「広島ブログ」

2022年10月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

経済・政治・国際

2022年10月 6日 (木)

ヒロシマとベトナム(その37-2)ベトナム象、広島を歩く-1のつづき

ベトナム象との出会い

現代の〔足跡第一号〕は分かりましたが、〔歴史をさかのぼって最初に広島県・東広島市に足跡を残した人は?〕を調べる課題は残ったままです。どうやって調べたらよいか、広島県立文書館にベトナムとの関わりを示す記録や古文書の存在と調べ方をお尋ねしましたが、思うように進みません。

そんな折、所属している東広島郷土史研究会の山城探訪会で「ベトナム象が西国街道を歩き、西条四日市宿に泊まった」という話を聞き、〔エッ!〕という驚きと同時に〔ヤッタ!〕と思わず歓声を上げました。

ときは享保年間、第8代将軍徳川吉宗の時代です。今からおおよそ300年前のことです。

Photo_20221004200601

享保14年渡来象の図:国立図書館蔵

鎖国政策の一方、海外事情に強い関心を寄せていた将軍吉宗が「象を見たい」と、雄雌2頭の象を発注したことに始まります。吉宗は馬の品種改良のためにペルシャ馬を輸入し馬場をつくるなど、動物にも関心を寄せていたそうです。これも単なる「趣味」ではなく、何らかの目的をもっていたのかも知れません。

吉宗と言えば、忠介(南町奉行大岡越前守忠介)と共に悪をこらす「名君」として描かれています。また、新田開発や「火消」、「目安箱」などの画期的な制度をつくった一方、「5公5民」や「上米制度」で庶民の暮らしを逼迫するなどの功罪をもつ「享保の改革」を進めた将軍です。

享保13年(1727年)6月13日、吉宗が発注した雄雌各1頭のベトナム象が長崎に着きます。雌象は食べ物や気候に馴染めなかったのか、病気で3ヶ月後に死んでしまいます。翌享保14年(1728年)3月13日に長崎を出発し、江戸までの354里(1400km余り)を75日間かけて踏破しました。

その雄象が、享保14年(1728年)4月8日、西国街道の宿場、西条四日市宿に泊まったというのです。

ベトナム象の旅を追って

〔江戸への象の旅にはベトナム人の象遣いか調教師が付いていたに違いない。するとその人が東広島に初めて足跡を残した人かも知れない〕と、8月から調べ始めました。次号から広島藩(芸州浅野藩)に入って西条四日市宿に泊まり、岡山藩(備前池田藩)に至るまでの象の旅を追い、江戸について亡くなるまでのベトナム象を紹介したいと思います。

「ベトナムの歴史」シリーズではなく、身近な広島県や東広島市に関わる内容なので「ヒロシマとベトナム」シリーズに寄稿することにしました。

(2022年10月6日、あかたつ)

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2022年10月 5日 (水)

ヒロシマとベトナム(その37)ベトナム象、広島を歩く-1

「日越国交樹立50周年」を前に

来年、1973年9月21日にパリのベトナム民主共和国総代表部で日本国政府とベトナム民主共和国の代表が外交関係樹立に係る交換公文に署名して半世紀、「日越国交樹立50周年」を迎えます。古(いにしえ)から連綿と続いてきたベトナム(越国)との関わり、交流を経て今日があります。そうした日本とベトナムとの交流史を辿ってみたいと、昨年3月から本Blogに新たなシリーズ「ベトナムの歴史」の寄稿を始めました。

Photo_20221004195701

1973年9月21日パリで調印された「外交関係設立交換書簡」

「日越国交樹立50周年」を来年迎えることから、身近な広島県や東広島市におけるベトナムとの交流の痕跡を探し始めました。

外務省の「国籍別外国人入国統計」によると1950年のベトナム人は18人、外交関係が樹立された1973年は1,411人、2021年末は432,934人です。「国交樹立」半世紀で307倍に増え、中国に次ぐ第2位を占めています。

東広島市に初めて足跡を残したベトナム人は?

