「広島ブログ」

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日記・コラム・つぶやき

2024年7月22日 (月)

三原地区 7月の「19日行動」

7月19日(金)の夕刻、三原駅前において20人が参加して定例の街頭アピール行動を実施しました。

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被爆79年目の8月を前にして、教育労働者(三原地区労働センター議長)が学校の平和教育についてスピーチを行いました。  

昨年もこの場で話した8月6日は何の日かと尋ねたら「ハムの日」と答えた子がいましたが、やっぱり「原爆の日」と答えてほしかったと思ったので今年も聞いてみたら、ほとんどの子どもが「原爆の日」と答えてくれました。昨年は声掛けしてくれた子どもが千羽鶴を織ってくれて、私が糸を通して千羽鶴にしました。今年は児童会が全校に声をかけて全校で鶴を織り、子どもが全部、糸を通してくれて完成しました。

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すごいね。しかし、千羽鶴を作ることが目的ではないですよね。何のためにそうした行動をしているのかを考えることが教育だと思います。「平和学習は事実を知ることも大事、自分のこととして考えることも大事、平和って何、自分にとって平和って何だろう、友だちをいじめないことなどを考えることが大事ではないのかなと思います」。「だったら自分にできることは何か、千羽鶴を織ってみようか、優しい言葉をかけてみようか、そういう実践力をつけていくことが本当の平和教育ではないかと思っています」。少しずつ積み重ねていくことで子どもたちの人格ができていくのかなと思っています。昨年、学校で戦争を体験された方の話を聞きました。今年も聞く予定になっています。戦後80年近く経っているので戦争があった時に生まれた方でも80歳、戦争体験者で話ができる方は90歳近くであり、今ぎりぎり話が聞ける時です。だから今、直接話を聞いて戦争の悲惨さ、平和の大切さを学んでいくことが必要だと思っています。一つ一つは小さな取り組みかもしれませんが、そうした取り組みを重ねていくことが大切ではないかと思っています。  地区労センターの学習会で毎年、高校生平和大使の活動報告をしてもらっている。その中で印象に残ることを紹介します。「微力だけど無力ではない」。私たちの力は小さいかもしれないけど、ほんのわずかな一歩かもしれないけど、何もしなければ平和は築かれないし守れない。まったくその通りだと思います。  私たちの「19日街頭行動」も今年で8年目ですが、本当に小さい一歩かもしれませんが続けていくことが大切だと思っています。これからも皆さんとがんばっていきたいと思っています。

藤本講治

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2024年7月21日 (日)

府中地区 7月の「19日行動」

7月の安保法制反対する府中市民の会の行動は、いつものように午後3時30分から上下Aコープ前、参加者10人、午後5時から府中天満屋店前、参加者8人でした。

リレートークでは、東京都知事選挙の結果や無党派層をどう取り込むか、共通して今が民主主義の危機、黙っていてはいけないと言われていました。

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Aさん 東京都知事選は現職の小池百合子が3回目の当選をしました。しかし知事を直接支える人事秘書課や総務課の職員が30人もやめています。都知事にはついていけないという理由です。上意下達では職員はついてきません。神宮球場の周りの木の伐採でも都は指導や助言ができるのに、「企業がやっているのだから都の問題はありません」では通用しません。王様になるのではなく職員と一緒になって行政は進められるべきです。当選しましたが兵庫県知事のようになるのではないでしょうか。

