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ニュース

2023年6月29日 (木)

中国電力株主総会と祝島島民の会

昨日、中国電力の株主総会が行われました。その様子はいずれ木原省治さんによって詳しく報告していただけるものと思っていますので、私は、会場となった中電本社前の様子を照会します。

私が、中電前に言ったのは、上関町の祝島の人たちが来られるのではないかと思い、私が中電本社前に行ったのは、午前9時過ぎでした。

9時20分頃、中電前に防長バスが到着し、祝島の人たちが、降りてこられました。

先頭は、祝島島民の会代表の清水敏保さん。今回の参加者は、25人です。久しぶりの祝島の皆さんとの出会いです。

中電の株主総会には、「上関原発計画の撤回」を求めて、毎年祝島からバスでの参加が続いていましたが、コロナの影響で2019年を最後に昨年までは中止となっていましたので、今年は4年ぶりの参加となりました。

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到着するとすぐに,旗竿が下ろされ、幟のとり付けが始まります。いつもながらの手際よさです。

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幟を手にした島民の会のメンバーを前に代表の清水敏保さんが、マイクを握ります。

「2022年、中国電力は、田ノ浦でのボーリング調査ができず、話し合いをするため民事調停を提案しました。ところが、民事調停の場で,中電は法的論争はしないと一回でやめ、祝島島民の会を被告とする妨害排除請求事件を提訴しました。現在3回目の口頭弁論が行われています。中国電力は、いつもながら自分の都合の良いことを主張し、ことが進まなければ金や権力で、また,司法を頼りに原発を建設しようとしています。上関町の政治経済、暮らしにまでに介入し、町民を分断に追い込んだ責任は中電にも多いにあると思います。一日も早い撤回を求めます。

過疎高齢化が急速に進む中での運動は、決して容易ではありませんが、上関原発計画が白紙撤回されるまで、皆さんのご支援をいただきながら共にがんばって参ります。皆さんがんばりましょう。」

上関原発計画が浮上したのが、1982年。それからすでに41年の歳月が過ぎています。上関原発計画の進行を止めているのは、間違いなく祝島島民の皆さんの活動があったからです。

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そして「豊かな自然を守りたい、子どもや孫達に伝えたい」との思いで、この運動を支援した多くの市民の運動があったからです。

清水さんのあいさつを聞きながら、そのことを改めて思い起こしていました。

今回の祝島からの参加者の中に、いつも先頭に立って声をあげていた、なじみのある女性達の姿が、ほとんど見ることができませんでした。41年という年の長さを実感します。

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途中、雷が鳴り、強い雨の降る中でしたが、最後に「原発計画を中止させるぞ」のかけ声あげ、2時間の行動を終え、祝島の人たちは再びバスに乗車し、小雨の中帰郷の途につきました。

「祝島島民の会」の皆さんの粘り強い運動の歴史を改めて思い起こすことになった中電前の行動でした。

いのちとうとし

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2023年6月10日 (土)

「仁義切り」の代償

「仁義切り」という言葉、バクチ打ちなどの間で、独特の形で初対面のあいさつを交わすことです。歌舞伎など場で、舞台上の役者が観客にあいさつする独特の口上が由来ともされています。企業などの組織では、事前のあいさつ回りをすることや、礼をつくし相手に敬意の気持ちを表現する場合に使われています。

 中国、中部、九州の各電力会社が、公正取引委員会からカルテル締結の独占禁止法違反で、排除命令と過去最高となる総額1010億円の課徴金を命じられた事件。6月7日、関電を加えた4社の株主が一斉に記者会見を行い、各電力会社に対し提訴請求書(監査役に対し、取締役の責任を訴えるように求める請求書)を送付することを発表しました。

4社の中でも中国電力に課せられた課徴金額は707億1586万円で、3社の中でずば抜けての最高額です。これに各県の自治体から指名停止を受けた損失金などを含め、総額約808億円の支払いを求めました。

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この事件、何よりも許せないのは、誰が、何時、どこで、どういう方法で事件を起こしたのかという真相が、いまだに明らかにされていないことです。唯一、リアルな言葉で表現されているのが、ブログの題名にもしましたが「仁義切り」というものです。

2016年4月、電力小売りの完全自由化が始まり、電力会社管内を超えての営業活動ができるようになりました。一方で新電力会社が、電力事業に参入することが可能になりました。特に新電力の参入が大きかった関電エリアでは、熾烈な競争の中に置かれることになりました。

