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音楽

2021年12月 2日 (木)

音楽が好きになる理由は何でしょうか? ----音楽のセンスの良さ?楽器が弾けるから?音楽理論の理解?それとも?---

音楽が好きになる理由は何でしょうか?

----音楽のセンスの良さ?楽器が弾けるから?音楽理論の理解?それとも?---

 

音楽の好きな人は多いようです。その証拠にテレビのドラマだけではなく、ニュース番組でも音楽がないと、何となく白けてしまいます。アニメの音楽はそれだけでベストセラーになったりしています。

 

 では何故、音楽が好きになるのかということを考えて見ましょう。音楽通を自認している人なら、「自分には音楽のセンスがあるから」ということを自然に感じているでしょうし、それが理由だと思っていても不思議ではありません。あるいは、楽器の弾ける人は、楽器を通しての音楽との関係が深いことを日常的に感じているでしょうから、それが理由だと考えるかもしれません。あるいは音楽理論に精通している人なら、理論的な理解の深さが自分の音楽理解の基礎になっていると考えるかもしれません。

 

「好きになる」を「心に響く」と言い換えると、音楽が心に響くためには何が必要なのか、という問と「音楽が好きになる理由は何か」という問とは、ほぼ同じ意味を持つのではないかと思います。それについて、大阪学院大学の谷口高士教授は次のような説明をしています。

 

 音楽を 「心に響かせる」ためには何が必要なのか。楽曲が持つ感情成分や作品の 完成度(それを実現させる作曲や演奏の表現力)はもちろんだが,受け止める人にとって大切なのはそれを見極める力,作品の内包する意味を理解する力である。それはすなわち音楽の認知的枠組みの洗練であり,また,新たなものを受け入れていく柔軟さである。これらは必ずしも音楽の専門教育で身に付くことではなく,日常生活の中で触れる様々な刺激に対して敏感であること,多くの曲に深く接することが必要だろう。そのためには,音楽の受容の在り方を左右する鑑賞態度も重要である。また,感情体験や出来事の記憶と音楽との結びつきによって,音楽は独立して存在するものではなく,人生と深く関わるものとなる。従って,音楽を聴いたり演奏したりする行為やそのための準備そのものを楽しむこともまた,この結びつきを深める 。

 

専門的かつ深遠な真理のような気がしますが、でも子どもの頃からの経験に照らすと、ラジオで良く流れていた歌が好きだったとか、車で両親の好きだった曲を何度も聞いたというようなことがきっかけなのかもしれません。

 

 実はその通りだということを、音楽好きの息子が教えてくれました。つまり、何度も何度も同じ曲を聞いていれば、その曲が好きになる、という因果関係は多くの実験によって確認されているというのです。何かに接触する回数が多くなるとその「何か」に好意を抱くようになる、という因果関係を「単純接触効果」というのだそうです。

 

 この研究結果は1960年代後半にザイアンス(Zajonc, R.B.)によって示され、その後も研究が続いているとのことです。

 

 その「何か」は音楽に止まらず、味や図形、写真や漢字等々、ほぼ全てのものが対象になるとのことです。

 

 最近ではあまり見られなくなったのかも知れませんが、職場を毎日のように訪れる「おばちゃん」のようなイメージの人が職場の皆と仲良くなって、次々と生命保険の契約を取って行くという話が良くありました。これなど、単純接触効果の典型例なのかもしれません。

Train_interior_of_toyama_chiho_railway_1  

白戸家のお父さんをイメージにしたフリーWi-Fiのサイン

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Train_interior_of_Toyama_Chiho_Railway_10030_series_05.jpg

naosuke ii, CC BY 2.0 <https://creativecommons.org/licenses/by/2.0>, via Wikimedia Commons

 

コマーシャルでは、ソフトバンクの「白戸家」のお父さんの姿に最初は違和感を持っていても、いつの間にか定番として受け入れてしまっていること等ももう一つの例かも知れません。

  [2021年12月2日 イライザ]

 

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2021年10月 1日 (金)

2021年9月17日に公表された、小山田圭吾本人による謝罪と経緯説明 ――小山田圭吾事件が問いかけているのは? (8)――

2021年9月17日に公表された、小山田圭吾本人による謝罪と経緯説明

――小山田圭吾事件が問いかけているのは? (8)――

 