Cさん 東京都知事選では若者は建前ではついてこないと言われています。しかし、自民党がこうやりますと建前を言って裏金問題にみられるように私腹を肥やしているのですから若者は建前ではついてきません。それがあたかも野党も同じということではありません。防衛省は昨年度予算を1,300億円も使いきれませんでした。食べきれないぐらいご飯を盛っているからです。昨年度の自衛隊員の応募が半数しかない。そりゃそうです戦争するという自衛隊に誰が就職するでしょう。自衛隊の中は特定秘密漏えい/不正受給/パワハラで大量処分。しかし下が処分されただけです。防衛大臣は自ら1か月分の給料を寄付しただけ、防衛省幹部は1か月賃金が半分になっただけ、これは処分ではありません。大臣も幹部もはっきり更迭する処分をして退職金も出さないようにすべきです。なんでも下に責任を取らせて幹部は他人事。防衛省という組織が腐っていると言うことです。やはり、いま民主主義は大変なことになっています。みなさん自民党や防衛省の幹部がどんなことをしているのかしっかり見て抗議しましょう。声をあげましょう。

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Bさん 8月6日は広島の原爆慰霊の日です。だから7月の今日発言させてください。先の戦争のことが忘れられようとしています。3回目になりますがお話します。78年前に上下駅であったことです。全国の地方都市が空襲にあっていたとき広島市だけが空襲がありませんでした。そこで軍部は広島市が実験場になるのでは、必ず広島市に空襲があるだろうと建物疎開を行う部隊を県内につくらせました。こちらでは本部を上下に置き、甲奴と神石の名前をとって甲神(こうじん)部隊が300名で結成されました。自分の祖父も部隊に徴兵されました。年は42歳で、「40を過ぎているから徴兵はないだろう」と思っていたそうです。8月3日に300名が上下駅を出発してその日に広島市に入り、4日、5日と作業して、8月6日をむかえたわけです。祖父は大やけどの状況で三次の陸軍病院へ入り17日になくなりました。他の300名の方も上下駅へ帰ることはなくほとんどなくなられました。平和憲法はこうした戦争の反省から、二度と戦争をしないという国民の決意です。戦争するための法律、安保法制は許せません。みなさん黙っていてはいけえません。選挙の時だけの投票ではいけません。声をあげよう。私たちの行動に参加しましょう。

小川敏男

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2024年7月20日 (土)

ベトナムの歴史(その31) ― ベトナム Now ―

「南部解放(ベトナム戦争終結)・祖国統一50周年」を前に

2019年64日に「ヒロシマとベトナム」シリーズの寄稿を始めて丸5年、2021320日から本シリーズ「ベトナムの歴史」を加え3年になります。この間、日本との関りを中心にベトナムの歴史を紹介してきました。次号から新たなシリーズ、「ベトナムNow」を幾度かお伝えしたいと思っています。

昨年、「日越外交関係樹立50周年」を迎え、両国関係は多面的で親密な「戦略的パートナーシップ」からより緊密かつ全方位的な「包括的パートナーシップ」に格上げされました。

来年、ベトナムは「南部解放・祖国統一50周年」を迎えます。ベトナムでは、「南部解放と祖国統一50周年は特に重要な意味をもつ」とされ、「ホーチミン市で国民的な祝典を開催」されます。

1847年のダナン砲撃に始まり、1954年のディエンビエンフーでの勝利まで110年に及ぶフランス植民地支配との戦い。その後、フランスにかわり侵攻してきたアメリカとの戦いは1975年4月30日のサイゴン開放(南部解放)まで続きました。この南部解放はフランス・アメリカと続いた130年にも及ぶ侵略者との戦いに勝利し、南北分断の歴史に終止符を打ったという「特に重要な意味」があると思います。

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南部解放当時の写真、1975年のサイゴン(現ホーチミン市)

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「南部解放49周年」を祝う看板、2024年5月、ホーチミン市)

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米軍の北爆で破壊されたロンビエン橋(ハノイ)

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現在のロンビエン橋(ハノイ)

130年にも及ぶ侵略者との戦で、多くの尊い命が奪われ、豊かな森林や肥沃なメコン地帯を破壊・汚染され、米空軍参謀長の「石器時代に戻してやる」との発言通り、都市も農村も破壊されました。

