「広島ブログ」

2022年10月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

学問・資格

2021年12月26日 (日)

坪井直さんの遺志を継ぐために ―――広島・長崎講座のすすめ―――

坪井直さんの遺志を継ぐために

―――広島・長崎講座のすすめ―――

 

いのちとうとしさんが、24日の本ブログで報告されているように、被爆者運動のリーダーとして長年にわたって頑張ってこられた故坪井直さんのお別れの会が22日に開催されました。

 いのちとうとしさんが報告の最後に書かれている言葉、「改めて遺志を受け継ぎたいと決意した坪井先生とのお別れ会でした。」は、参加者の多くが感じていたことなのではないでしょうか。

 次に、「遺志を受け継ぐ」ために何をすれば良いのかを考えてみましょう。いろいろな考え方がありますが、もう少し具体的に、三つの目標として整理しておきましょう。

 ① 被爆の実相を伝え続ける。

 ② 被爆者のメッセージを伝え続ける。

 ③ 核兵器の廃絶を実現する。

 この三つを合わせて、「被爆体験を伝える」とまとめる場合もありますが、多くの人がこちらを選んでいるようです。被爆者の場合には、御自分の被爆体験を話し、自らの体験から湧き出てきた核兵器廃絶への強い決意と、そのための活動などを大切なメッセージとして伝えることになります。

 被爆者の話を直接聞く側は大きなインパクト共にメッセージを受け取るのですが、被爆者の高齢化とともに、話のできる被爆者の数は毎年減ってきています。かつては、音声だけを録音して残しておく努力がされましたし、ビデオの時代には、自らの被爆体験を話す被爆者のビデオが貴重な遺産として保管されています。

 最近では、被爆体験継承者事業として、被爆者ではない人たちが、被爆者の体験を直接被爆者から聞いた上で、さらに様々な学習を積み重ね、「伝承者」として被爆体験を伝える役割を果しています。現在では100人以上の人たちが伝承者として日常的な活動を続けています。とても大切な事業であり、より多くの皆さんに参加して貰いたいと願っています。

その他にも、小説や詩、絵画や音楽、写真や映画等様々な芸術的手段を用いて被爆体験を後世に残す努力が続けられてきました。こうした努力の結果、被爆体験と被爆者のメッセージが感動とともに受け止められ核兵器廃絶への意思を生んできました。また核廃絶を実現するための多くの具体的な努力が積み重ねられてきた結果、核兵器禁止条約が成立しました。

 もう一点大切なのは、広島・長崎以降、核兵器が使われてこなかったのは、被爆者の力だということです。1999年の平和宣言でも述べましたが、被爆者はこのように、核兵器の使用を阻止する「抑止力」を持っているのです。

 坪井さんの遺志、多くの被爆者の遺志を実現するためには、これまでの努力を継続することは勿論ですが、それだけで十分なのでしょうか。坪井さんというリーダー亡き後の今、私たちは、やがては被爆者亡き後の世界においてどのような努力をすべきなのかを考える必要があるのではないでしょうか。

 「被爆者亡き後の世界」は長く続きます。(核兵器が人類を滅ぼさないという前提ですが――) 何世紀か何十世紀という長期にわたって、被爆体験を語り継ぐということはどんなことを指しているのでしょうか。人類史を振り返って、そんなことが行われてきた実例を参考にして、提案をしておきます。

 《広島・長崎講座のすすめ》

芸術的手段を使って被爆体験を伝えたり、ビデオや伝承者の力で被爆体験を未来に残したりするのは、「アナログ」的な努力です。それに加えて、「ディジタル」的な努力による伝承も取り入れるべきなのではないでしょうか。その候補の一つが、世界の大学で「広島・長崎講座」を開設することです。

 このような講座の内容としては、(1)被爆の実相と、「他の誰にもこんな思いをさせてはならない」という被爆者のメッセージの意味を学術的に整理・体系化して、(2)普遍性のある学問として、世界の大学で若い世代に伝える、ということが大切です。

 このような内容の大学レベルの努力が大切なのは、(A)被爆体験の「ディジタル化」によって、劣化しない伝達ができることと、(B)ホロコーストと同じレベルの理解が進むことを挙げておきましょう。

 ここで「ディジタル化」で表しているのは、ダビングで劣化しない、つまり、ユークリッド幾何学のように、世代を超えて同じ内容が伝わることです。ディジタル化の他に、例えば理論化、形式化、論理化、学問化、専門化、モデル化、数値化、思想化、科学化といった言葉でも良いのですが、何世紀という時を超えて伝えるためには、その準備が必要なのです。

  Photo_20211225171201

次に、「ホロコーストと同じレベル」の意味を説明しておきましょう。現在の世界で、「安全保障のために、我が国はナチス並みの強制収容所が必要だ」という国はありません。しかし、「安全保障のために、我が国は広島・長崎より強力な核兵器が必要」と言っている国は、核を保有している9か国もあるのです。これは、世界的に広島と長崎の体験が十分に理解されていない、一つの結果だとも考えられます。つまり、被爆の実相、被爆者のメッセージが、知的にも情緒的にもホロコーストと同じレベルで共有さていないからなのです。

 このような講座を開設している大学は、国内で50を超えていますし、海外でも20以上あります。今後も、より多くの大学に参加して貰い、質的にもホロコースト学を凌駕するレベルにまで成長して欲しいものです。

 [20211226日 イライザ]

 

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

 

2021年6月 6日 (日)

言葉の重みも検査しよう ――物の重みは正確に測られています――

言葉の重みも検査しよう

――物の重みは正確に測られています――

 

6月初め、ワクチンの集団接種所に行くと、正面にこんな看板が出ていました。「はかり検査場」です。

2_20210605211401

「ワクチン」と「はかり」とが結び付かず一瞬、戸惑いましたが、聞いてみると商取引や学校・病院等で使う秤(はかり)は、その正確さを定期的に検査することになっていて、ワクチン接種と同じ場所でその日、検査が行われているとのことでした。

物品の重さ、体重等を正確に測るための制度ができているのです。そのために、この場所には、検査に使う基準となる錘、つまりウエイトが準備されていました。

1_20210605211501

物体の重みが大切にされているのは良いことなのですが、このところ (と言うより、かなり長期にわたって) 蔑ろにされている政治家の言葉の重み、官僚の言葉の空虚さ・軽さについ思いが走ってしまいました。

その中でもコロナ対策についての菅内閣の言葉が一つ一つ引っ掛かりますし、対応も大問題なのですが、コロナだけでなく、コロナとオリンピックを重ねて見ると、何らかの発言がある度に耳を疑いたくなります。発言者は総理大臣初め、官房長官、オリンピック担当大臣、組織委員会会長、小池知事等々、ニュースで取り上げられる人ほぼ全てです。それが一日に何回も繰り返されるのですから、今の日本の状況を表す言葉は、「世紀末」や「末世」「乱世」、あるいはそれ以上のものにならざるを得ないように思えます。その他にも、「正気の沙汰ではない」。「狂気」という言葉は使わない方が良いらしいのですが、敢えて使えば「狂気の沙汰」の方が、現状をハッキリ表現しているかもしれません。

