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憲法

2023年9月24日 (日)

府中地区の9月の「19日行動」

「安保法制に反対する府中市民の会」は19日、9月から冬時間となり30分早めて午後3時から上下Aコープ前で9人の参加、午後4時30分から府中天満屋店前で10人が参加し、リレートークとスタンディングをそれぞれ30分間行いました。参加者は今日が8年目ということもあって安保法制の廃止に向けて決意も新たに訴えました。

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リレートークの一部を紹介します。

Aさん 安倍内閣が2017年、臨時国会の開催要求に約3カ月応じなかったのは憲法違反だとして、野党の国会議員が国に損害賠償を求めた裁判で、最高裁は9月12日に原告側の訴えを認めませんでした。憲法53条は衆参いずれかの4分の1以上の議員が要求すれば、内閣は臨時国会を開かねばならないと定めてあります。

判決は「国会の開催を要求がされた場合、内閣が開催を決定をする義務を負う」とした上で「個々の国会議員の権利を保障したものではない」と言っています。

野党議員は2017年6月22日、森友学園や加計学園を巡る疑惑追及のため、臨時国会の開催を要求した訳です。請求議員数は衆参とも必要な人数を超えていました。安倍内閣が国会を開催したのは98日後で、それも臨時国会冒頭で衆院を解散しました。安倍首相は臨時国会で森友学園や加計学園問題を追及されたくなかったからです。あまりにも身勝手な理由で許されるべきものではありません。

「数の支配」が生じやすい国会で、53条は少数派の意見を尊重する重要な規定です。最高裁は「憲法の番人」として、「これは違憲である。」と判決で安倍首相にお灸をすえるべきです。時の権力者に負けて、最高裁が憲法を判断しないのであれば存在価値はありません。今の政治は民主主義を否定して戦争への道を暴走しています。そして裁判所も加担しています。国民みんなで戦争反対の声をあげていきましょう。

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Bさん 劣化ウラン弾の使用は放射能に汚染され放射能まみれのウクライナにすることです。アメリカ軍は自分たちの戦争には使いません。アメリカ軍の兵士が放射能に汚染されるからです。それなのにアメリカは劣化ウラン弾をウクライナに提供しています。私たちがロシアとウクライナの戦争に反対するのは日本が巻き込まれるのではなく加担することになるからです。

Cさん 武器やお金で戦争を止めることはできません。話し合い外交努力です。日本政府はロシアのプーチン大統領に会って話し合いの努力をすべきです。今、日本政府がやっているのは経済封鎖で輸出入ができなくなっています。ロシアにそんな影響はないと思います。それより日本政府はアメリカ政府に気を使い、EUに気を使い軍備増強となっています。また日本の中では軍事産業だけが儲かっているように感じられます。

日本の企業体質もジャニーズ問題が今頃になって取り上げられる。またビッグモーターの不正問題、企業の独裁体制に誰もが意見を出せない。そこで働く人たちは何も言えない。こんな企業がまだまだあるのです。人権教育がいかに遅れているか一人ひとりの意見や問題が相談できる場所が少なくなっていると思います。労働組合にも責任があると思います。一人ひとりの意見は小さくても労働組合で取り組み、要求すれば大きな声になると思います。一人で悩んでいる人に相談できる所を作るよう国や市の行政に要求していきましょう。

最後に司会者が、「天満屋に買い物においでの皆さん、いつも車の中から手を振っていただく皆さん、ありがとうございます。安保法がなくなるまで頑張りますので引き続きのご支援をお願いいたします。今日もありがとうございました。」と呼びかけて9月の「19日行動」を終了しました。

小川敏男

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2023年9月22日 (金)

三原地区 9月の「19日行動」

9月19日は、8年前に国会において集団的自衛権の行使などを認めた「安全保障関連法(戦争法)」が、多くの反対世論を押し切って強行採決された日です。私たちは、民主主義を否定された9・19を忘れることなく、毎月19日に戦争法廃止と憲法改悪阻止を訴えています。今日の定例「19日行動」は、21人が参加して街頭行動を実施しました。政平智春市議ら6人の弁士は、「市民のみなさん、8年前の9月19日を忘れないようにしましょう。私たちは、毎月駅前に立って戦争法反対、軍備拡大反対を叫び続けています。まだまだ粘り強くこの行動を続けていきます。ご支援をお願いします」と訴えました。

