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経済・政治・国際

2025年7月22日 (火)

三原の7月「19日行動」

7月19日(土)1730分から三原駅前において定例「19日行動」を実施しました。街頭には20人が立って、「戦争させない!」、「市民が変える 選挙で変える!」「核兵器禁止条約 世界の希望!」などのプラカードを掲げてスタンデングと6人の弁士がマイクからアピールを行いました。

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▲「間もなく敗戦80年です。なぜ終戦記念日なんですか。敗戦なんです。敗戦記念日ではない。敗戦の日なんです。日本は戦争に負けたのではない。戦争が終わったんだ。だから戦争の責任を取ろうとしない姿勢が日本政府にありありと見えてきたのがこの80年であります。国民はそういう言いかえにごまかされている」と指摘しました。

▲今月筆者は司会の番でなかったのでプラカードを持って立っていたら、スピーチを聞いていた通りがかりの市民の方が「これ選挙なんですか?」「広島でやっている核兵器の問題なんですか?」と尋ねられました。「私たちは平和憲法を守るために三原で活動している市民運動団体なんです。政府が進める戦争する国づくりに反対し、戦争放棄を定めた憲法9条の改悪阻止を求めて毎月19日に街頭でアピール行動を行っているんです。なぜ19日かというと安倍政権の時、10年前の919日、戦争につながる安全保障関連法が国会で強行採決された日なんです」。「私たちは唯一の戦争被爆国として核も戦争もない社会を求めて街頭で訴えています」など市民の方と10分くらい話しました。

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▲街頭行動のまとめに立ったM町の岡崎さんは、「今、日本で起きている大きな問題は全て憲法違反だと思う。憲法違反だと裁判所から提訴されて規則違反だと言われたことは一切ない。どういうことなんでしょうか。こういうことを権力側は垂れ流しにして国民をだまし続けている。憲法違反の憲法改正の手続きを問うとなると大変なことになる。国民投票の過半数の賛成がなければ憲法は変えられません。しかし中身はどんどん変えていくんです。憲法違反を垂れ流ししながら、そういう社会に今なっていることを私たちは見抜かなければならない」。「憲法に謳われている『憲法擁護義務』、政治に携わる者(政治家)は、このことをしっかり肝に銘じて仕事をしなければならない。したがって、私たち主権者が私たちの身の回りを見ておかしいことはおかしいと言い続けてしっかりやっていかなければならない」。「政治を変えるのは私たち主権者です。私たちの一票で政治が変わります。政治を見るとき、どんな社会をめざすのか、そのためにどんな国の形にするのか、今のような政治が続けば、差別と分断いのちと暮らし、人権が破壊される社会ではないでしょうか。なんとしても憲法を暮らしに活かす。日本の行先を決める『日本国憲法』をみなさん守り抜きましょう。それができる主権者(国民)になりましょう」。と訴えて街頭行動を終了しました。 

藤本講治

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2025年7月21日 (月)

府中地区の7月「19日行動」

参議院選挙の投票日を前日となる19日、今月の「19日行動」は、いつものリレートークではなく、投票をよびかけるスタンディングを行いました。15時30分から上下Aコープ前(9人)、17時から府中市天満屋前(10人)で、実施ました。

横断幕は「差別に投票するな」としました。

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上下Aコープ前

明日(20日)の投票の結果しだいで戦後つづいてきた自民党中心の政治が終わるか否かの重要な転換点となる選挙です。すでにその兆候はあらわれています。本日のスタンディングでもいつになくみなさん手をふっての意思表示が多いと感じました。

日本人ファーストなどとアメリカの大統領をまねした安易なスローガンが予想外の支持を受けるのを見て、どの政党も同じような主張を大声で言い合い、外国人差別がまかりとおる選挙戦にあ然とします。

