「広島ブログ」

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文化・芸術

2022年9月26日 (月)

森冨茂雄作「消えた町 記憶をたどり」原画展

中区平和公園内にある被爆建物レストハウスの2階で、被爆者の森冨茂雄さんが、被爆前の原爆ドーム周辺の街並みを鉛筆で描いた絵の原画展が、30日まで開催されています。

平和公園とその周辺を歩くフィールドワークを実施しているヒロシマ・フィールドワーク実行委員会が森冨さんと出会ったことがきっかけとなり、この鉛筆画が同実行委員会によって2011年8月5日に画集として発行されました。

私は、第3刷となる2018年9月15日判を持っています。せっかくの機会ですので、台風通過後の20日に見に行ってきました。

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会場内は撮影禁止ですので、受付の人に断り、入り口の外から写しました。

会場には、最初にこの原画に関わる説明を書いたパネルが3枚架けられています。1枚目のパネルには、次のように記載されています。

森冨茂雄(1928.8.12~2021.11.11)

「絵はまったく素人でしたが、みんなが絵を見てくれていろいろ話したり、なつかしがったりするんで、次から次へと描いたんです。

絵は子ども心に見た感じを、記憶を頼りに描きました。被爆の絵というのは、むごいからほとんどありません。遊びよったころの楽しかった自分の絵を描いたんです。」

さらにこの原画展の主催者でもあるフィールドワーク実行委員会の文章が続きます。

「レストハウス(元大正屋呉服店)は『記憶の場』です。少年だった頃の森冨さんは、隣のラヂオ屋から流れてくる歌をおぼえ、裏の桜湯でミカン水を飲み、新聞紙に包んだ一銭洋食にかぶりついたのも近所でした。今回の展示には、大正屋呉服店から眺めた光景の絵(8番や10番)や大正屋呉服店そのものを描いた絵(29番)なども含まれています。森冨さんの絵の細部にやどる人への愛おしさを感じ取って下さい。」

( )内の番号は、原画集に納められた絵の番号と同じです。

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ちなみに8番は、「昭和20年8月 原爆前の元安川東側」10番は、「昭和18年頃、元安橋より本通りご丁目入口」、29番は「昭和15年頃 元安橋~中島本町 現在の平和公園」のタイトルが付けられています。そして会場入り口で手渡された印刷物には、画集に書かれた本文(当時の街の様子や生活を紹介)の抄録したものが印刷されています。

この文章は、ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会の中川幹朗さんが、森冨さんの話をもとに書いたものだということが、画集に書かれています。

森冨茂雄さんは、被爆時の年齢が12歳です。ここに描かれた絵は、被爆以前の風景であるにもかかわらず、記憶のみによって詳細に描かれているにもかかわらず、ち密に描かれていることにびっくりします。

画集には、43枚の絵が収録されていますが、今回の原画展では、うち26枚が展示されています。

30日まで開催されていますので、ぜひこの絵と対面してほしいと思います。きっと新しい発見があるはずです。

いのちとうとし

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2022年8月29日 (月)

絵本「わたしはゴミステーション」

絵本「わたしはゴミステーション」が送られてきました。

奥付に「2022年8月1日発行」と書かれていますので、出来たばかりの絵本です。

さらに奥付には、「さく のびるぶんこのなかまたち」「え たけはらようこ」「発行 のびる文庫」、となっています。

この素敵なプレゼントを送ってくれたのは、「え」作家の竹原陽子さんです。

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表紙を見ただけで、何となく優しい気持ちになります。

すぐに絵本を開きました。

見開きの左側に、ひらがなで散文詩のような文章が綴られています。右側のページは、竹原さんが作った画用紙を切り張りして作った絵でおおわれています。

楽しくなる絵本ですので全部の文章と絵を紹介したいのですが、ここでは1ページ目の文章を紹介します。

わたしは ゴミステーション

ここでなんねんも こどもたちをみまもっている

はる

わたしの まえのあきちが

とうこうはんの こどもたちの しゅうごうばしょ

きょうは しぎょうしき

げんきなこえがきこえてくる

あしたから いちねんせいも やってくる

右側のページには、表紙と同じ絵があります。よく見ると、かわいいゴミステーションだけでなく、タンポポが描かれています。

次のページは「なつ」です

この絵本の発行者となっている「のびる文庫」について、奥付の横に次のように書かれています。

「1982年春から自宅で活動している地域文庫〔私設図書館〕です。絵本や児童書の貸し出し、読み聞かせ等を毎月1回、日曜日午前を基本に開設してきました。2012年からは地域の小学校での読み聞かせ活動、最近では地域でのふれあいサロン等へも出かけています。」