「写真1」1975年の「南部解放」(サイゴン陥落)当時のものです。

「写真2」は今年の5月のホーチミンの写真です。来年、2025年4月30日には盛大な記念行事が催されると思います。

「写真3」は1965年からの北爆で繰り返し爆撃を受け破壊されたハノイのホン川に架かるロンビエン橋です。破壊される度に修復し、ベトナム戦争終盤には、空爆警報が出されると橋げたをバージ(はしけ)に乗せて避難させ、橋が破壊されたままのように偽装し守ったということです。

「写真4」は、現在のロンビエン橋です。ロンビエン橋は、1902年にフランスの建設会社が架けた全長1,691mの橋です。フランス統治時代からベトナム戦争、戦後50年と120年余にわたる歴史の証人です。

 ベトナム戦争から50年経た今のベトナム、“ベトナムNow”を次回から紹介したいと思います。

どのようなことが知りたいか、リクエストやご質問をいただけると幸いです。

2024年7月20日(あかたつ)

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2024年7月19日 (金)

マハトマ・ガンジーのひ孫

一昨日、散歩の途中で平和公園を通ると、広島原爆慰霊碑前に人だかりしているのが目に入りました。マスコミのカメラも何台が見えますので、どこの代表団が来ているのだろうと思い、少し早足で慰霊碑前に足を運びました。

一行は、ちょうど慰霊碑への献花が終ったのでしょう、移動をはじめ西側の緑地帯に歩を進めるところです。顔見知りの記者がいましたので「どこの代表団ですか」と尋ねると「マハトマ・ガンジーのひ孫さんの一行です」とのこと。

そういえば、その朝新聞記事で読んだことを思い出し、写真を撮ろうと近づきました。

緑地帯の通路側に立つ樹の前で何か説明を受けて、次に移動するところでした。

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ガンジーのひ孫トーシャ・ガンジーさんが去った後、その木を見ると、この木は、ヒマラヤスギで、1957年にインドのネール首相が広島を訪れたときに記念植樹されたものでした。

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なるほどです。

その後、ガンジーさんは、慰霊碑横で記者のインタビューを受けた後、元安橋左岸に昨年設置されたガンジー像に献花をする予定とのことでしたが、私はそのまま散歩を続けました。

ここで、マハトマ・ガンジーさんのひ孫の姿を見たこと思い出したことがあります。

私たちが続ける核実験抗議の座り込みとガンジーの非暴力思想のつながりについて書かれた森滝市郎先生の文章があったことです。帰宅後、「核と人類は共存できない 核絶対否定への歩み」を引っ張りだし、「『座り込み十年』の『前史』と理念」のページを開きました。そこには、次のようなエピソードを紹介されています。

「その頃(いのちとうとし注:1957年)インドの文化使節団として来日していたサラバイ舞踊団の団長サラバイ女史が4月2日原爆慰霊碑に参拝し、被爆者たちの『祈りと抗議の座りこみ』の光景に感動して行なった激励のあいさつの中に『インドではガンジーがこのような方法をとりました』という言葉があったが、思わずそういう言葉が出るほど被爆者の『祈りと抗議の座りこみ』には深い『精神性』と『普遍性』があったのである。」

ガンジーの非暴力思想は、広島では「核実験抗議の座りこみ」として今も続き、息づいていることを、トーシャ・ガンジーさんに伝えてくれる人がいたら、どんな感想を持たれただろうか、と思いながらその場を後にしました。

いのちとうとし

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2024年7月18日 (木)

NTT西日本中国吹奏楽クラブ「七夕コンサート」に行きました。

7月14日に広島文化学園HGBホールで開催されたNTT西日本中国吹奏楽クラブ定期演奏会「七夕コンサート」に行ってきました。この演奏会は、2月に開催された「バレンタインコンサート」とともに年2回開催される定期演奏会で、今回で74回になる伝統ある演奏会です。

今回の「七夕コンサート」は、あいにくの雨模様で足下の悪い中での開催でしたが、私が座った1階席はほぼ満席という盛況ぶりでした。終演後、ロビーに出ると2階席から降りてくる人の列が続いていましたので、多くの観客が楽しんだと思われます。