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 街頭行動の冒頭、2015年9月に戦争法の強行採決阻止国会前座り込み行動に参加された「戦争をさせない三原市民行動」共同代表の齋尾和望さんから8年間の私たちのたたかいについてアピールを行いました。また、寺田元子市議は、「9月には歴史的に大きな出来事が起きた月でした。9月1日、関東大震災が起きて100年が経過。大地震・火災で10万人が亡くなる大惨事があった。歴史の中で隠された事実、朝鮮人の人たちが虐殺された。私たちは侵略戦争の歴史、真実を見抜いていくこと、歴史の中から学び取って、二度とその道を繰り返さないということを行動とともに学びながら歩んでいかなければならない」と訴えました。それを受けて司会者(藤本)から、8月に京都宇治市の「ウトロ平和祈念館」、奈良県御所市「水平社博物館」を視察研修した報告を行いました。

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ウトロは日本社会から「置き去りにされた朝鮮人の街」。「2021年8月地区内での放火事件・ヘイトクライム」。「在日朝鮮人の人たちの経てきた過酷な差別の歴史」。そして、部落差別撤廃に立ち上がった原点=人の世に熱あれ、人間に光あれ=「全国水平社創立101年、(広島県水平社創立100年)、部落解放運動の闘いの歴史」。両館とも人権と平和、人間の尊厳を守る砦として次世代に歴史を継承する役割を果たしています。

街頭行動のまとめとして高木武子さんは、「戦争法が成立してから私たちの生活はどう変わったのでしょうか。暮らしやすくなりましたか。子どもはのびのびと教育を受け、人を大事にする。そういう世の中にする教育が行われてきましたか。今年の夏は、テレビでこれだけ戦争の問題、原爆の問題が訴えられた年はなかったように思います。この7年間、自民党の考え方はまさに戦争が普通にできる道を歩んできています。ロシア・ウクライナ戦争、武器を供与するとかなんで戦争を長引かそうとするのか。このままいくと本当にロシアが核を使用するかもわからない。もし核を使うことがあれば広島の問題だけではすまされません。私たちは今日の日を大きな節目にして、また来月からもがんばって行きたいと思います。私たちは戦争をさせない。普通に戦争ができる国づくりを行っている今の政府に対して、NO!を突きつけましょう」と訴えて街頭行動を終了しました。

藤本講治

【編集者】今日、三原地区・府中地区の「19日行動」を一緒に紹介する予定でしたが、編集の都合で、府中地区の行動は、24日に紹介します。

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2023年9月21日 (木)

広島「19日行動」

「戦争させない・9条壊すな! ヒロシマ総がかり行動実行委員会」は、戦争法強行可決から8年となる9月19日午後5時半から1時間、広島市の本通り電停そばで「19日行動」の街頭宣伝を行いました。

ここ数年、憲法の改悪を許さない行動を強めるということで、毎月3日に行動を行ってきましたが、戦争法が強行可決をされた9月は、市民の皆さんにあの日を思い起こして欲しいとの思いで、「19日行動」を実施することにしました。

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この行動には、立憲野党の参加を求め、アピールをお願いし、次の皆さんに参加をしていただきました。

鷹廣 純 (たかひろ じゅん)  立憲民主党広島県連副幹事長 広島県議会議員

大平喜信(おおひら よしのぶ)  日本共産党広島県委員会副委員長 元衆院議員

山内正晃(やまうち まさあき) 社民党広島県連副代表 広島市議会議員

三木郁子(みき いくこ)    新社会党広島県本部委員長

それぞれの立場からの力強いアピールがありました。

総がかり行動実行委員会からは、弁護士で世話人の依田有樹恵さん、世話人の利元克己さん、そして私の3人がアピールを行いました。

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安倍政権による「戦争法」の成立は、その後の日本の安全保障政策を大きく転換させました。そのスタートは、小泉政権による戦闘地域への自衛隊派兵を強行した「イラク特措法」から

だったことを思い起こす必要があると思います。

それからの20年、まさに憲法無視の戦争政策が、どんどんと進んでいます。

同時に進行したのが、国会を軽視して、政府の「閣議決定」のみによって、安全保障政策の変更が強行されていることも、重大な問題です。昨年末の岸田首相による「安保関連3文書の改悪」もその流れの中で進んだといわざるをえません。まさに議会制民主主義そのものが危機を迎えているとも言えます。

軍備の増強だけが声高に叫ばれ、最も大切な外交による話し合いの姿勢が全く後退している今の政治を問題にしなければ、さらに戦争政策が強行されることは間違いありません。軍備の取り分け敵基地攻撃能力の強化のみなら、なし崩し的な武器輸出の緩和などを許すことになります。

今「中国敵視、北朝鮮脅威」論の前に、異論がどんどん抑え込まれていく風潮が広がっていることを危惧します。「汚染水海洋放出問題」で、「汚染水」という言葉を使えばバッシングを受ける風潮にもよく現れています。

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国民の多くが無批判になり、むしろ積極的に戦争に協力していった戦前のような風潮が広がっているように思うのは私だけでしょうか。

