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2025年6月 6日 (金)

ヒロシマとベトナム(その70-2) ―「昭和100年」と父― その2-2

命より重い「御真影」と「教育に関する勅語」

「御真影」と「教育に関する勅語」は神聖なものとされ、その取り扱いは「校内に奉置場を設け、もし守護に不安のある学校は、役場など取り締まりのゆきとどくところに奉安し、保管する」と指示され、先に紹介した奉安殿が各学校に建てられます。

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その「御真影」と「教育勅語」は子どもたちへの影響だけでなく、様々な事件を起こしています。2017年にお茶の水女子大学で「教育史学会シンポジウム」が開催され、大阪府立大学教授・小股憲明(おまたのりあき)さんが「教育勅語・御真影をめぐる不敬事件と学校儀式」を報告し、85の事例を紹介されています。その幾つかを列記します。

欠礼・薄礼

・「御真影」に対する「拝礼を欠いた」(欠礼)として咎められる。(同種の事件多数)

・「十分な拝礼を行わなかった」(薄礼)として、校長や教員が解雇・譴責(けんせき)処分・退職。

服装

・「御真影」奉戴式で教員が首にハンカチを巻いていて不敬と咎められる。

・新年始業式の「教育勅語」奉読の際、学校理事が袴を未着用で奉読、不敬行為と咎められ辞任。

誤読・改定読・語法批判

・卒業証書授与式で「教育勅語」を誤読した校長が左遷。

・「教育勅語」奉読の際、誤って戊申詔書を渡された校長が、部下の過誤を庇うためにそのまま暗唱で奉読したが、途中で行き詰まる。校長と教導が進退伺い謹慎。

式次第・取り扱い・保管

・紀元節式場で号令役の体操教員が御真影拝礼の号令をかけ忘れて式を進行したため混乱、咎められる。

・御真影安置所の雀を追うため安置所に侵入した尋常高等小学校の生徒、不敬を理由に登校停止処分。

・教育勅語奉読の際、最敬礼すべきかどうかを巡って校長と教員が議論。マスコミで、議論すること自体が不敬と批判され、校長が依願免官。

火災・天災による焼失

・教室火災により「教育勅語謄本」も焼失、小使が解雇。(同種の事件多数)

・学校火災による「教育勅語謄本」焼失、宿直教員減俸、校長譴責。(同種の事件多数)

・学校校舎全焼により「御真影」「教育勅語謄本」焼失、校長と宿直職員免職。(同種の事件多数)

・三陸大海嘯(だいかいしょう)の際、校長が「御真影」「教育勅語謄本」の流失を防ぐため逃げ遅れて殉職。

殉職

・1896年(明治29年)6月の三陸大海嘯、尋常高等小学校長が津波襲来に際し家族を非難させた後、御真影を紐で体に結びつけて非難しようとするところを津波に呑まれ死亡。翌日、体に結びつけた「御真影」とともに遺体で発見。「御真影」殉職第1号。

・仙台市県立第一中学校校舎火災の際、書記が取り出そうとして逃げ遅れて殉職。

・「教育勅語謄本」盗難のため減俸処分を受けた校長が、5名の子女を道連れに服毒心中。

・校舎火災にあたって、校長が御真影を取り出そうと猛火の中に飛び込んで焼死。

・関東大震災での殉職者41名(神奈川県27、東京府13、千葉県1)。うち東京13名中の8名までが、「御真影を守護」「御真影奉遷のため奮闘中」の殉職。

 

広島市の「教育勅語」問題に思う

職員研修で「教育勅語」の引用を続ける広島市の松井一実市長は、「爾(なんじ)臣民(しんみん)父母ニ孝ニ、兄弟(けいてい)ニ、友ニ夫婦相和シ」と博愛や修学、公益を説く一節を引用し、他の文でも「先輩が作り上げたもので良いものはしっかりと受け止め、また、後輩につなぐことが重要」と、温故知新の精神で語ったとのことです。

「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」と刻まれた碑文を前に、毎年「平和宣言」を発するヒロシマの市長として、到底考えられない見識です。唖然とし言葉もありません。

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先に紹介した小股憲明さんの「教育勅語・御真影をめぐる不敬事件と学校儀式」冒頭部分は、「ヒロシマの心」と重なるとても大切な一節だと思います。少し長いですが紹介します。

アンダーラインは筆者(あかたつ)が付けました。

詔書(しょうしょ)勅語(ちょくご)(勅書、勅旨、勅諭とも)、両者を総称して詔勅とは法律・命令とは別に天皇の意思を公的に表明したもの。詔書は国家的重大事について、勅語はそれ以外について。教育勅語は、明治天皇が君主の意志として、国民(臣民(しんみん))に道徳を教え諭したもの。その内容は明治憲法の下での近代的国民に求められる諸徳を掲げたものだが、国民主権の原理に立つ日本国憲法と相容れず、今日の学校で憲法・教育基本法に抵触しない形で「教材」として用いることは、「勅語」という性格からしてあり得ない。また、今日の道徳教育は、すでに死んだ明治憲法下の亡霊を生き返らせなくとも、十分に可能である。親孝行、兄弟夫婦仲良く、友達は信じ合いなどの徳目も、教育勅語の専売特許ではない。」

 次号では国民の戦意高揚と「軍国少年」「軍国少女」を作り出すために用いられた当時のプロパガンダをもとに父の少年時代から予科練志願までの深層を辿ってみたいと思います。

(2025年6月6日、あかたつ)

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