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文化・芸術

2023年11月28日 (火)

広島市主催「被爆建物めぐり2023」

今月19日、広島市が主催する「被爆建物めぐり2023」がありました。こちらは、何とか抽選に当たり、参加者のひとりに加わることができました。

今回の被爆建物めぐりのサブタイトルは「南区の被爆建物を通じて、ヒロシマをさがそう」ですので、巡る被爆建物は、南区にある広島陸軍兵器補給廠(広島大学医学部資料館)、広島陸軍被服支廠(旧日本通運出汐倉庫)、広島高等学校講堂(広島大学付属中・高等学校講堂)の3カ所でした。

何度も見学した被爆建物が二つ入っていますが、興味を持ったのは最後に訪れた「広島講堂学校講堂」です。ここは、何度か訪れようと思いながら実現していなかった被爆建物です。

集合場所は、広島大学医学部資料館前。午前10時前に全員がそろい、被爆建物めぐりがスタートしました。

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今回のガイドは、都市計画プランナーの山下和也さんです。山下さんは、広島平和記念資料館が被爆50年事業として発刊した「ヒロシマの被爆建造物は語るー未来への記録」(1996年3月発刊)の作成スタッフの一員です。また当時のメンバー三人と2006年9月に「ヒロシマをさがそう 原爆を見た建物」を出版されていますので、被爆建物についてのスペシャリストです。

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当日配布された資料に被爆建物について次のように記されています。

被爆建物・・・ヒロシマの道標(しるべ)

・被爆前の町の姿と暮らしを伝え、被爆前後の歴史をつなぐ道標。

・被爆時において、逃れ、人を探した道標。

・被爆直後の救援や復興を支えた道標。

・建築・空間を通じて被爆の実相と体験を伝える道標。

・刻み込まれた記憶を読み解き、想像して、未来を考える道標。

道標を頼りにヒロシマを歩こう。ヒロシマをさがそう。

帰宅後、「ヒロシマをさがそう 原爆を見た建物」を開いてみると、上記「ヒロシマの道標」が、この本のまとめ的に記載されていました。今後の被爆建物見学では、この道標を指標にしたいと思います。

被爆建物見学の最初は、集合場所でもある「広島大学医学部資料館」です。この建物については、すでに何度もこのブログでも書いていますので、なぜこの建物が被爆建物なのかなどは省略します。

山下さんのガイドのうち2点を紹介します。下の写真を見ながら、読んでほしいと思います。

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前にも紹介したことがありますが、上側の朱色っぽいレンガのうち、白っぽいレンガが被爆建物で使われていたレンガで、広島県産で廿日市の地御前や能美の高田などで焼かれた広島県産です。

レンガの積み方は、小口と呼ばれる小さなものと長手と呼ばれる長めのものが、横一列づつ順番に積み重ねられています。この積み方は、イギリス積みと呼ばれ、日本にあるレンガ造りの建物の9割以上は、この積み方でつくられています。後で訪れた被服支廠も同じ積み方です。この他にフランス式と呼ばれる積み方があり、こちらは小口と長手を混ぜて積む積み方です。

以前から気になっていた足下の黒っぽいレンガについてです。この黒っぽいレンガは、地面に近いということで、吸水性の低い素材や釉薬を塗って、吸水率を下げるように作られものです。ちょっとだけ知識が増えました。何度訪れても、いつも新たな発見があります。

広島陸軍兵器補給廠の見学を終え、広島陸軍被服支廠(旧日本通運出汐倉庫)に移動します。

陸軍被服支廠についても、すでに何度も紹介していますので、省略したいと思いますが、一つだけ初めて聞く話がありました。

それは、西側に並ぶ鉄扉の変形具合です。

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以前の見学でも鉄扉が変形していることはよくわかっていましたが、山下さんの説明によれば、「3棟ある建物のうち北側の建物ほど変形具合は小さく、南側にある鉄扉ほど変形が大きくなっている」とのことでした。その説明を受けてよく見ると、確かに南側の建物ほど鉄扉の変形が大きいように見えました。

この説明は、私は初めて聞く話です。爆心地から遠い方に影響が大きくなっていることが不思議な気がしますが、北西にある比治山が風の流れに何らかの影響があったように思われます。

これで、二つの被爆建物の見学は終わり、いよいよ次は、私が今回の見学会で一番期待している広島高等学校講堂(広島大学付属中・高等学校講堂)へ移動しました。少し距離がありますので、このつづきは明日報告します。