日本人ファーストが当たり前と思う皆さんに考えてもらいたい、日本人ファーストという言葉には外国人は差別して当たり前という意味が含まれているということを。「外国人を差別しろ」と日本人ファーストは同じである。すでに「私は外国人を差別する」と公然と言い放つ候補者まで現れました。また選挙期間中に女性候補者に対する殺害予告メールが届くという事態にもなっています。

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府中市天満屋前

マスコミは報 道しないか、ほんのちょっとのスペースしか記事にしませんでした。「断固許さない」というメッセージと共に報道するのがマスコミの使命だと思いますが、安倍政権とその後の自民党政治のもとではマスコミにその役割を期待するのは無理なのでしょうか。

この流れをそのままにしておくことはできません。

外国人差別が女性差別に、障害者差別に、少数者差別に、高齢者差別に、弱いものいじめにつながっていくことは容易に想像できます。

日本社会は壊れかかっています。明日の投票日にはその動きをストップする投票行動をおこないましょう。「差別には断固として反対する」と意思表示をしましょう。日本がアジアの国々から見向きもされない国にならないために。

小川敏男

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2025年7月20日 (日)

ベトナムの歴史(その41) ― ベトナム Now Ⅴ -カンボジア侵攻-

ポル・ポト政権崩壊・内戦10年

1975年4月17日、ポル・ポトが率いるクメール・ルージュと元国王のシアヌーク派が組んだカンプチア民族統一戦線が親米軍事政権ロン・ノル政権を倒します。翌76年にはクメール・ルージュ(ポル・ポト派)がシアヌーク派を押さえ、実権を握り民主カンプチア政府を作ります。そのポル・ポト政権が国民の4人に一人といわれる170~200万人を虐殺したことは幾度も触れました。

1978年12月、ベトナム軍がポル・ポトの粛正から逃れベトナムに亡命していたヘン・サムリンなど元クメール・ルージュの親ベトナム派を支援しカンボジアに侵攻。翌1979年1月、ベトナムに支援されたヘン・サムリンはポル・ポト政権を倒し、カンプチア人民共和国を成立させます。そして、2月17日にはポル・ポトを支援していた中国が「懲罰」と称して、ベトナム領内に大規模な越境攻撃し、中越戦争が起こります。

中越戦争は中国軍の撤退により一ヶ月で終結しますが、政権を追われたクメール・ルージュト(ポル・ポト派)とシアヌーク派(王党派)、ソン・サン派(共和派)という三派連合とヘン・サムリン政権との内戦が10年間続きます。この10年間は「カンボジア問題」として扱われますが、ベトナムとカンボジアの問題としてだけでなく、国連の果たす役割を含め国際政治が問われたのだと思います。

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国際政治に翻弄された「カンボジア問題」

下の図は、親ベトナム政権のヘン・サムリン政権と亡命政権の「民主カンプチア三派連合政府」の対立構図です。自国民やベトナム系住民を大量虐殺したポル・ポト政権を倒し、カンボジアの人々を「死の恐怖から解放」したヘン・サムリン政権ではなく、ポル・ポト派を含む三派連合をアセアン諸国やアメリカ、国連、そして日本が支持したのです。理解できないのは私一人ではないと思います。

ここにも冷戦が深まるなかで、それぞれの国益(経済的・軍事的)と思惑を持った国際的な対立を反映した構造が見て取れます。

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そのことを、初鹿野直美さんは「カンボジア:内戦とその後の国づくりの歩み」の中で、次のように述べています。「国連の代表権は三派連合にあり、西側諸国は虐殺を行ったポル・ポト派を含む三派連合側を支持することにジレンマを抱えつつ、ベトナムが背後に控える人民革命党政権を支持することができず、ちぐはぐな状態で4派が併存することとなった。」と。

国連安保理や国連総会など国際政治の場では、ベトナムの軍事侵攻を非難し、ヘン・サムリン政権はベトナムの傀儡国家であるとして認めないとの姿勢に終始します。日本政府もそうした流れの中で、「ベトナムの軍事介入による傀儡政権を、日本政府として政治的に認めるわけには行かない」と、ポル・ポト政権を承認してきたそれまでの立場を維持したのです。

