守ろう、平和・民主主義・人権!紀元節復活反対!2・11ヒロシマ集会
毎年2月11日に開催している「守ろう、平和・民主主義・人権!紀元節復活反対!2・11ヒロシマ集会」が、今年も昨日午前10時から弁護士会館で開催されました。
平和運動センター・県原水禁の大瀬敬昭事務局長の司会で集会は始まり、最初に平和運動センター高橋克浩議長が、「皇国史観にもとづく『紀元節』は、戦後の憲法施行とともに廃止されたにもかかわらず、天皇の政治利用を画策した政府・自民党によって『建国記念の日』として復活させ、今日の政治反動に結びついている」と主催者あいさつをしました。
今年の記念講演は、京都宇治にあるウトロ平和祈念館で副館長を努める金秀煥(キム・スファン)さんの「在日朝鮮人と天皇制=ウトロの歴史から人権を考える~差別と分断を乗り越えた力~」題して1時間半の熱弁がありました。中身の深い講演でしたが、ここでは私が関心を持った話しを紹介します。
戦前、戦争と植民地支配を背景に生まれた朝鮮半島出身者住むウトロ地区。その歴史的背景が丁寧に報告されました。私達は、強制連行による朝鮮半島出身者の日本への移住については、それなりに理解をしていますが、1910年の「韓国併合」以降、日本の朝鮮に対する植民地政策による「日本のための開発」を押しつけられた結果、多くの人々が生活基盤をうばわれ生活の糧を求めて日本に渡ってこざるをえなくなった背景については、ほとんど理解されていません。
金さんは、その一つの事象として、1910年以降の日本人の朝鮮への移住者数が、朝鮮から日本への移住者数を大幅に上回っていることをグラフで示しました。
私も、朝鮮の植民地支配以降急激に日本人の朝鮮半島への移住が進んでことを今まで考えたことがありませんでしたので、目からうろこの話しでした。もう少し調べてみなければと思う課題です。
その後金さんは、戦後の差別と貧困の中でのウトロ地区での生活、特に民族教育の開始、劣悪な生活環境の中での立ち退き問題などを通じて、団結を強めていったウトロの住民の闘いの歴史を紹介。そして今なお続く差別の問題について次のように提起しました。
ヘイトスピーチ、ヘイトクライムが沈黙効果を与えるが、それは、2次被害3次被害を控えたいとの思いからだと指摘しました。
しかし、権力が反人権、反民主主義、反平和を押しつけても、そうなっていないのは、市民の力があったから。市民の力こそが平和や人権主義を守る力になると強く訴えました。
私がもう一つに気なったもとは、金さんの「1945年8月15日からサンフランシスコ講和条約締結(1952年4月28日に発効)にいたる間の朝鮮半島出身者をめぐる政治の動きによって身分が翻弄され続けてきた」という話です。全く問題意識のなかった点ですので、学び直さなければと思いました。
最後の金さんは、「歴史を生きてきた人々の今がある。そこに学びながら、みんなが生きていけれる社会、生きることをあきらめない社会を作りましょう」と呼びかけました。
いろいろと学ばされる講演でした。
その後集会アピールが、県護憲藤本講治事務局長から提案され、全員の拍手で採択され、三木郁子さんの閉会あいさつで集会は終わりました。
集会アピールを全文紹介すると少し長くなりますので、後半部分のみを紹介します。
集会アピール (前半略) 戦後の日本は、戦争の惨禍を再び繰り返さないことを誓って再出発しました。しかし、現政権は「防衛力の抜本的強化」を謳いあげ、2025年度予算案では、軍事費は過去最高、8兆7000億円にのぼるなど軍備強化、戦争する国づくりを推し進めようとしています。今も世界では、22年2月に始まったウクライナにおける戦争、さらに23年10月からはイスラエルによるパレスチナに対するおぞましいジェノサイド攻撃がなされており、多くの命が奪われています。戦争国家づくりは一刻も早く終わらせなければなりません。 戦後・被爆80周年の節目の年。日本が過去の侵略戦争と植民地支配にどう向き合うのかが問われています。天皇制のもとで行われた民族差別、朝鮮の人々を「天皇の民」とする皇民化政策、今なお繰り返されるヘイトクライム。本日の集会で、戦争の中から生まれた在日朝鮮人のまち、京都ウトロ地区の歴史と人権、これまでの取り組みの中から人間の尊厳について、貴重なメッセージを受け取りました。私達は、平和憲法のもとで戦後80年間、戦争をしないで平和を守ってきました。この歴史的経緯とその意味をあらためて心に刻み、日本の戦前回帰を許さず、憲法を守る世論と運動を強化し、全ての人々の命と人権、平和が守られる社会を築くため、行動していくことを誓い、集会アピールとします。 |
いのちとうとし
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