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核兵器廃絶

2025年1月13日 (月)

2025新春討論会

毎年正月明けのこの時期に開催されてきた市民運動グループの新春討論会が、今年も12日の午後1時から、有志の呼びかけで開催されました。

毎年、その時々の政治情勢や運動課題などについて、何人かから問題的を受け、討論する形式で開催されてきました。私が、最初にこの新春討論会に参加したのは、2001年頃だったと記憶しています。その後、毎年というわけではありませんが、ほとんど毎回、正月明けの一つの行事として日程に入れ参加してきました。

今年は、少し趣向を変えて最初に、講師からの問題提起を受けることになりました。問題提起者は、「NPO法人ピースデボ」代表の湯浅一郎さんです。湯浅さんは、1975年から2009年まで旧通産省・中国工業技術試験所(呉市)に勤務しながら、芸南火電、松枯れ農薬空中散布、海洋開発など多くの公害反対運動に参画し、1989年には、ピースリンク広島・呉・岩国を結成し、その中心として活動してきました。

ピースデポの仕事で、上京されて以来、ゆっくりと話を聞く機会がなかったのですが,今回「資本主義の現在。21世紀、人類はどこへ向かうのか?」のタイトルで、「生物多様性」と「共通の安全保障」の二つのテーマで、それぞれ問題提起をいただき、討論を深めました。

余談ですが、湯浅さんがピースデポの専従として東京に行くことになった時、湯浅さんを支援する気持ちで、ピースデポの正会員に入会(年会費12000円)し、今も継続しています。

今回の参加者の中心は、戦争させない・9条壊すな!ヒロシマそうがかり行動実行委員会のメンバーですが、同実行委員会では、これまで環境問題についての論議を深めてきませんでしたので、この機会にこの問題への理解を深めようと今回このテーマが選ばれました。

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第1テーマの「生物多様性」では、「太陽系の一角に自分が生きている。過去の中に現在があり、現在の先に未来がある。自分は時間が経つとよくなると思っていたが、今は時間が経つと悪くなっていく。生物多様性の低下に対する危機感をもたなければならない。」と前置きし、瀬戸内海、辺野古、祝島の問題を例にしながら、政府の進める生物多様性国家戦略の問題点を提起し「閣議決定した第6次生物多様性国家戦略の推進を法的拘束力がないことを理由にこれまで通りの施策を強行するなら、未来への国家による犯罪が続くことになる。これを止め、変革を推進するのは市民の力しかない」と締めくくりました。

第2のテーマ「共通の安全保障」では、「日本は、憲法9条に依拠した外交政策を創り出す責務があるし、与野党逆転の中でチャンスはある。市民は、日米軍事一体化や日米韓をはじめとした多国間共同演習の日常化に反対していくことが重要だ」とし「軍事力が平和を担保するとの常識から、軍事力によらない安全保障体制の構築、脱軍備への道を拓くことが必須であり、状況を変えるのは民衆の意思と行動だ!」と締めくくり二つの講演が終わりました。

その後、参加者の意見交換が行われました。

午後5時までの討論が終わると、持ち込んだ食べ物飲み物での恒例の新年会です。毎年のことですが、一番盛り上がるのは、この時間です。みんな言いたいことが山ほどありますので、あちらで、こちらで議論の花が咲き,今年一年の運動の強化を誓い合いました。

いのちとうとし

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2025年1月11日 (土)

2025年最初の広島県原水禁常任理事会

広島県原水禁は、9日今年最初の常任理事会を開催しました。

主要な協議事項は、27日に開催する「広島県原水禁第94回総会」に提案する議案の協議でしたが、幾つかのテーマで理事の間で意見交換が行われました。

その一つが、昨年12月のオスロでの日本被団協のノーベル平和賞受賞式での田中熙巳代表委員によるスピーチで強調された「国家補償の被爆者援護法」をめぐっての議論です。

昨日の木原さんのこのブログ「被爆80年、改めて国家補償を考える」で、この問題が提起されていますが、原水禁常任理事会でもこの問題の口火を切っていただいたのは、木原さんです。論議の中心は、「国家補償とは何を言うのか」です。