以前には、整理券が必要な時期もあったようですが、今は券がなくても自由に入場が可能になっていますので、私と同じように誰でも入場しやすくなったと思われます。

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演奏会は、1部2部の構成です。

1部のプログラムは、2曲演奏されました。指揮は、同クラブの音楽監督・常任指揮者の金田康孝さんでした。

最初は、八木澤教司作曲「マヤの紋章 第1部偉大なる王と生け贄の儀式」で、この曲は「モアイ」「マチュピチュ」「ナスカ」「カッパドキア」など世界遺産&古代遺跡シリーズの最終曲として作られて曲です。

次は、A.ハチャトゥリアン作曲「バレエ音楽『ガイーヌより』」序章、友情の踊り、アイシェの孤独、剣の舞、収穫祭です。この曲は、オーケストラで何度か聴いたことのある曲です。特に勇壮な「剣の舞」は強い印象が残っている曲です。吹奏楽でもさらに勇壮さが際だったように感じました。

25分の休憩ののち、第2部がスタートしました。指揮者は変わり、松井利明さんです。

J.ヴァン・デル・ロースト作曲「アルセナール」で始まり、次のE.モリコーネ作曲「モリコーネパラダイス」は、村上織恵さんのフルート・ソロ、続く「ラテン・フェスタ」は、波山美春さんのサクソフォン・ソロの演奏です。曲の途中で、それぞれのパートの一人がソロ演奏をすることは前回の演奏会で経験済でしたが、一曲全部通じてのソロ演奏は、初めて聴きました。その後、「東京スカパラダイスオーケストラ・メドレー」「ミュージカル『キャッツ』メドレー』とつづき、1部とは趣を異にした軽快な演奏が続き、あっという間の楽しい約2時間のコンサートは終了しました。

今回の演奏会で初めて気づいたのですが、吹奏楽では、オーケストラにはない形式として多くのパーカッションが活躍するということです。7人のパーカッション奏者が、次々と楽器を代え、場所を移動して演奏する様子は、ちょっと感動です。

これも楽しい気づきでした。

次回75回定期演奏会は、例年2月9日に「バレンタインコンサート」の開催が予定されています。

いのちとうとし

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2024年7月17日 (水)

講演「原爆被爆者の公的謝罪と国家補償要求の意味に関する一考察」

韓国の原爆被害者を救援する市民の会が主催する「原爆被爆者の公的謝罪と国家補償要求の意味に関する一考察」と題した講演会が、14日合人社ひとまちプラザで開催されました。

講演者は、ブルガルア出身の広島大学平和センター特任助教のヴァシレヴァ・ヴラデサヤ・ビラノヴァさんです。通称サヤさんと呼ばれているとのことですので、以下サヤさんと表記します。

サヤさんは、最初に「被爆者(原爆被害者)の問題を研究していますが、核兵器禁止条約が発効し、核兵器の使用・実験による被害者への支援のあり方、そして使用国や国際社会の責任の捉え方について、国際的議論が展開されている今、この問題を研究するチャンスになっている」と指摘しました。

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その後、日本被団協運動の歴史を紹介しながら「日本政府への国家補償要求について」の意味を提起。さらに同じ日本被団協運動の中から「アメリカ政府への謝罪要求」が、どのように変化したかの解説がありました。その中で印象に残ってことを紹介します。

その一つは、1960年の広島県原爆被害者団体協議会(代表理事森瀧市郎氏)の決議文「アイゼンハワー大統領は原水爆禁止の誓いをしないかぎり来日することをやめてもらいたい。どうしてもくるなら広島原爆慰霊碑前で原爆投下の罪をわび再びあやまちをくりかえさぬ誓いをせよ」です。近年アメリカの高官の広島訪問が増えていますが、被爆後15年被団協結成4年後の被爆者の思いが、アメリカに対してどんなものであったのかを知ることの出来る決議文だと思います。