無責任な国際政治や日本の追随外交が、ポル・ポト政権崩壊後の10年に及ぶ内戦で、カンボジアの人々を苦しめたことを忘れてはならないと思います。

国際世論が解決の扉を開き、デタントが道をつくった

こうした「カンボジア問題」に変化の兆しが出始めたのが、1980年代半ばからです。その一つが、ポル・ポト政権時代にカンボジアで繰り広げられた悲惨な大虐殺を描いた映画『キリング・フィールド』が公開されて、ポル・ポト派に反対する国際世論が大きく高まってきたことです。それは国連や国際政治に影響を及ぼし、ポル・ポト派を除き復興の主務者であるヘン・サムリン政権をはじめカンボジアの人々による枠組みづくりが進められました。

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もう一つはゴルバチョフがソ連共産党書記長に就任し、ペレストロイカ(経済・社会の再構築)路線と新思考外交(対話と協調)、グラスノチス(情報公開)を推進し、米ソの緊張緩和(デタント)が進み、1989年12月の「マルタ会談」で冷戦終焉へと大きく動いたことです。合わせて80年代半ばからの中ソ和解の動きも上げられます。

こうした中で、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の設置・派遣が準備され、1991年10月、「カンボジア紛争の包括的政治解決に関する協定(パリ和平協定)」が締結されました。

国益に執着した自国ファーストで絡まった迷路を照らし、解決への扉を開いたのは、何よりもカンボジアの人々の悲惨な体験と復興への姿です。そして一人ひとりの心をつないだ国際世論によるところが大きいと思います。

2025720日(あかたつ)

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2025年7月16日 (水)

原水禁大会で朝鮮人・中国人被爆者支援がテーマとなったのはいつからか?-その1

「在朝被爆者問題について話してほしい」との要望を受け、これまでの運動の経緯を中心にまとめる作業を進めています。

在朝被爆者問題が、原水禁大会で具体的なテーマとなったのは1990年代からですが、原水禁が朝鮮半島出身者や中国人の被爆者問題を取り組むようになったのはいつからだろうかと、手元にある「原水爆禁止世界大会報告決定集」を調べてみました。

被爆26周年原水禁世界大会報告決定集には、「朝鮮人・中国人被爆者」の文言は全く見つけることができません。

余談ですが、この被爆26周年原水禁世界大会は、特別の意味を持つ大会です。それは、この大会に初めてミクロネシアの代表が参加し、「1954年のビキニ水爆実験で、数多くのミクロネシア人が死の灰を浴びた」ことを告発し、日本の原水禁運動が、「原水爆被爆国が日本だけでなかった」ことを知ることになった大会です。

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そしてミクロネシア代表の告発を受け、国際共同行動として「現地の実態調査を行う」ことを決議し、核実験被害者と向き合うきっかけとなった大会だからです。

いつかこのことも紹介できればと思っていますが、話しを本題の「朝鮮人・中国人被爆者」に戻します。

大会報告集をめくると、ようやく被爆27周年原水禁世界大会(1972年)の基調に初めて「朝鮮人被爆者問題」が登場します。

基調の「(三)被爆者救援と援護法の制定運動」で、詳しく記述されています。

大会スローガンでも「五、被爆者を救援し、『被爆者援護法』を即時制定させよう!②,朝鮮人・中国人被爆者を救援しよう!」と明記されています。

大会の分科会報告の「被爆者問題第一分科会」で、次のように記述されています。

「七、又、本大会によって、『日本国民は唯一の被爆国民』という言葉を改め、朝鮮人・中国人等の外国人被爆者の実態調査に立ち上がり、その救援運動に併せて取り組むことを確認した。南朝鮮の被爆者孫振斗さんが、日本政府の責任によって、日本人被爆者と同等に扱われることが確認された。そのためには、日中、日朝、即時国交回復をかちとる闘いを進めることが、その基本であり、反戦・平和をかちとる大きな課題であることも確認した。」

