「広島ブログ」

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2025年2月 8日 (土)

2025年2月のブルーベリー農園その1

2月に入ってから雪、低温、風と冬らしい天気がやってきた。ブルーベリーの剪定の作業は体を動かさないので寒さはこたえる。3時過ぎると気温が一段と下がるので休憩をはさんでから里山の灌木の伐採の作業に移る。そうすると体を動かすので体感温度が上がる。しかし決して無理はしないようにしている。2日に降った雪は水分を含んで重く、4日に降った雪はさらさらで風によく舞い上がる。夕方は0度からマイナスになっている。とにかく冬景色がしばらく続く。

22日(日) 水分を多く含んだ重たい雪が降った

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里山の杉の太い枝も裂けて防獣用のワイヤーメッシュの上にドスンとていた

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24日(火) 2日に降った雪はまだ残っている。ブルーベリーの剪定をするが寒くて体の冷えが厳しいので伐採で体を動かす作業にかえることにした

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里山のエゴノキを伐採したが防獣用のワイヤーメッシュに食い込んだ枝もあってその逞しさに感心する

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切った枝を野焼きの場所まで運ぶと体が温まる

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体が温まった勢いでエゴノキの近くの枯れた杉を根元から鋸でごしごしと切り倒す。これで作業はおしまい。帰るころの気温はマイナス1度だった

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2月5日(水) 青空に輝くつららはのどかだが

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午後2時ころには風が吹き荒れたので粉雪が霧状に舞い

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地吹雪のように吹き荒れたりして

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里山のモミジの枝が裂ける

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青空が見えるのだが寒いのと風が強いのと相まって農作業を早じまいする

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花木の蕾は春に備えて確実に膨らんで、ツバキは少し色づいている

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社会福祉法人安芸の郷

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2025年1月31日 (金)

2025年1月のブルーベリー農園その4

日が少しづつ長くなり日の光がすこしづつ強さを増してきた。そう、明るくなってきたので農作業は寒いのだが春までもう少しといった気分になれるのでありがたい。季節は変わりゆくのでなんということはないのだが安芸区の日宅から東広島市豊栄町のブルーベリー農園にいっての農作業はこうした少しの変化が感じられる場でもある。農園の周りでは田んぼを耕すトラクターが時々動いてる程度だし、キジは元気に鳴き、ジョウビタキが剪定をしていると近くでひっひっと鳴いてくれる以外ひっそりしている大寒。

123日(木) 暖かい日差しの中でブルーベリーの剪定作業を続ける

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124日(金) 日中の気温が10度を超す日が2~3日続いたのでブルーベリー畑の地べたに草の花が顔を出した

①オオイヌノフグリ

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②ナズナ

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③ホトケノザ

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127日(月) 風もないのでブルーベリーの剪定でたまった枝を野焼きする。里山から杉の枝を拾ってきて火種にして火をつけると勢いよく水分を含んだ煙がたつ

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128日(火) ブルーベリーの剪定。太い枝を切ったのちに新しい元気な枝が出てきたのでの2本残して切った上側を斜めに切り戻して余分な芽が出にくくする処理をした

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一方枝先のつまようじやマッチ棒くらいの長さの花芽のついた枝が根気よく切っていくと大きな実がなりやすくなる(1月29日)

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129日(水) 4時ころになると寒くなるので立ちっぱなしのブルーベリーの剪定はやめて体を動かす灌木の伐採に作業変更する。この日は里山のクリの木に挑戦。足場は斜面でチェンソーで切るのは危ないので手持ちで切れる電動チェンソーと鋸2本で時間をかけて切っていく

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切った末口の直径は25センチくらいで

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長さは8mくらいあった。枝を切って一か所に集めてからの処理は次回に持ち越す。緊張する力仕事なので体がポカポカになった

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130日(水) 午後5時15分頃の農園の東側の空はまだ明るい

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2025年1月23日 (木)