この論議を聞きながら、幾つかの論点を整理しながら、論議を進めなければならないと感じました。

一つは、1994年12月に成立した「被爆者援護法」に対する当時の評価がどうであったのか。「被爆者援護法」が成立して、すでに30年以上が経過していますので、その当時のことを知る人が、県原水禁の役員でも少なくなっています。当時何を求め、何が不十分だったのかを、整理する必要があると感じました。

二つは、田中さんが言われる「国家補償」の中身は、何かです。当時もっともいわれていたことは、「原爆で命を失った死没者への国家による謝罪と補償」ですが、今後「具体的の要求としては、何を求めるべきか」をはっきりさせる必要があるように思います。

その中では、被爆者援護法に盛り込まれた「特別葬祭給付金」のまやかしも明らかにしなければならないと私は考えています。

三つは、国家補償の性格を持つ「被爆者援護法」ということが、在外被爆者裁判や原爆症認定訴訟、黒雨訴訟の判決でいわれていますが、そのこととの関連をどう考えるか,です。

いずれにしても、「被爆者援護法を国家補償法」にという主張は、原水禁も運動の柱にしていましたので、県原水禁として、これを機会に県原水禁として改めて学習会などを開催し、この問題への理解を深める必要があることを確認しました。

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昨年の総会

その他に総会へ提出する議案協議する(意見がある場合は、一週間後までに提出する)とともに当面する県原水禁の日程として次のことを確認しました。

ネバダ・デー座り込み 1月27日午後0時15分から 原爆慰霊碑前

第94回総会 1月27日午後6時から 自治労会館

今年の総会では、最初に「ノーベル平和賞授賞式報告会」を行い、ノーベル平和賞授賞式に参加した広島県被団協理事長(日本被団協代表委員)箕牧智之さん、第27代高校生平和大使甲斐なつきさんの現地活動報告を受けた後、「受賞の意義」についての講演を行うことにしています。

その他に、1月26日に広島被爆者7団体などを主催する「被爆80年・日本被団協ノーベル平和賞受賞記念エベント」への参加、10月5日、6日に開催される「核のない未来を 世界核被害者フォーラム」への協力などを確認し,常任理事会を終了しました。

いのちとうとし

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2025年1月 9日 (木)

「核のない未来を!世界核被害者フォーラム」の記者会見に同席しました

「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」(HANWA)とニューヨークで反核運動を行っている「核のない世界のためのマンハッタン・プロジェクト」の2団体が主催し、被爆80周年の今年10月5日、6日の二日間広島で開催される「広島・長崎被爆80周年 核のない未来を!世界核被害者フォーラム」の概要を説明する記者会見が、7日の午後広島市政記者クラブで行われました。

今回の記者会見は、主催団体の一つである「核のない世界のためのマンハッタン・プロジェクト」の共同創始者井上まりさんが、昨年末から帰国されたこの機会に開催することになったものです。

当初は、井上さんとHANWAの共同代表の一人森滝春子さんが、出席し会見を行うことになっていたのですが、体調が悪くなった森滝さんからHANWAの世話人の一人である私(HANWAには、個人として参加)に代理で参加するよう要請があり、急きょ参加することになりました。

午後1時からの会見は、HANWAの藤元康之事務局長が概要を説明、その後井上さんから「世界核被害者フォーラム」への思いが発表されました。

私も「森滝先生が、被爆30周年の原水禁世界大会で『核と人類は共存できない』という原水禁運動の理念を最初に発表されてから今年で50年。今この時期に全ての核被害者の問題を広島から発信することは非常に意味がある」こと哉「核兵器禁止条約で触れられていないウラン採掘など多くの核被害者の実態を明らかにし、救済への道を開きたい」など「世界核被害者フォーラム」の意義について発言しました。

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左が井上まりさん

開催まで9ヶ月あまりあること時期での記者会見でしたが、予想を超えるマスコミの参加があり、関心の高さを伺うことができました。

記者会見で発表した主な概要は次の通りです。

開催目的:世界の核被害者がヒロシマに集い、過酷な実態を世界に訴え、早期救済を目指します。さらに、核兵器廃絶、核と人類は共存できないことを自らの体験を通して訴えます。