二つ目は、サヤさんの報告では、1980年代半ばから、被団協の中に「アメリカ政府への謝罪要求が追加」されたことが紹介されましたが、なぜこの時期までアメリカへの謝罪要求が弱かったのかについては言及されなかったように感じました。

この問題について、私も会場で発言したのですが、当時の被爆者運動の考え方も紹介する必要があると思います。

村山政権が誕生し、「国家補償の被爆者援護法」の実現が現実の課題となった1994年9月に広島県被団協、広島県原水禁、平和会館の3団体が協力して緊急発刊した小冊子「なぜ国家補償を求めるのかー原爆被爆者援護法実現のためにー」では、7ページ目の「原爆被害は『国の責任』」で次のように指摘しています。

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「原爆を非戦闘員である一般市民が住む都市への戦略爆撃に使ったのはアメリカであり、原爆は国際法違反の兵器です。(中略)被爆者は当初、ある意味で直感的に『原爆被害の責任はあの戦争を行なった国にある。その被害は原爆投下を招いた戦争を遂行した主体である国が償うべきだ』と考えていたように思われます。さらにその後、司法判断や法律的な見方が加わり、日本が1952年(昭和27年)の講和条約で戦争被害について米国への請求権を放棄しているため、被爆者への個別要求の責任も国が責めを負うべきだという考え方が定着してきました。」

私がこのことを紹介したからでしょうか、その後会場から「被団協は、個別要求は放棄していない」という発言があったことも紹介しておきます。

三つ目です。一番印象に残ったというか嬉しかったことは、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の追悼空間スロープにかけられている6枚のパネルの最後の1枚の全文「ここに、原子爆弾によって亡くなられた人々を心から追悼するとともに、誤った国策により犠牲となった多くの人々に思いを致しながら、その参加を二度と繰り返すことがないよう、後代に語り継ぎ、広く内外へ伝え、一日も早く核兵器のない平和の世界を築くことを誓います。」が紹介されたことです。

これまで多くの講演を聴いてきましたが、このパネルを紹介した講演者に私は一度も出合ったことがありません。

この発言を聞いただけでも、サヤさんの思いと感じることが出来、来てよかったという感想を持ちました。

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2024年7月16日 (火)

違う車両でした

鷹野橋付近で、広電の路面電車をカメラに納め、車で移動する人たちがいました。

昼のテレビニュースで報道された広電の路面電車の引退記念イベントに参加した人たちのようです。

カメラの先を見ると古い路面電車の姿が見えます。

2、3日前の報道で、路面電車の引退のことを知っていましたので、その車両かなと思い、私も急いで電車の方に移動し、スマホを構えました。

幸いなことに、信号待ちで停車中でしたのでなんとか間に合い、写真に収めることが出来ました。

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回送の表示と「鞍馬」の車両名札がありますので、引退車両かなと思い込み、勝手に満足していたのですが、翌日(15日)の中国新聞を見て、びっくりです。

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引退した車両は、京都市電から移籍した「桃山」「舞子」の愛称を持つ2両で、私が写した「嵐山」も愛称から同じ京都市電から移籍した車両に間違いなかったのですが、今回引退した車両ではありませんでした。ちょっとぬか喜びでした。きれいに写っているので満足はしていますが。

中国新聞の記事によれば、当日の記念イベントには、引退した車両と同型の1900形の全15両が勢揃いしたようですので、私が見たのはそのうちの1両の1915号で、車庫に回送する途中だったのです。

最近の広電の路面電車は、走る広告塔のような外装で走る車両が多くなっていますが、今回写真に納めた車両は、以前から走る路面電車の外観のママですので、何となく懐かしさを覚えます。

1900型は古い車両ですので、なかなかスピードが上がらなかったり、少し揺れるかなと感じたりすることもありますが、残る13両は、歴史を刻む車両ですので、いつまでも元気で走り続けて欲しいと思います。

