「広島ブログ」

2024年4月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

文化・芸術

2024年4月 3日 (水)

第一回ひろしまブックフェスタ

ヒロシマゲートパーク(旧広島市民球場)の大屋根広場を会場に3月29日から4月7日までの会期で、「第一回ひろしまブックフェスタ」が開催されています。

24431

「ひろしまブックフェスタ」のホームページには、その趣旨が次のように書かれています。「新刊書店、古書店、出版社、取次など、普段はそれぞれ違う場所で本と関わる私たちが、一年に一度集まり、本との出合いを求める方々と楽しい時間を共有したい、今回の企画はそんな思いからスタートしました。私たちとご来場いただくみなさまとで創り出す、新しい形の本の祭典。本を通して、人と人とがつながる場所『広島ブックフェス』へぜひお越しください」

この企画を呼びかけたのは、ジュンク堂書店広島駅前店店長の三浦明子さん。その呼びかけに応えて、古書店,新刊書店、出版社など23店舗が、この「第一回ひろしまブックフェスタ」に出店しています。

活字離れが言われる今、本に携わる人たちがどんな景色をつくっているのだろうとの期待を込めて私も初日の3月29日に行ってきました。その一部を紹介します。

新刊店の中には、昨年12月2日に安佐南区西原にNEW OPENしたばかりの「Lounge B books」(ラウンジビーブックス)のコーナーもあります。

24432

置かれていたチラシには「『談話室』をコンセプトにした小さな本屋です。書籍(新刊、古本)や雑貨の販売だけでなく読書会や作品展示などのイベントをやっていく予定です。」

こんな新しい感覚の小さなお店がいくつか出店しています。なかなか出会うことのないお店ですので、これだけでも出かけてみる価値があります。

意外だったのは「ブックオフ」のコーナーがあったことです。今回は、古書店としてではなく新刊書店としての出店です。古書価格の有り様を変えたといわれる「ブックオフ」が、古書店と一緒の出店しているのも「ひろしまブックフェスタ」ならではの光景といえます。

24433

ジュンク堂書店の三浦さんの呼びかけだったからこそ実現したのだと思います。

そのジュンク堂の三浦さんのコーナーには「みうらの棚」と店名が付けられています。ぬいぐるみも展示されていますが、よく見ると奇妙な貼り紙が目に入ります。

24434

左側には「ジュンク堂書店 お引越し」右には「2024/4/6 Renewal open」と書かれています。この企画が相談されている頃には予想もされていなかったようですが、ちょうどこの期間と重なる形で、広島市の中央図書館移転に伴ってのジュンク堂書店のエールエール館内の移転作業が行なわれることになったようです。

関西の小さな出版社5社のコーナーも並んでいます。

24435

がんばっているなとエールを送りたいと思います。

私もいつものように、古書店に並ぶ本の中から珍しい本を見つけたいとの思いで初日に行ったのですが、見つけられた本は、1冊だけでした。

予想以上に多くの人が立ち寄っていましたが、その中には通りすがりに覗いたと思われる外国人旅行者の姿もありました。

24436

立ち止まるのは、浮世絵などが展示されているコーナーです。

通常の古書店にはない何か面白い出会いがあるはずです。会期は、7日までですので、天気の良い日、足を運んでみるのも楽しいと思います。

心配なのは、「一日中雨」という今日の天気です。本にとっては、火とともに雨も一番の天敵です。大屋根広場といっても屋根は高い位置にありますので、本が雨に濡れないかちょっと心配です。

いのちとうとし

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2024年3月24日 (日)

命を描く山内若菜広島展

旧日本銀行広島支店を会場に20日から25日までの会期で「命を描く山内若菜広島展

―過去と現在、そして未来へ」が、開催されています。会期二日目の21日に、会場に行ってきました。

21日の中国新聞、テレビ各社のニュースで報道されたためでしょうか、会場には多くの人が訪れていました。

入り口すぐのフロアーには、小品も並んでいますが、目を引くのは受付窓口の奥のフロアーにならぶ、大作3点です。このフロアーの正面には、広島と長崎、福島を題材として「命」への思いを込めた三部作「牧場 放(放つ)」(福島がテーマ)、「刻(時)の川 よう(揺れる)」(広島がテーマ)「天空 昇(昇)」(長崎がテーマ)が、並んでいます。

243241  

左手には、被爆樹木をメインテーマにした「讃歌 樹木」。

243242_20240323172101

この作品は広大生との共同作で、昨年のG7サミットで伐採された被爆樹木ヤナギの切り株も描かれています。たくさんの小動物が描かれていますので、それを探しながら鑑賞するのも一つの見方だと思います。

