「広島ブログ」

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2025年6月

2025年6月30日 (月)

2025年6月のブルーベリー農園その4

安芸区の自宅から東広島市豊栄町のブルーベリー農園に通っているが、今の農作業はブルーベリー畑の草刈りがメインでその合間に早生のブルーベリーの摘み取りを行う日々。27日には梅雨が明けたそうですこしカラッとした風の中での農作業は油断しないように首に保冷剤をまいた装備で小刻みに休憩しながら続けている。ブルーベリーの早生のタイプが100本ちょっとあり実る木の種類が少しずつ増えていて、ブルーベリーの実の安芸の郷への納品も増えてきている。

624日(火)ホタルブクロ。今年は多い

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近くで見ると白地の中に紫色がうっすらのっている

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626日(木) 早生のブルーベリーの摘み取りを行う。この木はまだはしり

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627日(金) ブルーベリー畑の雑草の中で

①刈る前

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②黒いさやはヘアリーベッチの種

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③ヒメジョオンは5mくらいに伸びている

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628日(土) 梅雨が明けたのは27日だそうで、農園にも青い空が広がった

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花壇のヤマアジサイの花にむさぼるように蜜を吸うマルハナバチ

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農園の池の庭木にとまるコシアキトンボ

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ヤブカンゾウの蕾

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富有柿の青い実。今年はたくさん実をつけている

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2025年6月29日 (日)

わが家の花

昨晩は東京泊りでしたので、今日はあらかじめ用意したわが家の花の様子を紹介します。

毎回「ブルベリー農園」からの便りとして、素敵な写真を届けてくれる遊川和良さんから、今年の4月に送ってもらったネジバナが咲きました。

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まっすく伸びた茎に小さなピンクの花が、ネジのように巻き付く形で咲いています。

遊川さんから、「水をやりすぎないように」と言われていましたので、水の管理はしたのですが、なかなか花芽が伸びず、やきもきしていました。ようやく先週初めから2本咲き始めました。

後2本ほどつぼみを付けた茎が伸びていますので、まだ楽しめそうです。

ネジバナは、今年に入って入手しましたが、昨年から育てているコチョウランが、いくつも花を付けました。

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写真の角度が悪いのですが、ピンクのコチョウランが二鉢あります。

左のコチョウランは、一株の根元から2本、途中枝分かれした枝(と呼んでよいのかわからないのですが)と計4本の花を付いた枝があります。右のコチョウランは、根元から2本の花を付けた枝が伸びています。

お店に並んでいるコチョウランは、一株に花が付いている枝は1本しかありませんから、本当は1本にした方がよいのでしょうが、何となく惜しい気がしてそのまま伸ばしています。

白いコチョウランは、一株に1本だけ花の付いた枝がのびていますので、大きな花が付いています

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この他にも2,3鉢花が付いているコチョウランがあります。

どの鉢も、花が終わった後のコチョウランを安く買ってきて、一年間育てたものばかりです。

お店では、一鉢に2,3株寄せ植えされていますが、自分で育てるとどうしても何株か枯れてしまいますので、わが家では、一株ずつ鉢に入れて育てるようにしました。そうしたことで、枯れる株が減ったように思います。

難しいと言われるコチョウランを一年間育てて、といっても水をやりに気をつけ、年に2,3度肥料をやっているだけですが、花が付くと格別に嬉しいものです。

アジサイは、これまでに何度も年越しに失敗をしましたが、昨年購入した鉢は無事に年を越え、花を付けてくれました。

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ベランダには、冬に花を付けるクリスマスローズやデンマークカクタス、ギンギアナムなども置かれていますが、ここ数年の厳しい暑さの中で、枯らさずに育てるのには苦労します。今年も夏もなんとか暑さを乗り切るように大切に育てたいと思っています。

いのちとうとし

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2025年6月28日 (土)

原水爆被爆80年を考える集い

原水禁国民会議は、今日(28日)午後1時30分から東京の日本教育会館で「原水爆被爆80年を考える集い」を開催します。

「核と人類は共存できない」という揺るがない信念のもとに続けた運動の歴史に学びながら、「被爆80年」という節目にあたり、原水禁国民会議として何をするのかを検討するため、原水禁国民会議の役員だけでなく中村桂⼦さん(⻑崎⼤学核兵器廃絶研究センター(RECNA)准教授)や畠⼭澄⼦さん(ピースボート共同代表)の協力を得て、「原水禁被爆80年企画検討実行委員会」を設置し、協議を重ねてきました。

そして今回そのまとめとして、核廃絶に向かっての課題やとりくみの現状をテーマとしたブックレット「核と人類は共存できない あの日から80年、私たちがつなぐ平和の祈り」を作成しました。

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表紙のデザインは、原水禁国民会議染裕之共同議長です。このデザインに込めた染さんの思いは

①平和をイメージするカラー「青」を使用する。

②手書き風の丸い図形を使用する。

  丸い図形が与えるイメージは、

  ・始点も終点も無いことから「永遠」、「無限」を意味する

  ・曲線によって「優しさ」、「柔らかさ」を意味する

  ・中心からの距離が同じことで「調和」、「包容」を意味する

です。手に取って、デザイナーの思いを感じながら、読んでほしいと思います。

このパンフレットの完成を機に、その目的を広く共有する場としてシンポジウム「原水爆被爆80年を考える集い」を開催することになりました。

集いは、若い人からのアピールの後、原水禁国民会議川野浩一共同議長の「被爆80年を迎えて」の話、続いてそれぞれの執筆者がテーマごとにその内容を紹介します。私も「被爆の実相と全てのヒバクシャの救済」をテーマに話すことになっています。

秋葉忠利顧問からは、企画検討実行委員会で協議してきた「核兵器廃絶に向けた2035/2045ビジョン」が提起されることになっています。

その他に次のテーマで編集されています。

「核のタブーで考える、世界の現状と私たちの課題」中村桂子

「原水禁運動と脱原発」藤本泰成

「被爆者のおもいを受け継ぐ未来へ」畠山澄子

原水禁国民会議は、この集いをスタートに「被爆80年からその先へ 核なき未来をつくるカンパ」を呼びかけることにしています。

全国から集まった仲間とともに、集会を成功させ、7月、8月に福島、広島、長崎で開催する被爆80周年原水禁世界大会に引き継いでいきたいと思います。

いのちとうとし

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2025年6月27日 (金)

中国電力株主総会と祝島島民

この時期、各企業はいっせいに株主総会を開催します。一昨日のブログ6月は忙しい月: 新・ヒロシマの心を世界にで、木原省治さんから紹介してくれた「中国電力株主総会」が、昨日(26日)午前10時から中国電力本社で開催されました。

私も毎年、この日行われる本社ビル前の行動に参加していますが、今年も遠く祝島からの「上関原発計画の撤回、中間貯蔵施設の建設反対」の声を株主に届けるためバス1台で来られることを聞いていましたので、9時30分前に中電本社ビル前に行きました。

中電本社ビル前に着くと、例年のように玄関前には脱原発を訴え続けてきた市民グループの姿とマスコミのカメラがありました。

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5分ほどすると、祝島の皆さんを乗せた防長バスが到着し、手際よく幟用の竹竿などが下ろされます。

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全員が下車し、幟の準備が始まります。

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それを横目に見ながら、株主が次々と玄関を入っていきます。どんな思いを持っているのでしょうか。

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株主総会が始まりました。株主総会の様子が、声だけですけれど、準備したスピーカーを通じて流れます。

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数年前から中継が始まりましたが、今年はよく聞きとることが出来ます。

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「脱原発へ!中電株主行動の会」の皆さんの複数の「株主提案議案」の提案理由の説明(時間が限られ十分な説明は出来ない)が行なわれ、それに対する中国電力の「反対の説明」、いつもの中国電力への申し入れに対する誠意のない回答を思い出しながら、聞きます。