この分科会報告を読むと、韓国人被爆者孫振斗さんが、1971年10月に被爆者健康手帳交付を申請し、翌1972年7月に却下されたことが大きな契機となったことがわかります。

この分科会報告の「被爆者問題第三分科会」報告には、次のような興味深い記述があります。

「宮崎:朝鮮総連と連携して『在日朝鮮人被爆者実態調査に取り組んでいる』状況が報告された」

当時全電通の役員だった宮崎安男さん(後に広島県原水禁事務局長、代表委員、原水禁国民会議副議長)が、全電通と在日朝鮮人被爆者の李実根さんなどが連携して取り組んでいた実態調査のようすを分科会で報告したものと思われます。この調査が、1975年の「広島県朝鮮人被爆者協議会」の発足に結びつくことになります。

翌年の大会では、さらに突っ込んだ討論が進んでいますが、その内容は明日報告します。

いのちとうとし

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2025年7月10日 (木)

変わるか、消えるか?!

「変わるか」「消えるか」この言葉、中国電力で働いている人に読まれている広報紙にあった言葉です。今の役員たちの「ノホホン」とした体質が続くと、消えてしまう可能性が大だと思うのです。

6月26日の株主総会前日の株価終値は、681円でした。20年以上前から、株主として中電を見続けてきました。思い出したくもないのですが、初めて中電株を買ったときの値段は、2000円を超えていたと記憶しています。 

当時友人から「中電株を持ちたいが、いくらぐらいになれば買い時だろうか」と訊ねられたことがあります。「まあ、1500円よりは下がることはないだろうから、それぐらいで買えば損はないと思うよ」と答えたのを思い出します。

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「小さく産んで大きく育てる」とか「谷深ければ、山高し」という言葉、素人が株を始める時の鉄則だと思っています。株価に「一喜一憂」しないことも大切だとは思いますが、ここまで下がると、この会社の無責任体質というか考える尺度を持たない感覚に疑問を持たざるを得ません。

中国電力など旧電力会社の株価は、「3・11」によって下がり始めました。あの日は金曜日でした。14時46分に地震発生、残り14分で株式市場は閉まりますが、この短い時間に東京電力の株は下がり始め、時間切れで取り引きは終わりました。

土日を挟んで月曜日、この週は、まさにジェットコースターの急降下という勢いで東電の株価は下がり始め、当然ですが、電力株の下がり傾向は他の電力会社にも波及しました。その結末が今の状況に通じていると思っています。

小さな島国で、且つ世界中でもっとも地震多発列島であるこの国に、原発を作り続けた政治や電力会社の責任は許されるものではありません。当然問われるものであると思いますが、最近の裁判では、その責任すら否定しているのはご存知と思います。

3・11の反省から、脱原発の声は大きくなりました。本音は別にしても自民党でさえ脱原発を言い出していていました。あの時、本気になって原発ゼロ政策を進め、再生可能エネルギーの推進をしていたら、福島原発事故の責任はしっかり問うことにしても、電力株の今の状態はなかったのではと思うのです。

株価の低迷とともに、株式配当も少なくなり、来年はもっと下がるということです。何よりも腹が立つのは配当に回す金を、2030年の運転開始を目標とする、島根原発3号機の設備投資に使うというのです。

これだけの事態になっても、莫大なお金を使って島根原発2号機の再稼働を進め、また3号機も稼働させたいと言い、上関原発もやるというのです。

計画発生から40年以上が経過しても、「必要だ」と言い続ける上関原発の計画、中電すら本気度がないにも関わらず、地元住民に謝罪すらしない。原発推進の人にも反対の人にも謝罪することを求めたいのです。