ウラン採掘に始まり、核兵器や核燃料製造、核実験、劣化ウラン兵器、原発といったあらゆる場面で今も核被害者が生まれています。

米国による広島、長崎への原爆投下から80年、世界で核戦争の危機が高まっている今、私たちは核被害者とともに、核戦争は絶対に起こさせないという市民世論をまき起こし、世界の指導者に戦争反対、核兵器廃絶を強く要求します。

参加予定の核被害者:広島・長崎、ウラン採掘・精錬、核実験、原発事故、原発被曝労働、核廃棄物処理、劣化ウラン兵器などの核被害者で、海外から10名、国内から20名程度を予定。この他にZOOMやビデオメッセージによる参加もあります。

10年前の2015年にも広島で開催された「世界核被害者フォーラム」は実行委員会方式で開催されましたが、今回は上記2団体の主催で開催されます。

原水禁国民会議には、主催団体の一つである「核のない世界のためのマンハッタン・プロジェクト」の井上さんから、昨年末呼びかけ団体としての協力要請がありました。井上まりさんには、谷事務局長や原水禁の代表が、NPT再検討会議や核兵器禁止条約締約国会議に参加した時、支援を受け、共同行動を行っていますので、呼びかけ団体になることを了解しています。呼びかけ団体としての協力要請は、日本被団協、原水協にも行われています。

今後も、「世界核被害者フォーラム」の準備状況については、このブログで紹介したいと思います。

いのちとうとし

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2024年12月28日 (土)

新著「『原爆裁判』を現代に活かす」を拝受

日本反核法律家協会会長の大久保賢一さんの新著「『原爆裁判』を現代に活かす」が、著者から郵送されてきました。

大久保さんとは、数年前反核市民団体が行った外務省との話し合いの場で同席したことがあり、それ以来、毎年のように発刊される新著を贈呈していただいてきました。

先日、新聞広告でこの新著のことを知り、『原爆裁判』という文字に惹かれて、購入しなければと思っていたところに,この本が届きました。

ゆっくりと読みたいと思いますが、今日はそのさわりを紹介したいと思います。

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大久保さんは、まえがきの中で、この本を出す契機になったことを次のように書いています。

「この『法とは何か』は、2024年4月から9月末まで放映されたNHKの朝ドラ『

虎に翼』のテーマの一つでした。私はこの『虎に翼』を感動しながら見ていました。・・・とりわけ、『原爆裁判』を描くシーンは、原爆という『残酷な兵器』が被爆者にもたらしたものは何か、それを法や裁判がどのように向き合うべきなのかを正面から問いかけるものでした。・・・三淵さんが『原爆裁判』にかかわっているので、その裁判資料を保管している日本反核法律家協会の会長である私を取材したのです。『原爆裁判』を出来るだけ多くの人に知ってもらいたいと考えている私は、喜んで取材に応じました。」

さらに「私は、そのようなドラマで『原爆裁判』が描かれないことなどありえないと思っていましたが、現実に描かれた場面を見て,本当に感動を覚えました。」

私は、朝ドラ「虎に翼」をずっと通して視聴したわけではありませんが、「原爆裁判」が描かれたこの週だけは、録画をして観ましたので、改めて「原爆裁判」について学ばなければと思っていました。

先日の被爆二世裁判の時、在間弁護団長から、当時の判決文の資料をもらったこともあり、より関心が深まっていました。

そんなときに届いた「『原爆裁判』を現代に活かす」ですので、興味は尽きません。

特に大久保さんがまえがきで書かれているように「裁判資料を保管している」ものとしての著作だけに、貴重な内容と言えます。

目次を見ると、第一章が、「『原爆裁判』とは?」で、①裁判の当事者②裁判の提起③被告国の対応④裁判所の判断⑤鑑定人の意見⑤被害者の損害賠償請求権⑦対日平和条約による請求権の放棄について⑧判決の背後に何があったのか、の順で「原爆裁判」がまとめられています。

