「広島ブログ」

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2024年3月17日 (日)

青空古本市―第1回広島護国神社古本まつり

私が知っている屋外で行なわれる古本市は、東京の新橋駅前や早稲田大学そばの穴八幡宮など,広島以外で開催されているものばかりです。

今月15日から3日間、広島では初めてと思われる青空古本市が、広島城跡にある護国神社の境内で「第1回広島護国神社古本まつり」の名称で開催されています。今日が最終日です。

「古本市」の開催、気になりますので初日の15日,開始時間の午前10時に行ってきました。

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会場に着くと、5張りのテントが目に入ります。参加店舗は、5店舗でテントが割り当てられているようです。たくさんの人とは言えませんが、古本市目当ての人だけでなく、護国神社参拝後に覗く人の姿もありました。

ゆっくりと見て回ったのですが、なかなか気になる本が見つかりません。それでもせっかくきたのだからと500円の値札が付けられた「いのちのあるかぎりー原爆と未解放部落」を購入しました。

青空での古本市の一番の心配は天気ですが、幸いといってよいと思いますが、初日二日は、好天気に恵まれました。ただ、今日は?

一時期古本市の開催が減少していましたが、最近は広島でも開催回数が増えています。今月末の29日から4月7日までの期間で「第一回ひろしまブックフェス」が、ひろしまゲートパーク(旧市民球場跡)の大屋根広場で開催されます。こちらは、「新刊書店、古書店、出版社、取次など、普段はそれぞれ違う場所で本と関わる私たちが、一年に一度集まり、本との出合いを求める方々と楽しい時間を共有したい」(主催者ホームページ)との目的で開催されますので、古本だけというわけではありませんが、こちらも楽しみな企画です。

ところで、1時間足らず古本まつりをめぐった後、広島城大手門を通って帰宅する途中で、不思議な光景に出合いました。

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大手門を出てすぐ南にある地下道の入り口付近で若い人たちが、何か作業をしています。「何をされているんですか」と尋ねると「地下道が暗いという声があるので、少しでも明るい雰囲気にしようと地下道の側面に色つきのシールを貼って、モザイク絵をつくっています」との返事。

広島市の委託を受けて、広島市立大学でデザインをまなぶ生徒たちが、自分たちでデザインしたモザイク絵に基づいて、カッティングをしたビニールシールを一枚一枚タイルに貼り付ける作業をしていたのです。デザインは、広島の川と鯉がテーマとなっているようで、私が通りかかったときは、作業がはじまったばかりのところでした。

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この地下道は、ひろしま美術館側から入り、城南通りを通り抜けた後左右に上り道があり地上に出るのです構造になっています。モザイク絵の中に描かれる鯉は、左側サッカースタジアム方面(西方向)は紫色を使い、右側東方面は赤色で描くことになっているそうです。

作業を見ていると、タイルに一枚貼るごとにフェルト状の木槌は剥がれないように丁寧に打ち付けながら進めるため、完成させるまでには1週間ぐらいかかるという話しでした。

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翌日(16日)の昼過ぎに弁護士会館に行くためここを通ったときには、作業はずいぶんと進んでおあり、西側の上り坂北側壁面には、きれいに川と鯉が描かれていました。

この部分だけでもずいぶんと雰囲気が変った気がしますので、全体の完成が楽しみです。

いのちとうとし

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2021年12月 2日 (木)

音楽が好きになる理由は何でしょうか? ----音楽のセンスの良さ?楽器が弾けるから?音楽理論の理解?それとも?---

音楽が好きになる理由は何でしょうか?

