「広島ブログ」

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ニュース

2025年6月14日 (土)

2025年度広島県原爆被害者団体協議会定期総会

広島県原爆被害者団体協議会の2025年度定期総会が、昨日午前10時30分から役員・代議員など約40名が参加し地域福祉センター5階(中区大手町4丁目)で開催されました。

総会は、昨年12月に亡くなられて元副理事長で顧問だった池田精子さんをはじめ、死没された被爆者への黙祷から始まりました。

最初にあいさつに立った箕牧智之理事長は、ノーベル平和書受賞以降の様々な支援に感謝しながら、被爆80年の今年「核兵器のない世界を実現させるため全力でがんばろう」と呼びかけました。

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その後来賓のあいさつ、メッセージの紹介が行われ、議長に神石高原町の山本剛久さんを選出し、議事に入りました。

議案提案に先立ち、5月にフランス・グルノーブル市長の招待でフランスを訪れ、同市だけでなく南フランスなどで10カ所で証言活動を行った田中聡司理事がその様子を報告しました。

その後、熊田事務局長が議案として、経過報告の中では、特にこの一年間、証言活動の依頼が多かったことを紹介し、今年度方針でもそれを引き継ぎ、さらに核兵器禁止条約への参加の働きを強めること、被爆二世などによる被爆体験の継承・講話に力を注ぐことなどの活動方針を提案しました。

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この提案を受け、大竹や三原から、被爆80年の取り組みについて報告がありました。

大竹からは、毎年8月6日に大竹市総合市民会館の原爆慰霊碑「叫魂」前で慰霊式を行っているが、被爆80年の今年は、記念行事として、8月5日午後6時から総合市民会館で音楽コンサート、体験記の朗読会を行い、その後原爆慰霊碑「叫魂」前で、これまで亡くなった犠牲者2600名余の数だけLEDライトを灯し、追悼する計画を進めていることが報告されました。

三原からは、「70年史を作った10年前から準備してきた『80年史』を発行する準備を進めてきたが、なかなか体験記が集まらなかったけれど、ノーベル平和賞受賞後、体験を寄せていただけるようになり、10人の被爆体験が集まったこと」が紹介されました。

その後、全体の拍手で、全ての提案が承認され、総会は無事終了しました。

これまで、何度か総会には最後まで参加したことがありますが、今年は各地区の活動状況が報告され、よい総会だったと思います。

午後は、学習会が行われました。

いのちとうとし

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2025年6月 7日 (土)

被爆80周年原水禁世界大会広島県実行委員会結成総会

広島県原水禁は、原水禁世界大会開催まであと2ヶ月となった昨日、自治労会館で「被爆80周年原水禁世界大会広島県実行委員会結成総会」を開催しました。

総会は、高橋克浩県原水禁代表委員の司会進行で始まり、最初の代表委員あいさつを私が行いました。

私は、原水禁大会の名称に「被爆〇○年」と付けられている意味について話しました。原水禁運動が、「いかなる核問題」で対立し分裂した後、被爆3県連(広島、長崎、静岡)の呼びかけで1964年の原水禁大会が開催され、その翌年1965年2月に結成された原水爆禁止日本国民会議(「原水禁国民会議」)が初めて開催したのが、1965年の「被爆20周年原水爆禁止世界大会」でした。大会基調では、大会名称を「被爆20周年」としたことについて、「・この20年間全世界の平和勢力の力で核兵器の使用を許さなかった・被爆国日本にとって、原水爆禁止の意識は、国民的総意。これを積極的に守り育て、厳しい情勢を乗り越えること力として盛り上げることこそ、歴史的伝統を受け継ぎ、発展させる原動力」だとし、原水禁運動の原点である「広島、長崎の被爆の実相」ヘの思いが込められていることを紹介しました。

その後、今年選ばれた第28代高校生平和大使・広島市立基町高等学校3年中島胡桃さん、ノートルダム清心高等学校2年下田梨央さんの二人から決意表明がありました。

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今年も3名の高校生平和大使が選ばれていますが、福山明の星女子高等学校1年永戸あみさんは、都合で参加できませんでした。二人の決意表明に対し「がんばってほしい」との思いがこもった大きな拍手がありました。

続いて被爆80周年原水禁世界大会谷雅志事務局長から、「大会を取り巻く情勢と課題」が提起されました。

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その中で、3月に開催された核兵器禁止条約締約国会議に参加しての思い、NPT再検討会議準備委員会でまとめの文章が出せなかったこと、こうした核状況の中で、被爆国日本政府がどのような役割を果たすべきなのか、また石破政権によって大きく転換した原発政策への取り組み強化が課題であることなどが強調されました。また今年の大会は、世界の核被害者に改めて向きあるために、海外代表を例年より多く招待して充実させることが紹介されました。