  今回は、「いじめ」の被害者を守るための「第三者機関」についての提案をする積りでしたが、その前に考えておくべきことが起きました。

  ウイキペディアによると、「2021年9月17日、小山田圭吾本人による謝罪と経緯説明 (以下「説明」と略します) がCorneliusのHP、及び本人のInstagramに掲載された」そうですので、できればその全文をお読み下さい。

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  元々このシリーズの発端になった、1994年発行の『ロッキング・オン・ジャパン(1994年1月号)』 (以下『ロック』と略します) と、翌年の『クイック・ジャパン(95年vol.3)』 (以下、『クイック』と略します) に掲載されたインタビュー記事については、第一回で取り上げました。

  その際、三つの問題点を指摘しました。一つは、小山田が学校行った「いじめ」そのものです。二つ目は、それを12年も経ってから「武勇伝」として公にしていることです。そして三つめは、被害者からの年賀状を公開し、被害者ならびに被害者の母親を嘲っていることです。

  今回の「説明」では、一つ目は『ロック』に掲載された「いじめ」のいくつかについては自分では手を下していない、つまり実体がなかったという言い訳をしています。その上で、だから二つ目も二次被害を与えたかもしれないが、自分が話した内容よりはセンセーショナルに書かれてしまっているという趣旨の説明になっています。三つ目については言及がありません。

  私も当初、二つ目の問題については、「二次被害」という側面を強調しました。でも今回の「説明」を読んでの違和感はそれだけでは表現できません。「一次」的な面に着目する必要があるからです。

  一つには、学生時代に酷い「いじめ」をした、それも相手が特定できる個人を対象にしたものであることを、全国的に流通している雑誌で公開すること自体が酷い「いじめ」であるという点です。被害者の視点からは「二次被害」ではなく、「一次被害」として捉えるべきだという点です。

  次に、物理的に相手に排泄物を食べさせたり、マットレス巻きにしたり、ひもで縛って自慰行為をさせたりということを仮にしていないにしても、「そういう行為を誰々にした」と公の場で自慢すること自体が「いじめ」なのです。それも「一次被害」ですす。

  この点について、伝わりにくい感じもしますので、極端な例を挙げることでその酷さを強調しておきましょう。「説明」の中では、次のような意図で、実際はしていない「いじめ」にもかかわらずそれが自分の行為であることにしてしまったと述べています。「露悪的なキャラクターを演じることで世間からの見られ方を変えようとしていました。過剰で自虐的なリップサービスを必要以上に行うこと」にした、というのです。

  つまり、「二次被害」を与えてしまった「動機」があり、その点は理解して欲しいということなのだと思います。その気持は分りますが、動機としてイタリックで表記した部分は、極めて自己中心的です。それも問題なのですが、自己中心的な動機があったことで、被害者が受けた心の傷や人間としての尊厳の無視などが許されるはずもなく、全く別次元で考えなくてはならないことなのです。

  その点を明確にするために「思考実験」をしてみたいと思います。前提として、ある人Aが、自分に対する世間の見方を変えるために過剰で自虐的なリップサービスを必要以上にしたい、という「自己中心的」な目的があったとします。そして「思考実験」として、「自己中心的」な目的達成のために、次のような「嘘」を全国的な雑誌の中で公開したとしましょう。

「自分は、自分の家族 (あるいは親しい友人に) に、排せつ物を食べさせ、マットレス巻きにし、自慰行為を強制した」

  仮に、こんな言葉が雑誌に乗り多くの人の目に触れたとしたら、当該家族あるいは友人は、まずAが何故そんな「嘘」をつかなくてはならないのか、それを公刊されている雑誌に何故載せなくてはならないのかを不思議に思うでしょう。Aに精神鑑定を受けさせても不思議ではありませんし、「勘当」とか「親子の縁を切る」、永遠に「絶交」する等の結果になったとしても仕方のない行為だと考えられます。

  このことだけからも明らかなように、「嘘」であっても、家族や友人に対して自分がこの種類の「いじめ」をしたと広言することはあり得ないのです。ですから、小山田事件の実際の被害者を「友人」だと規定している「説明」の文章とは大きな矛盾があることになります。そして、仮に被害者が抗議をしたとしてもそれがAにとってはどうでも良いというくらいの弱い立場にある人間を標的にしていることもハッキリしてきます。

