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経済・政治・国際

2025年2月12日 (水)

守ろう、平和・民主主義・人権!紀元節復活反対!2・11ヒロシマ集会

毎年2月11日に開催している「守ろう、平和・民主主義・人権!紀元節復活反対!2・11ヒロシマ集会」が、今年も昨日午前10時から弁護士会館で開催されました。

平和運動センター・県原水禁の大瀬敬昭事務局長の司会で集会は始まり、最初に平和運動センター高橋克浩議長が、「皇国史観にもとづく『紀元節』は、戦後の憲法施行とともに廃止されたにもかかわらず、天皇の政治利用を画策した政府・自民党によって『建国記念の日』として復活させ、今日の政治反動に結びついている」と主催者あいさつをしました。

今年の記念講演は、京都宇治にあるウトロ平和祈念館で副館長を努める金秀煥(キム・スファン)さんの「在日朝鮮人と天皇制=ウトロの歴史から人権を考える~差別と分断を乗り越えた力~」題して1時間半の熱弁がありました。中身の深い講演でしたが、ここでは私が関心を持った話しを紹介します。

戦前、戦争と植民地支配を背景に生まれた朝鮮半島出身者住むウトロ地区。その歴史的背景が丁寧に報告されました。私達は、強制連行による朝鮮半島出身者の日本への移住については、それなりに理解をしていますが、1910年の「韓国併合」以降、日本の朝鮮に対する植民地政策による「日本のための開発」を押しつけられた結果、多くの人々が生活基盤をうばわれ生活の糧を求めて日本に渡ってこざるをえなくなった背景については、ほとんど理解されていません。

金さんは、その一つの事象として、1910年以降の日本人の朝鮮への移住者数が、朝鮮から日本への移住者数を大幅に上回っていることをグラフで示しました。

私も、朝鮮の植民地支配以降急激に日本人の朝鮮半島への移住が進んでことを今まで考えたことがありませんでしたので、目からうろこの話しでした。もう少し調べてみなければと思う課題です。

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その後金さんは、戦後の差別と貧困の中でのウトロ地区での生活、特に民族教育の開始、劣悪な生活環境の中での立ち退き問題などを通じて、団結を強めていったウトロの住民の闘いの歴史を紹介。そして今なお続く差別の問題について次のように提起しました。

ヘイトスピーチ、ヘイトクライムが沈黙効果を与えるが、それは、2次被害3次被害を控えたいとの思いからだと指摘しました。

しかし、権力が反人権、反民主主義、反平和を押しつけても、そうなっていないのは、市民の力があったから。市民の力こそが平和や人権主義を守る力になると強く訴えました。

私がもう一つに気なったもとは、金さんの「1945年8月15日からサンフランシスコ講和条約締結(1952年4月28日に発効)にいたる間の朝鮮半島出身者をめぐる政治の動きによって身分が翻弄され続けてきた」という話です。全く問題意識のなかった点ですので、学び直さなければと思いました。

最後の金さんは、「歴史を生きてきた人々の今がある。そこに学びながら、みんなが生きていけれる社会、生きることをあきらめない社会を作りましょう」と呼びかけました。

いろいろと学ばされる講演でした。

その後集会アピールが、県護憲藤本講治事務局長から提案され、全員の拍手で採択され、三木郁子さんの閉会あいさつで集会は終わりました。

集会アピールを全文紹介すると少し長くなりますので、後半部分のみを紹介します。


集会アピール

(前半略)

戦後の日本は、戦争の惨禍を再び繰り返さないことを誓って再出発しました。しかし、現政権は「防衛力の抜本的強化」を謳いあげ、2025年度予算案では、軍事費は過去最高、8兆7000億円にのぼるなど軍備強化、戦争する国づくりを推し進めようとしています。今も世界では、22年2月に始まったウクライナにおける戦争、さらに23年10月からはイスラエルによるパレスチナに対するおぞましいジェノサイド攻撃がなされており、多くの命が奪われています。戦争国家づくりは一刻も早く終わらせなければなりません。