自由化が始まった翌2017年11月頃、関電は「仁義切り」と称して中国電力にあいさつのためにやってきました。関電は、中国電力管内でお客を獲得するための営業活動を行うことを伝えました。それがこの度の事件の発端とされています。その場で2社は、今後も役員級の者による情報交換を行っていく約束を決めたのです。

関電は、岡山や広島市に営業拠点を置いて、中国電力の大きなお客の電気を取ろうとしたのです。自由化になったのですから「取ろう」としたことは、まったく問題になることではありません。

しかし関電と中国電力は、お互いのエリアを侵食しないことや、新たに誕生した新電力会社を互いのエリアに参入させないために、販売料金の約束を行い双方の利益を守るようにしたとされています。それはカルテルとされた談合です。しかし事件の真相が明らかにされていないために、「だろう」の範囲でしか言えないのです。

提訴請求というのは、会社に置かれている監査委員に対し、事件を犯した取締役に対し責任を追及し、会社としての中国電力が被った損害金約808億円を返還する訴訟を起こしてくださいという請求のことです。

中国電力は、処分を下した公正取引委員会に対し取り消し訴訟を起こす考えとは言っていますが、まだ実際に起こしたとは報告されていません。カルテル自体を認めているのに、取り消し訴訟を起こすのも理解しかねることですが。

この度の提訴請求、60日以内に会社としての中国電力(監査役)が、課徴金などの賠償を求める訴訟を行わない場合、私たち株主が「株主代表訴訟」を起こすことになります。皆さん今後の動きを是非ともご注目ください。

木原省治

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2023年4月10日 (月)

元・中国電力社長、白倉茂生さんの逝去

 中国電力の元社長、白倉茂生さんが去る2月25日に満87歳で亡くなられたという連絡がありました。白倉さんは、2001年の株主総会で第7代の社長に就任され、06年までの5年間社長をやっていました。

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毎日新聞より転載

 白倉さんとの出会いは、白倉さんが社長として総会議長をされていた時の株主総会です。それなりに緊迫感のある総会が終了し、総会場が『ほッ』とした雰囲気になった時、白倉さんから「木原さん、本を出版されましたね。読みましたよ」と声を掛けられたのです。

「ありがとうございます」と議長席側に近づいたら、警備会社の人に行く手を遮られました。書いた本とは『原発スキャンダル』という題名のものです。それから僕は白倉さんに手紙を書きました。

白倉さんは広島県安芸郡海田町の生まれで、小学4年生の時に原爆の閃光に襲われました。14年2月20日付けの毎日新聞記事によると『とっさに机の下に隠れたが、爆風で窓ガラスは割れ、畳が跳ね上がった』話しておられます。

翌7日に、お母さんとお兄さんと一緒に親戚を探しに市内の白島町に向かっています。だから入市被爆者となります。

社長を退任されて自由人になられた後、食事を共にすることがありました。初めての時は、紙屋町にあるメルパルク2階の店で昼食を食べました。その時に話されたのは「株主総会の時のことは一生忘れられない」という言葉でした。山口大学工学部大学院客員教授として、火力発電の問題で講義をすることがあると話されていたと思います。

それからは年賀状のやり取りが続いていましたが、21年だったと思いますが、電話が掛かってきました。「木原さん、こんど自叙伝を出すのだけど、一文書いてくれないだろうか」とのお願いでした。すぐに「私が書いてよいのですか」と聞き返したのですが、白倉さんは、即座に「木原さんに書いてほしいからお願いしているのですよ」と丁寧に話されました。字数制約の中で、「白倉さんからもらったちょっとした出来事」という原稿を書きました。

僕は株主総会での出会いを書いた後、次の文章で締めました。

『白倉さんは人間味のある優しい思いやりの有る人だなと思った。

そのこと(株主総会)があって以降、私は相対する立場の人にも、必ず挨拶の言葉をかけることを心掛けた。挨拶にどういう反応をするかで大げさかも知れないが、その相手の余裕というか人間味を、白倉さん的にいわせれば「情」の育ち度が分かる。

立場の異なる人たちとの関係も、根底が通じ合っていれば繋がりは保てるし、人間としての尊厳の心を持つことができる。ずっと以前の株主総会の場のちょっとした出来事が、白倉さんから貰った人生の大きな教訓となった。