----音楽のセンスの良さ?楽器が弾けるから?音楽理論の理解?それとも?---

 

音楽の好きな人は多いようです。その証拠にテレビのドラマだけではなく、ニュース番組でも音楽がないと、何となく白けてしまいます。アニメの音楽はそれだけでベストセラーになったりしています。

 

 では何故、音楽が好きになるのかということを考えて見ましょう。音楽通を自認している人なら、「自分には音楽のセンスがあるから」ということを自然に感じているでしょうし、それが理由だと思っていても不思議ではありません。あるいは、楽器の弾ける人は、楽器を通しての音楽との関係が深いことを日常的に感じているでしょうから、それが理由だと考えるかもしれません。あるいは音楽理論に精通している人なら、理論的な理解の深さが自分の音楽理解の基礎になっていると考えるかもしれません。

 

「好きになる」を「心に響く」と言い換えると、音楽が心に響くためには何が必要なのか、という問と「音楽が好きになる理由は何か」という問とは、ほぼ同じ意味を持つのではないかと思います。それについて、大阪学院大学の谷口高士教授は次のような説明をしています。

 

 音楽を 「心に響かせる」ためには何が必要なのか。楽曲が持つ感情成分や作品の 完成度(それを実現させる作曲や演奏の表現力)はもちろんだが,受け止める人にとって大切なのはそれを見極める力,作品の内包する意味を理解する力である。それはすなわち音楽の認知的枠組みの洗練であり,また,新たなものを受け入れていく柔軟さである。これらは必ずしも音楽の専門教育で身に付くことではなく,日常生活の中で触れる様々な刺激に対して敏感であること,多くの曲に深く接することが必要だろう。そのためには,音楽の受容の在り方を左右する鑑賞態度も重要である。また,感情体験や出来事の記憶と音楽との結びつきによって,音楽は独立して存在するものではなく,人生と深く関わるものとなる。従って,音楽を聴いたり演奏したりする行為やそのための準備そのものを楽しむこともまた,この結びつきを深める 。

 

専門的かつ深遠な真理のような気がしますが、でも子どもの頃からの経験に照らすと、ラジオで良く流れていた歌が好きだったとか、車で両親の好きだった曲を何度も聞いたというようなことがきっかけなのかもしれません。

 

 実はその通りだということを、音楽好きの息子が教えてくれました。つまり、何度も何度も同じ曲を聞いていれば、その曲が好きになる、という因果関係は多くの実験によって確認されているというのです。何かに接触する回数が多くなるとその「何か」に好意を抱くようになる、という因果関係を「単純接触効果」というのだそうです。

 

 この研究結果は1960年代後半にザイアンス(Zajonc, R.B.)によって示され、その後も研究が続いているとのことです。

 

 その「何か」は音楽に止まらず、味や図形、写真や漢字等々、ほぼ全てのものが対象になるとのことです。

 

 最近ではあまり見られなくなったのかも知れませんが、職場を毎日のように訪れる「おばちゃん」のようなイメージの人が職場の皆と仲良くなって、次々と生命保険の契約を取って行くという話が良くありました。これなど、単純接触効果の典型例なのかもしれません。

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白戸家のお父さんをイメージにしたフリーWi-Fiのサイン

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Train_interior_of_Toyama_Chiho_Railway_10030_series_05.jpg

naosuke ii, CC BY 2.0 <https://creativecommons.org/licenses/by/2.0>, via Wikimedia Commons

 

コマーシャルでは、ソフトバンクの「白戸家」のお父さんの姿に最初は違和感を持っていても、いつの間にか定番として受け入れてしまっていること等ももう一つの例かも知れません。

  [2021年12月2日 イライザ]

 

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2021年11月18日 (木)

広島城下町歴史学習散策会(第1回)

14日に開催された「広島城下町案内衆・広島中央公民館主催」の「広島城下町歴史散策会」の第1回「『広島城下大絵図』の巻 基町編」に参加しました。

午前9時半に中央公民館に集合し、まず講師・案内人の郷土史家佐々木卓也さんの「広島城の成り立ち」や現在の調査状況などのお話を聞きました。佐々木さんのお話を聞くのは、久しぶりです。

「今年2021年は、毛利元就が安芸高田市の郡山城に入城してちょうど500年、2年前から築城が開始された広島城に孫の毛利輝元が入城した1591年(天正19年)から、430年の節目の年」などがまず紹介されました。

