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お手盛り

2021年5月 1日 (土)

小選挙区制度の問題点 ――「純粋に」案理候補に投票した人の権利はどうなるのか――

小選挙区制度の問題点

――「純粋に」案理候補に投票した人の権利はどうなるのか――

 

このブログにコメントをお寄せ下さっている「匿名希望」さんから、とても大切な問題提起がありました。

4月1日の記事に対してのコメントです。

「贈収賄関係なく、案里さんに、投票した有権者の権利は、どうなるのですか。案里さんに、議員になって欲しいと、願った有権者の意思表示は?」

 これは、「死票」と呼ばれる大問題です。つまり、選挙で意中の候補に投票したけれど、その候補が落選すると、自分の投じた一票を国会や地方議会で反映してくる議員がいないということになってしまうのです。一票が「死んだ」のです。

 純粋な思いで案理候補に一票を投じた有権者の意思が国会では反映されなくなりましたが、それは、これまで長い間、野党に投票したけれどその票は国会では反映されない、これは大きな問題ではないかと主張してきた野党支持者の言い分でもあるのです。

 少し複雑になりますが、小選挙区制度を推進した人たちは、「中選挙区では死票が多い」ということを選挙制度を変えるための理由として挙げています。しかし、理論的にも小選挙区制度導入後の実績としても、小選挙区制度で死票が増えることは紛れもない事実として認められています。

 この点については、2020年の811日の本ブログで取り上げています。

 「そこを再度読んで下さい」で終わりにしても良いのですが、クリックして頂く手間を省くためにも、そして大切なことは何度でも繰り返すべきだと信じている私の立場からも、一部抜粋して再掲します。

 2015年の時点では、小選挙区制の弊害は広く理解されていました。しかし、それから5年経った今、危機感はどこかに消えてしまい、小選挙区制を廃止してより良い制度を導入しようといった声もほとんど聞こえなくなってしまいました。身近な所での政治の腐敗に対処するだけで時間もエネルギーも使い果たしてしまい、選挙制度にまで目が向かなくなってしまったのだと思います。

しかし、社会構造の本質を忘れては、どんな改革も不毛に終りますので、「定期的に」問題提起をしています。今回は、何故小選挙区制が駄目なのかについて、ザっとお浚いしておきましょう。

 まず、小選挙区制導入の立役者として何時も挙げられるのは三人です。当時衆議院議長だった土井たか子さん、自民党総裁だった河野洋平さん、総理大臣だった細川護熙さんです。小選挙区関連法案が衆議院で可決され、参議院では否決という結果になった時、本来はこの法案は廃案になるのが憲法59条の本則です。しかし、両院協議会を開くことも許されていますので、両院協議会が開かれ、その結果は不調、つまり協議会としての結論はなく、廃案になるはずでした。その際に、土井さんが河野・細川の二人を招いて妥協案を作るよう指示し、その結果が今の小選挙区制なのです。

 その一人、河野洋平さんの反省の弁が注目されました。それは、もう一人の立役者だった土井たか子衆議院議長(当時)お別れの会(20141125)での次のような言葉です。

 最後にあなたに大変申しわけないことをした。おわびしなくてはならない、謝らなければならない大きな間違いをした。

 細川護煕さんと2人で最後に政治改革、選挙制度を右にするか、左にするか、決めようという会談の最中、議長公邸にあなたに呼ばれた。直接的な言葉ではなかったけれども、「ここで変なことをしてはいけない。この問題はできるだけ慎重にやらなくてはいけませんよ」と言われた。あなたは小選挙区に対して非常な警戒心を持たれていた。

 しかし、社会全体の動きはさまざまな議論をすべて飲み込んで、最終段階になだれ込んだ。私はその流れの中で小選挙区制を選択してしまった。今日の日本の政治、劣化が指摘される、あるいは信用ができるかできないかという議論まである。そうした一つの原因が小選挙区制にあるかもしれない。そう思った時に、私は議長公邸における土井さんのあの顔つき、あの言葉を忘れることができません。

 当時の首相で、河野氏と共に、葬り去られるはずだった小選挙区制を復活させ、導入した細川護熙氏も導入は誤りだったことを認め、あまつさえ、自分はずっと中選挙区制度が良いと思ってきたのだ、と朝日新聞のインタビューで述べているほどです。

これだけで、小選挙区制の罪状は明らかなのですが、とは言っても、客観的な数字も掲げておきましょう。説得力のあるデータの内、得票率と議席の獲得率の乖離がやはりこの選挙制度の歪みを最も忠実に反映しています。まずはグラフを御覧下さい。

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この4回の選挙全てにおいて、自民党は過半数には達しない得票率で、70パーセント以上の議席を占有しています。特に、2012年の選挙では、4割そこそこの得票率で8割近い議席を獲得しているのですから、自民党支持者の意思は、野党支持者の意思の約二倍の価値があることになります。

 「一票の格差」が問題にされるときには、選挙区内の人口を比較して、人口の少ない選挙区と多い選挙区では、一票の価値に差があることが問題にされるのですが、それと同様に、得票率と獲得議席との乖離もやはり「一票の格差」として議論されるべきですし、違憲であるとの問題提起がなされるべきだと思います。

これとほぼ同じ意味を持つのが死票の問題です。誰かに投票したのに、その票が生きなかったケースですが、これも、50パーセント近くですし、2012年には53パーセントです。その年の自民党の得票率は43パーセントですので、有権者が投票した通りに当選者が決っていれば、その年には、野党全体として自民党より多い議員が誕生していたのですから、政権は野党が握ることになっていたはずです。