いのちとうとし

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2023年11月 9日 (木)

金剛山歌劇団2023年アンサンブル公演

6日の午後6時30分からJMSアステールプラザ大ホールで「金剛山歌劇団2023年アンサンブル公演」がありました。

今年の公演も「広島朝鮮初級高級学校チャリティーコンサート」として、日朝友好広島県民会や広島県平和運動センターなどが、日朝友好運動を続ける団体や労組などが、支援を行いました。

金剛山歌劇団のオープニングに先立ち、今年も広島朝鮮初級高級学校の生徒が登場しました。最初は、二人の合唱。次は、3人による民族器楽演奏(ヘグム、カヤグム、チャンゴ)です。この3人のグループは、10月31日から11月2日に東京で行われた「第55回在日朝鮮学生中央芸術コンクール」(第55回在日朝鮮学生中央芸術コンクール/優秀作品発表会【動画】 | 朝鮮新報 (chosonsinbo.com))で優秀賞を受賞しています。観覧していた広島朝鮮初級高級学校の生徒たちから大きな歓声と拍手を受けての演奏でした。

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生徒たちの出演が終わると、いよいよ金剛山歌劇団の公演です。今年の公演のタイトルは「風になって」です。

オープニングは、公演タイトルとなっている「風にのって」の器楽演奏です。「風にのって」は、「遠く離れた人々の胸に私たちの音色が鳴り響き、それがやがて大きな風となり平和の未来へと導くその日を夢見て作曲された」(プログラムより)作品です。力強く、そして希望に満ちあふれる演奏でした。

以下、混声7重唱、舞踊、女声独唱、独舞、3人舞、女声重唱、舞踊、男声独唱、賀屋軍都チョッテ独奏、ヘグム5重奏、チュンセナプ独奏、民謡メドレー(男性独唱、女声二重唱、混声7重唱)、そして最後は舞踊です。今年は、途中休憩なしで公演が続きました。

雰囲気を知ってもらうため、最後の2つだけプログラムから少し紹介します。民謡メドレーは、「故郷の大地には美しい山野、豊かな恵みを与えてくれる海や川があり、それらは全てわが民族の誇りです。そんな民族の誇りを民謡の音色に乗せてメドレーでお送りします。」選ばれた曲は、「ソンジュプリ」「氷川アリラン」「カトゥリ打令」でした。

最後は、舞踊「カンソンプフンアリラン」でした。この舞踊は、共和国で制作された民族色豊かな舞踊で、朝鮮の代表的な打楽器であるチャンゴを用いて踊る作品で、今年の金剛山歌劇団ツアーで初めて披露されたものです。

毎年公演の最後は、黄金色に輝く稲穂が波打つ水田と、農楽舞踊を軽快に踊る農民を基本に描いた「万豊年」が演じられて会場が大いに盛り上がったものですが、今年の舞踊「カンソンプフンアリラン」も、「万豊年」に劣らず、客席から手拍子が沸き、会場が一体となった雰囲気の中で、公演は終了しました。

会場は撮影禁止ですので、その様子を写真でお伝えできないのが残念ですが、今年も楽しい時間を過ごすことができました。

いのちとうとし

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2023年11月 3日 (金)

二つの展覧会

最近、二つの展覧会を見に行きました。

地下室の写真展

一つは、珈琲店の地下で開催されている「大江理江子・江下碧二人展『地下室の写真展』」です。

会場は、買い物途中に前を通る「名井珈琲商店」の地下1階です。

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雰囲気のある珈琲店ですので、いつも気にしながら前を通ります。店の前に小さな看板が出ているのが目にとまりました。近づいてみると、地下室で開催されている写真展の案内です。

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このお店、地下室があるんだと、作家には申し訳ないのですが、「地下室」という言葉に惹かれて、写真展を見に入りました。

大江理江子さんの写真は、『ロックの情熱とLIVE狂熱を切り取った写真』です。

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江下碧さんの写真は白黒写真で、キャプションには「真実を撮った瞬間虚構に変わる」のタイトルが付けられています。

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写真のことは詳しく知りませんので、全体の雰囲気を写真に撮ることは許可されていましたので、作品の雰囲気を感じてもらうため、2枚の写真を貼り付けました。