その後株主からの質疑が続きましたが、問答無用の回答に終始する中国電力。

会場内の発言の様子をこれほどハッキリと聞いたのは初めてですが、なんとも言えずむなしさだけが残ります。

祝島の皆さんは、12時半に帰りのバスが来るとのことでしたが、私は別の用事があり、行動の途中でしたが、11時半過ぎの中電本社前を後にしました。

1982年に上関原発計画が明らかになってから40年を超える年月が経っていますが、祝島の皆さんの頑張りで建設計画は、ストップしたままで、将来の見通しも立っていません。

以前見かけたことのある祝島島民の姿がずいぶんと少なくなっていますが、今年は「使用済み核燃料の中間貯蔵施設建設計画」の問題で周辺地域からの参加もあり全体の参加者は増えたとのことでした。

いつものことながら、祝島の皆さんの奮闘に頭が下がります。そして、この頑張りに答えなければとの思いを強くさせられた「中国電力株主総会」でした。

いのちとうとし

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2025年6月26日 (木)

イラン・イスラエルの停戦合意

いつまでこの状態が続くのはまったく予断を許しませんが、イランとイスラエルの戦闘行動の停戦合意が昨日実現しました。

早期の停戦を求めてきた広島市民の一人として、この合意を歓迎したいと思います。言うまでもないことですが、戦闘が続く限り市民の犠牲が強いられるのですから。

「核開発阻止」との理由による13日未明のイスラエルによるイランへの大規模な軍事攻撃開始。核関連施設、軍施設など100カ所以上を空爆し、その結果イラン市民の400人を超える犠牲者が出ています。

イスラエルによる軍事攻撃に反撃するイランのミサイル攻撃によって、イスラエル市民の犠牲も出ています。

軍事による攻撃は、常に市民が犠牲となることをこの軍事行動でも明らかなにました。

そして、違法で無謀なイスラエルの軍事攻撃を止めるのではなく、強力に支援するためアメリカが、22日(日本時間)には、国際条約を無視してイランの重要な核施設3カ所への攻撃を行いました。

このアメリカの攻撃に対し、イスラエルのガザへの侵攻以来、原爆ドーム前で抗議と即時の停戦を求めて活動をつつけている「広島パレスチナともしび連帯」の呼びかけで、22日と23日の二日間緊急アクションが呼びかけられました。

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私もこの呼びかけに応えて、23日のみでしたが参加をし、アピールを行いました。

思い出すのは、2003年のアメリカによるイラクへの軍事侵攻です。その大きな理由が、「イラクの大量破壊兵器の保有」だったことです。しかし、実際にはイラクには、大量破壊兵器は存在しませんでした。しかし、アメリカ軍を中心とする有志連合による戦闘、占領政策の結果、アメリカ軍が撤退する2011年12月末までに、英国に本拠を置くNGO「イラク・ボディー・カウント(IBC)」によれば犠牲者は16万人を超え、そのうちの79%はイラク民間人で12万7980人に達したとしています。

しかし、誤った情報によって軍事侵略を介し、多数の市民を殺害したアメリカの責任は、今も問われないままです。

今年3月、CIAFBIを含む米国情報機関が参加して、ギャバード国家情報長官が発表した「年次脅威評価」で、「イランは核兵器を製造していないと引き続き評価している。最高指導者ハメネイ師は03年に停止した核兵器計画(の再開)を承認していない」と明示したにもかかわらずの、今回の軍事行動です。

今回のアメリカの軍事攻撃は、国際法に違反するだけでなく、イランに「核兵器開発の口実」を与える結果にもなる暴挙だと言えます。軍事力によって問題は解決できません。

相互の信頼を少しでも取り戻すことが出来る道は、この停戦合意を双方が誠実に履行し、他国の積極的な関与によって、話し合いの場を持つことだと思います。

日本政府に求められるのは、そうした役割を果たすことではないでしょうか。

いのちとうとし

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2025年6月25日 (水)

6月は忙しい月

6月というのは忙しい月です。

広島県被団協(広島県原爆被害者団体協議会)の総会資料の活動報告を見ていると、平和公園の原爆に関する慰霊碑の案内をする回数が最も多い月でした。

6月は、小・中学校を中心に修学旅行で平和公園を訪れる人たちが多い月なのです。広島県被団協の「被爆を語り継ぐ会」のメンバーとして碑めぐりガイドをしているのですが、その数の多さが報告書に現れていました。

それと中国電力の株主総会が開催される月でもあります。6月26日の午前10時から本社2階の講堂で開催されます。全国の旧電力会社は26日が集中開催日です。

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私たち「脱原発へ!中電株主行動の会」は、株主総会に株主提案議案を提出しています。私たちの議案に賛同していただいた74名の株主さん、13万4100株で提出していました。議案を会社に提出するのは4月末にやる作業です。

6月は何をしているかと言いますと、書面による質問書を書き提出することです。それも13日に会社に持参しました。主にこの1年間の出来事を振り返りながら作成するのですが、それなりに忙しい作業となります。中電にはいろいろな出来事がありました。何といっても島根原発2号機の再稼働、不祥事、株価の低迷、配当金のがた減り、原発事故時の避難計画が返られたことへの対応、などなどです。16分野28項目となりました。

長い間、株主総会への活動をしていると教訓となるのですが、事前に質問書を出していると会社としては回答の準備を行います。そして事前質問書に回答をしたくないと思うと、「一括回答」という手段を使って回答を避けるということを行います。これは中電のコンプライアンスとは、会社が企業活動を行う上で決まりのことです。顧客への対応や特に株主への疑問や指摘には精神誠意に応えるということです。

株主総会のメインは、総会場における質問です。ここで何を問いただすかというのが、大きな舞台になります。事前質問書に書いていないことで、会社が驚くようなことを聞くのが良いのです。最近は一人の株主に2問までとか、そういう縛りをかける株主総会が増えてきました。以前は一人3分程度までというようなことで、3分に何項目をするというのが、我われ側のテクニックでしたが、項目数でやられると難しくなります。

私は、メモ紙に5項目くらいの会場内質問を用意していて、会場内質問になる寸前まで考えています。

この時期になると、差出人の書かれていない手紙が届くことがあります。たぶんに中電社員と思われる人からの、いわゆる「内部告発」的な物です。内容をしっかり読ませてもらいますが、差出人の方の連絡先がないので、詳しいことを聞くことが出来ないのが残念です。

今年も株主総会に合わせて、上関原発建設問題で長年戦っている上関町からもバス1台で訴えに来られます。

私たちは総会場で会社を追及して、広島の市民団体の人たちは中電本社前で街宣行動を行われます。是非とも皆さん、応援に駆けつけて下さいませんか。

木原省治

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2025年6月24日 (火)

安保法制に反対する府中市民の会の6月の「19日行動」  

今日は昼から地元公民館で防災会議があったので、午後3時30分からの上下Aコープ前は参加できませんでしたが、午前中にプラカードを作って午後5時からの府中天満屋店前での行動に参加しました。参加者はどちらも9名でした。

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イスラエルがイランを攻撃し、これにアメリカのトランプ大統領がG7サミットを途中から引き上げ、イランに向かって「全面降伏しろ」と強圧的なメッセージを発している時ですから、リレートークはイスラエルの先制攻撃に抗議をする内容となりました。

しかし、イランに核兵器があるのかというと、6月20日(金)の中国新聞の天風録には「ギャバード米国家情報長官が上院公聴会で『情報機関は、イランが核兵器を製造していないと分析している』と証言した。アメリカが大量破壊兵器の有無を巡る真っ赤なうそでイラク戦争を正当化したときと同じだ」と書いてあります。

Aさん「イランの中にもイスラエルやアメリカに内密する者がおり。イランが一枚岩となっていないこともイスラエルの攻撃を許している。」

Bさん「世界は強い国が力づくで弱い国を攻撃することが当たり前になっています。それに軍事拡大、戦争に反対するハーバード大学や日本の学術会議が攻撃をされています。軍需産業は活況を呈し、政府は軍事費を捻出するため税金を引き上げ、医療や福祉を削って、国民は貧しくなるばかりです。」

Cさん「先の戦争では日本は被害者だけではありません。加害者としての責任もあります。中国での南京大虐殺、731部隊による細菌兵器の開発、竹原市の大久野島では毒ガス製造がされ、731部隊では細菌兵器が処理されず地中に埋められたままであったので戦後現地の人たちが被害をこうむっています。戦争というものをじっくり見て、考えてください。」

