありませんでした。改めて被爆者は闘って行かなければならないと決意しました。コロナの拡大が言われていますが、コロナに感染しないようにしながら核兵器廃絶と世界平和を訴えていきましょう。」とあいさつ。

続いての来賓のあいさつは、連合広島、県生協連、そして県原水禁代表の私があいさつを行いました。

ここで来賓は退場となりましたが、席を移して会場に残りました。というのは、今年初めてのことですが、地域活動報告として坂町原爆被害者友の会の報告が予定されていたからです。

報告者は、会長で被爆二世の池田節夫さんです。池田さんは若いときに一緒に運動してきた仲間です。

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池田さんの話しの要約です。

2017年、前身である坂町原爆被害者の会が、高齢化などの理由で解散したとき、坪井理事長に「坂町の平和の火が消えるのは、さみしいの」と言われて,当時の会長の刎本会長とも話し合ったのですが存続することはできませんでした。その時、刎本さんから「原爆の碑を守って下さい」と言われました。坂町には、坂町原爆追悼碑、小屋浦原爆慰霊碑、横浜原爆慰霊碑、翔洋高校(旧女子商)原爆の碑の4つの碑があります。2018年8月6日に第1回坂町原爆被害者追悼慰霊式を坂、小屋浦の二カ所で実施し、同じ年の9月29日に坂町原爆被害者友の会を結成しました。その時、坪井理事長から次のように書かれたお手紙をいただきました。「本来、人は善なるものと思う。その人たちがみんな集まって,平和団体をつくり、進む姿は美しい。どうか今後、みなで力を合わせてがんばって下さい。」

2019年6月29日に第1回被爆者相談会を参加者35名で実施。2022年3月27・28日に、坂町民センター、小屋浦集会所で県被団協主催で,黒い雨説明会を実施したところ60名の参加がありました。

その後私のところに問い合わせがあり、家に来ていただいたり、被爆者宅を訪問したりして、手帳交付申請手続きのお手伝いをしています。坂町の被爆者健康手帳の取得状況は、2年間で219人が申請し、認定され取得した人は169人ですが、そのうち黒い雨の被爆者は、162人です。

機関誌「あさがお」は23号まで発行し、現在坂町原爆被害者友の会の会員は、104名になりました。手帳交付人数と連動はしていませんが、これからも少しずつ前に進んでいきたいと思います。

池田さんの報告はこれで終わったのですが、地道に活動を続けている報告に感心しながら話を聞きました。その後、司会者の熊田哲治事務局次長からから、黒い雨の手帳取得には安芸太田町でも被爆二世を中心に相談に乗っているとの報告もありました。

いよいよ、被爆二世が県被団協を担っていく時期になったのだなと言うことを実感させられる池田さんの報告でした。

いのちとうとし

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2024年1月29日 (月)

原水爆禁止広島県協議会第93回総会

原水爆禁止広島県協議会は、ネバダデーの座り込みを行った後午後2時から自治労会館で第92回総会を開催しました。

総会は、高橋克浩代表委員代表委員の開会あいさつの後、議長に藤本講治常任理事(憲法を守る広島県民会議事務局長)を選出し、議事に入りました。

最初に秋葉忠利代表委員が、主催者を代表してあいさつ。秋葉さんは、座り込みの後記者から「座りこんで何が得られますか」と問われと紹介しながら「最終目標にてらして日々の活動がどうつながっているのかを考えていくことが大切。自己満足は大切だが、自己満足にとどまっていてはいけない」と核兵器禁止条約を批准しない日本政府に対する運動の向き合いかたを提起しながら「政府は、被爆という事実に真摯に向き合ってきたのか。憲法9条は、その反省の中から生まれたことをまなぶべきだ。」とし、最後に「存在しなくてもよい、対策をしなければならない人工物をつくっている。それが核兵器。それを止めることが私たちの課題」と提起しました。

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その後大瀬事務局長が、2023年度活動報告と決算、2024年度活動方針と予算を提起し、質疑に入りました。方針では、従来の運動をさらに強化すると共に、特に今年結成70周年を迎える広島県原水禁の「歩み」を発行することを提案しました。