ところで、〔東広島市に初めて足跡を残したベトナム人は?〕

調べると1994年に初めて6人のベトナム籍市民が登録されていました。「国交樹立」から20年後に初めてのベトナム人の足跡がありました。ちなみに、今年9月末のベトナム籍市民は1,554人です。

ところで、〔どのような人?〕

一挙に6人ということから、「広島大学の留学生では」と広大を訪ねましたが、当時の記録があったとしても紙媒体でデータベース化されておらず、調べることはとても困難」とのこと。広島大学留学経験を持ち、現在、ベトナム国家大学ホーチミン市校 人文社会科学大学の日本学部長をしている友人(フィン・トロン・ヒエンさん)に尋ねてみることにし、何となくネットで「広島大学ベトナム人留学生第一号」と検索してみました。

Photo_20221004195801

2014年3月15日、博士号を取得し帰国の「ヒエンさんを送る会」

〔あった!〕

広島大学「国際同窓生ネットワーク」「留学生時代の思い出」(注1)にグエン・ティエン・ルックさんの寄稿を見つけました。6人の学友とともに留学し、1992年~1994年3月まで千田キャンパスで、4月から1999年の帰国までの5年間を東広島市で過ごされたのです。

奇遇なことに、ヒエンさんの恩師に当たる方で、学会で来日されたルックさんの送迎をヒエンさんから頼まれ、エスコートした方でした。遠回りして〔東広島に初めて足跡を残した人〕にたどり着き、記憶力の乏しさをあらためて痛感です。

ちなみに当時の広島大学への留学生は540人、ベトナムからは6人だったとのことです。今年5月1日時点では84カ国・地域から1,638人、ベトナムからは55人です。

(注1)広島大学国際同窓生ネットワーク「留学生時代の思い出」 https://www.hiroshima-u.ac.jp/ialumni/memories/memories04

(2022年10月5日、あかたつ)

【編集者】あかたつさんからは、「ベトナム象、広島を歩く―1」は1回分の原稿として送られてきましたが、少し長めでしたので、今日、明日の2回に分けて掲載することにしました。明日は、いよいよ「ベトナム象」が登場します。

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2022年10月 4日 (火)

10月の「3の日行動」

昨日午後5時30分から午後6時10分(いつもより少し時間を短縮しました)まで本通電停前で、戦争させない・9条壊すな! ヒロシマ総がかり行動実行委員会が主催する10月の「3の日行動」が行われました。

ちょうどこの日から参議院選挙後初の本格論戦となる臨時国会が召集されましたので、今月の主テーマは、「国会開会 岸田首相は市民の声を聞け」です。

もともと野党は、8月18日に、憲法53条(いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。)に基づき、「安倍元総理の国葬問題や旧統一教会問題」を論議するための臨時国会召集を求める要望書を提出していたにもかかわらず、岸田首相自らの都合だけで臨時国会が、召集されないといういわば憲法違反の状態が続いていましたので、この時期の臨時国会の召集は遅きに失した感があります。

今回召集された臨時国会の会期は、昨日から12月10日までの69日間ですので、しっかりとして論戦が交わされることを強く期待します。

Dsc_2081-002

昨日の「3の日行動」では、私もマイクを握り、短い時間でしたが、主に次のようなことを訴えました。

第一は、野党の質問に正面から答える国会論議を取り戻すべきだということです。

国会の論議を形骸化させてしまったのは、野党の質問にまともに答えようとしなかった安倍元総理の答弁姿勢です。残念ながらその姿勢は、岸田首相の答弁にも表れています。それを示したのが、「安倍元首相の国葬」問題をめぐって9月8日に衆議院、参議院の両院で開催された議事運営委員会の閉会中審査です。野党が繰り出す様々な質問に対し、岸田首相は、従来の説明を繰り返すだけでした。こんな答弁が繰り返されれば、論議が深まるはずがありません。岸田首相は、野党の質問にしっかりと向き合って、誠意をもって答弁すべきです。こうした論戦を通じて、失われた国会の民主主義を取り戻すことが、この国会の最重要な課題です。

第二は、その試金石となるのが、「安倍元首相の国葬」問題での説明です。国民の半数以上が反対をしているにもかかわらず「安倍元首相の国葬」をなぜ強行しなければならなかったのか、その理由は徹底して究明されるべきです。手続き問題とともに、安倍元首相が本当に国葬にふさわしい政治家だったのかも問われなければなりません。

第三は、旧統一教会問題への対応です。自民党の調査がいかに杜撰なものか、そして教団との関係を断つと言えば、全てが不問に付されてよいのか。などなどです。特に安倍元首相と旧統一協会の関わりについて、岸田首相は「本人が無くなっているので調査には限界がある」としていますが、その限界までも調査していないのですから、全く調査しないと同じです。安倍元首相と統一教会との関係解明無くして、統一教会問題の終息はありません。