Dさん「天皇が慰霊のため広島市にきていますが、ノーベル平和賞を受賞した被団協のみなさんに会わないというのはおかしい。そうした準備を広島県知事は行うべきではないか。結局、形式的な慰霊です。」

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Eさん「不登校が大きな問題となっています。増え続け現在2025年度の調査によると、小・中学生の不登校児童生徒数は過去最多の34万6千人、1,000人に37人の割合と報告されています。『原因はさまざま』と逃げずに子どもたちにしっかり寄り添う教育が必要ではないでしょうか。社会のひずみが教育のひずみとなり、子どもたちに影響しているはずです。もっともっと私たちは不登校に関心を持つべきです。子どもたちの将来に責任をもつべきです。軍事費を削って教育に国のお金を使うべきです。」

Fさん「参議院選挙前の石破政権の一人2万円の給付は露骨な選挙買収で自民党の金権体質が表れています。その時限りの一時金より、消費税減税こそが物価を下げ、生活の安定をもたらします。」

Gさん「16日、月曜日の中国新聞に、防衛省が設置した有識者会議、座長は榊原元経団連会長です。この有識者会議で『原子力潜水艦を配備すること』を提言する案が載っていました。被団協のみなさんが昨年12月にノーベル平和賞を受賞したことをどう思っているのかと思います。二度と核戦争を起こしてはいけない、そのためには原子力発電所をはじめあらゆる核の利用をさせてはならないというヒロシマ、ナガサキの心をどう思っているのでしょうか。世界は核戦争の危機にあります。だからこそ、世界中の人々が『イスラエルはパレスチナの占領をやめよ!ガザの虐殺をやめよ!イラン攻撃をやめよ!』と言っているのに自民党と経団連は逆行しています。『もう倫理なき資本主義では人類がもたない』と言われています。戦争法と言われています安保法制が原子力潜水艦を建造することになったのです。これを止めるには今しかありません。」

小川敏男

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2025年6月23日 (月)

2025年6月のブルーベリー農園その3

東広島市豊栄町のブルーベリー農園ではホトトギスが鳴く頻度が多くなっているし、結構農作業している近くで聞こえることもある。農園には安芸区の自宅から車で通っているが6月21日が夏至で、夕方になるともっと農作業が出来る明るさと涼しい気温になるので帰るのに未練がましくなってしまう。日中の気温が33度になる日もある。高温時に気を付けるのが湿度で65%くらいになると危ないので早めの休憩を取りながら農作業を続けている。

615日(日) 里山の早生のブルーベリーのある場所に防鳥ネットを設置する。1日目はネットをポールに掛けて、2日目には先端を丸くした2mあまりの長さの竹でひたすら押しながら広げていく。そのあとネットの穴を繕っていく

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620日(金) ネットに開いた穴は糸で繕っていくが、あちこちにあるので結構時間がかかる

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616日(月) 里山のブルーベリー園のそばの茂みの中にササユリが咲いていた。背丈は1mくらいある。近づくといい香りが漂う

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619日(木) 農園の庭の池のハナショウブ。今年は晴れの日が多いので雨でうなだれることなくすくっと咲いている

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620日(金) ショウブの蕾にとまるシオカラトンボのオス

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620日(金) 里山西側のブルーベリー園。ブルーベリーの向こうのクリの木の花が沸き上がる雲のようにもくもくと咲いている

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621日(土) 防鳥ネット設置の2か所目は道路そばの畑の早生のブルーベリーのある所。こちらは狭いので2時間ばかりで張れた

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作業が済んだら里山の早生のブルーベリーの実の摘み取り。安芸区矢野東にある安芸の郷の事業所さくらに今夏初めての納品をした

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下草を刈ったばかりのブルーベリー畑。道路に面した一番上のエリアの草刈りがすんだ

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農道を刈った場所から見えるのは、草を刈らないといけないブルーベリー畑はあと2か所ある。こちらは晩生のブルーベリーなので実るのはまだ先

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農道下の狭いスペースに里芋を植えたところにはヒマワリやコスモスを植えたが、もうコスモスの花が咲きだした。秋までどのくらい伸びるのだろうか

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2025年6月22日 (日)

三原地区6月の「19日行動」

6月19日(木)1730分から三原駅前に15人が参加して定例の街頭行動を行いました。行動のスタートにあたり、司会者から「世界ではロシアのウクライナ侵攻やイスラエルによるガザ侵攻・大量虐殺、そして、イスラエルのイラン核関連施設の空爆など平和に対する危機感が一層強まっている。いかなる理由があろうとも武力攻撃は許されるものではない」。「戦争をさせない三原市民行動615講演会で、講師の湯浅一郎さん(ピースデポ)が、『軍事力が平和を担保する』の常識から、『軍事力によらない安全保障体制の構築』、脱軍備への道を拓くことが必須である。憲法9条はその基礎になる財産である」と述べられたことを紹介して街頭行動を始めました。

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5人のスピーカーは、「今月22日に閉会予定の通常国会について、与野党攻防の緊迫した国会情勢=来る参議院選挙で政治を国民の手に取り戻すため、立憲野党の議員を一人でも多く国会に送ろう」。「623日、20万人の尊い命が犠牲となった80年前の沖縄戦の終結日『沖縄慰霊の日』を前にして、戦争の実相=『ぬちどぅ宝(命こそ大切)』である」などを訴えました。 

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戦争をさせない三原市民行動共同代表の冨中豊彦さんは、

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▲自民党西田昌司参議院議員が沖縄県那覇市内で開かれたシンポジウムの講演の中で、沖縄戦で犠牲になった学生や教師を慰霊した「ひめゆりの塔」について、「今はどうか知らないがひどい。日本軍がどんどん入ってきて、ひめゆりの隊が死ぬことになっちゃった。そしてアメリカが入ってきて沖縄が解放された。そういう文脈で書いている。と発言しました。さらに、「沖縄の場合、地上戦の解釈を含めてかなりむちゃくちゃな教育をしている。自分たちが納得できる歴史を作らないと。とも述べています。こうした西田発言は、アジア・太平洋戦争、沖縄戦の実相、歴史を歪曲化するものであります。▲また、松井一實広島市長が新規採用職員研修で、国民主権に基づく憲法や教育基本法に反する戦前・戦中の「教育勅語」の一部を美化した発言が問題になっていましたが、先日のマスコミ報道に広島市教育委員会が61920日に天皇・皇后の来広に関わって、市内2校の小学校に「お出迎え」として、道路の両脇に立たせ歓迎するため、100名の子どもの名簿の提出を求めていたことが明らかになり、保護者から抗議が出されて市教委は、社会科の授業の一環と説明していましたが中止に追い込まれました。私たちが気づかないところで政治や教育が戦前に戻っているのではないでしょうか。危険な兆候だと思います。と訴えを行い、参加者一同で新たな戦前にさせないためにがんばり合うことを確認して街頭行動を終了しました。

 藤本講治

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2025年6月21日 (土)

核も戦争もない世界へー被爆80年のヒロシマから訴えるー

広島県原水禁と広島県被団協が共催して県内4カ所で開催する「核も戦争もない世界へー被爆80年のヒロシマから訴えるー」のスタートとなる福山会場での集会が、今日午前10時から神辺文化会館で開催されます。

その他3会場の予定は次の通りです。

三次会場 6月27日18時から十日市きんさいセンター

廿日市会場 6月29日14時から山崎本社みんなのあいプラザ

三原会場 7月5日10時から三原中央公民館

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集会の内容は、各会場共通で「被爆者の訴え、高校生平和大使の報告、被爆80年の課題の提起」です。