質疑は特に発言はなく、提案された活動報告、活動方針は満場の拍手で確認されました。また役選では、全役員が再認されました。

その後、先の能登半島沖地震を受け、「中国電力島根原発2号機の再稼働中止を求める決議」を採択しました。その一部を掲載します。

中国電力は本年8月、2012年1月以降停止している島根原発2号機を127カ月ぶりに再稼働することを表明しています。

避難計画の実効性への疑問や、核廃棄物処理を含めた「核燃料サイクル」の停滞など、多くの懸念が指摘されていましたが、そうした懸念を放置したままでの再稼働表明でした。

(中略)

さらに、今回の地震が複数の断層が連動した可能性で、およそ150㎞以上に渡って連動したとされ、活断層評価及び連動評価のあり方に対する信頼も消失しました。島根原発に近い「宍道断層」による地震が発生した際にも、同様の事態が生じることは十分に考えられます。

こうした事態から明らかに言えることは、原子力規制委員会の示す再稼働のための指針そのものの見直しが必要なこと、そして原発事故と地震災害という複合災害発生時、現在の指針を元にした「避難計画」では、実際の災害に全く対処できないということです。原発は、本来廃炉にすべきですが、少なくとも再稼働しようとするのであれば、最低でもこうした再稼働のための指針、そして避難計画を根本から見直さなければなりません。

中国電力は、この度の能登半島地震の教訓を島根原発2号機を動かそうとすることへの強い警告と受け止め、上記の点を見直すまで原発の再稼働をさせないことを表明すること、そして島根県と松江市は、住民の安全が担保されない限りそれを認めないことを強く求めます。」

総会終了後、引き続いて昨年11月27日から12月1日にニューヨークの国連本部で開催された核兵器禁止条約第2回締約国会議のため訪米した3人・広島県被団協理事長箕牧智之さん、コネクト広島大内由紀子さん、高校生平和大使尾崎心泉さんの報告学習会を開催しました。

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手前右が大内由紀子さん、左奥が尾崎心泉さん

その中で、今年初めて海外の活動に参加した尾崎さんの「核抑止力論を科学的に検証すると言うことが強く印象に残っている。ニューメキシコ州の核被害者など、グローバルヒバクシャについて初めて知った。ユース交流会に参加し、被爆者が高齢化していく中で、私たち若い世代が代って被爆の実態を伝えなければならないと決意した。今後、若者の平和への関心を高める活動を強めたい」との報告が特に、印象に残りました。

いのちとうとし

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2024年1月28日 (日)

1・27ネバダデー座り込み

広島県原水禁が呼びかけて1984年から始まり40周年を迎えた「1.27ネバダデー国際共同行動」の座り込み行動が、昨日午後0時15分から30分間、原爆慰霊碑前で55人が参加し行われました。

「ネバダデー」については、一昨日のブログ明日は「ネバダ・デー」です。: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)で紹介していますので、ここでは省略します。

今年のネバダデー座り込みでは、3人がアピールをしました。

最初に、箕牧智之広島県被団協理事長が、昨年12月にニューヨークで開催された「核兵器禁止条約第2回締約国会議」に参加したことを報告しながら、日本政府は核兵器禁止条約を署名批准すべきだと強く訴えました。続いて、木原省治県原水禁常任理事が、この行動を呼びかけたアメリカのジャネット・ゴードンさんの写真をかざしながら、ネバダでの核実験で被爆した人たちへの真の補償が行われていないこと、終戦直後に広島に駐留し翌年帰国した米軍兵士は、入市したのが原爆投下後2週間以上経ってからだったにもかかわらず、被曝者として補償されていることなどを紹介しました。この問題は、初めての提起であり、少し調べてみる必要があります。私は、「ネバダの核実験場閉鎖と共に核実験による被害者が救済されなければならないこと、そしていつも弱い立場の人々が核の被害者となっていることに思いはせることが大切だ」ということを訴えました。

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最後に以下のアピール文を全員で確認し座り込みを終えました。少し長いのですが、全文掲載します。


「1.27ネバダ・デー」ヒロシマからのアピール

 今日1月27日は、1984年、米国の市民団体の呼びかけで始まった核実験場閉鎖・核実験禁止を求めるネバダ・デー国際共同行動日です。

 ネバダ核実験場では、73年前の1月27日に最初の核実験が行われて以来、地上での核実験を86回実施し、その後の地下核実験を含めると爆発を伴う核実験は935回に達したとされます。この核実験によって、風下住民を始め、全米各地で多くの核被害者を生み出しました。包括的核実験禁止条約(CTBT)が成立した1996年以降も、臨界前核実験を強行しています。

