被爆者清水弘士さんの訃報
被爆者清水弘士さんが、一昨日午前10時頃亡くなられました。
私は、昨日午前11時頃、遺体が安置された本願寺広島別院の西隣にあるびはーら葬儀社に行き、お別れをしてきました。読経による葬儀は行われず、親族や身近な人たちが集まり、それぞれが清水さんとの思い出を語りながらのお別れでした。
広テレの映像から
1942年6月生まれの清水さんは、3歳の時爆心地から1.6kmの吉島町の自宅でお母さんとともに被爆。倒壊した家の下敷きになりましたが、お母さんの必死の努力によって、生きのびることが出来たそうです。お父さんは被爆の影響で10月8日に亡くなられました。
そんな家族環境ですから、清水さんは、特に被爆者の「空白の10年」について究明し語り継ぐことを課題としてこられました。
また、同じ被爆者である切明千枝子さんの被爆体験をまとめる活動を続けてこられ、冊子「切明千枝子 ヒロシマに生き抜いて」3冊の発行に尽力されました。
清水さんが県被団協の役員になられて以来、特に親しくしてきました。
昨年の原水禁大会では、直前になって無理にお願いをして分科会での被爆証言を行っていただきました。ありがとうございました。
二月ほど前、紙屋町方面でばったり出会ったのが、お会いした最後になりました。その時は、お元気な姿だったのですが、パートナーの話によると、その後急速に体調を崩され、帰らぬ人となられてしまいました。
清水さんは、今年10月に開かれる「世界核被害者フォーラム」で、証言を行うことになっていましたが、それもかなわぬこととなりました。
被爆80年、訴え続けてきた核兵器の廃絶の実現を見ることなく、また大切な被爆者のお一人とのお別れになりました。
思いを引き継ぎ、がんばらなければと誓ったお別れでした。
いのちとうとし
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