被爆者の訴えは、県被団協の協力を得て、地元の被爆者との今後の連携を強めたいという思いを持ち、地元からの登壇をお願いしています。

各会場には、広島県被団協の好意によりノーベル平和賞受賞の賞状とメダルが展示されます。

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今日の神辺会場の集会次第は次のようになっています。

福山地区労働センターの藤井麟太郎さんの司会で開会し、地区代表橋本修一福山地区労働センター議長のあいさつの後、被爆者の訴えです。

この会場での被爆者の訴えは、福山市原爆被害者友の会副会長平逸雄さんです。

高校生平和大使の報告は、昨年から今年にかけ大活躍した第27代高校生平和大使甲斐なつき(広島市立基町高校)です。

被爆80年への提起は、私が行うことになっています。

最後に吉田貴志尾道地区労議長が、閉会のあいさつを行い、集会は終了する予定です。

これまで、ほとんどといってよいほど原水禁や平和集会は、広島市で開催されてきました。今回は、被爆80年の節目、県内4カ所で開催することで、地元の被爆者の皆さんとの連携を強化するとともに若い人たちに出来るだけ多く参加してもらい、想いを共有し今後行われる平和行進、原水禁世界大会などヘの理解を深めてほしいとの思いを持って開催することにしています。

一人でも多くの参加を呼びかけます。

いのちとうとし

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2025年6月20日 (金)

ベトナムの歴史(その40)

ベトナム Now Ⅸ 中越戦争の背景 ①

3月20日号・21日号で1979年2月に起きた中越戦争を取り上げ、「なぜ、同じ社会主義国のベトナムと中国が戦争をしたのか」などについて書くことを約束していました。今号で触れたいと思いますが、少し時間が経過したので、中越戦争までのインドシナ情勢を若干振り返ります。

戦友だった カンボジアとベトナム

1970年3月18日、アメリカはカンボジアで反米姿勢を強めるシハヌーク政権を倒すため国防相のロン・ノル将軍にクーデターを起こさせます。ノドロム・シハヌーク国家元首は中国に亡命し国内の人民革命勢力、クメール・ルージュと反米・反ロン・ノル闘争を始めます。クメール・ルージュはシアヌーク政権に弾圧され地下に潜った小さな勢力でしたが、国民的に声望の高いシアヌークと組みベトナム戦争とも連携しながら、反米・反ロン・ノル闘争を戦うことで、その勢力を伸ばします。

1975年4月17日、ポル・ポトが率いるクメール・ルージュが親米ロン・ノル政権を倒し、「民主カンプチア」を建てます。それは、南ベトナム民族解放戦線と北ベトナム軍が、サイゴンを解放した4月30日の2週間前です。ところが、その僅か数日後の1975年5月3日、ポル・ポトが率いるカンボジア新政権は、ベトナム領のフーコック島を攻撃・占拠、島民を多数殺害したことを機にベトナムとカンボジアとの対立が深まります。

その後、ポル・ポト政権はベトナムとの対立を深めながら、中国の文化大革命に倣った徹底的な集団化の過程での虐殺と、「ベトナムと通じた裏切り者」として親ベトナム派幹部の粛正という大量虐殺による恐怖政治を進めます。

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  (ノドロム・シハヌーク)     (ロン・ノル)

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 (ポルポト)

なぜ? カンボジアvsベトナム、中国vsベトナム

なぜ、反米・反ロン・ノル闘争とベトナム戦争の戦友が争ったのでしょうか。その背景と要因について簡単に紹介します。

第一に、カンボジアはフランスに植民地支配される以前の15世紀頃から、ベトナムの黎(れい)朝、阮(ぐえん)朝に領土を浸食されていました。フランス植民地時代には、現地官僚として派遣されたベトナム人による間接統治だったため、ベトナムに対する強い反発がありました。

ポル・ポトはカンボジアに根強く残るベトナムへの歴史的な怨念に加え、〔ベトナム戦争の勝利に乗じて、カンボジアを攻めるのでは〕という強い疑念を抱いたのです。

第二に、クメール・ルージュとベトナム共産党、クメール・ルージュと緊密な関係にあった中国共産党、中国共産党とソ連共産党との対立など、複雑な関係が横たわっていたことです。ベトナム戦争は「ドミノ理論」に基づく共産勢力の伸長を阻止するためのアメリカによる戦争でした。

ベトナム戦争後のインドシナ半島情勢は、50年代から始まった中国共産党とソ連共産党の路線対立が、60年代後半には国境紛争へと対立が深刻化する情勢にありました。

こうした中で長く中国に支配・抑圧された歴史を持つベトナムはソ連との関係を深めます。中国はインドシナ半島へのソ連の影響力拡大を阻止するため、反ベトナムという民族主義に燃えるカンボジアのポル・ポト政権を経済・軍事両面で強力に梃子入れします。隣国間の地理的対立の火種が、中ソ対立という国際的な抗争に翻弄されたのです。

こうした情勢のもと1977年4月30日、ポル・ポト政権がカンボジア東部国境で対ベトナムの新たな軍事作戦を始め本格的な軍事衝突が起こります。ベトナムは1978年12月25日、亡命中のヘン・サムリンをはじめ元ポル・ポト派地方幹部らとともにカンボジアに侵攻し、翌年1979年1月8日にヘン・サムリンを国家元首とするカンプチア人民共和国を建国します。

このことから、「ベトナムのカンボジア侵攻に対する懲罰」を大義に1979年2月17日、人民解放軍20万人でベトナム北部3カ所から攻撃し中越戦争が始まったのです。中越戦争については既に書きましたので詳細は省きます。

フランスによるインドシナ3国の植民地支配と、それに抗する闘い。フランスに代わって介入したアメリカとのベトナム戦争、カンボジア内戦とベトナムのカンボジア侵攻、中越戦争・・・。これらの流れを見ると、列強による植民地支配、自国の国益のみを追求し争いの火種を拡散する大国のエゴイズム。一方には、そのパワーポリティクスに翻弄され、収奪と搾取に苦しみ、抑圧と貧困に喘ぎ、戦火にさらされ、尊い命を奪われるという国際政治の現実に突き当たります。

それは50年経た今日も絶えることなく、東アジアや西アジアで、中東やアフリカで、東ヨーロッパで、そして中南米で・・・・形を変えて続いています。

「被爆80年」、「戦後80年」を迎え、あらためて日本政府は厳しく問われています。

次号では、日本政府のポル・ポト政権に対する姿勢や中越戦争に関する対応、ベトナムとの関わりなど、当時の日本の政治状況を見てゆきたいと思います。

2025年6月20日(あかたつ)

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2025年6月19日 (木)

ウラン鉱夫の肺癌リスクは、4倍に増加

一昨日午後2時半から広島県医師会館で、放射線影響研究所(以下「放影研」)設立五〇周年の祈念式典が開催されました。

原水禁にも招待がありましたので、代表して私が参加しました。

祈念式典は、神谷研二理事長のあいさつで始まり、来賓のあいさつが続き、最後に湯崎英彦広島県知事、松井一實広島市長などのビデオメッセージが流され終了しました。

休憩を挟んで、二人の記念講演がありました。

最初は、箕牧智之広島県被団協理事長が、「原爆被害と私に人生」と題して自らの被爆体験や被爆後の苦しい生活、昨年のノーベル平和賞受賞などの核廃絶のための活動について報告。箕牧さんの話しを聞きながら、同じ放影研の祈念式典でお元気だった坪井直先生が、被爆体験を語られた事を思い出しました。後で調べると2017年に行われた「ABCC―放影研設立70周年記念行事」でのことでした。

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記念品を手にするお二人 箕牧さんの左がジョナサン・サメットさん

二人目の講演者は、放影研の評議員でアメリカコロラド公衆衛生大学院教授、前大学院長のジョナサン・サメットさんです。演題は「被爆80年/放影研設立50周年『悲劇から希望へ』」です。

講演が始まる前は、「放影研の業績の話し」だろうぐらいに思っていたのですが、話しの冒頭のパワーポイントに「ニューメキシコ州のウラン鉱夫の肺ガンリスクは4倍に増加」の文字がでてきました。このパワーポイントを示しながらナバホ族の名前も出しながら「鉱夫への公正な補償が必要だ」と話が進みます。さらに「放射能が有害なことは、1945年以前から知られていた」とレントゲン、キューリー夫人などの話につながります。