707億円を超える課徴金を支払わされたカルテル事件、顧客情報の漏洩事件、度重なる不祥事にも関わらず「ノホホン」としている幹部たちの姿。今、中電株の買い時を訊ねられたら、2000円を超えた時と伝えようかな。あり得ない話ではありますが、その時は僕がすぐに売ります。

これからも地域に必要とされ続けるために、中電は変わるしか道はない。凝り固まった考えも、見えない組織の壁も取り払い、今までの中国電力から、“はみ出す”勇気を持とうと言いたいです。

中国電力はもっと変わろう!今年の株主総会、2時間32分という時間が掛かりましたが、大きなヤジが飛びかうこともなく、参加株主からの発言も、中電の今の状態を憂う声がたくさん出ました。株主は感覚的に「変わるか」「消えるか」の節目を感じたのではないでしょうか。   

木原省治

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2025年7月 5日 (土)

ヒロシマとベトナム(その71) ―「昭和100年」と父― その3

6月26日付けの『読売新聞』に「『戦時版よみうり』全容確認」の見出しとともに、「『のらくろ』幻の連載も」という記事が掲載されていました。『戦時よみうり』は、本土防衛と戦争継続に必要不可欠とする領土・地点である「絶対防衛圏」が破綻し、本土決戦の準備が始まった1944年3月から翌年3月までの間、戦意高揚を担い総動員体制下で働く勤労者向けに発行された全4頁タブロイド判の新聞です。

人気の少年誌『少年倶楽部』(講談社)に「のらくろ」の連載が始まったのは、関東軍が中国軍の仕業に見せかけ満州で巨大な勢力を持つ軍閥・張作霖を爆殺し、満州での日本の勢力拡大を狙って起こした1928(昭和3)年の張作霖爆殺から3年後、満州事変の引き金となった柳条湖事件(これまた関東軍による謀略)が起きた1931(昭和6)年です。

天涯孤独の野良犬(のらくろ(・・・・))が軍隊に入り、ヘマを繰り返しながらも手柄を立てて出世します。1941(昭和16)年10月号で大尉に出世した「のらくろ」は除隊し、大陸の鉱山掘りの仕事に就くところで連載が終わります。10年に及ぶ連載で「のらくろ」ブームが起き、『少年倶楽部』は「昭和11年には75万部に達し、日本最大の児童雑誌になる」(日本近代文学大事典)に至ったそうです。

ズッコケな「のらくろ」の軍隊生活も、盧溝橋事件による全面的な日中戦争に入る1937年頃から「現実の戦争がトレース」され、「戦意高揚漫画とレッテルされても仕方ない」(映画プロデューサー、西村崇)漫画として、他の戦意高揚プロパガンダととともに「軍国少年」「軍国少女」を作り出す役割を果たしました。

かつて少年たちの人気を博した「のらくろ」が復活したのは、1944(昭和19)年という一段と厳しくなった戦局のもとで創刊された『戦時よみうり』の4コマ漫画でした。

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出典:読売新聞 2025年6月26日

上左の4コマは『戦時よみうり』の創刊号に掲載された1回目、上中は最終回前、上右は最終回の「のらくろ」です。1回目の文字は鮮明でなく、読み辛いかもしれませんので紹介します。除隊後に「死に物狂いで満州の自分の山もすっかり掘りつくし」、「久しぶりに帰って見る故郷の風物は決戦に張切ってゐる」、「ことに産業戦士の血のにじむ努力」、「今こそ のらくろの真価を見てもらふ時が來た、ヨウシ ヤルゾッ」

そして、1年後、「貯蓄戦線」の「社会見学」帰りを待ち受けていた「召集令状」で「のらくろ」の掲載は終わっています。

『少年倶楽部』に「のらくろ」が連載されたのは父が3歳から13歳までの10年間です。おそらく父も読んでいると思いますが、近々父の施設に行く予定があるので聞いてみたいと思います。『戦時よみうり』が発行されたのは予科練を志願する16歳でしたが、これは手にすることはなかったと思います。

