「広島ブログ」

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日記・コラム・つぶやき

2024年10月 8日 (火)

2024年10月のブルーベリー農園その1

中秋に入ったが気温の変化が真夏と秋がまじりあう。101日の東広島市豊栄町のブルーベリー農園の日中の気温が30度で2日のそれは雨で18度。それでもブルーベリー畑の草刈りをしているとレンゲのこぼれ種から芽が出て葉がしっかり伸びていたりしているので、植物は暑い寒いでなく日照時間で動いていると思ってしまう。それでも雨の日が続き5日、6日には秋らしくなって農作業もやっと楽になった。

101日(火) 緑肥の種まきを行ったので、種をまいたブルーベリー畑の木と木の間の草を刈る作業に取り掛かる

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103日(木) 待望の雨が降ってきた。外の作業ができないので倉庫の整理を行う。防獣ネットをきれいに畳んだりした

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倉庫の出入りをしているとキンモクセイの香りがした。倉庫のすぐそばに白いキンモクセイが咲いていた

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倉庫を挟んだ農道にジョロウグモの大きな蜘蛛の巣がかかっていた。雨のしずくがついて重たそうに白く輝く

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104日(金) ブルーベリー畑の草刈りの合間に枯れたブルーベリーの植え替えを2本行った

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ヒガンバナが満開になっていた。今年は咲くのが遅かった

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早生のブルーベリーの紅葉が少しずつ始まった

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105日 農園の所々にあるチカラシバ。夕暮れになると夕日を受けて穂がきれいに見える

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106日(日) ブルーベリー畑の草刈りと並行して野菜畑の鋸鎌で少しずつ刈ってきたがやっと終わった

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野菜畑からブルーベリー畑を見下ろす。隣の休耕田の雑草の中に白いミゾソバの群落が見える。湿気の多いところを好むので水路沿いに咲いている

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花びらの先にちょこんと桃色をのせている

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2024年10月 5日 (土)

ヒロシマとベトナム(その62) ~南シナ海をめぐる動向-6~

ざっくりと常設仲裁裁判所提訴の経過

6月5日の「ヒロシマとベトナム」(その59)で、「次号ではフィリピンが提訴した南シナ海仲裁裁判所の裁定を取り上げます」と約束していましたが、その後激しさを増す中国とフィリピンの衝突や南シナ海における日本(海上自衛隊)の軍事的プレゼンス拡大の動きなどから後回しになっていました。

第二次世界大戦後、「九段線」を引き南シナ海の約8割の領有権を主張する中国と周辺5カ国との南シナ海の領有権めぐる争いは、主にベトナムと中国、フィリピンと中国の間で島の争奪をめぐる戦闘や艦船・漁船の衝突事件が相次いでいました。

1980年代以降、南沙海域に進出した中国は7つの岩礁に建造物を建築し、2010年代に事実上支配している南沙諸島で大規模な埋め立てとインフラ整備をはじめます。中国以外の台湾、フィリピン、ベトナム、マレーシアなど領有権を主張している国々も、飛行場や建物を持ち、各施設の整備・維持による実効支配を図ってきました。

2012年4月、中国とフィリピンの双方が領有権を主張するスカボロー礁付近で、中国漁船の不法操業を取り締まるフィリピンの艦船と、それを阻止しようとする中国艦船が対峙する事態が発生します。2ヶ月余の緊張した睨み合いの後、悪天候で海域を離れたフィリピン軍の隙を突き、この海域の実効支配をするとう「スカボロー環礁事件」が発生します。

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出典:防衛省「南シナ海情勢」(中国による地形埋立・関係国の動向)

今日、中国海警局艦船のフィリピン沿岸警備隊艦船への衝突やレザー光線照射などの衝突が繰り返されているのもこの海域です。1900年代後半にアメリカから移管された米海軍戦車揚陸艦を座礁させ、セカンド・トーマス礁の実効支配を維持するフィリピンと中国が激しく対立しています。

