在ブラジル被爆者森田隆さんの訃報とMOVIE「私の戦後は終わらない ブラジルに渡った被爆者たち」
「我々ブラジル在住の被爆者が連絡して活動を始めてから、早くも40年が過ぎていきました。当時年長では無かった私も百歳を超えました。そして、何よりも我々が願望した幾つかの成果を達成することが出来たと思います。(中略)
1984年協会を設立し、数え切れない多くの協力者に支えられ、励まされながら運動を続けてくることが出来ました。奇しも皆さまが我々の活動の支援のために会を結成されたのは、2002年3月2日、私の78歳の誕生日でした。そして当時、在外被爆者の運動も一番難しい、待ったなしの時期でした。(中略)
我々の会も、2020年 念願の現地医療機関で治療の実現を達成できました後、そして、世界でのコロナウイル感染危機の際、ブラジルの規則に基づいた正規の会としては終了しました。
その後は、元役員達の協力と尽力の元、出来る範囲内で残り少なくなった同胞達のお手伝いをしております。また、ブラジル社会の若人への平和活動は、私も命有る限り参加したと願っておりますが、現状の世界情勢を考えますと只々心が痛みます。
いつの日か、この世の戦闘の無い平和が実現出来ることを祈り、私たちの皆さまへのお礼のメッセージとさせていただきます。
2024年7月 ブラジル・サンパウロより
森田隆」
このメッセージは、現地時間8月12日午後5時55分、逝去された在ブラジル被爆者森田隆さんから、7月28日に「在ブラジル・在アメリカ被爆者を支援する会」の活動に区切りを付けようと関係者が集まり開催された懇談会に届いたメッセージです。
この懇談会で、百歳の誕生日を、そして5月4日にブラジルを訪問した岸田首相と面談し、自伝の本を手渡すと共に「核廃絶」を強く訴えた森田さんの元気な様子を話し合ったばかりでしたので、森田さんの訃報を伝える14日の中国新聞を只々驚きと悲しみで読むしかありませんでした。
岸田首相との面談前の左から盆小原さん、森田さん、渡辺さん
その後、中国新聞紙面では、かつてブロジルを訪問し森田さんとずっと親交が続いていた森田裕美さんが何度か思い出の記事を書かれていますので、読まれた方も多いと思います。
この森田さんの訃報が届いた同じ時期に計画されたのが「MOVIE&TALK 岡村淳の世界」でした。
森田裕美さんの記事で「森田隆さんの活動を紹介した映像も上映される」と書かれていましたので、18日に観に行ってきました。
森田さんたち在ブラジル、在南米被爆者を紹介する映画は、1955年にテレビ放映するために製作された「私の戦後は終わらない ブラジルに渡った被爆者たち」で、30分の映像でした。
この映画の主役の森田隆さんと制作者の岡本淳さんは、町内のお付き合いという関係にあったそうですので、30分の短い映像でしたが、ずいぶんと掘り下げた内容の作品でした。
そして何よりも、私たちが出合う前、苦悩しながら懸命に在ブラジル、在南米の被爆者のために奔走されている森田隆さんの姿を見ることのでき、見に来てよかったと思う映画鑑賞でした。
岡本さんの話の中で、被爆者森田さんとの出会いを書いた本「忘れられない日本人移民」が紹介されましたので、帰宅後すぐにAmazonで購入しました。
その本には、私の知らない森田さんの姿が紹介されていましたので、懐かしく読み進みました。
いのちとうとし
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