ここの自宅は、福山市議会議員の西本章さんのお宅です。もちろんこの絵本の中には、西本章さんの名前は出てきません。絵本好きの西本さんが、いつか絵本を作りたいと思っていたことがついに実現したのです。

この絵本を受け取り、竹原さんに次のようなお礼のメールを送りました。

「絵本は大人にも夢を与えてくれますね。

絵本を開けば、心が温まり、優しい気持ちにさせてくれます。

ちょっとかわいすぎるゴミステーション、今日はどんな声を聴いたのでしょうかね。

竹原さんの切り絵とも思える絵、とっても素敵です。

こんな特技があったなんて、といっては失礼ですよね。」

子どもたちが楽しそうにこの絵本を開く姿が目に浮かびます。

こんな素敵な絵本を作り、届けてくださった竹原陽子さん、西本章さん、本当にありがとうございます。

いのちとうとし

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2022年8月27日 (土)

第25回戦争遺跡保存全国シンポジウム広島大会―第2日目

「戦争遺跡保存全国シンポジウム」の二日目は、午前9時から広島市青年センター会議室を使って3つの分科会が行われました。

分科会のテーマは、第1分科会が「保存運動の現状と課題」、第2分科会が「調査方法の整備技術」、第3分科会が「平和博物館と次世代への継承」です。

私が参加したのは、第1分科会です。この分科会は、各地での戦争遺跡保存運動の体験が報告されました。報告は、6本です。すべての報告内容を紹介することはできませんので、レポートの題名と報告者名を報告順に記載します。

①「大久野島戦争遺跡保存活動の歩みと今後の課題」楠本昭夫(広島大会現地実行委員会)

②「731部隊遺跡の世界遺産登録に向けての経緯と現状報告」和田千代子(731部隊遺跡世界遺産登録をめざす会)

③「四国西南部の特攻基地―第132震陽隊・土佐清水市越基地跡を中心に―」出原恵三(戦跡保存ネットワーク高知)

④「川崎市宮前区に残る陸軍東部62部隊の戦争遺跡」山田譲(戦跡保存全国ネット)

⑤「茨城県最大の戦争史跡『鹿島海軍航空隊跡地』の未来について」金澤大介(筑波海軍航空隊記念館)

⑥「新重文指定の出雲日御碕灯台は、戦争遺跡です」西尾良一(戦跡保存全国ネットワーク)

全ての報告が、地道な活動の紹介で、参考になるものでした。詳細な調査の実施、保存をどう継承するのかなどの事例もあり、戦争遺跡保存が市民の手によって進められていることがよくわかりました。

そんな中で、私が、この第1分科会を選んだ理由の一つは、⑥の報告に興味があったからです。

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ここでは、西尾さんの報告で学んだことの一部を紹介します。

私にとって日御碕灯台といえば、子どもの時から何度も訪れた場所であり、海の青さに映える白亜の「東洋一の高さの灯台」ということだけが強く印象に残っている場所でした。ですから、「日御碕灯台が戦争遺跡?」とは、どういうことなのか知りたかったのです。

島根半島の東西の端に明治期に灯台(美保関と日御碕)が建設されましたが、西の岬で明治36年(1903年)4月1日に初点灯したのが、日御碕灯台です。灯台が点灯した明治36年は、日露戦争の前年です。当時の海軍は、日露戦争に備え、全国に116カ所の海軍望楼(うち仮設望楼は84か所)を設置します。仮説望楼のうち灯台と兼用して設けられたものが4カ所あったようですが、その一つが、日御碕灯台だったのです。海を監視する望楼は、遠くを望むことを目的としていますから、いずれも高い場所に作られています。その意味では、海沿いにあり高くそびえる灯台は、その目的にかなうものだったようです。日御碕灯台も、高さ63.3mですから、その役割を十分に果たしたといえます。灯台を守る職員とともに、望楼長1名、兵卒2名が常駐して、海上望楼を行っていたようです。

これで「日御碕灯台が戦争遺跡」としてあげられる理由が、理解できました。しかし、その史実は、日御碕灯台を紹介する資料の中に登場することはありませんので、地元の人もほとんど知られていない事実だと思います。