2025年1月のブルーベリー農園その3

安芸区の自宅から通いながら東広島市豊栄町のブルーベリー農園で行う農作業はブルーベリーがほぼ落葉したので晩生の剪定と里山ブルーベリー園の周辺の灌木の伐採と枝の野焼きが中心になる。同じ作業を続けると体に負担がかかるので学校の時間割のように一日の作業の種類を変えている。20日は大寒なのに農園の日中の気温は10度を超えていておだやかな日だった

115日(水) ブルーベリーの剪定は3段ある畑の一番上から始めることにした

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1月17日(金) この畑では昨年剪定のできなかった列があって枝が伸びに伸びている。その環境を気に入ったのか鳥の巣(左上)が作られた1本の木は切らずに残しておいてが今回ばっさりと切る

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太い枝は新梢が出にくいので地際2~30センチの高さで切っていく

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併せて地べた数センチに伸びている根も切っていく。黒い枝が根の部分(118日)

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119日(日) 雪もすっかり解けて剪定した枝も乾いているので野焼きをする。火事は怖いがたなびく煙は人の息遣いが感じられる

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119日(日) ちちちちーという声がしたので庭のクロガネモチの木を見あげると10羽くらいの野鳥がせわしなく枝から枝にとまりながら枝を突っついている。すぐさまズボンからカメラを出して撮影した。映像をネットで調べると野鳥の名前は「エナガ」と判明。ブルーベリーの中を集団で動き回るのを毎年見ているが写真にしたのは初めて。頭のセンターに白い筋が入っているのがエナガの特徴で、動きが素早いので

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ひたすらシャッタを押してどうにか撮影できた

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120日(月) この日もいい天気で気温も10度くらいなので作業するのに靴の中に入れるカイロも不要だった

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剪定の枝が大分たまった

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剪定作業の次に場所を変えて、里山の周囲の灌木のクロガネモチ(実がつかないので雄の株らしい)を伐採した。このあと枝をはらい、根元から1m位の長さに切り分けても運んだが重かった

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2025年1月19日 (日)

「戦争ホウキと折り鶴」-旧日本銀行広島支店

旧日本銀行広島支店の前に掲示された「催しの開催案内」に「17日から19日 戦争ホウキと折り鶴」と書かれていましたので、17日の午後会場を訪れました。

以前私に「戦争ホウキ」を手渡してくれた山口誠治さんがやっているのだろうと会場に入ると山口さんの姿は見えませんでしたが、入り口右側にある第一応接室に旧知で現在は北海道に住んでいる墨アート作家の月下美紀さんの姿が見えました。

先ずは展示会場となっている一般事務室に足を運びました。入って右側に写真パネルが展示されています。

この写真は、アメリカ軍の従軍カメラマンとして戦後すぐに占領軍の一員として最初佐世保に上陸し,その後広島、長崎などを訪れたジョー・オダネルが写したものです。そういえば、「催し開催案内」には、サブタイトルとして「ジョ-・オダネル写真展示」と書いてありました。展示されている写真は、有名な「焼き場に立つ少年」など、25枚が展示されています。

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貴重な写真ですので、これを見るだけでも会場を訪れる価値があると思います。

この写真パネルの左側フロアーに月下さんの作品が、展示されています。

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白く見えるのは、紙に描かれています。手前から右にかけて黄土色の四角な作品が並んでいます。この作品には、短い足のようなものが付いており、手で回すことができるようになっています。後で月下さんに教えていただいたのですが、「禅ではないけれど、自分で自由に動かしながら、その流れの中から何かを感じて欲しいとの思いで作った作品」とのことでした。

一般事務室の展示を見終えて、第一応接室に行くと,外に出ていた山口誠治さんが帰っていました。

山口さんが座っている前には、私がもらったのと同じような袋詰めされ完成した「戦争ホウキ」があります。同じ箱の中には、袋詰めを待つホウキが沢山並んでいます。

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このホウキは、月下さんがかつて住んでいたことのある沖縄の知人が,作って送ってくれたそうです。その他にもホウキの原材料となるような植物が送られてきているようです。