第四は、「核なき世界」が政治信条だとする岸田首相が、果たして本当にその役割を果たしたのかが問われなければなりません。核兵器禁止条約締約国会議、そして首相自らが参加したNPT再検討会議は、いずれも6月に通常国会が閉会して以降に行われています。この二つの重要な会議の総括をぜひこの国会で行うべきです。

第五は、野党が共同提案を予定している「憲法53条に基づいて臨時国会の開催要求があった時には、20日以内に召集しなければならない」という国会法の改正です。これは、以前から指摘されてきた問題ですので、ぜひこの国会で与野党が協力して成立させることを期待します。

さらに、物価急上昇のなかでの生活者の暮らしを守るための経済政策はどうあるべきか、などなど論議を深めなければならない課題が山積しています。国民の声を聞くだけでなく、その声にこたえる国会論議が進むことを強く望んでいます。

私の他には、統一教会問題が二人、国防費増額の問題を一人、それぞれの立場で問題点を厳しく指摘しました。

今月の行動では、「11・3ヒロシマ憲法集会」の案内チラシを配布しました。

参加者は、45人でした。

いのちとうとし

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2022年9月29日 (木)

安倍元首相の国葬と「沖縄南西諸島は今・・・進むミサイル要塞化・・・写真展」

広島市まちづくり市民交流プラザ南棟1階ロビーで「沖縄南西諸島は今・・・進むミサイル要塞化・・・写真展」が開催されています。

安倍元首相の国葬が行われた昨日、会場を訪れました。

展示されている写真は、主催者のZENKO(平和と民主主義をめざす全国交換会)広島が、東アジア共同体研究所琉球・沖縄センターと沖縄ドローンプロゼクトの奥間政則さんなどから提供を受けたものです。

南西端の沖縄の与論島から続く沖縄南西諸島、そして奄美諸島の馬毛島に至る島々で進むミサイル要塞化、軍備増強の実態を知ることができる写真展です。

20220926_143028

中国の海洋進出を口実に日米韓、オーストラリ、インド、英仏などによる中国封じ込めの最前進基地として九州南方から台湾北方にかけて約1,200kmに連なる島嶼群に、日米によるミサイル要塞化が進められている実態を知ることができます。

馬毛島、与那国島、宮古島などなど個別の軍事基地建設の問題、そして住民の反対運動などについては、いくつかの講演会などを通じて知っているつもりでしたが、全ての島々で進む軍事基地化の事実を一体のものとして明らかにしているこの写真展が示す事実は、私の想像をはるかに超えるものです。

Photo_20220927162001

それぞれの島の軍事要塞化の実態は、どれだけ国民に知らされているのでしょうか。

先の大戦で、国内唯一の戦場となった沖縄が、再び本土の砦としての役割が押し付けられようとしています。そそれは、いったい誰が推進してきたのか?平和憲法を踏みにじり、軍備増強・戦争をする国づくりを進めてきたのは、安倍元総理です。それは、アメリカの戦争に日本を巻き込む道に他なりません。この写真展は、安倍元首相が国葬にふさわしくない政治家であったことを如実に示しています。

「安倍元総理の国葬」は、安倍元総理が進めてきた軍事大国化への政策にお墨付きを与えることにつながるのではないでしょうか。なぜ、私たちが「安倍元総理の国葬」に反対したのか、反対しなければならなかったのか、国葬が終わったとしても、そのことは言い続けなければなりません。

この写真展は、明日(30日)まで開催されています。ぜひ今沖縄南西諸島で起きている事実を知るためにも会場を訪れてほしいと思います。

いのちとうとし

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2022年9月28日 (水)

安倍元首相の「国葬」実施に抗議行動―府中地区 

国民の半数以上が反対しているにもかかわらず、実施された安倍元首相の「国葬」に対して安保法制に反対する府中市民の会で抗議行動を取り組みました。

「国葬」が始まる午後2時より前からはじめようということで、午後1時から上下町Aコープ前で、府中天満屋店前は30分過ぎた2時30分から行いました。

Img_6665

上下地区

リレートークとスタンディングは今回も新しい人が駆けつけてくださり上下は12名、府中は16名の参加でした。

Img_6672

府中地区

リレートークでは、「先の戦争の反省で『国葬』は国民を戦争にかりたてるものだということで『国葬』という法律は廃止されたこと、そうした歴史的経過を無視して行ったこと、国会審議もなかったことは国会無視の安倍政治そのものであり許せない」というアピールがありました。