 


選挙の年


得票率   


議席獲得率


死票


死票率


2005年


48


73


3300万


49


2009年


47


74


3270万


46


2012年


43


79


3163万


53


2014年


48


76


2540万


48

 

この点については、有権者の意識も高く、小選挙区制では民意が反映されない事実を認識しています。内閣府が定期的に行っている、国の政策への「民意の反映程度」のグラフです。小選挙区制が導入されたのは、1994年、つまり平成6年ですが、それ以降、「反映されていない」が増え、「反映されている」の減っている様子がはっきりと表れています。

32

 こう見てくると、小選挙区制という選挙制度の結果は国民の意思を反映していないどころか、大きく歪めていることが分ります。そして、今見てきたようなデータからは、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて」と憲法で定めている、「厳粛な信託」とは大きくかけ離れた形で権力の委託が行われていることが分ります。つまり、この制度は憲法違反です。

[2021/5/1 イライザ]

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2021年3月 6日 (土)

「官僚のお手盛りで作られた法律を変えよう!」 ――主権者としての力は使わなければなくなります――

「官僚のお手盛りで作られた法律を変えよう!」

――主権者としての力は使わなければなくなります――

 

2月26日の本コラムでは、私たち広島県民が、自民党と自民党広島県連に「舐められ続けて」も良いのかという問題提起をしました。その点を最も明確に筋道を立てて論じている、元広島地検そして元東京地検特捜部の、郷原信郎弁護士を引用したのですが、我が国の政治を立て直すためには、それだけでは不十分です。

その際にも、問題なのは河井夫妻の買収事件だけではないことを同じくらい強調したのですが、今回は、そちらに力点を移しましょう。

総務省の幹部職員が東北新社から、公務員倫理法に反する接待を受けていた事件で、おそらく多くの皆さんがおかしいなと思ったのは、事件が発覚した時点で既に総務省から内閣府に移動していた山田真貴子(その時点での)内閣広報官については、お咎めがなかったことなのではないでしょうか。しかし、問題が大きくなり、山田広報官は「自主的に」給与の6割を返納することになったのですが、これってお金の問題ではないですよね。

さらに、中央官僚が地方に出向して、例えば自治体の副市長等の幹部になるケースは日常茶飯事です。仮に、この官僚が中央官庁で何か悪事を働いたとしても、自治体に移動してしまえば、元の官庁からのお咎めはなくなってしまうのです。

言葉として「悪事」を使いますが、公務員の倫理規定違反の扱いが良く分らないからです。法律的に厳密な定義を当てはめた場合に、「犯罪」になるのかどうかなのですが、倫理規定違反も「悪い事」には違いありませんので、とりあえず「悪事」と表現します。それ以上の贈収賄等の刑事罰に相当する行為が「悪事」であることは勿論です。

ここで問題にしたいのは、ある官僚が「悪事」を働いても、発見されたときに (しかもまだ時効になっていないときに) 他の省に「異動」になっていれば、通常、何のお咎めもなくなってしまうという点です。山田前広報官の場合がこれに相当します。

その他にも、「森加計桜」関連でもこのような扱いがありました。でもこれっておかしくないですか?

しかし、現行の法律体系の中では、これが罷り通っています。つまり合法なのです。私たちは、そう説明されて、納得は行かないまま、「法律がそうなら仕方がない」と考え勝ちなのですが、ここで提起したい問題は、そもそもそう判断する基礎になっている「法律」そのものの考え方がおかしいのではないか、という点なのです。

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ここで、一つ大きな仮定を設けます。私たちの理想や願望とは違うのですが、「法律を作る立場の人たちは、自分に都合の良い内容の法律を作る傾向がある」、という仮定です。「お手盛り」という言葉があるように、国会でも多くの地方議会でもしばしば問題にされてきた議員の報酬が典型的な例です。何やかやと理屈を付けて、場合によっては有無を言わせずに、議員報酬は議員の得になるような方向で変えられ、批判があっても「だんまり」を決め込むというのが定番だ、と多くの人は思っています。

官僚の作った倫理規定も、同じように官僚に都合の良いものになっていても不思議はあません。省が変ると「悪事」がないことになるのは、「悪事」をためらいもなく働く官僚にとっては都合の良い制度です。でも、その官僚が、本来であれば最大限優先しなくてはならない主権者から見ると、変なのです。主権者の利益を優先するのではなく、悪徳官僚の利益や省の利益、つまり省益が優先されているからです。

省が変わっても、悪徳官僚の本質が、その境界線で善人に生まれ変わるはずはありません。そんな欠陥のある人物は、別の省に移っても、主権者の利益を優先することはないでしょう。となると必要なのは、省を越えたとしても、前の省での「悪事」がきちんと把握され、その再犯を新たな省で防ぐことのできるような新しい法律なり、制度です。

先ほどの仮定に戻って考えると、このような新たな法律や制度を、自分の利益中心に考える官僚が、自分たちの手で作ることはあり得ません。となると、ここでも私たち主権者の声が頼りです。

省が変っても、「悪事」を「悪事」として認めた上で、それを適正に罰する新法あるいは制度を作れ、と大きな声を上げるべきだと思いますが、如何でしょうか。

 [2021/3/6 イライザ]

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