戦後・被爆80周年の節目の年。日本が過去の侵略戦争と植民地支配にどう向き合うのかが問われています。天皇制のもとで行われた民族差別、朝鮮の人々を「天皇の民」とする皇民化政策、今なお繰り返されるヘイトクライム。本日の集会で、戦争の中から生まれた在日朝鮮人のまち、京都ウトロ地区の歴史と人権、これまでの取り組みの中から人間の尊厳について、貴重なメッセージを受け取りました。私達は、平和憲法のもとで戦後80年間、戦争をしないで平和を守ってきました。この歴史的経緯とその意味をあらためて心に刻み、日本の戦前回帰を許さず、憲法を守る世論と運動を強化し、全ての人々の命と人権、平和が守られる社会を築くため、行動していくことを誓い、集会アピールとします。

いのちとうとし

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2025年2月10日 (月)

上関をめぐる今年の動きを予想する

 私が担当した1月25日のブログで「島根原発をめぐる今年の動きを予想する」と題して書かせていただきました。正月気分はとっくに無くなっていますが、今号では「上関をめぐる今年の動きを予想する」と題して書くことにしました。

以前なら「上関原発をめぐる…」と書くのでしょうが、現在、上関町では上関原発の動きというより、使用済み核燃料の中間貯蔵施設をめぐる動きの方が前面に出ています。「方が」というよりも、中間貯蔵施設だけになったように思えます。

1月14日、新年のあいさつで上関町を訪問した、中川(けん)(ごう)中国電力社長は、西 哲夫上関町長と面談しました。新聞記事を見る限り、中間貯蔵施設のことばかりとなっています。

上関町に原発建設の動きがあるのを、忘れてしまいそうな感じです。昨年12月10日、久しぶりに上関町議会の本会議を傍聴しました。新装された役場内の議場、原発に反対する議員も質問しましたが、原発をめぐる質問は全く有りませんでした。

上関原発の建設計画が公けになって、今年は43年目です。こんなに長期間に亘り、地元の人を含めて苦しませているのは大犯罪です。人としても組織としても許されないことだと思います。中電で働いている人からも、同じ考えの人は多いと聞きます。

中間貯蔵施設建設について、共同事業だとして前向きだった?関西電力も、ここにきてそのスタンスは後退しているように思えます。福井県の原発内に置かれている使用済み核燃料について、「どうしても県外に出すこと」を再稼働の条件にしていた福井県当局のスタンスが、後退したことが大きな理由だと思っています。

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読売新聞より

今年、上関原発計画が完全に撤回されることは無いでしょうが、次の2点をめぐる動きに注目しています。

その一つは、今年度中に閣議決定される予定の第7次エネルギー基本計画です。原発の新設問題について、これまでは既存原発の敷地内に建設するとしていた考えを、別の原発敷地での新設を容認する「敷地外」での建て替えにも道を付けました。中電の場合、島根以外で別のところに原発は在りませんから、上関も新設にはなりません。

エネルギー基本計画の素案が示された日に、経済産業省資源エネルギー庁の担当者は、建て替え先に「上関は該当しない」と言い切ったと、12月18日の新聞は報じています。

二つ目は、中電が「上関原発を建てさせない祝島島民の会」に起こしている、原発建設予定地内での海上ボーリング調査を止めないように求めている訴訟です。山口地方裁判所岩国支部で行われている裁判ですが、まさに反対運動への恫喝(どうかつ)訴訟といえます。

その一で書いたことにも関連しますが、上関原発の原子炉設置許可申請は2009年12月18日、中国電力から経済産業省原子力安全・保安院に提出されました。

提出した日の中電の記者会見用資料を見ますと、この申請は初めに原子力安全・保安院による第一次審査を受けることになっています。皆さんご存知のことだと思いますが、3・11福島原発事故後、原子力安全・保安院は廃止されました。上から読んでも下から読んでも「ホアンインアホ」で、笑いの話題なった保安院でした。

保安院が無くなり、「独立性が高い」とされた原子力規制委員会が発足しましたが、原子力規制委員会からは新設原発の審査の基準も出されていません。当然ですが、審査をする予定もありません。

海を埋め立てると元に戻すことは不可能です。上関原発は建設できないとした第7次エネルギー基本計画、それでも海を埋め立てようとする中電の恫喝訴訟、この訴訟の動きが上関原発計画を撤回させる、まさにトドメになると思います。

次回公判は4月10日、次々回は5月29日のいずれも木曜日と決まっています。

取り返しが出来ない海の埋立て、そのためのボーリング調査、理屈がつかない中電の主張、裁判ですから勝っても負けても控訴・上告という手続きとなるでしょうが、中電が負ける可能性を予測しています。