「おかしいことはおかしい」と声を上げ続けることで、その声に応えてくれる市民を一人でも多く作っていることが私たちの役割だと思っています。

そんなことを思いながら、最後の弁士として私もマイクを握りました。

今月の参加者は、50名でした。

いのちとうとし

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2023年9月12日 (火)

森滝市郎先生と加納莞蕾―番外編

93日の「森滝市郎先生と加納莞蕾―つづきのつづきのつづき」の最後に、次のように書きました。「後日談です。私の仲介で、森滝春子さんと加納加世子さんとの電話連絡が再開し、近々再会されることになりました。嬉しい連絡です」と。

8日の午後、森滝家で「森滝春子さんと加納加世子さん夫妻」の対面が実現しました。「再会」と書きましたが、私の勘違いで、今回が初めての出会いでした。

春子さんは森滝先生の思いを、加納加世子さんは加納莞蕾さんの思いをそれぞれ受け継いで活動する二人の出会い(加納加世子さんの表現)です。

翌日に加納加世子さんから届いてメールには次のように書かれていました。

「父莞蕾の考えていたこと、その行動の確かめができました。尊敬する森滝先生とも信頼関係を確かに持っていたことを知り、うれしい限りでした。春子さんのお体のことも心配でご無理があっては・・・と、思っていましたのになんとも長い時間お邪魔をしてしまいました。たくさんのお話ができ、当時の確かめもでき、よかったです。」

私も同席させていただいたのですが、本当に貴重な時間でした。

私は、二人が会われる予定時刻の少し前に森滝家を訪れました。それは、1956年11月3日の布部村訪問のことが、森滝先生の日記にどう書かれているか確かめたかったからです。

きちんと書かれています。布部村訪問に関わる部分の日記の写しです。

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11月1日(木) 布部行き支度。

2日(金) 安子とともに島根県布部村へ。中国山脈越えのところ紅葉美し。三成駅下車。氏出迎え。バス。そろばん、砂鉄。布部村市場に夕方つく。歓迎茶話会。夜「生きていてよかった」「中国の曲芸」

3日(土) 安子は松江へ。布部村平和五宣言宣言式。午後記念講演。夜座談会。村の有志と懇談晩さん。

4日(日) 午前役場階上で「村つくり懇談会」昼食には、加納氏及び足立議長と。村を辞し、大山に向ふ。富田城趾の山。清水寺。夕方、大山寺部落、山の家に泊まる。

   5日(月) 安子と大山頂上(1715米)にのぼる。壮大な紅葉。夕方米子市で安子と夕食。レストラン白菊で。夜ちどりにのる。

日記によれば、布部村の滞在は、3日間ですが、毎日精力的に活動されたことがうかがえます。

加納加世子さんが、森滝家に到着され春子さんとのあいさつが終わったところで、「布部村への訪問、森滝先生の日記にきちんと書かれていますよ」と日記をお見せしました。

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森滝日記を前にして

その時の思いを加納加世子さんは「最初森瀧市郎先生のあの日記にであえたことは、感激でした。」とメールに記されていました。

この日記を見るなり、加納加世子さんが、たくさんの沢山の資料の中から少し茶色くなったガリ版刷りのチラシを取り出されました。そのチラシには、「文化の日に村民に贈る布部村平和宣言記念の講演討議と映画の夕べ」とタイトルが付けられ、この3日間の意義と11月2日から4日にかけての日程が記されています。森滝先生の日記には、このチラシに書かれた日程通りの行動が記されていますので、加納さんが感激されるのも納得です。

森滝先生の日記に書かれていた「夜『生きていてよかった』『中国の曲芸』」の意味もこのチラシを見れば、よく理解できるので紹介したいのですが、少し長くなりますので、つづきは明日にします。

いのちとうとし

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2023年9月 4日 (月)

広島弁護士会主催「敵基地攻撃能力と憲法9条」講演会

9月2日午後2時から広島弁護士会館3階大ホールで、広島弁護士会主催の講演会「敵基地攻撃能力と憲法9条」が開催されました。

広島弁護士会は、講演会参加をこう呼びかけています。

「2022年12月に、安保三文書が改定され、反撃能力の保有が明記された上、防衛費は今後5年間で約2倍の43兆円とする内容が閣議決定されました。従来、政府は憲法9条に基づく専守防衛を掲げてきましたが、この度の安保三文書は、その防衛政策の大転換となるものです。このような中、市民の方々に安保三文書の内容や、日本の現状を知っていただき、今後の日本と世界の平和のために、日本の進むべき先を市民の皆さんと一緒に考えていきたいと考えています。」

ゲスト講師は、東京新聞記者の望月衣塑子さんです。望月さんの話は、数年前の講演会で、熱弁と鋭い指摘に感心したことがありましたので、もう一度聞いてみたいとの思いで参加しました。

