「月丘夢路生誕100年記念碑」除幕式
10月19日のブログ平和大通りに新しい碑が建立されます。: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)で紹介した「月丘夢路生誕100年記念碑」の建設工事が完了し、昨日16日(土)午前11時から、除幕式が行われました。
場所が狭いと言うことで関係者だけの出席で実施されたようですが、事前にこの情報を入手していましたので、私も現地に行ってきました。
定刻の午前11時に除幕式が始まり、最初に月丘夢路財団理事長井上絵美さん(月丘夢路さんの娘)があいさつ。
井上絵美さんは、あいさつの中で「母は、映画『ひろしま』には、どうしても出演したいと当時の映画会社の枠を超えて参加しました。『真に原爆の悲劇は繰り返してはいけません』『戦争は何があっても起こしてはならない』と言い続けていました。この碑の前に立ち平和を祈ってほしいと思い、碑に『平和への祈り』と名付けました。」と、母と碑への思いが語られました。
続いて、井上美枝さんら4人による序幕です。
現れた「月丘夢路生誕100年記念碑」の説明板には、この碑の概要が次のように書かれています。
「広島平和都市記念碑と白神社(境内鳥居は橋爪家より奉納)に向けた2つの軸線を持っておりますので、当記念碑から軸線方向に手を合わせて共に平和を祈りましょう。円環状の記念碑(月)は基壇(丘)の上に立ち、月丘夢二の恒久平和への思い(夢)を、それぞれの軸線(路)を通して来訪者と共に祈ることを目的といたします。」
この解説によって、月丘の「月と丘」をイメージしてつくられた記念碑だということがわかります。
碑の正面手前には、平和公園の広島平和都市記念碑に向かって白っぽい軸線が付いています。軸線の中間あたりに菱形の模様が付けられているのは、ここで祈ってほしいとの思いが込められているのだと思います。ちょっと見にくいのですが、左側にも軸線があり、この延長線上に白神社があります。
ここでなぜ「白神社なのか」気になります。
月丘夢路さんは、1921年に広島市大手町にあった薬問屋橋爪家の長女として生まれています。薬問屋を営む橋爪家は裕福な家だったようで、白神社の鳥居を寄贈されたようです。
その鳥居を見に行きました。
寄贈された鳥居は、手前のしめ縄がかけられている2本の柱の左側の一本です。裏側に寄贈者の名前が刻まれています。
刻まれている文字は、「明治三十六年四月十五日建立 永井幸兵衛 橋爪孫兵衛」、その下に石工の名前も刻まれています。月丘夢路さんの先祖が寄贈された柱だということがわかります。ちなみに「永井幸兵衛」は、本通にある「長井支店」の先祖だそうです。「明治三十五年」の建立ですから、被爆石であることもわかります。
「月丘夢路生誕100年記念碑」の建立と合わせたのでしょう、現在そごう広島店の2階で、「月丘夢路展」が、来年の1月8日まで開催されています。
会場では、「映画 ひろしま」を紹介するミニパンフレットが無料で配布されています。
そこには、除幕式で娘の井上絵美さん紹介された「真に原爆を二度と繰り返してはならない、という気持ちを伝えたい。それがあの映画に出ることにつながったんです。」という月丘夢路の言葉が書かれています。
いのちとうとし
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