また、「国葬」の中で自衛隊音楽隊が演奏する3曲は非常に問題です。一つは靖国神社の歌「国の鎮め」で先の戦争を反省しているのなら演奏されないはずです。次は「悠遠なる皇御国(スメラミクニ)」、つまり幾久しい天皇の治める国という曲で、主権在民であるこの国にはふさわしくない曲です。そして東日本大震災復興キャンペーンソング「花は咲く」ですが政府のトップ・首相として多くの方が生まれ故郷に帰れなくなった原発事故の反省がみられません、という発言は印象的でした。

「国葬」が終わったからと言って、問題が解決したわけではありません。特に安倍元首相の憲法無視の政治、統一協会との関係など引き続き問い続けていきたいと思います。

小川敏男

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2022年9月25日 (日)

中国電力、1,390億円の赤字を予想

9月13日、中国電力の瀧本夏彦社長が記者会見を行い、来年3月期の決算予想として「1,390億円の赤字と」発表しました。まず9月のこの時期に、来年3月期を発表するというのに驚きました。発表するとしても、今年度の中間決算が出される10月以降だと思っていたからです。過去最大の赤字額としています。

Img009_20220924151401

中国新聞 2022.9.14より

赤字の原因は燃料費の高騰としています。これも「過去に例がない」としています。確かに火力発電の燃料であるLNG(液化天然ガス)などの化石燃料は値上がりしていますが、赤字の原因はこれが唯一のことでしょうか。

このブログにも何度か書いていますが、全国の原発を所有している9地域電力会社の中で、再稼働(島根原発2号機)、建設中(島根原発3号機)、廃炉(島根原発1号機)、新設(上関原発1・2号機)など、原発問題オンパレード会社は中電だけです。ついでに言えば、この年末にも運転開始が予定されている浜田市の三隅火力2号機にも、大金をつぎ込んで建設しています。

島根原発2号機の再稼働への「安全対策」費用、現時点で公けになっているだけで6,000億円以上とされています。上関原発計画は計画浮上から40年ですが、この間にいくらのお金を使ったでしょうか。公けには約690億円とされていますが、そんな少額ではすまないでしょう。

この程度の電力会社の「この程度」という意味は、電力販売量などのことですが、沖縄を除く9電力会社の中で真ん中より低いところに位置する中電ですから、資金調達的にも技術的にも無理なのです。

 島根原発2号機が再稼働したら1日1億円の収入になるとしていますが、点検もしないで1年365日稼働したとしても365億円、運転開始は1989年7月ですから、40年という運転年数を考えたら残り7年です。1年に365億円×7年で2,555億円の収入でしかなりません。明日から動かしたとしても、定期点検を実施しないとしても6,000億円にはなりません。

中電に言わせれば安全対策は、3号機にも関連しているとするでしょうが、それはまさに「取らぬ狸の皮算用(とらぬたぬきのかわざんよう)」でしょう。

中電のこの10年間の収益のグラフを見ると、2020年は1,000億円近い増益になっていますが、これは決算の計算方法が変更されたことによるものです。

20220924_142215

中電はこれからどうするか? とりあえず「自由化料金」といわれている、中電の裁量で値段を引き上げることのできる「スマートプラン」の料金や、深夜割引き、オール電化割引き料金を引き上げるでしょうね。

年末のボーナスも下げるでしょうが、この赤字の原因は働いている社員の責任では決してありません。繰り返しになりますが、身のほど知らずの金を使っている政策の誤りからです。中電に言わせれば「国の指導に従った」というでしょうが、これで許されるということはありません。

今年の株主総会で、取締役などの役員報酬を個別に明らかにすることを求める株主提案議案を出しました。この議案には、20パーセントを超える株数が賛成してくれました。こんなことはこれまでに無かったことです。

負けるのは分かっているのにパチンコや賭け事などにはまり込んで、抜くに抜けない状態で家庭を崩壊させるのと、似ているなあーと思っていました。

木原省治

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2022年9月24日 (土)

