「広島ブログ」

2023年2月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28        

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

経済・政治・国際

2023年2月 6日 (月)

ヒロシマとベトナム(その42)ベトナム象、広島を歩く-6

4月8日、海田宿を出発したベトナム象は、穏やかな日和に恵まれ瀬野川沿いの西国街道を桜を愛でながら東へと進んだことでしょう。「出迎え松」を過ぎた辺りから山手に入り、延々と続く上り坂に入りますが、まだまだ何のことはありません。西国街道は瀬野駅手前を右折、2号線を超え東に向かいます。安芸区一貫田の一里塚を通り、再び2号線を超え、龍禅寺辺りから2号線の左山手を東に向かいます。

海田宿と西条四日市宿との間に位置する一貫田には、俳人の種田山頭火の歌碑が残されるなど、間宿(あいだじゅく)として賑わっていました。

西国街道随一の難所、大山峠

一貫田から瀬野川の北側山手を八本松に向けて上ります。かつてドライブイン前にSL「D51」が鎮座していた辺りを過ぎしばらくして瀬野川を南に渡りさらに上って行きます。下の地図はその辺りを示したもので、「旧山陽道(西国街道)のルート情報」(「Google Earth」)に筆者が手を加えました。

D51は瀬野川公園の一角に据えられています。

Photo_20230204090501

大山峠は安芸郡と賀茂郡の境にある標高337m、麓からの比高は約250mと険しい難所です。次㌻の「瀬野川史跡案内図」には、3月に開通予定の東広島・安芸バイパス上に「瀬野馬子唄発祥地」と「代官おろし跡」と書かれています。

Photo_20230204090601

「代官おろし跡」は余りにも急な坂のため代官様も籠を降り、付き人に後ろから押してもらってようやく峠を越えるたとのことです。籠を降りた場所と伝えられている辺りに安芸ライオンズクラブが建てた碑があります。

瀬野馬子唄は、この急な坂を一石5斗(約225kg)の米を背に振り分けた馬を曳きながら、「瀬野の三里とエー、大山の峠とヨー、大須なわてがなけにゃエー。瀬野の馬さはエー、金つき馬でヨー、夜になってもせいをだす」と唄ったということです。当時の馬は金つき馬と呼ばれる去勢されていない馬で、大変扱いが難しかったそうです。いずれの碑も西日本豪雨災害で壊れたため新たに作られています。

ところで、重さが3㌧を超え背丈5尺7寸(約173cm)だったと伝えられるベトナム象、とても象のお尻を押すことはできません。ベトナム象はどのようにして大山峠を登り切ったのでしょう。・・・・

大山峠を襲った5年前の「西日本豪雨災害」

昨年12月1日、東広島郷土史研究会の「石造物研究会」のメンバー4名で大山峠を探索しました。リーダーの船越さんがベトナム象を追っている私のために特別に企画してくださいました。下の写真4枚はそのときに撮影したものです。

Photo_20230204091001

痕跡を辿ることができないほど崩壊した大山峠(瀬野側)の様子。砂防ダムの工事が進んでいました。

Photo_20230204091102

新たに付けられた道路の右辺りに西国街道があった(?)

Photo_20230204091103

2018年の西日本水害で流失し新たに建てられた碑

Photo_20230204091104

安芸区と賀茂郡の境に建てられた碑

西国街道(旧山陽道)が現在どのようになっているかが分かる写真が下の2枚です。前述の「旧山陽道(西国街道)のルート情報」の「Google Earth」から引用しました。

Photo_20230204090502

写真の中央を横に走っているオレンジ色が西国街道(旧山陽道)です。上の写真の右上部分に巨大な砂防ダムが築かれています。下の写真のオレンジは砂防ダムから西条四日市宿に向かって延びている西国街道で、右隅には八本松西で工事が進んでいる東広島・矢野バイパスが写っています。

(2023年2月6日、あかたつ)

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2023年2月 5日 (日)

ヒロシマとベトナム(その41)ベトナム象、広島を歩く-5

小春日和、広島城下を発つ

4月7日、朝5つ半時(午前9時)小春日和の広島城下を発ったベトナム象は、その日の宿である海田宿までの4里足らずの途に就きました。本川橋、元安橋を渡り広島城の天守を左に見ながら東に向かい、堀川町辺りを北に折れ、鉄砲町を東にとり、京橋と猿猴橋を渡り船越峠へと向かったと思われます。峠をくだると船越4丁目に残る常夜燈辺りからは緩やかな街道が海田宿まで続きます。