  さらに問題なのは、仮に、このような行為に実体がない、つまり嘘をAが出任せに言っていたとしても、これが単に「いじめ」に止まらず、Aの家族あるいは友人に対しての許しがたい、人間の尊厳を無視している侮辱であり、言葉による暴力、人権侵害であることは一目瞭然なのではないでしょうか。あなたの親しい友人から、あなたがこのような被害を受けていたという「嘘」を、雑誌でもネットでも良いですが、広められたとしたらどう感じるのかを想像してみて下さい。

  言うまでもないことですが、ネットを介しての「いじめ」の多くは、これと同種類の「言葉」による「いじめ」ですし、多くの場合この種の「いじめ」には実体のないことも良く知られています。

  繰り返しますが、「説明」の中ではこの新たな「人権侵害」、「人間性の否定」は、単なる「二次被害」というレベルで捉えられています。「二次」ではなく新たな「一次」レベルの「いじめ」、それも人権侵害、人間としての尊厳を侵す深刻な行為であるという認識のないことが問題です。

  オリンピックで重要な役割を任されるような、知名度もあり広い交友関係もある人なのですから、周囲にこのような本質的な点について、きちんと説明し諭してあげられる人はいるはずです。もう一度、自分の行為についての自覚をした上での反省ができるように、その内の何方かが骨を折って下さらないものかと祈っています。

 [21/10/1 イライザ]

 

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2021年8月21日 (土)

「人間」に対する罪 ――小山田圭吾事件が問いかけているのは?――

「人間」に対する罪

――小山田圭吾事件が問いかけているのは?――

オリンピック・パラリンピック開幕直前、開会式前の7月14日に浮上したのが、開会式の作曲担当者として発表された小山田圭吾による、過去の「いじめ」事件です。

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ハフポストから

この事件の概要は皆さん御存じのはずですが、Yahoo!ニュースJapanの7月18日付、篠田修司氏のまとめが分り易いので、彼の記事から引用します。全文もお読み下さい。

問題となっているのは、1994年に発行された『ロッキング・オン・ジャパン(1994年1月号)』と、翌年の『クイック・ジャパン(95年vol.3)』に掲載されたインタビュー記事です。

記事では小学生から高校生にかけての学生時代に「障害者をいじめていた」と告白。後述しますが、批判しているブログや報道によるいじめの内容を簡潔に書くと

    ・段ボール箱に入れてガムテームでぐるぐる巻きにした

    ・ジャージを脱がして裸にした

    ・(山形マット死事件の例を出しながら)マットレス巻きにした

    ・うんこを食べさせた

    ・バックドロップをかけた

    ・洗濯紐で縛って自慰行為をさせた

などなどです。

いじめではなく明らかに犯罪であり、文章の書き方も後悔しているのではなく自慢気に読めたことから「障害者をいじめていた人間がパラリンピックに関わるのか」、「五輪憲章に違反している」と炎上しました。

篠原氏が指摘しているように、小山田の行為は言い訳のできない犯罪です。そして、それを全国的に流通している雑誌二誌で「武勇伝として」語っていることも、当然、人権侵害です。被害者は二重の被害を受けているからです。これは、被害者本人にとっては「二重」では言い表せないほどの深刻な攻撃です。

《親としての立場から》

さらに「親」としての立場からこの事件を知って、どうしても許せないのが、『クイック・ジャパン(95年vol.3)』のインタビューです。

その詳細を報告・報道しているサイトはいくつもありますが、ここでは私が閲覧した中で一番詳しく報じている「にこスタ」から、内容を抜粋します。その記事は、「村上清のいじめ紀行・第一回ゲスト小山田圭吾」 (「いじめ紀行」と略)、で、長さは51~72ページにも及ぶものだったとのことです。「いじめ紀行」の中では、被害者の仮名が使われていますが、ここでは「被害者」という表現を使います。

この「いじめ紀行」で報じているショッキングな「事実」として、小山田が15年間持ち続けていた年賀状が登場します。

Photo_20210820234801

この年賀状についての小山田の次のようなコメントに憤りを感じない人がいるのでしょうか。

Photo_20210820234802

二つの画像は、「Tomo」さんのツイッターからお借りしました。

以下、私の推測ですが、被害者はお母さんに、自分がいじめられている事実を話せなかったのだと思います。自分のことを誰よりも愛してくれている、そして心配してくれているお母さんに、「ボクはうんこを食べさせられている」って言えないでしょう。でも、子どものことを心配している母親は、同じ部活(太鼓部だったそうです)で一緒の「友達」の名前の中から、「小山田」という名に気付き、「わが子と一緒に遊んでいてくれている」と思ったのではないでしょうか。ことによると、「そう思いたい」気持が、それから先の詮索にまで行き着かなかったのかもしれません。