その後県実行委員会大瀬事務局長から、広島大会の概要が説明され、大会成功のための協力を要請しました。

被爆80周年原水禁世界大会広島大会は、例年通り8月4日に折り鶴鶴平和行進後、広島県立体育館グリーンアリーナで開会総会を行い、5日は、6つの分会会2つのフィールドワーク、4つの「広場」を市内各会場で開催し論議を深めます。

最終日の6日は、県民文化センターで午前9時から「国際シンポジウム」を開催し、最後に「まとめ集会」を開催し、広島大会を終了する計画です。

それらの詳細は、今後順次紹介したいと思います。

なお、大会成功のため取り組まれる、東・西・北の3コースによる平和行進、7月2日から22日までの日程で開催される「第44回反核平和の火リレー」の成功のための協力を要請しました。

被爆80年の節目の原水禁世界対広島大会成功のために取り組みを強化することを確認し、広島県実行委員会結成総会を終了しました。

いのちとうとし

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2025年6月 4日 (水)

6月の「3の日行動」

戦争をさせない・9条壊すな!ヒロシマ総がかり行動実行委員会が開催する6月の「3の日行動」が、昨日午後5時半から本通の洋服青山前で行われました。

5月は、憲法記念日の3日に県民文化センターで「2025平和といのちと人権を!5・3ヒロシマ憲法集会」を開催しましたので、街頭での「3の日行動」は、2ヶ月ぶりの開催となりました。

昨日のアピールは、次のテーマで行われました。

・学術会議「法人化」問題

・選択的夫婦別姓問題

・呉自衛隊基地「呉軍港復活」問題

・平和和公園「表現の自由」規制問題 

・国会情勢と間近にせまった参議院議員選挙の課題

でした。

いずれも、以前から訴え続けてきた課題であり、また会期末を迎えて喫緊の課題ばかりです。

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私も最後にマイクを握り、「国会情勢と間近にせまった参議院議員選挙の課題」で次のようなことを訴えました。

1月27日に招集された第217回通常国会も、6月22日で会期末を迎えますが、この国会何が論議され、どう決まったのか、なかなか理解できない国会だったように感じます。

物価対策として消費税減税問題が、各党から様々な政策が提起されたにもかかわらず、何の結論も得ないまま会期末を迎えようとしています。

政治と金の問題も同様です。

そんな中で最近マスコミを賑わしているのが、米問題です。農林水産大臣の交代によって登場した小泉大臣の「随意契約による備蓄米放出」です。そのことによって、米価問題が大きく動いていることは否定しません。各家庭の家計費に直結する問題なだけに緊急政策がとられ、米価に新たな動きが出たことは間違いありません。

問題は、当面の対策も必要ですが、国会が論議すべきことは「なぜ、昨年から急激に米価が上がったのか」「最初に放出された備蓄米が市場に出てくるのがなぜこんなに遅くなったのか」などなどの本質的な問題ではないでしょうか。

長年の農業政策の誤り、高温つづきによる米の品質の低下など様々な問題が指摘されています。こうした問題を掘り下げて論議することこそ、国会が果たすべき役割のはずです。

と訴えながら、最後に「今日は、お隣韓国では大統領選挙が行われています。なぜこの時期の選挙か?それは、前大統領の憲法を無視した戒厳令発令に対し、市民が抗議の行動を起こし、辞任に追い込んだからです。この民衆の力に学ばなければなりません。政治の主人公である私たち市民の力で日本でも政治の流れを変えましょう。力を集めれば必ず変えることが出来ます」と訴えました。

国会の会期が延長されなければ、今年の参議院選挙は、7月3日公示7月20日投票日で実施されることがほぼ確実になっています。

昨年の衆議院選挙で、自公政権を少数与党に追い込みました。今回の参議院選挙でも、与党を少数に追い込み、政権交代への大きな足がかりを付けなければなりません。

この「3の日行動」がその一つの役割を果たすことになればよいと思います。

いのちとうとし

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2025年5月21日 (水)

戦後80年 沖縄平和行進

2025年5月15日(木)、沖縄が日本復帰して53年を迎えました。

「戦後80年 基地のない沖縄を 平和な日本を 戦争のない世界を」基本スローガンに、5月16日(金)から18日(日)3日間、「515沖縄平和行進」に広島参加団19人で基地のない沖縄・戦争のない平和な世界に向けて参加しました。