戦争遺跡といえば、どうしても第二次世界大戦時のことを思い起こしてしまうのですが、もっと長い西南戦争遺跡からの歴史があることも、今回のシンポジウムで学ぶことができました。

2日目の最後にアピールが採択されましたが、長文ですのでその一部を紹介します。

「戦争遺跡の改変、消滅の危機は一層増しています。島根県出雲大社基地、沖縄県那覇市首里城地下の沖縄守備軍司令壕の保存などまさに戦争遺跡保存の課題は待ったなしの状況です。同時に戦争遺跡の保存・活用の在り方をめぐって、旧日本軍の顕彰を目的とするような『軍事博物館』的な資料館、加害の側面を覆い隠し戦争を美化する手法などの例が数年来指摘されてきました。世界遺産に登録された長崎県端島炭鉱における朝鮮労働者についての責任ある説明の欠如、韓国での『徴用工裁判』への対応など、日本政府の歴史問題に対する不誠実な姿勢に通ずるものです。今必要なことは、日本が行った戦争の加害と侵略の歴史に真摯に向き合うことです。」

戦争遺跡保存を進める運動の役割が一層大きくなっています。3日目のフィールドワークには、参加しませんでした。

いのちとうとし

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2022年8月26日 (金)

第25回戦争遺跡保存全国シンポジウム広島大会―第1日目のつづき

第1日目のつづきです。

基調報告によれば、史跡・文化財として国や地方自治体によって指定・登録されている戦争遺跡は、2022年8月現在342件確認されているとのことです。ちなみに広島県には、原爆ドームを含めて19件が登録されているようです。この全国シンポジウムがスタートした1997年には、数件にとどまっていたのですから、大きな前進です。

戦争遺跡の史跡・文化財としての指定・登録が進んだのは、全国各地での熱心な取り組みがあったからですが、その詳細の一端を知ったのは、二日目の分科会の報告です。

また基調報告では、この一年間で全国的に注目された戦争遺跡保存問題は、広島の「陸軍中国管区輜重兵補充隊関連施設」と島根の「旧海軍大社基地跡」だということが報告されました。この二つについては、いずれもこのブログで何度か取り上げたテーマです。

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基調報告をする菊池実さん

次に地元からの地域報告が二つありました。

最初は、広島大学名誉教授藤野次史さんの「第二次世界大戦時の広島市における軍事施設」と題しての報告です。藤野さんのお話は、「軍都廣島がどう形成されたのか、広島市の軍事施設の概要(60の施設がある)」が最初に紹介され、主題は「旧陸軍中国軍管区輜重兵補充隊跡(サッカースタジアム建設予定地)、旧広島陸軍兵器補給廠跡(現在の広大病院敷地)」の2か所の発掘調査の結果の報告でした。

「旧陸軍中国軍管区輜重兵補充隊跡」は、昨年何度かこのブログでも取り上げましたし、実際に発掘現場を何度も訪れていますので、藤野さんの話を改めて聞き、その貴重さを実感するとともに、運動が成果を上げることができず、破壊されてしまったことへの痛恨の思いを思い出すことになりました。

二つ目のテーマ「旧広島陸軍兵器補給廠跡」の報告は、初めて聞く内容でしたので、興味深く聞くことができました。かつてこのブログで「旧広島陸軍兵器補給廠」を取り上げるため、当時の配置図を探したことなどを思い出しました。その配置図どおりの遺構が発掘されたようです。一度発掘現場を見て見たかったとの思いがつのりました。

なお、藤野さんの報告資料として「第二次世界大戦時の広島市における軍事施設の配置状況」の地図と60の施設名(うち6カ所は地図表示なし)の一覧表が添付されていました。いくつか初めて聞く施設もありますので、少し涼しくなったらぜひ訊ねてみたいと思います。

もう一つの地元報告者は、大会現地実行委員長でもある多賀俊介さんです。

多賀さんの報告テーマは「陸軍被服支廠の保存、被爆遺構展示館の取り組み」でした。いずれも私も深く関ってきた問題です。よくまとまって、わかりやすい報告でしたので、取り組みの経緯を思い起こし、今後の取り組むべき課題を整理することができました。

1日目の全体集会は、これで終了しました。

当初、2日目の分科会だけ参加しようと思っていたのですが、この全体集会に参加して、本当に良かったと思います。

いのちとうとし

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2022年8月17日 (水)