その背景は以前も述べましたが、石油や天然ガスなど豊富な海洋資源が眠り、世界有数の漁場のひとつであり、そして海上輸送の重要な海域である南シナ海の権益と、軍事戦略上最も重要な海域の確保をめぐる対立にあります。今日、争いは二国間にとどまらず「米比日豪vs中国」の様相を濃くし、不測の事態から大きな紛争につながりかねない懸念があることも繰り返し述べてきました。

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出典:NHK NEWS ーフィリピン沿岸警備艦船(日本が供与)に衝突する中国海警局艦船ー

フィリピンの主張 -提訴内容-

フィリピン政府がオランダの首都ハーグにある常設仲裁裁判所に、南シナ海での領有権紛争をめぐって中国を提訴したのは2013年1月22日です。少し長くなりますが提訴項目を紹介します。

1.南シナ海における中国の海洋権益は、フィリピンと同様、国連海洋法条約によって許可された範囲を超えてはならない。

2.「九段線」で囲まれた海域における中国の主権、管轄権及び歴史的権利の主張は国連海洋法条約に違反しており、法的効力はない。

3.スカボロー礁は、EEZあるいは大陸棚に関する権利を生じせしめない。

4.ミスチーフ礁、セカンド・トーマス礁及びスビ礁は、領海、EEZ又は大陸棚に関する権利を生じせしめない低潮高地であり、占有その他の方法による占拠に適さない

5.ミスチーフ礁及びセカンド・トーマス礁は、フィリピンのEEZ及び大陸棚の一部である。

6.ガベン礁及びマケナン礁(ヒュー礁を含む)は、領海、EEZまたは大陸棚に対する権利を生じせしめない低潮高地であるが、その低潮線はNamyit島及びSin Cowe島の領海幅を計測する基線を決定するために使用され得る。

7.ジョンソン礁、クアテロン礁及びファイアリークロス礁は、EEZまたは大陸棚に対する権利を生じせしめない。

8.中国は、フィリピンが自国のEEZ及び大陸棚の生物資源及び非生物資源に対する主権的権利を享有及び行使することを不法に妨害している。

9.中国は、フィリピンのEEZにおけるフィリピンの国民及び船舶が生物資源を開発することを妨害することに不法にも失敗している。

10.中国は、フィリピンの漁民がスカボロー礁において伝統的な漁獲を行うことで生計を立てることを不法に妨害している。

11.中国は、スカボロー礁及びセカンド・トーマス礁等において海洋環境の保護にかかわる国連海洋法条約上の義務に違背している。

12.ミスチーフ礁における中国による占拠及び建設活動

 (a)人工島、施設及び構築物にかかわる国連海洋法条約の条項に違反する。

 (b)国連海洋法条約の下での海洋環境保護にかかわる義務に違背する。

 (c)国連海洋法条約に抵触する不法な占拠の行為を構成する。

13.中国は、スカボロー礁付近海域を航行するフィリピンに対して衝突を引き起こすような 深刻かつ危険な態様で法執行船舶を運用することで、国連海洋法条約の義務に違背している。

14.20131月の仲裁手続開始以来、中国は就中以下により紛争の更なる悪化を不法に助長している。

 (a)セカンド・トーマス礁及びその接続海域を航行するフィリピンの権利を侵害している。

 (b)同礁に駐留するフィリピン要員の交代及び補給を妨害している。

 (c)同礁に駐留するフィリピン要員の健康及び福利厚生を危うくせしめている。

 (d)ミスチーフ礁等において浚渫、人工島建設、建設活動を行っている。

15.中国は、国連海洋法条約に基づくフィリピンの権利を尊重し、同条約上の義務を遵守し、同条約下のフィリピンの権利と自由に正当な敬意を払った上で、自らの権利と自由を主張すべきである。

次号では3年後の2016年に出された仲裁裁判所の「裁定」について見てゆくことにします。

(2024年10月5日、あかたつ)

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2024年10月 1日 (火)

就職差別の撤廃を!

