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学問・資格

2024年5月17日 (金)

一枚のプレート

白島九軒町の病院に行った帰り、白島線の電車通りを八丁堀方面に向かって歩いている時、そういえばと思って写したのが、下のプレートです。

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このプレートは、南向きに取り付けられていますので、白島から八丁堀方向に歩いている時には、気をつけないと見過ごします。場所は、県立美術館の電車道り側の北の境界にある塀に取り付けられています。

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 プレートには、「西晋一郎博士旧宅後」と書かれ,次のように記されています。

「文学博士・西晋一郎(1873年―1943年)は、・・・・明治35年(1902)創設の広島高等師範学校教授となり、昭和4年(1929)広島文理科大学教授を併任。同15年(1940)に依願退職するまで、当地・広島において哲学や倫理学を教授をしました。西博士は、わが国古来の神道,儒教、仏教の伝統に、西洋哲学の精密な思索による理論を結びつけ、これらの思想を実践哲学に体系化した学者として知られています。

記念碑は、この通路を約20メートルは入った左側にあります。」

私が、西晋一郎博士のことはまったくといってよいほど知識がありません。知っていることと言えば、森滝市郎先生の岳父,つまり先生の奥さんしげさんのお父さんだということです。1931年の3月に森滝先生は、京都帝国大学大学院を卒業、広島高等師範学校に就任され,同年の12月27日にしげさんと結婚されました。

以前に森滝春子さんからこのプレートに関わることで「小さい頃、縮景園の隣にあったおじいさんの家によく遊びに行ったことがあります。垣根の隙間から縮景園に入り込んだことがありますよ。ですからあの位置だったと思います。」と教えていただいたことがあります。

ですので、「この通路を約20メートル入った」場所に、西晋一郎さんの旧宅があったのは間違いないことのようです。

ただ、このプレートの右側は、現在はビルとビルの谷間になっており、柵では入れなくなっていますので、記念碑が本当にあるのかどうかを確かめる術はありません。

さらに不思議なことは、森滝春子さんにも確かめたのですが、誰がどんな意図でいつ頃このプレートを取り付けたのか、全く不明だということです。

ただ、私には森滝先生ゆかりの地と言うことで、気になる場所です。

なんとも不思議なプレートです。

いのちとうとし

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2024年3月12日 (火)

古代出雲と備後―古代出雲文化フォーラム

3月9日午後1時から広島国際会議場で島根大学主催の「古代出雲文化フォーラム」が開催されました。

「出雲」と聞いただけで、「とにかく参加しなければ」と、1月下旬にネットで参加申し込みをしました。

当日の参加者は、300人ということで、関心の高さを伺わせました。

この「古代出雲フォーラム」は,「古代出雲文化を通じて島根県の歴史、文化や風土、そして島根大学の学術研究の成果等を全国に向けて発信するものとして、古事記編纂1300年に当たる平成24年(2012年)度に東京において第1回を開催して以来、全国各地で開催して参りました。」(当日配布されたパンフレットより)そうです。ちなみに広島では、平成25年(2013年)度に一度開催されていますので、今回が2度目の開催となります。それぞれの開催地域と出雲との結びつきを中心にテーマが設定されています。

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今回のテーマは「古代出雲と備後」で、第1部のシンポジウムでは3つの講演「1,弥生時代の備後・安芸と出雲・石見の交流、2.国史跡寺町廃寺跡が語る備後と出雲、3,出雲と備後を結ぶ道」がありました。その内容を簡単に紹介します。

「弥生時代の備後・安芸と出雲・石見の交流」の中心テーマは、弥生時代中期に広島県三次市や島根県出雲市で築造された「四隅突出型墳丘墓」から、両地域の繋がりを示す内容でした。

「国史跡寺町廃寺跡が語る備後と出雲」は、三次市にある「国史跡寺町廃寺跡」から見えてくる備後と出雲の繋がりを、屋根の軒に取り付けられた「軒丸瓦」のつくり・文様が同じものであることから「備後と出雲に深い繋がりがあった」ことの報告でした。紹介された「国史跡寺町廃寺跡」は、初めて聞く史跡ですが、大きな伽藍があったようですので、一度訪れてみたい史跡です。

「出雲と備後を結ぶ道」では、天平5年(733年)に完成した出雲風土記に、この両地域を結ぶ道が5つ存在していたことが記述されており、両地域に深い繋がりがあったという報告でした。ちなみに「出雲風土記」は、ほぼ完全な形で残る唯一の風土記として貴重なものです。

私が特に興味を持ったのは、最初の二つの報告です。二つの報告は、いずれも「備後地域で発祥し、それが出雲に伝搬した」というものでした。意外と言えば意外なことです。私は、「出雲は古代の中心だった」と思っていましたので、頭をガツンと打たれたような思いになりました。