山口地裁岩国での判決は今年中に出されるでしょう。大きな節目となるのは間違いないと思っています。

追記ですが、2月2日に上関の隣り町、田布施町で町会議員選挙が行われ、「原発いらん!山口ネットワーク」の小中進代表が3位で当選されました。中間貯蔵施設反対の議員が4名から6名になり、推・反同数となりました。

木原省治

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2025年2月 9日 (日)

2025年「全国被爆二世交流会」

昨日、今日の二日間、広島自治労会館で「2025年全国被爆二世交流会」が開催されています。

「交流会」は、総会を挟んで2年に1回開催されていますが、今年の交流会は広島での開催となり、私も原水禁国民会議の代表として参加しました。

一日目の昨日は、雪の影響もあり開会の遅れが心配されましたが、午後2時からの予定どおり開会しました。

今年の交流会は、「裁判闘争や放影研との対応,そして厚生労働省交渉など,私たちにとって非常に重要な課題が山積している」(案内文)での開催となりました。

開会にあたった崎山昇全国被爆二世団体連絡協議会会長が、さきの長崎被爆二世裁判に対する最高裁の「上告棄却」の判断を厳しき批判するとともに、広島被爆二世裁判での上告に最大限の努力を行う決意するとともに「原爆被爆二世の援護に道を拓くため、全国対策など今後の活動のあり方を皆さんと協議しながら進めたい」とを表明しました。

その後、来賓のあいさつ紹介がありました。私も原水禁を代表として出席し、紹介を受けました。今回は、発言の機会がありませんでしたが、もし発言する機会があればと思っていたことは次のようなことです。

「被爆二世裁判の厳しい判決が続いているが、広島での上告に最高裁がきちんとした判断が行われることを強く求める。この厳しい裁判所の判断を受けても、被爆二世の将来への健康を解消することにはならない。もう一度、被爆二世問題とは何かを原点に立ち返り、自らの課題とするとともに、何が問題なのか、その本質を広げ、支援の輪をどう広げるかが課題となっている。とりわけ、厚労省との交渉は、今後の重要な課題となっていくと考えている。そのための努力を共につづけていきたい」

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来賓のあいさつ、紹介の後、二つの記念講演がありました。講演者はいずれも被爆二世裁判に深く関わっていただいた方です。

最初は、在間弁護団長が「裁判闘争の現状と課題」と題して、この間の裁判闘争の到達点、判決の問題点についての解説をするとともに、「国家の戦争責任を問う」視点からの運動の重要性が提起されました。

二番目は、裁判闘争を医学者の立場から意見陳述、さまざまなアドバイスを行ってきたいただいた医師の振津かつみさんが「裁判と遺伝的影響」と題して講演を行いました。

その後、石破茂内閣総理大臣宛の次の3点を柱とする要請が、全体の拍手で確認されました。

・核兵器禁止条約の署名、批准。仮にそれができないとしても3月に開催される第3回締約国会議に参加すること。

・原爆放射線の遺伝的影響の問題や被爆二世の置かれている状況と向き合い、原爆放射能の遺伝的影響を否定できない被爆二世を広く救済すること。

・福島第一原子力発電所事故を起こしたことの責任を果たすこと。トリチウムなどのを含む汚染水の海洋放出を直ちに中止。すげての福島原発事故被害者に「健康手帳」を交付すること。エネルギー政策を脱原発に転換すること。

要望書を確認し、寺中副会長が閉会のあいさつを行い、一端会議を終了した後、1時間ほどの参加者による「交流」が行われましたが、私は「交流」が始まる前に退席しました。

2日目の今日は、午前9時から同じ会場で、「今後の取り組みについての議論」や各県・各組織の取り組み交流を行い、午前11時半には終了する予定です。

いのちとうとし

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2025年2月 6日 (木)

ヒロシマとベトナム(その66-2)

騙され、騙す

昭和初期に活躍し日本映画の基礎を築いた監督の一人、伊丹万作が1946年(昭和21年)8月に創刊された『映画春秋』に寄稿した一文を初めて目にしたのは1990年11月1日でした。「戦争責任」と題する一万字弱の寄稿文、少し長いですが書き出し部分を紹介します。