ルートは現在の府中町から瀬野川に続く県道とほぼ同じと考えてください。ご存知の方も多いと思いますが、車の離合にも難渋する道幅です。

象が泊まった場所が海田宿のどこであったのか記録が残されているのかも知れませんが分かりません。海田宿の要職を務める千葉家だったのか、脇本陣として使われていたと伝えられる庄屋の猫田新太郎宅だったのか・・・。この日は船越峠を越えるだけの比較的楽な15km余りの道程でした。しかし、楽あれば苦もあります。翌日とんでもない難行程、「西国街道最大の難所」と呼ばれた大山峠が待ち受けていることを象は知る由もありません。

Photo_20230204085602  

この日、広島っ子は “象を見た・・・・・・”

「交趾国より送られた象広島を通過、藩主吉長これを見る」(「吉長公御代記」)とあるように、ときの広島藩主・浅野吉長公も前日、城下の堺町内(現在の広島市中区堺町)まで出かけて象を見学するほどの珍獣です。この日の広島っ子はどうだったのでしょう。以前にも紹介した岡山藩の古文書を読み解いた岡山大学の資料を見てみましょう。この古文書は岡山藩が将軍様の像を粗相なく無事に領内を通過させるため、広島藩の様子を下調べした藩士が藩庁に提出した報告文書です。

象が驚き暴れるので、「通り筋家家簾(のれん)を釣り、或いは戸口を閉め家内人集まり候体見え申さぬように御触れの由」と、外に出ての見物は禁止です。「拠無(よんどころな)き用事につき往来仕らず候て叶わぬ儀これあるとも、通り筋を除け、外道を通り申すべき由、御家中、町方、郡方とも御触れ候由」と、よんどころない場合にも通りを避け脇道を通るようにお触れを出しなさいと念の入れようです。そうした結果、「広島街並み見物の者簾の内に静かに居り申し候、たばこの煙、またそのほか煙出し申さぬように御座候」という状況だったようです、

さらに、下をご覧ください。

Photo_20230204085603

白囲みでは「蟻、鼠、牛馬、犬、猫嫌い申し候やの事、広島御城下前日より繋ぎ申し候、尤も、小鳥等迄外へのけ申し候」と報告され、他の箇所では「犬猫も繋ぎ候事、広島の通り御当地も申し付くべく候」と、岡山藩でも広島のように申し付けることを具申されています。

この様にとても広島っ子は珍獣を見物できるような状況ではなく、犬も猫も、牛馬も、鳥も・・・・大迷惑なことだったことでしょう。迷惑では済まされないお触れも出されています。「広島にては、寺寺の鐘、太鼓、鉄砲等、そのほか音高き事は差し止めなされ候由、御当地も此の通り仰せつけられ然るべく存じ奉り候」と、象をびっくりさせるような音は一切禁止です。時を告げる鐘だけでなく火事などの危急の時に打ち鳴らす早鐘も駄目、趣味の音曲だけでなく鍛冶屋も作事の大工仕事や槌音も禁止です。

象が無事通過するまでの間は、見物はもちろん外に出ても駄目、音の出る仕事も禁止。随分のフラストレーションだったことでしょう。でも、同時に、遠く異郷の地を健気に歩く象に誰もが言い知れないシンパシーを感じたのではないでしょうか。そんな広島っ子の思いが記された文書がどこかに残っていないのか、関心が募ります。きっと、それはどこかにあると思います。

 いずれにしても、ベトナム象は海田宿につきました。次号(その42)では西国街道随一の難所、大山峠を越えを思い描いてみたいと思います。

(2023年2月5日、あかたつ)

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2023年2月 4日 (土)

2月の「3の日行動」

「戦争させない・9条壊すな!ヒロシマ総がかり行動実行委員会」は、昨日午後5時30分から1時間、本通電停前で2月の「3の日行動」を実施しました。

「戦争をさせない千人委員会」の佐藤奈保子さんの司会で街頭行動はスタートしました。

最初は、いつものように代表世話人の一人川后和幸さんがアピール。続いてゼェンダーフリーのテーマで日本軍「慰安婦」問題解決ひろしまネットワークの岡原美智子さんが「従軍慰安婦問題の解決には、謝罪が大切だ」ということを強く訴えました。

ゼェンダーフリーの問題といえば、先日の国会予算委員会での岸田首相の同性婚の法律化を問われての「同性婚で家族観や社会が変わる」という発言が頭に浮かびます。岸田首相のこの発言は、現在の社会状況を無視するだけでなく、「なぜ同性婚で社会が変わるのか」の説明が全くなされていません。もし岸田首相が本当にそう思うのであれば、その理由をきちんと説明しなければなりません。本音が出たともいえる発言ですが、その理由を明確に説明しなければ、国会の論戦にはなりません。国会の審議はそれほど重いものだということを自覚して欲しいと思います。

