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書籍・雑誌

2022年9月 3日 (土)

「核と人類は共存できない」か「核と人間は共存できない」かーその3

この書籍「核絶対否定の歩み」は、残念ながら森瀧先生が亡くなられた(1994年1月25日没)後の1994年3月に発刊されています。しかし、この本の出版計画は、森瀧先生ご存命中に進んでいましたので、この本の編集の中心となった下畠準三さんが、森滝先生の生前中に何度もご自宅に足を運び、先生と一緒「何を掲載するか」を含め、検討し作業を進められ、生前にほぼ完成していたものです。ですから、当然森瀧先生の了解を得て編集発刊されたものです。

残念ながら下畠さんは、今年5月に永眠されましたので、いまでは直接その詳細を確認することはできません

この「核絶対否定の歩み」の編集者ともいえる下畠さんは、全電通広島被爆者連絡協議会が1970年から1983年までの間に第10集まで発行した原爆体験記「原子雲の下に生きつづけて」の編集責任者でもありました。

この「原子雲の下に生きつづけて」には、森瀧先生が書かれた題字が使われ、5集までの全てには、先生の「巻頭言」ともいえる文章が寄せられていますので、森瀧先生と下畠さんは、深いつながりがあったことがわかります。

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そのことは、「原子雲の下に生きつづけて」の第4集に、森瀧先生と下畠さんの対談が収録されていることからも理解できます。

その対談の中で、下畠さんの「それは先生の哲学的思索の結論ですから、短い時間に変わっていくというものではないと思いますし、まして、根本的命題、先生の体系、原理というものでしょうから・・・」との問いに森瀧先生は「人類は生きねばならん、これが今の私の至上命令ですよ、倫理学の、平和の倫理の・・・」「それから原水禁運動そのものも、ひらきなおって大きく言えば、人類の生命というもの・・・」と答えられています。

さらに対談の最後の部分では、「私の戦後の発想法の人類という概念がものすごく実在化して、この、人類の運命などと昔いったら、大きなことをいうなってことになって抽象的になったのですが、いまはそうではないでしょう。原爆だけでもそうだったのが、今や世界的な公害になって来ますと、まさに人類の運命を考えざるを得ないようになってきた。人類は生きつづけなければならんという命題をたててみたりしますとね、」

そのことは1976年に日本評論社から発刊された「森瀧市郎反核30年」の前書きに次のように記されていることからもわかります。

「また、広島大学在職中に学生たちに乞われるままに書いたものや、広島の諸誌・諸新聞に寄せた折々の感想・提言などの中に『人類は生きねばならぬ』という私の根本命題にそった訴えのいくつかを加えた。私は、被爆後30年間殆ど宿命的に辿った歩みが、核絶対否定の志念(原文のまま)と行動であったことを核時代の世界人類に訴えたいという願いをいだきつつこの書を世におくる。」

もう一つ紹介しておきたいのは、同じ「森瀧市郎反核30年」の書名ともなった「反核30年」と題した文(全電通新聞=全電通労働組合機関紙=に1973年10月から1975年8月まで70回のわたる連載)の「核時代の道徳的義務」の項で次のように記されていることです。

「第4回大会(1958年)の宣言に『道徳的義務の分科会』の討議の要旨を盛ろうとして、私にその部分の起草を求めた。それは極めて簡潔でなければならなかった。曰く、『全人類が生死を共にしなければならない原子力時代に於いては自滅を防ぎ共存を促進することは人類の至上かつ普遍的な義務である。この義務は生命への深い畏敬と人類共同体の保存への願望に根がしている』と。」

「人類」という考え方は、森瀧先生にとっては至上のことだったと推察できます。

いのちとうとし

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2022年9月 2日 (金)

「核と人類は共存できない」か「核と人間は共存できない」かーその2

私が所蔵している「原水禁世界大会報告集」の中には、「被爆30周年原水禁大会」の報告決定集がありませんので、広島市立図書館のホームページで蔵書検索をしてみました。中央図書館が、所蔵していることがわかりましたので、すぐに中央図書館に行き、調べました。