「多くの人が今度の戦争で騙されという。みながみな口を揃えて騙されたという。私の知っている範囲ではおれが騙したのだと言った人はまだ一人もいない。ここらあたりからぼつぼつ分からなくなってくる。多くの人は騙した者と騙された者との区別ははっきりしていると思っているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。例えば、民間の者は軍や官に騙されたと思っているが、軍や官の中に入ればみな上の方を指して、上から騙されたと言うだろう。上の方に行けば、さらにもっと上の方から騙されたというに決まっている。すると、最後にはたった一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、僅か一人や二人の智慧で一億の人間が騙されるわけのものではない。すなわち、騙していた人間の数は、一般に考えられているよりも遙かに多かったに違いない。しかもそれは、『騙し』の専門家と『騙され』の専門家とに豁然と分かれていたわけではなく、いま、一人の人間が誰かに騙されると、次の瞬間には、もうその男が別の誰かを捉まえて騙すというようなことを際限なく繰り返していたので、つまり日本人全体が夢中になって互いに騙したり、騙されたりしていたのだろうと思う。このことは、戦争中の末端行政の現れ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といったような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的に騙す側に協力していたかを思い出してみればすぐに分かることである。」

続きは「伊丹万作全集」(1)「戦争責任の問題」を手にしていただくとして、あらためて噛み締めたいと思っている一節をだけ書き足します。

「『騙されていた』といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でも騙されるであろう。いや、現在でも既に別の嘘によって騙され始めているに違いないのである。」

 「反軍演説」  斎藤隆夫の政治姿勢

随分と長くなってしまいましたが、もう一人尊敬する人を紹介します。1940年(昭和15年)2月2日、帝国議会衆議院本会議場で行った「反軍演説」のために、国会を除名された斎藤隆夫です。「反軍演説」そのものも、鋭く感銘深いものですが、除名された後に詠んだ漢詩が特に心に残っています。。

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1940年 斎藤隆夫

吾言即是万人声 〔吾ガ言、即チ是レ万人ノ声〕

褒貶毀誉委世評 〔褒貶毀誉(ホウヘンキヨ)、世評ニ委ス〕

請看百年青史上   〔請ウ看ヨ、百年青史ノ上〕

正邪曲直自分明   〔正邪曲直、自ヅト分明〕

「昭和100年」を迎えた今、伊丹万作の言葉、斎藤隆夫の言葉がそのまま響きます。

次号では、泥沼に入った日中戦争からインドシナ侵攻、パールハーバーへと突き進んだ昭和を見たいと思います。

(2025年2月6日、あかたつ)

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2025年2月 5日 (水)

ヒロシマとベトナム(その66-1)

「昭和100年」と父

今号から“日本が無謀な戦争へと突き進み原爆投下と敗戦に至った経過”、“日本軍のインドシナ進駐”、“父の戦争体験”について書き進めることにします。

1928年(昭和3年)3月24日生まれの父は間もなく97歳を迎えます。父の生まれた1928年は初めての普通選挙が実施された年であり、同時に関東軍による張作霖爆殺事件があった年です。大正デモクラシーの一つの果実としての普通選挙と、ヒロシマ・ナガサキにつながる「昭和の戦争」に踏み込んだ年です。大変なコントラストですが、「父の人生」は「昭和100年」とほぼ重なります。

明治維新以降、富国強兵政策を進めてきた日本は、1877年(明治10年)の内戦(西南戦争)を経、1894年(明治27年)に日清戦争、1904年(明治37年)日露戦争に勝利します。勢い躍り出た日本は、ロシア帝国から割譲した遼東半島などの権益を守る関東軍を配備。帝国主義国として植民地政策を進めます。

でっち上げと謀略による大陸侵略

1931(昭和6年)年9月18日、関東軍は柳条湖事件を自作自演し、中国軍との戦闘を始めます。いわゆる「満州事変」、日本軍は戦火を中国本土に拡大させます。そして、1932年1月には上海の共同租界で日本人僧侶が殺害される事件を口実に、日本海軍陸戦隊が3月にかけて中国軍と衝突する上海事変を起こします。高まる排日運動と満州事変・満州国成立などへの批判をそらすための関東軍による謀略でした。