写真展の紹介はこれぐらいですが、珈琲店の地下は倉庫として活用されています。

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紅茶の名前が書かれた箱も並んでいました。普段は見ることのできない景色でした。

この展覧会は、12月2日まで開催されています。

もう一つは、昨日行った友人の個展です。

西村不可止展

NTTデータ時代の同僚で、毎回個展の度に案内状が届きます。

今年も昨年と同じ中区袋町にある「gallery718」での開催です。

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今年も「コンピューターシステムのイメージ」をモチーフに赤色を基調とした作品が並んでいました。

「見えたことから感じたことへ。1970年からコンピューターシステムに携わってきた私。そして『IT革命』が言われる真っ最中。私が感じた『ICT』のイメージを描いてみました。」

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どう感じるのかは、見る人の思い次第です。

数点ですが、大山を描いた水彩画も展示されています。

会場には、被爆建物や被爆樹木などを描き続けてこられたアマチュア画家藤登弘郎さんの姿がありました。

会期は、11月5日までです。

いのちとうとし

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2023年11月 1日 (水)

NHK広島「夢プロジェクト」公開収録

NHK広島放送局と広島交響楽団がコラボした「夢プロジェクト」の公開収録が、昨晩午後6時から広島文化学園HBGホールで開催されました。

NHK広島放送局のホームページに、この企画について次のように書かれています。

「NHK広島放送局では、指揮者の下野竜也さんと創立60年を迎える広島交響楽団を迎え、一夜限りの特別プログラムをお届けします。『夢』をテーマに若者が広響と一緒に多彩なジャンルで共演するステージなど、このコンサートでしか味わえない贅沢な時間をお楽しみください。」

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若い人たちの夢を叶えるための広島交響楽団と共演する企画です。

観覧には事前の申し込みが必要とのことで応募したところ、「応募者多数の場合は抽選」となっていましたが、無事に「入場整理券」が届きました。

定刻の午後6時、広島交響楽団による「スター・ウォーズメインテーマ」が演奏で「夢プロジェクト」はスタートしました。指揮者は、広島交響楽団音楽総監督の下野竜也さん。広響の演奏が終わると司会の小野文恵アナウンサーやゲストの一人と一組の計3人が登場。

ゲストの一人は、ミュージカルでデビューした音楽好きの俳優の城田優さん。もう一組は、音楽を使ったネタを得意とする島根県益田市出身の歌ネタ芸人「メンバー」です。

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これからが本番、「若者が広響と一緒に多彩なジャンルで共演するステージ」の開始です。

広響と共演した若者たちを出演順に紹介します。

姉・弟の二人によるピアノの連弾。女子高校生のギターの弾き語り。女の子20人のダンシングチームのダンス。城田優さんもメンバーの中に加わりました。ここで前半が終了。

後半のスタートは、再び広響による演奏。ベートーベンの交響曲第5番「運命」第1楽章、バッハの「アリア」、ドボルザークの交響曲第9番「新世界」第2楽章でした。

その後若者との共演が続きます。福山の大道芸人、フリースケートのコラボ。今回初めての共演とのこと。最後は、ハープの演奏でした。

ここで、そのパフォーマンスの様子を紹介することはとても無理です。昨日収録された番組「夢プロジェクト」は、来年1月12日(金)午後7月30分から8時42分に放送される予定ですので、ぜひそれを見て欲しいと思います。ただ放送時間の関係で広響の演奏部分は、全部は放送されないと思われます(私の勝手な想像です)ので、生演奏が聞けて本当によかったと思います。

いずれの出演者も堂々とした演奏やパフォーマンスで観客から大きな拍手が送られました。若者たちとのコラボの後は、ゲストの城田優さんが、アンジェラ・アキ作曲「手紙~拝啓十五の君へ~」の熱唱。そして最後に会場全員で「それ行けカープ~若き鯉たち~」を手拍子とともに大合唱して「夢野プロジェクト」は終了しました。

途中から、この「夢のプロジェクト」は、昨年も企画され、番組放送を見たことを思い出しながら、楽しみました。

いのちとうとし

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2023年10月30日 (月)