そこには間違いなく「核と人類は共存できない」に収録されているとおり「核と人間は共存できない」と「人間」ということばになっています。

しかし、前後の文章では、全て「人類」ということばが使われていますので、なぜここで「人間」ということばが使われているのか、もう少し調べてみることにしました。

その1で引用した文章の中に「先日の国際会議で私があえて提起したテーゼは」と書かれていますので、同じ「被爆30周年原水爆禁止世界大会報告決定集」に収録されている「国際会議」での森滝先生の「日本側代表基調演説」を読むことにしました。

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「国際会議の基調演説」には、次のように書かれています。

「私は以上の概観の上に立って、この核の時代30年を総括して『核分裂エネルギーを利用する限り人類は未来を失うだろう』というテーゼを提起したいと思います。

と申しますことは、人類は核と共存することはできない故に、核分裂の利用の全てを否定する核絶対否定の理念をいよいよ高くかかげ、人類の生きのびる道を切り開いてゆかなくてはならないということであります。」(強調はいのちとうとし)

ここには、「核と人類は共存できない」ということばではありませんが「人類は核と共存できない」と、人類ということばが使われています。

ところで、「被爆30周年原水禁世界大会基調演説」の問題の部分を、後に森滝先生自身が引用し紹介された文章があります。それは「核絶対否定への歩み」と題して、日本社会党機関紙「社会新報」1979年6月15日から7月24日まで連載された原稿です。

この連載記事は、重要な文章だということで、1994年3月に原水爆禁止広島県協議会(広島県原水禁)が、発刊した「核絶対否定の歩み」に収録され、それを底本にして原水禁国民会議が2015年に発刊した「核と人類は共存できない」にも収録されています。

「生存のために」のサブタイトルがついた項があります。

そこには「大会基調演説の草案を精魂こめて書いた。その演説の後半は、いわば『核絶対否定』の宣言であった。」と記した後、「いわく」のことばの後「演説文」が長文で引用されています。

「被爆30周年原水爆禁止世界大会報告決定集」で

「結局、核と人間は共存できないのであります。

共存できないということは人間が核を否定するか、核が人間を否定するかより外ないのであります。われわれはあくまで核を否定して生きのびなければなりません。」となっている部分が次のように修正されています。

「結局、核と人類は共存できないのであります。

共存できないということは、人類が核を否定するか、核が人類を否定するかよりほかないのであります。われわれは、あくまで核を否定して生きのびなければなりません。」

ここでは、「被爆30周年原水禁大会報告決定集」で「人間」となっていたものが、全て「人類」ということばに置き換えられています。

いのちとうとし

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2022年8月29日 (月)

絵本「わたしはゴミステーション」

絵本「わたしはゴミステーション」が送られてきました。

奥付に「2022年8月1日発行」と書かれていますので、出来たばかりの絵本です。

さらに奥付には、「さく のびるぶんこのなかまたち」「え たけはらようこ」「発行 のびる文庫」、となっています。

この素敵なプレゼントを送ってくれたのは、「え」作家の竹原陽子さんです。

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表紙を見ただけで、何となく優しい気持ちになります。

すぐに絵本を開きました。

見開きの左側に、ひらがなで散文詩のような文章が綴られています。右側のページは、竹原さんが作った画用紙を切り張りして作った絵でおおわれています。

楽しくなる絵本ですので全部の文章と絵を紹介したいのですが、ここでは1ページ目の文章を紹介します。

わたしは ゴミステーション

ここでなんねんも こどもたちをみまもっている

はる

わたしの まえのあきちが

とうこうはんの こどもたちの しゅうごうばしょ

きょうは しぎょうしき

げんきなこえがきこえてくる

あしたから いちねんせいも やってくる

右側のページには、表紙と同じ絵があります。よく見ると、かわいいゴミステーションだけでなく、タンポポが描かれています。

次のページは「なつ」です

この絵本の発行者となっている「のびる文庫」について、奥付の横に次のように書かれています。

「1982年春から自宅で活動している地域文庫〔私設図書館〕です。絵本や児童書の貸し出し、読み聞かせ等を毎月1回、日曜日午前を基本に開設してきました。2012年からは地域の小学校での読み聞かせ活動、最近では地域でのふれあいサロン等へも出かけています。」