戦意高揚と「軍国少年」「軍国少女」を作り出すためのポスター(出典:「プロパガンダ・ポスターにみる日本の戦争)

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「みんなが受けたんじゃけぇ」と予科練を「志願」し、飛行訓練もままならない戦況下で、「特攻に志願するもの一歩前」の号令に、自ら「百死零生」の特攻攻撃を「志願」した父。月1回の通院で会うと、「一つ上の者はようけぇ死んだ。97になって生き残っとる。不思議なことじゃ・・・」と繰り返す。

次号から、その特攻攻撃についてみてゆきたいと思います。

(2025年7月5日、あかたつ)

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2025年6月28日 (土)

原水爆被爆80年を考える集い

原水禁国民会議は、今日(28日)午後1時30分から東京の日本教育会館で「原水爆被爆80年を考える集い」を開催します。

「核と人類は共存できない」という揺るがない信念のもとに続けた運動の歴史に学びながら、「被爆80年」という節目にあたり、原水禁国民会議として何をするのかを検討するため、原水禁国民会議の役員だけでなく中村桂⼦さん(⻑崎⼤学核兵器廃絶研究センター(RECNA)准教授)や畠⼭澄⼦さん(ピースボート共同代表)の協力を得て、「原水禁被爆80年企画検討実行委員会」を設置し、協議を重ねてきました。

そして今回そのまとめとして、核廃絶に向かっての課題やとりくみの現状をテーマとしたブックレット「核と人類は共存できない あの日から80年、私たちがつなぐ平和の祈り」を作成しました。

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表紙のデザインは、原水禁国民会議染裕之共同議長です。このデザインに込めた染さんの思いは

①平和をイメージするカラー「青」を使用する。

②手書き風の丸い図形を使用する。

  丸い図形が与えるイメージは、

  ・始点も終点も無いことから「永遠」、「無限」を意味する

  ・曲線によって「優しさ」、「柔らかさ」を意味する

  ・中心からの距離が同じことで「調和」、「包容」を意味する

です。手に取って、デザイナーの思いを感じながら、読んでほしいと思います。

このパンフレットの完成を機に、その目的を広く共有する場としてシンポジウム「原水爆被爆80年を考える集い」を開催することになりました。

集いは、若い人からのアピールの後、原水禁国民会議川野浩一共同議長の「被爆80年を迎えて」の話、続いてそれぞれの執筆者がテーマごとにその内容を紹介します。私も「被爆の実相と全てのヒバクシャの救済」をテーマに話すことになっています。

秋葉忠利顧問からは、企画検討実行委員会で協議してきた「核兵器廃絶に向けた2035/2045ビジョン」が提起されることになっています。

その他に次のテーマで編集されています。

「核のタブーで考える、世界の現状と私たちの課題」中村桂子

「原水禁運動と脱原発」藤本泰成

「被爆者のおもいを受け継ぐ未来へ」畠山澄子

原水禁国民会議は、この集いをスタートに「被爆80年からその先へ 核なき未来をつくるカンパ」を呼びかけることにしています。

全国から集まった仲間とともに、集会を成功させ、7月、8月に福島、広島、長崎で開催する被爆80周年原水禁世界大会に引き継いでいきたいと思います。

いのちとうとし

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2025年6月27日 (金)

中国電力株主総会と祝島島民

この時期、各企業はいっせいに株主総会を開催します。一昨日のブログ6月は忙しい月: 新・ヒロシマの心を世界にで、木原省治さんから紹介してくれた「中国電力株主総会」が、昨日(26日)午前10時から中国電力本社で開催されました。

私も毎年、この日行われる本社ビル前の行動に参加していますが、今年も遠く祝島からの「上関原発計画の撤回、中間貯蔵施設の建設反対」の声を株主に届けるためバス1台で来られることを聞いていましたので、9時30分前に中電本社ビル前に行きました。