30分ほどの事前レクチャーを終えて、いよいよ外に出ての散策です。

参加者が手にするのは、当時の城下町の絵図と現在の地図が重ね合わせて描かれた「広島大城下町絵図」です。

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 「広島城下大絵図」は、広島市中区市民部地域おこし推進課が、広島市城下町案内衆、広島文化財団、中区の中央、竹屋、吉島、舟入の各公民館、広島県縮景園などの協力を得て、2007年(平成19年)に初版を発行し、その後2016年(平成28年)に改訂版が発行されています。広島城下町巡りには、欠かせない資料です。

中央公民館の玄関を出たところから、説明が始まります。現在の基町高校のあたりに北の丸があったのですが、その外側に「北堀」がありました。中央公民館は、「北堀」の跡に建っています。

中央公民館前の道を南下し、基町警察署の前で立ち止まります。ここから南に真っすぐ「中堀」が、現在のグリーンアリーナ(県立体育館)まで伸びていました。「中堀はそこから東に曲がります」と書いていくと、長くなりますので、いくつかの場所のみ紹介します。

中央公園には、西の出丸があったのですが、現在はサッカースタジアム建設工事のフェンスに囲まれていますので、簡単な説明を受け、すぐに広島城西側の内堀まで移動します。

ここでは、「なぜ内堀が大きくなったのか」の説明です。

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現在の広島城の本丸跡は、少しだけ小高くなっていますが、城づくりが始まった時には、全くの平地。そこに盛り土をするために、使われたのが堀を掘るために出た土が使われたため、どうしても内堀が大きくなったようです。

広島城の西側の石垣は、本丸に近い方が「野面積」(自然の石やほとんど加工し ない石を積み上げる方法)となっていますので、毛利の築城時代に築かれたものです。

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下の写真の右側の石垣は、「打込はぎ」(すき間を減らすため石をちょっと加工した積み方)で角は「算木積」となっており、福島正紀の時代に築かれたものです。上には、櫓があったそうです。

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広島城の石垣については、しろうや広島A4c01 (rijo-castle.jp)で詳しく知ることができます。

今日は基町地区巡りですので、広島城には入らず、中堀があった広島市民病院北側の中央庭球場(テニスコート)に移動します。この西南角には、テニスコート地下に駐車場をつくる時の発掘調査時に出て来た堀の様子をプレートにした説明版が、立っています。

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いつも通る道ですが、何気なく通っていました。かつての堀の上の道路(市民病院とテニスコートの間の道)を東進し、広島市水道局北側の中電のビルの前に移動します。

途中、広島市民病院の南側で東西に延びる道路が、かつて「乗馬の訓練などをした八丁馬場」との説明を受けます。この八丁馬場は、現在の、西はハノーバー庭園、東は京口門公園まで延びていたようです。その東の端の南北に延びていた八丁堀は、地名として今も残っていますが、八丁馬場の地名は、今は残っていません。

城下町の遺構ではありませんが、水道局の北側中電ビルの北角に立つ、臨時帝国議会堂跡の説明がありました。

その後、水道局の南側で電車通りの1本北側の小路に入り、県庁南館の前で、外堀の説明です。外堀は、相生通り上にある電車軌道の北端から南側歩道に架かるぐらいの幅で、現在の西は商工会議所が建っているあたりから東は福屋西の金座街入り口まで延びていたようです。外堀の幅は、シャレオの地下街を掘る時に、その遺構が出て来たことから確認できたようです。ただ、残念ながら現在は、その時発掘された遺構はどこにも保存されていませんので、目視で確認することはできません。参加者は、地下のシャレオの東西の通りをる木ながら、「ここがかつての外堀の位置だ」と説明を受け、想像するだけでした。