案内チラシでは、講演会は、3時間が予定されていましたので、望月さんの話はそんなに長いのかと思いながらの参加でした。

しかし、講演会には前段がありました。主催者のあいさつの後、「岩国米軍基地・呉自衛隊基地の現地報告」が、組み込まれていました。持ち時間一人10分足らずの報告でしたが、岩国の田村順玄さん、呉の森芳郎さんは、二人とも現地で反基地闘争を取り組んでおられるだけに最近の両基地の増強ぶりがわかりやすく報告されました。岩国基地問題は、それなりにマスコミ報道もありますが、呉基地問題は、ほとんどマスコミに報道されることはありませんので、新鮮な気持ちで聞くことができました。

いよいよメインの望月衣塑子さんの講演です。講演のタイトルは「敵基地攻撃能力と憲法9条~どうなる?軍拡と財政問題~」です。

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配布されたパワーポイントの資料は、この種講演会では初めて手にする132ページという膨大なものでした。

「岸田首相の支持率の現状」から話はスタートし、日米参加国の首脳会談、麻生副総理の「他高く覚悟」発言、処理水海洋放出問題、防衛財源確保法の成立、G7広島サミット・・・、次々と興味あるテーマが続きます。それぞれ取材で得た情報を元に、解説が進みます。

以前と同じ、滑舌のきいた話しぶりには、感心します。

特に、「憲法9条、専守防衛の概念を無視した政策区作りへのマスコミトップらの加担」については、自らがマスコミに身を置く立場だけに、厳しい指摘となりました。

あまりの量に、ここではこれ以上紹介することは無理ですので、終わり部分の話をパワーポイントの資料を使って紹介します。

「記者として私のテーマ 戦争したい人たちに戦争をさせないこと!」

「そもそもメディアの役割とは、権力の監視、チェック」そうだそうだと相づちを打ちながら聞きました。

「何が必要か 多様な声を社会や政治に 連帯し声を上げよう!」自らの体験を交えての提起でした。

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「市民の声を官邸や記者たちへ」

「憲法とは何か 憲法とは支配者の暴走を防ぐもの」

ここで幣原喜重郎の次の言葉が紹介されました。「正気の沙汰とは何か。武装宣言が正気のさたか。それこそ狂気の沙汰だという結論は考え抜いた結果出している。世界はいま一人の狂人を必要としている。自ら買って出て狂人とならない限り世界は軍拡競争の地獄から抜け出すことはできまい。これは素晴らしい狂人である。世界の扉を開く狂人である。その歴史的使命を日本が果たすのだ。」(日本国憲法~9条に込められた魂~)

締めくくりは、ガンジーの言葉でした。

「あなたのすることの殆どは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分自身が変えられないようにするためである」

1時間20分の予定だった講演は、1時間50分の長い講演となりましたが、何度も共感を覚える内容でしたので、充実した時間でした。そしていくつも問題意識を共有できる講演を聞くことができました。

いのちとうとし

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2023年8月30日 (水)

森滝市郎先生と加納莞蕾

四國五郎展を見終えての場面にもどります。

別の部屋から出てこられた女性は、美術館の名誉館長加納加世子さんでした。加納さんは、開口一番「森滝春子さんの体調はどうでしょうか。体調が悪いと聞いていましたので、電話をかけるのを遠慮していたのですが」との問いかけられました。。一週間ほど前にあったばかりでしたので、私が知っている限りの森滝さんの今の様子と、私と森滝市郎先生と関わりについて話しをしました。

「時間があれば、もう少し詳しい話を聞かせていただけませんか」とのことでしたので、同じ敷地内にあるレストランに場所を移して、つづきを話すことになりました。

レストランに入ると「ちょっと待っていてください」と席を離れ、しばらくするとアルバムのようなものを手にして、戻ってこられました。

「四國五郎展で展示された絵本『おこりじぞう』の作者の名前に山口勇子と書かれているのを見て、どこかで見た名前だなと思い、資料を探していたら、見つかったのです。」と言って見せていただいたのが、加納莞蕾宛ての森滝先生の手紙です。見覚えの文字が並んでします。

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この手紙は、便せん3枚に書かれています。内容の本題は、布部村の未亡人会(原文のまま)から送られた「原爆孤児救援義金」に対するお礼です。日付は、封筒、手紙には「二月二三日」としか書かれていませんが、手紙の最後に「只今三月一日(ビキニ三周年)原水爆実験阻止広島集会を準備しています」と書かれていますので、1957年に書かれたものだということがわかります。この手紙の文中に、当時「子どもを守る会」の事務局長だった山口勇子さんの名前が、2カ所で書かれていますので、そのことを思い出した加納加世子さんが、資料を探し見つけ出されたようです。ここでも不思議な縁を感じます。