初日の16日(金)は、復帰53年第48回2025515平和行進全国結団式が那覇文化芸術劇場なはーとで全国から800人の参加で開催され、実行委員会の多和田栄子共同代表から「復帰後も米軍基地があるがゆえに事件・事故が後を絶たず、沖縄がおかれている不条理を実感して全国に発信、そして各地に持ち帰り現状を訴え共に取り組んでいただきたい」とあいさつされました。

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続いて、嘉手納基地コースと普天間基地コースの平和行進団に、団長・本渡代表にタスキ授与と決意表明を行い、妨害行為に対しても毅然とし、基地のない沖縄・平和な日本・戦争のない世界の確立に向け行進することを確認しました。

5月17日(土)は、広島参加団19人は嘉手納基地コースに全員が参加しました。読谷村役場を出発した行進団は、朝から天候もよく日差しの強い沖縄の道を「基地のない平和な沖縄をつくろう」「戦争放棄の憲法9条を守ろう」「米兵の犯罪は許さない」などシュプレヒコールを行いながら行進しました。

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町役場出口でヘイトスピーチによる妨害を受けながらも毅然と行進を続け、午前中5,6㎞を行進し嘉手納町民広場で昼食・休憩を行いました。休憩を取る町民広場内に行進団以外の人が入りヘイトスピーチを繰り返し機動隊ともめる一幕もありました。

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午後からは、日差しも強くなり気温も上がり道路の照り返しも強い中参加団は6.9㎞の道のりを県民大会会場のAgreスタジアム北谷なで度重なる右翼団体からのヘイトスピーチによる妨害を受けながらも毅然と行進を続けました。

Agreスタジアム北谷に到着後、引き続いて「515平和とくらしを守る県民大会」が開催され、主催者を代表して実行委員会の外間ひろみ共同代表より「米兵による暴行事件が起こり、米軍基地の人権侵害など女性や子ども、住民が守られない安全保障とは何なのだろうか?そして、西田参議院議員による『歴史の書き換え』発言や中谷防衛相の『辞世の句』発言など看過できない。皇民化教育により国民が悲惨な戦争に巻き込まれた。戦争をしない覚悟は私たちの責任だ。平和憲法の理念に基づく外交を通して東アジアの軍事的緊張の緩和を求めていきましょう」とあいさつされました。

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また、連帯すフォーラム平和・人権・環境の染裕之共同代表は「復帰から53年経過したが、沖縄はいまだに基地の島であり日米地位協定により米軍の特権が温存され米軍関係者による性犯罪が多発している。歴史修正主義の政治家による暴言。けっして沖縄だけの問題ではない。沖縄の闘いは基本的人権の尊重、反戦平和など日本が抱える様々な問題と繋がっている。民主主義を蹂躙する蛮行を許すわけにはいかない。共に闘いましょう」と連帯のあいさつに続いて、来賓として玉城デ二―沖縄県知事より「復帰から53年経った現在も広大な米軍基地の存在が沖縄振興の障害となり県民生活に様々な影響を及ぼしている。今年は戦後80年の節目の年、平和で豊かな沖縄を実現させるため平和を考える機会を創出したい。東アジアを再び戦場にしないなど、沖縄戦で得た教訓を正しく次世代に伝え平和を希求していく。うちなーの肝心を世界に発信し共有することを一緒に呼び掛けていきましょう」とあいさつされました。

また、多くの来賓や国会議員・県議会議員など地方議員など駆けつけられ大会を盛り上げていただきました。

そして、嘉手納基地コース(1,200人)・普天間基地コース(750人)より、行進団報告を受け、最後に「いまだ沖縄は変わらぬ基地の島であり、むしろ一層強化され南西諸島は米軍と自衛隊の軍事要塞化へと変貌している。基地問題や米軍による性犯罪が後を絶たないなど、日本国憲法より日米地位協定が優越され県民の基本的人権が蹂躙されている現状を決して看過できない。私たちは、平和と暮らしを守るため多くの市民の力を結集し、基地のない沖縄・平和な日本・戦争のない世界をめざしましょう」と大会宣言を参加者全員で誓い2日間の日程を終えました。

3日目の18日(日)は、広島参加団で、沖縄平和祈念資料館・糸数アブチラガマ・ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館・ひろしまの塔・魂魄の塔を平和学習しました。