新作が並ぶ「原爆の絵画展」に行ってきました。

広島市立基町高校普通科創造表現コースの生徒たちが、15年前から毎年、原爆被害の実相を後世に伝えるため被爆体験証言者とともに取り組んでいる「原爆の絵」の展覧会が、今月7日~19日までの会期で広島国際会議場地下2階ダリアで開催されています。

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今年の展覧会には、今年完成した16点の新作(うち11点は、今年7月に完成)を含む57点の作品が展示されています。

作品のスタートは、新作の「原爆の炸裂の瞬間」を描いた作品です。

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その他にも、新作が並んでします。

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左の作品のタイトルは「金庫の中で死んでいた」です。8月6日の夕方大須賀町の様子で、キャプションには、「金庫の中に入いれば助かると思ったのか。人間が炭のようになって死んでいた」と書かれています。右の作品のタイトルは「ひっくり返った貨車からコメがザーザーと流れ落ちていた」です。これも大須賀町での様子です。いずれも証言者は、早志百合子さんです。作者は、左の作品が平田真弓さん、右の作品が益田彩可さんです。お一人の証言から、二つの作品が生まれました。

切明千枝子さんの証言をもとにした新作が続きます。「お母ちゃんを探して」です。

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「つまずいたのは炭化した幼児だった」です。

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「原爆の絵」の展示方法について、7月19日のブログ「原爆の絵」原画展に行っていました: 新・ヒロシマの心を世界に (cocolog-nifty.com)で、「描かれた場所ごとに展示するのも一つの方法ではないか」と書きましたが、今回の作品は、時間の経過ごとにまとめて形で展示されていました。

「原爆の炸裂の瞬間」からスタートします。「原爆の炸裂の瞬間」を描いた作品は、1点だけです。次は「原爆投下直後」を描いた作品7点。さらに「避難途中に見た原爆被害」33点と続きます。避難途中で見た原爆被害の様子が強く印象に残っているのでしょう、作品も一番多くなっています。その後「原爆投下翌日の光景」3点、「原爆投下から数日後」10点、「戦後の生活と広島の復興」3点が、順番に並んでいます。

ですから今年は、最初に紹介した作品のように所々に「順路⇒」の表示があります。

これまでに182点の絵が描かれていますが、今回展示されている作品は57点ですので、被爆体験証言者全員の証言を描いた作品が展示されているわけではありません。そのためでしょうか、これまで協力された被爆体験証言者32人全員の名前を紹介するポスター一枚も展示されていました。

毎年この展覧会を見に行っていますが、いつも見に来てよかったと思わせてくれる作品の数々です。

最終日の19日まであと三日、毎日午前10時から午後5時まで入場することができますので、ぜひ一度会場を訪れ、高校生の力作を見てほしいと思います。

いのちとうとし

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2022年8月16日 (火)

8・15のつどい

2002年から、毎年8月15日に開催されてきた「8・15のつどい 反戦・原爆詩を朗読する市民のつどい」が、今年は会場の都合で8月14日に広島市まちづくり市民交流プラザで開催されました。

「8月15日」を改めて問い直す企画として広島文学資料保存の会、広島花玄忌の会、四國五郎追悼の会の三団体が主催し、毎年8月15日の午後に開催されてきました。私も数年前から、参加しています。

例年、第一部では、原爆詩・反戦詩が朗読されてきましたが、今年は朗読劇「神部ハナという女の一生」が、上演されました。

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「神部ハナという女の一生」は、もぐり助産婦の神部ハナが、堕胎罪に問われながらもしたたかに生きていく様子が描かれたものです。最後のシーンで、神部ハナは原爆症で命を失う構成になっていますが、なぜ今年は、この構成詩なのか?ちょっと疑問符が付くものでした。

例年通り、集会のタイトル通り「反戦・原爆詩」、例えば原民喜の詩の朗読が行われればよかったのに、というのが率直な感想です。

第二部は、「今、改めて四國五郎を思うーウクライナ。核・表現の不自由―」と題した元NHKプロデューサーで武蔵野大学教授の永田浩三さんの講演です。永田さんは、2016年に発刊された「ヒロシマを伝える 詩画人・四國五郎と原爆の表現者たち」の著者です。