中電本社ビル前に着くと、例年のように玄関前には脱原発を訴え続けてきた市民グループの姿とマスコミのカメラがありました。

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5分ほどすると、祝島の皆さんを乗せた防長バスが到着し、手際よく幟用の竹竿などが下ろされます。

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全員が下車し、幟の準備が始まります。

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それを横目に見ながら、株主が次々と玄関を入っていきます。どんな思いを持っているのでしょうか。

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株主総会が始まりました。株主総会の様子が、声だけですけれど、準備したスピーカーを通じて流れます。

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数年前から中継が始まりましたが、今年はよく聞きとることが出来ます。

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「脱原発へ!中電株主行動の会」の皆さんの複数の「株主提案議案」の提案理由の説明(時間が限られ十分な説明は出来ない)が行なわれ、それに対する中国電力の「反対の説明」、いつもの中国電力への申し入れに対する誠意のない回答を思い出しながら、聞きます。

その後株主からの質疑が続きましたが、問答無用の回答に終始する中国電力。

会場内の発言の様子をこれほどハッキリと聞いたのは初めてですが、なんとも言えずむなしさだけが残ります。

祝島の皆さんは、12時半に帰りのバスが来るとのことでしたが、私は別の用事があり、行動の途中でしたが、11時半過ぎの中電本社前を後にしました。

1982年に上関原発計画が明らかになってから40年を超える年月が経っていますが、祝島の皆さんの頑張りで建設計画は、ストップしたままで、将来の見通しも立っていません。

以前見かけたことのある祝島島民の姿がずいぶんと少なくなっていますが、今年は「使用済み核燃料の中間貯蔵施設建設計画」の問題で周辺地域からの参加もあり全体の参加者は増えたとのことでした。

いつものことながら、祝島の皆さんの奮闘に頭が下がります。そして、この頑張りに答えなければとの思いを強くさせられた「中国電力株主総会」でした。

いのちとうとし

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2025年6月26日 (木)

イラン・イスラエルの停戦合意

いつまでこの状態が続くのはまったく予断を許しませんが、イランとイスラエルの戦闘行動の停戦合意が昨日実現しました。

早期の停戦を求めてきた広島市民の一人として、この合意を歓迎したいと思います。言うまでもないことですが、戦闘が続く限り市民の犠牲が強いられるのですから。

「核開発阻止」との理由による13日未明のイスラエルによるイランへの大規模な軍事攻撃開始。核関連施設、軍施設など100カ所以上を空爆し、その結果イラン市民の400人を超える犠牲者が出ています。

イスラエルによる軍事攻撃に反撃するイランのミサイル攻撃によって、イスラエル市民の犠牲も出ています。

軍事による攻撃は、常に市民が犠牲となることをこの軍事行動でも明らかなにました。

そして、違法で無謀なイスラエルの軍事攻撃を止めるのではなく、強力に支援するためアメリカが、22日(日本時間)には、国際条約を無視してイランの重要な核施設3カ所への攻撃を行いました。

このアメリカの攻撃に対し、イスラエルのガザへの侵攻以来、原爆ドーム前で抗議と即時の停戦を求めて活動をつつけている「広島パレスチナともしび連帯」の呼びかけで、22日と23日の二日間緊急アクションが呼びかけられました。

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私もこの呼びかけに応えて、23日のみでしたが参加をし、アピールを行いました。

思い出すのは、2003年のアメリカによるイラクへの軍事侵攻です。その大きな理由が、「イラクの大量破壊兵器の保有」だったことです。しかし、実際にはイラクには、大量破壊兵器は存在しませんでした。しかし、アメリカ軍を中心とする有志連合による戦闘、占領政策の結果、アメリカ軍が撤退する2011年12月末までに、英国に本拠を置くNGO「イラク・ボディー・カウント(IBC)」によれば犠牲者は16万人を超え、そのうちの79%はイラク民間人で12万7980人に達したとしています。