まさか、ウラン鉱夫の被曝問題から話しが始まるとは思ってもいませんでしたので、真剣に聞かなければという気になりました。

その後、放影研の研究テーマの話しが続きます。特に、妊婦への影響、そして遺伝的影響についての話しです。「被爆二世の集団では、生存率の低下はない」との話しもでてきますが、撮影が禁じられ私のメモだけが頼りですので、間違いがあってはなりませんので、その詳細をここで紹介することは出来ません。

ただ最後の部分は、再び私の関心を呼びました。現在の世界の核兵器の保有数、さらに世界の原発の数などを図示しながら「米ソ冷戦の時代、小学校?では、空襲警報が鳴ったら机の下に隠れるように」と教えられたこと、原子力発電に関しても「廃棄物の確定的議論は出ていない」と厳しく指摘しました。そして「広島・長崎の生存者である被爆者の証言は、この文脈の中で唯一無二のものです」「核の無い社会 それが私の望みです」と話されました。一番最後は、広島平和公園の原爆慰霊碑が登場し、原爆慰霊碑をバックに大きな文字で「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」が書かれたパワーポイントが写されジョナサン・サメットさんの講演は終了しました。

アメリカの学者から、こんな話しを直接聞いたのは初めてのことです。

講演会後開かれた懇親会でジョナサン・サメットさんに話すことが出来ましたので、「ウラン鉱夫の話しから始まったことに感心しました」と思いを伝えると、「一応アメリカ政府も補償法を作ったのですが、それも肺ガンに限定されていましたし、2年前に打ち切りになりました。」との返答。もう少し詳しく聞きたい話しですが、日本語の翻訳された論文はない用です。いつかそのうちの一つでも読んでみたいなと思います。

放影研の祈念式典のことをこのブログで紹介する予定ではなかったのですが、ジョナサン・サメットさんのことを紹介しなければと思い、記述することにしました。

いのちとうとし

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2025年6月18日 (水)

遺骨が帰ってきました。

昨日の午前中、いつものように平和公園を散歩していると、供養塔の横に軽トラックが止まっているのが目に入りました。

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供養塔整備のため別の場所で保管されていた原爆犠牲者の遺骨が、帰ってきたようです。

近づいてみると、トラックの荷台に積まれた大きな木箱に白い布をかけて、ひと箱ずつ作業員の手で丁寧に納骨堂に納めています。

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作業中の作業員に少し話しを聞きました。

箱の重さは色々あるようですが、重たいものでは30キロぐらいとのことです。納められた遺骨は、たまに大腿骨かなとわかる骨もあるようですが、ほとんどは粉々になっているそうです。

そうしたことがわかるのは、お骨を納めている箱が、湿気などで朽ちて新しい箱に入れ替えることがあるからわかるそうです。

箱には、「氏名不詳」と書かれています。

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「似島」と書かれた箱が目につきました。似島で発掘されて、この供養塔に納骨された遺骨です。「似島」の文字の下に小さく「30.7」と書かれています。似島千人塚に埋葬されていた遺骨は、昭和30年(1955年)8月4日にこの供養塔に納骨されていますので、その時書かれたものと思われます。この箱の横には、「原爆死没者遺骨 氏名不詳 似島」と書かれて白い紙がはってあります。

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次々と遺骨箱が納骨堂に納められます。

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「これで終わりですか」と尋ねると、「後2往復ぐらいしなければなりません」との答えです。「納骨堂には約7万体の遺骨がある」と言われていますが、その量を想像することは出来なかったのですが、やはりすごく多い量になるのだなという感想を持ちました。

立ち会っておられた市の職員に聞くと、「箱の大きさにすこし違いがありますが、今回改めてその数を確認しようと思っています」ということでした。

私がみた木箱は、氏名不詳の遺骨が納められていますが、名前のわかっている813柱の遺骨は、それぞれ骨壺に収められています。

「骨壺が納められる様子を」と思ったのですが、骨壺は、段ボール箱に入れて保管されていたようですので、段ボール箱のまま納骨堂に納め、中で取り出すことになるようです。

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今回は、供養塔内部の床だけでなく、お骨を並べる棚の修理、雨漏りを防ぐための修理、納骨室入り口の壁の塗り替えなどの修理、修繕が行われるとのことです。

また、周囲にある生垣も、隙間が出来ているところに新しく植栽するなどの作業も行われています。

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上の写真では、右側の柱の左2本が新しく植栽された木です。

被爆80年の8・6を前にしたある日の平和公園の様子です。

いのちとうとし

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2025年6月17日 (火)

松江に帰りました。

土曜日の14日、実家の甥の49日の法要に参列するため、松江に日帰りで行ってきました。

バスで松江駅前に着いたのが、ちょうど12時。法要は、午後2時半からですので、松江温泉行きの市内バスに乗って、松江に帰ったときには必ず訪れる「出雲蕎麦ふなつ」に行きました。

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店に着いたのは、午後0時半過ぎ。この時間ならいつも満席の状態ですが、雨模様だったからでしょうか、空席がありすぐに座ることが出来ました。

注文は、いつものように釜揚げ蕎麦と割子蕎麦2枚です。そんなに時間をおかずにでてきました。

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熱いうちにと、出汁をかけて、まず釜揚げ蕎麦食べました。そして、ゆっくりと割子蕎麦を食べます。

いつものことですが、美味しくいただきました。

食べている最中に、主人が厨房から出てきて、1冊の本を見せてくださいます。二人の共通の知人で、私の中学校以来の友人川上正夫さんが、今年5月に出版した「島根方言集成」です。川上さんは、出雲で出版社を経営し、これまでに何冊も郷土に係わる本を出版しています。この本については、別の機会に紹介したいと思います。

食べ終え、勘定を済ませて店を後にします。

少し時間がありましたので、すぐ近くのスーパーマーケットに寄り、宍道湖産シジミを購入しました。

法要の会場である圓成寺は、少し遠いのですが、時間が充分あり、街の様子も見てみたいとの思いがあり、雨も止んでいましたので、歩いて行くことにしました。

10分も歩くと県庁前に着きます。ここからは、松江城の正面が望めます。青空を背景にした松江城もよいものですが、雨に濡れた松の木の間から見えるお城もなかなかの景色です。

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お城を眺めた後、松江大橋を渡ります。そういえば、今年の秋から始まるNHKの朝ドラ「ばけばけ」は、ラフカディオハーンの妻である松江生まれの小泉セツが主人公ということですから、松江大橋も登場するかも知れないと思いながら渡りました。

橋を渡り終えると、かつて私が働いていたことのある松江電報局があった(現在は別の建物が建っている)白潟本町を通り、天神町竪町と懐かしい名前の町筋を南の方に向かいます。少し雨が強くなりました。

法要が営まれる圓成寺(えんじょうじ)には、開始30分前に着きました。雨が少し強く降ったということもありますが、40分以上歩いたのですが、その間にだれ一人すれ違う人はありませんでした。

圓成寺は、松江城を開城した堀尾義晴公の菩提寺ですので、重厚に山門が出迎えます。山門の手前の看板には、小泉八雲(ラフカディオハーン)が、ここをよく訪れたことが記されていました。

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山門を入った境内もきれいな庭になっています。

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境内には、中門があります。広島ではみることのない、寺の作りです。

本堂脇で着替えを済ませます。方丈さんのお誘いを受け、屋内から裏庭をみることが出来ました。圓成寺は、禅宗の臨済宗 妙心寺派(禅宗)のお寺ですから、庭もそれらしいつくりとなっています。

「この部屋からお殿様が、庭を眺めたと伝えられています」お殿様のように座敷に入って、部屋の中から庭を眺めることは出来ませんでしたが、前の廊下に立ち写真を撮りました。

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松江城もそうでしたが、雨に濡れた庭の眺めもなかなかのものでした。この庭の奥に堀尾義晴公の墓所があります。

そうこうするうちに法要の時間となり、亡くなった甥の小学校時代の同級生である若月大峰住職の心のこもった読経により、法要は無事終了しました。

私は、松江駅午後4時発のバスで広島に帰りました。

いのちとうとし

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2025年6月16日 (月)