「広島刑務所壁画」現地見学会

広島拘置所(中区上八丁堀)の建て替えで撤去される外壁に描かれた壁画の保存を求めている会が主催する「広島刑務所壁画」現地見学会が、29日に開催されました。

午前10時、午前11時、正午の計三回、壁画が描かれた当時、それを担当していた広島市職員による説明会が実施されました。

私が訪れたのは、3回目の正午の会でした。

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関心を持つたくさんの市民が訪れていました。主催者によれば、1回目の10時には、もっと多くの人の参加があったと言うことでしたので、関心の高さがうかがえます。

私たち夫婦が見学会に参加するきっかけは、20日の中国新聞の記事ですが、その後で昨年10月から毎月5日を中心に15回にわたって「ベトナム象、広島を歩く」のタイトルで執筆してくれたあかたつさんから「あの壁画の中にベトナムのゾウが描かれていると聞いたので、ぜひ写真に撮っておいてもらえませんか」と電話での依頼があったので、絶対に行かなければならないことになったからです。

現地に行くと、12時きっかりに、当時広島市観光課長としてこの壁画製作に関わった小林さんの解説が始まりました。

この壁画は、広島城築城400年目の記念事業の一つとして企画されたもので、「原爆で喪失した江戸時代前後からの城下町の雰囲気を表現する記念事業として城下町を表現した壁画」が描かれることになったのです。最初に、所有する法務省などの許可を得るための努力や制作者を選ぶ苦労などが紹介されました。

コンクリート壁に絵を描くという難しい壁画作成を担われたのは、入野忠芳さん。

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その年の5月頃から描きはじめ、ほぼ完成したのは、10月下旬。拘置所に隣接する宿院宿舎に泊まり込み、作業助手の男女二人を採用し、製作は進められ多様ですが、本当に短い時間で良く完成したものだと感心しました。

当時、私は白島中町に住んでいましたので、この場所をよく通ったことがあります。壁の廻りに足場を組んだ作業されていた様子をおぼろげながら覚えています。そしてコンクリートの壁面に絵を描くのですから、筆がすぐだめになるというようなことを聞いたような記憶があります。

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この壁画の中には、ちゃっかりと壁画を制作する入野さんと二人の助手が描かれて部分があります。上の部分の右側3人です。これも解説がなければ、見つけることはできなかったでしょう。

さてあかたつさんから依頼のあった像の絵です。描かれている象は、広島の城下を歩いている姿ではありません。

1862年に長年続いた「風俗規制」が全面解除され、「砂持加勢」という祭が行われました。「砂持」とは、上流から流れてくる砂によって浅くなった川底を掘り下げる「川ざらえ」で出た川の土砂を運ぶことですが、それを加勢するために出し物や仮装をして祭を盛り上げたようです。

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その作り物の一つとして、138年前にこの城下を通ったゾウもつくられたのです。それほどに、ゾウが城下を通ったことは、人々に印象強く残っていたようです。

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あかたつさんの依頼に応えて写真を撮りました。

今までに紹介したのは、拘置所の北面の壁画です。

東面には、厳島神社の管絃祭の様子や宮島の大鳥居、城下町の賑わいの図などが描かれています。宮島の大鳥居は、落雷による倒壊や大潮・高潮などによって傾くなどの被害が出てようですが、その寄付金集めに広島藩や広島の町が深く関わったようです。

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賑わいの図では、橋の上の民衆の姿が描かれていますが、どの橋かは特定できていないようですが、考えられるのは京橋ではないかということでした。

東面の壁画の写真も何枚か撮りましたが、光のかげんでうまく撮ることができませんでしたので、紹介するのは上の一枚だけです。

壁画見学会を開催した壁画の保存を目指している会では、現物保存が難しいということで、壁画の画像をデジタル化し、陶板に焼き付けて遺すよう広島市に要望しています。

見学会に参加しながら、何とか絵の保存が進むようにとの思いを強くしました。

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2023年10月28日 (土)

紙屋町シャレオ「古本まつり」あと二日

紙屋町シャレオで21日から始まった「第30回古本まつり」の会期もあと二日(29日まで)となりました。

毎回のことですが、私も2度ほど会場を訪れ、「何か珍しい本はないか」と物色しました。なかなかこれはと思うものに出合うことが少なくなり、今回は2冊にとどまりました。

1冊は、以前購入したことがあったのに、なぜがわが家の書棚から消えてしまいネットなどでずっと探していた「ヒロシマの女たち」です。1987年の発刊です。1998年には「続ヒロシマの女たち」が発刊されていますが、この「ヒロシマの女たち」で取上げられている人たちの方が、懐かしいというか、改めて足跡をたどりたいなと思う初期の原水禁運動を担ってきた人が多く登場します。幾人かの名前を挙げます。栗原貞子、日詰忍、松原美代子、小西信子、伊藤サカエ、山岡美智子、節子・サーロー、個人ではないのですが、原水爆禁止広島母の会、デルタ・女の会などです。目次を読めば、この他にもこの人のことも知りたいと思う何人かの名前があります。