就職差別は、「同和対策審議会答申(1965年)」において「これらの市民的権利と自由のうち、職業選択の自由、すなわち就職の機会均等が完全に保障されていないことが特に重大である」と指摘されているように、すべての子どもたちの進路を保障する上で重大な課題です。201612月、「部落差別解消推進法」が施行されました。部落差別を解消するための施策を早急に具体化していくことが国や地方自治体に求められています。

1973年、差別的な項目を除外した「全国高等学校統一応募用紙」が制定されたことは、部落解放運動と同和教育のとりくみによる大きな成果です。しかし、いまだ、身元調査をはじめ、不適切な応募用紙の書式や面接での質問等、課題はあとを絶ちません。20234月の連合「就職差別に関する調査」の結果からも、今なお差別につながるおそれのある事象が少なくないことや、面接官が聞いてはいけない質問についての認識も深まっていないことが、改めて明らかになっています。

部落解放広島県共闘会議は毎年、広島労働局長、県知事、県教育長宛に要請書を提出し、すべての人に就職の機会均等を保障するため、就職差別撤廃に向けたとりくみ強化を求めるとりくみを行っています。今年は710日に行いました。

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労働局への要請の中で、2023年度、高卒の求人に係る違反事象(不適切質問等)が県内で7件あり、その全てが県外の高校生からの提起であることがわかりました。高校生が、何が差別かを知らなければ、課題提起ができません。広島の企業を受験するのは県内の高校生が圧倒的に多いはずであり、県内の学校で就職差別に係る学習や不適切な実態を把握するとりくみ、その前提となる教職員研修がなされていないことが要因と考えられ、教育行政の責任は大きいと言えます。

広島県にも「不適切な採用選考」に対する公的なしくみ自体はありますが、実際には受験報告書等を用いて就職差別に係る課題を把握するとりくみが行われていません。

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受験報告書により、面接での質問内容や提出物における不適切な実態を確認することが必要です。(↓は厚労省のものに広教組注釈)

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今後も、この課題を多くの方に知ってもらい、就職の機会均等を求め、とりくみをすすめたいと思います。

よりのぶ

参考資料

厚労省「公正な採用選考特設サイト」

https://kouseisaiyou.mhlw.go.jp/

連合「就職差別に関する調査」

https://www.jtuc-rengo.or.jp/info/chousa/data/20230531.pdf

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2024年9月30日 (月)

2024年9月のブルーベリー農園その4

東広島市豊栄町のブルーベリー農園も日中は30度を超える日もあり彼岸を過ぎても暑い日が続いている。油断して熱中症にならないように保冷剤を首に巻いて盛夏の時の同じ気持ちを持ちながら安芸区の自宅から農園に通っている。10月に入ると台風の影響で34日雨が降りそうなのでそれまでにブルーベリー畑に敷いていた防草シートをはがし、そののちに緑肥用の種をまき草を刈る予定で、まいた種の芽が出るのが楽しみ。

923日(月) 日中は暑いがブルーベリー農園の空はぽっかり雲などが浮かんで秋が進行中

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924日(火) ブルーベリー畑に敷いていた防草シートをはがす作業では始めに重しに使っている瓦をブルーベリーの株元に置いて回る。数が多いので瓦をつかむ親指の付け根がこってきた

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この作業をしているとブルーベリーの地際にシンクイムシの木くずが出ていることがあるのでそのたびに殺虫剤を注入する

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926日(木) 空がたかくて、生き物も気持ちよさそうなとまり具合

①アキアカネ

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②クモ(ジョロウグモらしい)、よく見ると子どももとまっている。食料もしっかりためている

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927日(金) ブルーベリー畑では厄介な雑草がだんだん増えてきたので幅の細いシャベルを掘り上げて除草する。

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雑草をよく見るとスミレの株が太っているのが見えた。これは取らないでおく(手前の2つの株)

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夕方の農園の周辺の一部の稲田はまだ稲穂がたわわに実っている。夕日で黄金色が一段と強い

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928日(土) 今月中に緑肥用の種をブルーベリー畑にまく計画で、購入した種をごちゃまぜにしてばらまくので3段ある畑別に分量を分けて準備する

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小鍋に種を入れてブルーベリーの木の周辺に手でばらまいていく。一番上の畑がすんだ

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草むらのバッタはショウジョウバッタのよう

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2024年9月25日 (水)

中国電力は、12月に島根原発2号機を再稼働するとしているが?