永田さんの話は、被爆直後から朝鮮戦争の時代にかけての広島の反戦・平和運動の歴史を、四國五郎さんの様々な詩を間に挟みながらたどるものでした。冒頭は、いま安倍前総理の死去の後に起こっている出来事、特に国葬の問題を問う内容でした。メディアで批判されている朝日新聞の川柳の紹介もありました。その一つです。「忖度は どこまで続く あの世まで」 言い得て妙の川柳ですが、恥ずかしながら、私自身はこの場で紹介されるまでよく知りませんでした。

永田さんは、四國五郎の詩だけでなく、大田洋子の小説「屍の街」や原民喜の「水ヲ下サイ アア 水ヲ下サイ ノマシテ下サイ」、正田篠江の短歌、栗原貞子の「ヒロシマというとき」などが紹介され、ほっとしました。

もう一つ、永田さんの話で初めて知ったことがあります。日本人が最初に写真で原爆の惨状を知ったのは、1952年8月に発行された「アサヒグラフ」の特集だと言われていますが(私もずっとそう思ってきた)、それより2年早く1950年6月9日の「平和戦線」という本だったことです。下関でこっそりと4万部印刷されたそうですが、まだ占領下、プレスコード(占領軍による事前検閲)下でしたので、即時発行停止処分になり、世には出なかった様です。

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興味深い話が続きましたが、最後に「『自由にものが言えない社会』にしないためには、市民がさまざまな声を上げ、表現を止めないことだ」ということを強調し、「表現者はカナリヤ 闇を照らすともしび 世界に輪郭を提供する 絵画や言葉で」と結んで、講演は終わりました。

広島は、8月6日だけでなく8月15日をどう過ごすのか、問われる時代になっていると思います。

いのちとうとし

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2022年8月14日 (日)

平和大通り「Akari Matsuri」

特定非営利活動法人セトラひろしま~伝統文化継承プロジェクト「広島芸能」~が主催する「平和大通り『Akari Matsuri』」が、12日、13日の二日間平和大通り広島信用金庫前緑地帯で、今年初めて開催されました。

どういうわけが、事前に広島県原水禁宛てに案内が届いていましたので、初日12日に出かけてみました。13日は午後3時過ぎに雷雨となり開催できたのかちょっと心配でしたが、無事開催されたようです。

会場で配布されていたチラシには、この企画についてこう書かれています。「広島市中心部に位置する平和大通り。様々な人が行き交うこの場所の灯りをともします。この場所で『日本の伝統文化』と『灯り』をテーマとしたステージやブースを開催。様々な思いを込めた灯りがたくさん集まり、広島の夜を照らすことでこの街に住む人々や訪れる人々、そして広島と世界を繋ぐ道しるべとなっていくことを願います。」

この祭りのスタートは、午後5時半ですが、私が訪れたのは、午後7時半過ぎです。理由は二つ。一つは、ある程度暗くならないとせっかくの灯りが、きれいに映えないだろうと思ったこと。二つは、ステージでの三部構成の演奏(午後6時半「竹」、7時半「風」、8時半「夢」)の「風」が始まる時間だからです。

到着するとステージでは、奄美三味線と尺八の演奏が行われていました。

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少し写りは悪いですが、多くの観客が楽しんでします。

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夕方準備中に訪れた時には、屋台になるのかなと思った場所では、様々なワークショップが行われていました。

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お面の絵付け。

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こちらでは提灯の絵付けです。子どもたちが熱心に書いています。

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他にも、竹灯り作り、盆栽作り、うちわ型染めなどなど、充実しています。いずれも有料ですが、沢山の人が訪れていました。

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灯りまつりの主役ともいえる大きな灯篭も並んでいます。

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再びステージに戻ると書道のパフォーマンスが終わったところで作品が並んでします。

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30分ほどで会場を後にしましたが、最後に事務局の木村さんとお話しすることができました。「予想を超える人に来ていただいています。ワークショップもたくさんの人に参加していただき、本当にうれしいです。これからも定期的に開催できればと思っています。貴重な平和大通りの空間が、多くの人に広く活用されるようになれば良いと思っています。」とのことでした。

今後も第2回は今年の10月7日から8日、第3回は12月23日から24日に開催される予定です。

この「灯りまつり」は、カフェなどの建物を作りことよりも、自由に使える広場として活用し、市民や広島を訪れた人たちが憩える場として工夫して活用すれば、多くの人を集めることができることを示しています。

これまでも平和大通りでのパフォーマンスは、いくつか企画されていますが、これだけ大きな規模での企画は初めてのように思いますので、広島市が進めようとしている「平和大通りのにぎわいづくり」への大きなヒントを与える「灯りまつり」だったように思います。