「岸田首相は安倍国葬をやめよ!9・23広島デモ」

全国各地で9月27日に予定されている「安倍国葬」の中止を求める様々な行動が展開されています。東京では、9月19日に「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会/さようなら原発・1000万人市民アクション実行委員会」が共催し、代々木公園で「安倍元首相国葬反対!改憲発議と大軍拡やめろ!さようなら戦争さようなら原発919大集会」が開催され、雨にもかかわらず13,000人が結集し、デモで訴え、多くの共感を呼んだと報告されています。

昨日、広島でも5人(秋葉忠利 (前広島市長)、石川幸枝 (保育者九条の会)、小武正教(念仏者九条の会)、岡原美知子(日本軍「慰安婦」問題解決ひろしまネットワーク)、山田延廣(広島県市民連合代表))の呼びかけで、「岸田首相は安倍国葬をやめよ!9・23広島デモ」が行われました。台風のため19日の街頭アピール行動が中止となった「戦争させない、9条壊すなヒロシマ総がかり行動実行委員会」も急きょ、このデモ行動を協力して取り組むことを決めました。

20220923_132314

午後1時原爆ドーム前に集まった参加者によって集会が開催され、呼びかけ人の小武さん、岡原さん、山田さんが、それぞれの立場からあいさつ、その後立憲民主党、共産党、社民党の各代表が、連帯をあいさつを行いました。新社会党も予定していましたが、到着が遅れたため、紹介だけになりました。

集会が少し伸びたため、出発予定時間の午後1時半を少し過ぎましたが、デモがスタートしました。

20220923_134135 

デモ行進は、呼びかけ人が持つ「安倍元首相の「国葬」中止を求めます」の横断幕を先頭に進みました。その他にも「「岸田首相は安倍国葬をやめよ!」の横断幕も準備されています。  さらに、参加者がそれぞれに準備したプラカードが、掲げられています。

行進参加者は、「安倍『国葬』に反対しよう」「安倍『国葬』を中止せよ」「『国葬』は憲法違反だ」などのシュプレヒコールをしながら、道行く人に訴えました。

20220923_140824

デモコースは、電車通りに出た後、紙屋町交差点を右折し電車通りを南進し、本通電停前を左折して本通を東進、パルコ前を左折し電車通りに出た後右折し八丁堀交差点を左折して岸田文雄事務所前まで行進し、「岸田首相は、安倍国葬を止めろ」などのシュプレヒコールを行って流れ解散となりました。

20220923_142223

参加者は、主催者の発表では300人でしたが、デモの責任者は「数えたら400人委て驚いた」と言っていました。400人と言ってもおかしくない参加者数だったと思います。

いのちとうとし

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2022年9月22日 (木)

府中地区の19日行動

府中地区の19日行動の模様が小川敏男さんから届きました。

【府中地区】

安保法制に反対する府中市民の会の19日行動は、今まで経験したことのない台風が来ると言うことで19日を21日(水)に変更して行いました。

午後3時から上下交差点前で14名の参加、午後4時30分から府中天満屋店前で17名の参加がありました。

Img_6642

上下の行動(小川敏男さん提供)

上下はこれまで上下Aコープ前で行っていましたが、店舗改装のため使用できず、場所を変更しました。すぐ近くに住宅がありましたので、今月はスタンディングだけとなりました。

府中ではいつも通りマイクを握っての行動を展開しました。

2022921

府中の行動(石岡真由海さん提供)

今月も先月に続き安倍元首相の「国葬」反対で行いました。昨日はどこで支度したのか大きな紙に「国」「葬」「反」「対」と書いてもってくる、幟、プラカードもあり、さらに参加者も多くて「国葬」は許せんと言う意気込みを感じました。そして、市民の方が車の中から手を振ってくださる方も多かったです。

発言では、①「国葬」を法律がないのに行おうとしている問題、②国会審議がされていない問題、③安倍元首相には資格がないなどなどが訴えられました。

毎日新聞が9月1718日に行った世論調査では、安倍元首相の国葬に賛成が「27%」、反対が「62%」となっています。
なんと国民の半数以上、60%以上の人が「国葬」に反対しているのですから、「何をか言わんや」です。岸田首相は「国葬」を即、中止するしかありません。