第2部は、島根大学の取り組みが紹介されましたが、ここでは省略します。3時間半の長いフォーラムでしたが、もう一度古代の歴史を学び直さなければと思わされた「古代出雲文化フォーラム」でした。

いのちとうとし

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2023年8月16日 (水)

原爆・反戦詩を朗読する市民のつどい

終戦記念日の8月15日、今年も「原爆・反戦詩を朗読する市民のつどい」が、袋町のひとまちプラザで、午後2時から開催されました。

この「原爆・反戦詩を朗読する市民のつどい」は、2002年8月15日に5人の有志によって元安橋のたもとの路上で、沖縄県人会の人たち数人が三線片手に「沖縄を返せ!沖縄に返せ」を歌い、女子生徒の「ひろしまの空」(林幸子・作)の朗読などから始まったものです。翌年からは、原爆ドームの東側・原民喜詩碑付近で朗読を中心に歌や演奏の青空集会が行われてきましたが、2013年から屋内での実施となりました。

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今年の主催者は、広島文学資料保全の会、広島花幻忌の会、四國五郎追悼の会の三団体です。

広島文学資料保全の会の土屋時子さんの司会で会はスタート。全員で黙祷した後、オープニングは、鎮魂の願いを込めたチャンゴの演奏です。演奏者は、友人のペ・ハクテさん。

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後で聞くと演奏した曲は自作とのことでした。

今年の「市民のつどい」は、サブタイトルに「グランド・ゼロの記憶 被爆作家8月6日の記録」でした。全体が、1部、2部、3部となっていましたが、全体を通してユネスコ遺産登録をめざしている原爆文学資料の4人の作家を中心にして構成されていました。

1部は、恒例の原爆作品の朗読です。

原民喜は、原爆被爆時のノートの一部、原民喜詩碑の銘文、詩「永遠のみどり」です。

大田洋子は、「屍の街」の一節。

栗原貞子は、「生ましめんかな」、「ヒロシマというとき」です。

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峠三吉は、「原爆詩集」より「序」、「8月6日」、「影」、「呼びかけ」です。

何度も聞いたものもありますが、今回も新鮮な気持ちで聞きました。

2部は、広大名誉教授で広島文学資料保全の会顧問の水島裕雅先生の講演「ヒロシマに文学資料館を設立する意義と課題」です。

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・広島の原爆資料の重要性 ・広島中央図書館に寄贈した約2万点とその後に収集された数万点の文学資料が「広島文学資料室」に納められているが、死蔵の状態 ・1981年の広島平和記念館主催の「原民喜展」で初めて原爆文学資料に接し、特に「原爆被災時のノート」に出会ったとき受けた強い感銘 ・今年一月に発表された「世界終末時計」が、後90秒となったことの危機感 ・もし文学館ができたら予想以上に核戦争が迫っている現在、世界の人々が広島を訪れ、原爆資料館に寄り、次に「言葉館」としての文学館を訪れることで、じっくりと人間の過去と未来に思いを寄せて、自分は何をすべきか、他の人に何を伝えるべきか考えてほしい ・広島の文学は、原爆だけでなく頼山陽の頃から現代に至るまで日本文学に大きな影響を与えている。例えば児童文学の鈴木三重吉、新劇運動の中心的存在である幼い顔ロルはいずれも広島市出身 ・今回広島の原爆文学資料がユネスコの「世界の遺産」に登録されれば、文学館の役割も大きくなる

そういう内容でした。

3部は、「ユネスコ「世界の遺産」登録申請の歩み」について、広大名誉教授で広島文学資料保全の会幹事の成定薫先生が、報告。これまでの2回の反省を生かし、申請書作成作業が進んでいるとのことでした。今回の申請では、新たに大田洋子の「屍の街」の初稿・原稿が加わったことが詳記されました。

もう一つの報告は、新たに登録資料に加わった「大田洋子『屍の街』(自筆原稿)」について、広島文学資料保全の会事務局次長川口悠介さんが解説。

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大田洋子「屍の街」(自筆原稿)は、現在日本近代文学館に所蔵されていること、白島九軒町で被爆し、3日間河原で野宿した後、佐伯郡玖島に逃れ執筆をはじめ、同じ年の11月に脱稿し出版しようとしたが占領下のプレスコードによって一部削除され、ようやく出版、そして1950年になって削除部分を増補し、大幅に訂正されて出版されたことなどが紹介されました。大田洋子「屍の街」(自筆原稿)は、貴重な原爆資料だということです。

いろいろと調べてみたいことが出てきた今年の「原爆・反戦詩を朗読する市民のつどい」でした。

いのちとうとし

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2023年5月30日 (火)