右翼団体によるヘイトスピーチによる妨害もありましたが、暑い中行進を続けていると道路わきから、車の中から「頑張って」「ご苦労さん」と手を振ってくれる多くの沖縄県民のみなさんに勇気と元気、そして平和に対する熱い思いをいただきました。

高橋克浩

【編集者】沖縄平和行進の報告を広島県平和運動センター議長の高橋克浩さんにかいていただきました。

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2025年4月27日 (日)

チェルノブイリデー座り込み

1986年4月26日、旧ソ連(現在のウクライナ)のチェルノブイリ原発4号炉が、放射能を大量に放出するメルトダウンの史上最大の大事故を起こして39年目となる昨日、広島県原水禁の呼びかけで、午後0時15分から30分間平和公園の原爆慰霊碑前で「チェルノブイリデー座り込み」を行いました。今年の参加者は、37人でした。

原水禁は、事故が発生した翌年から毎年、この日を「チェルノブイリデー」として、座り込みや講演会などの取り組みを行ってきました。そこには、この原発事故を決して忘れてはならないという強い思いがこめられています。

1979年に起こったアメリカ・スリーマイル原発事故は、最初の原子炉が溶融するメルトダウン事故でした。そしてチェルノブイリ事故が起き、さらに2011年には、東京電力福島第一原発事故が発生しました。

これら事故が教えていることは、一度原発が事故を起こせば、大惨事を招き、多くの人々を放射能被害者にしてしまうということです。

この事実を決して忘れてはならないという強い思いが、チェルノブイリデーの行動にはこめられています。そしてヒロシマが、被害者の人たちへの想いを共有していることも示すものでもあります。

原水禁運動は、このチェルノブイリの事故を契機により幅広い市民との共闘を進め、原発に頼らない社会を作るため、それまでの「反原発」から「脱原発」ヘとスローガンを変えました。

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そんな思いを込めて、最後に自治労県本部の梅田侑希さんが提案したアピールを全員の拍手で確認し、石破総理に送ることにしました。


「4・26チェルノブイリデー」アピール

チェルノブイリ原発事故から39年がたちました。事故原発は放射性物質の飛散を防ぐための巨大なシェルターに覆われ、いまだ廃炉に向けた具体的なめどが立たないままです。また、ロシアによるウクライナ侵略では、原発が攻撃の標的となる事態となり、原発の危険性は安全保障という点からも大きなリスクがあることが明らかになりました。

一方、「チェルノブイリのような事故は起きない」と宣伝され続けた日本でも、2011311日、東京電力福島第一原発でチェルノブイリと同じレベル7の事故が発生しました。14年を経た今も、事故を受けて政府が発令した「原子力緊急事態宣言」を解除できず、廃炉に向けた工程も、溶け落ちた核燃料の取り出しが試験的に行われているに過ぎず、880トンともされる燃料デブリ回収の目途は全く立っていません。

にも関わらず、政府と東京電力は多くの県民・漁業関係者の反対を押し切り、放射能汚染水の海洋放出を強行する一方、「原発の最大限活用」へとまたも回帰するエネルギー基本計画を策定しました。

昨年の能登半島地震では、北陸電力志賀原発の変圧器やモニタリングポストの故障、原子力規制庁の想定を上回る揺れの観測、連動しないとされた断層との連動など、数多くの「想定外」の事態が生じました。

そして何より、原発事故と地震災害という複合災害が発生すれば、道路の寸断や集落の孤立、多くの家屋の倒壊・被災で、屋内退避も避難も困難な状態となり、現在の避難計画では住民の安全を確保できないということが明らかになりました。

この教訓を、原発依存・再稼働への強い警告と受け止め、チェルノブイリやフクシマ、そして世界に広がるヒバクシャの痛みを忘れることなく、改めて脱原発への歩みを進めなければなりません。

「核と人類は共存できない」。新たなヒバクシャを作らせないためには、「核絶対否定」の道しかありません。

私たちは、人類史上はじめて原子爆弾の惨禍を被ったヒロシマから改めて訴えます。

 ◆チェルノブイリ原発事故を忘れてはなりません!

 ◆福島第一原発のような事故を二度と起こさせてはなりません!

 ◆原発の再稼働・新増設への方針転換を許してはなりません!

 ◆新たなヒバクシャを生み出してはなりません!

 ◆全ての核被害者への補償と救済を強く求めます!

 ◆放射能汚染水の「海洋放出」の停止を求めます!