いのちとうとし

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2022年8月13日 (土)

「レクイエム碑(いしぶみ)」コンサート

少し前になりますが、先月31日に県民文化センターで開催された県立観音高校音楽部OB合唱団の第19回祈念コンサート(混声合唱)「レクエム碑(いしぶみ)」に行ってきました。

ここ2年間、コロナの感染拡大で中止されていましたが、コロナ対策の準備や工夫を重ねて、この日を迎えたようです。会場は、ほぼ満席の状態でした。

県立観音高校音楽部OB合唱団は、2001年に発足し、その翌年から、観音高校の前身である旧制広島二中1年生の被爆悲劇を綴った‟レクイエム「碑」“祈念コンサートが始まり、今回で19回を迎えました。

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私が、最初にこの祈念コンサートを聞きに行ったのは、2019年です。この合唱団を指揮されている益田遙先生から誘いを受けたことがきっかけでした。益田先生は、昭和39年度(1964年度)から昭和50年度(1975年度)まで、同校音楽部の顧問をされており、このOB合唱団のメンバーもその時、指導を受けた合唱部員で構成されています。

コンサートは、二部構成で、「混声合唱のためのレクイエム『碑』」は、第2部です。

「混声合唱のためのレクイエム『碑』」は、広島に投下された原爆により全滅した広島二中の一年生の、被爆の瞬間から全滅までの惨状を、生徒たちの学校生活の様子を交え、全9章「序章、点呼、爆発、川の中で、時間割、まさちゃんのお母さんよ、船の中で、全滅、終章」で構成されています。

作詞者である薄田純一郎さん(同校の20回卒業生・昭和16年入学)は、県立広島第二中学校創立50周年(1972年)に発行された「記念誌」に寄せた手記で、「碑」が作られた経緯を次のように書いています。少し長いのですが、該当する部分を引用します。

「本川土手で全滅した一年生の様子は、機会をえて昭和44年(1969年)に勤めている広島テレビ放送で、テレビ番組として放送することができた。母校だからというのではなく、それはあの惨状を目撃した生き残りの人々が誰しも思う、広島の怒りを語りたい衝動を、一年生の行動なり言動を通して表現したかったのである。プロデューサーとして制作にあたり、全国放送のネットにものって芸術祭優秀賞もうけた。

この『碑』は、その後に児童生徒向きの本に書きあげてポプラ社から出版され、また当時二年生であった広島メンネルコールの山本定男氏の依頼で、先輩の森脇憲三氏の作曲になる男性合唱のためのレクイエム『いしぶみ』にもなった。

最近、東京、大阪大学合唱団であいついでこの合唱曲がとりあげられた。作詞者としてまねかれ、いまの若い世代が広島二中の一年生の運命をどう受け止めているかに接することができた。それは怒りであった。広島二中の一年生に象徴される広島の悲劇を痛恨としかいいようのない気持ちで感じていたのであった。生き残ったものの務めを幾分なりとも果たしたような気がするである。

聞けば、あの土手の慰霊碑は在校生によって、いつも清掃されているそうである。戦後すぐ、木の墓標が建ったことを知るものとしては心うれしいことである。青春が、学業が唯一の思い出となる時代に、こうした記憶を持つことはつらいが、それはまた青春の大切さをひしひしと胸にせまってくるものである。新しい時代には新しい力が必要である。そんな思いをこめて合唱曲『いしぶみ』の最後をこう結んだ。

子らの声聞く人あれば

広島の心が聞こえる

広島を思う人あれば

広島は永遠にあり」

男性混声合唱曲としてスタートしたこの曲が、混声合唱版として初演されたのは、1975年7月のことのようです。

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コンサートが終わると、本川土手に建つ広島二中の慰霊碑に頭をたれて、帰宅しました。

いのちとうとし

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2022年7月30日 (土)

「せこへい美術館」に行きました

27日に被爆二世裁判を傍聴した後、県立美術館に行きました。目的は、7月25日から31日まで地下の県民ギャラリー展示室5で開催されている「せこへい美術館」を見るためです。