運転免許更新高齢者講習に行きました。

7月に75歳を迎えます。最近は車を運転することも少なくなったのですが、もう一度は運転免許証を更新しようと思い、昨日免許更新のための認知症検査・高齢者講習に行ってきました。

今回も3年前と同じ南区宇品東にある中国自動車学校での高齢者講習の高齢者講習を受けました。

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この3年間、無事故無違反でしたので、運転技能検査は免除され認知症検査と高齢者講習だけです。

午後2時半から始まった講習の受講者は、8人です。

講習全体の説明があった後、最初は認知症検査です。1枚の紙に4種類の絵が描かれた紙4枚、計16種類の絵の名前を書き記す問題。最初は、何もなしで思い出す全ての名前を記載する。この時は、10しか思い出すことができませんでした。その後に、最初に絵を見せられたときに教官が出したヒントが書かれた用紙にもう一度名前を書きます。今度はヒントがありましたので、一応全部の名前を書くことができました。次は、並んだ数字の中から指定された数字だけを斜線で消すという検査です。最後にこの日の年、月、日、曜日を記載して認知症検査は終了しました。初めての体験ですので、ちょっと緊張しましたが、何とか無事終了。すぐに、検査結果の診断が行われ、30分ほど待つと自動車学校側の診断が終了。「全員、異常ありません」との報告があり、全員に何となくほっとした気分が広がりました。

次は、前回も行った視力の検査です。視力の平均値は次の通りです。

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免許更新時にも通常視力の検査はあるようですが、一応予備的に通常視力の検査も行います。運転免許更新時の通常視力は、0.7以上が必要とのことですが、私の通常視力は、1.2でした。

動体視力は0.4、視力回復時間は45秒、眩光下視力は0.4でした。この3種の視力検査は、この免許証更新時の講習時しか行いませんので、評価が難しいのですが、75歳ということでは、普通の評価でした。これらの視力検査結果が、免許更新に関わるわけではありませんが、自分の現在の状況を知ることができますので、運転時の参考にはなると思います。

最後は、車を運転しての実車です。最近車の運転をすることも少なくなっていましたし、あいにくの雨模様でしたが、これも無事終了。

全ての検査・講習がこれで終わり、「修了証明書」と「『認知症の恐れがある』基準に該当しない」と書かれた「認定認知機能検査結果通知書」を受け取り、中国自動車学校を後にしました。終了したのは、午後5時半ですから3時間のコースでした。

後は、この書類をもって運転免許センターに行き、新しい免許証の交付を受けるだけです。

いのちとうとし

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2023年5月12日 (金)

初代「原民喜詩碑」の銘板―つづき

広島県立図書館に展示された「原民喜旧詩碑-銘板・陶板-」の説明板の4項目目には次のように書かれています。

「傷ついた旧詩碑の銘板陶板は、預かっておられた民喜の実兄である原守夫氏のご厚情により、民喜自筆原稿『屋根の上』等とともに当館へ寄贈していただきました。(1978年2月24日受入)」

この文章から、「原民喜旧詩碑-銘板・陶板-」が原守夫氏が寄贈されたことがわかります。

ところが、次の5項目目を読むと、ちょっと疑問がわいてきます。5項目目は次のように書かれています。

「なお、この陶板が当館に至る経緯について、豊田清史氏は、次のように書いておられます。『傷つけられた陶板は一応制作者である名古屋の加藤唐九郞氏に送られ、すでに他人に渡っていたが、民喜の文学資料に大切な品と私は考え、唐九郞氏に交渉して返送してもらい、現在県立図書館の郷土資料室の陳列ケースに保管されている。(図書新聞1983年4月9日)』」

疑問とはこうです。4項目目を読めば、間違いなく「原守夫氏から寄贈された」ことがわかりますが、図書新聞に掲載された豊田清史氏の文章には、「豊田さんが、加藤唐九郞氏から返送してもらった」としか書かれておらず、原守夫氏に預けたという記述がないのです。そのため、5項目目では、豊田さんが寄贈されたとも読める内容なのです。

県立図書館は、図書新聞の復刻版を所蔵していますので、1983年4月9日号を見させていただき,確認したのですが、5項目目と同じ文章しか書かれておらず、原守夫さんの名前は出てきません。なぜ豊田さんが、原守夫さんの名前を書かれなかったのか、真意を推し量ることが出来ないのが残念です。

改めて調べていただいたのですが、県立図書館受贈品目録には、はっきりと「1978年2月24日に原守夫さんから寄贈を受けた」ことが記録されているとのことでした。

最後の6項目目は次のように書かれています。

「昭和63年に県立図書館が中区上幟町から現在の地に移転した後、長く館長室に展示・保管されていましたが、この度、広く公開するために、開架室で展示することにしました。(平成30年3月13日)」