ようやく入手できた貴重な本です。

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もう1冊は、「占領されたスクリーン わが戦後史」です。1975年に発刊されていますが、ネットや古書目録などを含め初めて目にする本です。著者は岩崎昶さんです。目次を見ると「大本営と原爆」「原爆映画の運命」「原爆と人種差別」「原爆ニュース第一号」「原爆記録映画の発端」など、興味を引かれる文字が並んでいましたので、とにかく買っておこうと購入したものです。

あとがきには次のように書かれています。「とにかく、とりあえず、戦後の記録だけでもまとめてみたのがこの書物である。戦後といっても、終戦からわずか数年間、袖井林二郎氏のことばを拝借すれば『マッカーサーの二千日』の間に限り、しかも主として私自身の直接体験に限った。私ひとりしか知らない出来事をこの際活字の形で記録しておこうと考えた。米軍の占領が日本で何を行ったか、そして何を遺していったのか、それを映画という場面で受け止めたひとりの人間の証言として定着しておきたかった。」

読むのが少し楽しみです。

今回の「古本まつり」は節目の30回です。全く新しいデザインのそしてどこかで見たことのあるタッチで描かれたポスターができあがっています。

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出店店舗の中でも中心的な役割を果たしているアカデミイ書店の話しによれば、「節目の古本まつりなので、こうの史代さんにお願いしたところ、快く引き受けていただき、原画が届き、今までにないポスターができあがりました」と、うれしそうに教えてくれました。

本を購入すると、はがき大に縮小印刷されたものを一緒の付けてくれます。もちろん買わなくてもくれると思います。

あと二日、出かけてみて下さい。思いがけない本に出合うことができるかも知れません。

こうの史代さんの原画は、アカデミイ書店本店(福屋の西隣)のショウウインドウにしばらく展示されています。こちらにもどうぞ。

いのちとうとし

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2023年10月19日 (木)

平和大通りに新しい碑が建立されます。

散歩コースの一つとなっている平和大通りの白神社前交差点の東南角(白神社の向かい側)で、白い塀を目にしました。数日前までは、アイビーの大きな葉っぱが生い茂っていた場所です。

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ちょうど、平和大通りのドルミネーションの準備が始まる時期でしたので、その作業の一つかなと思ったのですが、今まで塀で囲って作業をした様子は見たことがありませんでしたので、塀に何か表示されているのではないかと近づいていました。

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A4サイズの紙が2枚貼ってあります。道路使用専用許可書の道路使用の目的には「(仮称)月丘夢路記念碑建立計画に伴う仮囲いの設置」と書かれていますので、ここに月丘夢路さんの記念碑が建立されるのだということがわかりました。

それにしても、「なぜ月丘さんの記念碑?」と疑問がわきます。その時、頭に浮かんだのは「そうか、月丘さんは、日教組が製作し1953年に公開された映画『ひろしま』の出演されていたから」ということでした。

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たしか月丘さんは、「生徒を引率し、市内の建物疎開西行に当たっているときに被爆し、生き残った生徒たちを安全な場所に避難させようとして川に入り、生徒ともに力尽きる先生の役だった」ということを思い出したのです。

帰宅後ネットで調べると月丘さんは、広島市大手町生まれだということもわかりました。しかし、それぐらいの理由で平和大通りへの記念碑建立が許可されるのだろうかと疑問に思いましたので、詳しいことを知りたいと思い広島市に行きました。

道路専用使用の許可を出すのは、広島市役所中区維持管理課ですが、月丘さんの業績についてチェックしたのは、文化振興課ということでした。

月丘夢路記念碑建立の申請者は、「井上月丘映画財団」です。同財団は、「映画監督井上梅次とその妻であり女優である月丘夢路が、自分たちを育ててくれた日本の映画・演劇界の発展と普及のために役に立ちたいという願いのもとにこの財団を設立」(ホームページより)された組織です。