それは日本国内に限らず、IOCのバッハ会長や、コーツ氏、パウンド氏等の発言として、もっと端的に状況を表しています。それらについては、海外のマスコミをはじめ、多くの皆さんが批判をしていますので、それで十分かも知れません。でも私なりの感想を書き連ねておかないと精神衛生上、良くありませんので、この場で何点か披露させて下さい。

一つは、「菅総理大臣が反対しても、ハルマゲドンでも起こらない限りオリンピックは開催される」という趣旨の発言です。論理的に詰めると、仮に日本の総理大臣が「開催しない」と言ってもオリンピックを日本で開くためには、選手や関係者が日本に入国しなくてはなりません。総理大臣が、オリンピック開催はダメだと言った場合、当然、これらの人たちは日本に入国できないことになるはずなのですが、それにもかかわらず、日本で開く、その前提として、選手や関係者が日本に入国できるという主張は何を意味するのでしょうか。

それが可能なのは、例えば、日本がIOCの植民地であり、日本国民には主権がなく、IOCが日本国民を支配している、というような場合です。これって、ただ単に菅総理大臣に対する侮辱であるだけでなく、日本国民の主権を否定する重大発言です。この点からの「大抗議」が、日本国内から起きていないのは何故なのでしょうか。マスコミも、「主権侵害」だという点はあまり追及していないようなのですが、それで良いのでしょうか。

バッハ会長の「犠牲を払わないと、オリンピックはできない」という発言も、「犠牲」= 「主権の放棄」ということになるのです。そこまで言われたら、日本という独立国家の代表である総理大臣としては、「主権を放棄することはできない」と宣言してオリンピックを中止するくらいのことをしないと、次に同じようなことが起きた場合にも何もできないことになるのではないでしょうか。

次に取り上げたいのは、6月2日の衆議院厚生委員会での尾身会長発言です。要約すると、「このようなパンデミックという状況でオリンピックを開くなどということは、普通はあり得ない」になります。

これに対する田村厚労大臣の言葉は「自主的な研究の成果の発表ということだと思う。そういう形で受け止めさせていただく」です。

問題なのは、「自主的な研究」です。およそ学問の世界での研究は、学者個人の意思による「自主研究」でなくてはならないのです。そうではなく、例えば宗教的権威に従って自らの価値観を捨てては、学問・科学は成り立ちません。ガリレオ・ガリレイは17世紀の初頭に、ローマ法王庁の権威に逆らってまで、「自主研究」の成果が重要だと主張したのです。

その後の世界は、ガリレオ・ガリレイの立場に立つ科学を尊重してきたはずなのですが、現在の日本政府の科学観が田村大臣の言葉通りであるとすると、17世紀にまで後戻りしてしまったことになります。

それほど恥かしい言動が後世に残ることを承知の上で、何故オリンピックを強行したいのか、菅政権、そしてオリンピック組織委員会等、関係者には納得の行く説明をする責任があります。

しかし、同時に「専門家」の責任も問わなくてはなりません。昨年の4月11日から始めて、このブログで複数回にわたって指摘したように、昨年の安倍総理による全国一斉休校について、後出しではありますが、その正当性を「専門家」として認めたのですから。

この点については次回、より詳しく論じます。

 [2021/6/6 イライザ]

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

2021年5月19日 (水)

広島朝鮮初中高級学校の教育環境充実のためのクラウドファンディング

広島朝鮮初中高級学校に充実した教育環境を!実現するためのクラウドファンディングにご協力ください。

 

1946年4月16日に大竹の地で始まった広島朝鮮初中高級学校は、今年416日に創立75周年を迎えました。

2010年、すべての子どもたちに学ぶ権利を保障するために制定された「高校無償化制度」から2013年2月に朝鮮高級学校だけが除外されました。それを受けて、それまで支給されていた自治体からの助成金がストップしてしまいました。

授業料を値上げし、学校運営を図ってきましたが、コロナ禍にあっては保護者の負担も大きく、卒業生や支援者の方々からいただくサポートを受けてもなお、十分な学校運営を行うのが困難になってきています。

20210503

そのような中で、広島朝鮮初中高級学校に通う子どもたちは、未だに冷暖房設備のない教室で学んでいます。特に高級学校は、全国に10校ありますが、冷暖房設備がないのは広島だけです。

昨年は新型コロナウイルス感染症の防止対策で8月にも授業が行われたため、生徒たちがふらふらになりながら授業を受けたそうです。中には気分が悪くなった生徒もいました。年々暑さが厳しくなっていますから、冷暖房設備は、学校に欠かせない設備になっています。

そこで、「広島朝鮮初中高級学校創立記念行事実行委員会」と共同で、広島朝鮮初中高級学校の各教室に冷暖房設備設置を目標に、必要な約700万円のうち300万円をクラウドファンディングで集めることになりました。

「クラウドファンディング」は、多くの人たちの協力を得るため、門業者が立ち上げるインターネットサイトを通して、クレジット決済もしくは郵便振込で募金を呼びかける方法です。このクラウドファンディングは、5月7日(金)に開始し、6月30日(水)まで行います。

今年の夏までに冷暖房設備を設置し、教育環境を充実させ、広島朝鮮初中高級学校で学ぶ子どもたちの命を守るためにも、ご協力くださいますようお願いいたします。

20210514

具体的な方法は下記のとおりです。

―――――――――――――――――――――――――――――――

READYFORのホームページ https://readyfor.jp/projects/62736

から必要事項をご記入ください。(なお、必要事項の入力方法は「広島朝鮮初中高級学校に充実した教育環境を!ヒロシマキャンペーン」のFACEBOOKページに掲載しています。)

 

インターネットからが困難な方は、下記の口座に振り込んでください。

広島朝鮮初中高級学校に充実した教育環境を!ヒロシマキャンペーン 振込口座

ゆうちょ銀行 記号 15100 番号 56408631

(他行からの振り込まれる場合 店番 五一八(ゴイチハチ) 普通 5640863)

名義 広島朝鮮初中高級学校創立記念行事実行委員会 

 

「広島朝鮮初中高級学校に充実した教育環境を!ヒロシマキャンペーン」の呼びかけ人代表は、次の四人です。 

呼びかけ人代表

 佐古正明(広島県平和運動センター議長)

  足立修一(広島無償化裁判弁護団長)

  金子哲夫(日朝友好広島県民の会会員・元衆議院議員)

  村上 敏(民族教育の未来を考える・ネットワーク広島代表) 

 

不明な点の問い合わせは次のとおりです。082-261-0028 yakudou75.hiroshima@gmail.com

―――――――――――――――――――――――――――――――――

いのちとうとし

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2021年4月 1日 (木)