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このことと関連して脇康治さんの「図書館たより」・「出会い」には、次のように書かれています。

「それから(引用者注:「文芸大柿No.6発刊時」)約30年、県立図書館の書庫で偶然、旧詩碑の碑銘陶板に巡り会ったのです。陶芸家加藤唐九郞制作の、あの傷ついた陶板にです。私は運命的なものを感じました。旧館の時代には、郷土資料のコーナーに展示してあったのだそうです。

旧詩碑建設に努力された人びとのことばにあるように、『彼の平和への祈りを永遠に記念』するものとして、また、民喜を超えてヒロシマの『平和への祈りの永遠に象徴する』ものとして、現在、展示コーナーに展示しています。(9月29日まで)」

この文章から二つのことがわかります。

一つは、「旧詩碑の碑銘陶板」の展示には、「ヒロシマの『平和への祈りの永遠に象徴する』もの」としての想いが込められていること。

二つは、6項目に書かれた「昭和63年に県立図書館が中区上幟町から現在の地に移転した後、長く館長室に展示・保管されていました」は正確ではないということです。「正確ではない」というのは、脇康治さんが館長に就任されるまでは、「館長室」ではなく「書庫」に保管され、県民の目に触れることはなかったが、脇館長が見つけ出され、一時期展示コーナーに展示された後、館長室に展示され、ようやく平成30年(2018年)になって、現在のように常設で「カウンタ-」に展示されるようになったということです。

もし脇さんの目に触れなければ、今も書庫に眠っていたかもしれません。

ところで、私にはもう一つ気になっていることがあります。脇さんの「出会い」には、大柿高校の文芸誌だけでなく国泰寺高校の文芸誌「文芸進路」も紹介されていることです。文芸誌「文芸進路」には何が書かれているのか知りたくなり、国泰寺高校を訪ねたのですが、「文芸進路」はすぐに見つからず、所在を調査していただくことになりました。見つかれば、原民喜のことや詩碑のことがどんな風に書かれているか、ぜひ読みたいと思っています。

いのちとうとし

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2023年5月 1日 (月)

森滝市郎先生の自筆資料など広島大学に寄贈

広島大学の希望と森滝春子さんの意向で、森滝市郎先生の自筆資料などが、広島大学に寄贈されることが決まり、2018年2月から広大文書館によって受け入れ作業が開始されました。これまでに2回の搬出が行われ、10,582点の文書が、広島大学に受け入れられています。

森滝先生の資料寄贈に当たっては、広島大学文書館の石田雅春准教授から何回か相談を受けたことがありましたので、大掛りの搬出としては3回目の今回が最後になるということで、石田さんから連絡がありました。

当初は、25日が予定されていましたが、雨の心配があり28日に変更となりました。当日は、午後1時から森滝春子さんと広島大学との打ち合わせがあるということですので、私もその時間に合せて森滝家に行くことにしました。

広島大学に対し中国新聞記者から「最後の搬出の際には、事前に連絡をください」との要望があったようで、今回はマスコミ各社に事前に連絡がいったため、私が森滝家に着いたときには、すでに多くのマスコミが駆けつけていました。

これまでの2回は、倉庫などに保管されていた資料が搬出されたようですが、今回は、森滝先生の書斎の文書が、搬出されました。この書斎は、森滝先生と何度もお会いし,先生が亡くなられてからも訪れる度に入れていただいた部屋です。

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過去に運び出された資料の中には、第五福竜丸が被曝したことを契機に始まった原水爆禁止運動の署名活動で集まった百万人の署名簿を国連本部に送るときの「百万署名を発送するに当たって」とタイトルの付いた直筆のメッセージなどもあったようで、今回マスコミが駆けつけるということで、石田さんがわざわざ持ってきておられました。以前の資料の中にもこうした貴重なものがあったようですが、今回運び出される資料は、まさに森滝先生の今に納められ、いつも手元に置いておかれた資料ですから、より貴重なものが含まれていると思います。

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打ち合わせの時間より早めに着いた私は,資料が収められていた押し入れなどを少しだけ見させていただきました。目に触れた中には、1975年の「非核太平洋会議」の資料や精神養子運動の「子どもを守る会」の資料などが在ることが確認できました。いずれの資料もきちんと茶封筒に整理して納められています。

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私が、短い時間で手にした「非核太平洋会議」と書かれた資料の中には写真もあります。以前から気になっていた同会議に参加し、森滝先生の「核と人類は共存できない」の理念確立の最後の一押しをしたアボリジニの女性の写真が、在りましたので、春子さんにお願いしその一枚をもらって帰りました。

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左端がアボリジニの女性

もう一つ、これは春子さんが事前に用意されていたのですが、「社会党に期待する」という直筆原稿をいただくことができました。年数が入っていませんので、いつか書かれたものかは不明です。