興味を引くのは、③の「被告国の対応」ですので、該当するページを開きました。

1945年当時、「原爆投下は国際法違反」としていた政府が、この裁判係争中の1956年には「国際法違反ではない」とし、さらに「原爆の使用は日本の降伏を早め、戦争を継続することによって生ずる交戦国双方の人命殺傷を防止する結果をもたらした。このような事情を客観的に見れば、広島・長崎に対する原爆投下が国際法違反であるかどうかは、何人も結論を出しがたい」と、原爆被害を他人事にいう今の政府に継続している考えが、ここで表明されたことがわかります。

そうした政府の考えに同裁判官が対応したのかなどなど、しっかりと読み込み、改めて「原爆裁判」から学びたいと思います。

いのちとうとし

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2024年12月24日 (火)

今日の署名は、487筆

22日(日曜日)のちょうどお昼時間、平和公園の元安橋西詰を散歩していると高校生平和大使派遣委員会の小早川健さんとサポーターの中谷悦子さんの姿がありました。

「今日は署名活動ですか?高校生は?」と尋ねると「そうです。午前中の署名活動を終え、ちょうど昼休憩に入り弁当を買いに行っています。昼食をとって、午後も署名集めをすることにしています」との答えです。高校生の姿が見えませんでしたので、そのまま散歩を続け、帰宅後昼食を終えて再び、平和公園に行ってみました。家を出るのが午後2時ちょっと前になりましたが、それでもまだ署名活動が続いているかなと思いながら、自転車を走らせましたが、現地に着いた時は、ちょうど署名活動は終わり、集まった署名の集約中でした。

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「今日の署名数は、487筆です。9月からの合計は、2227筆になりました。」

午前中は、時々小雨が舞う天気、午後もなかなか気温が上がらない条件の中ですが、みんなの頑張りで487筆も集まったようです。

「日本被団協のノーベル平和賞受賞が決まった後は、本当にたくさんの署名が集まりました」との参加者の声。

広島の高校生1万人署名活動の平和公園での署名集めは、毎月一回実施されているそうです。最初は、午前中のみの行動だったそうですが、参加する高校生から声が上がり、今は午後も実施しています。

今回の参加者は、今年の高校生平和大使の二入を含め15人。福山からも参加していました。

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最後の参加者全員で記念写真を撮って、12月の1万人署名活動は終了しました。

たまたま駆付けた私に、小早川さんから声がかかり「みんなの行動は、私たち原水禁運動にとっての大きな励ましの力になっています。平和運動は、すぐに具体的成果を上げることはできません.私たちが続けている核実験抗議の座り込みもそうです。でも地道な活動が、少しずつかもわかりませんが、必広がっていきます。今日も487人の人が署名に協力してくれました。このうちの何人かは、帰ってからきっと誰かに『広島の平和公園で核兵器廃絶の署名をしたよ』と話す人がいるはずです。そのことでまた輪が広がります。『継続は力』です。一緒にがんばりましょう」とあいさつさせていただきました。

この高校生1万に署名活動の粘り強い行動に私たちも学ばなければと思いながら、散会しました。

今年も高校生平和大使のカレンダーが作られましたので、参加者の一人の持っていただき、写真を撮りました。

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ノーベル平和賞授賞式現地オスロでの高校生平和大使の活躍ぶりが多くのマスコミで報道されましたが、その背景にこうした地道な行動の積み重ねがあることを忘れてはなりません。高校生一万人署名活動の合い言葉「微力だけど無力じゃない」を改めて実感させられました。

いのちとうとし

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2024年12月18日 (水)

三原の12月「19日行動」

12月14日(土)、2024年最後となる三原駅前での定例街宣「19日行動」を13時30分から19人が参加して行いました。マイクを持った6人の弁士は、「ウクライナ軍事侵攻やパレスチナ・ガザ大量虐殺の悲惨な状況を見たとき、絶対に戦争はあってはならない。良い戦争はない。悪い平和はない」。「ノルウェー・オスロでの日本被団協ノーベル平和賞授賞式に参加した被爆者や若い高校生の核兵器廃絶への強い思い、姿を見て、被爆の実相の継承が大切である」などと訴えました。