加納加世子さんの話は続きます。「森滝先生は、一度この布部に来られたことがあるのですよ」と言われて開かれたのがアルバムです。「ここを見てください」と示されたページには、小さな写真がびっしりと貼られていました。「村長在職中のスナップ」と書かれています。

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1ページ全体を写し忘れ、必要だなと思った部分のみ写しましたので、2枚になってしまいました。

このページの上部に、森滝先生が布部村を訪れられたときの写真が並んでいます。一番左上の写真には「村長在職当時のスナップ集」とタイトルが付けられ、それぞれの写真にキャプショが書かれています。この写真には、次のように書かれています。

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写真上部に「nov2 森滝先生を迎えて 布部● 議長足立正一、森滝氏令嬢、森滝市郎教授、加納」、そして写真下部には「november3.1956(昭36) 平和宣言式挙行 森瀧市郎広大教授を迎える」と。森滝先生の同行された「令嬢」は、長女の安子さんだと思われます。

昨日のブログを思い出して欲しいのですが、加納莞蕾が、布部村村長となって「布部村平和五宣言」を制定したのは、1956年です。森滝先生は、その「平和宣言式」に招待され、布部村を訪れられたのです。

アルバムには、その日(11月3日)役場の階上で森滝先生を囲んでの座談会が行われた様子の写真もあります。

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話された内容は不明ですが、森滝先生が笑顔で話されているのが印象的です。これが縁となって、手紙にある布部村未亡人会からの「原爆孤児救援義金」につながったことが想像できます。

実は最初に紹介した手紙のはじめの部分には次のように書かれています。「第一に貴兄が村長を辞職なさったとのこと、全く寝耳に水でびっくりして了ひました。なによりも残念でならないのは、昨秋の平和宣言式で新たに雄々しく出発した貴村の平和への歩みが阻まれてはということです。しかし、又考えてみれば、貴兄が蒔かれた種子が、そんなに容易にふみにじられて了ふやうなことはないと信ぜられます。めざめた村民がもう一度ねむらされるということはあり得ないからです」

お二人の間の揺るぎない信頼を感じます.そこで知りたくなったのは、お二人は何時どこで知り合われたかです。そのヒントになる写真が、アルバムの同じページにありました。

つづきは明日紹介します。

いのちとうとし

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2023年8月29日 (火)

安来加納美術館と加納莞蕾(かんらい)

安来加納美術館での不思議な出会いを紹介する前に、この美術館の設立趣旨をまず紹介したいと思います。そのことが、後の話に繋がると思うからです。

美術館ホームページからの引用です。

「当館は、平成8年(1996年)11月1日安来市広瀬町布部(ふべ)(旧広瀬町)に開館しました。

設立は、故加納溥基により郷里の文化発展を願って、文化活動や生涯学習の拠点となるよう願って設立されてものです。

設立の動機は溥基の父であり画家であった加納辰夫(雅号 莞蕾(かんらい))の作品を収蔵したいとの思いと、戦後莞蕾がフィリピン日本人戦犯助命嘆願活動を起こし、6代フィリピン大統領エルピディオ・キリノ大統領ほかに送った300通に及ぶ嘆願書の往復書簡の控えを保存したいとの思いからです。また、同時に広瀬出身の芸術家から寄贈された作品を収蔵してほしいとの強い要請を受けてのこともありました。

(中略)

近時、当館の最も大事な使命として、戦後加納莞蕾がフィリピン日本人戦犯釈放運動から得た大きな教訓『許し難きを許す』というキリノ大統領の平和への思いを、当館の活動指針として設定して事業運営をいたしております。恒久平和を希求する美術館として邁進していきたいと思っております。」

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ここで注目していただきたいのは「近時」以下の下線を付した部分です。

同じホームページに記載されている「加納莞蕾」についての記載から、その経緯をもう少し詳しく紹介します。

美術を学んだ加納莞蕾は、島根で教職に就いていましたが、1937年画家として生きていくことを決意し、朝鮮に渡ります。そして1938年11月従軍画家を命じられ、中国山西省に行き部隊とともに移動します。1940年その任を解かれ朝鮮の京城にもどり、師団各部隊作戦記録画を作成するとともに京城工業高等学校の講師を務め終戦を迎え、1945年9月家族とともに帰郷しました。

帰郷直後の布部村(当時は独立した村だった)で、フィリピン特攻隊司令官であった元海軍少将の古瀬貴季(たけすえ)と出合い、その古瀬は「戦争は過ちであった」「未来ある青年を死に追いやった私の罪は大きい」と加納に語ります。しかし、古瀬は間もなく戦犯として戦争裁判のためフィリピンのマニラに行きます。古瀬は、その後フィリピンのマニラ軍事法廷で「死刑判決」を受けましが、自らの責任と向き合う古瀬の態度を知った加納莞蕾は、フィリピンに助命嘆願をすることになります。