第28代高校生平和大使結団式

28代高校生平和大使の結団式が、15日午前10時から広島市の自治労会館で開催されました。今年選ばれて高校生平和大使は、全国18都道府県24名です。

結団式は、第27代高校生平和大使沖本晃朔(おきもとこうさくAICJ高等学校3年)の司会で進行しました。

最初に高校生平和大使派遣委員会代表があいさつ、続いて来賓のあいさつ。来賓は連合広島大野真人会長など5名。

あいさつの後、高校生平和大使派遣委員会共同代表小早川健さんから、平和大使一人一人に任命証が手渡されました。

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任命証受領で晴れて正式に高校生平和大使に任命された高校生一人ひとりが、決意を表明しました。

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一人持ち時間は1分。例年のことですが、「なぜ自分が高校生平和大使に応募したのか、被爆者の体験、被爆の実相をどう継承するのか、戦争も核もない時代を築くために自分はどんな取り組みをするのか」などを力強く訴えます。

自分が高校生だった時には、まったく平和活動などやってこなかったことを思い出しながら、「なんと立派な決意表明をするのだろう」と感心しながら一人ひとりの決意を聞きました。

最後の決意表明は、長崎県で選ばれた長崎日本大学高等学校2年生の芮(いぇ)序知(そじ)さんです。自らが学んできたこと、「焼き場に建つ少年」の写真を示しながら、ローマ教皇フランシスコ法王が語った「このような写真は千の言葉よりも多くを語る」という言葉を紹介し、最後の全員を代表する形で「戦争は知らないが、平和は知っている。過去は変えられないが、未来は作ることができる。平和への架け橋としての役割を果たしたい。1万に署名メンバーとともに戦争も核兵器のない世界を実現させるために全力を挙げて頑張ります」と決意を表明しました。

ここで結団式は終了し、全員での記念写真。

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高校生平和大使の活動は、1998年長崎の二人の高校生が、米国・ニューヨークの国連本部へと派遣されたのがスタートです。現在のようにスイス・ジュネーブの国連欧州本部を訪れるようになったのは、2000年の第3代からです。

28代高校生平和大使は、1万に署名活動の仲間とともに集めた署名を持って、今年は、831日から国連欧州本部を訪れることになっています。

2001年から国連欧州本部に届けた署名数は、272万筆を超えています。

「ビリョクだけどムリョクじゃない」を合言葉に活動を続ける高校生平和大使と1万人署名活動の仲間の活動は、私たちを勇気づけてくれます。

昨日から広島に集まり、被爆者の体験を聞くなどの研修や資料館見学、碑めぐりなどのフィールドワーク(雨天だったのですが実行したとのことです)などで広島の被爆の実相を学んだ高校生平和大使たちのこれから一年間の活動に期待したいと思います。

いのちとうとし

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2025年6月15日 (日)

2025年6月のブルーベリー農園その2

梅雨に入った。当然雨の日、曇り空の日がくるくる交代しながら季節をすすめる。ブルーベリーも早生の品種の収穫が始まる。安芸区矢野東にある安芸の郷の第2森の工房AMAの屋上の早生のブルーベリーは5月末から収穫が始まりcafeさくらでの販売(100gパック)も始まっているが、標高約400mの東広島市豊栄町のブルーベリー農園では2週間くらい遅れる。農園での作業はブルーベリーの剪定が4分の3すんだがこの時期に入り草刈り、防鳥ネット掛けなどの作業が入り込むのでちょっと中断となっている。

67日(土) 里山の早生のブルーベリーを見に行くと青みを帯びた実が一つだけあった

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68日(日) 次の日に同じ場所に行くと3本の木で実っていたので今夏最初のブルーベリーの摘み取りして初物を味わった

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612日(木)には2種類4本のブルーベリーの木が青く色づいたので今夏2回目の摘み取りをして、花壇にあったグミの実も少し収穫して籠に入れる

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作業の様子

68日(日) 久しぶりの野焼き

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67日(土) 里山の早生のブルーベリーを栽培しているエリアの草刈りを数日に分けて行っているがこの日に終了

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今度は家の前の3段あるブルーベリー畑の草刈りを始める。この場所は緑肥を育てているので草の背が高いためチップソーの刃では草がからまるので、草刈り機の刃を3枚刃に交換して作業を始める。やや頻繁にやすりで研いでまた使う

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一番上のブルーベリー畑から草刈りを始めた。去年6月に根元から全部バッサリ切ったブルーベリーの木のある場所の草を刈ると株元から新しいシュートが出できていた

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刈らないといけない雑草の中で元気なのは白い花を咲かすクローバー

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ブルーベリー農園の季節の花

①アザミ(草刈りの時残しておいた。葉がズボンに触れると葉のとげがチクリと刺す)

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②里山の端っこにあるハコネウツギ

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③花壇のハナショウブ。アイリス系のジャーマンアイリスもアヤメもおしまい。これからはハナショウブが主役

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2025年6月14日 (土)

2025年度広島県原爆被害者団体協議会定期総会

広島県原爆被害者団体協議会の2025年度定期総会が、昨日午前10時30分から役員・代議員など約40名が参加し地域福祉センター5階(中区大手町4丁目)で開催されました。

総会は、昨年12月に亡くなられて元副理事長で顧問だった池田精子さんをはじめ、死没された被爆者への黙祷から始まりました。

最初にあいさつに立った箕牧智之理事長は、ノーベル平和書受賞以降の様々な支援に感謝しながら、被爆80年の今年「核兵器のない世界を実現させるため全力でがんばろう」と呼びかけました。

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その後来賓のあいさつ、メッセージの紹介が行われ、議長に神石高原町の山本剛久さんを選出し、議事に入りました。

議案提案に先立ち、5月にフランス・グルノーブル市長の招待でフランスを訪れ、同市だけでなく南フランスなどで10カ所で証言活動を行った田中聡司理事がその様子を報告しました。

その後、熊田事務局長が議案として、経過報告の中では、特にこの一年間、証言活動の依頼が多かったことを紹介し、今年度方針でもそれを引き継ぎ、さらに核兵器禁止条約への参加の働きを強めること、被爆二世などによる被爆体験の継承・講話に力を注ぐことなどの活動方針を提案しました。

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この提案を受け、大竹や三原から、被爆80年の取り組みについて報告がありました。

大竹からは、毎年8月6日に大竹市総合市民会館の原爆慰霊碑「叫魂」前で慰霊式を行っているが、被爆80年の今年は、記念行事として、8月5日午後6時から総合市民会館で音楽コンサート、体験記の朗読会を行い、その後原爆慰霊碑「叫魂」前で、これまで亡くなった犠牲者2600名余の数だけLEDライトを灯し、追悼する計画を進めていることが報告されました。

三原からは、「70年史を作った10年前から準備してきた『80年史』を発行する準備を進めてきたが、なかなか体験記が集まらなかったけれど、ノーベル平和賞受賞後、体験を寄せていただけるようになり、10人の被爆体験が集まったこと」が紹介されました。

その後、全体の拍手で、全ての提案が承認され、総会は無事終了しました。

これまで、何度か総会には最後まで参加したことがありますが、今年は各地区の活動状況が報告され、よい総会だったと思います。

午後は、学習会が行われました。

いのちとうとし

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2025年6月13日 (金)

市内にあった被爆者団体8団体?