ここの自宅は、福山市議会議員の西本章さんのお宅です。もちろんこの絵本の中には、西本章さんの名前は出てきません。絵本好きの西本さんが、いつか絵本を作りたいと思っていたことがついに実現したのです。

この絵本を受け取り、竹原さんに次のようなお礼のメールを送りました。

「絵本は大人にも夢を与えてくれますね。

絵本を開けば、心が温まり、優しい気持ちにさせてくれます。

ちょっとかわいすぎるゴミステーション、今日はどんな声を聴いたのでしょうかね。

竹原さんの切り絵とも思える絵、とっても素敵です。

こんな特技があったなんて、といっては失礼ですよね。」

子どもたちが楽しそうにこの絵本を開く姿が目に浮かびます。

こんな素敵な絵本を作り、届けてくださった竹原陽子さん、西本章さん、本当にありがとうございます。

いのちとうとし

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2022年8月18日 (木)

藤登弘郎さんの水彩画集「原爆資料館 無言の証言」

被爆建物や被爆樹木などを描き続けてこられたアマチュア画家藤登弘郎さんの7冊目となる画集「あの日から77年悲しみは消えない 原爆資料館 無言の証言」が、自費出版され、私ものもとにも送られてきました。

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「刊行にあたり」には、次のように書かれています。一部を引用します。

「1955年(昭和30年)に完成した原爆資料館には、2万点を超す被爆資料が収蔵されています。これらは原爆の悲惨さだけでなく、持ち主の思いや当時の人々の暮らし、喜びと悲しみ、無念さを今に伝える、大きな役割を担っています。

遠からずやってくる、被爆者のいなくなる日。資料館に残された遺品は『無言の証言』となるでしょう。

この一年間、私は資料館を訪れ、被爆者や遺族から資料館に託された数々の遺品を目にしました。遺品から、核廃絶と戦争のない平和な世界を願う『ヒロシマの心』を知ってもらいたいと思い、絵を描き始めました。少年少女が着ていたであろう焦げた衣服やかばん。熱で変形した瓦・・・描くうちに、平和に暮らしていた人たちの命を奪った、原爆そして戦争に怒りがこみ上げ、涙を禁じ得ませんでした。

今回は、地質学者として被爆直後の広島に入り、執念で遺品を収集―研究した長岡省三さんと資料館の歩みにも目を向けました。初代館長となった長岡さんに共鳴した人たちが収集に協力し、長岡さんは『悪魔の刻印』と呼んだ遺品1500点を寄贈。資料館の礎を築きました。(略)

『核兵器が存在する限り、悲惨は繰り返される』。犠牲者の遺品は無言で訴えています。つらい体験を語り続けてきた被爆者と、この気持ちを共有したい。小さな力ですが、広島市民の一人として、被爆の惨状をしっかりと後世に伝えていきたいと思います。」

この画集には、89点の原爆資料館の遺品を描いた作品が収められています。何度も何度も原爆資料館に足を運ばれたようすが浮かんできます。

最初の作品は伸ちゃんの「三輪車・鉄かぶと」です。

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それぞれに遺品の被爆時の状況が書き添えられています。

「森脇瑤子さんの制服」には、2021年4月5日付の「少女の未来 奪われた 兄・細川さん被爆者の思い託す」とタイトルの付いた記事が添付されています。あと数点同じように中国新聞の記事が添付された作品がありあす。

今回の画集には、遺品を描いた作品に加え、被爆建物や樹木、地蔵、慰霊碑など、これまで描いてこられた35点も収められています。

「7冊目の画集」と紹介しましたが、被爆をテーマにした画集は、201年7月に発刊された2冊目の「被爆建物は今」以後の6冊です。

この画集は、200部発行されましたが、主に広島市立の各中学校や市立中央図書館に寄贈されていますので私に寄贈していただいた一冊も大変貴重なものです。

「刊行にあたり」に込められた藤登弘郎さんの思いを共有しながら、以前送っていただいた画集と一緒に大切に所蔵したいと思います。

いのちとうとし

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2022年8月16日 (火)