完全に舐められている私たち (2) ――東電からも官僚からも――

 

完全に舐められている私たち (2)

――東電からも官僚からも――

 

「完全に舐められている」シリーズを続けようと思うと、その実例が毎日、「これでもか、これでもか」と現れますので、完結することはなくなってしまうような気がします。そうならないように、私たち主権者が責任を果さなくてはなりませんが、その結果が早く出ることを祈りつつ、今回は東電と厚労省の官僚を取り上げます。

 東電の柏原刈羽発電所の不祥事についてのマスコミ報道は、抑制の利いた表現で感心したのですが、これは皮肉です。これほどの不祥事を伝えるのに抑制を利かしてはいけないのです。

 言うまでもありませんが、原発と原爆は同じ原理でエネルギーを発生させます。原爆は、核分裂によって生じるエネルギーをそのまま放出させるのですから、技術的にはそれほど難しいことではありません。事実40年ほど前にも、プリンストン大学の学部4年生の書いた設計図が、「軍事秘密」だという理由で没収されるという事件がありました。物理学の専攻とは言え、そのレベルの勉強でできるということです。

Photo_20210331214001

それに対して原発は、同じ原理で発生するエネルギーを、原爆のように瞬間的に放出するのではなく、お湯を沸かせるくらいの低レベルで何時間も何日も続けさせるという技術なのです。複雑な装置が必要なのですが、問題は、この装置のどこかが上手く作動しないと、原爆の爆発にすぐつながってしまうという点です。そして、どの段階でも毒性の強い放射線が発生していることなのです。

 そんな装置がテロの対象になれば、核兵器で攻撃されるのと同等のあるいはそれ以上の被害を受けることはお分り頂けると思います。

 324日付の『東洋経済電子版』によると、

 「テロリストなど外部からの不審者の侵入を検知するための設備の複数が故障したまま、十分な対策が講じられずに放置されていたことがわかった。

 原子力規制庁の検査を機に、20203月以降、16カ所で設備が故障していたことが判明。そのうち10カ所では機能喪失をカバーする代替措置が不十分な状態が30日以上続いていた。」

 それだけではなく、原発の頭脳ともいえる中央制御室に、他人のIDを使って侵入した職員 (Aと呼びましょう) がいたことも報じられています。『新潟日報』の電子版によると、この職員Aは、他の職員のロッカーからIDを盗み出し、中央制御室に入ったようなのですが、入るまでに二回も警備の職員に怪しまれています。IDの写真とAの顔が一致しなかったからです。でも警備員は、そのままAを通過させています。しかも、二度目のときには、IDに掲載されていた電子情報まで書き換えさせていたということなのです。IDは、また元のロッカーに返されたとのことです。

 それが分ったのは、IDを盗まれた本人がそのことを知らずに職場に入ろうとして、認証の失敗が何度かあって「おかしい」ということでIDをチェックして貰い、記載情報が書き換えられていたため、認証されなかったことが分かったという報道内容です。

Aという職員も問題ですが、Aを見抜けず簡単に通してしまった警備システムそのものが、もう完全にアウトです。それも昨日今日始まったことではないでしょう。そんなセキュリティー・システムで今まで良く大事件が起きなかったのか不思議です。日本という国は善人ばかりが住んでいるのでしょうか。

そして仮に、このAが、日本に強い敵意を持つどこかの国のスパイだったとすると飛んでもないことになっていたはずですね。中央制御室からの操作で原発そのものを止めることもできるのですから、これはお分り頂けるでしょう。それだけの事件なのですから、抑制を利かせるのではなく、「もし」という仮定で警告を発しても良かったのではないでしょうか。

 ことによると、そんなことをすると、本物のスパイがこの不祥事に目を付けて、それこそとんでもない結果になるのを心配したのかもしれません。でも、手遅れです。この事件のもう一つ大きな「効果」は、日本の原発が本物のスパイにとって、いかに容易く侵入できる施設であるのかを、大々的に宣伝してしまったことです。

 それに対抗できるセキュリティー・システムを構築するのは、並大抵の努力では叶わない仕事です。福島の原発事故では、「自然」のせいにして、主要幹部の責任はないと公然と宣言しているくらいなのですから、今回も「悪いのは一人の職員」、事実上「更迭」しましたから、それで終わりでしょう、といった幕引きになるかもしれません。

 そんなシナリオが頭に浮かぶのは、厚労省の職員への「懲戒処分」と関連があるのですが、それは次の機会に。

 [2021/4/1 イライザ]

[お願い]

この文章の下の《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

 

2021年1月 4日 (月)

「2021年度ヒロシマ平和カレンダー」完成に寄せて

2020年10月、被爆者の切明千枝子さんの体験談を聞いた。「かつて広島の人は『軍都』と呼ばれることに誇りを持っていた」「戦争は加害と被害が表裏一体だ。広島ではつい『被爆地』ということに意識がいき、『軍都』としての加害の歴史が忘れられる。加害の歴史を知って、平和について考えていってほしい」との言葉が今も心に響いている。

2021年度ヒロシマ平和カレンダーは、「軍都だった廣島 軍事都市から平和を祈る街へ」とのテーマで制作された。今回で40作目となるが、正面から「加害」の歴史を扱ったのはおそらく初めてとなる。戦場へ赴く数多くの兵士を見送った宇品港に始まり、「大本営」が置かれていた広島城、大久野島、そして安野発電所等と続く。日本のアジアへの侵略を示す地図も掲載されている。

Photo_20210102141901

2021年度ヒロシマ平和カレンダー

「軍都だった廣島 軍事都市から平和を祈る街へ」

宇品港、広島城、大久野島、安野発電所、韓国・朝鮮人の原爆犠牲、似島、被服支廠等をテーマに作成

http://www.hipe.jp/

「正しく」歴史を学ぶことは必要である。そのことは過去の失敗に学び、それを教訓としてよりよい未来を創っていくために欠かすことのできない営みである。学校現場等で「平和」を考える時、とかく「被爆地」ヒロシマに焦点化したものとなっているように思う。しかし、ヒロシマは194586日を起点にするのではなく、その50年近く前に遡って考えていかなければ正しい歴史を学んだことにはならない。

広島に住む人々の意思に関係なく、為政者により「軍都・廣島」が形づくられていく。日清戦争では「大本営」が置かれ明治天皇が一時住んでいたこともあった。そうして、廣島はアジアを植民地として獲得するための拠点となっていった。町の至る所に軍需工場が立ち並んでもいた。このような歴史の上に86日を迎えたのだ。まさに、加害と被害が折り重なり合っていた歴史がそこにある。加害と被害は必ず根底において結びついている。どちらか一方だけを知るだけでは、一面的なものになる。ヒロシマの歴史について正しく多角的に学ぶことを忘れてはならない。