マスコミによる森滝春子さんへのインタビューと部屋の撮影が終わった後、ようやく午後3時過ぎから搬出作業が始まりました。私は、次の予定があり作業が始まると同時に帰宅の途につきましたので、作業の様子を写真に収めることはできませんでした。石田さんとのメールのやりとりでわかったことですが、今回は11箱が搬出されたようです。

これまで広島大学が受け入れた資料とともに、数年後には一般公開できるように目録作りが進められるようです。

被団協の運動や原水禁の運動のどんな資料が残っているかに強い関心があるのですが、石田さんの話によれば、講義メモなども含まれているようで、広島大学にとっては、この点からも貴重な資料だということでした。

なお、春子さんの希望で、森滝先生の日記は、今回は寄贈されず残ることになりましたので、日を改めて「日記」を見に行きたいと思っています。

いのちとうとし

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2021年12月26日 (日)

坪井直さんの遺志を継ぐために ―――広島・長崎講座のすすめ―――

坪井直さんの遺志を継ぐために

―――広島・長崎講座のすすめ―――

 

いのちとうとしさんが、24日の本ブログで報告されているように、被爆者運動のリーダーとして長年にわたって頑張ってこられた故坪井直さんのお別れの会が22日に開催されました。

 いのちとうとしさんが報告の最後に書かれている言葉、「改めて遺志を受け継ぎたいと決意した坪井先生とのお別れ会でした。」は、参加者の多くが感じていたことなのではないでしょうか。

 次に、「遺志を受け継ぐ」ために何をすれば良いのかを考えてみましょう。いろいろな考え方がありますが、もう少し具体的に、三つの目標として整理しておきましょう。

 ① 被爆の実相を伝え続ける。

 ② 被爆者のメッセージを伝え続ける。

 ③ 核兵器の廃絶を実現する。

 この三つを合わせて、「被爆体験を伝える」とまとめる場合もありますが、多くの人がこちらを選んでいるようです。被爆者の場合には、御自分の被爆体験を話し、自らの体験から湧き出てきた核兵器廃絶への強い決意と、そのための活動などを大切なメッセージとして伝えることになります。

 被爆者の話を直接聞く側は大きなインパクト共にメッセージを受け取るのですが、被爆者の高齢化とともに、話のできる被爆者の数は毎年減ってきています。かつては、音声だけを録音して残しておく努力がされましたし、ビデオの時代には、自らの被爆体験を話す被爆者のビデオが貴重な遺産として保管されています。

 最近では、被爆体験継承者事業として、被爆者ではない人たちが、被爆者の体験を直接被爆者から聞いた上で、さらに様々な学習を積み重ね、「伝承者」として被爆体験を伝える役割を果しています。現在では100人以上の人たちが伝承者として日常的な活動を続けています。とても大切な事業であり、より多くの皆さんに参加して貰いたいと願っています。

その他にも、小説や詩、絵画や音楽、写真や映画等様々な芸術的手段を用いて被爆体験を後世に残す努力が続けられてきました。こうした努力の結果、被爆体験と被爆者のメッセージが感動とともに受け止められ核兵器廃絶への意思を生んできました。また核廃絶を実現するための多くの具体的な努力が積み重ねられてきた結果、核兵器禁止条約が成立しました。

 もう一点大切なのは、広島・長崎以降、核兵器が使われてこなかったのは、被爆者の力だということです。1999年の平和宣言でも述べましたが、被爆者はこのように、核兵器の使用を阻止する「抑止力」を持っているのです。

 坪井さんの遺志、多くの被爆者の遺志を実現するためには、これまでの努力を継続することは勿論ですが、それだけで十分なのでしょうか。坪井さんというリーダー亡き後の今、私たちは、やがては被爆者亡き後の世界においてどのような努力をすべきなのかを考える必要があるのではないでしょうか。

 「被爆者亡き後の世界」は長く続きます。(核兵器が人類を滅ぼさないという前提ですが――) 何世紀か何十世紀という長期にわたって、被爆体験を語り継ぐということはどんなことを指しているのでしょうか。人類史を振り返って、そんなことが行われてきた実例を参考にして、提案をしておきます。

 《広島・長崎講座のすすめ》

芸術的手段を使って被爆体験を伝えたり、ビデオや伝承者の力で被爆体験を未来に残したりするのは、「アナログ」的な努力です。それに加えて、「ディジタル」的な努力による伝承も取り入れるべきなのではないでしょうか。その候補の一つが、世界の大学で「広島・長崎講座」を開設することです。

 このような講座の内容としては、(1)被爆の実相と、「他の誰にもこんな思いをさせてはならない」という被爆者のメッセージの意味を学術的に整理・体系化して、(2)普遍性のある学問として、世界の大学で若い世代に伝える、ということが大切です。