島根原発2号機、建設工事が開始されたのは1984年、運転開始が1989年2月10日ですから、35年を向かえる原発です。建設当時の社長は第4代の松谷健一郎さんだったと記憶しています。長身の大きな人でした。

改めて、福島原発事故後からの経過を振り返ってみました。2011年の福島事故の時は運転中でした。翌12年1月に定期検査のために停止、そしてその翌13年12月に再稼働申請を行いました。申請から約8年、2021年9月15日、原子力規制委員会は審査に合格したとし、次のステージである島根県知事と松江市の判断に移りました。そして22年6月2日、丸山達也島根県知事は「苦渋の判断」としながらも、県議会の場で再稼働容認を表明したのです。

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島根半島を視察する丸山島根県知事

その後、中国電力は「安全対策」工事を行い、今年8月の再稼働を目標としていました。しかし工事の遅れなどから、12月再稼働に変更したのです。

さて12月に再稼働をするとして、これから中国電力は何をするか? あくまでも中電のスケジュールですが、10月中に原子炉の中に核燃料を入れるという行程があります。核燃料を入れることを「装荷」と言います。水で浸された原子炉の中に核燃料を入れ、燃料の間に制御棒を入れた状態で、核分裂が起こらないようにしておきます。制御棒というのは、原子炉のブレーキというか停止装置ですから、重要な役割りを担います。

福島原発事故の時、「止める」「冷やす」「閉じ込める」という言葉を聞いた記憶があると思いますが、この「止める」というものです。あの時は「止める」は成功したのですが、「冷やす」「閉じ込める」が出来なくて、メルトダウンになったのです。

福島原発事故後、関西・四国・九州の各電力会社の原発が再稼働をしていますが、これらの原発は「加圧水型」というもので、福島事故の原発とは型が異なります。いくら再稼働を進めたい政府や電力会社も、事故を起こした「沸騰水型」の再稼働には慎重な姿勢をしていました。島根原発は沸騰水型で、ついにこっちにも手を出したかという状況になりました。ちなみに能登半島地震で被災した北陸電力の志賀原発も、沸騰水型です。

沸騰水型を持っている東北電力の女川原発2号機、東京電力の柏崎刈羽原発7号機、今電力業界ではどこの沸騰水型原発が再稼働の最初になるかというのが、大きな関心事となっています。いずれの原発も核燃料の装荷を終えています。

中国電力は、11月に原発事故を想定した避難訓練を実施し、この訓練を終えて12月に再稼働というシナリオを考えているようですが、とても自分勝手なものだと思います。

私たちは去る9月13日、島根県に対し「再稼働許可を取り消すこと」を申し入れました。島根県は、新しい原子力規制基準に適合したから、再稼働は許されると主張します。

しかし今年1月1日に発生した能登半島地震は、これまでの考え方を改めさせました。活断層の連動の問題、屋内退避・広域避難計画など、これらの課題を改めて見直し、原発周辺の市民や広域避難先の人たちに、しっかり説明する必要があると思います。

島根原発は敷地から南側約1.3㎞のところに、活断層である宍道断層が東西に走り、その東端から6㎞離れたところから、鳥取県沖西部断層と呼ばれる長い活断層が存在しています。

規制委員会は、二つの活断層の間隔が5㎞以上ということで、連動の可能性は無しとして再稼働を許可しています。この考えを覆したのが、能登半島地震ではないでしょうか。多くの家屋が崩壊し、住めない状態の中で屋内退避が可能だとは考えられません。寸断した道路で自動車による避難も不可能になったのです。