「せこへい」とは、「世界の子ども平和像」の愛称ですが、広島では2001年8月6日に当時の広島市長秋葉忠利の協力を得て、旧広島市民球場南の緑地帯に完成しました。

「せこへい」をつくった人たちが中心となって毎年開催されているのが、「せこへい美術館」です。

これまでは、中区の旧日銀広島支店で開催されていましたが、今年は同建物が改修工事で使えないため、県立美術館での開催となったようです。

今年で21回目となる「せこへい美術館」の目的は、「子ども」と「平和」にふさわしい作品を集めて、広く世界に核と戦争のない世界をアピールすることです。(チラシより)

日本の子どもの作品だけでなく、イラク、カザフスタン、カンボジア、パレスチナなどの子どもの作品も展示されています。

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メインの作品は、二つありました。

一つは、「ボディ・マップ」と呼ばれる作品です。畳一帖大の紙に被爆者の等身大の体の輪郭を型取って、その人の生まれたところ、被爆体験、伝えたいことなどを書きこみ、その人の思いを伝えようというものです。毎年新しい人の作品が加わっていますが、今年新たに5人の「ボディ・マップ」が制作されています。今月27日の中国新聞に、そのうちの一人豊永恵三郎さんの作品のことが紹介されていましたので、今年は余計に興味深く見ました。

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もう一つは、会場真ん中ほどにある2本の柱に巻きつけられた「キッズゲルニカ」の作品です。

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キャプションには次のように書かれています。

「この作品は戦争の悲惨さを描いたピカソの名作『ゲルニカ』と同じサイズ(3.6m×7.8m)のキャンパスに子どもたちが平和の願いを描く国際プロジェクト『キッズゲルニカ』一環で制作しました。(略)

ウクライナ戦争で苦しめられる子どもたちや市民の被害を報道で知って、アートで平和を訴えようとアトリエぱおの園児から美大受験生、そして一般市民の約200人が参加して、日本、ウクライナ両国の四季をイメージし、桜や銀杏、ひまわりや麦畑を描きました。ウクライナ人の母親を持つ平石英心さんとその親友岡野純大さんなどが、多数開いたウクライナ避難民支援のチャリティーコンサートに寄せられた『ウクライナとともに』のメッセージ約300通も花びらや葉に多言語で書いて反戦や平和の願いをアピールしています。」

ここ数年「せこへい美術館」に足を運んでいますが、今年も新しい作品が加わり、新たな展開の美術展となっていました。

コロナの影響でしょうか、県立美術館の地下にある5つの展示室のうち、2室しか使われていませんでした。

いのちとうとし

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2022年7月26日 (火)

ヒロシマとベトナム(その34)ー「“エージェントオレンジDay”‘2022 in ヒロシマ」

今日は、昨年に続き取り組む「“エージェントオレンジDay”‘2022 in ヒロシマ」の紹介をします。

「エージェントオレンジDay」は、1961年8月10日に米軍がコントウム省で初めて枯葉剤を散布した日に由来しています。ベトナム政府が2004年に、この日を“決して忘れず”、“枯葉剤被害者の支援”と“枯葉剤被害を繰り返させない”ための日として定めた祭日です。 ヒロシマの8月6日に当たる日です。

ベトナム各地、世界各国、日本でも様々なイベントが催されます。昨年、「枯葉剤60年」を迎えたことから、被爆県ヒロシマで初めての「エージェントオレンジDay」の取り組みをしました。

今年、第2回目の取り組みを準備しています。

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ロシアのウクライナ侵攻で多くの市民の命が奪われ、核使用の懸念が高まる中で先般初めての核兵器禁止条約の締結国会議が開催され、そして今夏、NPT再検討会議が開催されます。戦争と核の脅威が眼前の中で、「原爆の日」(8月6日)に続く、「エージェントオレンジDay」(8月10日)、「核も化学兵器もノー」「ウクライナに平和を」の思いをつなぎ合いたいと考えています。

“LOVE&PEACEコンサート”(平和を語り継ぐコンサート)は、グエン・ドクさんの活動を支援されている歌手の美地さんを東京から迎え、県内・東広島で活動している篠笛やオカリナの演奏家、地元黒瀬のバンドチーム、広島大学の学生さんなどに平和を奏でていただきます。黒瀬地域の住民自治協議会や学校、ボランティアなど多くの皆さんに参画いただき準備を進めています。

是非、お気軽にご参加ください。

〔お問合せ〕一般社団法人広島ベトナム平和友好協会 専務理事赤木達男

(電話)082-423-7235 (携帯)090-1010-0472 

E-Mailakatatu@d4.dion.ne.jp

(2022年7月26日、あかたつ)

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