1949年3月末からフィリピンのエルピディオ・キリノ大統領に「戦犯赦免こそが平和の確立につながる」という考え方にもとづく38通の英文の助命嘆願書を送ります。そして、1953年7月6日、エルピディオ・キリノ大統領は、日本人戦犯の赦免を発表します。赦免された戦犯105人(すでに死刑になった17柱の遺骨とともに)は、1953年7月15日に帰国しました。

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美術館入り口左側に建立された碑

その後も加納莞蕾は、「キリノ大統領が日本人戦犯を赦免したことは、われわれは大統領から大きな課題を与えられたのだ」と言い続け、「戦犯の赦免は『平和へのスタート』であり、大統領の思いに応ずるために、われわれは平和を築かなければならない」と決意し、活動します。

その活動の一つとして、1954年(昭和29年)布部村村長となった加納莞蕾は、1956年に村議会で「布部村平和五宣言」を制定します。

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少し長くなったので、「布部村平和五宣言」の内容は、明日以降紹介しますが、これを読んでいただければ、安来加納美術館が「恒久平和を希求する美術館」として運営されている理由がわかっていただけると思います。

帰宅後、フィリピンのエルピディオ・キリノ大統領の「戦犯赦免」の話は、ずっと以前に広島市立大学の市民講座で学んだことがあったことを思い出しましたが、その時の話に加納莞蕾のことが触れられたかどうかは、残念ながら全く記憶に残っていません。

明日からの話の背景には、こんな歴史があることを知っておいて欲しいのです。

いのちとうとし

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2023年8月24日 (木)

三原地区・府中地区の8月の「19日行動」

【三原地区】

 8月19日の定例「19日行動」は、17時30分から三原駅前において街頭行動を行いました。今月は広島・長崎への原爆投下、アジア・太平洋戦争の敗戦から78年を迎えて、二度と戦争をしないことを改めて誓って12人が街頭に立ち、4人の弁士が意見を述べました。

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今回は、齋尾和望さん(九条の会・三原)のスピーチを紹介します。

「この頃、「新しい戦前」という言葉が新聞紙上で取り上げられるようになってきた。今の日本の政治状況ではないのかと思う。この新しい戦前を煽るような行動が先ごろの自民党麻生副総裁の台湾訪問ではないか。日本は中華人民共和国に対して反攻作戦を行ってきたが1972年、日中共同声明・日中友好平和条約を締結し、戦後の後始末を行ってきた。それに伴い台湾との国交が止まっている。そういう関係からすると日本の政府・要人が台湾に行くことは基本的にあってはならないが今回、麻生副総裁は台湾を訪問した。こともあろうに「戦う覚悟を持とう」という言葉を使った。また来年の総統選挙では、台湾の独立を見いだせるような人を選ぶべきだとも話したようだ。まさに台湾に戦争を仕掛けるような発言である。もちろん中国は反発している。この時期ほっとけない問題発言である。

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憲法を守る、戦争を絶対してはいけないという立場の私たち市民はこの発言を認めるわけにはいかない。日本の取るべき方向は、憲法の精神にのっとって紛争が起こる前にちゃんと話し合いをして紛争が起こらないようにすること。これが日本国憲法の精神(「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きることのないようにすることを決意」)である。そういう意味でも積極的に中国へ行くべきであり朝鮮にも行くべきである。これが日本の考え方ではないのか。日中問題・日朝問題、憲法の精神に基づき、話し合いをすれば必ず明かりが見えてくる。力づくで、軍事力で平和は守れない。これは過去の歴史が証明している。日本のあるべき立場は、あくまでも話し合って紛争を解決すること。そういう方向になってほしい。今回の麻生副総裁の発言から改めてそう思った。新しい戦前が本当に戦中になってはならない。憲法の精神にのっとって、話し合いをする方向で取り組んでもらいたい。私たちはそのことを支持し、これからもそういう思いで憲法を守る・戦争をさせない行動を行っていきたい。」

藤本講治

【府中地区】

安保法制に反対する府中市民の会は、今月も午後3時30分から上下Aコープ前7人、5時から府中天満屋店前6人で、リレートークとスタンディングをそれぞれ30分間行いました。

Aさん

山口県の上関町の使用済み核燃料の中間貯蔵施設の建設調査を、町長の判断で受け入れる決め方は民主主義ではありません。マイナンバーカードの保険証問題同様決めたことなんだから従えという国のやり方と同じです。もともと福井県知事から関西電力に「なぜ福井県だけに中間貯蔵施設を押し付けるのか、県外に貯蔵施設をつくれ」と迫られて行っているものです。中間貯蔵施設と言われていますが青森県六ケ所村に建設された再処理工場が稼働していませんので、中間貯蔵施設は最終処分場になることは明らかです。調査も建設も許してはなりません。反対の声を上げていきましょう。