核兵器の廃絶を求めて2017年に国連で採択された核兵器禁止条約は、第1条で「核兵器の開発、実験」を禁止しています。核実験場は、閉鎖されなければなりません。私たちは、新たな核兵器開発につながる全ての核実験場の廃止を強く求めます。そして核実験実施国は、同条約の第6条に明記された「核実験被害者に対する補償」を速やかに実施すべきです。ネバダ・デーを呼びかけた人々が、核実験被害者であったことを忘れてはなりません。

発効して3周年を迎えた核兵器禁止条約の署名国・批准国は増加を続け、本年1月15日時点で93の国と地域が署名し、70の国と地域が批准しています。ところが、唯一の戦争被爆国でありながら核抑止力に依存し、条約に背を向け続けているのが日本政府です。世界が核兵器廃絶へと動きだしている今こそ、日本がその先頭に立ち核兵器禁止条約に署名・批准し、国際的なリーダーシップを発揮することを強く求めます。

2022年2月のロシアによるウクライナへの軍事侵攻によって多くのいのちが奪われ、昨年10月にはハマスのイスラエルへの攻撃に端を発したイスラエルのガザへの大量虐殺とも言える無差別軍事攻撃でおびただしい犠牲者が生み出されています。また核兵器の威嚇・使用発言も繰り返されています。子どもを始め多くのいのちを奪い、「核兵器の使用」につながる全ての軍事行動を直ちに停止することを強く求めます。

「核と人類は共存できない」。核兵器の廃絶なくして、核の脅威から逃れることはできません。

「核も戦争もない平和な世界の実現」を求め、私たちは全世界に訴えます。

◆ネバダを始めすべての核実験場を閉鎖させよう!

◆すべての国と地域は直ちに核兵器禁止条約に参加し、核兵器開発・核実験全面禁止を実現しよう!

◆東北アジアの非核地帯化と非核三原則の法制化を実現しよう!

◆世界のヒバクシャと連帯し、ヒバクシャの人権を確立しよう!

◆原発の再稼働、新増設をやめ、核に頼らないエネルギーに転換しよう!

◆すべての戦争当事国は即刻停戦し、和平への一歩を踏み出そう!

◆ノーモア ヒロシマ! ノーモア ナガサキ! ノーモア ウォー!


府中地区から、一日早い26日に行った「ネバダデー」の様子が届きました。

府中地区のネバダデー

府中地区原水禁は1日早い26日(金)にネバダデーの座り込みを12時から1230分まで府中市役所前で行いました。参加は府中市職労と市民クラブの水田豊、土井基司、芝内則明議員など15名でした。

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行動の最後に森藤理至議長より「ロシアによるウクライナ侵攻の中でプーチン大統領は『核兵器を使用する』と言う恐い話をしています。私たちは絶対に核兵器を使わせないために頑張っていきたいと思います。

昨年9月にICANの新事務局長に就任したメリッサ・パークさんの広島訪問を記念した講演会が120日に開催されました。講演では日本政府に対して「日本がリーダーシップをとるためには、核の傘の考えを捨てるべきです。自国のことのみならず、道義的な立場に立って働くべきです」とし、「核兵器の非人道性を訴えることが重要です」と強調されました。

核兵器廃絶に向けて世界では、こういう動きになっています。日本が核兵器廃絶の先頭に立つよう、私も運動していきますのでご協力をよろしくお願いいたします」とあいさつされ、解散しました。

いのちとうとし

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2024年1月26日 (金)

明日は「ネバダ・デー」です。

「ネバダ・デー」とは:

1951年1月27日、アメリカ・ネバダ核実験場で初めて核実験が行われました。それから 33周年にあたる 1984年1月27日、米国・ユタ州シーダー市の「シティズンズ・コール」(ジャネット・ゴードン代表)の呼びかけで、全米各地で反核集会が開催されました。イギリス・カナダ・マーシャル諸島などへも広がり、広島県原水禁もこの日、核実験全面禁止を求める国際連帯行動として、原爆慰霊碑前で座り込みを行いました。その後、この日が「ネバダ・デー国際共同行動日」となり広島では毎年、座り込み行動を続けています。(*昨年の1.27ネバダ・デー ヒロシマからのアピールより一部抜粋)

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ネバダ核実験場での核実験

みなさま、お昼のニュースや新聞でご覧になったことはないでしょうか?