次に「戦争をさせない千人委員会」の三木郁子さんが、「平和憲法こそが政治の基本だ」と岸田首相が進める軍事大国化政策を厳しく批判しました。

次のスピーカーは、ピースリンク広島・呉・岩国の新田秀樹さんです。新田さんのテーマは、「大軍拡、安保3文書について」です。このテーマも今国会の最重要テーマの一つですが、今のところこのテーマでの論戦が進んでいるとはいえません。野党のしっかりとした追及が求められます。

Dsc_3393

私もここでマイクを握りました。私に与えられたテーマは「始まった国会審議の問題」でした。私は、「少子化問題」の国会論議のあり方と問いました。

岸田首相は「異次元の少子化対策」といいながら、何が異次元なのかその中身の説明がありません。もし「児童手当の所得制限撤廃」がその中身なら、異次元のというのがはばかられる内容です。

一部野党は、所得税の改正(子どもの人数に応じて減税する)を主張していますが、それで「少子化対策の問題が解決する」とはとても思えません。

問題なことは、非正規雇用の増大による今の生活が、そして将来の生活がどうなるのかという不安の増大していることです。この問題にメスを入れない限り、真の意味での少子化対策はあり得ません。3人に一人が非正規労働者だと言われるこの社会構造を変えるために政治が何をすべきか、そして何ができるのかをこそ、論議する国会にしなければなりません。

次のスピーカーは、山田延廣弁護士です。山田さんのテーマは「統一協会問題」でした。自民党は、この問題は終わったことにしたいようですが、自治体議員を含めてまだまだ問題の本質が明らかになっていないことが指摘されました。

最後に、総がかり行動実世話人の藤元康之さんが、2月23日に予定されている「2・23 ウクライナに平和を!大軍拡・大増税NO! 市民集会」への参加を呼びかけて、2月の「3の日行動」を終了しました。

参加者は、40名でした。

いのちとうとし

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2023年2月 3日 (金)

「ミャンマー犠牲者追悼・平和への祈り 集い」つづき

仏教、キリスト教での追悼の後、広島に住むミャンマー人からメッセージがありました。

最初のアピールは、広島市立大学学生のアウンチーミインさんです。

20230201_151800

「今もミャンマーでは、クーデターに負けず、諦めずがんばっている。関心を持って集会に参加していただきありがとうございます。多くの皆さんにクーデターの事実を知ってほしいのです。殺された人以外にも住む家が壊された人も多くいます。私の親戚を含めてです。命を失った人、財産を失った人。そのことを知ってほしいと思います。できる範囲ではなく、できる範囲を超えてがんばりたいと思っています。住むところもない、食べるものもない人を救うためにカンパをお願いします。ミャンマーに、日本に、世界が平和であるように祈ります。」

アウンサンは、先日の写真展の会場でいろいろと話を聞かせていただきました。

つづいて牧師のトゥン・カン・クップさんのメッセージがありました。

トゥンさんは、安佐南区の八木にある教会の牧師さんで、キリスト教関係のお祈りにも参加されていました。

最後に小武さんから今後の行動提起があり、「ミャンマー犠牲者追悼・平和への祈り 集い」は、30分ほどで終了しました。

その後、小武さんの提起を受け、場所を本通電停前に移動し、「1の日」行動が行われました。今回が、22回目の行動となりました。

Img_0020

私もマイクを握り「マスコミがほとんどミャンマーのことを報道しなくなりましたが、ミャンマーで今起きていることを忘れないようにしよう。もし私たちが忘れてしまえば、それだけ軍部の行動を認めることになります。そして支援を続けましょう」と呼びかけました。

30分あまり、それぞれの参加者がマイクを握り、思いを訴え,この日の行動は終了しました。

今回の「集い」開催の中心的役割を担っているのが、三次の小武正教さんです。小武さんは、2008年に起きた民主化運動で、国民が平和に暮らせるためにと運動の先頭に立つミャンマーの僧侶から助けを求めるメールを受け取ったことを契機に、「同じ仏教徒として、何かせずにはいられなかった。多くの人が虐げられていることを知り、自分にできることを」と子どもたちの教育活動を支援するため「メラウーキャンプ教育支援の会」を立ち上げ、今も支援活動を続けておられます。メラウーは難民キャンプ地で、ミャンマーと国境を接するタイの山岳地帯にあります。