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Bさん

中国電力は関電に闇カルテルに誘われたものの関西電力に裏切られ、公正取引委員会から707億円を超える課徴金を命じられました。普通であれば関西電力の中間貯蔵施設建設に応じないはずです。個々の会社の経営ではなく背後に国の意思があり、国の判断に行われていることは明らかです。原発は国策であって上関町に押し付けてきています。国民全体が反対の意思を示さなくてはなりません。

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Cさん

いま政府が進めている電気の安定的な供給を確保するため原子力発電所を再稼働させようとしています。また稼働年数を40年から60年に延長しようとしていますが安全に稼働できる訳がありません。日本はどこでも地震が起きており安全性が確保できません。

また核燃料のごみを再処理するところがありません。いまその核のゴミの中間貯蔵施設を山口県の上関町に建設しようとしています。私は絶対反対です。原子力発電や火力発電に頼らない太陽光発電や水力発電、風力発電の小さくコンパクトな施設で電気をつくるようにしたらどうでしょうか。原子力発電は事故が起きれば取り返しのつかない事態になります。

さらに福島原発事故によるトリチウム汚染水を薄めて海に放出すると岸田首相は決めましたが、漁民は反対しています。汚染水を薄めても魚など動物の体に影響を及ぼすものです。絶対に汚染水を海に放出することは許されるものではありません。新たなドーム型の大型タンクを新設すれば解決するといわれており、その用地もあるそうです。東京電力と政府に汚染水の海洋投棄反対を強く申し入れましょう。

小川敏男

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2023年7月24日 (月)

三原の「7・19行動」

7月19日(水)午後5時30分から三原駅前において17人が参加して定例の「19日行動」を実施

しました。今月の街頭行動は、まもなく8月、被爆・敗戦78年を迎える中、6人の弁士が第二次世界大戦の反省から、「もう二度と戦争はしない」という平和への強い意志を込めて誕生した「憲法」・「平和」「戦争」について、改めてみなさんと共に考え合い、行動していこうと呼びかけました。

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スピーチで三原地区労働センター議長の森光さん(広島県教職員組合)は、①「8月6日は何の日か知っていますか」と子どもたちに聞くと返ってきた言葉は「ハムの日」(日本ハム・ソーセージ工業組合によって制定された記念日)でした。…返事をするのに少し時間がかかりました…。広島の学校に通っている子どもたちですので私が期待したのは「原爆の日」と答えてほしかった。その言葉を待って、原爆の悲惨さや放射能の話し、なぜ今、学校で折り鶴を織っているのかなどを話すつもりでした。広島の子は答えられるのが当たり前だろうと思っていました。ずいぶん前の調査ですが、広島に原爆が投下された日を問われて広島市の約70%の人が正解。全国の人は30%でした。教師である私としたら「原爆の日」と答えてほしかったなと思いました。「ハムの日」からどのように切り替えようかと迷っていたら、別の子どもが「原爆の日でもある」と答えてくれました。良かったなと心の中で思い、そこから佐々木禎子さんの話などをつなぐことができて少しは安心しました。②このことからわかることは、子どもたちにきちんと戦争や原爆の話しを伝えていかなければならないということです。それは私をはじめとする大人たちの責任です。分かっているだろうとかテレビで報道されているから知っているだろうとかではダメなんだろうと思います。伝えた子どもが自分のこととしてしっかり考えて自分が行動できる。そこまでアシストしなければいけないんだろうと思います。③私の母方の祖父は入市被爆して私が高校生の時に亡くなりました。病気で亡くなる少し前に血液型が一緒だから輸血を行いました。また私の父方の祖父は通信兵としてラバウル島へ戦争に行きました。そうした話を聞いて私は育ってきました。今年で被爆、戦争が終わって78年です。もう直接戦争の話を聞ける人はとても少なくなってきました。だからこそその事実を知っている、その悲惨さを知っていることを次に伝えるために自分でできることをしていきたい。今、学校に勤めていますので目の前にいる子どもたちに戦争の悲惨さ、平和の大切さを伝えていきたいと考えています。④世界ではウクライナをはじめ各地で戦争が続いています。今年になりますが広島市の小学校で使用する平和教材から「はだしのゲン」が削除されました。戦争や原爆の背景を教えていくのは難しいですが、伝えていかなければなりません。日本の今年度の防衛費は約7兆円、その一部でも教育費に回してもらうとどんなにか子どもたちが幸せなのか。岸田政権はぜひ考えてもらいたい。防衛費が11年連続で増額されています。日本は戦争のできる国に突き進んでいます。だからこそ今、私たち市民一人ひとりは平和について考え、行動していかなければなりません。職場の隣の席の人、目の前の子どもたちにぜひ平和のことについて声をかけ、行動していきましょう。と戦争・被爆の実相を継承すること、平和教育の大切さを訴えました。