「連動」の問題も、屋内退避を含める避難計画の在り方も、「新たな知見」が関係者で検討されています。せめてそれが出されるまで、再稼働に待ったすべきではないでしょうか。私は直感的に、12月の再稼働は不可能だと思っています。

解散・総選挙が近いのでは言われる中、原発を含むエネルギー問題が国民的議論となることが、島根原発2号機の再稼働を止める大きな力になると思っていますが。

木原省治

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2024年9月23日 (月)

2024年9月のブルーベリー農園その3

9月22日の東広島市豊栄町のブルーベリー農園は朝方の激しい雨のお陰でやっと日中の気温が30度を下回ってくれたので農作業の身づくろいも保冷剤を首に巻くこともなく過ごすことができた。夕方帰るころには温度計は23度を指していた。9月は秋の野の花がいろいろ咲いていて安芸区の自宅から農園に通うたびに季節の移り変わりを感じさせてくれる。ブルーベリーの実は少し残っているのを摘み取り安芸の郷に納品している。

916日(月) 農園では午後2時過ぎの雨が降り

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午後4時には青空がのぞく。しかし地べたを潤すほどの雨量ではなかった

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921日(土)と22日(日)のブルーベリー畑や周辺の秋の様子

①ヨメナ

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②ブルーベリー畑の地べたのシオカラトンボは全く動かない。

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③ススキの穂

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④隣の大豆畑のマルバルコウソウ

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⑤農道ののり面に咲くクジャクソウ

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⑥隣家の庭のヒガンバナ

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⑦ブルーベリーの木の下のツルボ

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⑧同じくアサガオ

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922日(日) 農作業は畑の防草シートの整理。列の間に敷いたシートを真ん中に寄せる。整理が済んだら緑肥用の種をまきそのあとで草刈りをする予定

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2024年9月20日 (金)

ベトナムの歴史(その32) ― ベトナム Now Ⅱ ―

枯葉剤被害者支援チャリティーにご協力ください

6月から「ベトナムNow」シリーズを始めましたが、今号は枯葉剤がベトナムで初めてまかれてから63年、最後の枯葉剤散布から53年、ベトナム戦争が終結して49年経た今なお、深刻な被害をもたらし続けている枯葉剤被害者を支援するチャリティーコンサートを福山市で開催します。


    10月16日(水) 17時開場  18時開演~20時終演

ところ  広島県民文化センターふくやま ホール

チャリティー協力券  一般:2,500円 大学高校生:1,500円  ベトナム人:1,000円

(当日券はいずれもプラス300円)

   お申し込み先 一般社団法人 広島ベトナム平和友好協会

TEL) 090―1010―0472  (FAX) 082-423-8060

Mailakatatu@d4.dion.ne.jp

振込先  広島銀行  西条支店  普通  口座番号 3825337

         口座名 一般社団法人 広島ベトナム平和友好協会 代表理事 河内昌彦

チケットお申し込み、支援カンパをお待ちしています。

広島は来年、「被爆80周年」を迎えます。

ベトナムは来年、ベトナム戦争終結=「ベトナム南部解放・祖国統一50周年」を迎えます。

日本がはじめたアジア太平洋地域への侵略戦争の結果、ヒロシマ・ナガサキに原子爆弾が投下され、80年経た今なお、被爆者、被爆二世、三世と多くの人たちが放射線後障害に苦しんでいます。

長い植民地支配に抗して、民族の独立と統一のために戦ったベトナムの人々。ベトナム戦争でアメリカ軍が散布した猛毒ダイオキシンを含む枯葉剤爆弾は、50年経た今なお、ベトナムの人々に深刻な被害をもたらし続けています。