8・15のつどい

2002年から、毎年8月15日に開催されてきた「8・15のつどい 反戦・原爆詩を朗読する市民のつどい」が、今年は会場の都合で8月14日に広島市まちづくり市民交流プラザで開催されました。

「8月15日」を改めて問い直す企画として広島文学資料保存の会、広島花玄忌の会、四國五郎追悼の会の三団体が主催し、毎年8月15日の午後に開催されてきました。私も数年前から、参加しています。

例年、第一部では、原爆詩・反戦詩が朗読されてきましたが、今年は朗読劇「神部ハナという女の一生」が、上演されました。

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「神部ハナという女の一生」は、もぐり助産婦の神部ハナが、堕胎罪に問われながらもしたたかに生きていく様子が描かれたものです。最後のシーンで、神部ハナは原爆症で命を失う構成になっていますが、なぜ今年は、この構成詩なのか?ちょっと疑問符が付くものでした。

例年通り、集会のタイトル通り「反戦・原爆詩」、例えば原民喜の詩の朗読が行われればよかったのに、というのが率直な感想です。

第二部は、「今、改めて四國五郎を思うーウクライナ。核・表現の不自由―」と題した元NHKプロデューサーで武蔵野大学教授の永田浩三さんの講演です。永田さんは、2016年に発刊された「ヒロシマを伝える 詩画人・四國五郎と原爆の表現者たち」の著者です。

永田さんの話は、被爆直後から朝鮮戦争の時代にかけての広島の反戦・平和運動の歴史を、四國五郎さんの様々な詩を間に挟みながらたどるものでした。冒頭は、いま安倍前総理の死去の後に起こっている出来事、特に国葬の問題を問う内容でした。メディアで批判されている朝日新聞の川柳の紹介もありました。その一つです。「忖度は どこまで続く あの世まで」 言い得て妙の川柳ですが、恥ずかしながら、私自身はこの場で紹介されるまでよく知りませんでした。

永田さんは、四國五郎の詩だけでなく、大田洋子の小説「屍の街」や原民喜の「水ヲ下サイ アア 水ヲ下サイ ノマシテ下サイ」、正田篠江の短歌、栗原貞子の「ヒロシマというとき」などが紹介され、ほっとしました。

もう一つ、永田さんの話で初めて知ったことがあります。日本人が最初に写真で原爆の惨状を知ったのは、1952年8月に発行された「アサヒグラフ」の特集だと言われていますが(私もずっとそう思ってきた)、それより2年早く1950年6月9日の「平和戦線」という本だったことです。下関でこっそりと4万部印刷されたそうですが、まだ占領下、プレスコード(占領軍による事前検閲)下でしたので、即時発行停止処分になり、世には出なかった様です。

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興味深い話が続きましたが、最後に「『自由にものが言えない社会』にしないためには、市民がさまざまな声を上げ、表現を止めないことだ」ということを強調し、「表現者はカナリヤ 闇を照らすともしび 世界に輪郭を提供する 絵画や言葉で」と結んで、講演は終わりました。

広島は、8月6日だけでなく8月15日をどう過ごすのか、問われる時代になっていると思います。

いのちとうとし

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2022年6月 1日 (水)

紙屋町シャレオ古本まつり

第26回紙屋町シャレオ古本まつりが、紙屋町の地下街シャレオ中央広場で、5月30日から明日6月2日まで開催されています。

今年は、1月に続いて2度目の開催ですが、今回は4日間とこれまでで最も短い会期となっています。出店舗数もいつもよりやや少なく、9店舗の参加です。

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私は、雨が降っていましたが、初日の30日のオープン時(10時)に行ってきました。

私がめざすのは、郷土史関係のコーナーです。9店舗のうち3店舗が、このコーナーを設けています。郷土史といっても様々ですが、私が探すのは、原爆関係と軍都廣島に関するものです。学校史などにも被爆時のことや復興期のことが書かれていますので、それらが目に付くと一冊一冊、ザーッと目を通します。古い絵ハガキも、積まれていますので、一枚一枚丁寧にみていきます。

古い資料や冊子は、当然のことですが、一点ものです。今回見逃すと、次はいつ巡り合えるかわかりません(というか、再び手にすることはまれ)ので、気を付けて棚を追っていきます。戦前の資料や被爆直後に発行されたものは、少し値が高いなと思っても、見つけた時にすぐ購入するのが鉄則です。