その根底にあるのが、白倉さんの云う「情」ではなかろうか。』

自叙伝は2021年夏に、ハードカバーの立派な装丁で出されました。『白倉茂生の言葉-「情」の継承-』というタイトルが付けられていました。

白倉さんが亡くなられたという連絡は、ご家族からのハガキでした。『亡くなる前日には米寿の祝いをしてご機嫌でした。たまたまテレビで木原様の姿を拝見して喜んでおりました。又、会いたいと話したのが昨日の事のようです』と。

木原省治

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2023年4月 9日 (日)

今日は、投票日です。

今日9日は、3月26日に公示された広島市長選挙,31日に公示された県議会議員、広島市議会議員選挙の投票日です。

わが家では、二人で午前中の早い時間に投票に行きます。投票所は、家から歩いて5分ほど(約300m)の近くです。ちなみに期日前投票所となっていた中区役所は、150mの近距離ですが、今回は投票日当日に投票することにしました。

広島市内の県議会議員選挙では、無投票の選挙区もありましたが、わが家のある中区では、12年ぶりの選挙戦となりましたので、久しぶりにと投票用紙に名前を書くことが出来ます。

広島市議会議員選挙は、全ての選挙区で定数以上の立候補があり、選挙戦となりましたので、投票権を行使することが出来ます。

私も何日か安佐北区の選挙の応援に入りましたが、安佐北区の市議選は、定数が今回の選挙から1削減の6となりましたが、2倍の12人が立候補し、全8選挙区の中でも最も激戦の選挙区となっています。厳しい選挙戦となりましたが、吉報を待ちたいと思います。

言うまでもないことですが、自治体議員、首長選挙は、これから4年間の私たちの暮らしにとって最も身近な課題・政策を託す選挙です。身近な政治をよくするためには、大事な選挙権をきちんと行使することが、大事です。

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広島市議会議員選挙中区の選挙広報

しかし、最近の選挙は、選挙の度に投票率が、低下しているように思います。マスコミ報道によれば期日前投票は、やや伸びていると言われています。確かに期日前投票は、投票がやりやすくなったこともあり、選挙の度に多くなっているように思いますので、今回もその傾向が続いているように思われます。

問題は、全体の投票率が上向くかどうかです。政治に不満、不信を持つ声は、多くなっていますが、それがなかなか投票行為に結びついていかないのはなぜか、自問自答しますが、なかなか答えが見つかりません。

ただ、一ついえることは、自らは投票しなかったとしても、間違いなく選挙で選ばれた人によって政治は進むということです。

棄権は危険!といわれています。

選挙によっては、「投票する人がいない」ということも皆無とはいえないと思います。しかし、今回の選挙,特に議会議員選挙は、いくつかの選択肢が用意されていると思います。

政治を身近なものとするためにも、ぜひ、貴重な選挙権を行使して欲しいと強く願っています。

いのちとうとし

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2023年4月 1日 (土)

県会議員選挙、広島市議会議員選挙がスタート

今年は、4年に一度の統一自治体選挙の年です。広島市長選挙は、3月26日に告示され、すでに選挙戦は中盤となっています。

昨日3月31日は、投票日が同じ4月9日となる広島県議会議員選挙、広島市議会議員選挙が公示さ、立候補の届け出を終えた候補者が、それぞれ出発式を行い選挙戦のスタートを切りました。私も、安佐北区の市議会議員候補者の出陣式に参加しました。

広島市議会議員選挙の立候補者は、定数54に対し84人が立候補届を行いました。

告示日前の30日には、広島県選挙管理委員会が,県庁前に縦2.5M横4.5Mの大きな投票を呼びかける啓発看板を設置しました。

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今回のイメージキャラクターは、カープの新井貴浩監督でメッセージは「素敵じゃね!票に希望を託すキミ」です。すぐ横には、幟が並んでいます。

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この呼びかけに応えて、一人でも多くの有権者が投票に行くことを望んでいます。

告示日の午後3時過ぎの中区の公営掲示板の様子です。

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市議会議員選挙のポスターはすべて貼られていますが、市長選挙、県議会議員選挙は、2番の掲示板には、まだポスターが貼られていません。