いのちとうとし

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2024年7月15日 (月)

2024年7月のブルーベリー農園その2

まだ梅雨だが東広島市豊栄町のブルーベリー園の周囲は日に日に青葉が茂り、ブルーベリーの枝もよく伸びていて、雑草もどんどん伸びて農作業を休む暇はない日々。生き物も元気で今夏はブルーベリー畑でキジの抱卵に出会い、小鳥の巣に雛が育っている場面に出会え、そーっと、そーっと見守ることで自然の営みの面白さを体験しているので鳥たちの巣立ちを願いながら飽きずに安芸区の自宅から農園に通っている。ブルーベリーの摘み取りも早生のタイプから始まり安芸の郷が運営しているcafeさくらにわずかだが納品も始まった。

77日(日) ブルーベリー畑の上に広がる空はまるで真夏の景色

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710日(木) 青々と広がる豊栄の田んぼ

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農園にいる生き物たち

①77日(日) ブルーベリー畑の剪定をしていたら5mくらいの高さの所に小鳥の巣がありもう雛がいた。周辺のブルーベリーの剪定は見送りに

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②712日(金) 農園の庭のガクアジサイ数匹のマルハナバチが花粉を小脇に抱え花の中でぐるぐる忙しそうに蜜を吸う

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③712日(金)農園の庭や里山に出てきた羽の黒いイトトンボ

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草を刈る

①713日(土) ブルーベリー畑のネムノキの近くで草を刈る

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②里山のブルーベリー園の草刈りが終了。ブルーベリーのヒコバエがボコボコ生えていたが全部切った

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ミニスイレンが開花(農園の庭の池で)

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ヒオヒオウギズイセン(里山のブルーベリーで)

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ブドウの房よりもっと長い晩生のブルーベリーの実(ブルーベリー畑で)

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2024年7月14日 (日)

「絵葉書の中の広島~閉じ込められた街の面影~」

久しぶりに広島市郷土資料館に行ってみようと思いホームページを開いたのですが、今月20日から「企画展夏休み おばけの博物館」がはじまるようで、残念ながら現在は特別の展示は開催されていません。

同じページにある「新着情報」を見ると,これまで完売となっていた刊行物の販売再開が告知されています。今月2日からは「陸軍の三廠」、昨年の11月5日に図録「宇品」、同じく昨年の8月3日に図録「絵葉書の中の広島」が再販されたことが告知されています。

「陸軍の三廠」と図録「宇品」は、すでに購入済でしすが、図録「絵葉書の中の広島」は未購入でしたので、暑い中自転車をこいで広島市郷土資料館に行き、購入してきました。

この図録「絵葉書の中の広島」は、平成25年度(2013年)に開催された特別展「絵葉書の中の広島~閉じ込められた街の面影~」のための図録として発刊されたものが、今回再刊されたのです。

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帰宅して早速開いてみました。興味深い絵葉書(写真)が、249枚もんでします。

この本の「はじめに」に書かれていますが、「(前略)名所・イベント・事件・事故など,実に様々な絵葉書が日本中で作成されるようになりましたが、それは絵葉書が単なるはがきとして利用されただけではなく、マスコミが発達していなかった時代の貴重なメディアとして機能していたからです。(中略)近代日本の風景を知ることが出来る資料して近年見直されています。(後略)」

その通リだと思います。特に、広島は原爆で多くの写真が焼失したはずですから、絵葉書は多数発行されており残っているものも多いと思われます。そして写真と同じように当時の風景を知る大きな手がかりとなります。

目次を見ると、「絵葉書の中の広島」として「1,繁華街 2,橋 3.軍都 4.宇品 5.さまざまな風景 6.お祭り・イベント 7,学校」と続いています。

パラパラとめくっていると「3.軍都」には、サッカースタジアム建設の発掘調査で明らかになった「輜重隊第五大隊」の隊舎やこのブログで7月5日「なぜ」と思う新しい説明板が付いていました。: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)に紹介した井戸の写真が同じように写った絵葉書、さらに「5,さまざまな風景」では、天守閣から見た風景として「大本営の後ろ側から見た景色」などが目に付きます。