一昨日の中国新聞によれば「メラウーキャンプ教育支援の会」は、この活動が評価され、ヒロシマ創造基金から「国際交流奨励賞」が贈られることになりました。

小武さんは、一昨年の軍事クーデター後の3月23日に原爆ドーム前で「Save Myanmar ミャンマーを救え」との思いで、犠牲者を追悼する集会(私も参加しました)を行って以降、毎月1日に三次から広島に来て仲間と一緒に「Save Myanmarの行動」として、街頭行動を続けておられます。

ミャンマーを決して忘れず、私たちに何ができるか改めて考える一日になりました。

いのちとうとし

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2023年2月 2日 (木)

「ミャンマー犠牲者追悼・平和への祈り 集い」

ミャンマー国軍が、軍事クーデターによって実権を握ってからちょうど2年となる21日、「ミャンマー市民の訴えを聞く会」が主催する「ミャンマー犠牲者追悼・平和への祈り 集い」が、約30人が参加し原爆ドーム前で開催されました。

この集いを企画した「ミャンマー市民の訴えを聞く会」は、先月「「ミャンマー(ビルマ)の今を知る写真展―ミャンマーを忘れないで」を開催しています。

私もこの呼びかけに応えて参加しました。

午後3時からの「集い」は、ミャンマー出身の広島市立大生ナインさんの司会でスタートしました。

最初に主催者を代表して「ミャンマー市民の訴えを聞く会」の小武正教さんが、「ミャンマーの軍事政権の犠牲者を追悼し、市民が平等で民主的に暮らせるように声を上げましょう」とあいさつ。

まず仏教式の追悼が行われました。

20230201_150537

経文が唱えられた後、小武さんによる「表白」(ひょうびゃく)がありました。「表白」とは、法要の目的を述べることのようです。今のミャンマーの状況がよくわかりますので、小武さんの「表白」を引用します。

「本日は、2021年2月1日、ミャンマー軍が起こしたクーデターから今日で丸2年となります。この間、不条理にも軍によって命を奪われたミャンマー市民の人たちは毎日増え続けています。『政治犯支援協会』によれば1月31日時点で2,940人。またこれ以外にもミャンマー軍の爆撃、攻撃によって7,000人を超す市民や少数民族の人たちの命が奪われています。また13,763人を超える多くの人たちが、不当に逮捕され、今も抑留されています。

私たちは、ミャンマーが一日も早く真に平和で自由な社会となることを願いながら、毎月『1の日』行動として街頭アピール・募金を続けて来ました。しかし、クーデター後の日本政府やミャンマーに進出した日本企業の対応は、ミャンマー市民の願いに沿ったものではありません。私たちは『信頼』こそが人と人を結ぶ原点であると考えます。この度の軍のクーデターはとても悲しい出来事でありますが、この中で日本に住む私たちとミャンマーの人たちは新たな出会い・語り・学び、平和への行動を共にすることが始まりました。

ミャンマーが一日も早く真に平和で自由な社会となることを願い、この広島の地で,日本に住む者の責任があることを心に刻み、おのおのがこれから活動していくことを心に誓う。」

この後「仏説無量寿経」が唱えられ,仏教式の追悼が終わりました。

続いてキリスト教式れいはいがおこなわれました。

20230201_151305

ミャンマーは、国民のほぼ8割以上が仏教徒、約1割ちょっとがキリスト教徒ということですから、この二つの宗教による追悼が行われました。

この後、広島に住む二人のミャンマー人からメッセージがありましたが、この続きは明日に紹介します。

いのちとうとし

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2023年1月28日 (土)

1.27ネバダ・デー座込み行動

1951年1月27日、アメリカは、ネバダで初めての核実験を行いました。ネバダでは、今もアメリカによる核実験が行われています。

1984年、ネバダ核実験場の閉鎖と核被害者の救済を求めて行動していた風下核被害者住民で組織された「シティズンズ・コール」(ジャネットゴードン代表)は、世界の反核運動団体に「ネバダ・デー国際共同行動」を呼びかけました。

その呼びかけに応えて、日本でも共同行動が開始され、広島ではその年の1月27日の昼休みに広島県原水禁が呼びかけて原爆慰霊碑前で座り込み行動を実施しました。

以来、コロナ禍の昨年を除き毎年1月27日を「ネバダ・デー国際共同行動の日」として、慰霊碑前座込み行動を実施しています。

アメリカが新型起爆装置などの核兵器開発のために行っている臨界前核実験は、ネバダ核実験場を使って実施されています。核実験場を閉鎖させることは、新たな核開発をストップさせる大きな意味を持っています。