右手には,福島での牧場体験の中から生まれて「神々の草原 トリニティ」が展示されています。

243243_20240323172101

福島に何度も足を運んだ思いが伝わります。

チラシには、これらの作品を描いた思いがこう綴られています。

「ここは、原爆ドームや旧日本銀行広島支店、旧広島陸軍被服支廠をはじめ,遠くは大久野島に至るまで、歴史を振り返れば加害と被害という,二重性を生きる町であります。けれども,傷つきながらも町のそこ・ここに生き続ける被爆樹木の緑は力強く、目に見えない微生物たちが命の連鎖をつづけて、きょうこの日がある。・・・絵の前で感じたこと,受け取られたこと等、感想をお聞かせください。希望の光を求めて,広島のみなさんととともに、歩みたいと思います。」

入って右側の部屋には、どうしても展示したかったという「教会 大久野島光景」が展示されています。

243244

キャプションに次のように書かれています。

「広島県大久野島を訪れたとき、貯蔵庫跡地は光を受け、上の方にツタが絡まり、うっそうとしていました。十字架のようなものがキラキラしているようでした。ここに貯蔵されていた毒ガスは、たくさんのアジアの人を傷つけた。地図になかった場所です。このことを思いながら、たくさんの子どもの姿を思い浮かべ、今も傷つけられている子どもたちのことを思い、私は手を合わせました。

ここ、旧日銀でも,たくさんの方がなくなりました。二階の部屋でたくさんの方が亡くなりました。二階の部屋で,いまだガラスが突きささるキラキラした破片の形も十字架でした。そしてここをシンとした祈りの空間だと感じたのでした。たくさんの傷つけられた私たちでもある方々へ,祈りを捧げます。」

この一文を全部紹介したのは、この文章の中に山内さんが、ここ旧日本銀行広島支店で展覧会を開催したいという思いが、込められていると思ったからです。

何度も広島に足を運んで出合った被爆建物などを描いた小作品も多数展示されています。

 会期は、今日明日の二日間ですが、ぜひ足を運んで欲しい、そして作品と向き合った欲しい個展です。私の言葉では伝わらない感動を覚えるはずです。

最終日の25日は、午後3時で終了しますが、午後2時から作品を前にしての最後のギャラリートークが行なわれますので、作者の思いを聞いて欲しいと思います。

いのちとうとし

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2024年3月17日 (日)

青空古本市―第1回広島護国神社古本まつり

私が知っている屋外で行なわれる古本市は、東京の新橋駅前や早稲田大学そばの穴八幡宮など,広島以外で開催されているものばかりです。

今月15日から3日間、広島では初めてと思われる青空古本市が、広島城跡にある護国神社の境内で「第1回広島護国神社古本まつり」の名称で開催されています。今日が最終日です。

「古本市」の開催、気になりますので初日の15日,開始時間の午前10時に行ってきました。

243171

会場に着くと、5張りのテントが目に入ります。参加店舗は、5店舗でテントが割り当てられているようです。たくさんの人とは言えませんが、古本市目当ての人だけでなく、護国神社参拝後に覗く人の姿もありました。

ゆっくりと見て回ったのですが、なかなか気になる本が見つかりません。それでもせっかくきたのだからと500円の値札が付けられた「いのちのあるかぎりー原爆と未解放部落」を購入しました。

青空での古本市の一番の心配は天気ですが、幸いといってよいと思いますが、初日二日は、好天気に恵まれました。ただ、今日は?

一時期古本市の開催が減少していましたが、最近は広島でも開催回数が増えています。今月末の29日から4月7日までの期間で「第一回ひろしまブックフェス」が、ひろしまゲートパーク(旧市民球場跡)の大屋根広場で開催されます。こちらは、「新刊書店、古書店、出版社、取次など、普段はそれぞれ違う場所で本と関わる私たちが、一年に一度集まり、本との出合いを求める方々と楽しい時間を共有したい」(主催者ホームページ)との目的で開催されますので、古本だけというわけではありませんが、こちらも楽しみな企画です。

ところで、1時間足らず古本まつりをめぐった後、広島城大手門を通って帰宅する途中で、不思議な光景に出合いました。

243172

大手門を出てすぐ南にある地下道の入り口付近で若い人たちが、何か作業をしています。「何をされているんですか」と尋ねると「地下道が暗いという声があるので、少しでも明るい雰囲気にしようと地下道の側面に色つきのシールを貼って、モザイク絵をつくっています」との返事。