今日は、午前10時から広島県原爆被害者団体協議会(箕牧智之理事長)の総会が開催され、午後1時から学習会が開催されます。

午後の学習会で「被爆者運動の歴史に学ぶ」と題した講演を引き受け準備する中で、以前から気になっていたことを改めて調べることになりました。

それは、「広島県原爆被害者団体協議会」が、1956年5月27日に結成される以前にあった被爆者組織のことです。1955年8月に開催された第1回原水爆禁止世界大会以降、県内各地に被爆者組織が誕生するのですが、広島市内にはどんな被爆者組織があったのかと言うことです。

森滝市郎先生が、1970年10月に中国新聞に6回連載で寄稿された「被爆者運動の歩みと私」(森瀧市郎著「核と人類は共存できない」2015年発刊収録)には、次のように記述されています。

「当時、県被団協の中心となる広島市原爆被害者団体連合会が出来る頃には、市内には原爆被害者の会を始め8・6友の会、シオンの会(原爆乙女の会)など8団体があった」

ここには、8団体あったことが記述されていますが、組織名が記述されているのは、3団体だけです。一つの手がかりは、1956年3月20日の初の「国会請願行動」の参加者名簿ですが、そこには上記の3団体以外に「未亡人会、電通遺族会」の二つの組織の名前が書かれています。

残りの3団体の名前が知りたいと調べてみると、2014年に発行された宇吹曉(さとる)著「ヒロシマ戦後史」の中に次のような記述があることがわかりました。

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「世界大会直後、原爆乙女の会(シオン会)・原爆被害者の会・原爆の子友の会の先駆的3組織のほかに,広島子供を守る会(これは正式の意味では原爆被害者組織ではないが、1955年10月公会の設けられた青年部「あゆみグループ」は被害者組織である),未亡人会(原爆被害者グループ),大会直前に原爆被害者の会から別れた八・六友の会と原爆被害者の会本部,および大会の期間中に組織された電気通信関係原爆犠牲者遺族会の8組織が存在した。」

この中の「電気通信関係原爆犠牲者遺族会」は、以前このブログで紹介した「電通遺族会」のことです。

「原爆被害者の会」はよく知られていましたが、その他にもこれだけの原爆被害者組織が、つくられていたのです。

さらに次の記述が続きます。

「世界大会直後から,これらの被害者組織の一本化が試みられたが,性格の異なる諸組織の統合には,多くの困難が存在した。10数回の会合ののち,1956年1月22日に広島市原爆被害者連絡協議会世話人会の発足にこぎつけた。」

この文章を読みながら二つも事に気付きました。

一つは、森滝先生の文章に出てくる「広島市原爆被害者団体連合会」の正式名称は「広島市原爆被害者連絡協議会」ではないかということです。

もう一つは、10数回の会合です。これも何度かこのブログで引用したことがある藤居平一関係資料の中に、この会合の議事録があったことです。

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出席者の中に、「未亡人会、被害者の会、シオンの会」などの団体名が記述されています。

発言の最初に「川手 8.6以後において とう一(ママ)する必要があるのでわなかろうかとの声が出て何とかし様(ママ)でわないかということになった」というメモがあります。「川手」とは、「被害者の会」の設立の中心的役割を果たした川手健だと思われます。

当時の雰囲気の一部を感ずることの出来るメモです。

宇吹さんの記述によれば、1956年3月20日の「国会請願行動」当時、広島市以外で原爆被害者の組織があったのは、「大竹市(1955年8月6日結成)・甲奴郡(9月1日)・芦品郡(1011日)・深安郡・神石郡・三次地区(1956年3月15日)で、3月29日には,賀茂郡原爆被害者の会が結成された」となっていますが、「国会請願行動」参加者名簿では、15市、郡、町名があがっています(大竹市は不参加)ので、他地域でも組織を作ろうという動きがあったことがうかがえます。

少しずつですが、当時の状況を知ることが出来ました。

いのちとうとし

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2025年6月12日 (木)

キョウチクトウの花

原爆被爆により焼野原になった広島の街で、真っ先に花をつけた〝一番花はキョウチクトウとカンナです。中でも生命力が強く、乾燥にも潮風にも耐える力を持ったキョウチクトウが咲かせた花は、まるで〝復興の象徴のように、広島市民を力づけたといわれています。

そのキョウチクトウは、毎年この時期になるといっせいに白や深紅の花を咲かせます。

平和公園南側のタクシープールのすぐ東側の道路沿いに、以前にも紹介したことのある白い花を咲かせる大きなキョウチクトウがあります。

梅雨入りして雨模様の日が続くようになりましたが、少しだけ晴れ間も覗いた昨日の午後、見に行ってきました。

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キョウチクトウは、7月8月に咲く花と言われていますが、この木はすでに盛りを過ぎたのでしょうか、沢山の花びらが落ちています。でもまだまだ沢山の花を付けています。つぼみもありますので、まだ咲き続けるようです。

平和公園を訪れた西宮市の小学生たちが、団体の入り口となっている資料館南側の入り口に列を作っています。

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今日も多くの子どもたちが平和公園を訪れていますが、この子どもたちに「焼け野原の広島で真っ先に咲いたキョウチクトウの話」が伝わっているかなと思いながら、本川橋に移動しました。

本川橋に向かったのは、一昨年のG7サミットのとき、「警備上のため」として、バッサリと刈り込まれた本川右岸と本川小学校の校庭東側生垣のキョウチクトウが、どうなっているのか観てみようと思ったからです。

昨年見に来たときの様子は、つぼみを付けたキョウチクトウ: 新・ヒロシマの心を世界にで「大人の背丈ぐらいに伸び」「枝先に小さなつぼみがついている」ことを紹介しています。

今年は、本川沿いに並ぶキョウチクトウは、背丈も私より大きく新しい枝が伸び沢山の紅い花を咲かせています。

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ところが、道を挟んだ西側の本川小学校の生垣となっているキョウチクトウは、背丈がそんなに大きくなっていません。

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花の姿は、まったくと言ってよいほど目に入りません。それでもと思い目をこらして、観ていくと生垣の一番南の端に何とか白い花を見つけることが出来ました。

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葉は繁っていますので、もう少し時間が経てば、花を咲かせる枝があるかも知れません。

散歩の途中にまた寄ってみたいと思います。

G7さっミット警備のために本当にキョウチクトウの伐採が必要だったのか?

今年もまた、そんなおもいをしながら、この場を後にしました。

いのちとうとし

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2025年6月11日 (水)

台湾が原発ゼロになった日―その2

放射能の遺伝的影響の問題は私たち被爆二世、三世にも及ぶ心配を持たせます。被爆二世の知人で白血病などの遺伝影響とすぐに結びつく病気な亡くなった人もいますが、風邪をひきやすいとか、疲れやすいといった放射能の影響とは断定できない免疫力の低下といった症状を持つ人も多く、健康上の不安を持っている人が多いこともアンケート結果などで現れています。二世自らの子どもや孫への心配ということも懸念されています。

先人の被爆者からいつも聞かされていた言葉に、「三つのほしょう論」というのがありました。「ほしょう」という言葉、漢字で表すと異なるのですが「補償」、「保障」、そして特に三番目の「保証」は、これから放射能被害で苦しむ人を作らない、作らせない社会、世界を作っていることの「保証」です。それは原発による被害者を作らない、核兵器開発・使用に係ることでの被害者を作らない世界を作ることの「保証」です。

先日ニューヨークの国連本部で第3回の核兵器禁止条約の締約国会議が開催されましたが、その会議の中で米国の先住民居留地でのウラン採掘被害を告発する発言をした女性は、核被害の苦しみは核兵器と原発を区別できないと強調していました。核被害とは何なのか。原子爆弾と原子力発電所の加害としての核問題を、考える視点の重要さを指摘されました。核兵器禁止条約の内容をもっと充実させるためのヒロシマの役割りも重要だと感じています。

2011年3月11日、東日本大震災によって福島原発事故が発生し、あれから14年の年が経過しました。当時の日本の政権は、民主党政権でしたが「2030年原発ゼロ」を掲げましたが、翌12年に定めた「エネルギー基本計画」では、明確にそのことを決めずに、民主党政権から自民党政権に交替しました。

しかし、自民党政権ですらその後のエネルギー基本計画でも「原発削減をめざす」とし、「新規の原発は建設しない」という姿勢を維持していました。世論も「原発嫌だ」が圧倒的でした。

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後ろに廃炉となった第3原発が見える

しかし今年2月に改定、否、改悪された「第7次エネルギー基本計画」では、これまでの「原発の削減」から「原発回帰」と大きく政策が変わりました。

私の住んでいる広島県の隣りの県である山口県の上関町に計画されている「上関原発計画」は、計画が公けになって今年は43年目となります。上関原発反対運動の拠点と呼ばれる祝島の反原発島内デモは、コロナ禍のために2020年から中断していましたが、今年1月から再開されました。ノーニュークス・アジア・フォーラムの皆さんは、何年か前のフォーラムで祝島へ行かれ、強く感動されたということのようですが、定例デモが再開されました。