中郵便局前から地上に上がり、予定通りちょうど12時にそごう前で解散しました。天気に恵まれ楽しい「広島城下町散策」となりました。

次回は28日で、「白島編」をめぐることになっていますが、私は当日長崎で開催されている「全国被爆二世交流会」に参加することにしていますので、残念ながら参加できません。最終回(12月12日)の「幟町編」には、必ず参加する予定です。

いのちとうとし

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2020年5月21日 (木)

新型コロナウイルス断想・その10 ――創造的な「Stay Home」のために――

新型コロナウイルス断想・その10

――創造的な「Stay Home」のために――

 

休業要請や自粛が解除されつつはありますが、まだまだ外に出る機会は少ないようですし、家にいる時間の長いことには変わりありません。その折角の時間を「創造的」に使うための提案です。

とは言え、人間誰でも自己中心的ですので、この提案も御多分に漏れません。お許し頂ければ幸いです。

  • 折角、このブログをお読み頂いていますので、その楽しみをもっと長く続けるために、「コメント」を書いてみましょう。書くことで、ブログの内容が良く分るようになるはずです。
  • コメントを送るときに、実は小さなテストがあります。「送信」ボタンを押した後、スパム防止のために、見え難い数字を読み取って、正しい数字をインプットするのですが、コメントを送る度に、眼の検査ができるのです。毎日少しでも視力が改善しているのを確認できますし、悪くなっていたら、眼科に行きましょう。

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  • コメントを頂いた方の中から、いくつかのジャンルについての「賞」を差し上げます。「短いコメント賞」とか「ユーモア賞」、「勉強になりました賞」等、感動に従っての名前を付けます。「賞品」が付くかもしれません。
  • 興が乗ったら、短いエッセイを書いて下さい。送り先は、コメントを頂ければお教えします。写真や、和歌、俳句も歓迎です。
  • リクエストや質問等もお願いします。

   私は今、昔、アメリカで集めたLPレコードを引っ張り出して聴いています。もう少し良い環境で聞けたらとも考えて、環境を整えるためにどのくらい投資すべきか、迷ってもいます。良いアドバイスを頂ければ幸いです。

 [2020/5/21 イライザ]

 

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コメント

当方、普通の機器しか、持っていません。スピーカーだけ、増やして、いました。でも、たった1セットの高級スピーカーに、負けているかも、知れません。お金を、かけたくない、いいえ、先立つものが、、、ないのです。昔から,オーディオの音質は、、金額に、比例は、するとか、、、、。当方、そういう、凝り性では、なてく、ほどほどと、いうものです。車に、マークレビンソン仕様。いい音が、しています。別の車は、後席の、ヘッドレストの、後ろに、スピーカーが、あります。トランク全体を、使って、響かせて、います。後者の方が、好みです。前者の、マークレビンソンも、トランクで、鳴っていますが、後者ほど、スピーカー径が、大きくありません。あの有名な三橋達也さん。壁にスピーカーを、埋める、と、いうものでした。と。オーデオの、本を出している同級生が、います。当方、理論は、ありません、感覚的な、自分の、好みだけです。当方は、とりあえず、スピーカーを、増やす、と。30年間、そこで、止まって,います。大小スピーカーボックス、片側、数個ずつ。配線を、枝分かれ、させています。アンプ、安価です。3セット、あちこちに。環境というのは、オーデオルームと、いう、ことですか。それとも 、機器、機材も、ですか。当方、ながら族なので、音質には、うといです。       Jerry Keller   here COMES SUMMER.  イライザ様のアメリカ高校時代、こんなカンジだったのかなぁ、と。好きな歌の一曲です。昭和40年代ドーナツ盤,50年代、LPです。   今、youtubeです。

コメント有り難う御座いました。

まずは、「コメントをお願いします」に応えて下さった最初のコメントですので、「最初のコメント賞」です。有難う御座います。

賞品は、「Architektur aus Papier」です。グリーティング・カードなのですが、二つ折りのカードを開くと、中に、3次元の建物が現れるようになっています。建物は、ベルリンの中心部にあるコンサートホール広場の三つの建物です。