寒波の襲来した今年も27日の午後0時15分から30分間、慰霊碑前座り込み行動を実施しました。

20230127_122615

最初に私が呼びかけ団体を代表してこの座込みの意義などについてあいさつをし、続いて県被団協箕牧智之理事長があいさつし座込みはスタートしました。

最後に自治労の村主公夫(すぐりきみお)さんが、下記のアピールを読み上げ提案し、全体の拍手で確認し、座込みを終えました。このアピール文は、首相官邸、アメリカ大使館、ロシア大使館に送付します。


「1.27ネバダ・デー」ヒロシマからのアピール

 今日1月27日は、1984年、米国の市民団体の呼びかけで始まった核実験場閉鎖・核実験禁止を求めるネバダ・デー国際共同行動日です。

昨年2月、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まり、今なお終戦・停戦に至らず間もなく1年となります。この間には、プーチン大統領による核兵器の使用・威嚇発言があり、原発や核施設への攻撃も行われました。つい先日もメドベージェフ前大統領が「通常戦争での核保有国の敗北は、核戦争の引き金になり得る」と威嚇するなど、核兵器使用への危機、原発攻撃による放射能被害の可能性が続いています。

一方で、核兵器の廃絶を求めて2017年に国連で採択された「核兵器禁止条約」は、署名国・批准国とも増加し、本年1月9日時点で署名92か国・地域、批准68か国・地域へと拡大を続けています。国際世論が大きく核廃絶へと動き始めていることは確かです。

しかし、当事者である核保有国、そしてアメリカと軍事同盟を結んでいる国やNATO諸国が条約に背を向けています。とりわけ日本は、唯一の戦争被爆国でありながら署名も批准もせず、昨年6月に行われた締約国会議にも、オブザーバー参加すら拒否し、国際社会の中でも大きな批判を浴びています。

この中で5月に開催されるG7広島サミットでは、核兵器の不使用あるいは廃絶への道筋・決意が示されなければなりません。

私たちは改めて、日本政府が被爆地ヒロシマの思いを受け止め、「核兵器禁止条約」に署名・批准に動き、G7広島サミットの議長国として、核兵器の廃絶へリーダーシップを発揮することを強く求めます。そして被爆地ヒロシマの市民として、「核と人類は共存できない」という先達の言葉を心に刻み、全世界に訴えます。

◆ネバダを始めすべての核実験場を閉鎖させよう!

◆核保有国と「核の傘」の下にある国々は、直ちに核兵器禁止条約に参加し、核兵器開発・核実験全面禁止を実現しよう!

◆ロシアによる、核の使用・威嚇は絶対に許さない!

◆東北アジアの非核地帯化と非核三原則の法制化を実現しよう!

◆世界のヒバクシャと連帯し、ヒバクシャの人権を確立しよう!

◆原発の再稼働、新増設に反対し、核に頼らないエネルギーに転換しよう!

 ◆ノーモア ヒロシマ! ノーモア ナガサキ! ノーモア ウォー!

2023年1月27日

「1・27ネバダ・デー」市民行動一同


寒い中でしたが53名の参加がありました。

いのちとうとし

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2023年1月26日 (木)

ミャンマー(ビルマ)の今を知る写真展―ミャンマーを忘れないで

ミャンマーを支援する会主催の「ミャンマー(ビルマ)の今を知る写真展―ミャンマーを忘れないで」が、30日午後9時までの日程で、袋町の「まちづくり市民交流プラザ エントランス展示スペース」(南棟1階)で開催されています。

私も写真展が開始された24日の午後3時ころに、NHKが取材している会場を訪れました。

2021年2月1日のミャンマー軍による軍事クーデターから間もなく2年がたちます。ミャンマーでは、軍事クーデターに抗議し、民主化を求める市民は民主主義を取り戻そうと不服従の抵抗を続けています。しかし、ミャンマー国内では、その方向とはま反対の事態が続いています。軍による市民への暴行・不当逮捕はやりたい放題、そして今や内戦状況になっています。

今回の写真展は、いま起きている軍による弾圧の現実と、命がけで戦っているミャンマー市民の様子を広く知ってもらいたいとの思いで企画されたものです。

会場には、「①これまでの経過②現在起きていること③ビルマ難民キャンプ教育支援④軍事クーデターが起きるまでのミャンマー」などの様子がわかる約120枚の写真などが展示されています。