広島市の委託を受けて、広島市立大学でデザインをまなぶ生徒たちが、自分たちでデザインしたモザイク絵に基づいて、カッティングをしたビニールシールを一枚一枚タイルに貼り付ける作業をしていたのです。デザインは、広島の川と鯉がテーマとなっているようで、私が通りかかったときは、作業がはじまったばかりのところでした。

243173

この地下道は、ひろしま美術館側から入り、城南通りを通り抜けた後左右に上り道があり地上に出るのです構造になっています。モザイク絵の中に描かれる鯉は、左側サッカースタジアム方面(西方向)は紫色を使い、右側東方面は赤色で描くことになっているそうです。

作業を見ていると、タイルに一枚貼るごとにフェルト状の木槌は剥がれないように丁寧に打ち付けながら進めるため、完成させるまでには1週間ぐらいかかるという話しでした。

243174

翌日(16日)の昼過ぎに弁護士会館に行くためここを通ったときには、作業はずいぶんと進んでおあり、西側の上り坂北側壁面には、きれいに川と鯉が描かれていました。

この部分だけでもずいぶんと雰囲気が変った気がしますので、全体の完成が楽しみです。

いのちとうとし

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2024年3月12日 (火)

古代出雲と備後―古代出雲文化フォーラム

3月9日午後1時から広島国際会議場で島根大学主催の「古代出雲文化フォーラム」が開催されました。

「出雲」と聞いただけで、「とにかく参加しなければ」と、1月下旬にネットで参加申し込みをしました。

当日の参加者は、300人ということで、関心の高さを伺わせました。

この「古代出雲フォーラム」は,「古代出雲文化を通じて島根県の歴史、文化や風土、そして島根大学の学術研究の成果等を全国に向けて発信するものとして、古事記編纂1300年に当たる平成24年(2012年)度に東京において第1回を開催して以来、全国各地で開催して参りました。」(当日配布されたパンフレットより)そうです。ちなみに広島では、平成25年(2013年)度に一度開催されていますので、今回が2度目の開催となります。それぞれの開催地域と出雲との結びつきを中心にテーマが設定されています。

24312_20240311182201

今回のテーマは「古代出雲と備後」で、第1部のシンポジウムでは3つの講演「1,弥生時代の備後・安芸と出雲・石見の交流、2.国史跡寺町廃寺跡が語る備後と出雲、3,出雲と備後を結ぶ道」がありました。その内容を簡単に紹介します。

「弥生時代の備後・安芸と出雲・石見の交流」の中心テーマは、弥生時代中期に広島県三次市や島根県出雲市で築造された「四隅突出型墳丘墓」から、両地域の繋がりを示す内容でした。

「国史跡寺町廃寺跡が語る備後と出雲」は、三次市にある「国史跡寺町廃寺跡」から見えてくる備後と出雲の繋がりを、屋根の軒に取り付けられた「軒丸瓦」のつくり・文様が同じものであることから「備後と出雲に深い繋がりがあった」ことの報告でした。紹介された「国史跡寺町廃寺跡」は、初めて聞く史跡ですが、大きな伽藍があったようですので、一度訪れてみたい史跡です。

「出雲と備後を結ぶ道」では、天平5年(733年)に完成した出雲風土記に、この両地域を結ぶ道が5つ存在していたことが記述されており、両地域に深い繋がりがあったという報告でした。ちなみに「出雲風土記」は、ほぼ完全な形で残る唯一の風土記として貴重なものです。

私が特に興味を持ったのは、最初の二つの報告です。二つの報告は、いずれも「備後地域で発祥し、それが出雲に伝搬した」というものでした。意外と言えば意外なことです。私は、「出雲は古代の中心だった」と思っていましたので、頭をガツンと打たれたような思いになりました。

第2部は、島根大学の取り組みが紹介されましたが、ここでは省略します。3時間半の長いフォーラムでしたが、もう一度古代の歴史を学び直さなければと思わされた「古代出雲文化フォーラム」でした。

いのちとうとし

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2024年3月 5日 (火)

ヒロシマとベトナム(その56) ~日越外交関係樹立50周年記念訪問―その5~

成長著しい歴史と文化のまち、ダナン

ベトナム最後の日(11月5日)、前日通過したダナンに再び入り、ダナン湾に注ぐハン川に架かる「ドランゴン橋」と、その西詰にあるチャム彫刻博物館を見学。夜はカラフルなイルミネーションに浮かび上がり、金・土・日の夜には水と火を噴くドラゴン橋は、成長著しいダナンを象徴する人気スポットです。