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店舗が少ないのでフロアーに余裕があります

1時間あまり時間をかけて、ゆっくりと探して歩きましたが、残念ながら今回は、買っておかなければと思うものを見つけることはできませんでした。

最近は、だんだんとそうした本を見つけることが少なくなっています。1月の時に購入したのは、昭和9年(1934年)11月1日に廣島懸が発行した「明治二十七・八年戦役 廣島大本營誌」の1冊だけでした。日清戦争時広島に置かれた大本営に関する本は、2冊ほど既に入手していますが、広島県という公的機関が発行した資料は初めて目にするものでしたので、躊躇なく購入しました。

郷土史コーナーを設けている店の一つ、アカディミー書店は、よく訪れる店ですが、他の2店舗は、遠くにあるため店を訪れることができませんので、「古本まつり」には、時々アッと思うような本を出品していることがありますので、いつも楽しみにしている店です。

「古本まつり」には、映画のポスター、乗り物関係のコーナーなど専門分野に特化した品物を出店するお店や文庫本コーナー、300円・500円均一コーナーなどもありますので、一度出かけてみるのも楽しいと思います。

郷土史コーナーや専門書などは、1冊ものが多くほとんど補充がありませんが、その他の棚は毎日新しい本が補充されていますので、何度足を運んでも新しい発見があると思います。

私も会期中にもう一度行って見ようと思っています。

いのちとうとし

【編集者】毎月1の付く日(1日、11日、21日)は、イライザさんの原稿を掲載していましたが、イライザさんが参議院選挙に立候補することになり多忙となりましたので、当分の間このブログの原稿は、中止することになりました。イライザさんは、ヒロシマの心を世界にを毎日更新されていますので、ぜひそちらをお読みください。

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2021年12月12日 (日)

『ドン・キホーテ』が語る「歴史」とは、

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……歴史家たる者、正確を旨とし、真実に忠実でなければならない。あくまで客観的で、利害、愛憎、恐怖、いずれによっても筆を曲げてはならないからである。なんといっても歴史は真実の母、時の好敵手、行為の記録、過去の証人、現在にとっての手本にして警告、未来へ向けての戒めなのだ。……(『セルバンテス全集第2巻 ドン・キホーテ』〔前篇〕、第九章p,111、水声社)

「ドン・キホーテ」は有名だ。ミゲル・デ・セルバンテスの『才知豊かなる郷士 ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』を読んでなくても、とにかく「ドン・キホーテ」は知ってるだろう。

2002年、ノルウェーのブッククラブ(ノーベル研究所)が、54ヵ国の100人の著名人に「歴史上、もっとも素晴らしい文学作品」10篇の推薦を依頼し、その集計結果で、一番の文学作品として選ばれたのが『ドン・キホーテ』だそうだ。

ミゲル・デ・セルバンテスによって1605年に生まれたあの『ドン・キホーテ』で、著者が歴史について語る場面がある。歴史は、真実の母であり、時の好敵手で、行為の記録、過去の証人で、現在にとっての手本にして警告であり、未来へ向けての戒めであると。

歴史というのは墨塗りで消そうとして消されるものではない。都合が悪いといって改ざんをしても、「真実の母たる歴史」はその改ざんした行為までも記録し、過去の証人となり、現在への警告になる。それこそが、未来に向けての「過ちは繰返しませぬ」という戒めになる。

※エスパーニャ語では‹歴史›も‹物語›も同じhistoriaであり、人によって語られるもの‘という意味だそうです。

 

李 昇勲

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2021年11月24日 (水)

「李実根会長追悼集」発刊記念会

19日の午後6時半から、広島留学生会館で「李実根会長追悼集」出版記念会が開催されました。

1975年8月2日の結成以来広島県朝鮮人被爆者協議会の会長を務め、昨年3月25日、享年90歳で永眠された李実根さん偲ぶため、朝鮮人被爆者協議会によって「追悼集」の発刊作業が進められてきました。その「追悼集」が、李さん夫婦の結婚70周年の節目の日である「11月18日」に発刊されました。ですから出版記念会も「18日に」ということで準備されましたが、会場の都合で19日の開催となりました。