20230124_145849

NHKの取材を終えたアウン・チーミィンさん(広島市立大学留学生)が、私にもいろいろと説明をしてくれました。

20230124_145802

上の写真は、アウンさんの生まれ故郷・マグウェ地方で昨年末に軍によって集落が破壊された様子を写した写真です。上段の2枚は、アウンさんのいとこの家が壊された写真です。この写真では見にくいのですが、左側が攻撃されるまでのいとこの家、右側は軍によって破壊され、瓦礫の山となった家があった場所です。ここに掲示されている6枚は、いとこから送られてきたものですが、この集落だけでも30軒の家が破壊されたそうです。

20230124_145309

「PDF(国民防衛隊)」とタイトルの付けられたこれらの写真には、非暴力の抵抗運動を続けていた市民が、国民防衛隊を組織し、抵抗している様子が映っています。この写真は、PDFに参加しているアウンさんの友人から送られてきたものです。

8枚ある写真の真ん中にミャンマーの地図が描かれた一枚がありますので、それを拡大しました。

20230124_145521

アウンさんによれば、この地図は軍によって燃やされた家の数を地域ごとに示したものです。数字は、ミャンマー語で表示されているのでわかりにくいのですが、アウンさんの解説によれば、ミャンマーの地図の左側一番上の「サクイン」という地域が燃やされた家が一番多く27,496の数字が書かれています。アウンサンの生まれ故郷「マグウェ」は、「サクイン」の南側に隣接していますが、7,818の数字が書かれています。

地図で白くなっている部分のうち、真ん中は首都のネービードーで、左下は、旧首都のヤンゴン周辺です。ミャンマーは、135ともいわれる民族がすんでいますので、少数民族が住む地域での破壊が続いていることが想像できます。

今では、マスコミもほとんど取り上げることのないミャンマーでいま起きている事実を知り、私たちに何ができるかを考えさせてくれる写真展です。ぜひ多くの人に訪れてほしいと思います。

いのちとうとし

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2023年1月25日 (水)

忘れてはならないテニアン島

平和公園やその周辺の碑めぐり案内をする時、必ず行くところに爆心地跡があります。島病院のところです。

太平洋マリアナ諸島の中に在るテニアン島、太平洋戦争末期の米軍基地として原子爆弾リトルボーイを搭載したB29エノラゲイ号が出撃したところと説明をする場所です。僕の頭の中でのテニアンの歴史は、エノラゲイ号が出撃した1945年8月6日の早朝からでした。

吉永直登(よしなが なおと)さんの著書「テニアン-太平洋から日本を見つめ続ける島」を読みました。これを読んで、自らの無知をとっても恥ずかしく思うとともに、テニアンの歴史の悲しさに打ちのめされた気持ちになりました。

51g7eyzxisl_sx342_bo1204203200_

マリアナ諸島に人が定住生活を始めたのは、遺跡調査などで今から3500年前頃だそうです。テニアンは日本の委任統治下にあって、日本人が住みついたのは明治時代頃だと言われてます。最初は移民県であった沖縄の人たちが多かったのようです。

昭和初期、沖縄からテニアンに隣りの島サイパンへの直行船便が開設され、1週間程度で行けたそうです。しかし便数も少なく、多くの人は本土経由のルートを使いました。テニアン元在住者の思い出によると、テニアンへの行き方を次のように書いています。

「奄美諸島を経由して鹿児島まで船で2泊3日、鹿児島で旅館に2泊ぐらいした後、鹿児島から福岡県門司市まで汽車で向かった。船の出発待ちで3泊した後、門司港から船に乗り、神戸経由で横浜に着いた。横浜で2,3泊し、サイパンに向け出港した」という工程を書いているのです。直行船便の倍以上の日時を使って行ってるのです。

これだけの行程を使いながらテニアンに着いた人たち、そこで従事した仕事はサトウキビの栽培だったそうです。しかし最初の頃の移民者の仕事は、広大なジャングルの開墾、整備作業という重労働から始まったのです。

やがて1929(昭和4)年以降、テニアンの海岸通りには学校や公共機関を建ち始めたのです。これらの建物が建ち並ぶ通りは、その後「スズラン通り」と名付けられ、菓子屋、時計屋、自転車屋、床屋、歯医者…などが建ち並んだのです。

終戦の2年前の1943年には人口が6101人に膨らんだとされています。もちろん沖縄の人だけでなく、「本土側」からの人も加わり、熱帯の島に突然現れた「日本の地方小都市」に発展したと書かれています。

そして1941年12月から始まった太平洋戦争、平和だったテニアンが戦争開始から約2年後過ぎから、米軍の総攻撃を受けたのです。その時の様子について元海軍兵士だった人は次のように書いています。