 ◆ノーモアヒバクシャ、ノーモアチェルノブイリ、ノーモアフクシマ

2025年4月26日

  4.26チェルノブイリデー座り込み参加者一同


いのちとうとし

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2025年4月25日 (金)

チェルノブイリ原発事故から39年

明日4月26日は、旧ソ連邦、現在のウクライナ共和国のチェルノブイリ原発事故が起こって39年という日です。

米国人の歴史学者ケイト・ブラウンさんの著書、「チョルノービリ・マニュアル 原発事故を生きる(緑風出版)」という533ページの長文作品を、まさに一気に読みました。訳がとても上手なので、分かりやすく読めました。

改めて、当時の時代背景を考えていました。チェルノブイリ事故が起こったのは1986年、その時はソ連邦時代です。ソ連邦は91年に崩壊しロシアなどの国に分割するのですが、ソ連邦最後の最高指導者はミハイル・ゴルバチョフ、85年から91年までソ連共産党の書記長を担い国家元首でした。

現在、ロシアによる侵攻で戦争をしているウクライナも、ロシアの味方といわれるベラルーシ共和国もソ連邦の一つでした。ソ連邦が崩壊して、さあーその翌日から国の体制も国民の感覚も新しい体制になることなど不可能なのは当然です。

チェルノブイリ事故では、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアだけでなくヨーロッパ全体が放射能汚染されました。現在もそうですが、ソ連時代、人々は思っていることが言えず、科学者は自由な研究も出来ず、連邦政府はチェルノブイリ事故の放射能汚染の影響はない、健康への影響はないと繰り返していました。今でもその姿勢に大きな変化はありません。

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事故直後              シェルターに覆われた事故原発

情報機関・秘密警察を担当していたKGB(ソ連邦国家保安委員会)は、正しい放射能の問題を指摘する学者や研究者の研究所などにスパイを送りこむなどの工作もしていました。そのために正しい意見をいう学者は解雇、左遷、毒殺などがされました。放射能汚染された牛乳など食べ物のデータ改ざんなども頻繁に行われました。子どもたちを中心に甲状腺がんも多発しました。

真相を伝えるために、清掃員に扮して国際学会の場に入り込んだ経験を語るウクライナの物理学者の話しはリアルでした。結局はKGBの工作員に見破られ摘まみ出されてしまうのですが。

一方、国際的に「有名」といわれる研究者を招き、「チェルノブイリはたいしたことない」を言わせるプロパガンダの役も担わせました。広島市にある放射線影響研究所(RERF)の重松逸造理事長は、90年4月、IAEA(国際原子力機関)が発足させたチェルノブイリ原発事故をめぐる国際諮問委員長の専門家集団のトップとして、現地の汚染状況と住民の健康を調査しました。翌年5月にウイーンのIAEA本部で開かれた報告会で、汚染地帯の住民には放射能による健康影響は認められない、むしろ「ラジオフォピア(放射線恐怖症)による精神的ストレスの方が問題である」などと報告しました。福島原発事故の後で、日本でも聞いたような話しです。

また「1平方キロメートル当たりの放射能量が40キュリーは移住を解除してもよい」とも発言、この感覚はまともな学者の発言としては考えられないものです。福島原発事故に関連して、日本政府は汚染土壌の放射能量が8000ベクレル以下なら安全と言ってますが、1キュリーは370億ベクレルという値です。

私はチェルノブイリ事故から10年後の96年と翌97年に、ベラルーシとウクライナを訪問しましたが、現地の人から「広島の有名な学者の調査」ということで、期待していたのに裏切られたという声を聞きました。

チェルノブイリ事故が起こった時、日本政府や電力会社などからは「あれはソ連という国だから起こったのだ。民主国家の日本では起きない」という言葉が発せられたのを覚えています。

チェルノブイリはたいしたことはない、事故後増加した甲状腺がんについても、「検査件数が多いからがんになった」とか、過疎地にがんが増えているという理由については「これまで検査していなかったから、その数が表面化した」という、福島原発事故のときに、「すぐに影響はでない」「たいしたことはない」「考えすぎだ」などを繰り返した、日本政府と同じだと実感しました。汚染した土地の処理、避難者の帰還の基準についても、日本とまったく同じです。そして、マスコミなどの報道の極端に縮小したのも、これまたそっくりだと感じました。そのためか、世論の関心も薄れているように思います。

IAEAやWHO(世界保健機構)などの国際機関が、市民の立場に立った組織ではなく、原子力推進の組織だということを、改めて知らされました。まだまだチェルノブイリの被害は続いています。