広島市の説明によれば、碑建立に当たって「井上月丘映画財団」からは次のような理由が挙げられているようです。

  • 広島市の出身でゆかりがある
  • 原爆を題材にした映画「ひろしま」や「長崎の鐘」に出演している
  • 原爆孤児の支援(チャリティーの集いを開催し、益金を広島市に寄付・自らも精神親となって支援など)に尽力した

ことなどです。

何となく納得ですが、原爆孤児の支援が気になりますので、中国新聞社が発行した「年表ヒロシマ核時代50年の記録」を引っ張りだし、自分なりに調べたところ、次のようなことがわかりました。

映画「ひろしま」が初めて上映された1953年7月31日と8月1日の二日間、同じ女優であった妹の千秋さんとともに広島児童文化会館で「原爆孤児援助の集い」を開催し、その益金計13万8,940円を広島市に寄付しています。広島市は、その寄付などを基にして翌年1954年11月に「原爆孤児奨学金制度」を発足させています。さらに「原爆孤児援助の集い」を行った2日後の8月3日には、月丘さんは妹さんとともに広島市原爆戦災孤児育成所の子どもの精神親となり、その子どもが高校卒業後も支援を続けていたようです。

そんな月丘さんの行為を評価して記念碑建立が許可されたようです。

記念碑の除幕式がいつかは聞いていませんが、道路使用許可は、11月4日までとなっていますので、それ以降に除幕式が行われるのではないかと思われます。

いのちとうとし

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2023年10月12日 (木)

朝鮮人強制労働犠牲者追悼法要

 今月3日から本願寺広島別院で始まった「北海道・笹の墓標展示館全国巡回展in広島」の最終日となった10日、本願寺広島別院本堂で「朝鮮人強制労働犠牲者追悼法要」が行われました。別院の本堂で「朝鮮人強制労働犠牲者追悼法要」が行われてのは初めてのことです。

法要が始まる午後1時前に会場に着くと、受付横には灯ろうが用意されており、一人一人がその思いを書き、本堂祭壇前に並べるように準備されていました。

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午後1時、亀井顕雄実行委員長による「過去の歴史の真実に向き合うことが大切。犠牲者の痛みを心にして、和解の尊さを考えたい。この場所、本願寺別院は日露戦争の時第2陸軍病院が有、ここで亡くなった引き取り手のない遺骨を表忠塔に納めている。」と本願寺別院の戦争に関わる歴史を紹介する主催者あいさつ後、榮俊英輪番(広島別院の最高責任者)など4名の僧侶による「阿弥陀経」が読経されるなか、参加者は焼香を行いました。

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焼香しているのは、進徳高校の生徒です。この追悼法要に先生と高校生平和ゼミナールの生徒二人が参加していました。高校生平和ゼミナールの生徒は、毎年庄原市の高暮ダムでの追悼式に参加しています。

他宗教の人も参列されていますので、それぞれの立場で追悼の意を表します。

全員の焼香が終わると、会場を整理して広島朝鮮学園生徒などによる「チェサ」が行われました。

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「チェサ」は、朝鮮民族に伝わる法事などで「先祖への感謝の気持ちを表し、親族の結束を強めていく」思いを込めて行われる行事です。たくさんのお供え(食物)を作り、お酒、ご飯、お茶の順で同じ動作が繰り返され、普通は、1時間ぐらいかけて行われる行事のようです。

「チェサ」が終わると、広島朝鮮歌舞団の黄玲実(ファン・ヨンシル)さんの追悼の踊り、

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朝鮮学園高級部の生徒30人によるアピールと合唱(「故郷の空」「イムジン河」)とアピールです。

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高校生たちは、午前の3時間の授業を受けて参加しています。

これで追悼の行事は終わり、次は記念講演です。

記念講演の講師は、金英鉉(キム・ヨンヒョン 38歳)さん。金さんは、笹の墓標展示館再生・和解と平和の森を作る実行委員会で活動を続けています。

金さんは、京都生まれの在日3世で朝鮮学園の中高学校を卒業、朝鮮大学校卒業後、朝鮮青年同盟の活動家として活動を続けながら「何をもって自分を朝鮮人であると形容できるのか」を問い続けているとき、2013年に初めて「遺骨発掘事業」に参加し、「笹の墓標」展示館と出会い、この場所を守ろうと京都から北海道に移住し、現在に至っています。