私がこの部屋に入った時、月下さんが,少し前に来館した人からいただいたという折り鶴とそれを入れる箱を使ったモニュメントを作ろうと作業をしていました。

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この折り鶴と箱、折った時きちんと絵柄が出るように計算してデザインされたもののようです。

私が訪れたのは、初日17日の午後1時過ぎで,作業の途中でしたが、私が帰った後、そんなに時間をおかずに完成したと思いますので、今は完成して展示されていると思います。どんな形に作られているか楽しみですので、もう一度訪れようと思っています。

なお会期は3日間という短い会期ですので、今日19日午後5時までで終わります。

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2025年1月18日 (土)

「労働組合が建設した慰霊碑」余話

広島市の「原爆関係の慰霊碑などの概要」には、南区には、似島にある「似島慰霊碑」を含め25基の慰霊碑が掲載されています。何回も見直すのですが、その中に私が「原爆慰霊碑」だと思っていた碑の名前がありません。

その碑は、御幸橋の東詰東北角にある「猫田記念館体育館」の東側に建っています。

「猫田記念館体育館」のある一角を除いて、北側には現在はゆめタウン広島が建っていますが、ここには以前たばこ工場がありました。たばこ工場には、全専売という労働組合があり、ここにも「全専売被爆協」(後に名称を「全たばこ被爆協」に変更)という職域被爆者組織がありました。

ですので、この地の一角に建つこの碑も当然、原爆慰霊碑だと思っていたのですが、広島市の「原爆関係の慰霊碑などの概要」には、この碑が掲載されていないのです。

この碑のことが、なぜ掲載されていないのかに気になりましたので、現地に行って碑を見てきました。

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碑の後ろに建つのが「猫田記念体育館」

自然石で作られた碑には、「祈 平和 人類の平和のために」と刻まれているだけで、「被爆者」とか「慰霊」「追悼」などの文字は刻まれていません。被爆との関連を思わせる文字は,最下段に刻まれた「被爆三十六周年八月」だけです。裏側も見たのですが、何の文字も刻まれていません。「慰霊碑」とは私の勝手な思い込みだったようです。

帰宅後、「全たばこ被爆協」の一員で、私の選挙でも大変お世話になった先輩に電話で問い合わせました。

「あの碑は、『平和の碑』として建立したものだよ。『慰霊碑』と名前がついていないのは、幸いにしてといってよいのだが、たばこの工場では、原爆によった命のなくした人が、一名もいなかったので」との返答です。

さらに「誰が作ったのですか」と問うと「被爆協と労働組合がカンパを集め、たばこ工場の敷地内に建てるので、会社の協力も得て建立したよ」と教えていただきました。

この答えで、「この碑が、広島市の『原爆関係の慰霊碑などの概要』になぜ掲載されていないのか」という私の疑問も解決しました。

そして、原爆にかかわる「慰霊碑」ではないのですが、全たばこ被爆協の皆さんの強い思いによってこの「平和の碑」が建立されたことがわかりました。

この碑の前では、全専売組合員によって核実験抗議の座り込みが行われていましたので、忘れられない碑です。

ところで、「広島市の『原爆関係の慰霊碑などの概要』」を見ていたもう一つ気づいたことがあります。

登録された207基の碑の中で、一つだけ原水禁組織が建立した碑があったことです。建立者については、これまであまり深く考えていませんでした。しかし、今回のこと(労働組合による建立)があり、初めて気づくことになりました。

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森滝先生の米寿を祝うために発刊した「いのちとうとし」より