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陸戦隊は民衆の中に紛れている平服の中国軍(便衣隊)の銃殺を布告し、銃や日本刀などで武装した日本人自警団も加わり、「便衣隊狩り」と称して中国人住民を虐殺しました。犠牲者は上海市社会局の発表によると6,080人の住民が殺され、2,000人が負傷し、1万4千人が行方不明になっています。

傀儡国家「満州国」から日中全面戦争へ

翌1932年(昭和7年)3月1日、日本軍が占領した満州、内蒙古、熱河省を領土として日本の傀儡国家「満州国」が作られます。ご覧になった方も多いと思いますが、「ラストエンペラー」は、満州皇帝となった愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)の生涯を描いた映画です。

1933(昭和8年)年3月27日の国際連盟総会で「日本の侵略行為」とするリットン調査団報告が、賛成42、反対1(日本のみ)、棄権(シャム=タイ)という結果で採択されたのを受け、日本は国際連盟を脱退します。

1937(昭和12年)年7月7日、北京近郊の盧溝橋で中国軍との衝突が起こります。「夜間演習中に実弾が撃ち込まれ、兵士一人が行方不明」になったことを中国側からの攻撃として判断して起きたとされていますが、定かではありません。いずれにしても中国軍との全面戦争に入る口実として日中戦争の契機となります。

こうして日本は国際社会から孤立深め、言論・結社・表現の自由を奪う一方、戦時世論を掻き立て太平洋戦争へと突き進んでいきます。その結果、310万にも及ぶ犠牲者とヒロシマ・ナガサキの悲惨な結果を招いたのです。

この時代を知らない私は、「何でこのような愚かで無謀な道を歩んだのか」と思ってしまいます。後世に歴史として、ことの「正邪曲直」を知った者として、現在において再び「愚かで無謀な道を歩もうとしている」事態に臨む姿勢が問われていると痛感します。

(2025年2月5日、あかたつ)

【編集者】届いた原稿が少し長めですので、あかたつさんの了解を得て今日、明日の2回に分けて掲載します。

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2025年2月 4日 (火)

2月「3の日行動」

2月3日午後5時半から1時間、洋服の青山前で今年初めてとなる戦争させない・9条壊すな!ヒロシマ総がかり行動実行委員会の「3の日行動」が行なわれました。

昨年10月の総選挙の結果、少数与党に追い込まれた自公連立政権の初めての通常国会が始まっています。通常国会での最大に任務は、来年度予算の審議です。2月に入り衆議院での本格的な予算委員会の審議が始まりました。すでに野党からは、予算組替えのさまざまな意見が出ています。生活関連の予算組替えを求めてはいますが、さてその財源は?となるとどのような案が提示されるのか、見えてきません。もちろん財源をどう確保するのは、政府与党の役割ですが、野党の意見を聞いていて奇妙に感じるのは、増大し続ける防衛費予算についての発言がほとんどないと言うことです。日本の防衛費はGDP1%以内を目安としてきました。しかし、岸田政権が初編成した2022年度予算の防衛関係費は、従来方針を踏襲し5.1兆円でしたが、23年度当初予算では6.6兆円、24年度はさらに1兆円以上増額し7.7兆円となりました。そして25年度予算では、8.7兆円が計上されており、右肩上がりに増え続けています。

せっかく自公政権を少数与党に追い込んだのですから、この防衛費の増大にこそ、メスを入れるべきだと思いながら、「3の日行動」に参加しました。

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弁士とテーマは次の通りです。

いつのように川后和幸さんの「能登地震にみる防災対策の遅れ」を指摘する冒頭発言でスタートし、

立花志瑞雄さんは「被ばく80年核廃絶・戦争反対の大運動を」、大月純子さんは「『建国記念日』を問う」、山田延廣さんは「トランプ大統領と日米関係」、宮岡照彦さんは「呉の防衛拠点化反対運動の今」のテーマでそれぞれの思いを訴えました。

最後のまとめは、石口俊一弁護士でした。

寒波襲来の前日、日が落ちるとグーンと寒さが厳しくなった2月の「3の日行動」でしたが、30名の参加がありました。

いのちとうとし

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2025年2月 1日 (土)

被爆二世をめぐる課題に向き合い、国として補償せよ!