24351 24352

ダナンの「鯉の滝登り像」の前で“はい ポーズ!      金・土・日の夜火を噴くドランゴン橋の“ドランゴン頭

24353 24354

人間の胴体をもち鷲の頭をもつ神ガルーダ           人の身体に象の頭を持つヒンズー教の神 “ガネーシャ”

  チャム彫刻博物館はダナン南西70km、ホイアン西方40kmにあるミーソン遺跡を中心にベトナムに点在するチャム族の遺物が展示されています。インド文化やヒンズー教の影響を強く残す彫刻の中で目を引いたのは“ガルーダ”と“ガネーシャ”です。チャム族は2~7世紀まで林邑国(Champa:チャンパ)、7世紀~14世紀まで占城国(Chiêm Thành:チャンパ)としてベトナム中部を治めていたチャンパ王国の主要民族でした。

チャンパ王国は、日本とも関わりの古い国です。

19世紀初めに阮朝によってベトナムで初めての統一国家が建てられる遙か以前、735年に遣唐使・平群朝臣広成(へぐりのあそんひろなり)が嵐で漂着したと伝えられる崑崙(こんろん)はチャンパ王国と考えられています。おそらく記録に残る日本人が初めてベトナムの地を踏んだ人だと思います。このことはもう一つのシリーズ「ベトンバムの歴史」(2121年8月19日の「ベトナムの歴史」(その6)で紹介しましたのでご覧ください。ベトナムの歴史(その6-1): 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)

一方、ベトナム人として初めて日本の地を踏んだ記録上最も古い人が、736年に渡日したチャンパ王国出身の僧・仏哲です。仏哲は東大寺大仏開眼法要で舞楽を奉納し、菩薩や抜頭などの邑楽伝えました。

チャム彫刻博物館とドランゴンブリッジは悠久の歴史を刻むダナンと、成長著しいベトナムを象徴するダナンの顔を代表する観光スポットです。

24355

列強支配の攻撃にさらされたまち、ダナン

ハノイ、ホーチミンに次ぐ三大都市の一つダナンにはもう一つ歴史があります。チャンパ国時代は中国と国境を接し絶えず侵略にさらされ、605年には随によって一度は滅亡されます。19世紀の半ばにはベトナムの植民地支配を狙ったフランス艦隊がダナン港を襲い、ベトナム戦争時にはアメリカの海兵隊が上陸しました。米軍の大規模な基地が建設されたベトナム戦争の大激戦地でもあります。

ダナンは列強支配の攻撃にさらされたまちでもあるのです。

24356

1858年、フランス軍の艦隊によって砲撃を受けるダナン。ここから1954年のディンビエンフーの闘いでフランスが敗退するまでの植民地支配が始まります。

今回の旅行では日程の都合で訪れられませんでしたが、チャム彫刻博物館の近くにあるダナン博物館はこうしたダナンの歴史やと文化、ベトナム戦争を生き、戦い抜いた人々の暮らしを知ることが出来ます。是非、皆さんも一度訪れてください。

「日越外交関係樹立50周年記念訪問記」シリーズは、今回をもって一区切りとします。

次号から予定しているシリーズを紹介します。

ダナンの東約240kmに南シナ海問題の一つの火種があります。中国の海南島から南東約300kmにある西沙諸島です。英名ではパラセル諸島、ベトナムではホアンサ諸島(Quần đảo Hoàng Sa)と呼ばれます。南シナ海問題のもう一つの火種は南沙諸島(英名:スプラトリー諸島、ベトナム名:チュオンサ諸島)です。

ウクライナ戦争で取り沙汰されている台湾海峡問題とともにクローズアップされているのが南シナ海問題です。次回から南シナ海を臨むダナンで訪問団の皆さんに紹介した南シナ海問題を幾度か書いてみたいと思っています。

(2024年3月5日、あかたつ)

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2024年2月24日 (土)

被爆建物国史跡指定と広島原爆遺跡調査報告書

先日、予約していた本を受け取りに中区図書館に行ったとき、あれっと思う本が目に入りました。

昨年9月に広島市が発行した「広島原爆遺跡調査報告書」です。すぐに手に取り、パラパラと中をめくってみました。写真や図面が多数配された興味深い内容です。貸し出しが可能のようですので、予約した本と一緒に借りることにしました。