また、平和について人権の視点から考えると、他者の人権をないがしろにすると、自分たちの人権も同じように踏みにじられることにつながることがあると、ヒロシマの教訓から学ぶことができる。戦争は、人権を完全に否定する。改めて日常的にどれほど人権を大切なものとして考えているか問い直したい。自分の人権はもちろん、近くにいる他者の人権が侵害されている時に、「おかしい」と感じられているだろうか。空気のように当たり前にある人権がないと困ると意識できているだろうか。一人ひとりが人権意識を高めていくことこそが平和な社会を構築していくことに必ず繋がると思う。

切明さんは、「加害の歴史を知らずに、被爆して多大な被害を受けたと語っても空しいだけ」とも述べている。平和な社会は世界の人々とともにつくりあげていくものである。そうであるならば、加害の歴史をしっかり腹に据えて世界の人々、とりわけアジアの人々と向き合わなければならないだろう。

数年前のある教育研究集会で、日本の加害の歴史にスポットを当てた平和教育の実践が発表されていた。それは、15歳で毒ガス製造に携わった藤本安馬さんが、戦後は自らが加害者であることに心を痛め、謝罪の旅を続けるということを扱ったものだった。藤本さんの謝罪に対し、中国の方は、「あなたに会えて良かった。戦争はみんなを不幸にします。二つの国が仲良くなり、平和な世界ができるよう力を合わせましょう」と語った。藤本さんが加害の歴史から目をそらすことなく謝罪の旅を続ける姿に、子どもたちは心を打たれ大切なことを学んだはずだ。

最後にもう一度、切明さんの言葉を引用する。「黙ってじっと座っていても、平和は向こうからやって来てはくれない。一生懸命たぐり寄せて、つかんで、守っていかねばならない」……被爆地として核廃絶を声高に叫ぶことはもちろんだが、同時に「軍都」として栄えた悔恨の歴史を忘れることなく、人権がないがしろにされ、経済や社会において軍事化にひた走る今の世の中について、私たちは警鐘を鳴らし続けなければならない。そのことが、これからの日本を担い、平和な未来をつくる自分たちに託された使命ではないだろうか。

<未来の空>

〈編集者注〉この原稿は、昨年末に送っていただいたのですが、「平和カレンダー」は、毎年4月1日から始まりますので、今日掲載しました。

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2020年12月11日 (金)

新型コロナ対策への不信感 ――まず東京都は、「実態」に即した「重症者」数を発表すべき――

新型コロナ対策への不信感

――まず東京都は、「実態」に即した「重症者」数を発表すべき――

 

コロナ対策についての国や自治体の対応、そしてそれを報道するマスコミの対応が元で、かなりの混乱が生じています。多くの人が戸惑い、不安も増え、同時に、無知や傲慢さも広がっているようです。

国民の生命と生活に責任を持つことが憲法で決められている政府が、しっかりとその責任を果さなくてはならないことは言うまでもありません。しかし、出発点はやはり科学的事実です。

それを元に、マスコミも一緒になって、その事実を誰にでも分るように整理して説明することで、ほとんどの人が納得した上で国や自治体の対応に協力する態勢ができるのではないかと思います。

しかし、「誰にでも分る」の対極にあるような伝達の仕方や報道の仕方が目立ちます。今回はその一つを取り上げた上で、是非改善して欲しいというメッセージを皆さんとともに送りたいと思います。

《重症者数》

それは、東京都による「重症者数」の発表数です。まずは東京都による定義から始めます。

厚労省の定義では、①人工呼吸器装着②人工心肺装置(ECMO)の使用③集中治療室(ICU)などに入室――のいずれかに当てはまる患者を「重症者」としてカウントし報告するよう各自治体に求めています。この数字が大切な理由の一つは、重症化した患者の病状がさらに悪化して死に至るケースが多いからです。

 もう一つの理由として、重症者は治療が長期化しやすい上、医療機関の負荷につながることが挙げられます。重症者が急増すると、ベッドや治療器具、人手が足りなくなり、コロナ患者だけではなく必要な人に治療が行き渡らない「医療崩壊」につながり兼ねません。そうなる前に手を打たなくてはなりませんので、この数値には注目しなくてはならないのです。

 しかしながら、東京都は「適切に実態を把握するにはICU患者を含めない方がよい」との専門家の指摘を受け、都のホームページなどで公表する際は人工呼吸器かエクモを使用している患者に限定しています。

ここで問題になるのは、「実態」とは何を指すのかという点です。ここ数日、医師会も、現場の医師たちも警鐘を鳴らし、マスコミがこぞって報道しているのが「医療崩壊」です。そこに近付いていることが続けて報じられています。それは、コロナ患者の治療のための病床数と医療従事者数が足りなくなることを指します。薬剤や機材、その他の問題もありますが、議論を分り易くするために、ベッド数と医師や看護師の数ということに的を絞ります。

《医療崩壊》

しかも、「医療崩壊」の中で、強調されてきたのが、コロナ以外の病気に対する医療が適切に提供されているのかという点です。たとえば、救急車で運ばれて来た人が、ベッドのないことを理由に、あるいは看護師が足りないために、受け入れや治療を拒否されることが起り得るのです。さらに、通常なら余裕をもって行われる手術ができなくなり、その結果、助かる命まで助からなくなるという可能性です。

 026

コロナ患者の場合でも、重くなればICUでの治療を受けることになる場合もありますし、その他の一般の患者さんの場合でも、急性あるいは重篤な場合にはICU1での治療が大切になります。つまり、一般病棟の中でもある程度余裕をもって治療を受ければ心配のない患者さんたちよりは、優先度の高いケアの必要な人たちのためにICUはあるのだと考えて良いでしょう。

そして、コロナ患者の数が多くなり、「医療崩壊」を心配しなくてはならないという時、このICUのベッド数が足りなくなりつつあることも意味しているはずです。ICUで受け入れられる患者数に余裕があるのなら、問題のあるケースはICUで引き受けるという選択肢が残されますので、それは「医療崩壊」と呼ばれる状態ではないはずだからです。

事実、コロナ以前に比べて、ICUのベッドでコロナ患者が治療を受けている数だけ、そのため患者が利用できるICUのベッド数は減っています。つまり、コロナ以外の一般患者への「しわ寄せ」があるのです。そして、「医療崩壊」が問題にされる状態とは、その「しわ寄せ」分が、一般患者のICU利用に深刻な影響を与えているという事実を指しているのです。

となると、「医療崩壊」の実態を私たちが正確に理解するためには、この「しわ寄せ」の実数を知ることがどうしても必要です。

ICUを含めると本当の重症者数は5倍》

純粋に、「医学研究論文を書く」という立場からは、「重症」の定義が違っていることもあり得るでしょう。しかし、コロナについての私たち普通の市民や庶民が、「医療崩壊」という現実を理解するためには、ICUで治療を受けているコロナ患者の数を知ることも、必要不可欠であることを御理解頂けたでしょうか。

ちょっと古い数字になりますが、『日刊ゲンダイ』の報道では、11月18日の、東京都発表の「重症者」数は、39人です。しかし、厚労省が規定した「重症者」を数えると、196人なのです。約5倍です。その差は、ICUに入っている人が含まれているかどうかなのです。それも一週間後には、250人に増えています。

日常的に、二桁台の少ない数字を見せられ、それに染められている人たちの危機感が影響を受けていたとしても不思議ではありません。

その他、まだまだ問題はありますが、次の機会に改めて論じます。

[2020/12/11 イライザ]

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

 

 

2020年11月26日 (木)

子どもたちにこそワークルールを学ぶ機会を!