ヒロシマの原子爆弾による被害とベトナムの枯葉剤による被害は、20世紀の戦争被害の象徴であり、再び繰り返させてはなりません。

そのヒロシマとベトナムは、〔核兵器も 化学兵器も 戦争もない 平和で豊かな世界を築く〕という固い意思と絆で結ばれています。

 ヒロシマとベトナム、ともに歴史的節目の前年(プレ年)にあたります。

その年、“枯葉剤被害者”支援のためのベトナム民族アンサンブル・チャリティーコンサートを福山で開催させていただきました。

県内第二の都市、「ものつくり地域」備後の拠点都市福山は、外国籍市民のうちベトナム出身者が最も多く暮らしています。相互に理解を深め合いながら多文化共生の地域づくりが先進的に進められている福山市で、チャリティーコンサートを開催させていただくことを通じて、枯葉剤被害に対する理解と被害者への支援の輪が広がり、一層の日越交流につながれば、私たちの何よりの喜びです。

この瞬間にもウクライナで、ガザで

子どもたちや女性など多くの尊くかけがえのない命が奪われています。

禁じられた化学兵器やクラスター爆弾など非人道兵器が使われ、核兵器使用の懸念も高まっています。

いかなる理由が掲げられようとも、理不尽に、無差別大量に殺戮を続ける紛争や戦争に私たちは与することは出来ません。それが、被爆県広島民の心、「ヒロシマの心」です。

ノーモア・ヒロシマ  ノーモア・ナガサキ

ノーモア・枯葉剤   ノーモア・ウオー

ストップ!殺戮 パレスチナとガザに平和を

 厳しかった残暑もようやく和らぎ、訪れた文化の秋のひととき

54の民族が織りなすハーモニーを存分にお楽しみください。心に染み入るやさしい一弦琴の音色、軽快で弾ける旋律のトルン、竹の筒から押し出させる奥深くまろやかな音、コミュカルで愛情表現豊かな舞踊、そして人々の暮らしが紡いできた歌・・・・。

いずれも、100%、200%の満足感を味わっていただけるコンサート。存分に満喫ください。

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2024年9月20日(あかたつ)

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2024年9月18日 (水)

中国を訪問します。

中国人民平和軍縮協会が開催する国際会議に原水禁の代表(事務局の近藤和樹さんと二人)として参加するため、今朝北京に向かって出発します。

会議は、中国山東省済南市、濰坊市(いほうし)の2都市を会場に、919日から21日までの日程で開催されます。

中国人民平和軍縮協会安月軍秘書長は、10月で定年を迎えることになっていますので、最後の活躍の場として山東省が選ばれたと思われます。

中国訪問は、10回以上に及びますが、山東省へ行くのは初めてですので、食べ物を含め楽しみにしています。

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今年の原水禁世界大会長崎大会であいさつする安秘書長

会議では、平和問題を論議することになりますが、その合間にアートパフォーマンスの見学や地元の企業や工場の視察、平和活動の交流等も組み込まれているようです。

また、無形文化遺産の見学も予定されています。これも楽しみの一つです。

ZOOMでの国際会議への出席は、これまでに経験がありますが、直接参加するのは初めてです。

21日の夕方北京に帰り、中国最後の夜は北京で過ごすことになります。

北京は、わずか3ヶ月前に訪れたばかりですが、22日夕方の出発まで、充分に堪能したいと思います。

広島に帰るのは、23日になりますので、この期間中ブログの更新は、20日、23日のみになります。

いのちとうとし

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2024年9月17日 (火)

広島中電話局慰霊碑

進徳高等女学校の慰霊碑を訪ね、進徳高等女学校の原爆犠牲者について調べましたので、その動員先の一つであった広島中電話局(現在のNTT袋町ビル)の慰霊碑を訪ねることにしました。慰霊碑は、NTT袋町ビルの東北角にあります。

これまでに何度も目にした慰霊碑です。私が訪れたとき、ちょうど小さな子ども連れの外国人夫婦の姿がありました。

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黒い御影石に「鎮魂」の文字が刻まれた碑は南向きに作られています。