この報告書は、2020年度と2021年度に実施した「広島原爆遺跡調査業務」に基づき編集されたものです。

「第1章広島原爆遺跡とその調査」では、「原爆遺跡とは」として「広島原爆遺跡は、広島に投下された原子爆弾を受けた建造物や被爆樹木等で現存するもの、又はその一部や被爆した遺物が、ほぼ被爆時と同じ位置に残されているものあと、本報告書において定義する。」とし、「2023年度3月31日現在広島市が登録しているものは次の通りである。〇被爆建物:86件(棟数ではない)、うち非木造30件、木造56件 〇被爆橋梁:6橋:京橋(京橋川)栄橋(同)比治山橋(同),猿猴橋(猿候川),荒神橋(同),観光橋(八幡川)〇被爆樹木:160本」と記されています。

242241

その後に被爆建物のリストが,掲載されています。

調査の目的として「広島原爆遺跡の概要を把握・確認し,その中から具体の物件を抽出し、それらが有する歴史上及び学術上の価値を明らかにして、文化財指定の検討に資する基礎資料を作成することを目的とする」としており、今回の調査対象(被爆建物)の条件を「爆心地から2キロ以内、被爆の痕跡が顕著。被爆当時の姿を比較的良好に残している。被爆当時の位置に残っている。公開等による活用の可能性が高い。調査に所有者の同意が得られる。」とし、「・平和記念公園レストハウス(広島市所有)・旧日本銀行広島支店(日本銀行所有:広島市へ無償貸与)・本川小学校平和資料館(広島市所有)・袋町小学校平和資料館(広島市所有)・中国軍管区司令部跡(旧防空作戦室)(財務省所有:管理団体広島市)・多門院鐘楼(多門院所有)」の6つの調査が行なわれています。

調査報告では、建物ごとに「①建物の概要②歴史③被害の状況④被爆前後の利用状況⑤現況及び被爆痕跡などの調査」の5項目にわたって報告され,最後に「小括」として「確認できた事項について特徴や価値の面を中心に要点を整理」してそれぞれ数点にわたって評価が記されています。

特に興味を持つのは、今は見学ができない「中国軍管区司令部跡(旧防空作戦室)」です。

小括では次のように述べています。

「●被爆直後に被害を発信した場所である建物(略)●現存する防空作戦室跡として希少な建物(略)●軍事拠点中枢部に残る軍関係の建物―史跡広島城趾の史跡指定地内に位置し、大本営跡等とともに,明治以降の広島城跡における軍関係の役割・機能やその変遷を伝える数少ない遺構であり、軍都広島や戦時下の防衛体制をうかがい知ることのできる建物である。」

調査対象物としてはただ一つの木造建造物多門院の小括では、「爆心地から最も近くに位置する木造の被爆建物」とし「被爆当日、火災は多門院等にも押し寄せていたが、呉海軍鎮守府の救援隊によって食い止められた。全壊全焼地域は、多門院の西側で止まることとなった。」と記されています。この部分は、初めて知る事実です。

この報告書の最後は、「広島原爆遺跡の保存・活用に向けた課題」として「広島原爆遺跡をより多くの人々に知ってもらい、関心を高めることは、広島原爆遺跡への理解を広げ、その保存・活用の推進力につながるものと考えられる。」と結んでいます。

242242

 NHK広島2月21日夕方ニュース

とここまで書いたところで、この6つの被爆建物が国史跡に指定されたニュースが入ってきました。

この報告書を手にしたとき「なぜこの6つだろう」と思ったのですが、このニュースを聞いて納得です。ここで紹介したように確かに調査目的には「文化財指定の検討に資する基礎資料を作成することを目的とする」と明記されています。

この調査は、国史跡指定のためだったかも知れませんが、内容のあるよい調査報告ですので、できるだけ多くの人に読んでほしいと思いますし、被爆建物めぐりの際に活用したいと思います。

できれば、他の原爆遺跡も調査してほしいものです。

いのちとうとし

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2024年2月14日 (水)

NTT西日本中国吹奏楽クラブ第73回定期演奏会「バレンタインコンサート」

今日は、バレンタインデーです。といっても私にはあまり関係ありませんが、今年は、早くにプレゼントをいただきました。

10日に広島文化学園HBGホールで開催されたNTT西日本中国吹奏楽クラブ第73回定期演奏会「バレンタインコンサートです。

午後3時の開演20分前に会場に入ると,1階席はほぼ満席(私は1階席に席を取りましたので、2回の状況は不明)の入場者でした。

まず演奏曲だけ紹介します。

第1部は、アメリカの作曲家アーロン・コープランド作曲の「バレエ組曲『ロデオ』より『カウボーイの休日』」、「バレエ組曲『ビリーザ・キッド』」でした。

20分間の休憩を挟んで第2部は、P.スパーク「メリーゴーランド」、和泉宏隆作真島俊夫編曲「トワイライト・イン・アッパー・ウエスト」で、三奈木浩平さんのトランペット・ソロ、L.バーンスタイン作W.J.デュソイト編曲「ウエスト・サイド・ストーリー・セレクション」、「ディズニー・メドレー」、R.ボーデュク「サウス・ランバート・ストリート・パレード」でした。

