旧陸軍輜重隊の被爆遺構の公開と被爆石
サッカースタジアム建設に伴う発掘調査で出土した「旧陸軍輜重隊」の被爆遺構が、空鞘橋東詰南側馬碑前で21日に公開されました。
遺構設置途中の状況は、このブログでも紹介しましたが、ようやく完成し公開されることになったのです。
旧陸軍輜重隊の遺構そのものと比べるとごく一部の展示ですが、市民からの「遺構保存」の強い要望を受けて、実現したものですので、ぜひ多くの人に関心持って欲しい施設です。
入り口には、この遺構が地図と共にどんな経緯でここの設置されることになったかの説明板があります。大きい説明板ですので、通る人は気づくと思います
馬碑に向かって真ん中に作られて通路を挟んで、3つの遺構が設置されています。
入ってすぐの左手には、「厩遺構の敷石通路」が展示されています。
説明板には、この遺構が、輜重隊跡のどの位置にあったかが示されています。
よく見ると、石が赤色をしていますので、「火災によるものかな」と思い、市に問い合わせたところ、「もともとこういう色の石が使われていたようですので、被爆時の火災によるものではありません」との説明を受けました。
右手には、二つの遺構が設置されています。
手前は、対面形式の馬房に敷かれていたアスファルトです。
大きさは7平方メートルで被爆後の火災による痕跡を見ることができます。溝などもありますので、このアスファルトの部分は、今後「雨などが降ったときどんな影響が出るのか、冬に凍ったときなど剥離したりしないのか」など,保存上の問題が生ずる可能性があるように感じました。
右手奥側にあるのは、馬繋杭を設けた手入場です。
全体で計57枚の石畳が遺構として使われ、広さは約17平方メートルの大きさです。
遺構の発掘調査現場を目にし,全体の保存を求めていた者からすれば、あまりにも小さすぎる(石畳だけでも発掘されたのは約800枚)という思いを禁じ得ませんが、市民の要望の中から実現したものでということも、忘れないで欲しいと思います。
今回の展示を機にサッカースタジアム東側の公園にも2枚の石畳が置かれ、この場所を案内する表示も展示されました。
残された被爆石の行方
輜重隊の遺構が、発掘調査が終わると壊されるということを知り、遺構展示用の被爆石だけでなく、その他の被爆石も活用して欲しいと当時要望していました。
広島市は、遺構復元用以外に20枚を超える被爆石を保管し、希望があればお分けするとしていましたが、その行き先が定まらないままでした。
「被爆遺構の公開のための作業が完了すれば、廃棄処分するしかないので、どこか引き取っていただくところはないだろうか」と相談を受けました。
すぐには、思いつくところはなかったのですが、「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」のメンバーの一人が、「被爆建物が壊されたりしたとき、被爆石をもらって保存し、街角の原爆の絵展示の時、活用しています」と、話していたことを思い出しましたので、連絡を取ってみました。
「来年被爆80周年の行事として第11号碑を設置することにしているので、もらい受けたい」との返事があり、広島市と連絡を取り、20枚近い被爆石が「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」に引き取っていただくことになりました。
戸坂に保管されていた被爆石
遺構の公開が始まった翌日22日に無事、引き取りが完了し、きちんと整理されて保管場所に収まりました。
広島市が保管していた被爆石全部というわけにはいきませんでしたが、貴重な被爆石の多くが引き取られ、活用される道が開けて本当によかったと思います。
もし被爆石を入手したいという希望があれば、広島市の文化財振興課へ連絡して下さい。来週初めであれば間に合うと思います。
いのちとうとし
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