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司会者からは、11月に岡山市で開催された「憲法理念の実現をめざす護憲大会」での畠山澄子さん(ピースボート共同代表)の言葉、「日本被団協のノーベル平和賞受賞について、被爆証言、一つ一つの行動が結果に出る。大変勇気づけられた。核兵器廃絶へのメッセージ『戦争はダメなんだ戦争ではなく平和の準備を』ということを教えてくれた」を紹介しました。

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 弁士の冨中さんは、今年の政治を振り返りスピーチを行いました。▲10月27日に実施された衆議院選挙で自公連立政権は過半数割れとなり、国会の状況も大きく様変わりしてきた。衆議院の予算委員長に野党の立憲民主党。憲法審査会長も野党の立憲が就任。立憲野党の存在感を発揮し、民主的に運営されることが期待されている。更に、国連女性差別撤廃委員会が重ねて政府に勧告している民法改正・選択制夫婦別性問題を扱う法務委員会委員長に野党(立憲)が選出され、法案審議が期待されている。▲先の衆議院選挙で厳しく問われた自民党派閥の裏金事件を受けて、「政治とカネ」の問題が政治改革の焦点になっている。企業・団体献金の禁止、政策活動費の廃止など政治資金規正法の再改正について、石破首相は熟議の姿勢を見せつつも、結論には踏み込まず、時にははぐらかす「石破論法」に終始して物事の先送りをしている。来年は参議院選挙が行われる。今度こそ政治を国民の手に取り戻すため、頑張って行きたいと思う。▲今年1年大変お世話になりました。『憲法9条を』守り、『戦争法を廃止』し、平和で安心・安全に暮らせる社会を作るため皆さんといっしょに頑張りますので、来年もよろしくお願いします。等戦争をさせない三原市民行動共同代表として挨拶しました。

 「19日行動」、今年も延べ200人を超える市民のみななさんが毎月街頭に立って、平和憲法を守ろう!と訴えてきました。引き続き、戦争をさせない運動に温かいご支援をお願いいたします。

藤本講治

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2024年12月13日 (金)

日本政府は今こそ被爆者の願いに応えよ

昨日の続きです。

日本被団協の田中煕巳代表委員は、ノーベル平和賞受賞演説の中で日本政府に対し、「戦争被害者である原爆犠牲者に対し、国家補償による償い」を強く求めるとともに、その後の記者会見では「日本政府が核兵器禁止条約を署名批准し、核兵器廃絶の先頭に立つ」ことを求めました。

こうした被爆者の思いに対し、石破首相は、衆議院予算委員会で「来年で被爆80周年になる。風化することは絶対にあってはならない」とし、「証言をずっと続け、核兵器に悲惨さを世界に広め、平和への思いを伝えていただいた。政府として感謝以外の何物でもない」と語ったとマスコミは報道しています。

しかし、その発言の中には、被爆者が求める「核兵器廃絶」や「原爆犠牲者への償い」への道筋を示すものは何もありません。被爆者が日本政府に求めるのは、自分たちの活動への感謝ではないはずです。核兵器の存在を前提とする「核抑止」の政策を転換し、「核なき社会」の実現に日本政府が先頭に立って全力を挙げることです。

その第一歩が、日本政府による核兵器禁止条約の署名、批准です。そしてそれは、私たちの決意でもなければなりません。

それを実現させる運動へのひとつの示唆を与えるのが、原爆ドームの世界遺産登録に向けた市民の運動です。

連合広島や広島県原水禁、広島県被団協など12団体で構成する核兵器廃絶広島平和連絡会議は、ノルウェーのオスロで開催されたノーベル平和賞受賞式の前日9日の午後6時から原爆ドーム前で「原爆ドーム世界遺産登録記念集会」を開催しました。 

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その集会アピールの中で,原爆ドーム世界遺産登録の経緯を次のように紹介しています。

「1996年12月7日、『原爆ドーム』のユネスコ世界遺産登録が実現した。当時、多くの市民、県民が一体となって,4年間にわたる署名活動などの取り組みを実施した。思いが詰まった164万筆を超える請願署名は政府を動かし、世界遺産登録委員会の決定を手繰り寄せることができた。」