24213_20240212165001

第2部は、知っている曲もたくさん登場しましたので、より演奏を楽しむことができました。

アンコール曲は、NHKの『映像の世紀』のテーマ曲などでした。ちょうど2時間、楽しい時間を過ごすことができました。

ところで、当日配布されたパンフレットの書かれた「NTT西日本中国吹奏楽クラブプロフィール」を,電電公社時代のことを思い出しながら読みました。

まずプロフィールです。「昭和30年に広島電報局の有志10数名で『広島電報局器楽同好会』としてスタートし、昭和34年に『電電中国吹奏楽部』として本格的を行なってきました。」

私が電電公社に入社したのは1967年(昭和42年)ですが、最初は松江電報局に配属されましたので、当時は「電電中国吹奏楽部」は、全く知るよしもありません。1971年の配転で広島に来ることになり、その後「電電中国吹奏楽部」を知ることになりました。当時、島根県は吹奏楽の盛んな(今もその伝統が続いていますが)土地柄でしたので、吹奏楽と聞くと今も親しみがわきます。当時は、「電電中国吹奏楽部」が、全日本吹奏楽コンクールに職域の部で出場し、何度も金賞を得たというニュースを何度か耳にしたことがあったことを思い出します。

ところで、電電公社時代は、電電中国には,広島を拠点に野球部、陸上部、軟式庭球部のスポーツ3部がありましたが、NTT時代になって残っているのは、軟式庭球部だけです。吹奏楽部は、唯一の文化部として存在していましたが、今は名称を「NTT西日本中国吹奏楽クラブ」と代えて存続しているようです。

さらにプロフィールを読むと気になる文章があります。「NTTグループの社員のみならず学生から社会人までの幅広いメンバーで構成されており、『吹奏楽を通じて、円満な人格形成と部員相互の融和をはかり、音楽を共に楽しむ。演奏技術の向上、地域文化の向上に貢献すること』を目標に活動しています。」

私が知る「吹奏楽部」は、電電公社の職員のみで構成されていたのですが、今は地域の人たちがメンバーに加わっているのです。

休憩時間にスタッフに聞きました。「この構成で、各種のコンクールに出られるのですか」「確かに以前は、中学、高校などと並んで『職域』の部門があったのですが、10数年前から『職域・一般』という部門に代りましたので、出場することができるんですよ」

改めてプロフィールを読むと、今でもコンクールへの出場は続き、「全日本吹奏楽コンクールへは過去53回、全日本アンサンブルコンテストには32回出場し,それぞれたびたび金賞を受賞しています」と書かれていました。

電電公社時代から続く「クラブ」として、これからも頑張り続けてほしいと思います。

NTT西日本中国吹奏楽クラブの定期演奏会は、毎年2月と7月の2回開催され、次回第74回定期演奏会は、「七夕コンサート」の名称で、714()に開催が予定されています。

ぜひ次回も演奏を聴きたいと思います。

いのちとうとし

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2024年2月 5日 (月)

ヒロシマとベトナム(その55) ~日越外交関係樹立50周年記念訪問―その4~

昨年11月にスタートした「ベトナム訪問記」、ホイアン編に入る前に嬉しい報告です。昨年秋の訪問時、クアンチ省知事から功労賞をいただいたことは既に報告しましたが、この度、一般社団法人 広島ベトナム平和友好協会(HVPF)が、ベトナム国のブイ・タン・ソン外務大臣表彰を受けました。1月21日、六本木ヒルズ・ハリウッドプラザで、宮城県日越交流協会、栃木県ベトナム友好協会などとともにファム・クアン・ヒエウ大使から表彰状を授与していただきました。この間の草の根交流を支えてくださった多くの皆さまのお陰です。

ありがとうございました。

24251

古の交流が偲ばれる遠来橋(日本橋)