「20世紀に人類が起こした三つの愚かな行い」として、アウシュビッツ、ヒロシマ・ナガサキ、チェルノブイリを言われますが、そのことも考えていました。

さて私事になりますが、地域の町内会長を4年、連合町内会長を4年、計8年間地域活動に関わってきましたが、20日に開催された総会で退任することが出来ました。

町内会加入世帯の減少、役員の担い手不足などは全国的な課題です。このことは、子ども会やPTA活動にしても、市民運動にも共通していると思いますが、それなりに多くのことを学ばせてもらった8年間でした。今は、やっと卒業できたというのが率直な気持ちです。

木原省治

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2025年4月10日 (木)

台湾で原発ゼロの日がやってくる

5月17日、台湾が原発ゼロの日になります。

台湾本島の面積は、九州よりやや小さい3.6万平方㎞で、人口は約2,300万人です。

最初に基本的な台湾の原発状況について話したいと思います。民進党の蔡英文さんが台湾の総統に就任した2016年には、台湾で稼働中の原発は3カ所に6基ありました。蔡総統は「25年非核圏(原子力のないふるさと)」を掲げ、運転許可期間40年の延長を認めないことで、順次原発を廃止してきました。

台湾の原発は金山(第1原発)、国聖(第2原発)、そして南部に馬鞍山(第3原発)があり、金山と国聖原発の近くに龍門(第4原発)が建設中という状況にありました。日本と特に関わりが強いのは龍門(第4原発)でしょうか。1996年、この龍門(第4原発)は台湾電力が米国GE(ゼネラル・エレクトリック)社に発注し、日本の原発メーカーの日立や東芝が原子炉、三菱重工は発電機、清水建設が建屋を担当することになりました。俗に「日の丸原発」と呼ばれ、1999年に正式着工し2004年に運転開始の予定とされていました。

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朝日新聞記事より

この原発の出力135万kw、ABWR型で発電出力は島根原発3号機とほぼ同じで、沸騰水(BWR)型でまったくの同じです。

しかし、2011年の福島原発事故を契機に台湾での原発反対の世論は急速に高まりました。当時は国民党の馬英九総統で、この年の11月、彼は龍門(第4原発)を2016年までに完成させる一方で、その他の6基の原発は、40年の運転期間満了後に段階的に閉鎖していく政策を明らかにしました。

しかし福島原発事故を受けた原発反対の世論が高まり、龍門(第4原発)に反対する運動が高まりました。2021年に龍門(第4原発)は実質的に停止状況になりました。当時の総統は蔡英文さんに交替していました。この年の12月、龍門(第4原発)の建設再開の是非を問う住民投票が実施され、建設再開は反対多数(52,8%)で否決されたのです。

40年の運転期間の満了に伴い、金山(第1原発)1号機が2018年12月に、2号機は翌19年7月に、国聖(第2原発)1,2号機は2021年12月と23年3月に閉鎖されました。そして馬鞍山(第3原発)1,2号機の1号機が24年7月に閉鎖され、2号機が今年の5月17日に閉鎖されることになったのです。これで台湾での原発ゼロが達成されるのです。

昨年1月13日に行われた台湾総統選挙で、蔡英文さんを引き継いだ頼清徳さんが新しい総統に就任しました。頼清徳さんらの得票率は約40%、最大野党の国民党の候補者が約33,5%、第3党の台湾民衆党の候補者が約26,5%という構図になりました。しかし同じ日に行われた、日本でいう国会議員選挙の立法委員選挙では、定数113議席のうち、国民党が52議席を獲得して第1党となり、民進党は51議席、若者から人気の強い民衆党が8議席、その他が2議席となりました。いわゆる「ねじれ状況」になったのです。

このような状況の中で昨年7月10日、国民党は原発の運転許可期間を60年に延ばす改正案を立法院に提出しました。この法案、採決はされず結論が先送りとなっていましたが、この3月19日に立法院で公聴会が開催され、3月31日に委員会(立法院教育文化委員会)で審議が行われ、8対7で通過したとのことです。この後は立法院会議での攻防となります。

台湾はAI(人工知能)や半導体の開発大国であり、その開発により電力需要が増えるという宣伝が行われ、5月17日に原発ゼロになっても短い期間になるのではという声も聞こえてきます。

また国民党との繫がりが強い中国が、原発建設を強めていることも、台湾の原発推進世論にも影響を与えているといえます。

日本の国会と似ていますが、議会でキャスチングポートを握るのは、8議席を得た第3党の民衆党とも言われています。民衆党は「国聖(第2原発)は復活、馬鞍山(第3原発)は稼働延長」を訴えており、これからの状況にも目が離せません。