そしてその関係が続くように、祈るような気持で、子どもと一緒に年賀状を書き、それを小山田に送ったのではないでしょうか。

小山田はその年賀状を15年間も保管して、この親子をあざ笑うために『クイック・ジャパン(95年vol.3)』公開したのです。

ことによると、真実はもっと醜いのかもしれません。『クイック・ジャパン(95年vol.3)』誌のインタビューで小山田は、自分は年賀状を出していないと言っています。しかし、被害者親子の送った年賀状には、「手紙ありがとう」という言葉があります。こちらの方が真実であると信じて良いのではないでしょうか。普通に考えて、年賀状に貰ってもいない手紙のお礼は書かないでしょう。

つまり、それが年賀状なのかその前の手紙なのかは分りませんが、小山田は被害者に手紙を郵送したか、手渡ししているのです。そしてその内容は、母親が我が子に「年賀状を書きましょう」と言わせるような内容だった、少なくともそう考える上での障害にはならないものだったということでしょう。

いつもは、想像を絶するような悲惨な行為を繰り返している相手に、なぜ小山田はそんな内容の手紙を送ったのでしょうか。大変大きな疑問符です。

ここで大胆な推理をします。被害者が小山田に年賀状を送るように仕向けるためだった――と仮定すると、それを15年間、持ち続けていた意味も分ります。

私は小山田を、それほどの悪人に仕立て上げたくはありません。どこかに人間性が残っていると信じたいからです。その願いが通じるような説得力のある説明を、仮説で十分ですので、何方か示して頂けないでしょうか。

 長くなりました。この先で、この種の「犯罪」を「いじめ」で終らせてしまっている現在の法制度、社会認識を改めるための問題提起をしたかったのですが、次回に延ばします。

[21/8/21 イライザ]

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2020年4月22日 (水)

新型コロナウイルス危機・EXTRA ――免疫力を高めましょう――

新型コロナウイルス危機・EXTRA

――免疫力を高めましょう――

 

昨日、このシリーズも10回目を迎えました。この間、お読み下さり、「ポチ」をして下さり、またコメントを下さった皆様、有難う御座います。でも長くなると、やはり単調になりますし、私の主張もマンネリ化しているのではないかと危惧しています。そして、「自粛」はやはり疲れます。

そんな、悩みを一掃するために、今回は「お休み」を頂いて、ホッとするイメージや、元気の出る歌、そして、免疫力が高まること請け合いの「COMPILATION」をお送りします。楽しんで頂ければ幸いです。

ことによると著作権上の問題があるのかもしれませんが、お気付きの方は御一報下さい。削除等の対応をさせて頂きますので。

 

  • 一つ目は、ハガキです。作者は不詳ですが、メッセージは鮮やかです。

S__32555015

 

  • 二つ目は替え歌です。元歌にはいろいろ意見があるようですが、替え歌はほぼ100パーセント支持して貰えるのではないでしょうか。

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https://youtu.be/pUDRlUhGOao?list=TLPQMjEwNDIwMjBOV1RD1t-RUw

 

  • そして最後は、元々の作者が意図していない誤りのコレクションです。NETGEEKさん作ですが、天才ですね。全部で33ありますが、3回ぐらいに分けないと、腹痛を起こします。(私は起しました。)

 

http://netgeek.biz/archives/116351?fbclid=IwAR3I-pCgMCXnWxqd8c-azkYsacseCtT95VBXxodqF_cTID9CDjUFlUI61pY

 

[明日は、遊川さんの爽やかなコラムです。私のシリーズは24日に続きます。]

 [2020/4/22 イライザ]

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コメント

今日は笑わせていただきました。
笑点なら座布団が何十枚も必要です。
ネット上には、アフターコロナにも価値のあるコンテンツが次々に公開されています。

ところで、私は30年くらい、手書きで文章を書いていませんが、手書き、キーボード入力、音声入力と、効率的になることに反比例して、ミスは多くなっています。昔は、メールでも間違いに気づくとあとで訂正したりしていましたが、最近は相手も分かるだろうと放っています。もしかすると笑われていることもあるかも知れないと思いました。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。