送り先をコメントとしてお送り下さい。これは公表しません。

私はLPを聞くので固定した場所での再生装置です。まずはスピーカー、そしてあとはレコードプレーヤーかなと思っています。

最高の音響機器は脳だと思います。ウォークマンが発売されるまではスコアを持ち歩いて自然の中で音楽を楽しんでいましたが、音楽好きの知人にはオーディオに家が建つほどのお金をかけた挙げ句、ラジカセに落ち着いたという人もいました。どんな高級オーディオも脳が行う補正にはかないません。

そして今現在、最も聴いている音源は先のコメントでも書かれていたYouTubeです。戦前の名演から、最近のコロナ禍で公開されている自宅での珍しい演奏まで、際限なく楽しめています。

と言うものの、毎年2−3回はスピーカー・ヘッドホン・イヤホンを買い替えている私で、最近はネットオークションのおかげで買った金額より高く売れる場合も珍しくなく、安いセルフ・サブスクリプションですが、それはそれで音楽を楽しむこととは別の趣味になっています。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。

残念なことに、最高の音響機器の中にも優劣があるようで、私はそこそこの外部機器に頼らざるを得ない状況です。特別定額給付金の一部をそれに充てることも検討中です。

それと、最近は私もYouTubeを良く利用するようになりましたが、色々と面白い発見があって、何時まで経っても人間ってあまり進歩していないんだなー、と思うことも再々です。



「工場長」様 

大切なことを忘れていました。いつも楽しくためになるコメントを有難う御座います。「賞」を差し上げます、と約束しましたので、「いつもコメント有難う賞」です。

賞品は、Architktur aus Papierで、二つ折りのカードを開けると現れる建物はドイツの国会議事堂です。

youtubeを、ご覧に、なるということで。総理大臣の、車列の走行、箱乗り他です。何で、品の無い走りなのでしょうか。警護車に、赤色灯装備ですが。白バイの、パトカーの先導で、緊急走行した方が、周囲にも、わかって、いいと思うのですが。外国の元首の、それのように、交通遮断までは、望みませんが・・・。ニンジン棒を、振って、身体を、乗り出して、強引に、割り込みです。赤色灯を、回せば、一般車は、譲るのに.まぁ、品の無い走り方です。見ている、こちらの方が、恥ずかしくなります。警護車が、右に、左にと、車線変更の、繰り返しです。それについて、合理的な、理由が、見い出せません。パトカーが、いたら、総理大臣の車の横に並ぶ者は、いません。センチュリーでしたが、一台は、カーテン有り、もう、一台は、カーテン無し。両方カーテン有りにすれば、いいものを。どちらの車に、総理大臣が、乗車しているか、わからないように、することが、セキュリティ対策だと、思います。一体何をやってんでしょうか。抜けてます.佐々淳行さん、曰く。最悪の事態から、警備を、考えろ、と。緊急走行でなくても、警護車は、赤色灯を、回せと、なります。一般車に、急ブレーキなんか、させては、いけないのに。強引な割込み、これだけで、OUTです。

「山下」様

勉強になるコメント有り難う御座いました。総理の車列をYouTubeで見ました。

それで思い出したのが、ボストンで遭遇した「Hells Angels」の車列です。大型のモーターサイクルが複数台、高速への入口を封鎖して他の車を制圧して、我が物顔に高速を独占するやり方はピッタリ一緒です。

もう一つ、昔、土井さんが党首として外国に出掛けるために成田に向っていたときは、パトカーに先導されていました。御指摘のように、その方が安全だし、周りの人たちも協力し易いと思いました。

2019年4月30日 (火)

4月のブルーベリー農園(東広島市豊栄町)

「四月」という好きな曲から。

「彼方から 季節を超え/ 足音聞こえてきた/ 風の中 ささやかに/ 花が 香ってた/ 待ちわびていたけれど/密かな旅立ちは/ その日まで その日まで/ 光に隠れてる」。作詞は永井理香さん。作曲し歌うのは南こうせつさん。