しかし、誤った情報によって軍事侵略を介し、多数の市民を殺害したアメリカの責任は、今も問われないままです。

今年3月、CIAFBIを含む米国情報機関が参加して、ギャバード国家情報長官が発表した「年次脅威評価」で、「イランは核兵器を製造していないと引き続き評価している。最高指導者ハメネイ師は03年に停止した核兵器計画(の再開)を承認していない」と明示したにもかかわらずの、今回の軍事行動です。

今回のアメリカの軍事攻撃は、国際法に違反するだけでなく、イランに「核兵器開発の口実」を与える結果にもなる暴挙だと言えます。軍事力によって問題は解決できません。

相互の信頼を少しでも取り戻すことが出来る道は、この停戦合意を双方が誠実に履行し、他国の積極的な関与によって、話し合いの場を持つことだと思います。

日本政府に求められるのは、そうした役割を果たすことではないでしょうか。

いのちとうとし

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2025年6月25日 (水)

6月は忙しい月

6月というのは忙しい月です。

広島県被団協(広島県原爆被害者団体協議会)の総会資料の活動報告を見ていると、平和公園の原爆に関する慰霊碑の案内をする回数が最も多い月でした。

6月は、小・中学校を中心に修学旅行で平和公園を訪れる人たちが多い月なのです。広島県被団協の「被爆を語り継ぐ会」のメンバーとして碑めぐりガイドをしているのですが、その数の多さが報告書に現れていました。

それと中国電力の株主総会が開催される月でもあります。6月26日の午前10時から本社2階の講堂で開催されます。全国の旧電力会社は26日が集中開催日です。

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私たち「脱原発へ!中電株主行動の会」は、株主総会に株主提案議案を提出しています。私たちの議案に賛同していただいた74名の株主さん、13万4100株で提出していました。議案を会社に提出するのは4月末にやる作業です。

6月は何をしているかと言いますと、書面による質問書を書き提出することです。それも13日に会社に持参しました。主にこの1年間の出来事を振り返りながら作成するのですが、それなりに忙しい作業となります。中電にはいろいろな出来事がありました。何といっても島根原発2号機の再稼働、不祥事、株価の低迷、配当金のがた減り、原発事故時の避難計画が返られたことへの対応、などなどです。16分野28項目となりました。

長い間、株主総会への活動をしていると教訓となるのですが、事前に質問書を出していると会社としては回答の準備を行います。そして事前質問書に回答をしたくないと思うと、「一括回答」という手段を使って回答を避けるということを行います。これは中電のコンプライアンスとは、会社が企業活動を行う上で決まりのことです。顧客への対応や特に株主への疑問や指摘には精神誠意に応えるということです。

株主総会のメインは、総会場における質問です。ここで何を問いただすかというのが、大きな舞台になります。事前質問書に書いていないことで、会社が驚くようなことを聞くのが良いのです。最近は一人の株主に2問までとか、そういう縛りをかける株主総会が増えてきました。以前は一人3分程度までというようなことで、3分に何項目をするというのが、我われ側のテクニックでしたが、項目数でやられると難しくなります。

私は、メモ紙に5項目くらいの会場内質問を用意していて、会場内質問になる寸前まで考えています。

この時期になると、差出人の書かれていない手紙が届くことがあります。たぶんに中電社員と思われる人からの、いわゆる「内部告発」的な物です。内容をしっかり読ませてもらいますが、差出人の方の連絡先がないので、詳しいことを聞くことが出来ないのが残念です。

今年も株主総会に合わせて、上関原発建設問題で長年戦っている上関町からもバス1台で訴えに来られます。

私たちは総会場で会社を追及して、広島の市民団体の人たちは中電本社前で街宣行動を行われます。是非とも皆さん、応援に駆けつけて下さいませんか。

木原省治

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