さて、話をホアイアンに戻します。11月4日の午後、フエとダナンの間に立ちはだかるハイバン峠を貫く東南アジア最長のトンネル(6,280m)を難なく越え、夕刻、ダナン市に入りました。このハイバン・トンネルは日本のODAで2005年に開通したものです。車窓から著しい発展を遂げるダナン市を眺めながら、ひたすらホイアンに向かい、チェックインしたホテルは五つ星ホテル「LOYAL RIVER SIDE」。料金の方は旅行社のオーダーミスで格安、皆、“ラッキー”と大喜びでした。

ホイアンといえば16末~17世紀中頃まで朱印船が通い、日本人町や遠来橋(別名「日本橋」)が作られた歴史の町で、1999年にユネスコの世界文化遺産に登録されています。遠来橋は1593年に日本人町と中国人町を結ぶ橋として日本人が架けた瓦屋根付きの珍しい橋です。ベトナム紙幣(2万ドン)の裏面にデザインされ、日常的に親しまれています。

1719年に広南国王が「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」という論語から遠来橋と名付けたと伝えられ、ホイアンの人気スポットです。残念ながら8回目の修復工事中で橋全体が覆われ、今回はその姿は見ることはできませんでした。

24252 242532023

左は2014年訪問時、右は今回

つながった『古着屋惣兵衛』、『新・古着屋惣兵衛』シリーズ

話は長くなりましたが、幕府開闢から200年あまり、欧米列強が植民地支配の触手を伸ばしてくるとともに、幕藩体制が緩み、軋み出す時代を背景にした時代スペクタル。是非、手にしてみてください。

絶景!ランタンに浮かぶホイアン

もう一つホイアンで有名なのがランタンです。かつて貿易港として栄えたホイアンはファイファという大きな貿易港があり、16~17世紀にかけて日本との交易が盛んでした。日本の鎖国政策以降は、中国との関係が強くなり、様々な交易品が持ち込まれます。その中に含まれていたランタンからホイアンの職人によって独自のデザインが生まれ、ホイアン名物になったと伝えられています。

世界遺産のまちホイアンは毎月旧暦の14日の夜、ランタン祭りで賑わいます。もともと故人を追悼する行事だそうで、日本のお盆に似ています。私たちが訪れた時はランタン祭りではありませんでしたが、まちを彩るランタンはとても幻想的で誰もが魅了されます。

24254

今につながる日本とベトナムの絆

ホイアンには、日本との縁を伝える遠来橋を含む貴重な歴史的な建造物も多く残されています。かつて日本や中国との海洋貿易港だったという面影を残しているのが「フーフンの家」です。コショウや絹製品、ガラス細工や青磁器などで繁栄を築いた豪商のフーフン(馮興)が200年前に建てたものです。土壁はベトナム式、柱や扉は中華式、屋根は日本式という日越中3カ国の建築様式が融合し独特の雰囲気を漂わせています。

242551 242562

24257

フーフンの家にはお土産屋を兼ねたアートがあり、ガイドもしてくれます。上の写真はホイアン名物のランタンをモチーフに織られたベトナム刺繍です。作っていたのは枯葉剤被害者でした。その美しさに惹かれて買い求め、わが家の居間を飾っています。

 今号でダナンまで進む予定でしたが、少し長くなりましたので次号で報告します。

(2024年2月5日、あかたつ)

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2024年1月 9日 (火)

もみじニューイヤーコンサート

 この時期「ニューイヤー」と冠が付けられたコンサートがいくつか開催されますが、私は6日に開催された「もみじニューイヤーコンサート」に行ってきました。

今年のコンサートの指揮者は角田鋼亮さん、ソリストはピアノの金子三勇士(みゆじ)さんでした。金子三勇士さんは、「題名のない音楽会」にたびたび登場していますので、テレビでは何度も演奏を聴いていますが、生の演奏を聞くのは初めてですので、楽しみでした。演奏するのは、もちろん広島交響楽団です

2419  

オープニング曲は、ベートーベンの「歌劇『フィデリオ』序曲Op.72」。次は、リストの「ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調S.124」です。ピアノ演奏者は、も金子三勇士さん。アンコールの拍手に応えて金子さんが再登場。「ありがとうございます。今年は、年始めから地震、飛行機事故が続きました。ここ広島から平和と鎮魂の想いを込めて、リストの『ラ・カンパネラ』を演奏したいと思います。『ラ・カンパネラ』は、イタリア語で『鐘』を意味します。」と地声で紹介して演奏が始まりました。この曲は、辻井伸行さんもアンコール曲でよく演奏する曲です。なじみのある曲の演奏で、気分はより高まり、さらに大きな拍手が起こりました。