 2025122日、最高裁が被爆二世(長崎)訴訟の上告を棄却しました。

原告団・弁護団の声明は、次のように結ばれています。

「私たちはあくまでも、国の被爆二世に対する援護についてのこれまでの国の態度を根本的に改めさせるために、そして、世代を超えた“核”による人類への重大な影響を明らかにし、最終的には核兵器の廃絶を実現するために、最後まで闘いを続ける」

被団協のノーベル平和賞受賞で改めて注目されている「原爆被害者の基本要求」の柱は、「核戦争起こすな、核兵器なくせ」と「原爆被害者援護法の即時制定」です。その援護法の対象は、法律上の「被爆者」(手帳所持者)以外に、「死没者、遺族、子供、孫をふくむ」とされています。

https://www.ne.jp/asahi/hidankyo/nihon/about/about3-04.html

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怒りの記者会見する崎山曻団長

ふたたび被爆者をつくらないため、二度と国家権力に個人の尊厳を踏みにじらせないためには、戦争を遂行し原爆被害をもたらした国の責任において償う「国家補償」を求めるたたかいが不可避です。

私たち被爆二世は、被爆者のたたかいを継承しているという責任を、改めて感じています。

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 【マスコミ報道の紹介】

NBC長崎放送

https://www.youtube.com/watch?v=LKznfLEOTZU

NCC長崎文化放送

https://www.youtube.com/watch?v=FJvH4S6NdsY

KTNテレビ長崎

https://www.ktn.co.jp/news/detail.php?id=20250128007

 よりのぶ

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2025年1月30日 (木)

原水爆禁止広島県協議会第94回総会

27日は、ノーベル平和賞授賞式報告会に続き、午後7時から原水爆禁止広島県協議会第94回総会が開催されました。

高橋克浩代表委員の司会で開会し、議長にアイ女性会議の貴田月美さんを選出し議事が進行しました。

最初に、秋葉忠利代表委員があいさつ。

秋葉さんは、「この総会は、歴史的な総会です。私たちには時間が限られています。被爆者のお元気なうちに核兵器の廃絶を実現するということです。本当に我々がそれを活動の目標に据えるとするならば、その目標年は2045年しかありません。被爆100周年までに核兵器の廃絶を行うそれまで20年間です。20年間という時間はあっという間です。

その間に何をすればいいのかということを考えると、私たちのエネルギーをそれに集中するということが一つの可能性として考えられます。」とし、そのために「運動の輪を広げることによって核兵器の廃絶に対するエネルギーも増しますし、それから他の関連をしている活動についてももっともっと大きな成果が上がるはずです。それが相乗効果として早期に核兵器を廃絶させることにつながります。」さらに「我々が主導して世界に広めて、そして日本政府も変え、核保有国を説得して核の廃絶に持っていく。それを諦めてしまったら最初から何もできません。諦めずに目標を設定して、そのためにまず一歩を踏み出すということが一番大事だと思います。」と総会の課題を提起しました。

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その後、大瀬敬昭事務局長が、2024年度活動報告、2025年度活動方針、財政関係の収支報告、予算案を提案し、審議に入りました。

被爆80周年の今年度の活動方針は、特に、原水禁運動の若い世代への継承の強化、そのための原水禁学校の開催、「県原水禁結成70周年の歩み」の発行、核兵器禁止条約の署名・批准を求める活動の強化、10月に開催される「核被害者フォーラム」への支援、被爆者援護法への国家補償を明記させるための取り組みの強化などが柱となっています。

参加者からの意見は、「ホームページ、SNSを活用して、さまざまな活動を事前に周知して欲しい」「被爆者援護法への国家補償の明記はどんな意味を持つのか」などが出されました。これらに対し、「さまざまな行動計画については、ホームページだけでなく、メールによる発信によって個人会員を含めて周知できるように改善する」「援護法への国家補償の明記については、なぜ必要なのか、どんな意味を持つのかを改めて学習するため場を持つこと」が事務局から提案され、承認されました。

「被爆者援護法への国家補償の明記」は、ノーベル平和賞授賞式での田中煕巳代表委員が、受賞演説の中で特に強調されたことであり、関心が深まっていますので、出来るだけ早い時期に学習会を開催したいと思います。