その碑は、佐伯区五日市にある光禅寺の参道に建つ「五日市町原爆死没者慰霊碑」で、被爆20周年の1965年5月23日に原水爆禁止五日市協議会が、町民の浄財を集めて建立しています。当時は、広島市に合併するはるか前ですので、五日市町は、独立した自治体でしたので、原水爆禁止五日市協議会が、原水禁の地域組織が作られ活動を展開していました。

この碑の碑文は、森滝市郎先生が揮毫されていますので、この碑については、別の機会に紹介したいと思います。

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2025年1月15日 (水)

2025年1月のブルーベリー農園その2

5センチくらいの雪が東広島市豊栄町のブルーベリー農園でも降った。日中の気温も0度近くまで下がった日もあって靴の中にホッカイロを入れてしもやけ防止、腰にもホッカイロを入れたりして農作業を続けている。安芸区の自宅から車で通うが幸い道路が雪で困ることはなかった。この状態で春を迎えたいが1月20日が大寒で節分までは油断できない。晩生のブルーベリーの剪定をすこしづつ始めている

ブルーベリー農園での農作業の日々に見える冬の景色

①1月8日(水) 5センチくらいの雪が降った田んぼ

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②空は青く柿の木に実はなく枝だけがどしん、とたっている

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③ ②の1時間後には雪

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④ ③の2時間後には里山のブルーベリー園に青空が雪の地べたに青白く映る

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⑤19日(木)田んぼの雪は日差しで輝く

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⑥112日(日)昼前の日差しの中、里山東側のブルーベリー園にも雪が残っている

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⑦112日(日)午後4時前の景色は、空は曇り寒々とした田んぼと里山と雪と枯れたセイタカアワダチソウやススキ

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112日(日) とんど焼きの時期なので大きな焚火の準備が行われている。午後は別の場所でとんど焼きに火が入ったのか灌木の伐採をしているところまで竹のはぜる音が聞こえてきたが煙は見えない

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農作業は2種類

①クリの木を地際から1mくらい上で切る

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②伐採が終わると畑の晩生のタイプのブルーベリーの剪定

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③里山の伐採からブルーベリー畑に移動する途中のエゴノキの枝にヤマガラが数羽とまっていた。時々地べたのエゴノキの実を食べにおりるものや、枝をくちばしでこんこんたたくものもいた

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2025年1月 8日 (水)

2025年1月のブルーベリー農園その1

13日(金) 今年始めての農園行き。まあ穏やかな一日。墓参りを済ませブルーベリーの見回りをして早めの帰宅

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里山の晩生のブルーベリー園。この場所は木枯らしがよく吹くところなので落葉が進んでいた

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15日(日) 農作業の休憩中にかっかっというジョウビタキの鳴き声がしたので撮影。大陸からはるばるやってくる渡り鳥で冬の農作業でよく見かける野鳥

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16日(月) 晩生中心のブルーベリー畑の花芽。ウッダードという品種でまだ葉も紅葉もしないでしっかり枝にしがみついている

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16日(月) 里山のブルーベリー園の周囲に茂った木がブルーベリーの日差しを遮るので切る作業が続く

ミカンの剪定用の鋸の刃を新しいに取り替えた。新品はサクサクとよく切れる

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電動チェンソーと鋸を併用してばっさり。この木はエゴノキ

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切った木は枝を払い太い幹は22.5m位に切って燃やさずに近くにおいて朽ちるままに任せる

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写真右の木が栗(小さい実がなり甘い)は今年は残してその左端のドングリの木の伐採にかかりたいが、ちょっと大きい

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昨年初夏に伸びたブルーベリーの枝の先を切って脇から枝が伸びているのを確認。この枝にも花芽がそれぞれついている

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ブルーベリー畑

①寒そうにタンポポの花が咲いている

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②昨秋種をまいたレンゲの葉っぱが見えるようになった

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2025年1月 7日 (火)

吉島稲生神社の被爆樹木

先月、修道学園の慰霊碑を見ることができなかったので、その後吉島稲生神社まで足を伸ばしました。吉島稲生神社は、吉島線のバス通りから西側に少しはいったところにあります。爆心地からは、2,160mの距離です。