人が集い楽しく語り合うことが好きだった李実根さんの「追悼集」出版記念会でしたが、コロナ過ということもあり、参加者も50人に限定せざるを得ませんでした。当日の来賓あいさつも秋葉忠利前広島市長、宗教者吉川徹忍さんの二人のみでした。来賓のあいさつの前に、この会のために大小田沙和子さんが作成したDVDの上映があり、元気だった李さんの姿を偲ぶことができました。

発刊された「李実根会長追悼集」の内容を少しだけ紹介します。

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巻頭には、李さんが原爆ドーム前に立つ写真とともに李さんの著書「PRIDE 共生への道~私とヒロシマ~」の一部が掲載されています。

「活動家は自分がいかなる環境にあっても毅然とした態度を取り続けることが肝心なのだ。どんな逆境にあっても動じることなく、その境遇を逆手にとって、自分に有利に働くように創意性を発揮した自らの待遇を変革させる運動を常に起こしていく主体性を持たねばならない。政治活動をする者にとっては、‟闘う姿勢“こそが生命線であり、それこそが自己やその集団を守る武器であるということが、その時に得た教訓であったのだ。」

短い文章ですが、私たちへの教訓となる一文です。

「発刊によせて」は、朝鮮総連広島県本部の呂世珍委員長、そして李実根さんの長男李英一さんの「根のある木には実りあれ」と題したお父さんへの思い溢れる文章が続きます。

「父がわが家に残したものは、3冊の本(「PRIDE」「白いチョゴリの被爆者」「アンニョンハシムニカ 李さん」)と、『価値ある生き方』という言葉です。」「「李実根―根ある木には実りありと付けられた父の名前。その根を枯らさぬように、代を継ぎ、遺志を守っていく覚悟であります。」

追悼集の中心は、生前李実根さんと様々な立場で関わってきた14人から寄せられた「在りし日の偲ぶ追悼文」です。5000回にも及んだといわれる被爆証言、講演のこと、旧高野町高暮ダムへの「朝鮮人強制労働犠牲者追悼碑」の建設、在朝被爆者問題、人間的な交わりなどなど、多様な内容となっていますので、様々な場で活躍された李さんの往時の姿を思い起こすことができます。私も「在朝被爆者と李実根さん」のタイトルで寄稿させていただきました。追悼文の後には、「広島から世界へ」「広島・日本と祖国をつなぐ」「家族の支えと共に」のタイトルごとに分類された写真の数々、「李実根会長の歩み」をたどる年表も付けられています。多くの人にぜひ一度手にしてほしいと思います。

この追悼集は、400部発行されましたが、うち200部を希望者に有料(1000円)で配布され、その売上金は、李さんの子どもたち孫たちが通った朝鮮学園に寄附されることになっています。

この出版記念会は、広島県朝鮮人被爆者協議会の総会も兼ねていましたので、李実根さんの跡を受ける新会長には、これまで理事長として李さんを支えてこられた金鎮湖さんが就任されることが決まりました。

いのちとうとし

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2021年10月24日 (日)

「戦争と平和を考える子どもの本展inヒロシマ2021」

22日の中国新聞で紹介された「子どもの本・九条の会」が主催する「戦争と平和を考える子どもの本展inヒロシマ2021」に行ってきました。会場は旧日本銀行広島支店です。

主催者の「子どもの本・九条の会」、広島では初めて聞く名前です。そのはず、2008年に設立された会ですが、活動の拠点は東京だということです。この展覧会、東京では毎年開催されているのですが、以前から希望が実り、今年ようやく広島での初めての開催が実現したそうです。

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会場には、戦争と平和をテーマにした国内外の絵本・児童書が、「核兵器と原発に関する本」「戦争と平和に関する本」「各地の空襲、平和についてのお話絵本」などのテーマごとに約300点展示されています。何冊かは見たことがある本もありましたが、初めての本がほとんどです。

展示されているのは本だけではなく、「おこりじぞう」など5冊の本の原画も展示されています。

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メインの会場の最初の展示は、今年7月22日に亡くなられた児童文学作家那須正幹さんを追悼するコーナーです。