行動終了後、「国葬」当日の27日(木)にも抗議行動を行うことを決めて解散しました。

小川敏男

【編集者】19日は台風の影響で、どこも「19日行動は中止」になったものと勝手に解釈し、原稿のお願いをしていませんでしたが、府中から以上のような報告が届きました。「国葬反対」の幟を作ったのですね。

いつも一緒に報告を掲載している三原の行動は、確認が取れていませんので、実施されていたら、改めて紹介します。

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2022年9月21日 (水)

ベトナムの歴史(その15-2)

フランスによる植民地支配-1つづき

19種類の税」といわれていますが、実際はその数倍の重税

 フランスによる過酷を極めた搾取と収奪は、「その搾りとる名目の数々はこまごまとして、すべてを言うわけにたえないからその大きなものをあげて、わが輩(ともがら)に聞いていただきたい」と、〔3.フランスのベトナム支配の実情〕を書き進めています。

  • その1田畑税=土地を上等・中等・下等3ランクに分け課税。課税対象の田畑は増えず荒地が増えたことから、税を重くし荒れ地を耕せざるを得ないように追い込み、増えた田畑に課税。最もあくどいのは土地簿の面積を水増改ざんする。
  • その2人頭税=公捜銀と呼ばれ成年男子一人につき毎年金2元2角。人頭税のほかに労役税(公益銀)毎年八角、計3元。しかも毎年のように増額される。
  • その3家屋税=上等(年90100元)・中等(5060元)・下等(2030元)の3ランク。家屋の梁から窓、戸まで別に税がかけられ、さらに家の前後は「堂軒税」、軒の下は「庭税」、庭の外は「門欄税」、門の外は「園居税」がかかります。
  • その4渡頭税=数尺幅の河川でも渡し場で徴収。大きな渡しは一回毎に銀3040文、小さな渡しは銅銭3040文。
  • その5生死税=子どもが生まれるとフランスの役所で出生を届け、「初丁税」(2元)を払う。死亡した時には役所に検死願を出し、「官験税」(5元)払う。

チャウの記述は〔その19・煙草・小売税〕まで続きます。「19種類の税がかけられていた」とよく言われますが、その中身は決して19種類どころではありません。その数倍以上です。

Photo_20220919094601  

1890年後半のアジアの植民地

1894年の日清戦争後、日本は対話を割譲し西欧列強と共に植民地支配国になりました。

妻子を売って「天」を買い戻した村人

チャウは、「ここに、一つ泣いてよいのか、笑ってよいのか分からない小さな出来事がある」と、次の話を書いています。ある村があった。盛んな時は壮丁(そうてい)(注3)の人数が多かったが、兵火のためその大半を失った。しかしフランスは戸籍を増やすことはあっても減らさない。村は赤貧洗うが如く、公捜銀・公益銀(注4)を払おうにもどうにもならない。

皆で集まり相談したが、「ここまで追いつめられては、もう天に逃げることもできないし、地にもぐる術もない。連れだって保護管に訴え出て、焼くなり煮るなりしてもらおう」と泣訴に及びます。

ところが、保護管は「お前たちはどうして妻子や家や土地を売り払わないのか!」と責め立てます。

村人は慌てて、考えもなく泣き声をあげ「妻子も売りました。家も売りました。土地も売りました。売っていないのは頭の上の天だけでございます」

保護管は、「なるほど、なるほど、お前たちは天をまだ売っていないのだな。ならば、その天を俺に売ってくれ」と、村人に「天を売る」という証文を無理矢理書かせ指判を押させます。

書き終わると村人は追い返され、「役人はどうするつもりだろう」と話しながら村に帰りました。

ところが、村に帰り着き家にも入らない間に、一隊の警察兵が村をびっしりと取り囲みました。

そして、「お前たちからこの村の天を買った。だから天の下を歩いたり、天の光を浴びてはならぬ。家から顔をのぞかせば死罪だ」と、水も漏らさぬ見張りの下におかれます。

進退きわまった村人は哀訴し、村の上の天を購い戻すことを乞いました。

こうして本当に妻子を売り、家を売り、土地を売って、やっと捜銀を納め、天の下に住めるようになったとのことです。

Photo_20220919094602

この写真は文中とは関係ありませんが、ベトナムの著名な画家、ター・トゥック・ビンが描いた1960年代の農村の風景です。

その頃、「何がなくとも青空だけは、やはりなしでは済まされぬ。妻も子も田畑も売って、買い戻してはみたものの、おいらにゃ冷たいお天道様よ」という俗謡が歌われたとのことです。