11月23日、ワークピア広島で「ワークルール検定2020・秋(初級)」を受検しました。

1_20201125172201

このワークルール検定とは、働くときに必要な法律や決まりを身につけられる検定制度で、一般社団法人 日本ワークルール検定協会が主催しています。

自分自身、これまで働くことに関するルールやそのルールを実現するためのさまざまな仕組みなどについて、十分学習しているとは言えない状況でした。ワークルール検定があることを知ったとき、これを機に学習してみようと思い受検することにしました。

まず、ワークルール検定のホームページを開いて、「初級検定の問題を解いてみよう」にある問題に挑戦しました。結果は半分しか正答することができず、検定の合格ライン70%には程遠い状況でした。

早速、通販サイトを利用して、日本ワークルール検定協会が編集している「初級テキスト」と「問題集」を購入し、学習を始めました。「初級テキスト」は、労働法総論、労働契約、賃金、労働時間・休憩・休日・休暇、雇用終了、労働組合法から構成されており、ポイントになりそうな箇所にマーカーを引くなどしながら繰り返し読んでいきました。

受検日が近づいてきたので、「問題集」に挑戦しました。全154問中108問正解、率にして70.1%。「このままでは合格はまずできない」という危機感をもって、ラストスパートをかけました。ただ、自分が苦手とするジャンルの問題には、再挑戦してもまちがえるということが何度もありました。

こうした不安を抱えながら、受検日を迎えました。さて、手ごたえは…。来月の発表をひそかに待ちたいと思います。

 2_20201125172301

現在、広島県の教育現場では、キャリア教育は推進されていますが、ワークルールについて学習する機会がほとんどないのではないでしょうか。

近年、「ブラックバイト」や「ブラック企業」が問題になっています。使用者がワークルールを遵守することは言うまでもありませんが、将来労働者として社会に出ていく子どもたちにこそ、小学校・中学校・高等学校と段階に応じたワークルールを学んでほしいということを、今回ワークルールを学習しながら強く感じました。

(まるちゃん)

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2020年11月 1日 (日)

憲法を、文字通り、素直に読んでみませんか ――『数学書として憲法を読む』で伝えたかったこと――

憲法を、文字通り、素直に読んでみませんか

――『数学書として憲法を読む』で伝えたかったこと――

 

 このブログで10月1日に問題提起したのは、日本の子どもたちの多くが、「国に対する責任を持ちたくない」というよりは、「自分が何をしても社会は変らない」と諦めてしまっているのではないかということでした。9月27日のエントリー「ドイツから見た日本の内閣」中、ドイツ在住の福本まさおさんによる問題提起に、私なりの視点で答えてみたかったからです。

それは、『法学セミナー』9月号に「論説」として掲載して貰った拙稿の一部を引用したものでしたが、是非その全体をお読み頂きたく、今回は論説の最初の約3分の1だけ引用しました。

 **************************************

『法学セミナー』2020年9月号62ページから69ページまでの内、64ページまで。

  1. はしがき

読者の皆さんは、物心ついて初めて憲法を読んだときの感動を覚えていらっしゃるだろうか。その気持ちは皆さんが成長するにつれどう変化していったのだろうか。筆者はそんな思いに駆られて、もう一度初心に戻って憲法を読んでみたらどうなるだろうと考えるようになった。その結果、2019年7月に、法政大学出版局から『数学書として憲法を読む--前広島市長の憲法・天皇論』 (以下、『数学書』という) を上梓した。

実は、この本を書くに至ったのには40年ほど前のアメリカでの経験も関係している。その経緯は、『数学書』の冒頭で説明した通りだが、本稿では、そこでは明示的には表せなかった、ことによるとそれ以上に大切な問題提起をしたい。

まず、「数学書として憲法を読む」とはどのような読み方なのかについては、次述2で説明するが、簡単には、「字義通り素直に、論理的に読む」と言って良いだろう。問題は、そのように憲法を読んだ結果、結論のいくつかが、裁判所の判決、そして通説・定説 (「通定説」という) とは矛盾していたことである。そもそも矛盾のあることも問題なのだが、本稿では、この矛盾の持つ意味や社会的影響等が、看過できないくらい深刻であることにも注意を喚起したい。

  1. 「数学書として憲法を読む」とは

通常、専門家ではない一般市民が憲法を読む際には、憲法の文言通り、字義通り、素直に条文を読むことになる。『数学書』では、その延長線上で、憲法の条文を数学における「公理」(*)と見立てた上で読む試みを行った。本来の公理系は「何の矛盾も存在しない文書」を指すが、憲法内には矛盾が存在する。「論理性」という面では完璧とは言えない文書である憲法を、できるだけ「論理的」に読むためのルールを「律」としてまとめた。その全体を、語呂の良さから「九大律」と呼ぶ。以下を御覧頂きたい。

  • [正文律] 対象とする日本国憲法の正文は日本語とする。
  • [素読律] 書かれていることを字義通り素直に読む。定義される順序も必要に応じて尊重する。
  • [一意律] 一つの単語、フレーズは、憲法の中では同じ意味を持つと仮定する。
  • [公理律] 憲法を「公理」の集合として扱う。
  • [論理律] 憲法解釈は論理的に行う。法律やそれに準ずるものは、公理からの論理的帰結であると位置付け、論理的に考えて憲法と整合性があるかどうかの判断をする。
  • [無矛盾律] 条文間には矛盾がないという前提で読み、解釈を行う。
  • [矛盾解消律] とは言っても現実問題として、憲法内には文言上、一見、矛盾している記述が存在する。条文間の矛盾や使われている概念間の矛盾について、「論理的」で憲法の趣旨が生きるような、かつ出来るだけ無理のないしかも説得力のある解釈を探し、可能であれば「矛盾」を解消する。最低限、「矛盾度」が低くなるように読む。
  • [自己完結律] 憲法は、基本的には自己完結的な文書であると仮定する。つまり、書かれていることにはすべて意味があると仮定し、書かれていないことには依存しない。また、立法趣旨等も条文に掲げられていないものは無視する。
  • [常識律] 定義されていない言葉や概念が使われている場合は、日本語の常識で解釈する。それもできるだけ自然な解釈による。