 このような内容の大学レベルの努力が大切なのは、(A)被爆体験の「ディジタル化」によって、劣化しない伝達ができることと、(B)ホロコーストと同じレベルの理解が進むことを挙げておきましょう。

 ここで「ディジタル化」で表しているのは、ダビングで劣化しない、つまり、ユークリッド幾何学のように、世代を超えて同じ内容が伝わることです。ディジタル化の他に、例えば理論化、形式化、論理化、学問化、専門化、モデル化、数値化、思想化、科学化といった言葉でも良いのですが、何世紀という時を超えて伝えるためには、その準備が必要なのです。

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次に、「ホロコーストと同じレベル」の意味を説明しておきましょう。現在の世界で、「安全保障のために、我が国はナチス並みの強制収容所が必要だ」という国はありません。しかし、「安全保障のために、我が国は広島・長崎より強力な核兵器が必要」と言っている国は、核を保有している9か国もあるのです。これは、世界的に広島と長崎の体験が十分に理解されていない、一つの結果だとも考えられます。つまり、被爆の実相、被爆者のメッセージが、知的にも情緒的にもホロコーストと同じレベルで共有さていないからなのです。

 このような講座を開設している大学は、国内で50を超えていますし、海外でも20以上あります。今後も、より多くの大学に参加して貰い、質的にもホロコースト学を凌駕するレベルにまで成長して欲しいものです。

 [20211226日 イライザ]

 

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2021年6月 6日 (日)

言葉の重みも検査しよう ――物の重みは正確に測られています――

言葉の重みも検査しよう

――物の重みは正確に測られています――

 

6月初め、ワクチンの集団接種所に行くと、正面にこんな看板が出ていました。「はかり検査場」です。

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「ワクチン」と「はかり」とが結び付かず一瞬、戸惑いましたが、聞いてみると商取引や学校・病院等で使う秤(はかり)は、その正確さを定期的に検査することになっていて、ワクチン接種と同じ場所でその日、検査が行われているとのことでした。

物品の重さ、体重等を正確に測るための制度ができているのです。そのために、この場所には、検査に使う基準となる錘、つまりウエイトが準備されていました。

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物体の重みが大切にされているのは良いことなのですが、このところ (と言うより、かなり長期にわたって) 蔑ろにされている政治家の言葉の重み、官僚の言葉の空虚さ・軽さについ思いが走ってしまいました。

その中でもコロナ対策についての菅内閣の言葉が一つ一つ引っ掛かりますし、対応も大問題なのですが、コロナだけでなく、コロナとオリンピックを重ねて見ると、何らかの発言がある度に耳を疑いたくなります。発言者は総理大臣初め、官房長官、オリンピック担当大臣、組織委員会会長、小池知事等々、ニュースで取り上げられる人ほぼ全てです。それが一日に何回も繰り返されるのですから、今の日本の状況を表す言葉は、「世紀末」や「末世」「乱世」、あるいはそれ以上のものにならざるを得ないように思えます。その他にも、「正気の沙汰ではない」。「狂気」という言葉は使わない方が良いらしいのですが、敢えて使えば「狂気の沙汰」の方が、現状をハッキリ表現しているかもしれません。

それは日本国内に限らず、IOCのバッハ会長や、コーツ氏、パウンド氏等の発言として、もっと端的に状況を表しています。それらについては、海外のマスコミをはじめ、多くの皆さんが批判をしていますので、それで十分かも知れません。でも私なりの感想を書き連ねておかないと精神衛生上、良くありませんので、この場で何点か披露させて下さい。

一つは、「菅総理大臣が反対しても、ハルマゲドンでも起こらない限りオリンピックは開催される」という趣旨の発言です。論理的に詰めると、仮に日本の総理大臣が「開催しない」と言ってもオリンピックを日本で開くためには、選手や関係者が日本に入国しなくてはなりません。総理大臣が、オリンピック開催はダメだと言った場合、当然、これらの人たちは日本に入国できないことになるはずなのですが、それにもかかわらず、日本で開く、その前提として、選手や関係者が日本に入国できるという主張は何を意味するのでしょうか。

それが可能なのは、例えば、日本がIOCの植民地であり、日本国民には主権がなく、IOCが日本国民を支配している、というような場合です。これって、ただ単に菅総理大臣に対する侮辱であるだけでなく、日本国民の主権を否定する重大発言です。この点からの「大抗議」が、日本国内から起きていないのは何故なのでしょうか。マスコミも、「主権侵害」だという点はあまり追及していないようなのですが、それで良いのでしょうか。

バッハ会長の「犠牲を払わないと、オリンピックはできない」という発言も、「犠牲」= 「主権の放棄」ということになるのです。そこまで言われたら、日本という独立国家の代表である総理大臣としては、「主権を放棄することはできない」と宣言してオリンピックを中止するくらいのことをしないと、次に同じようなことが起きた場合にも何もできないことになるのではないでしょうか。