「ジャングルに飛び込んで私は目をみはった。おびただしい死骸が打ちすてられたようにころがり、腐って、ハエとウジが群がりついている。かなたの木陰に、こなたの岩陰にと、うつろな目をした女が腰かけ、老人がうずくまり、子どもが寄りかかっている」と。多くの人が岬から海に飛び込むなどして、自らが死を選んだのです。

1944年8月1日、テニアンは米軍に占領され島には星条旗が掲げられ、それから急ピッチで基地として様変わりの道を歩むことになったのです。それにしても、逆算すれば戦争そのものが終了する1年以上前にテニアンの日本人の歴史は終えたのですが、日本政府はそれを知っているのでしょうが、まさに「見て見ぬふり」で、本土側では「頑張ってる 頑張ってる」の嘘宣伝を繰り返しているようで、そのことがどうしても許せないのです。

そして米本土から極秘裏に原子爆弾が輸送され、ヒロシマ・ナガサキとなったのです。

「あの戦争さえなければ」

「貧しかったが、楽しかった」

テニアンの「はじめに」に書かれている言葉です。

今やテニアンは、サイパンやグアムと並び日本から容易に行ける観光リゾート地となっていますが、忘れてはならない悲劇の歴史でもありますね。

吉永直登さん著「テニアン 太平洋から日本を見つめ続ける島(出版社 あけび書房」、是非とも読んでいただきたいと思います。

木原省治

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2023年1月24日 (火)

三原地区の「19日行動」と広島の「1.23街宣」

昨日召集された「第211回通常国会」に向け行われた三原地区の「19日行動」と広島で行われた「1.23街宣」の報告です。

三原地区の活動は、いつものように藤本講治さんから届きました。

【三原地区】

平和で安心して暮らせる社会の実現を求めて、2023年最初の「19日行動」を1月21日(土)、13時30分から三原駅前におい18人が参加して実施しました。街頭行動の始めに、戦争をさせない三原市民行動共同代表の三原地区労働センター森光議長が「いま国内外で平和が脅かされている時だけに、一人でも多くの人に平和について考えていただき、行動を一緒にしてもらおうと呼びかけていくため今年もがんばって行きましょう」とあいさつを行いました。 その後、6人が憲法をないがしろにし、専守防衛をないがしろにする岸田政権の安全保障政策について、「1月23日から通常国会が始まる。この国会では防衛費増額などの予算案が審議される。国民生活を無視した軍備増強に反対の声を上げていこう」と訴えました。

121

スピーチで岡崎敏彦さんは、ロシア・ウクライナ戦争について考えなければならないことを述べました。「報道によればウクライナへドイツの最新鋭の強力な戦車を供与することが準備されている。ゼレンスキー大統領は、『ロシアに対抗しないと我々は生き残れない。正義を守るためには負けられない。今もっとも必要なものは戦車だ。』と強く訴えています。一方、アメリカの軍部最高指導者は、『今のやり方ではウクライナから今年中にロシア軍との戦争を止めさせることはできない。最後は平和的な外交で解決していかなければならない。』とも言っている」と指摘し、「世界から戦争を無くすためには平和的外交以外にない。その原点は、私たちがあの忌まわしい戦争を経験し、誕生したすばらしい日本国憲法だ。残念ながら今、その日本国憲法が傷つけられているが、もう一度私たちが磨いて、我々が元気に人間らしく生きていくためにはこの憲法が武器にしなければならない。このことを大切にして、今の憲法を変えていこうとする動きに対抗していかなければならない。」と訴えました。

今年最初の19日行動は、三原駅員・三原警察署員に1時間にわたって囲まれ、「この場所での行動は止めなさい!」という異様な空気の中での街宣活動となりましたが、憲法に保障された権利(憲法21条=表現の自由)を行使するべく最後まで街頭行動をやり切りました。

藤本講治

【広島地区】

「戦争させない・9条壊すな! ヒロシマ総がかり行動実行委員会」は、国会召集日の23日午後5時30分から45分間、本通電停前で街頭からのスピーチ行動を行いました。

20230123_174141

アピールでは、「軍事費倍増ではなく、①子育て・保育にもっと予算を②貧困者への生活支援の重視を③軍事費を生活、学費などに使えばどれだけ豊かになるか」などを4人の弁士が訴えました。私もマイクを握り、「今国会はどう論議されるべきか」のテーマで次のように話しました。