ポスターの掲示は、別にしてしっかりとした論戦で、自らの主張を有権者に訴えて欲しいと思います。

それにしても、最近の議会の状況は、その本来の役割を果たしているのだろうかと思えることが多くなっています。

例えば、県政では、教育長の友人への便宜供与の問題、市政では、中央図書館の移転問題に象徴されるように、知事、市長の政治姿勢に対して、県民・市民が望むしっかりとしたチェック機能を果たしているとはとても思えない議会の対応が続いています。これでは、議会が議会としての役割を果たしているとは、とてもいえません。

政策を述べることも大切ですが、知事・市長の政策をしっかりとチェックできるかどうかが、議会に問われていると思うのは私だけでしょうか。

選挙戦を通じて、首長と議会の関係はどうあるべきか、有権者が考える機会になればと思います。

また、河井大規模買収事件で、公職選挙法違反の罪で在宅起訴された現職5人が立候補しています。まさに政治と金に対する有権者の問題意識が問われているといえます。

最近投票率が、選挙ごとに下がっている傾向にありますが、一人でも多くのの有権者が投票することによって、政治が身近なものとなったと思える選挙戦であった欲しいと強く願います。

いのちとうとし

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2023年3月26日 (日)

衆議院憲法調査会と中山太郎さん

「元自民党衆議院議員中山太郎さんが、今月15日に逝去された」ことが、23日から24日にかけてマスコミで報道されました。

心からご冥福をお祈りいたします。

マスコミ報道では、外務大臣などの要職を務めたことなどの経歴とともに、衆議院憲法調査会(現在の衆議院憲法審査会の前身)の会長を務められたことが、特に詳しく触れられています。

今日、中山太郎さんのことを取り上げるのは、2000年6月から2003年10月までの私の衆議院議員としての活動の中で、どうしても忘れることの出来ない中山太郎さんとの関わりがあるからです。

私のわずか3年3ヶ月余りの国会議員活動の中で、特に強く印象に残っている活動が二つあります。

一つは、在外被爆者に被爆者援護法適用を実現させるための活動です。このことについては、いろいろな場で報告していますので、今日は省略します。

二つ目は衆議院憲法調査会の委員としての活動です。中山太郎さんとの関わりは、この憲法調査会の活動を通じてです。

2000年1月の通常国会から活動が始まった衆議院憲法調査会ですが、私が同調査会の委員となったのは、翌年1月の通常国会から、衆議院が解散した2003年10月までの2年10ヶ月です。中山さんは、衆議院憲法調査会の発足以来、同会の会長に就任されていますので、私が活動していた時期も当然のことですが、会長として憲法調査会の運営の責任者としての役割を果たされてきました。

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中山太郎さんが憲法改正推進者であることはよく知られていますが、私がここで紹介したいのは、憲法調査会の運営にあたっては、「少数意見も含めて一人一人の考え方を丁寧に聞き、民主的な運営に努力された」ことです。

当時私は、社民党のオブザーバー理事(議員数が少ないため正式の理事にはなれなかった)として、憲法調査会の議事のあり方を協議する理事会への参加が許されていました。オブザーバー理事でしたが、理事会での発言は正規の理事と同じように発言することが出来ましたし、私の意見の多くが、とりあげられ、運営に反映されました。例えば、地方公聴会における意見陳述者の選考です。最初の仙台での地方公聴会こそ、各党の推薦方式でしたが、それ以降は,私たちの意見を取り入れ、意見陳述者を公募によって選ぶ方式に変えられたことも、その一つです。

中山会長が、少数者の意見を尊重する憲法調査会の運営を心がけられたのは、次のような考えがあったからだと私は思っています。

それは、「国の基本法である憲法を改正するためには、ただ多数決(憲法改正には、三分の二以上の賛成が必要)によって決めるのではなく、与野党の枠を超えてできるだけ多くの議員の賛同を得て進めるべきだ」という考えがあったからだと私は考えています。

だからこそ中山会長は、丁寧で民主的運営を心がけてこられたと確信しています。

今の衆議院憲法審査会の進め方は、「憲法改正それ自身が目的化」しており、中山太郎会長が心がけてこられて「憲法への向き合い方」は全く見ることが出来ません。

中山太郎元衆議院議員の訃報に接し、今そのことを思い起こしています。

いのちとうとし

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2023年2月25日 (土)

設置から11年で変貌した原子力規制委員会

3月11日が来ると、福島原発事故から12年となります。事故の反省から、原子力規制行政は変化をしました。その一番の大きなものは、福島原発事故の翌年9月12日に原子力規制委員会が発足し、13年7月8日に「新規制基準」が施行されたことだと思います。