ブルーベリー農園の4月は地面の野の花がブルーベリーの冬から春まで続く剪定作業を励ましてくれる。

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4月7日(土)

剪定したブルーベリーの枝をうずたかく積み上げた足元に咲くタンポポ。

Photo_84 4月20日。

田んぼからブルーベリーに転作した3枚ある畑の剪定が終わり、もう一か所の20年前に伐採した里山の農園の剪定に移る。そこは小高い所にあるので下にある田んぼが見渡せる。そこに住む雉も見える。ときどき「ケーン!ケーン!」と鳴くのでいることが分かる。

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4月21日(日)。

今年はカラスノエンドウが部分的にはびこっている。ブルーベリー株元を覆うので畑の草を刈る。

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4月27日(土)。

椿の花がたくさん咲いた。花びらもどんどん落ちるし、近くを通る時ポトッと花ごと落ちるのに出くわすこともある。

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4月28日(日)。

自生しているスミレは農園に3種類見ることができる。

里山の東側でひとつ。

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里山の西側でひとつ。

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家の周囲や畑でひとつ。

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4月28日(日)

畑のブルーベリー。草も茂りブルーベリーの花も咲き始める。

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  4月28日(日)。

その地面に咲くキンポウゲ(黄色)とムラサキゴケ。

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4月28日(日)。

里山のブルーベリーの花。北部ハイブッシュ系のジャージー。7月に収穫できる。

安芸の郷の昨年のブルーベリーまつりは7.6豪雨災害で中止になったが今年は7月27日(土)に開催予定だ。順調に育つ農園のブルーベリーは安芸の郷に納品され利用者や多くの地域の皆さんに届けられるはずだ。

2019年4月30日

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

 

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2019年4月23日 (火)

第5回住んでいる町再探訪-「灯台下暗し、比治山再発見」その2

スカイウォークの終点を過ぎれば、後は歩きの山下り。集合場所に着いた時には、すでに20人近くが集合。10時には22人の参加者が、ガイドをしていただく観光アシスタントひろしまの中澤修さんと松永真千子さんの二組に分かれてスタート。私たちのグループのガイドは、松永真千子さん。道中沢山の説明を受けましたが、ここでは私が関心を持ったことを短く要約します。

多門院からスタート。原爆で天井が破損したままの鐘楼、少し上部にねじれがある被爆十三塔、広島郵便局原爆殉職の碑、戦前は逓信省管轄で同じ職場の仲間ともいえる郵便局だけに参加者の思いもちょっと複雑、ここでは初めての場所を見学。境内奥の墓地にある頼家の墓。頼山陽の両親の墓はここにあるが、頼山陽の墓は、京都にあるとの説明。

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頼家の墓

続いて、頼山陽文徳殿へ。被爆前、広島市の戸籍選挙課の分室となり、一部の戸籍が奇跡的に残った。変形した九輪、前庭の被爆桜。きちんとした管理と手入れで若い枝が育ち、すでに花は終わっていましたが、きれいな若葉をしっかりと芽を吹いていました。まだ花の茎は残っており、今年も満開の花をつけた様子がわかります。山陽文徳殿の石段を下り、坂道を150mほど現代美術館方面へ上ると左側に急な石段入り口が見えますが、道の反対側に大きく茂った被爆クスノキがあります。爆心地からの距離は1,950m。何度かこの坂道を通ったことがありますが、初めて知りました。

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被爆クスノキ

後日談です。当日の松永さんのガイドでは、「最も新しく被爆樹木として認定された」とのことでしたが、翌日「いつ頃認定されただろうか」と広島市の担当課に問い合わせたところ、「最も新しい認定は、東区牛田本町一丁目10(二又橋西詰)のシダレヤナギ」と教えていただきました。もちろんすぐに松永さんに連絡しました。その後、松永さんから「シダレヤナギの認定は、2017年8月4日で、被爆樹木は161本」とのメールをいただきました。