本稿では公理として読むこと自体を中心的テーマとしてはいないので、(4)の「公理律」と (8)の「自己完結律」は適用しない。この読み方を、『数学書』64ページの「abuse of language」によって、「論理的に憲法を読む」あるいは「論理的に読む」と呼ぶ。

以下、憲法の条文のいくつかについて、字義通りの解釈と、裁判所の判決や通定説とでは正反対の解釈になっている例を示す。憲法では「○○は××である」と述べているのに判決や通定説等では「○○は××ではない」と解釈する場合である。これを「憲法マジック」と呼ぶ。

(*)ユークリッド幾何学の公理が有名だが、例えば、「公理5  直線外の一点を通り、その直線に平行な直線は一本だけである」がその一つである。

  1. 置換禁止律

憲法を「論理的に読む」上で、最初に確認しておきたいのは、条文中の個々の字句は、そのまま読まなくてはならないことだ。これは、数学の等式で考えると分り易い。[1+1=2]という式の中で、[1]を勝手に[3]と変えたり読んだりしてはいけないのである。当り前のことなのだが、重要なルールなのでその点から確認しておく。

また数学では、対象を定めることも重要である。念のため、ここで対象にしているのは、日本国憲法である。それは、国会の議を経て、1946年11月3日に公布、1947年5月3日に施行された、我が国の最高法規を指す。物理的には、どの六法全書にも記されている、日本語によって書かれた文書である。

その中の特定の字句は憲法という存在の必要不可欠な構成要素であり、それを物理的に変更することは許されない。たとえば、「国民」という字句を「臣民」という字句に訂正することは当然、許されない。これは誰にでも賛成して貰える初歩的なルールのはずである。これを、「置換禁止律」と呼ぶことにする。

次に確認しておきたいのは、字句は変えずにその意味を変える読み方である。意味を変えるということは、「論理的」には、その字句を変えることと同じだからである。たとえば11条で使われている「永久の権利」の「永久」の意味を、「長期にわたって」と変えることは許されない。それでは意味が違ってしまうからだ。

加えて、死刑についての考察 (⇨後述6) で明らかにするが、字句の意味から論理的に帰結される結論も同じように変更は許されず、そのまま受け入れなくてはならない。これらの変更も、「abuse of language」によって、「置き換え」に含まれると考える。

大切なのは、これらの「置き換え」を許すことは、「尊重する」という99条の規定に反するという事実であり、かつ98条によって憲法が「最高法規」であることにも反する。「最高法規」として認められているのは、どの六法全書にも収められている日本国憲法である。それとは異なったもの (その中の字句を変更したもの) がそれと全く同一のものではあり得ない。かつ置き換えられたものまで「最高法規」であると主張することは、「最高法規」が二つになってしまい、理屈にもならないからだ。

念のため付け加えておくが、厳密に考えると、字句の変更はもちろんのこと、字句はそのままであってもその意味を変更するということは、憲法改正に当る。となると、その変更を行うためには、96条の改正手続きに従わなくてはならない。その手続きを経ずに変更を行おうとするのであれば、最低限、96条に依らない「改正」の正当性を、しっかりした根拠とともに示す必要がある。

  1. 憲法遵守「義務」を「道徳的要請」に置き換えて良いのか

以上の準備の下、これまで見過ごされ勝ちだった「憲法マジック」を考える。99条の解釈である。憲法全体を律する条文の解釈が「置換禁止律」違反を犯しており、憲法の存在そのものに関わる最大の問題点の一つである。まず条文を掲げる。

第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

「尊重し擁護する義務を負ふ」のだから、これは「義務」以外の何物でもあり得ない。しかし、1977年2月17日に水戸地方裁判所が百里基地訴訟の第一審で下した判決では、99条について「憲法遵守・擁護義務を明示しているのであるが、この公務員に対する憲法への忠誠と護憲の要請は、道義的な要請であり、倫理的性格を有するにとどまる」と述べ、法的義務ではないことを明確に示している。(水戸地判昭52・2・17判時842-22頁)。また、1981年7月7日には東京高等裁判所が同訴訟の控訴審の判決で、99条は「憲法を尊重し擁護すべき旨を宣明したにすぎない」との判断を述べた後、「本条の定める公務員の義務は、いわば、倫理的な性格のものであって、この義務に違反したからといって、直ちに本条により法的制裁が加えられたり、当該公務員のした個々の行為が無効になるわけのものではな」い、と倫理性を強調している。(東京高判昭56・7・7判時1004-3頁)

Photo_20201031230501

つまり、意味の上で、「義務」という字句を「道義的要請」という字句に置き換えており、これは「置換禁止律」違反である。

最高裁の判決は先例拘束性を持つと理解されているが、仮に上記の東京高裁の判決にはその力がないとしても、このような「先例」を参照しつつ、99条に依拠して公務員の憲法遵守義務違反の訴訟が受け付けられない状況があったとしてもおかしくはない。その意味でも、東京高裁判決の意味は大きい。

さらに、両判決では、条文の「義務」を「道徳的要請」に置き換えて読むべきだという十分な論理的根拠が示されていない点が問題である。

「根拠」として読めなくはない一節はある。東京高裁の判決の、「国家の公権力を行使するものが憲法を遵守して国政を行うべきことは、当然の要請であるから、本条の定める公務員の義務はいわば、倫理的な性格のものであつて」という下りだ。仮に前半が「根拠」だとすると、論理的には理解不能になってしまう。

それは次のような理由からだ。常識では公務員には遵守義務がある、それゆえ、我が国の法律体系の「最高法規」である憲法では、「倫理的性格のもの」になる、という因果関係は、筆者には理解不可能だからだ。

加えて、もしこの理屈が正当であるのなら、主語は国民、動詞は納税する、に置き換えることで、「主権者たる国民が税金を納付すべきことは、当然の要請であるから、本条の定める国民の義務はいわば倫理的性格のものであって」となり、30条の納税の義務は、倫理的な性格のものになってしまう。

以下、次回をお楽しみに!