そうした質疑の後、全員の拍手で、提案した議案全てが承認されました。

最後に自治労副委員長の檪原研介さんが、総会宣言を提案し拍手で確認されました。総会宣言の一部を紹介します。

私たち原水禁の運動は、核兵器の廃絶に留まらず「核と人類は共存できない」と原発を始めとした「核の商業利用」にも反対してきた。そしてウラン採掘から始まる核社会の中で被曝させられた核実験をはじめとする、すべての核被害者の救済を求めてきた。これ以上の核被害者を作らせないためにも核兵器廃絶への取り組み、脱原発への取り組みもいっそう強め非核社会を作らなければならない。

 被爆者は高齢化し、被爆体験を直接聞くことが困難になる中で、若い世代への運動の継承が求められている。高校生や大学生を始め、核兵器や原発の存在に疑問を持ち、活動を主体的に行おうとする若者も生まれている。そうした中心に「高校生平和大使」「一万人署名行動」を行う高校生がいる。こうした若者たちと原水禁運動を中心的に支えてきた労働運動や市民運動がいっそう手を携え、被爆者が「二度と自分たちと同じ思いを他の誰にもさせるわけにはいかない」と語ってきた原点に学び、「核も戦争もない社会の実現」へと歩んでいく1年にしていくことを改めて決意し総会宣言とする。

貴田議長が解任され、総会は無事終了しました。貴田さん、ご苦労様でした。

いのちとうとし

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2025年1月29日 (水)

ノーベル平和賞授賞式報告会と府中のネバダデー座り込み

ノーベル平和賞受賞報告会

広島県原水禁は、毎年1月27日には、昼のネバダデー座り込みに続き、夜は「広島県原水禁総会」を開催しています。

今年は、総会に先立ち昨年12月にノルウェーのオスロで行われた日本被団協のノーベル平和賞授賞式に参加した二人(県原水禁常任理事箕牧智之県被団協理事長と第27代高校生平和大使甲斐なつきさん)による「ノーベル平和賞受賞報告会」を行いました。

箕牧さんからは、ノーベル平和賞受賞決定のニュースが届いた時の思い、その日以来報道関係の取材が相次いだこと、さらに国王夫妻などの出席の下で行われたオスロでの授賞式に、これまでの運動の歴史を作ってきた被爆者たちの思いも胸に登壇したこと、ストーレ首相との会談などの関連行事の様子を紹介するとともに、被爆者の高齢を心配したスカンジナビア航空が、帰路はビジネスクラスの席を準備してくれたエピソードなどが、報告されました。

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甲斐なつきさんは、オスロ滞在中の4日間の精力的な活動の様子を報告しました。4日間の行動は次の通りです。

1日目:高校訪問、労働組合訪問、被爆者証言会参加

2日目:ノーベル平和賞授賞式参列、日本大使館主催レセプション参加、たいまつ行列、晩餐会

3日目:Youth Dialogue with Hibakusha(被爆者と若者の対話)、Red Cross Youth訪問、オスロ国際平和研究所訪問、オスロ大学での交流

出発日:ノーベル平和センター見学

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甲斐さんは、その行動を通して「私たち高校生が、原爆を過去のことじゃなくて、いまにも続くことというのを伝えていかなければならない」と思ったことや、曾祖父と曾祖母の被爆体験を聞いて「家族の被爆証言を引き継いでくれてありがとう」と涙を流す人もいたこと、「私たちの力は小さいけれど、一緒になることで、平和に向けての大きな力になりうる」ことを学んだことなどを報告しました。

二人の報告の後、私が「日本被団協ノーベル平和賞受賞の意義と課題」をテーマに30分の講演を行いました。

私は、「①ノーベル平和賞受賞のニュースを聞いた時の率直な感想②ノーベル委員会のノーベル平和賞受賞理由を聞いて納得③核兵器廃絶の原点が被爆の実相のあることを再確認④被爆体験の継承と私たちの課題⑤田中代表委員の授賞式のあいさつ」の五つをテーマに問題提起をしました。

1時間の「ノーベル平和賞受賞報告会」を終え、総会に移りましたが、その様子は明日報告します。

いのちとうとし

府中地区の1・27ネバダデー

雨が降ってきたので府中市役所玄関前へ変更したネバダデー

 1・27ネバダデーを行いました。小降りとはいえ雨なのでゴザの上で傘をさして座るわけにはいかず、急遽、ひさしがある市役所玄関前に場所かえ、スタンディングを行いました。
 最近は参加者が20人を超えることが多くありがたいことです。青年部や女性部、現評の役員など府中市職労からの参加が多いためです。