笑ってよいのでしょうか、泣いてよいのでしょうか・・・・・皆さんはどのように思われますでしょうか。

恐らくその答えは、107年にも及ぶ不屈の抗仏闘争を闘い抜き、1954年5月にその支配を打ち破ったベトナムの人たちの心の中にあると思います。しかし、フランス撃退で終わりではありませんでした。フランスに代わってアメリカが侵攻し、1975年4月30日までベトナム戦争が続きます。これらは後々見てゆきたいと思います。次号では、抗仏闘争を見てゆきたいと思います。

(注3)壮丁  成年に達した男子、血気さかんな働きざかりの男子、壮年の男子。

(注4)公捜銀・公益銀   頭税と労役税

(2022年9月21日、あかたつ)

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2022年9月20日 (火)

ベトナムの歴史(その15-1)

フランスによる植民地支配-1

今号からフランスの植民地下のベトナムを見てゆきたいと思います。

ベトナムは1884年にフランスの植民地にされますが、実際は遡ること37年、1847年のフランス艦隊によるダナン攻撃から侵略が始まります。日本軍の仏印侵攻(1940年~1945年)時、日本軍の「明号作戦」(注1)で主権を奪われた19453月から日本の敗戦までの僅かな期間を除き、その支配は19545月のディエンビエンフーの戦いで敗れるまで続きます。

その間の過酷で残忍な植民地支配に抗するベトナム人民の戦いは、実に107年にも及びます。

フランスの植民地支配の実態を1905年に来日中のファン・ボイ・チャウ(注2)が著した『ヴェトナム亡国史』(平凡社)から紹介します。チャウは「〔はじめに〕で当時の人口について述べています。フランス人が作った徴税する対象者の名簿(捜銀の帳簿)でサイゴン省が1000万人、トンキン(東京、現在のハノイ)、ユエ(順化、現在のフエ)、その他の地域が1500万人、合計2500万人としています。しかし、主要な機関があり捜銀(徴税)が厳しいサイゴン省を除き、他は重い捜銀(徴税)から逃れるため人々は家族の人数を隠し、加えて正確さを欠いたフランスの調査のため実際の人口は40005000万人だったとのことです。

Photo_20220919093601

ファン・ボイ・チャウ

(注1)明号作戦

1940年9月に仏領インドシナに日本軍が進駐。日仏両軍によるインドシナ統治が進められていたが、1945年3月9日に日本軍がフランス総督府を襲い、インドシナ半島を日本軍が完全に支配下に置いた作戦。「仏印武力処理」と呼ばれている。

(注2)ファン・ボイ・チャウ

 10代の頃から反仏独立運動に参加したベトナムの民族主義運動で独立運動の指導者。ベトナムの青年を日本に留学させる東遊運動(ドンズー運動)を興し来日。日仏協約により国外退去、フランス官憲に逮捕される。1940年に軟禁先のフエで死去。

『ヴェトナム亡国史』は来日中の1905年に書かれた。

僅か5000のフランス軍、ベトナム人支配の構造

そのベトナム人を支配するのは5000人足らずのフランス軍、その下に40万人のベトナム兵を従えていました。一体、どうやって僅かなフランス兵が40万ものベトナム兵を従わせ、1万倍近くも多いベトナム人を支配することができたのか・・・・?

私だけでなく誰もが持つ疑問でしょう。

この疑問にファン・ボイ・チャウはこう答えます。フランスに手向かい一家族ことごとく殺された高級官人試験合格者(進士)である宋維新(トン・ズ・タン)。山に入り義士を募って11年間抵抗を続け、その間に父母と叔父の墓をあばかれ、息子を火あぶり刑に処され、自身も死後、死骸が火あぶりにかけられた同じく進士の潘廷逢(ファン・ディン・フン)などの実例をもとに、「フランス人が、われわれヴェトナム人を縛りつけるのに用いているやり方というのは、ほかでもありません。一族、皆殺しです。墓あばきです」と記しています。

Photo_20220919093701

フランスが1896年に建設し1954年まで使われたホアロー監獄です。植民地支配に抵抗するベトナムの政治犯を収容し、多くの活動家が処刑されました。

少し長くなりましたので、つづきを明日紹介します。

(2022年9月20日、あかたつ)

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

より以前の記事一覧