「昨年12月の臨時国会閉会後の岸田首相の様々な政策決定は、全く国民の声を無視したものでした。それは国会そのものを無視したものでもあります。

日本国憲法は、国会、内閣、裁判所の三つの独立した機関が相互に抑制し合い、バランスを保つことを求め、権力の乱用を防ぎ国民の権利と自由を保障する三権分立の原則を定めています。「法律をつくり、廃止することができる」のは国会だけであり、内閣の役割は「国会で承認された予算や法律に基づいて行政を進める」だけであるにもかかわらず、特に安倍政権以降、この原則がないがしろにされ、内閣が国会の上位にあるかのごとき政治が続いています。その流れは、岸田政権にも引き継がれています。こうした岸田首相の政治手法は絶対に許されません。

今国会に一番求められているのは、日本国憲法に基づき、国会が国会としての役割をしっかりと果たすことです。そのためには、それぞれの問題点に真摯に向き合い、質問には正面から答え論議を深めることです。それは与野党を問わず、すべての国会議員の責任です。そのためにも、国会の論戦に市民がもっともっと注目することが大切です。」

参加者は、51名でした。

いのちとうとし

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2023年1月23日 (月)

核兵器禁止条約発効2周年キャンドルメッセージ

核兵器禁止条約が発効して2周年となる昨日(22日)原爆ドームまで、HANWA(核兵器廃絶を求めるヒロシマの会)の呼びかけでキャンドルアピールが行われました。

午後4時半から、1500個のキャンドルが、呼びかけに応じた参加者によって、ガムテープによって描かれた文字上に並べられました。

20230122_173630

その後点灯作業が行われ、午後5時50分には、全てのロウソクに明かりがともり、「PEACE FOR UKRAINE ! NO NUKE WAR ! 2023」の文字が浮かび上がりました。

Dsc_90791129

灯ったキャンドルを前にして、最初に森滝春子顧問が、今回のキャンドルサービスの意義について訴え、続いて足立修一代表が、下記の「核兵器禁止条約発効2年にあたっての声明」を読み上げられました。


本日(2023年1月22日)は、核兵器禁止条約(TPNW)が発効して2年となる。現在、92か国が署名し、68か国が批准している。

 2022年2月、ロシアがウクライナに侵略し、核兵器を使用する旨の威嚇を行うなど、現在、核戦争の危機に直面している状況にある。しかし、広島の被爆者と市民は、決して核兵器を使用してはならないこと、核戦争に勝者はなく、地球の破滅をもたらす結末となること、今も続く戦火により多くの無辜の人々が殺されていることを一刻も早く終わらせ、停戦・終戦することを訴える。

 77年前、広島市はアメリカ軍の核兵器の爆撃により壊滅させられた。日本人だけではなく植民地支配していた朝鮮半島・台湾出身者、強制連行された中国人、アメリカ人捕虜や、国策により東南アジア諸国や中国から日本に留学した人たちも無差別に被爆させられ、また、死亡させられた。また、原爆の爆裂による直接の威力(熱線・爆風・初期放射線)だけでなく、残留放射線による被爆は爆撃後広島市内に入った人にも及び、放射性降下物による被爆は爆心地から30キロを超える地域にまでも及んだ。戦争が終わった後、広島での死亡者は1945年末までで約14万人と推定され、現在に至るまで白血病やガンにより多くの被爆者が死亡させられてきている。また、3日後に爆撃された長崎市も同様な原爆の爆撃を受け、同様の状態になっている。

 昨年6月、核兵器禁止条約の第1回締約国会議が開催され、ウィーン宣言が採択された。核兵器禁止条約の普遍化と核被害者の援護などが課題となっている。本年11月に開催される第2回締約国会議で、議論が深まることを期待したい。

 昨年8月、核不拡散条約(NPT)再検討会議が開催されたが、最終文書の採択に至らなかった。同条約6条の核軍縮義務を履行し完結する(=核兵器を廃絶する)ことは、2000年、2010年の最終文書で確認されているにもかかわらず、一歩も前進しなかったことは極めて残念な事態である。核兵器保有国がNPTを補完するTPNWの署名・批准に背を向ける態度を取ることは許されない。

 私たちは、核兵器保有国が安全保障を理由に核兵器の廃絶を先延ばしすることに抗し、日本政府に核兵器禁止条約へ速やかに署名・批准することを求めるとともに、核の廃絶を求める世界中の核被害者とつながって核なき世界をめざしていきたい。


昨年は、コロナ過ということもあり、昼間の時間にごく少人数での横断幕を掲げてのアピールとなりましたが、今年は人数を少なくしたものの核兵器禁止条約発効の年2021年と同様に、キャンドルによって「ウクライナに平和を 核戦争を許すな︕」のメッセージを発信しました。参加者は、約50人でした。

いのちとうとし

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

より以前の記事一覧