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20分間スタンディングを行った後、県原水禁常任理事の水田豊議員から「核兵器禁止条約の締約国会議へのオブザーバー参加を見送った石破首相に対しきびしい世論があったことから、自民党の国会議員を派遣することになったと報道されています。私たちの目的は核兵器禁止条約の署名・批准ですから署名・批准に向けて一層頑張りましょう」とあいさつされました。

大勢の参加にほんと感謝するばかり、もっともっと(私が)参加者の青年部や女性部、現評の役員さんにお礼を言うべきでした。

小川敏男

【編集者】小川さんから昨朝、府中の1.27ネバダデー行動の報告が届きましたので、一日遅れですが今日掲載しました。

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2025年1月27日 (月)

被爆80年・日本被団協ノーベル平和賞受賞記念イベント

広島被爆者7団体と記念イベント実行委員会が主催し、公益財団法人広島平和文化センターが共催する「被爆80年・日本被団協ノーベル平和賞受賞記念イベント」が、26日午後1時から平和記念資料館地下メモリアルホールで開催されました。

第一部は、オスロで行われたノーベル平和賞受賞式に参加した日本被団協代表委員で広島県被団協理事長でもある箕牧智之さんや第27代高校生平和大使甲斐なつきさんなど5人が登壇し、参加報告を行いました。

ノーベル平和賞授賞式の様子、被爆樹木の種の贈呈、ノルウェーの高校生との交流、たいまつ行進など、ニュースでも報道された様子が、それぞれの思いとともに紹介されました。

広島被団連事務局長で日本被団協代表委員の田中聰司さんは、入院中のため欠席でしたので、「森滝先生や藤居さんなど被団協結成に深く関わられた人たちの写真を手に参加しました」というメッセージが紹介されました。

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第二部は、「ノーベル平和賞受賞をどう受け止めたか」のタイトルで、11の団体から代表が、意見を表明しました。

この中で印象に残った発言は、韓国原爆被害者対策特別委員会の権俊五委員長、広島県朝鮮人被爆者協議会金鎮湖会長から、「授賞式での田中代表委員のあいさつは、評価できるが朝鮮半島出身者が多く被爆していることにきちんと触れられなかったのが残念だ」との意見が表明され、さらに金鎮湖会長は「アメリカの原爆投下責任について全く触れられなかった」ことが指摘されたことです。

私も二つの意見の同感です。私は、田中代表委員のあいさつでの中で言って欲しこととして、授賞式以前にある会合で「原爆の被害者は日本人だけでなかったこと。核兵器使用の危機が深まっていること。世界には広島、長崎以外にも多くのヒバクシャがいることを入れて欲しい」と話したことがありますので、二人の意見に同感です。そして「アメリカの原爆投下責任というかアメリカが原爆を投下したことに全く触れられなかったこと」については、このブログでも書きましたので、その通りの思いでした。

私も広島県原水禁を代表した発言する機会がありましたので、この「アメリカの原爆投下責任について触れられなかった」問題」については、触れようと思っていましたので、金鎮湖会長の意見には大きな拍手を送りたい気持ちでした。

私は、日本被団協がノーベル平和賞決定のニュースを見た時、「本当によかったと喜ぶ同時に被団協活動の先頭に立ってこられた先人を思い出したこと。今日の核兵器威嚇・使用の危機が迫る国際情勢に対し、それを止めるために被爆者の力を借りたいとの思いで受賞が決まったこと、そしてこの受賞によって、ますます被爆者や日本の原水禁運動の責任が重くなった」と感じたことを話した後、1955年の第1回原水禁世界大会宣言の中の「原水爆被害者の不幸は実相は、ひろく世界に知られなければなりません。その救済は世界的な救済運動を通じて急がなければなりません。それがほんとうの原水爆禁止運動の基礎であります。原水爆が禁止されてこそ、真に被害者を救うことができます。」の部分を紹介し、「一人でも多くの被爆者のいのちがあるうちに、核兵器廃絶を実現させるのは、私たち原水禁運動の約束・責任だ」と決意を述べました。

この記念イベントには、約230名(私の推測)の参加がありました。

いのちとうとし

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