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講演のタイトルは「東アジアの未来と希望の種を」で、二つのテーマ「朱鞠内での強制連行・強制労働」「私が朱鞠内を語る理由―植民地主義の克服のために-」での話でした。

今なお続く朝鮮人差別の中で、私たちは何を考え、何をすべきなのかを突きつける厳しい内容の話でした。その内容を今文字としてあらわすことができないのが残念ですが、印象に残ったのは「死者と向き合うことで、忘れられようとする歴史を学んで欲しい」ということでした。

約3時間あまりの「朝鮮人強制労働犠牲者追悼法要」は無事終了し、それとともに「北海道・笹の墓標展示館全国巡回展in広島」の行事も成功裏にすべて終了しました。

「笹の墓標展示館」は、2020年豪雪の重みで倒壊し、その再建のための募金活動が行われ、その一環として全国巡回展が開催されています。現在も募金活動が続いているようですので、ぜひご協力をお願いします。

いのちとうとし

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2023年9月14日 (木)

森滝市郎先生と加納莞蕾―番外編その3

チラシには、講演会の講師の森滝先生の紹介があります。

「先生は、広島こどもを守る会会長、こどもを守る会中国協議会長、原水爆禁止世界大会広島事務局長、原水爆禁止全国協議会事務局長、世界連邦アジア会議広島大会事務局長等の要職についておられ、平和運動には懸命の努力をつづけていられる方です。

森滝先生は、自身原爆の被害をうけられており、その体験をもととして救済事業に力をつくし、現在数十人の原爆孤児の世話をしていられます。」

経歴の最初に「広島こどもを守る会会長」が書かれ、後段でも「原爆孤児の世話」が記載されていますので、このことが「世界児童憲章」の策定を求める加納莞蕾さんと森滝先生を結びつける大きな力となっていることがわかります。

さらに「一昨年には、松江市で開かれた山陰平和大会にまた安来市で開かれた世界連邦の講演に来られ、この地方とも縁故のある方であります。この先生からお話を聞き、また先生を中心にディスカッションを行ったり今後の歩み方を協議したいと思います。」と書かれています。

これを読むと、森滝先生が、「原水爆禁止」の署名活動が行われた1954年からさまざまな場所に足を運ばれていたこともわかります。

さらにチラシに書かれた日程を見ると非常に中身の濃い布部村行きだったことがわかります。

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11月3日 講演会・座談会 講演と討議(べんとう持参のこと)

      午前10:00より午後4:00 布部中学校

      講師 森滝教授

      午後7:00より午後10:00 役場二階

      宗教と文化・教育についての座談会

11月4日 研究会 布部中学校

      午前10:00より午後2:00

      村をたてるにはどうすればよいか総合研究

森滝先生は、日記を読む限りでは、4日の「村づくり懇談会」への参加は午前中で終え、昼食を加納町長足立議長とともにした後、布部を出発された(そうしないと富田城趾の山や清水寺を訪ねて夕方に鳥取県の大山寺に着くことはむずかしい)と思われますが、それにしてもすごいスケジュールです。

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中央が森滝先生、その右が加納莞蕾さん、左が足立議長

チラシにはこうも書かれています。「このたび、この宣言を記念し、また、さあこれから手をとりあって村づくりにたちあがるのだというスタートとするために文化の日を以て『講演会と討論研究の会』と『映画の夕』を催します。」

この大切な行事に森滝先生をメインで招待した加納莞蕾さん、これほど厳しい日程であるにもかかわらず布部村を訪れられた森滝先生。お二人の間に強い信頼関係が築かれていたことを、このチラシから知ることができます。

チラシの「『映画の夕』この映画会は有料ですが、収益金のうちで必要経費を差し引き、純益金は原・水爆被害者救済義金、社会福祉のための基金にあて、気の毒な人たちにわづかながらもつくしたいと考えております。この収支報告は必ず行います。」という文章からも伺うことができます。

純益金がいくらあったのかは知ることができませんが、料金は『大人40円児童10円』となっています。

このチラシは、「平和をどうして作るのか」が、多くの字数を使って書かれていますので、全文を知らせたいとの思いが出てきますが、あまりにも長文ですので、残念ながら全文を紹介することができませんが、自らが鉄筆をもって書かれたと思われる加納莞蕾の強い思いが、伝わってくる文章です。