次に取り上げたいのは、6月2日の衆議院厚生委員会での尾身会長発言です。要約すると、「このようなパンデミックという状況でオリンピックを開くなどということは、普通はあり得ない」になります。

これに対する田村厚労大臣の言葉は「自主的な研究の成果の発表ということだと思う。そういう形で受け止めさせていただく」です。

問題なのは、「自主的な研究」です。およそ学問の世界での研究は、学者個人の意思による「自主研究」でなくてはならないのです。そうではなく、例えば宗教的権威に従って自らの価値観を捨てては、学問・科学は成り立ちません。ガリレオ・ガリレイは17世紀の初頭に、ローマ法王庁の権威に逆らってまで、「自主研究」の成果が重要だと主張したのです。

その後の世界は、ガリレオ・ガリレイの立場に立つ科学を尊重してきたはずなのですが、現在の日本政府の科学観が田村大臣の言葉通りであるとすると、17世紀にまで後戻りしてしまったことになります。

それほど恥かしい言動が後世に残ることを承知の上で、何故オリンピックを強行したいのか、菅政権、そしてオリンピック組織委員会等、関係者には納得の行く説明をする責任があります。

しかし、同時に「専門家」の責任も問わなくてはなりません。昨年の4月11日から始めて、このブログで複数回にわたって指摘したように、昨年の安倍総理による全国一斉休校について、後出しではありますが、その正当性を「専門家」として認めたのですから。

この点については次回、より詳しく論じます。

 [2021/6/6 イライザ]

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2021年5月19日 (水)

広島朝鮮初中高級学校の教育環境充実のためのクラウドファンディング

広島朝鮮初中高級学校に充実した教育環境を!実現するためのクラウドファンディングにご協力ください。

 

1946年4月16日に大竹の地で始まった広島朝鮮初中高級学校は、今年416日に創立75周年を迎えました。

2010年、すべての子どもたちに学ぶ権利を保障するために制定された「高校無償化制度」から2013年2月に朝鮮高級学校だけが除外されました。それを受けて、それまで支給されていた自治体からの助成金がストップしてしまいました。

授業料を値上げし、学校運営を図ってきましたが、コロナ禍にあっては保護者の負担も大きく、卒業生や支援者の方々からいただくサポートを受けてもなお、十分な学校運営を行うのが困難になってきています。

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そのような中で、広島朝鮮初中高級学校に通う子どもたちは、未だに冷暖房設備のない教室で学んでいます。特に高級学校は、全国に10校ありますが、冷暖房設備がないのは広島だけです。

昨年は新型コロナウイルス感染症の防止対策で8月にも授業が行われたため、生徒たちがふらふらになりながら授業を受けたそうです。中には気分が悪くなった生徒もいました。年々暑さが厳しくなっていますから、冷暖房設備は、学校に欠かせない設備になっています。

そこで、「広島朝鮮初中高級学校創立記念行事実行委員会」と共同で、広島朝鮮初中高級学校の各教室に冷暖房設備設置を目標に、必要な約700万円のうち300万円をクラウドファンディングで集めることになりました。

「クラウドファンディング」は、多くの人たちの協力を得るため、門業者が立ち上げるインターネットサイトを通して、クレジット決済もしくは郵便振込で募金を呼びかける方法です。このクラウドファンディングは、5月7日(金)に開始し、6月30日(水)まで行います。

今年の夏までに冷暖房設備を設置し、教育環境を充実させ、広島朝鮮初中高級学校で学ぶ子どもたちの命を守るためにも、ご協力くださいますようお願いいたします。

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具体的な方法は下記のとおりです。

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READYFORのホームページ https://readyfor.jp/projects/62736

から必要事項をご記入ください。(なお、必要事項の入力方法は「広島朝鮮初中高級学校に充実した教育環境を!ヒロシマキャンペーン」のFACEBOOKページに掲載しています。)

 

インターネットからが困難な方は、下記の口座に振り込んでください。

広島朝鮮初中高級学校に充実した教育環境を!ヒロシマキャンペーン 振込口座

ゆうちょ銀行 記号 15100 番号 56408631

(他行からの振り込まれる場合 店番 五一八(ゴイチハチ) 普通 5640863)

名義 広島朝鮮初中高級学校創立記念行事実行委員会 

 

「広島朝鮮初中高級学校に充実した教育環境を!ヒロシマキャンペーン」の呼びかけ人代表は、次の四人です。 

呼びかけ人代表

 佐古正明(広島県平和運動センター議長)

  足立修一(広島無償化裁判弁護団長)

  金子哲夫(日朝友好広島県民の会会員・元衆議院議員)

