完全に舐められている私たち (3) ――官僚からも。でも私たちには憲法がある――
完全に舐められている私たち (3)
――官僚からも。でも私たちには憲法がある――
「完全に舐められている」シリーズを続けていますが、今回はその根底に憲法のあることを強調します。
もう古いことになってしまっているようですが、先月の24日、まだ時短の要請が続いている中、厚労省の職員が銀座で (「また銀座かよ」という声が聞こえる) 深夜まで、「送別会」と称して大宴会を開いていたと言うではありませんか。日本中、官僚たちを除いて、大憤慨したはずです。
何年か前の昼間の銀座
老健課の課長が言い出しっぺで、「誰も止められなかった」という言い訳まで聞こえてくるのですが、それだけで終りにしてはいけません。あるいは、「外での飲食は控えて下さい」とお願いしている側が外で飲食、しかも大人数でするとは怪しからん、という受け止め方もあるようです。それもそうなのですが、もっと根が深いのではないでしょうか。
そもそも、官僚、つまり公務員が給料を貰って生活できるのは、国民、つまり私たちのために働いているからです。主権者のためにです。給料を貰う条件として、「全体の奉仕者」として働く、という義務が課されています。それが憲法15条です。
その義務を果たすためには、四六時中、どんな時にでもこの義務を思い出し、それに照らして自らの行動を律する必要があります。課長なら、課員に先駆けてその義務を全うするのが当たり前です。そして、課員は、課長がおかしな行動をとったのなら、課長と自分という関係ではなく、主権者と課長という関係を元に、主権者の代理として発言すべきなのです。そして主権者には公務員を罷免する力もあるのですから、そのことも考えた上で、上司であっても主権者目線で物を言う義務があるのです。
法律の専門家はこのような直線的な議論はしないでしょう。法律ができたり慣例があるとそれらに縛られてしまうからです。でもいったん慣例を認め始めると、切りがありません。今回の送別会も「慣例」に縛られた結果です。そんなものに縛られないようにするためには、原点に戻って考えることなのです。
もう一点、これはマスコミの罪も大きいことなのですが、この課長は「事実上の」更迭なのだそうです。そう報じられています。「事実上」とは何を意味するのでしょうか。それは、「良~く、底の底まで調べてみると、本当は更迭ではありませんよ」という意味です。ここでも私たちは舐められ馬鹿にされていますね。
つまり、今後の異動等の際には影響が出ず、退職金も減らされないし、天下り先もきちんと回ってくる、ということなのです。「官房付」等と聞くと訳が分りませんが、人の噂が消えるまではちょっと隠れておくということでしょう。その間、ほとんど仕事はないでしょうから、ただで給料を貰うということになってもおかしくはありません。
私たちが求めなくてはならないのは、何度も繰り返される「事実上」の更迭ではなく、正真正銘の更迭です。それは、憲法を守るという宣誓をして、仕事にありついた公務員誰しもが受けるべき処罰なのではないでしょうか。
[2021/4/6 イライザ]
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