当時の布部村は、3,250人の住民が住む村だったようですが、加納莞蕾さんの熱い思いと理想が村民にどのように理解されたのか、興味が膨らみます。

加納加世子さんが持参された資料の中には「布部村平和五宣言」ごとに「なぜこの宣言をするのか」が詳細に書かれたものもあります。「原・水爆禁止宣言」の解説は、特に全文を紹介したい内容ですが、「森滝市郎先生と加納莞蕾」のシリーズもずいぶん長くなってしまいましたので、また別の機会に譲ることとし、今回はこれで終わりとします。

いのちとうとし

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2023年9月13日 (水)

森滝市郎先生と加納莞蕾―番外編その2

ガリ版印刷の内容豊富なチラシですが、日記に記載されていた「夜『生きていてよかった』『中国の曲芸』」が映画の題名だということがわかります。

チラシによれば、11月2日の夜は、午後8時から『映画の夕』が開催され、そこで4本の映画が上映されています。「生きていてよかった」と「中国の曲芸」は、そのうちの2本です。

チラシに書かれた映画紹介は、大変興味深いものですので、原文のまま掲載します。

中国のサーカス 初めて公開された中国映画!健康で明るい中国のサーカス!大人も子供も面白く見られる映画。北京映画製作所作品」

生きていてよかった 公開以来全国民の感動をまき起こした。原爆被害者の実相を描く長編記録映画。原爆娘の悲痛な叫び。第一部 死ぬことは苦しい 第二部 生きることも苦しい 第三部 でも生きていてよかった 製作・原水爆禁止日本協議会 作品・日本ドキュメント・フィルム社 徳川夢声氏評―心の底から感動した。私にできることならこの映画を持って説明役をつとめながら世界中の人達にこの悲劇を訴えて歩きたい。」

黄金のりんご チェコスロバキア国立映画製作所作品 楽しい××マンガ映画!一つのりんごをめぐってかもしだす可愛い動物たちの物語」

月の輪古墳 古墳の発掘・それは失われた私たちの歴史の発掘であり、光と希望の発掘であった。村中の人たちが、一つにかたまって協力する素晴らしい記録映画」

4本のこの映画には、主催者の強い思いがこもっているように感じます。

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「生きていてよかった」は、1956年7月6日に公開されたばかりの映画です。小さな文字で読めないと思いますが、チラシの本文で次のように紹介されています。

「原爆被害の記録を綴ったもので、ー死ぬことは苦しいー生きることも苦しいーでも生きていてよかった.と、被害の傷手を受けながらも雄々しくも強く生き世界の人々にうったえるほんとうに清らかに強い人間性のすがたをあらわしたものです。この映画から正しい認識と人間性を読み取っていただきたく、みなさんの知性にうったえたいと思います。」

この映画の紹介に「徳川夢声氏評」が記載されていますが、評の内容はもちろん素晴らしいものですが、あえて徳川夢声氏評が使用されたのは、徳川夢声さんが島根県の益田市生まれだからではないかと勝手に想像しています。

「中国のサーカス」と「黄金のりんご」は、外国映画です。この時期、村の映画祭で外国映画が上映されることは珍しいことではないかと思います。しかも2本とも戦後新しく誕生した社会主義の国で製作された映画です。当時、布施村は「平和五宣言」だけでなく「世界連邦平和村宣言」も行っていたようです(チラシに記載)ので、4本の映画のうち2本も外国映画が、上映されたと思われます。「黄金のりんご」は、マンガ映画ですので、子どもたちも楽しめるようにとの思いが感じとられます。

「月の輪古墳」が選ばれた理由と思われることが、チラシの最初に書かれています。「平和な民主的な国・村をつくるには一人一人の文化××が高められ、すべての人々が、まごころから心を合わせ、よく結合してよい社会よい村を作ろうと努力する強い向上心から生まれるのでありまして、明日を信じて希望をもつことが大切であります。」

チラシの下部に記載された日程には「11月4日 研修会 午前10:00より午後2:00 村をたてるにはどうすればよいか総合研究」とあります。森滝先生の日記に「村つくり懇話会」と記載されているものですが、加納莞蕾さんが、「新しい村づくり」に力を入れておられたことが、想像できます。

今回は、「映画の夕」について、考察したのですが、チラシには森滝先生の布施村訪問についてさらに興味深いことが書かれています。明日さらに続けて考察したいと思います。

いのちとうとし

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