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平和公園・原爆死没者慰霊碑の「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれた碑文、戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉。「ヒロシマの心」を胸に刻んで、戦争法の廃止を求めて行動を行っている「戦争をさせない三原市民行動」これからも継続していきます。

藤本講治

【編集者】藤本さんからの原稿は、20日に届いていたのですが、府中地区と2回に分けて掲載することにしたため、遅くなりました。

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2023年7月22日 (土)

府中地区の7月「19日行動」と「反核平和の火リレー」到着式

府中地区:7月の「19日行動」リレートークとスタンディング

【場所と参加人数】

今日は出かけるときは晴れ、行く途中は大雨、上下は晴れて、府中は雨のち晴れと雨が降ったりやんだりでした。

上下Aコープ前 午後3時30分から7人、府中天満屋店前5時から12人、いずれも30分の行動でした。

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上下Aコープ前

【リレートーク】

Aさん 広島で行われた5月のG7サミットは、核抑止論を肯定し核兵器の廃絶の方向を示しませんでした。世界中の人が被爆地ヒロシマで行われるからにはとG7に期待していたのに裏切られました。今日の新聞に、「被爆者6団体の代表が広島市長と面会し、原爆の日に読み上げる平和宣言に、核抑止体制からの脱却や核兵器禁止条約への参加を日本政府に訴えるよう要請した」と載っていました。どんなに困難でもどちらにも物が言える専守防衛の国であらねばなりません。

Bさん 先の戦争のことが忘れられようとしています。2回目になりますがお話します。78年前に上下駅であったことです。全国の地方都市が空襲にあっていたとき広島市だけが空襲がありませんでした。そこで軍部は必ず広島市に空襲があるだろうと建物疎開を行う部隊をつくらせました。こちらでは本部を上下に置き、甲奴と神石の名前をとって甲神(こうじん)部隊が300名で結成されました。自分の祖父も部隊に入っていました。年は42歳で、「40を過ぎているから徴兵はないだろう」と思っていたそうです。8月3日に300名が上下駅を出発してその日に広島市に入り、4日、5日と作業して、8月6日をむかえたそうです。祖父は大やけどの状況で三次の陸軍病院へ入り17日になくなりました。他の300名の方も上下駅へ帰ることはなくほとんどなくなられました。平和憲法はこうした戦争の反省から、二度と戦争をしないという国民の決意です。戦争するための法律安保法制は許せません。

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府中天満屋前

Cさん 2021年に発効した核兵器禁止条約を署名・批准している国は92か国ですが日本は批准していません。オブザーバー参加もしていません。ほんと核兵器をなくさないと地球はなくなってしまいます。7月の世論調査でも「東京電力福島原発の処理水海洋投棄は説明不十分が8割に上っている」と報道されています。原発の処理水の海洋投棄でも旧統一教会の問題でも自民党はあいまいにしようとしています。あいまいにさせないよう反対の声をあげましょう。

Dさん 袴田さんの冤罪事件で検察は控訴をしました。ただただ検察のメンツだけの控訴です。狭山裁判の石川さんしかり冤罪事件を長引かせる検察は許せません。

Eさん 今日も車の中から手を振って頂きました。「僕たち子どもの未来をかえしてください」という高校生の声もありました。安保法制は違憲状態です。平和を守っていくために戦争の準備をしてはいけません。平和の準備をすべきです。今日もこの場を利用させていただき私たちの思いを訴えさせていただきありがとうございました。これからもよろしく願いいたします。とお礼をのべて終わりました。

 

その後、6月8日の祝島島民の会裁判傍聴報告、7月9日に行われた戦争法廃止尾道総がかり行動実行委員会主催の連続憲法講座の報告、三原市の産廃処分場問題で控訴した広島県知事に抗議ハガキを送ることなどを相談し終わりました。

小川敏男

【反核平和の火リレー到着式】

7月3日の午前8時15分に平和公園慰霊碑前をスタートした反核平和の火リレーは、県内を一周し昨日午後6時に10人のランナーによって平和公園慰霊碑前に無事に帰ってきました。

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途中悪天候のため、一部区間を短縮せざるを得なかったようですが、県内23全市町を走り継ぎ、間違いなく大きな平和の火を灯してきました。

到着式では、実行委員会新田康博実行委員長が、走破報告を行いトーチの灯火が消灯されました。

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来月4日から始まる被爆78周年原水爆禁止世界大会広島大会にこの運動の成果を引き継がなければならないと決意しました。

いのちとうとし

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