署名が始まる前には「政府を動かすのはなかなか難しい」と思っていたのですが、まさに市民・県民一体となった署名が、もちろん市民の署名だけでなく、県内自治体の意見書採択なども大きな力となって政治を動かし、「文化財指定基準」の改正を実現させ、原爆ドームの世界遺産登録実現への道を切り拓いたのです。

当時広島県被団協理事長だった伊藤サカエさんは,世界遺産登録の意義を次のように述べています。

「1996年12月に世界遺産に登録された原爆ドームはあまりにも酷い姿をさらけ出しています。でも、原爆ドームは生きています。世界の未来に向けて絶叫しています。原爆ドームこそは、世界の共有財産として警告を発しなくてはなりません。・・・核兵器が存在する限り、抑止力に頼る冷戦は終わりません。人間の世界で、イデオロギー、宗教差別、人種の違い、貧富の格差等によっての戦いはやめて下さい。核兵器は、人類や地球上の生き物凡ての生命を奪います。被爆の生き証人の私たちの命も後少しとなりました。原爆ドームは人間の世界が有る限り、平和と核廃絶を世界の人々に求め、訴え続けてくれるでしょう。」

世界遺産登録された原爆ドームは、被爆者の証言とともに、平和公園を訪れる人々に無言の証言者として、核兵器の恐ろしさを訴えています。

1956年3月の被爆者による最初の国会請願に参加し、被団協結成にも参画した伊藤サカエさんは、1994年12月に被爆者援護法が成立して時「国は原爆で死んで人に線香の一本でもよいから供え、悪かったと言ってほしい」と国家補償の理念を欠いた被爆者援護法を厳しく批判しました。そうした先人の思いが、田中煕巳代表委員の演説に繋がっているのです。

被団協のノーベル平和賞受賞は、改めて被爆者運動の歴史をふりかえる機会になり、そして運動の原点に立つことの大切さを私たちに教えてくれました。

民衆の力こそが、政治を変える力だということです。

いのちとうとし

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2024年12月12日 (木)

ノーベル平和賞授賞式

今年のノーベル平和賞に選ばれた日本被団協の授賞式が,10日ノルウェーのオスロ市庁舎で行なわれました。

私は、その様子をわが家でNHKの中継放送で見ました。

被爆者の皆さんが核兵器の廃絶と被爆者の援護を訴え続け、そして「こんな思いを他の誰にもさせてはならい」と世界の人びとに呼びかけてきた活動が評価されたものであり、心からお祝いを申し上げます。

NHKの映像を見ながら、身近に接してきた森滝市郎先生をはじめとする今は亡き広島県被団協の歴代の理事長の姿を思い起こしました。この先人のたゆまぬ努力があったからこそ、今の受賞があるのだと改めて感じました。そして、反核運動を共にしてきた私たちが果たすべき役割の重さも改めて自覚させられる授賞式でした。

田中煕巳代表委員の演説中に写された会場には、何人かの知り人の姿がありました。

その中で、印象に残ったのは、ブラジル在住被爆者の渡辺淳子さんです。何度も渡辺さんの姿が登場しましたが、最初気がつかなかったのですが、途中大写しになったとき、渡辺さんの手には、在ブラジル被爆者運動の牽引者であり、4ヶ月前の今年8月100歳の生涯を終えられた森田隆さんの遺影がありました。

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田中煕巳代表委員の演説は、自らの被爆体験を語り、日本政府の国家補償に基づかない被爆者行政を厳しく批判し、「核兵器は一発たりとも持ってはいけないというのが原爆被害者の心から願いです」とし、「核兵器は人類と共存できない」と訴えました。そして「核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めてともにがんばりましょう」との呼びかけに、会場からは大きな拍手が沸き起こり,感銘を与える演説でした。

田中さんの演説には、私も心を打つものを感じたのですが、演説を聴きながら、私は何とも言えない違和感を持ちました。

翌日の新聞に掲載された田中煕巳さんの受賞演説全文を改めて読み返してみました。違和感は、どこから生じたかといえば、この演説の中に「非人道兵器である原爆を投下したアメリカ」が、全く登場しないことです。