入力ミスが多くなったのは、私も同じです。でも、眼も随分悪くなってしまい、ミスの程度がとても耐えられなくなったので、最近ではフォントサイズを大きくして、送信する前に必ず、一度はゆっくりプルーフ・リーディングをしています。それでもミスの根絶には至っていないのが、残念ですが。

昨日の専門家会議の会見で、私も誤解していたとされることがありました。それは「37.5度以上の発熱が4日続いたら相談して欲しい」というメッセージです。
多くの解説でも「37.5度以上の発熱が4日続くまでは自宅待機で、それ以上になったら相談」=「4日間は黙って経過をみる」というものだったと思いますし、私自身も感染症の対策としては普通の風邪や季節性インフルエンザなどでないというエビデンスを得るには、当然のことだとも思っていました。

ところが、昨日の会見で釜萢敏常任理事は「2月の段階で言ったことは、体調が悪いからといって皆さんすぐに受診されるわけではないので、いつもと違うという症状が、少なくとも4日続いたら、普段はあまり受診をされなくても、今回に関しては相談して欲しい、という意図で、特に感染の蔓延が疑われる状況では、基礎疾患があったり高齢の方や、妊娠していたり、リスクの高い方は、いつも体調が違うと思われたら、すぐに相談して頂きたいということで、これまでの方針と大きく変わるというわけではない」と説明されており、些か驚きました。


「工場長」様

コメント有り難う御座いました。

37.5度、4日間というのは、マスコミも含めて、ほとんどの人は、受診できるあるいは相談に乗って貰える最低限の条件として受け止めていたのではないでしょうか。たとえば、あるコメンテーターは、「37度5分もあったら苦しくてとても4日間我慢してはいられない。それでも診察して貰えないのは困る」ということを言っていました。

それに、症状が重いと自覚して、指定された番号に電話をしてもPCR検査もして貰えないし、自宅で様子を見るようにと言われたという、ネット上の報告もかなりありました。マスコミでも取り上げていたのですから、その当時それに対してのコメントならまだ分りますが。

正直、このコメントには驚きました。
新型コロナウイルス感染症対策専門家会議は、諮問機関としては異例の記者会見を行っていますが、それは政府の発表や行政文書だけでは、国民に必要な情報が伝わらないだろう、国民により正確な情報を伝えようという意向があってのことだろうと考えていました。

ところが、2月に発表したことの真意が伝わってなかったということを今頃言い出すということは全く理解のできないことです。メディアを見ればすぐに分かったはずの、国民にどう伝わったのかということを全く確認しなかったのか、それとも無視していたのか、それこそ何か配慮や忖度があったのか、いずれにしても驚きました。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。

3月2日の「見解」も「専門家」の結論という形で出されているのですから、そこに、不正確な内容が含まれていることは大問題です。特にこの頃から、「専門家」の発言には不信感を持たざるを得なくなりました。

名指しまではしませんが、信頼できない人に交じって、信頼できる専門家のいることは、とても有り難いと思っています。

押谷教授は4月18日の日本感染症学会で「厚労省の検査基準(37.5度以上の発熱4日以上など)の決定には私もクラスター班も一切関わっていない」と発表したと報じられています。あの人達は一体何のためにいるのでしょうか。

「押し花」様

コメント有り難う御座いました。

重要な点なのですが、「専門家」たちの苦しい言い訳で、自分たちの価値を貶めていますね。この点については、4月22日には、「工場長」さんが、釜萢敏常任理事の言葉を引用してくれています。

「2月の段階で言ったことは、体調が悪いからといって皆さんすぐに受診されるわけではないので、いつもと違うという症状が、少なくとも4日続いたら、普段はあまり受診をされなくても、今回に関しては相談して欲しい、という意図で、特に感染の蔓延が疑われる状況では、基礎疾患があったり高齢の方や、妊娠していたり、リスクの高い方は、いつも体調が違うと思われたら、すぐに相談して頂きたいということで、これまでの方針と大きく変わるというわけではない」