日本政府の「原発回帰」が強まる中、台湾の原発ゼロは日本の原発ゼロに通じます。台湾の反原発団体から、私たちに連帯の声が送られてきています。

木原省治

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2025年4月 4日 (金)

4月の「3の日行動」

戦争させない・9条壊すな!ヒロシマ総がかり行動実行委員会は、今月も3日の午後5時半から本通洋服の青山まで、「3の日行動」を行いました。

この日の広島の日の入り時刻は,午後6時33分ですので、ずいぶんと日が長くなった中で、街宣となりました。

今回も世話人の川后和幸さん冒頭演説からスタートしました。

3月のテーマは、

・米国トランプ政権の誕生で強まる日本へのさらなら軍拡を求める要求に対する問題と2025年度予算をめぐる国会の動きと今後の政局。

・呉で進む自衛隊の海上輸送軍の新設等の大軍拡に対し,これを止める市民の連帯した運動の呼びかけ。

・選択夫婦別姓問題やジェンダー指数がいまだに100位以下となっている日本の政治姿勢をどう考えるのか、どうして変革させていくのか

・物価高のなか非正規労働者の賃金は上がらず、苦しい生活を強いられる人たちへの支援の強化を求める。

などでした。

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私も、2番目の演説者として、第1のテーマについて、マイクを握り,次のようなことを訴えました。

「石破首相は、最近の国会論議の中で,核兵器禁止条約第3回締約国会議に参加しなかったことを人ごとのように『被爆者の期待に応えられなかった』と発言しているが、参加を決める立場にあったのは、石破首相自身だったはず。改めて厳しく追及しなければならない。

米国トランプ政権の誕生は、日米安保の根幹にかかわる問題を提起している。いまこそ、そのあり方を問うべきだ。この時期にこそ、日本が東アジアの一員として近隣諸国との関係、とりわけ中国との関係はどうあるべきかを真剣に論議する絶好の機会だととらえるべき。いたずらに軍拡を強調することは、一層戦争への道を突き進むことになり、この地域の平和と安定をつくることにはならない。

一部の人たちからは、独自の軍拡をとの声が上がりそうだが、もう一度憲法9条の理念に立ち返った日本の安全保障のあり方を考える絶好の機会にしなければならない。

2025年度予算審議を通じてはっきりしたことは、野党の一部が、自らの一部の要求を実現させるため、本来あるべき国会の論戦が深まらなかった。物価対策、年金問題などなどの審議はほんとうの深まったのか。野党の役割を放棄してしまったと言ってよいような国会審議が続いた。いまこそ、国会は真に生活への支援を必要とする人たちの要望に向き合い論議を尽くし、参院選挙迎えるべきである。」

その後約1時間、それぞれの思いを訴えました。

最後の石口俊一弁護士が、「この国の税金、予算はほんとうの国民の暮らしに役立つように使われているのか、国民の命を守るための政治をみなさんでつくろう」と呼びかけて、4月の「3日の行動」を終了しました。参加者は、30人でした。

いのちとうとし

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2025年3月29日 (土)

平和大通りの自転車道

平和大通りで今年初めから工事が始まっていた自転車道の一部が、完成し26日から供用が始まりました。

平和大通り中央の車道を挟んで両側に完成した車道は、それぞれ両方向に自転車が通行できるようになっています。

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巾は2メートルですので自転車2台がすれ違うのにはやや狭いかなと思ってのですが、実際に走ってみると充分な巾になっています。

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私も自転車で平和大通りを通ることがたびたびありますので、歩道と分離されることは、事故を防ぐという意味では意義があることだと思います。しかし、私には別の意味で危惧があります。

実は、この自転車道の計画は、2020年からスタートしたのですが、当初から私は強い関心を持っていました。

自転車道を造る計画がスタートする数年前から平和大通りの賑わいづくり(緑地帯部分に喫茶店などの建物を建てる)の計画がスタートしていました。私は、この計画が進むと平和大道りが変質するのではないかと強い危惧を持ち広島市にいろいろと意見を言っていた時期でしたので、この自転車道の計画が明らかになったときにもすぐに広島市に問い合わせをしました。

関心を持った一番は、これらの計画が進むことによって多くの樹木が伐採されるのではないかと危惧したからです。

平和大通りは、1957年から58年にかけて進められた整備の際、県内各地から樹木を募る「供木運動」によって寄附された約6千本が植樹されたことによって、いまにつながる緑豊かな大通りとなり、市民の目を楽しませてきました。

もちろん、当時寄附された木は、枯れたりした木も多くあるようですので、現存するものは少なくなっていますが、その歴史を考えると樹木の伐採は慎重でなければならないというのが私の意見です。