「核兵器廃絶」や「核兵器開発・核実験全面禁止」「もう戦争はいやだ!」という思いをお持ちの方、来てみてください!

毎年、この日、この場所に集まっている人たちは、特別な人たちではありません。みなさんと、同じように「核兵器廃絶」や「核兵器開発・核実験全面禁止」「もう戦争はいやだ!」という思いを表している人たちです。

残念ながら、核兵器もなくならないし、戦争も続いている、今ですが、ひとりひとりの思いを形にしたり、行動することで、

「決して、今の状況がいいとは思っていませんからね。」

「核兵器は絶対に許しませんからね。」

ということを、示し続けることになると思います。一番怖いのは、このような思いを表現することがなくなることだと思います。行動するなら、今です!

今年のネバダデー座り込みは、明日1月27()12151245原爆ドーム前です。

YH

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2024年1月24日 (水)

核兵器禁止条約発効3周年キャンドルメッセージ

核兵器禁止条約が発効して3周年となる22日午後6時、原爆ドーム前に1500個のキャンドルによってつくられた「FREE PALESTINE!  NO NUKES NO WAR! 」のメッセージが浮かび上がりました。

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このキャンドルメッセージは、HANWAの呼びかけに応えた市民や被爆者約70人が参加し、午後4時半から準備を開始し、6時前に完成し参加者の手によって点火されました。

今年は、核兵器禁止条約の発効3周年を記念し核兵器廃絶への決意を示すと共に、間もなく2年となるロシアによるウクライナ侵略、そして昨年10月7日のイスラエルによるパレスチナ自治区・ガザへのジェノサイド攻撃による2万5000人の犠牲者、とりわけ毎日子どもや女性が最大の犠牲者となっている戦争の終結を訴えるメッセージがつくられました。

キャンドルが点灯された午後6時、参加者全員でロシアによるウクライナ侵略、イスラエルによるガザ侵攻、そして能登半島沖地震で犠牲となった人々に対する黙祷が行われ、その後森滝春子さんが行動の趣旨を説明し、続いて田浪亜央江さんが、「イスラエルによるパレスチナへのジェノサイド攻撃は、核兵器使用の危機とつながるもの」と今回のキャンドルメッセージの意義を訴えました。

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最後に足立修一代表が下記の声明文を読み上げて、全員で「FREE PALESTINE!  NO NUKES NO WAR! 」をコールし、午後6時45分にキャンドルメッセージは終了しました。


核兵器禁止条約発効3年にあたっての声明

 本日(2024年1月22日)は、核兵器禁止条約(TPNW)が発効して3年となる。現在、93か国が署名し、70か国が批准している。

 2022年2月、ロシアがウクライナに侵略し、その後、戦火の続く中、2023年10月、パレスチナ自治区ガザ地区でも武力紛争が発生している。イスラエルの攻撃が今も継続しており、パレスチナ人の死者は24000人を超え、うち子どもの死者は10000人を超えると報じられている。病院や避難所まで爆撃を受ける状況であり、まさに、ジェノサイド(集団虐殺)を遂行している状況になっている。国際司法裁判所では、南アフリカがイスラエルに対し、ジェノサイドであるとして、軍事行動の即時停止を求める裁判が進行している。先日開かれた弁論では、現在の状況が1948年以降のイスラエルのパレスチナに対する戦争、侵略、占領の延長の結果としてあることを南アフリカが明らかに示した。戦争を止めさせ、パレスチナの人々の平穏な生活を取り戻さなければならない。

 ロシアもイスラエルも核兵器の保有国であり、核兵器の存在によって、戦争は抑制されるという「核抑止」が破綻していることを示している。2023年11月に開催された核兵器禁止条約の締約国会議の政治宣言でも、核抑止については、核兵器が「強制、脅し、緊張の激化につながる政策の道具」として使われており、核抑止によってこれを正当化しようとする試みは、核兵器に誤った評価を与えるもので、これにより核兵器の水平的・垂直的拡散のリスクを高めていると指摘されている。

 核兵器の保有国が戦争を発動し核兵器の使用を検討している状況は、これまでになく、核兵器の使用のリスクが高まっているのであり、世界は一刻も早く核兵器を禁止し廃絶する以外に、人類が安心して生き延びる道はない。

 私たちは、核兵器保有国が安全保障を理由に核兵器の廃絶を先延ばしすることに抗し、日本政府に核兵器禁止条約へ速やかに署名・批准することを求めるとともに、核の廃絶を求める世界中の核被害者とつながり、核なき世界をめざしていきたい。