[2020/11/1 イライザ]

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2020年10月21日 (水)

「今でしょ!」・その2 ――「SUGA」政権は「本気」――

「今でしょ!」・その2

――「SUGA」政権は「本気」――

 

学術会議の会員任命拒否という暴挙についての考察を始めましたが、前回はその動機を取り上げました。今回はその続きで、菅政権が「本気」で言論弾圧に取り組んでいることを俎上に載せます。少し長くなりますが、お付き合い下さい。

前回は、菅政権が学術会議いじめを端緒に言論弾圧に乗り出した二つの「動機」を例示しました。今回は、菅政権が、言論弾圧に「本気」で取り組んでいることを、荒っぽい証拠になりはしますが、証拠とともに明らかにしたいと思います。

まず、前回示した動機の内の②、つまり、防衛装備庁が軍事研究を強力に推進するために「安全保障技術研究推進制度」を作ったにも関わらず、その制度に反対した学術会議への対抗策として、菅政権があからさまに言論弾圧を始めた辺りを中心に振り返りましょう。

① 最初はお金です。理工科系の研究にはお金が掛ります。(数学の一部など、例外はあります。) バブル時代は例外だったのかもしれませんが、研究補助費は限られています。「二番目では駄目なのか」という蓮舫議員の言葉が有名になりましたが、二番目から一番目になるためには、通常、とてつもない資金が必要になるのです。

  いや、それ以前の問題として、研究費そのものが危機的状況にあるのです。文科省が作成した、このグラフを御覧下さい。

Photo_20201020212101

政府負担がほぼ横ばい状態なのです。そんな中、前回指摘したように防衛装備庁が大学の研究者たちに、「軍事研究をすれば資金は潤沢にありますよ」、と呼び掛ければ結果は火を見るより明らかです。

➁ 憲法9条改正や軍事研究に反対する日本学術会議の存在がハッキリ射程に入ったのは、前回も指摘したように2017年に同会議が「軍事研究反対声明」をまとめて、いわば「全研究者」を代表して政府の方針に盾を突いた時でした。

  その直後の秋、当時の大西隆会長は、新たに選任される105名の名簿を事前に政府側に説明するよう求められ、それに従ったとのことです。これは、学術会議法第三条、すなわち「第三条  日本学術会議は、独立して左の職務を行う」ならびに第七条、「2  会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」、そしてそれらが依拠する憲法23条、「学問の自由は、これを保障する」違反です。

  当然、この時点で学術会議会長は事実を公開して、国民的問題として政府に対峙すべきだったのですが、なぜかそのような行動にはつながりませんでした。結果として、政府がこれらの法的枠組みを無視し続け、有名無実にする土壌を提供してしまったのではないでしょうか。

③ 任命の対象となる学術会議推薦名簿の事前提出がすんなりできてしまったのですから、権力側の次の一手は、実際に任命「権」を行使して学術会議のメンバーを選び、権力支配を徹底させることになります。しかし、その前に、それなりの批判があることを前提に、次の「内部文書」

ダウンロード - e5ada6e8a193e4bc9ae8adb0e381abe381a4e38184e381a6e381aee58685e983a8e69687e69bb8.pdf

を内閣府が作りました。2018年です。学術会議法の7条が、名実ともに総理大臣の任命権を正当化しているという内容です。学問の自由や学術会議の独立性を蔑ろにしていることも大問題ですが、こうした原理・原則が民主主義を続けるため、いや人類の生存を確実にするために必要不可欠であることへの配慮などは微塵も感じられません。しかし、「権力者の言い分は正しい」という命題に忠実に従う姿勢は歴然としています。

  その内容は論理的に破綻しているのですが、それは問題ではありません。文書のあることが重要ですし、後で触れますが、菅総理大臣の意志を貫くための道具として立派に役立つからです。

④ 今回の、6名を任命拒否するという暴挙は、こうした準備を整えつつ、機の熟するのを狙っていた菅総理が、その機が来たと判断した上でのことだと考えるのが自然でしょう。

④ 人事だけに絞って学術会議を屈服させるというのも一つのやり方ですが、菅政権は学術会議の組織・資金・そして存在そのものの見直しまで同時進行させています。それも、「ブラックな霞が関をホワイトにする」という謳い文句の「行政改革」の一環としての見直しなのです。もちろん、それには目的があります。私たちの守備範囲が増えますし、言葉による対抗策に頼る私たちにとって、より多くの文字数が必要になるため、悪くすると焦点がぼやけてしまって、大きな対抗勢力をまとめることが難しくなる可能性が大きいからです。

 という具合に進行しているのですが、正に用意周到、マスコミを操作し世論も誘導しながら「学術」などという言葉とは縁の遠い多くの市民の無関心さに乗じているのです。ジョージ・オーウエルの『1984年』に描かれた世界実現を目指していてもおかしくはありません。

Orwell03big-brother

「ビッグ・ブラザー」が実現してしまえば、かつてのナチスのように、勝手気儘な施策を展開すれば良いのですが、現在はそこにまでは至っていませんので、それなりの説明が求められ、受け答えをしなくてはなりません。菅総理は「総合的、俯瞰的」視点からという説明しかしていないのですが、これでは何の答にもなっていない上に、仮に、このような表現に意味があるとすると、拒絶された6人が実際に任命されると「総合的、俯瞰的」という条件が満たされなくなることを示さなくてはなりません。

しかし、そのような論理的な議論をする積りは全くないのが、現政権そして前の安倍政権の特徴です。それは、論理的な議論をしようとする相手に対する「必勝法」が存在するからなのです。詳しくは、野崎昭弘先生の名著『詭弁論理学』(中公新書) をお読み頂きたいのですが、それは「強弁です」。とにかく自分の言い分を、相手を無視してでも言い続けることに尽きるのです。つまり、「黒は白だ」と言い続ければ、最後には「合理性」を掲げる相手であっても (いや、「だからこそ」と続けた方がより良い説明だと思いますが―――) 屈服させることができるのです。

そして、「言い続ける」言葉として「空集合」を選べば、それは何も言わないことになります。ずっと答弁を拒否するのも、「強弁」の一形態なのです。

 それも含めて、内閣府の作った「内部文書」を根拠に、「総理には任命権がある」と言い続ければ政権側が勝つのです。時間が稼げれば、アメリカ大統領選挙があり、コロナの状況も変わるでしょう。実際に開催されるかどうかはまだ不確定ではも、東京オリンピックも大きな話題です。そして来年の今頃は衆議院選挙一色になるでしょう。マスコミ的には「学術会議」の旬は過ぎ去っているでしょう。さらに、時間が経過することで「任命拒否」は既成事実になって行きます。3年経てば、任期が6年であるにせよ、その前の任期の会員たちの任命についての是非が問題視されるかどうか、心許ない状況になるでしょう。

しかし、それだけではないのです。「強弁」という手法は、目の前にいる相手には通用するのですが、マスコミを通して、より多くの「大衆」を騙すためには他の方法も必要になります。それは、多くのコマーシャルで使われているように、「イメージ」を通して、言葉を超えたメッセージを伝えることです。

そのために菅政権が使っている「イメージ」はかなり巧妙です。今、行政改革の目玉として大宣伝を行っているのは、ハンコの追放です。「面倒臭いハンコや、押印は止めましょう」に賛成する市民は圧倒的多数でしょう。そのイメージが「行政改革」なのですから、それと「学術会議」をだぶらせて世論操作をすれば、その効果は言うまでもないでしょう。「面倒臭い、無用の長物である学術会議などいりません。ハンコと同じです。」と言われて、内容も分らないまま、賛成する人が増える結果になってしまう可能性があるのです。

