ベトナムの歴史(その41) ― ベトナム Now Ⅴ -カンボジア侵攻-
ポル・ポト政権崩壊・内戦10年
1975年4月17日、ポル・ポトが率いるクメール・ルージュと元国王のシアヌーク派が組んだカンプチア民族統一戦線が親米軍事政権ロン・ノル政権を倒します。翌76年にはクメール・ルージュ(ポル・ポト派)がシアヌーク派を押さえ、実権を握り民主カンプチア政府を作ります。そのポル・ポト政権が国民の4人に一人といわれる170~200万人を虐殺したことは幾度も触れました。
1978年12月、ベトナム軍がポル・ポトの粛正から逃れベトナムに亡命していたヘン・サムリンなど元クメール・ルージュの親ベトナム派を支援しカンボジアに侵攻。翌1979年1月、ベトナムに支援されたヘン・サムリンはポル・ポト政権を倒し、カンプチア人民共和国を成立させます。そして、2月17日にはポル・ポトを支援していた中国が「懲罰」と称して、ベトナム領内に大規模な越境攻撃し、中越戦争が起こります。
中越戦争は中国軍の撤退により一ヶ月で終結しますが、政権を追われたクメール・ルージュト(ポル・ポト派)とシアヌーク派(王党派)、ソン・サン派(共和派)という三派連合とヘン・サムリン政権との内戦が10年間続きます。この10年間は「カンボジア問題」として扱われますが、ベトナムとカンボジアの問題としてだけでなく、国連の果たす役割を含め国際政治が問われたのだと思います。
国際政治に翻弄された「カンボジア問題」
下の図は、親ベトナム政権のヘン・サムリン政権と亡命政権の「民主カンプチア三派連合政府」の対立構図です。自国民やベトナム系住民を大量虐殺したポル・ポト政権を倒し、カンボジアの人々を「死の恐怖から解放」したヘン・サムリン政権ではなく、ポル・ポト派を含む三派連合をアセアン諸国やアメリカ、国連、そして日本が支持したのです。理解できないのは私一人ではないと思います。
ここにも冷戦が深まるなかで、それぞれの国益(経済的・軍事的)と思惑を持った国際的な対立を反映した構造が見て取れます。
そのことを、初鹿野直美さんは「カンボジア:内戦とその後の国づくりの歩み」の中で、次のように述べています。「国連の代表権は三派連合にあり、西側諸国は虐殺を行ったポル・ポト派を含む三派連合側を支持することにジレンマを抱えつつ、ベトナムが背後に控える人民革命党政権を支持することができず、ちぐはぐな状態で4派が併存することとなった。」と。
国連安保理や国連総会など国際政治の場では、ベトナムの軍事侵攻を非難し、ヘン・サムリン政権はベトナムの傀儡国家であるとして認めないとの姿勢に終始します。日本政府もそうした流れの中で、「ベトナムの軍事介入による傀儡政権を、日本政府として政治的に認めるわけには行かない」と、ポル・ポト政権を承認してきたそれまでの立場を維持したのです。
無責任な国際政治や日本の追随外交が、ポル・ポト政権崩壊後の10年に及ぶ内戦で、カンボジアの人々を苦しめたことを忘れてはならないと思います。
国際世論が解決の扉を開き、デタントが道をつくった
こうした「カンボジア問題」に変化の兆しが出始めたのが、1980年代半ばからです。その一つが、ポル・ポト政権時代にカンボジアで繰り広げられた悲惨な大虐殺を描いた映画『キリング・フィールド』が公開されて、ポル・ポト派に反対する国際世論が大きく高まってきたことです。それは国連や国際政治に影響を及ぼし、ポル・ポト派を除き復興の主務者であるヘン・サムリン政権をはじめカンボジアの人々による枠組みづくりが進められました。
もう一つはゴルバチョフがソ連共産党書記長に就任し、ペレストロイカ(経済・社会の再構築)路線と新思考外交(対話と協調)、グラスノチス(情報公開)を推進し、米ソの緊張緩和(デタント)が進み、1989年12月の「マルタ会談」で冷戦終焉へと大きく動いたことです。合わせて80年代半ばからの中ソ和解の動きも上げられます。
こうした中で、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の設置・派遣が準備され、1991年10月、「カンボジア紛争の包括的政治解決に関する協定(パリ和平協定)」が締結されました。
国益に執着した自国ファーストで絡まった迷路を照らし、解決への扉を開いたのは、何よりもカンボジアの人々の悲惨な体験と復興への姿です。そして一人ひとりの心をつないだ国際世論によるところが大きいと思います。
2025年7月20日(あかたつ)
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