ヒロシマとベトナム(その71) ―「昭和100年」と父― その3
6月26日付けの『読売新聞』に「『戦時版よみうり』全容確認」の見出しとともに、「『のらくろ』幻の連載も」という記事が掲載されていました。『戦時よみうり』は、本土防衛と戦争継続に必要不可欠とする領土・地点である「絶対防衛圏」が破綻し、本土決戦の準備が始まった1944年3月から翌年3月までの間、戦意高揚を担い総動員体制下で働く勤労者向けに発行された全4頁タブロイド判の新聞です。
人気の少年誌『少年倶楽部』(講談社)に「のらくろ」の連載が始まったのは、関東軍が中国軍の仕業に見せかけ満州で巨大な勢力を持つ軍閥・張作霖を爆殺し、満州での日本の勢力拡大を狙って起こした1928(昭和3)年の張作霖爆殺から3年後、満州事変の引き金となった柳条湖事件(これまた関東軍による謀略)が起きた1931(昭和6)年です。
天涯孤独の野良犬(のらくろ(・・・・))が軍隊に入り、ヘマを繰り返しながらも手柄を立てて出世します。1941(昭和16)年10月号で大尉に出世した「のらくろ」は除隊し、大陸の鉱山掘りの仕事に就くところで連載が終わります。10年に及ぶ連載で「のらくろ」ブームが起き、『少年倶楽部』は「昭和11年には75万部に達し、日本最大の児童雑誌になる」(日本近代文学大事典)に至ったそうです。
ズッコケな「のらくろ」の軍隊生活も、盧溝橋事件による全面的な日中戦争に入る1937年頃から「現実の戦争がトレース」され、「戦意高揚漫画とレッテルされても仕方ない」(映画プロデューサー、西村崇)漫画として、他の戦意高揚プロパガンダととともに「軍国少年」「軍国少女」を作り出す役割を果たしました。
かつて少年たちの人気を博した「のらくろ」が復活したのは、1944(昭和19)年という一段と厳しくなった戦局のもとで創刊された『戦時よみうり』の4コマ漫画でした。
出典:読売新聞 2025年6月26日
上左の4コマは『戦時よみうり』の創刊号に掲載された1回目、上中は最終回前、上右は最終回の「のらくろ」です。1回目の文字は鮮明でなく、読み辛いかもしれませんので紹介します。除隊後に「死に物狂いで満州の自分の山もすっかり掘りつくし」、「久しぶりに帰って見る故郷の風物は決戦に張切ってゐる」、「ことに産業戦士の血のにじむ努力」、「今こそ のらくろの真価を見てもらふ時が來た、ヨウシ ヤルゾッ」
そして、1年後、「貯蓄戦線」の「社会見学」帰りを待ち受けていた「召集令状」で「のらくろ」の掲載は終わっています。
『少年倶楽部』に「のらくろ」が連載されたのは父が3歳から13歳までの10年間です。おそらく父も読んでいると思いますが、近々父の施設に行く予定があるので聞いてみたいと思います。『戦時よみうり』が発行されたのは予科練を志願する16歳でしたが、これは手にすることはなかったと思います。
戦意高揚と「軍国少年」「軍国少女」を作り出すためのポスター(出典:「プロパガンダ・ポスターにみる日本の戦争)
「みんなが受けたんじゃけぇ」と予科練を「志願」し、飛行訓練もままならない戦況下で、「特攻に志願するもの一歩前」の号令に、自ら「百死零生」の特攻攻撃を「志願」した父。月1回の通院で会うと、「一つ上の者はようけぇ死んだ。97になって生き残っとる。不思議なことじゃ・・・」と繰り返す。
次号から、その特攻攻撃についてみてゆきたいと思います。
(2025年7月5日、あかたつ)
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