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10年以上前には、この吉島稲生神社の近くのお店に何度も買い物に来たことがあったのですが、その時には、被爆樹木のことに強い関心が無かったため、気にすることもありませんでした。最近テレビ番組で、吉島稲生神社の被爆樹木が紹介されたことがあり、いつか見に行こうと思っていましたので、ちょうどよい機会だと訪れることにしました。

こじんまりとした境内ですが、5本の被爆樹木があります。

最大の被爆樹木は、拝殿と本殿の間に植わるクスノキです。

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この木は、高さは20.5m、幹回り3mという巨木で、「広島市指定保存樹」となっています。

本殿右横には、エノキが植わっています。

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この木も「広島市指定保存樹」で、高さは14.5m、幹回り2.1mの巨樹です。

鳥居の横には、ツバキが植わっています。

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花が咲いていてもよい時期だと思ったのですが、まだつぼみの状態でした。

広島市の被爆樹木リストには、この他にクロマツは2本登録されています。

そのうち写真に収めたのは、1本だけです。

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最初に被爆樹木は5本と紹介しましたが、急きょ訪れることになったため、5本ということを知らずに現地を訪れましたので、4本を確認しただけでした。帰宅後、広島市の被爆樹木リストを確認して初めて5本ということがわかりました。私が写すことのできなかったクロマツの写真が、広島市の被爆樹木リストに掲載されています。

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言い分けになりますが、この写真をよく見ると他の樹木覆われた感じですので、誰かに尋ねないと見つけることができないように思えます。近いうちもう一度、訪ねて確認しようと思います。

ところで、広島市の被爆樹木リストから、樹木の写真を検索すると次のような紹介文が目に入ります。

「被爆当時、吉島稲生神社の社務所はこれら境内の樹木に守られたため、倒壊を免れ、ここで被爆によって焼け出された人々の治療が行われました。」

この文章を読みながら、私が現地を訪れた時、不思議な思いで本殿の石垣の側面に貼り付けられた看板をみたことを思い出します。

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そこには次のように書かれています。

「原爆に耐えた吉島稲生神社 当本殿は、昭和2年2月に改築建立された。昭和20年8月6日の強い爆風で本殿の銅板屋根が浮き上がり南側の用水路に落下した。間もなく町民の手で,本殿の欠落した垂木を補い屋根を元通りに戻した。屋根のあまり丁寧でない細工を見ると当時の困難が偲ばれる。」

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よくよく本殿を見たのですが、私の目には、どの垂木か判然としませんでした。

吉島稲生神社の境内には、被爆の歴史を示すものがたくさん保存されていることがわかりました。

広島原爆戦災史第4巻には、16の神社の被爆状況が掲載されていますが、その中には吉島稲生神社は入っていませんので、これ以上被爆当時の様子を知ることはできません。

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2024年12月31日 (火)

2024年12月のブルーベリー農園その4

24日に道路下の畑でブルーベリーの剪定をしていると道路の向こうの休耕田からキジの鳴き声が聞こえたとたんさーっと飛び立ち一番下のブルーベリー畑におりたった。最初にバタバタと羽音を聞かせたあとは翼の揚力で全く羽ばたかずにすうーっと目の前を横切って行った。今年のキジはブルーベリー畑に4か所も巣を作り草刈りで抱卵の邪魔をしたのだが、今冬もしっかり生きていることが確認できて一安心。ほかにもブルーベリーの手入れの最中あちこちで野鳥の巣あとが見つかった。キジの巣も野鳥の巣も例年より多めだった。東広島市豊栄町のブルーベリー農園に安芸区の自宅から農作業に通うこともどうにかできた一年に感謝