テーブルに並べられた那須さんの多くの本と共に絵本「絵で読む広島の原爆」の原画が展示されています。絵の作者は、西村繁男さんです。この本は、私の書棚にも1冊ありますが、見開き2ページを使って1枚の絵が描かれています。ですから、原画も横長のかなりの大きさです。

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一枚は拡大して紹介したいのですが、「写真撮影は全体としてはOKですが、原画単品での撮影はできません」とのことですので、上写真から横長の大きさを想像してください。

次に移動します。那須さんのコーナーの奥に、気になる原画展示がありました。

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今年1月に発刊された絵本「いぬのふるさと」の原画です。作者は、絵・文とも鈴木邦弘さんです。置かれていた本のチラシには「あの日から10年―遠い町で一人ぼっちになった犬は、ある日、故郷をめざした。」と書かれ、さらに「原発事故の被災地に何度も足を運び、取材を重ねた著者にしか画けなかった絵本」と紹介されています。福島原発事故による被災地の今を描いた作品です。

ここでも原画そのものは写真撮影できませんので、絵の雰囲気を知ってもらうため、会場の置かれていた絵の一枚が使われているチラシを紹介します。

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この絵は、「福島10年 見えない放射能を描く」と題して、昨年6月30日から7月11日まで東京新聞に掲載されたものです。

この「子どもの本展」では、本や原画の展示と共に23日、24日の二日間はトークイベントも開催されます。

最終日の今日のトークイベントは、午前11時からの「『チンチン電車と女学生』の笹口里子さんの被爆証言」、15時からは「絵で読む広島の原爆」の原画作者西村繁男さんの講演など4つの企画が予定されています。

今日が最終日ですが、時間があれば、立ち寄っていただきたい展示会です。

いのちとうとし

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2021年7月 7日 (水)

「ヒロシマの空白 被爆75年」発刊

中国新聞が、2019年11月28日付で開始し20年3月まで連載した「ヒロシマの空白 被爆75年」が、再構成され1冊の本となって出版されました。

「『空白』を埋めていく」と題された前書きには、こう書かれています。「米軍が投下した広島原爆の犠牲者は「14万人±1万人』と言われているものの推計値に過ぎず、いまだに把握されていない死者が大勢いる。平和記念公園内の供養塔にに引き取り手がないまま安置された遺骨の人数や身元、被爆者を苦しめてきた放射線の健康被害―。原爆被害について分かっていないことは、あまりに多い。」

この連載が始まる前、担当記者の一人と同じことを話したことを思い出します。連載中から期待していましたので、毎回の記事を切り抜き、大切に保存してきました。埋もれていた広島の事実が掘り起こされた記事の連載に、興味が尽きることはありませんでした。

ですから、この連載がまとめられて本になればよいのにと期待していましたが、そのニュースを耳にすることはありませんでした。

ところが、この連載企画が、2020年の新聞協会賞を受賞したことが契機となり、今回再構成して出版することになったようです。

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写真グラフから始まる本書の内容については、大きな目次だけ紹介します。

 第1部「埋もれた名前」

 第2部「帰らぬ遺骨」

 第3部「さまよう資料」

 第4部「国の責任を問う」

 第5部「朝鮮半島の原爆被害者」

 第6部「つなぐ責務」

 第7部「75年後の夏」

 連載中によせられた写真を中心とした「街並み再現」

本は、A4版の少し大きめのサイズです。本文には、写真の映りが良くなるような紙が使われています。発行元のザメディアジョンに電話で、使われている紙を問うと「上はマットコートです。古い写真も多くあるので、出来るだけクリアに見えるようにとこの紙を使うことにしました」とのことです。ですから、新聞紙上とは違う写真を目にすることが出来ます。

奥付を見ると発行日は、6月23日となっていますが、初版の1500部は、すでに完売。8月6日も近いということで、増刷されることになっているようです。ひょっとするとすぐに入手できないかもしれませんが、ぜひ手にしてほしい本です。

私もこのブログを書くのに、何度かこの本には、お世話になりそうです。

いのちとうとし

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