そのまま坂道を登りながら、加藤友三郎銅像跡、速水整爾銅像跡の説明。いずれも銅像は戦時中の金属供出で台座だけが残っています。加藤友三郎銅像後の横に設置された「銅像建設由来碑」の大きな空洞にはちょっとびっくり。

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三鈷の松とその松葉

ここで突然松永さんが、松葉を手に「三鈷の松」の説明。弘法大師空海ゆかりの仏具の三鈷杵(さんこしょう)と同じ三つ葉の松(普通は、二本)から「三鈷の松」と呼ばれるようになった由来を知りました。縁起物ということで私も落ち葉を拾ってカバンの中に入れました。そして広島マンガ図書館前の広場に到着。ちょうど、花見用のぼんぼりの撤去作業が進んでいました。比治山は、昔から広島の花見の名所だったようです。ここでは、かつては、広島市民が憩いの場となっていた御便殿広場についての説明を受ける。ここでも新しい発見がありました。

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この広場に設置されたマンホールトイレ(災害用仮設トイレ受口)です。比治山は、大規模な自然災害発生時の避難場所に指定されており、そのための施設として設置されたものです。この場所には、20基が設置されていますが、広島市内全体では、中央公園やマツダスタジアムなど9か所に172基が設置されているようです。次は、ヒロシマ現代美術館。ムーア作の野外彫刻が置かれた広場の西側は、木々が刈り込まれから市内が見渡せるようになっていました。これも最近のことのようです。(明日につづく)

いのちとうとし

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2019年4月22日 (月)

第5回住んでいる町再探訪-「灯台下暗し、比治山再発見」その1

データ同友会中国支部主催の第5回住んでいる街再探訪に参加しました。デー同友会は、私がかつて働いていた当時の電電公社中国データ部(現NTTデータ中国支社)の退職者の会です。私は、早期も早期32歳での退職者ですが、古い友人たちの配慮でデータ同友会への入会が認められ、様々な活動に参加し、旧交を温めています。

5年程前から、自分たちの住む街をもう一度見直そうということで、「住んでいる街再探訪」が始まり、これまでに平和公園、宮島、二葉の里歴史散歩道、三滝地区などを探訪しました。私が参加したのは、平和公園と三滝地区です。いずれもピースボランティアや街ガイドで活躍されている人たちに案内していただきますので、いつも新しい発見があり、楽しみの行事になっています。今回は比治山を散策することになりました。どんな発見がるか今回も楽しみです。

ところで最初に、今回の街再探訪が「なぜ灯台下暗しなのか」について、ちょっと解説が必要です。案内文にはこうありました。「毎日仕事の合間に見上げた比治山、花見で騒いだ比治山、昼休みにジョギングした比治山、通わなくなったどのくらいになるだろうか…?」と。

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陸軍墓地から中国データビルを望む

実は、データ同友会の会員の職場だったNTTデータ中国支社は、比治山の南端の「陸軍墓地」の真下にあるビルです。私が働いていた当時(1974年ころから1981年まで)は、比治山電電ビルの名称で呼ばれていました。当時プログラマーとして私が働いていた6階(だったと思うのですが)のフロアの北側の窓からは、いつも比治山に翻る「日の丸」を見えていましたが、私自身も、そこに何があるか、そしてどんな歴史を持っているかなどについて考えたり見たりしたことは、殆どありませんでした。今回参加された皆さんもそうだったと思います。比治山のふもとにいながら、比治山のことについては何も知らないですから、まさに「灯台下暗し、比治山再発見」なのです。

自宅を自転車で出発し、段原のイオン横の駐輪場に自転車を置き、スカイウォークを使って集合場所の比治山下の交番前へ向かいました。何年振りかのスカイウォークでしたが、利用しているのは私一人。

 