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向かって左側にある折り鶴献納台には、新しいたくさんの折り鶴がかけられています。情報労連(NTT労組などで組織)が、8月4日から6日にかけて開催した「広島ピースフォーラム」の初日の行事の最後に、NTT基町・袋町・DATA比治山ビルの三会場で「情報労連慰霊式」を行なった時、献水とともに全国からの参加者が持参した折り鶴を献納したそうです。(NTT新聞から)

この折り鶴献納台は、2002年8月5日 NTT労組退職者の会広島県支部協議会により贈られたもので、「つたえよう、ひろげよう平和の願い」の文字が刻まれています。

碑の後ろの壁面には、被爆した中電話局のタイルを使ったオブジェが作られています。

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右下隅に「原子爆弾の強烈な熱線により赤黒く変色したタイル」と書かれています。

慰霊碑に向かって左側の壁面には、英文と日本文の説明板が取り付けられています。その日本語版です。

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次のように書かれています。

「昔ここに中電話局があった。

昭和20年8月6日、午前8時15分、原子爆弾が投下されすさまじい爆風と熱線により、建物が壊滅状態となった。当日勤務していた職員、女子挺身隊員、動員学徒等451名の内約半数におよぶ尊い命が失われた。

当ビル新築に当たり、旧局舎屋上に使用されていた被爆タイルを埋め込み、当時を偲ぶこととした。」

このタイルには、何となく見覚えがあります。私がこの被爆した建物で組合活動しているとき(1970年代)、何度か屋上に出て先輩から「このタイルは被爆して焼けている」と教えられたことがあったからです。

使用されている被爆タイルは、104枚です。

旧局舎でもう一つ思い出すのは、組合役員の一人から次のように言われたことです。「この建物は、重要施設ということで、堅牢に作られているので、解体費用がすごくかかるので、建て替えるのが難しいんだ。」

碑の周囲には、この碑建立の年月日を書いたものがありませんが、旧中電話局の建物は、1982年8月に解体され、新しい建物は1985年に定礎しており、同年3月1日に建立されています。1985年は、電電公社が民営化されNTTとなった年です。民営化も建て替えに影響したのでしょうか。

説明板の左側には、2023年に作られた「187 ART PROJECT 広島中電話局鎮魂の碑のもと、平和な未来を祈る2023」というアルミ板で作られたアート作品があります。

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このアート作品は、中国新聞によると、商店主や住民で作る「中一区187号線地域活性化委員会」が、安佐北区の版画家向井陽子さんに依頼し、地元袋町小児童や住民たちが広島の未来をイメージして書いた「光」「笑」などの漢字46文字を拓本にちりばめて制作し、昨年(2023年)8月6日に設置されました。

広島中電話局慰霊碑

広島中電話局慰霊碑の説明はこれで終わりですが、電信電話関係の犠牲者を慰霊する碑として、「電信電話職員原爆 犠牲者慰霊碑」(中区基町NTTビル北西角)があり、同碑の前で毎年、慰霊祭が行われています。

かつては、当局と労働組合(中央本部から参加)が合同で慰霊祭を行なっていましたが、いまはどうなっているでしょうか。いずれ、調べて紹介したいと思います。

いのちとうとし

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2024年9月16日 (月)

進徳高等女学校の原爆犠牲者―その3

ところで、「広島原爆戦災史第4巻」の記載で、もう一つ気になることがありました。

それは、動員先の一つ「貯金局」です。所在地は千田町、教職員は3人、生徒は3年生175人と書かれています。これを見たときは、「あー千田町にあった貯金局か」と思ったのですが、ネットで情報を探していると、1998年8月1日付け中国新聞に掲載された「被爆体験記 残された教師の誓い」とタイトルのついた東岸(ひがし)初江さん(当時74歳)の記事がヒットしました。この東岸さんの体験記には、次のような記述があります。