他にも原民喜が一夜を過ごした東照宮の参道もあります。

興味ある絵葉書写真が並んでいますので、じっくりと見れば、このブログでも紹介したいと思うような絵葉書がたくさん出てくると思います。

興味は尽きない図録です。

完売になっており購入を諦めていた刊行物がありますが、今後も引き続き再刊されるのなら、今度はぜひ平成24年(2012年)の特別展「広島の路面電車100年~今も昔も広島の街を路面電車が走っていく~」を再刊してい欲しいと思います。

いのちとうとし

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2024年7月13日 (土)

ハトの巣撤去

25年以上住んでいて初めてのことですが、私が住むマンションにハトが巣を作りました。

6月の中旬に、たまたまエレベーターで一緒になった居住者から「階段の一番上にハトが巣を作っているので、撤去して欲しいと管理会社に伝えたのですが、『卵があるうちは撤去できない』と返事があったきり、連絡がないのですが、どうなっているんですかね」と相談を受けました。

確かに今年5月頃から、私が住む6階でも、ハトが階段まで入り込んでいるのを何度も見かけるようになっていました。すぐに管理会社に電話を入れました。

「連絡を受け、業者に相談したのですが、『ハトの卵は、法律で撤去できないので、撤去するとしてもハトが巣立った後からしか出来ません』と言うことでしたので、ハトが巣立つのを待っているんですよ」との説明です。「分かりました。最初の通報された方に、その点をきちんと伝えてください」

まさかハトが巣を作っているとは思いませんでしたので、現場(私の住むマンションは、10階建てで、10階から屋上につながる階段に巣があった)に行って見ました。10階から上の階段は、ハトの糞が一面に広がっています。

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すでに乾いていましたので、階段を上がってみました。巣立ちしたのでしょうか、巣だけが残っていました。

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ところで話に出てきた「法律」は、何となく「鳥獣保護法」のような気がしましたので、調べてみました。正式な法律名は、「鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律」で、その第8条に「鳥獣の捕獲等及び鳥類の卵の採取等の禁止」として次のような条文があります。「鳥獣及び鳥類の卵は、捕獲等又は採取等(採取又は損傷をいう。以下同じ。)をしてはならない。ただし、次に掲げる場合は、この限りでない。(以下略)」

さらに見ると、この法律は2002年(14ねん)に全面改正されたとあります。「エッ」です。2002年は、私は衆議院の環境委員会に所属しており、この法案の改正審議に参加していました。この時は、動物保護団体の人たちからの陳情を何度も受けましたので、それに関わった質問をしたことは思い出しますが、「ハトの卵をとってはならない」などという条文があることは、当時ほとんど念頭にはありませんでした。

話をハトの巣に戻します。

ハトが巣立ったことが確認され、ようやく昨日業者によってハトの巣の撤去作業と清掃が行なわれました。

撤去されて巣です。巣は二つあったようです。

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清掃作業が進みます。

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「この作業は午後2時過ぎまでかかります」とのこと。

午後2時前に現場に行ってみるとすでに作業は終了しており、きれいになっていました。

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ハトの巣があった場所には、再びハトが巣を作らないようにいうのでしょう、針のようなものが敷き詰められていました。

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これで抜本対策というわけにはいきません。業者の話では、ハトは、一年間に何度も卵を産む(年4回とも年6回とも言われる)ため、一度巣が作った場所にまた巣を作る可能性があるので、階段の入り口に網を張るなどして,ハトが入り込まないように対策が必要だということでした。

今回の巣の撤去、清掃でなんとかきれいになりましたが、巣を作らせないための抜本的対策が必要のようです。

いのちとうとし

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