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山頂側の入り口

ちょうど下りのエスカレーターは二人がかりで故障修理中。出口付近では落ち葉の清掃作業。多くの人たちが、維持に努力されています。歩く歩道とエスカレーター、登りの道、確かに楽な思いをしましたが、改めて、当時高価な建設費に「反対の声」も多かったことを思い出し、いったい今は何人ぐらいが利用しているのだろうと考えながらの数分間でした。帰宅して広島市に問い合わせたところ、平成30年度実績で「年間のエレベーター起動回数は、199,702回」「年間維持費は、約2,235万円」ということです。1日の平均利用者数は、単純計算では、約547人ということになります。一時期廃止論議もあったようですが。

前振りが長くなりました。これからが本題です。(明日につづく)

いのちとうとし

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2019年4月12日 (金)

ようやく春が・・・

 

ささやかな庭に春がやってきました。

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ランの一種で、19年前に亡くなった義父が

山から持ち帰ったもの。10数年前から毎年

花が咲きはじめた。

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ハーブです。

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3年前夫が散歩の途中、川土手から

持ち帰ったスミレ。

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わたしが育てている芝桜。

肥料は、精米後の米ぬかと米のとぎ汁

                       (やすみ)

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2019年4月 6日 (土)

浅緑の芽を吹き始めた原民喜ゆかりの被爆柳

城南通りの京橋川にかかる上柳橋(被爆当時は、この橋はなかった)のすぐ下流の右岸に、原民喜ゆかりの被爆柳があります。この被爆柳が、今年も若葉が芽吹き、元気な姿を見せていました。

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満開となった桜を見ようとパートナーと連れ立って、散歩に出かけました。自宅近くの元安川にかかった万代橋をスタートに、元安川左岸を上流へ。平和公園を対岸に眺めながら、市立中央図書館、美術館前をとおり、広島女学院の桜並木のトンネルを眺めながら、広島駅前まで足を延ばしました。今日は、この桜の話ではありません。

ピースボート報告会でユース特使の森山景さんが、原民喜の「コハ今後生キノビテ コノ有様ヲツタエヨト天ノ命ナランカ」と言葉を紹介しながら、被爆体験継承の決意を話したくれたのを思い出し、久しぶりにこの原民喜ゆかりの被爆柳へ足を運びました。

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この被爆柳は、原民喜ゆかりの柳として紹介されていますが、実は、広島県原水禁とも少しですが、ゆかりのある被爆樹木です。それを知ったのは、数年前に広島市中央図書館が主催したフィールドワーク「原民喜の『夏の花』を歩く」に参加した時です。エリザベート音大のすぐ近くの「原民喜の生家跡」をスタートしたフィールドワークが、次に訪れたのが旧上柳町(現在の橋本町・RCC文化センター裏付近)のこの被爆柳でした。ここには、原民喜の次兄守夫さんの自宅とともに借家があったそうです。その借家に、当時原家が営んでいた原製作所の大番頭だったと思うのですが、松江さんという人が住んでおられてという話を案内人の竹原陽子(原民喜の研究者)さんが、教えてくれました。ここに登場する松江さんは、実は広島県原水禁の常任理事を長く務め、反戦反核運動の理論的なことに中心的役割を果たしてこられた松江澄さんのお父さんだったのです。私も松江さんには、多くのことを教えていただきましたので、意外な関係に、当時びっくりしたことを思い出します。私の想像ですが、松江澄さん(2005年没)は、1919年生れですから、この場所で生まれ育たれたのではないかと思います。松江さんは、富士山ろくの陸軍重砲兵学校教育隊で敗戦を迎えられたようですから、被爆はされていませんが。

今年の夏の原水禁大会では、初めて竹原陽子さんの協力を得て、「原民喜の『夏の花』を歩く」フィールドワークを実施することになりました。多くの人に参加していただきたいと願っています。

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パートナーの万歩計の数字は、10,279歩でした。

いのちとうとし

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