「女専(広島女子大)を卒業して進徳高女(進徳女子高)に勤めましたのは、昭和十八年です」。「戦時下の新人教師は、国の学徒動員令により一九四五(昭和二十)年春から十四、十五歳の生徒たちを引率して、広島市中区の福屋百貨店七階の広島貯金支局に出た。爆心からわずか〇・七キロ。」

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被爆後の福屋百貨店 左側の建物が旧福屋と思われる

広島原爆戦災史では、動員先は、千田町の「貯金局」となっていますが、東岸さんの体験記では、「福屋百貨店七階の広島貯金支局」で被爆したと記されています。中国新聞の記事中には、東岸さんは、「被爆後間もなく書き留めたメモをもとに被爆5年後に体験記を書いた」と紹介されていますので、この記述には間違いがないと思われます。

「福屋百貨店に貯金局があった」という話しは、以前聞いたことがありましたので、この記事に疑問は感じませんでした。

今度は、広島原爆戦災史第3巻を開き、貯金局のことを調べました。被害一覧の「広島貯金支局」は、所在地が市内千田町となっているだけで、福屋百貨店の名前はありません。

しかし、「被害惨状」の中には、「貯金支局分室の被害」として次のように書かれています。「一方、八丁堀の福屋百貨店にあった分室は、向かいの旧福屋建物内にあった消防署保管のガソリンが真っ先に着火して・・・・七階にいた分室の振替貯金課の職員は、大部分脱出することができたが、逃げ遅れて二人の学徒は火と煙に包まれて焼死し、・・・。この避難の途中においても職員の多数が死んでいったが、この中には女子動員学徒20人が含まれていた。」

この記述には、進徳高等女学校の名前は書かれていませんが、女子動員学徒が、同校の生徒だったことは間違いありません。逃げ遅れた二人を含めた20人の犠牲なのか、避難途中だけで20人なのか判然としませんが、20人が犠牲になったことは間違いないようです。

電話局にしても福屋百貨店にしても鉄筋コンクリート造りの建物だったことが、少しでも犠牲者を少なくすることに役立ったのではと想像しています。

この他にも関係する資料はないかと探して見つかったのが、平成10年(1998年)に発刊された「進徳学園90年史」です。

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この中には、何人かの被爆体験記が掲載されていますが、その中に福屋百貨店の貯金支局分室に学徒動員され被爆した沢田スミ子さん(旧姓沖本)の「悪夢の中をさまよいて」という手記があります。

犠牲者数などについては触れられていませんが、進徳高等女学校の学徒動員先の貯金局が、福屋百貨店にあった分室だったことが間違いないこと確認できました。

最後に参照した「進徳学園90年史」の次の内容を紹介して、「進徳高等女学校の原爆犠牲者」を終わりにします。

その一つは、同校の原爆犠牲者数についてです。同書の57から58ページにかけて次のように記載されています。

「この原爆投下により、被災死亡者は、職員10名、生徒405名計415名、重軽傷者は職員8名、生徒382名の甚大な被害を受けた。(注)原爆死亡者数415名は、平成6年10月に開催された原爆50回忌追悼法要に因んで再調査した結果の被災者数で20年3月に卒業した女子挺身隊の犠牲者と思われる数名が含まれている。当初公式に発表されていた職員11名、生徒374名を上回っているが、その後行方不明者などの死亡が確認されるなどで、その数が増加してきた。」

もう一つは、慰霊碑の移転についてです。同書の196ページに、学校の整備に伴って、昭和38年(1963年)、昭和63年(1988年)の2度移転が行なわれ、現在地にいたったことが記されています。12日に紹介した「原爆の碑ひろしまのこころ」の初版は、1976年(昭和51年)8月1日(12日の原稿では、1980年代発行としていましたが、それは再発行された日付でした)ですので、最初に建立された碑の様子が紹介されていたということになります。

「進徳高女慰霊碑」訪問記から始まったこの連載は、これで終了ですが、今回も原爆被害の実相を知ることの難しさを学ばされました。

いのちとうとし

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