福島原発事故前の原子力行政は、原発の推進側と、それを規制する側の組織が同じ経済産業省の中に存在するという、「なれあい体質」の中にありました。この体制を直すために、原子力規制委員会設置法が12年6月に参議院本会議で可決・成立したのです。

原子力規制委員会の仕事は、改正された原子炉等規制法に基づいて①シビアアクシデント(過酷事故)対策を義務化する②最新の知見を新基準として、既設の原発に対しても適合を義務化する③電気事業法の規制下にあった運転段階における規制を原子炉等規制法に移す④40年運転制限制を導入すること、などが決められたのです。

原子力規制委員会は内閣からの独立性を高めるために、国家行政組織法第3条が定める「3条委員会」として位置づけられ、これまでの「なれあい体質」から独立性を強く打ち出したのです。

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また運転基準よりも厳しいとされる「30項目の対策」を織り込んだ、「新規制基準」が作成されました。

原子力規制委員会の初代委員長になった田中俊一さんは、「新規制基準に合格したからと言ってその原発が安全だとは言えない。我われは新規制基準に適合しているか否かを審査しているだけだ」と発言しています。これは間接的に新規制基準では不足があることを指摘していると思われました。

新規制基準で不足していること、たくさん在りますが私が指摘したいのは、事故時における避難の体制が無いことと、無いために避難対策を審査する機関がないことです。

米国原子力規制委員会(NRC)は、避難体制についても規制・審査対象にしています。ニューヨーク州のロングアイランドという岬にあるショアハム原発を、避難計画が不備として運転を許可しませんでした。

日本の避難体制は各自治体が決めることになっており、原発を持っている自治体にはとても大きな負担になっています。

そして「40年運転ルール」は、これも福島原発事故からの大きな教訓でした。しかしこのルールが、岸田文雄首相の「ひと声」でいとも簡単に破棄されようとしています。原子力規制委員会の委員の中でも、「40年運転ルール」が現実的に撤廃されることに委員の一人が反対を主張されましたが、多数決という強引な手段で撤廃が決められてしまいました。

福島原発事故の体験から、あれだけ苦労して国民的な議論をして決めた40年ルール、これを後退させることは許せません。

山中伸介原子力規制委員長の「運転延長について規制委は意見を述べる事がらではない。それは政治が決めること」という発言、これは責任放棄の最たるものではないでしょうか。新規制基準は原則40年を決めているのですから。

もし40年ルールを撤廃するというのなら、40年という決まりで再稼働を容認した島根県は、あらためて再稼働の是非を判断することを求めるべきです。それぐらいが言えなくて、県民の代表者といえるのでしょうか。

木原省治

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2023年2月24日 (金)

ウクライナに平和を 大軍拡大増税NO―市民集会開催

ロシアによるウクライナへの軍事侵略が始まって今日で一年となります。

戦争をさせない・9条壊すな!ヒロシマそうがかり行動実行委員会(以下「ヒロシマそうがかり行動」)が主催する「ウクライナに平和を 大軍拡大増税NO」市民集会が、昨日午後1時半から原爆ドーム前で開催されました。

ヒロシマそうがかり行動世話人冨樫恵さんの司会で集会は始まりました。開会のあいさつは、共同代表の石口俊一弁護士です。

最初のスピーカーは、一年前ウクライナへの軍事侵攻時いち早く原爆ドーム前での集会を呼びかけたハチドリ舎の安彦恵里香(あびこ・えりか)さんです。

続いて安保法制違憲広島訴訟事務局長の松岡幸輝弁護士が、安保違憲訴訟の現状を報告。3人目のスピーカーは、保育士の関田(せきた)京子さん。関田さんは、保育現場の状況を話しながら、真の子育て支援は何かを訴えました。各人の話を詳しく紹介したいのですが、前で横断幕を持っていたため、メモをとることが出来ませんでしたので、名前だけの紹介です。

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3人のスピーチの後、2月21日明らかとなった「瀬戸内海での日米共同軍事訓練」の中止を求める声明を、ヒロシマそうがかり行動世話人の藤元康之さんが読み上げ提案し、全員の拍手で確認されました。声明の一部です。