そんな思いを持ってこの自転車道の工事を見つめてきました。

今回完成した区間は、白神社前交差点から白神社東交差点の両側のわずか約100メートルですが、伐採された樹木は、3本のメタセコイアです。

今後整備は、2024年度当初予定していた平和大橋東詰から田中町交差点までの約1キロのうち残った900メートルとなるようですので、この区間では何本ぐらいの木が伐採されるのか気になります。当初、議会へは「11本の伐採が必要」と説明されていたようですので、この説明に依ればさらに8本の木が伐採されることになります。

計画通り2025年度に田中町交差点までの整備が進めば、次年度はさらに東に延びて鶴見橋まで進むことになります。

田中町交差点と鶴見橋の間の両側の緑地帯には、「被爆者の森」があります。伐採がなかったとしても、周辺で工事が進むことによって樹木への影響はないのかが危惧されますので、しっかりと見守っていきたいと思います。

いのちとうとし

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2025年3月28日 (金)

被爆80周年原水爆禁止世界大会実行委員会結成

26日午後3時から連合会館で「被爆80周年原水爆禁止世界大会」第1回実行委員会が開催され、実行委員会の結成、大会役員の承認などが行われました。

ここ数年私も共同実行委員長に就任してきましたが、結成総会には参加しませんでした。ただ今年は、被爆80周年の節目の大会ですので、さまざまな会議には可能な限り参加したいとの思いで、今年初めて結成総会に参加しました。

提案された「大会開催について」では、核をめぐる情勢を述べた後、今年の大会の意義を次のように述べています。

「このような情勢の中で迎える『被爆80周年原水爆禁止世界大会』は、原水禁運動の積み重ねの中でも重要な意味を持つタイミングで開催されます。これまでの80年の月日の中で決して終わることなく被害が続いてきた事実と向き合いながら,世界のヒバクシャと連帯し,核も戦争もない世界を希求していきましょう。この被爆80周年原水禁世界大会が、各地域での原水禁運動に活かされる大会となることを願います。多くの私たち市民の声が、必ず日本政府を動かし、国際社会を動かします。」

わたしは、大会実行員会役員選出後のあいさつで次のよう述べました。

「大会の名称が『被爆〇○周年』となっているのは、原水禁国民会議が結成されて最初の原水禁大会(1965年被爆20周年)で、『広島、長崎の被爆後、私たちの運動によって核兵器の使用を止めていること、原水禁運動の原点が広島、長崎の被爆の実相にあること』を表すためにつけられました。この先人の思い、運動の歴史に学びながら、今日的課題,核兵器廃絶、世界のヒバクシャ救済、脱原発の課題を取り組む節目の年被爆80周年の原水禁大会としたい。」

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大会の名称については、2022年11月12日のブログ原水爆禁止世界大会の名称は、なぜ「被爆○○周年」か: 新・ヒロシマの心を世界にに詳しく書いていますので、そちらを参照して欲しいと思います。

次に大会について、谷事務局長から提案がありました。その要旨です。

大会コンセプトして

「①被爆の実相を原点としたヒバクシャの援護・連帯と核廃絶運動、それらの次世代継承を柱とします。

②核兵器禁止条約と核不拡散条約による国際社会の軍縮をめざします。

③東日本大震災・福島原発事故から学び、脱原発社会の実現をめざします。」

が提案され確認されました。

大会スローガンは、メインスローガン「核も戦争もない平和な21世紀に!」とサブスローガン10本が提起され、こちらは次回の実行委員会で決定することになりました。

大会日程は、福島大会が7月26日、広島大会が8月4日から6日、長崎大会が8月7日から9日日程で開催することが確認されました。

その他、国際会議は,昨年と同様に8月6日の午前9時から10時30分までの方向で検討すること、分科会は広島、長崎とも4分野6分科会で準備を進めることも提起されました。

ここ数年いろいろと意見が出ているポスターの原案が示され、意見を交換しましたが、これらの意見も入れてデザイナーと協議し、最終案づくりを進めることが確認されました。

最後に現地となる広島、長崎、福島から大会に向けてのあいさつがありました。広島、長崎からは、値上がりが続いている宿泊についての協力要請、福島からは「福島大会としては15年目。国の政策は真逆の方向に進み、除染問題などで地元の分断が強まっている。改めて運動の意味を共有する大会にしたい」と決意の表明がありました。

節目の年、被爆80周年の原水禁世界大会への準備が始まります。

いのちとうとし

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