今度は、押谷教授ということですね。

ここで取り上げた3月2日の「見解」に見られる「忖度」と、同工異曲ですね。

今日の国会で加藤功労大臣も「37.5度が4日も続いたら相談して欲しい、いつもと様子が違ったらすぐに相談して欲しいと言っていたが誤解されており、それは何度も訂正した。保健所のせいではなく、皆でやらないといけない」という答弁、誤解は保健所のせいで厚労省のせいじゃない、ということですね。こういうのを歴史修正主義というのでしょうか。

「国会ウォッチャー」様

コメント有り難う御座いました。

本当に酷いですね。このところずっと腹が立っています。

でも、これって、「歴史」と言うより「昨日の今日」ですから、「舌の根の乾かぬ内に」、またまたの「責任転嫁」のような気がします。

4、5日は待って様子を見る、という指示に従って急に容体が悪化し、亡くなった方がいるのですから、真摯に責任を取って欲しいと思います。

2019年8月29日 (木)

広島朝鮮歌舞団公演-成功裡に再スタート

一昨日午後6時30分から「広島朝鮮歌舞団公演」がアステールプラザで開催されました。私も、朝被協の金鎮湖さんから「妻がぜひ参加してほしいといっていますので」という電話をいただき、久しぶりの広島朝鮮歌舞団の公演に参加しました。

広島朝鮮歌舞団は、1967年に結成され、最大時には16名も団員がいたという歴史を持っていましたが、様々な事情で一昨年以来その活動を停止していたようです。しかし、これまで歌舞団で活躍してきた多くのOGなどが声を上げ、その努力が実り今回4名の団員がそろい、再スタートを切ることになり、今回の初公演となったのです。そのことを電話で聞きましたので、私も喜んで参加しました。

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当日配布されたプログラムにも書かれていますが、広島朝鮮歌舞団は「朝鮮の音楽と舞踊を学び、同胞たちには故郷の香りと夢と希望を与え続ける」存在でした。と同時に、私たち日本人との友好親善を深めるための大きな役割を果たしてきました。

私が、広島朝鮮歌舞団と最初に出会ったのは、1973年です。毎年夏に行われる今も続いている「青年女性平和友好祭」の会場でした。その歌や民族楽器の演奏、踊りは、初めて目にする舞台でしたので、そのあでやかな民族衣装とともに、出演者の絶えない笑顔は、忘れられない強い印象として残りました。その後は、平和友好祭だけでなく、朝鮮総連の行事等で見る機会が増えましたが、何時も変わらず参加者の大きな拍手を浴びる光景は忘れることができません。こんな体験を持っていましたので、「広島朝鮮歌舞団」が活動を停止したと聞いた時には、在日朝鮮人の人たちは、さぞがっかりされたことだろうなと想像していましたので、今回の再スタートは、私にとってもうれしいニュースでした。

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公演の中ほどで、最も若い団員黄玲実さんの語りがありました。ハングルでの語りでしたので、私には理解できなかったのですが、会場で配布された「プログラムの解説」には、日本文が付けられていますので、一部紹介します。タイトルは「私が行く道」です。

「ああ、ついに来た今日のこの日/私が行く道、青春をかける価値ある/広島朝鮮歌舞団    ・・・私が卒業を迎えた高校3年生の昨年/人生の歩む道を選択する進路の道で/どれだけ悩みと涙を流したことだろうか/(略) 幼いころからの夢/朝鮮舞踊で自分を生かせる夢/10歳から学んだ朝鮮舞踊/初級部から舞踊部で学び、研究所で習い/正月の平壌での舞台に立ち/高校から平壌大の舞踊課で/修練した幸せな3年間、そして/両親が注いでくれた愛と経済的な負担/  だから舞踊で愛国事業に寄与したい/恩恵と配慮に応えたい/この道を選ぶことになんの迷いもなかった/  だが/広島朝鮮歌舞団に団員がいない/団員がいないこの現実は/私の夢を叶うことができない絶望感だけ/(略)人生を選ぶ分かれ道で/私が選んだこの道の後悔しない/「私はできる、やる」/この信念だけが強くなる/  芸術の力で今で受けた/愛と恩と拝領に感謝し/民族教育で培われた自負心を胸に秘め/私の人生の主人公になる/この道を進むだけ広島朝鮮歌舞団/」