押印が日常的に要求されている社会は沢山あります。しかし、学問の自由や表現の自由が蔑ろにされる社会は、人類史上でようやく私たちの自体、あるいはそれに使い的に勝ち取ることのできた貴重な存在です。それを混同させることで、基本的人権を制限しようとする権力側の意図を見抜かなくてはなりません。

実際には、学術会議を廃止するのではなく、「罪一等を減じて」存続は許すが、規模を縮小して経費を削り、人員も減らした上で、「専門家会議」と同じように政権の忖度に終始する組織に衣替えさせるくらいの狡さは当然、持ち合わせているでしょう。「醜い」知恵だとしか考えられませんが、そんな目標を達成しようとしている「SUGA」内閣とは、「Super UGly Administration」 (訳は、「超醜い政権」) の略だと考えるのが相応しいように思えるのですが、如何でしょうか。

こうした動きに対して私たちのできることは何なのでしょうか。学術会議を「忖度会議」にまで劣化させないためにも、「憲法23条 学問の自由は、これを保障する」や「第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」の意味をもう一度噛み締めて、理解を深め、その理解をより多くの人たちに広げる努力をする必要があるのでないかと思います。

そんな努力の意味を、ナチスの犠牲になり、『1984年』を自ら体験したドイツの哲学者、ノーマン・ニーメラーは、次のような詩に託しています。

 

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義者ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

 

そうです。任命拒否された6人の一人ではなくても、学者ではなくても、学問とは縁がないと思っていても、政治に興味がなくても、一人では何もできないと思っていても、行動するのは「今」なのです。

[2020/10/21 イライザ]

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ

 

2020年10月11日 (日)

「今でしょ!」・その1 ――言論弾圧の動機――

「今でしょ!」・その1

――言論弾圧の動機――

 

  『法学セミナー』に掲載された拙稿の紹介を続ける予定でしたが、緊急な「事件」が発生しました。拙稿紹介は先送りして、基本的人権の中でも重要な、表現の自由、学問・研究の自由に対する菅政権の「弾圧」に、「今」、私たちが立ち上らないと手遅れになることをアピールします。

 皆さんも御存知のように、問題は日本学術会議の会員105名の推薦名簿から6名が名指しで、「任命拒否」されたことです。それが「言論弾圧」であり、「学問の自由」や「表現の自由」の蹂躙であるとは考えられない方もいらっしゃるかもしれませんが、最後までお読み下さい。事態の深刻さを理解して頂けるはずです。

 とは言え、以下説明する菅政権の策略を支える柱一つ一つについて、誰にも納得して貰える一次資料や信頼できる報道元等を丁寧に提供しているだけの時間がありません。主に結論だけをつなぎ合わせることになりますが、小論の正しさは、やがてどこかの時点で行われる歴史的検証の場で証明されることになると信じています。

 

[動機]

① 安倍政権の継承内閣である菅政権の大目標の一つが憲法改正であることは言うまでもありません。(改「正」ではなく、改「悪」を使うべきだという考え方もありますが、ここでは憲法で使われている単語を優先します。) 安倍政権はその実現のために、様々な策を弄してきたのですが、その一つが、2015年9月19日に参議院で可決され成立した安全保障関連法です。その一環として、それまでは認められていなかった「集団的自衛権」が、いわば「合憲」のお墨付きを得ることになったのです。ですから、「戦争法」と呼んだ方が適切かもしれません。

  しかしながら、世論の反対は勿論 (とは言え、朝日新聞の世論調査では、反対が約半分です。) のことですが、憲法学者からは総スカンを食らいました。同年6月の憲法学者209人を対象にし、122人から回答が得られた朝日新聞の世論調査では、安保法案を「違憲」だと考える憲法学者は104人、「合憲」だと考える憲法学者は2人だけでした。(15人は、「憲法違反の可能性がある」、1人は無回答)。また、9条を改正する必要があると回答した人は6人、必要はないとの回答は99人、無回答その他が17人でした。(6人と99人という数字は偶然ですよネ?)

  これほど圧倒的な差で、「学問」の世界では憲法の平和主義を支持しているのですから、「憲法改正」特に9条の改正を生き甲斐と公言して来た安倍総理個人にとっても、権力者の「忖度」を最優先する官僚たちにとっても、「学者」そして「学問」が邪魔であることは明白です。しかも「権力」を持っているのですから、その力を使って何とかしたいと考えたとしても、「力の支配」信奉者にとっては、ごく自然な流れだったのでしょう。もちろん、権力に対峙し、学問的良心を貫く学者の中には、日本学術会議の会員も当然、含まれています。

 

➁ 戦争の歴史は、使われる武器の歴史でもあるのですが、特に20世紀になってからは、1911年のイタリア・トルコ戦争を皮切りとして、第一次世界大戦でも航空機を使っての空爆が、大きな役割を果してきました。加えて、化学兵器や生物兵器、さらに最近では電子兵器や宇宙兵器なども登場し、科学・技術研究と戦争とは切っても切り離せない関係であることは言うまでもありません。それらの武器が与える被害は勿論なのですが、戦争を推進する立場からは戦略的な重要性が強調されることになりました。

  軍隊という「暴力装置」を独占する国家としては、戦争に勝つという目的のために、科学・技術研究に多額の資金を投入して、軍事力強化のための努力を続けてきました。また、経済的利益につながる科学・技術研究は民間の企業の投資対象になりますが、軍事にも経済的利益にも直接貢献しない分野への投資が減らされる傾向も同時に現れてきました。

  最近のわが国の例では、2015年に防衛装備庁が「安全保障技術研究推進制度」と呼ばれる研究委託制度を創設し、科学者が軍事研究に携わる道を大きく広げました。その予算は、開始時の2015年 に3億円、2016年には6億円、2017年には110億円に増額されました。「科学研究助成金」などの研究助成金が減少傾向にある我が国では、このような委託研究制度が研究者にとって大きな魅力に映っても仕方のない状況でした。応募についての詳細は、防衛装備庁のサイトを御覧下さい。

  一時的には、この制度への応募者が増えたのですが、2017年以降は減少することになりました。研究者の間から、大学その他の研究機関が軍事研究に携わることに対する反対意見が多数出され、2017年には、日本学術会議が、この制度ならびに軍事研究そのものに対しての反対声明を公表したからです。学術会議に対する権力側の怒りが増大したことは想像に難くありません。

 とは言え、学術会議そのものにも大きな問題があるのですが、今回はまず、菅内閣が学術会議を自分たちの支配下に置きたいと考えるに至った大きな理由を二つだけ挙げておきました。

 

 問題は、このような支配が学術会議だけに止まらず、次は大学、その次はというように、徐々にしかも多くの人たちの関心を必ずしも惹かない形で進み、気が付いた時には二進も三進も行かない状況になってしまう可能性が高い点なのです。次回以降も続いて、こうした点について考えたいと思います。

[2020/10/11 イライザ]

[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
広島ブログ

広島ブログ