いのちとうとし

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2024年1月22日 (月)

ICAN新事務局長メリッサ・パークさん来広記念講演会

昨年9月にICANの新事務局長に就任したメリッサ・パークさんの広島訪問を記念した講演会が、20日午前10時から平和記念資料館地下メモリアルホールで開催されました。

就任当初から「被爆地広島・長崎を訪問したい」を望んでいたと言われるメリッサ・パークさんですが、昨年11月27日から12月1日にかけて開催された「核兵器禁止条約第2回締約国会議」への準備、参加のため、核兵器禁止条約発効3周年目を迎えるこの時期ようやく実現しました。

被爆地訪問を強く望んでいたことは、基調講演が約1時間20分(通訳を含めてですが)に及んだことからも推察されます。

その基調講演の中から私なりに印象に残ったことをここでは紹介したいと思います。

資料館を見学して、「キノコ雲の下でいのちを失った25万人の人には、それぞれ一人ひとりに名前があった。そこには家族がいた。親しい人々がいたことを忘れてはならない」というサーロー節子さんの言葉を思い出した。「資料館は、全ての人間に対して戦争の惨禍を思い出させる場所。また人間が同じ人間にこんな行為ができることを示している。」同時に「核のない世界が可能であることも示している。心を開き、目を開けば可能である。」

さらに、被爆者の話を聞いて「若い人たちが、被爆者の体験を継承することが、過去の過ちを繰り返さないことになる」

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強調されたのは、被爆の実相が原点だと言うことです。

次にICANが、核兵器禁止条約にかかわるきっかけとなったのが、2006年に秋葉市長が「私たちは連帯すべきだ」と言われたこと、そして「2007年のウィーンの会議でも秋葉さんの話を聞いたこと」だったと秋葉さんとの出会いが強調して紹介されました。

さらに、2002年ガザでのイベントで「広島、長崎の犠牲者に対して、ガザの子どもがたちが、紙で作った船にキャンドルを灯して流した」ことを紹介しながら「世界ではほとんど核兵器の教育がされていない.核兵器に関する教育が必要だ」と強調しました。

ガザへのイスラエルの軍事侵攻が続き子どもたちのいのちが無残にも奪われている今、ガザの子どもたちの平和への思いを強調されたことが強く印象に残ります。

話しはいよいよ本題に入ります。「核兵器禁止条約は、世界に変化を起こすきっかけを作った。人道、環境に対する意識を持ち出した」とし、「核による抑止という虚構を捨てなければならない。核抑止の考え方は、核軍縮、核廃絶を阻害するものだ」としました。

そしてG7サミットについて「核のリスクを理解せず、期待を裏切るもの。被爆者の願い、若い人々の言葉を無視してしまった」と厳しく批判しました。

次は日本政府への期待・要望です。「日本は、核兵器禁止条約に署名する最初の国であったほしいと願っていた。しかし・・・・。今からでも遅くない」と、日本政府への署名・批准を求めました。さらに「岸田さんは、条約は出口だと言うが、私は入り口だと思っている」と話すと共に「日本政府が署名・批准していなくても条約の第6条の専門家会議に参加したり、信託基金に協力することを願っている」ことを強調しました。

この点については、私も同感です。

最後に日本政府に対して「日本がリーダーシップをとるためには、核の傘の考えを捨てるべきだ。自国のことのみならず、道義的な立場に立って働くべきだ」とし、「核兵器の非人道性を訴えることが重要だ」と強調しました。

核被害の実相に原点をおき、核抑止論を厳しく批判する姿勢を感ずることができた基調講演だったと思います。

この後、被爆者や高校生などとのパネルディスカッションがありましたが、時間の都合で私は会場を後にしました。

最後にどうしても触れておきたいことがあります。

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ステージ上には、上の写真のように「核兵器禁止条約に参加を」と書かれた横断幕がありました。メリッサ・パークさんの来訪を機に、「日本政府に核兵器禁止条約に参加させる」という強い思いが込められています。しかし、開会あいさつを行った松井一實広島市長のあいさつの中には「核兵器禁止条約」という言葉が全く出てきませんでした。「なぜ!」と強い違和感を持ったのは、私だけでしょうか。あいさつが終わると会場を後にした松井市長こそ、メリッサ・パークさんの話を聞く必要があったと思います。

いのちとうとし

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