こうした違和感を持つのは私だけでしょうか。それとも、こうした違和感を持ってはならないのでしょうか。

そう思う中で11日付中国新聞の1面に掲載された宮野史康記者の署名記事「被爆者に報いる行動をする時」の中に次の一文を見つけました。「亡き森瀧市郎さんが起草した広島県原爆被害者大会の宣言には『あの瞬間に死ななかった私たち』という一文もある。被爆者たちは米軍が落とした原爆により命を絶たれた死没者たちの思いを背負っている」

いのちとうとし

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2024年12月 7日 (土)

ユーロシマ

日本被団協のノーベル平和賞受賞の機に、マスコミが連日日本被団協や被爆者の歩みの報道を続けています。

その一つに中国新聞が、12月1日から連載を始めた「歩み 被団協ノーベル平和賞」があります。

私の知らない歴史の紹介もあり、毎回注目して読んでいますが、その5回目となる12月5日の「国際活動」では少し気になる記載がありました。

この回は大見出しは「被爆者訴え 欧米で共鳴」で、被爆者の海外での証言活動の歴史の一部が紹介されています。気になったというのは、「核戦争に現実味」の小見出しで書かれた次の記述です。少し長いのですが、引用します。

「被団協の訴えは70年代後半から,欧米の反核運動と共鳴し始めた。東西冷戦のさなか、人々は現実味を増す核戦争におびえていた。米ソによる欧州への核ミサイル配備を起点に「ノー・ユーロシマ」(欧州を広島のような核戦場にするな)のかけ声が拡大。被団協は各国からの派遣依頼に積極的に応じた。」

何が気になるかといえば、「ノー・ユーロシマ」の言葉です。この記事の記述に間違いがあるというわけではありませんが、この記述では、「ノー・ユーロシマ」は、欧州の反核運動団体によって作られて言葉のように受け取れます。

じつはこの言葉は、森滝市郎先生が、1981年11月21日に西ドイツ(当時はドイツは東西に分裂していた)ドルトムントで開催された反核集会「クレーフェルト・フォーラム」での連帯あいさつの中で使われたのが、最初です。

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ドルトムントの集会 テーブルの左端が森滝市郎先生

 二週間あまりの「ヒロシマ語り部の旅」をふりかえって、中国新聞の取材に応じた森滝先生は、次のように語っておられます。

「西ドイツの環境保護団体『緑の党』のペトラ・ケリー女史、イギリスの核廃絶運動(CND)のEP・トンプソン氏らが檀上から報告。私は『ヒロシマ・ホロコースト』(大虐殺)の生き証人として聴衆に語りかけ、ドイツ語で締めくくった。『ユーロシマ』(ヨーロッパのヒロシマ化)になってはいけない。世界のどこにも核戦争が起こってはならない。われわれは生きることを欲する。そして生命が勝たねばならぬ。ワーッと歓声が上がった。『廃墟の光』で広島を描いたロベルト・ユンク氏が駆け寄って『よかった、よかった』といってくれた。」

この記述だけでは、「ノー・ユーロシマ」の言葉を森滝先生が最初に使ったということはっきりしないかも知れませんので、別のところに森滝先生自身が書かれたものを紹介します。

1982年7月に発刊された「ヨーロッパ反核79-82」(近藤和子、福田誠之郞編)の巻頭言「核戦争の危機と世界民衆の連帯」の中に、森滝先生は次のように記述されています。

「西ヨーロッパの人々の恐怖は同じように東ヨーロッパの人々の恐怖であるに違いない。81年11月21日西独ドルトムントの集会で『ヨーロッパはユーロシマになってはならない』と叫んだ私はその翌日22日ボンの集会に出た。そこには東ヨーロッパの代表も困難を押して参加していた。民衆の恐怖と憂慮と反核行動に於て西欧も東欧も一つなのである。

私が帰国してまもない頃、東独の平和団体から届いた印刷物にホーネッカー首相の演説が載っていた。その標題は『ヨーロッパはユーロシマとなる必要はない』となっていた。」

中国新聞の連載は、前日の「座り込み」で森滝先生が取上げられていますので、この記事では森滝先生の名前は記載されなかったと思いますが、この二つの文章を読めば、「ノー・ユーロシマ」の語源が、森滝先生であることが理解できるのではと思います。