今回の公演は、この王さんの思いが伝わる本当に良い舞台でした。写真撮影禁止ですから、舞台をお見せできないのが残念です。

最後は、広島朝鮮歌舞団再スタートの中心的役割を果たされた朴美英さん(金鎮湖さんのパートナー)のあいさつ。「皆さんのご支援で今日を迎えることができました。これからも文化芸術の偉大な力を信じて技量の向上を続けていきますので、ご支援をよろしくお願いします。」

広島朝鮮歌舞団の再スタートを喜ぶ人たちの大きな拍手に包まれてフィナーレを迎えました。これからも、厳しい道が予測されますが、プログラムに書かれた「新しい響き」をつくり、多くの人々に感動を与え続ける広島朝鮮歌舞団の活躍を祈るばかりです。

いのととうとし

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2019年5月14日 (火)

広響名曲コンサート「音楽の花束 春」のおみやげ

「広響名曲コンサート『音楽の花束』」の今年最初の「春のコンサート」が12日、広島国際会議場でありまたした。今日のブログは、このコンサートの演奏についてではありません。公演終了後に配布される「花のプレゼント」が主題です。

毎回会場入り口のロビーには、花にまつわる展示がされています。今回は、広島市植物公園で咲き誇る花の写真展でした。その展示会場の一角に、今回配布される花の苗も展示されています。今回は、ベゴニアでした。

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そして写真展の横で、クイズ用紙が配布されます。先着順で200枚ぐらい(確認したことがないのではっきりとして数は不明)配布されるようです。この用紙が、演奏会終了後の花のプレゼントの引換券になりますので、私たち(パートナーと二人で「音楽の花束」のコンサート会員になっている)も早めに出かけ、毎回ゲットしています。今回の問題は、「①毎年8月5日に開催される広響のコンサートの名称は?②広島市植物公園の大温室のシンボルとなっている木の名前は?」でした。これらの答えのヒントは、いつも展示の中にありますので、すぐに見つけることができます。

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回答を書き、会場へ入るとステージの両脇と式台の前に飾られた大きな花飾りが目に飛び込みます。これも毎回の楽しみの一つです。

コンサート終了後、早速質問用紙をもって、プレゼントの花の苗と交換。赤い花、白の花がついた二鉢がわが家に。わが家では、昨年いただいた花の苗も何鉢かは無事に年を越し、今年も元気に花を咲かせています。

もちろん花の苗そのものもれしいのですが、それ以上にこの花の苗に添えられたコンサートメンバーのメッセージを読むのも楽しみの一つです。私がいただいた赤い花の苗には、トランペット奏者松崎祐一さんのメッセージカード。「ようこそコンサートへ 近年、広響は新しい団員を迎えて、活性化の時になっています。これから何十年かかけて芳醇な音を醸し出していく。これがオーケストラの醍醐味です。では、本日のコンサートをお楽しみください」。

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パートナーの白い花の苗には、フルート奏者岡本弥生さんのメッセージカード。「響き、広がる・・・音楽はお客様と一緒に作り上げていくものでもあります!名曲でお客様と同じ時間を共有出来ることはとても幸せで素敵なことです・・・。ようこそ広響『名曲コンサート』へ!!!」。メンバーの思いが伝わるメッセージです。

今年度の「音楽の花束」は、巨匠、名称と呼ばれ愛されるマエストロと今聴いておきたい旬のバイオリニストのコラボレーションで「巨匠たちのドヴォルザークと3大ヴァイオリン協奏曲」がテーマ(パンフレットからの引用)です。今回のタイトルは「『春』香しきメンデルスゾーンと汐澤安彦、躍動の7番」で、東京音楽大学名誉教授汐澤安彦さんの指揮、バイオリニストは高木凛々子(りりこ)さんというコンサートで、ウェーバーの「歌劇<魔弾の射手>序曲」、メンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲ホ短調 作品64」、ドボルザークの「交響曲第7番ニ短調 作品70」が演奏されました。アンコール曲は、ソリストが「エルンスト作曲:夏の名残のバラ」。圧巻の演奏でした。広響は「ブラームス:ハンガリー舞曲第6番」。私には、演奏を評価する力はありませんが、ヴァイオリン協奏曲も交響曲も演奏が終わった時、何とも言えない感動を受け、聴衆の皆さんと一緒になって大きな拍手を続けたことだけは伝えることができます。今回も余韻に浸りながらの帰宅となりました。

いのちとうとし

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