15分間の休憩の後、ドヴォルザークの「交響曲第9番ホ短調Op.95『新世界より』」が演奏されました。この交響曲は、ドヴォルザークの代表作でもありますので、何度か聴いた曲です。

約2時間足らずのコンサート、今年も充分堪能することができました。

ところで、1985年から始まり今年で39回目を迎えたもみじ銀行主催のニューイヤーコンサートですが、もみじ銀行は、昨年の11月に創業100周年を迎え、今年は「もみじ銀行創業100周年記念事業」の冠が付いていました。

もみじ銀行の宣伝をするつもりではありませんが、このコンサートのことをブログにアップすることにしたのは、実は、私はもみじ銀行と言っても前身の広島相互銀行の時代のことですが、深い関わりを持ったことがあったからです。

確か1970年だったと思いますが、松江から転勤で働くことになった職場が、広島の電電公社の中国データ部でした。中国データ部は、現在の株式会社NTTデータ中国です。この中国データ部での仕事が、広島相互銀行のオンラインシステム作りでした。当時各銀行がオンライン化を進めていました。私は、定期性預金の担当として、システム設計やプログラミングの仕事に携わり、広島相互銀行のオンラインシステム開通に寄与したのです。ここでは8年ほど働いき退職しましたが、その後も広島相互銀行オンラインシステムの節目節目では、声をかけていただきました。ですので、退職して40年あまりが過ぎましたが、今も忘れることのできない銀行名なのです。

そんなゆかりを思い出しながら今年も「もみじニューイヤーコンサート」を楽しみました。

いのちとうとし

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2023年12月29日 (金)

高校生が描いた「原爆の絵画展」にまた行ってきました。

平和公園内にある広島国際会議場の地下2階サクラで、来年の1月9日までの日程で、広島基町高校の生徒が描いた『聞き、描く。共に、描く。高校生が描いたヒロシマ『原爆の絵画展』』が開催されています。

この「原爆の絵画展」に行くのは、8月に続いて今年2度目になりますので、「また」と表題を付けました。今回どうしてもと思ったのは、23日に原爆の絵制作生徒による「ギャラリートーク」が開催されたからです。以前にも「ギャラリートーク」は行われたようですが、まだ一度も参加したことがありませんでしたので、今回はぜひにとの思いで参加しました。

これまでにも何度か「原爆の絵画展」を観に行っていますが、生徒の話を直接聞くのは、今回が初めてです。今回のトークでは、3人の生徒の発表がありましたが、ちょっと遅れての参加になりましたので、すでに二人の生徒の話しは終わっており、最後の一人のトークを何とか聞くことができました。

2312291

木村光希さんはこう語ります。「原爆の絵を通して、広島に住む高校生として、平和について向き合う機会を得られてよかった。少しでも多くの若い世代の人や県外に住んでいる人たちの目にとまればよいと思う。なぜ戦争が起きるのかを考える。自分が伝えるには何ができるか、自分には戦争体験がないが、自分が伝えることができるのは?今平和があることがどんなに大切なことかを伝えたい」。

その後残された15分あまりの時間、参加者の質問に答えるかたちでのトークが行われました。

「被爆者の話を聞けば聞くほど、より原爆のことに関心を持つようになり、いろいろ知ろうと努力し、知るようになった。別の場所に行っても広島のことを表現したいと思うようになった。絵を描いたことは、生涯の大切なものになった。」

「広島のことは知っているつもりだったが、被爆者の話を聞いて、これまで全く知らなかったということがわかった。そして平和への関心がより深くなった。絵を描いたことで、平和になるためには、知ることが大切だということを学んだ」などなど。

少し遅れての参加になりましたが、ギャラリートークに参加することができ、初めて制作者の思いを聞くよい機会になりました。

今回の絵の展示には、以前と違う展示方法がとられています。被爆者10人の証言をもとにした絵が展示されていますが、今回は、被爆体験証言者ごとにまとめ、さらに被爆時、直後、避難など時系列の順に展示されています。

2312292

上の写真は、小倉桂子さんの証言を基にして描かれた作品です。右から左に時間が流れ、写真には6枚の作品しか写っていませんが、計7枚が展示されています。他の証言者の絵も同じような並びになっています。

今年8月に亡くなられた中西巌さんの証言をもとに描いた絵2点も展示されています。

2312293

今回展示されている作品は、今年7月に完成した9点を含む約60点です。会場は、今日から1月3日まで休館ですが、1月9日まで開催されています。

いのちとうとし

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

より以前の記事一覧