当時、ヨーロッパでは、1979年に決定された「1983年のNATO軍への地上発射ミサイルパーシングⅡの配備」に反対するため、10万人を超える抗議集会が、各地で開催されていました。この欧米での反核運動の盛り上がりを受け、日本でも1982年3月21日に広島で「反核20万人集会」が開催され、その後の全国各地での数十万人を集める反核集会へと繋がったことを思い出します。

私が原水禁運動の事務局に関わることになったのは、この「3.21反核集会」実行委員会の事務局に入ったことが契機でした。

いのちとうとし

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2024年12月 6日 (金)

被爆二世裁判広島高裁判決前集会

今年726日に結審し,今月13日に広島高裁での判決日を迎える被爆二世裁判の判決前集会が,昨日午後3時から弁護士会館で開催されました。

被爆二世への援護を求め人権を守るこの裁判も,2017年広島地裁への提訴からすでに7年が経過しました。

同時に提訴した長崎での集団訴訟では、今年229日に「被爆2世については原爆による放射線の遺伝的影響は証明されていない。被爆者などと同じ援護をしないことが差別的な扱いとはいえず憲法に違反しない」とする福岡高裁判決が出ています。

原告団は、先月27日にマスコミの皆さんにこの裁判をより理解してもらうため、「被爆二世裁判の意味」や地裁判決の問題点などをレクチャーし, 昨日の判決前集会開催となりました。ています。

集会は、全国被爆二世協事務局長平野克博さんの司会でスタートし、長崎から駆付けた全国被爆二世協会長崎山昇さんが「黒い雨判決をなかったかにするような司法判断が続いているが、広島高裁は、黒い雨訴訟で原告勝訴の判決を出しているので13日の判決に期待をしている」とあいさつ。

続いて弁護団長である在間秀和弁護士が、なぜ提訴したのか、これまでの被爆者援護法制の歴史、さらに裁判の経緯、これまで出された判決の問題点を説明しました。

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特に、裁判を通じて国が主張してきた「放射線被害の遺伝的影響を示す科学的根拠はない(「放射線被害に遺伝的影響はない」と断言せず)。だから立法義務はない」という国の主張は、「裏を返せば、遺伝的影響が否定されていないことになる」と解説。

さらに訴訟の争点を改めて整理し①被爆者援護法の基本的趣旨は何か②放射線被害の遺伝的影響はないと言えるのか③「遺伝的影響の可能性」があるとして、援護法の趣旨からすれば援護の対象とされるべきか④援護の対象とされるべきとして、国はいかなる措置を執るべきか⑤国が執るべき措置をとっていないとして,原告らに対して賠償責任を負うのか.の5つを提起しました。

そして、13日に出される広島高裁の判決について「遺伝的影響をなんとか避けたいと,私たちの主張を否定する姿勢にしか見えないが、核兵器は世代を超えて影響を与える兵器であり、私たちの主張に真摯に向き合った判決を出すべきだ」と指摘しました。

最後にNHK朝の連続ドラマ「虎の翼」でも紹介された「原爆裁判」の判決文の「充分な救済策をとるべきことは、立法府である国会及び行政府である内閣において果たさなければならない責務である。しかも、そういう手続きによってこそ、訴訟当事者だけではなく、原爆被害者全般に対する救済策を講ずることができるのであって,そこに立法及び立法に基づく行政の存在理由がある。」を紹介し問題提起を終えました。

その後数人の参加者の意見表明があり、その中で、広島高裁の第3回口頭弁論で意見陳述をおこなった上野原曻さんが、「自分のことをやっとさらけ出せるようになったのは、この裁判に参加してからだ。さらけ出すことによって裁判官にも訴えるものがあったのではないか」と裁判に参加した意義を話されたのが印象的でした。

判決前集会は予定通り午後4時30分に終わりました。

広島高裁の判決は、13日の午前11時に言い渡されます。

いのちとうとし

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