「岸田首相は広島市を選挙区とし、核兵器なき世界をめざすと言いながら、その言葉とは裏腹に、歴代自民党政権が踏み込まなかった軍事費(防衛費)の2倍増や敵基地攻撃能力(反撃能力)保有など、憲法9条に反する大軍拡を推し進めようとしている。沖縄など南西諸島では、自衛隊による「要塞化」が進められ、『台湾有事』があおられる中で日米共同軍事訓練が行われて住民の不安が高まっているが、それと同様の軍事訓練が、ついに広島湾で行われようとしている。

  広島湾は、広島と四国や島々の間をフェリーや漁船などが行き交う生活の海であり、また自動車や様々な生活物資の輸出入の貨物船などが出入りする海でもあり、大型軍艦2隻がLCACを行き来させることは危険このうえない。2014年におおすみが釣り船と衝突し死亡事故を起こしたのも記憶に残っており、県民の不安は高まるばかりである。

ウクライナへのロシア侵攻により、世界の軍事緊張は高まり、核戦争がいつ起こるかもしれない危機の中、その緊張をさらに高める日米共同軍事訓練を、それも広島湾で行うことは平和への道に逆行するものである。

岸田首相はじめ防衛当局に、ヒロシマの地から抗議し、訓練中止を強く要求する。」

最後に、私が次のようなまとめのあいさつをし、30分の予定が少し長くなりましたが、集会は終了しました。

私は、次のことを訴えました。「①ロシア・ウクライナは、直ちに停戦せよ。それがウクライナに平和をつくる第一歩。いかなる戦争も否定する.それがヒロシマの心。②新しい戦前が始まったと言われる。戦前は軍部の暴走によって誤った戦争への道を進んだと言われているが、今は内閣の暴走によって戦争への道を突き進んでいる。この暴走を止めるのは、国会の役割。しかし、今国会がその役割を果たしているとはとてもいえない。軍事力の強化では平和を作ることはできない。再び過ちを繰り返さないためには、主権者である私たちが、声を上げ続けよう」

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原爆ドーム前での集会を終えた参加者350人は、「ウクライナに平和を 戦争は今すぐ止めろ、核兵器を使うな、大軍拡はいやだ、大増税もいやだ、憲法9条を守れ、憲法改悪反対」などのシュプレヒコールをしながら、八丁堀の岸田文雄事務所をめざしてデモ行進を行い,現地で流れ解散となりました。

いのちとうとし

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2023年1月 3日 (火)

在韓被爆者郭貴勲さんの訃報

元日の朝、メールを開くと大阪の市場淳子さん(「韓国の原爆被害者を救援する市民の会会長」)からメールが届いていました。

「新年のご挨拶をすべきところですが、悲しいお知らせをしなければならなくなりました。

今朝、郭貴勲さんのご長男から『20221231日午後1158分、郭貴勲さんが入院先の療養病院で亡くなられた』との知らせがありました。

昨日の午後3時半に郭さんのお子さんたちが、療養病院に面会に行かれ、郭さんはお子さんたちを認知されて手を振られたそうですが、その8時間後に息を引き取られたそうです。 」

享年98歳でした。いつかはこの日が来ると思ってはいましたが、実際にその日を迎えると本当に悲しく寂しい思いになりました。

郭貴勲さんとの出会いは、郭さんが「在外被爆者にも援護法適用を」と訴えて争った大阪地裁の裁判闘争の時からです。

大阪高裁判決後、政府が上告を断念し、在外被爆者への援護法適用が実現した時のことを、私は、当時のホームページに次のように記載しています。

「12月18日、坂口厚生労働大臣が記者会見し、『在外被爆者郭貴勲さんの大阪高裁判決の上告を断念する』と発表した。ついに『在外被爆者に対し被爆者援護法の適用』が実現した。

このニュースを議員会館の私の部屋で郭さんと一緒に聞いた時、心のそこから『本当によかった』という思いでいっぱいになった。

昨年4月に『在外被爆者に援護法適用を実現させる議員懇談会』を立ち上げ、事務局長を努めることになって以来多くの在外被爆者の皆さんとお会いした。

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その度に、熱い思いで、そして大きな期待を寄せて話される被爆者の皆さんの声を聞きながら、なかなか前進しないことに何度も『申し訳ない』と心の中で思いつづけてきた。昨年10月に韓国を訪問したときほど、重い気持ちになったことはない。  

ようやくそうした在外被爆者の皆さんに答えることができた。しかし、これですべての在外被爆者問題が解決したわけではない。『被爆者手帳を持っていない被爆者は』などなど課題が山積している。今回の上告断念を期に、裁判でも示された『被爆者はどこにいても被爆者』を本当の意味で実現させるため、さらにがんばる。」