1224日(火) ブルーベリーの紅葉と青空と白い雲のコントラストで冬日の一日の農園の景色を見せてくれる

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株元はくさぼうぼうで木は茂りすぎたこの区画の5本のブルーベリーの散髪がやっと済んだ

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1228日(土) 雪が1センチくらい積もっていた。1時間ばかり早生のブルーベリーの剪定と蕾の間引きを行って作業はおしまいに。これえでこの場所は終了。気温は3度だった

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農園の雪の景色から

①里山からブルーベリー畑を見る

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②里山の早生のブルーベリー園と檜の林

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③花壇のナンテンの実

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ブルーベリーの剪定以外に励んでいるのが木々の伐採でこれまで手入れできなかったので時間がかかる

①ブルーベリー畑ののり面のアジサイを切(1226日(木))

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②里山西側の周囲の木の伐採。ブルーベリーに日の光が入らないので切ることに(20年間もほったらかしだった)

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③同じ場所の伐採。上から脚立を足場代わりにして電動チェンソーでばっさりと。切った後は枝の整理。この木はエゴノキ(1229日(日))

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1229日(日) 畑のブルーベリーも紅葉から落葉の時期に入ったようで、葉も茶色を帯びてきた

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落葉した木も多くなった

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晩生(ラビットアイ系)の花は自家受粉できる構造になっていないそうで、種類の違う他の品種の花粉をミツバチなどに持ってきてもらって結実する。そう考えると他人頼りで実らせるともいえ、生き物は喧嘩でなく共生しないと生きられない一つの例に見える

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2024年12月26日 (木)

エイ?

散歩をしているといろいろと目に入ります。

昨年10月29日に「これ、壊れていますよね: 新・ヒロシマの心を世界に」で紹介したNHKビルの前にある時計、長い間針がない状態が続いていました。

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最近といっても気づいたのは、10月1日のことですが、ふと見ると、真っ白になっていた中程の円に時計の針があるように見えます。

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近づいて確認すると、やはり時計の針です。1年前「部品が見つからないので、すぐには修理できないです」といわれていたことを思い出します。やっと針が見つかって修復され、今まで通り「時」を知れせるようになったのです。

散歩の途中では、意外なものを目にすることも時々あります。

最近の意外なものは、魚のエイを目にしたことです。

わが家から幾つかの散歩コースがあるのですが、その一つにマンションの玄関を出てすぐ前の通りを西方向(アステールプラザ方面)に歩くコースがあります。

250メートルほど西に進むと元安川に架かる万代橋を渡ります。橋を渡る時、「今日は水位が異常に高いな」「干潮時間だから干上がっているな」などと話しながら、よく川面を覗き込みます。特に水位が低い時には、川を泳ぐ魚が、はっきり見えます。魚の名前はそんなによく知らないのですが、ボラやチヌ(と勝手に思っているのですが)などが,時には群れているのが目につきます。

数日前のことです。散歩で万代橋を渡る時、川面を覗くと干潮時でしたので、底までよく見えます。魚はいないかと、川面をよく見ると今まで目にしたことのない魚影がゆっくりと泳いでいるのが目に入りました。

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川底の土の色と同じような色をしていますので、よく見ないと魚だということがわかりませんが、じっと見ていると動きますので、間違いなく魚です。エイのようです。

しばらく見ているとチヌのような魚が近づいていきました。川底にへばりついたエイが、カモフラージュするかのように川底の泥を跳ね上げ,エイの姿が見えにくくなりました。

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チヌは、しばらくエイの周りを泳いでいましたが、ケンカをする様子はありません。そのうちチヌと思われる魚は別の場所に悠々と泳いで移動しました。なぜチヌはエイのそばに寄っていったのか、ちょっと不思議な眺めでした。

万代橋は、京橋川と合流する河口から2.4kmしかありませんので、エイもこのあたりまでやって来るのでしょうか。

今までに見たことのない川の様子でした。

こんなことを目にするのも散歩の楽しみです。

いのちとうとし

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