騙されてもまだ信じ続けるのですか?
――専門家としての責任とは――
前回は、IOCの関係者による、日本という独立国家の主権侵害について異議を唱えました。菅総理がG7首脳会議で主張すべきなのは、独立国としての主権の神聖さです。
次に、「このようなパンデミックという状況でオリンピックを開くなどということは、普通はあり得ない」という趣旨の尾身発言を取り上げました。田村厚労相の「自主的研究」が、時代錯誤であることも指摘しました。
でもそれだけでは十分だとは言えません。マスコミは、「真理・科学を守る尾身会長」のようなイメージで尾身氏を持ち上げ、科学の側に立つマスコミという雰囲気づくりに走っていますが、それも眉唾です。
首相官邸ホームページ, CC BY 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by/4.0>, via Wikimedia Commons
ここでは、「専門家」という権威の下、私たち素人を欺いてきた人たち、仮に「欺く」という意図はなかったにしろ、多くの素人たちに誤った印象を与え、結果的に世論操作という重大な政治的役割を果した人たちを俎上に載せます。もちろん、危険を冒して、しかも命を削って現場で頑張って下さっている医療関係者、その他の皆さんには感謝の気持で一杯です。
《「全国一斉休校」の正当化》
マスコミではそれほど大きく取り上げられなかったのですが、「専門家」が責任放棄をした例として重要なのは、昨年3月2日に発表された、「専門家会議による見解」です。
その中で、「専門家」たちは、2月27日に突然、安倍総理が宣言し、29日には記者会見で説明した「全国一斉休校」に科学的根拠があることを、明示的には言っていませんが、論理的にはその結論になってしまうという形で、保証しているのです。
詳しい内容は、昨年のこのブログの4月16日の記述を中心に、数回にわたる説明をお読み下さい。簡単に要約しておくと次のような趣旨なのです。
- この一両日中に北海道のデータも含めて分ったこととして、若者が感染しても症状が軽いため街中や遠隔地に旅行することで、中高年層に感染を広めている。
- そして、見解の最後に「10代、20代、30代の皆さんへ」と特に、10代をその中に入れて、次のような強いアピールをしているのです。
6.全国の若者の皆さんへのお願い
10代、20代、30代の皆さん。
若者世代は、新型コロナウイルス感染による重症化リスクは低いです。でも、このウイルスの特徴のせいで、こうした症状の軽い人が、重症化するリスクの高い人に感染を広めてしまう可能性があります。皆さんが、人が集まる風通しが悪い場所を避けるだけで、多くの人々の重症化を食い止め、命を救えます。
③ つまり、全国一斉休校をして、10代の若者が人の多く集まるところに行かなければ中高年への感染や重症化を食い止められるという意味なのです。
④ しかし、この時点までのデータでは、特にクラスターの発生を見ても10代の若者が感染したという事実も、彼らが元になってクラスターが生じたという事実はありませんでした。しかも、クラスターの発生場所や施設等の機能を見ても、10代の若者が利用したり行ったりすることはほとんどあり得ないものばかりでした。
④ そしてそれまでに公表されていたWHOの報告では、10代の子どもたちの感染は家庭内感染が多く、それも大人から子どもへの感染であることが示されていた事実も無視しての結論だったのです。
このように、科学的・論理的な筋道から逸れてまで、安部総理大臣の全国一斉休校には「科学的」根拠があるかのような「見解」を示すことは、「専門家」としての責任を放棄したことになるのではないでしょうか。
《「37.5度以上の発熱が4日続いたら相談して欲しい」》
厚労省は昨年2月17日に、コロナに感染しているかどうかについて、PCR検査を受けられるかどうかの基準として、「37.5度以上の発熱が4日以上続いた場合」(高齢者や妊婦、基礎疾患のある人については2日)という「相談・受診の目安」を示しました。マスコミでも広く報道され、現場で相談や受診を取り仕切る保健所でも、4日経過しなければPCR検査を受けさせない、という徹底した運用が行われてきました。
しかし、4月22日の記者会見で、専門家会議のメンバーである釜萢敏・日本医師会常任理事は、「普段は診察を受けないような人でも、4日間経過を見て症状が続くようなら相談してほしいという趣旨だ」に相当する発言をしています。公的機関や医療機関が相談に応ずる上での最低必要条件として、4日間症状が続かなくてはダメだ、3日ではダメなのだという運用をし、それをそのまま受け止めてきた私たちが、「誤解」していたのだと言わんばかりの説明なのですが、でも「4日間」は変っていなかったのです。
とは言え、重症化の危険性のある人については、「2日間経過を見て」という条件が削除され、症状が現れたらすぐというように改められましたので、この点は評価できるのかもしれません。
しかし、昨年3月29日に亡くなられた志村けんさん、そして4月23日に亡くなられた岡江久美子さんのお二人とも、まず症状が出て、その後、自宅で様子を見ている2、3日のうちに容体が急変し、搬送されて病院で治療を受け、その後のPCR検査でコロナの陽性が分るという順序なのです。
お二人とも、高齢者ですので、コロナの可能性のある症状が出た段階でPCR検査を受けて下さい、という政府の方針があれば、あるいは検査を受けたい人は誰でも検査をうけられるという方針が採用されていれば、危機的状況になる前に、あるいはそれが避けられなかったのであれば、何とか危機を脱することができた可能性もあったのではないでしょうか。
そして、「37.5度以上の発熱が4日続いたら相談して欲しい」という方針は、専門家がその気になれば撤廃できたはずなのです。
国民の命を最優先するのが政治の役割であるのなら、また、感染の危険性を「検査」という手段で判定して、適切な医療を提供するのが「専門家」の役割であるのなら、それぞれの役割を果さなかった責任を問われても当然ではないでしょうか。
ここまで書いてきて気付いたことは、「専門家」という権威をまとって、恐らくは善意で発言してきた結果として、私たち素人の期待を裏切った人たちにも責任があることを論じつつ、その背景には、「専門家」、特に医療の専門家には私たち一般的庶民のレベルを超えた役割を担い果してほしいという期待、悪く言えば甘えがあることです。さらに、それが社会一般に広く浸透している価値観だとすると、その一部である「専門家」の側にもその期待に応える責任も生じているということです。
[2021/6/11 イライザ]
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