郭貴勲裁判で、大阪高裁での勝訴判決で日本政府に上告を断念させ、その後の在外被爆者への被爆者援護法適用への道を開くことになったことは、私の短い国会活動の中でも、最も印象に残っていることの一つです。

「被爆者はどこにいても被爆者」

この郭さんの訴えが、在ブラジル、在米被爆者等の在外被爆者を結び、お互いの連帯と共闘の輪を作りました。

国会の議席を失った後も郭さんには、広島に来られるたびに声をかけていただきましたし、特に夏の原水禁世界大会では、毎回海外ゲストとして参加され被爆者の救援を訴えつづけていただきました。

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私は、郭さんとお会いするたびに、会話を楽しみにし、元気な姿に励まされたものです。

郭貴勲さんとの最後の対話は、2017年の「被爆72周年原水爆禁止世界大会長崎大会」です。この年もいつものように夕食をともにしながら語り合ったことが思い出されます。

どうか安らかにお眠りください。

郭貴勲さんのご冥福を心からお祈りします。

いのちとうとし

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2022年12月25日 (日)

爽やかな風を感じたい師走だが!!

爽やかな風を感じたい気持ちの師走ですが、なかなか感じさせてくれないですね。11月頃から喪中ハガキが相次いで届きました。「えっー」という唸り声とともに、生前の思い出が沸いてきて悲しくなる日々でした。

「少数労働組合」で頑張っておられ、たくさんのことを教えてもらった二人の方の喪中ハガキは、そのハガキを持ったまま立ち尽くしてしまいました。飲みながら熱く話し込んだこと、一緒にチラシを配ったこと、大切にされたこと、期待されたこと、それに応えようと頑張ったこと、などなどが思い浮かびます。

歌謡曲で「いい奴ばかりが先に逝く。どうでも良いのが残される」というフレーズで始まるのがありますが、まだまだお互いに頑張りたかったのですが。

広島電鉄の宮島線電車が開業から100年ということで、『わたしの宮島線』というタイトルのエピソードを200字程度で募集していました。

なんとなくという気持ちで応募したら採用されてしまい、3月末まで宮島線の2台の電車の吊り広告に掲示されています。

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広島電鉄ホームページより

こんな文章です。

若くして夫を亡くした母は、宮島線の草津駅近くで働いていました。私は小学生の頃、毎日五日市駅まで迎えに行ってました。現在の場所より50メートルぐらい西側に駅はありました。母が到着するまで、駅舎の中でずっと待っていました。

 ある日、母は大きな布袋の中に子犬を入れて電車から降りてきました。「これが居ったら、省治も寂しゅうないじゃろー」と話しました。迎えにくる息子が愛おしかったのか、煩わしかったのか知りませんが、今でもあの前の道を通る度に思い出します。

11月29日、東京都立大学の宮台真司教授が切りつけられて、重傷を負ったというニュースがありました。宮台さんとは直接的な交遊はありませんが、とても共鳴する評論をしている方だと尊敬していました。

しかしこれを知った同大学学生のコメント、「怖いです」「早く捕まってほしい」「あしたから学校へ行くのが怖くなる」と語り、大学は集団帰宅を呼びかけたといいます。学生の気持ちも、学校の措置も分からなくはないのですが、なぜ加害者への怒りのコメントが無いのだろうか、集団帰宅は小中学校生のようで、なんともまあ-イヤハヤという気持ちになりました。

あれから約1か月、日本の警察なら容疑者を捕まえるだろうと思っていましたが、慎重な捜査が続いているのでしょうね。

平和公園を訪れる修学旅行生らへの碑めぐりガイドの用事が、コロナの行動制限の緩和とともに、どんどん入ってきていました。師走になったから、もう無かろうと思っていましたが、22日で年内は終わりました。

平和公園に来て何かを感じ取りたいという思いで来る人に、碑めぐりのひと時が、これからの世界の平和について考える『熱い思いの時間』になって欲しいと思うのですが。

22日のGX(グリーン・トランスフォーメーション)会議で、政府が原発回帰に大きく踏み込んだこと、この号で書こうかと思っていましたが、年明けの最初の号にさせていただきます。

私が担当するブログの年内分は今号で終わりです。読んでいただきありがとうございました。

木原省治

【編集者】木原さん、今年一年様々な問題提起、ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

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