  村上 敏(民族教育の未来を考える・ネットワーク広島代表) 

 

不明な点の問い合わせは次のとおりです。082-261-0028 yakudou75.hiroshima@gmail.com

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いのちとうとし

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2021年4月 1日 (木)

完全に舐められている私たち (2) ――東電からも官僚からも――

 

完全に舐められている私たち (2)

――東電からも官僚からも――

 

「完全に舐められている」シリーズを続けようと思うと、その実例が毎日、「これでもか、これでもか」と現れますので、完結することはなくなってしまうような気がします。そうならないように、私たち主権者が責任を果さなくてはなりませんが、その結果が早く出ることを祈りつつ、今回は東電と厚労省の官僚を取り上げます。

 東電の柏原刈羽発電所の不祥事についてのマスコミ報道は、抑制の利いた表現で感心したのですが、これは皮肉です。これほどの不祥事を伝えるのに抑制を利かしてはいけないのです。

 言うまでもありませんが、原発と原爆は同じ原理でエネルギーを発生させます。原爆は、核分裂によって生じるエネルギーをそのまま放出させるのですから、技術的にはそれほど難しいことではありません。事実40年ほど前にも、プリンストン大学の学部4年生の書いた設計図が、「軍事秘密」だという理由で没収されるという事件がありました。物理学の専攻とは言え、そのレベルの勉強でできるということです。

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それに対して原発は、同じ原理で発生するエネルギーを、原爆のように瞬間的に放出するのではなく、お湯を沸かせるくらいの低レベルで何時間も何日も続けさせるという技術なのです。複雑な装置が必要なのですが、問題は、この装置のどこかが上手く作動しないと、原爆の爆発にすぐつながってしまうという点です。そして、どの段階でも毒性の強い放射線が発生していることなのです。

 そんな装置がテロの対象になれば、核兵器で攻撃されるのと同等のあるいはそれ以上の被害を受けることはお分り頂けると思います。

 324日付の『東洋経済電子版』によると、

 「テロリストなど外部からの不審者の侵入を検知するための設備の複数が故障したまま、十分な対策が講じられずに放置されていたことがわかった。

 原子力規制庁の検査を機に、20203月以降、16カ所で設備が故障していたことが判明。そのうち10カ所では機能喪失をカバーする代替措置が不十分な状態が30日以上続いていた。」

 それだけではなく、原発の頭脳ともいえる中央制御室に、他人のIDを使って侵入した職員 (Aと呼びましょう) がいたことも報じられています。『新潟日報』の電子版によると、この職員Aは、他の職員のロッカーからIDを盗み出し、中央制御室に入ったようなのですが、入るまでに二回も警備の職員に怪しまれています。IDの写真とAの顔が一致しなかったからです。でも警備員は、そのままAを通過させています。しかも、二度目のときには、IDに掲載されていた電子情報まで書き換えさせていたということなのです。IDは、また元のロッカーに返されたとのことです。

 それが分ったのは、IDを盗まれた本人がそのことを知らずに職場に入ろうとして、認証の失敗が何度かあって「おかしい」ということでIDをチェックして貰い、記載情報が書き換えられていたため、認証されなかったことが分かったという報道内容です。

Aという職員も問題ですが、Aを見抜けず簡単に通してしまった警備システムそのものが、もう完全にアウトです。それも昨日今日始まったことではないでしょう。そんなセキュリティー・システムで今まで良く大事件が起きなかったのか不思議です。日本という国は善人ばかりが住んでいるのでしょうか。

そして仮に、このAが、日本に強い敵意を持つどこかの国のスパイだったとすると飛んでもないことになっていたはずですね。中央制御室からの操作で原発そのものを止めることもできるのですから、これはお分り頂けるでしょう。それだけの事件なのですから、抑制を利かせるのではなく、「もし」という仮定で警告を発しても良かったのではないでしょうか。

 ことによると、そんなことをすると、本物のスパイがこの不祥事に目を付けて、それこそとんでもない結果になるのを心配したのかもしれません。でも、手遅れです。この事件のもう一つ大きな「効果」は、日本の原発が本物のスパイにとって、いかに容易く侵入できる施設であるのかを、大々的に宣伝してしまったことです。

 それに対抗できるセキュリティー・システムを構築するのは、並大抵の努力では叶わない仕事です。福島の原発事故では、「自然」のせいにして、主要幹部の責任はないと公然と宣言しているくらいなのですから、今回も「悪いのは一人の職員」、事実上「更迭」しましたから、それで終わりでしょう、といった幕引きになるかもしれません。

 そんなシナリオが頭に浮かぶのは、厚労省の職員への「懲戒処分」と関連があるのですが、それは次の機会に。

 [2021/4/1 イライザ]

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