上関原発計画は新設の原発計画で、海の埋立てを実施しなければ建設できない原発ですが、地元の人たちは漁業者の生活の糧を得る海の埋立ては許さないという強い気持ちで活動が行われています。

上関町の人から聞いた言葉があります。「広島の人は私らが原発建設に反対する気持ちを一番に分かってくれてであろう。原爆の被害を経験しておられるから」と。私は、この言葉は決して忘れられない言葉です。祝島には出稼ぎ作業員として、原発の下請け作業を経験した方もたくさんおられました。また、原爆被爆者も何人かおられました。原発作業員が持つ放射線管理手帳と原爆被爆者健康手帳の二つを持つ人もおられました。

5月17日には、台湾で原発がゼロとなる記念の日に、私たち日本の運動も皆さんに負けないで、皆さんと連帯して原発の無い社会をめざす活動を行ってまいります。

ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・フクシマ、ノーモア・ヒバクシャ

We don’t want a Radiation ,

We don’t want a Nuclear power plant

We don’t want a Nuclear war

頑張ります。ありがとうございました。

木原省治

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2025年6月10日 (火)

台湾が原発ゼロになった日―その1

5月17日午後8時(日本時間午後9時)頃から、台湾の台北市にある台湾電力公司本店の前は約300人が集まりました。この日、台湾の原発がゼロになったのです。ドイツに続いて2カ国目です。原発が停止されるのは、午後10時、その時刻前にはカウントダウンも始まりました。

10時になったと同時に、高さが10階以上ある本店建物の壁面には大きく「非核家圏 No Nukes TAIWAN  No Nukes ASIA」と書いた照明が照らし出されました。

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前日から開催された「ノーニュークス・アジア・フォーラム」に、参加しておりました。フォーラムは台北大学の講堂で開催され、日本、韓国、台湾、ベトナム、インドネシア、フィリピン、インド、トルコから100人が参加しました。同時通訳のブースも、日本語⇔英語、英語⇔中国語が置かれていました。

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インドネシアの二人との記念写真

16日初日の主催者あいさつに続いて、基調スピーチをさせられました。

被爆地広島で活動しているということ、そして昨年ノーベル平和賞を受賞したということで頼まれていたのです。今日はそのスピーチを掲載させていただきます。

みなさんこんにちは!台湾が原発ゼロとなる日に、この場で居ることをとても嬉しく思っております。日本の広島から参加いたしました、木原省治と申します。

私は原子爆弾が投下された4年後の1949年に生まれました。両親と二人の姉が被爆しました。すぐ上の姉は、原爆が投下された時には、母親のお腹の中にいた、「胎内被爆者」です。原爆投下翌年の1946年2月に生まれました。

母親は背中から肩にかけて大やけどを負いました。もう一人の姉は2歳でした。両親も何とか生き延びたので、4年後に私が生まれ、その4年後の1953年に父親が47歳で急死しました。母親は私を含め3人の子どもを育ててくれました。胎内被爆した姉は2005年に58歳で、急死しました。母親は生活の苦労と身体の不調の中でも、1998年まで生き延びてくれました。

私は被爆者である父親と母親の生き様と死に様を見て育って参りました。私たちのことを被爆二世と呼びます。現在は被爆三世、四世も存在しています。

私は70歳まで仕事をしておりましたが、原子力発電に反対する運動と、全国各地から広島市の平和公園を訪れる修学旅行生などに、公園内の原子爆弾に関する慰霊碑の案内などを行っています。

昨年は原爆資料館を訪れた人数が、これまでの最大になったと報じられていました。私の見る限り、外国人が約4割、修学旅行生が約4割、その他が2割という感じではないかと思っています。

昨年は日本原水爆被害者団体協議会、約して「日本被団協」と呼びますが、ノーベル平和賞を受賞しました。たいへん嬉しいことではありますが、私は強いプレッシャーとともに責任の大きさ感じています。

原子爆弾投下から80年、戦後80年、先人の被爆者や平和運動を担ってこられた方々の大きな努力によって、長崎への原爆投下以後は、戦争で原子爆弾が使用されることを食い止めることが出来たと思います。プレッシャーと責任の大きさとは、被爆地に生まれ育ってきた者として、先人の方の期待に応える活動の大きさです。

(以下、明日に続く)

木原省治

【編集者】基調スピーチの途中ですが、木原さんの了解を得て、今日明日の2回に分けて掲載します。

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2025年6月 9日 (月)

映画「声よ集まれ」広島上映会

全国各地の朝鮮学校を支援する日本の市民たちの活動に焦点を当てて作成された映画「声よ集まれ」の上映会が、同映画製作委員会広島の主催で、6日の夕方と7日の午後の2回広島弁護士会館で開催されました。私は、7日午後の部に参加しました。

主催者によると6日は約100名、7日は、朝鮮学校の生徒の参加もあり約200名の観客が、映画を見ました。

広島では、昨年秋に試写会が行われていますが、完成した映画での上映会は、今回が初めてです。全国各地でも上映活動が展開されています。

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映画は、約1時間半の作品で、朝鮮学校の高校無償化裁判以降も続く、朝鮮学校を支援する日本の市民を描いていますが、縦糸では、もっとも地域社会とつながり、若い人達が支援の輪の中にいた(朴さんのことば)滋賀の支援活動を紹介し、横糸は朝鮮学校で学ぶこどもたちの活き活きとした姿が描かれています。ですから、映画の最初と最後は、地域社会を象徴する琵琶湖の湖岸と未来を表す青空の映像が流れます。

映画は、全国各地の朝鮮学校を15年間撮り続けてきた朴英二さんの監督によって作成されていますので、日本の支援者のことも十分に理解した作品になっていると感じました。

上映終了後は、大月純子さんの司会で、朴英二監督とこの映画に出演する広島の二人、広島無償化弁護団平田かおり事務局長、日朝友好広島県民の会高橋克浩共同代表にトークイベントが行われました。

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高橋さんは、繰り返される人権を無視した差別は絶対に許されないことを話し、とりわけ「子どもたちに対し、言われなき差別を行われていることは絶対に許せない」ことを強調し、今後も子どもたちを守るための活動を強化すると表明しました。

朴英二監督は、この作品を作ったきっかけを「朝鮮学校を題材にしたものはこれまで沢山作ってきたが、そのほとんどは子どもたちが主人公。学校を回ると、どこにもそれを支援する日本人がいることを知った。そのことを表したかった」と話し、「これまでの上映会で、若い人たちから『初めて朝鮮学校のことを知った』『何か出来ることが有るのではないか』という声をいただいている」ことを紹介しました。

そして「150時間、100人の取材を通じて、朝鮮学校の魅力とは、母国語、文化を学ぶことだけでなく、学校、教師、子ども、保護者、地域が一体となったコミュニティーが存在する。共同体の価値を見ることができる」「これまで、内からも外からも壁を作っていたが、これからはもっと地域社会とのつながりを大切にしていかなければならないことを学んだ」と、この映画の持つ力とこれからの朝鮮学校支援のあり方を提起しました。

この映画では、日本人だけでなく、在外コリアンにも日本の問題に関心を持ってほしいと、韓国、アメリカやドイツなどヨーロッパに出かけて取材した様子も登場します。

映画を観ながら、朝鮮学校無償化裁判が行なわれているとき、朝鮮学校の子どもたちが行った県庁前や市役所前での街頭行動で、「声よ集まれ 歌となれ‘(ソリヨ モヨラ  ノレヨ オノラ)」の歌を一緒に歌ったことを思い出しました。

いのちとうとし

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2025年6月 8日 (日)

2025年6月のブルーベリー農園その1

一段とホトトギスの鳴き声が農園に響く季節は暑くなりつつあることを教えてくれるような気がする。じわじわと気温が上がっているのでとにかく草が伸びる草を刈る季節の到来でもある。6日はカラッとした一日で気温は26度くらいで過ごしやすかったが空はずーっと曇っていてそろそろ梅雨を予感させる日だった。

62日(月) 田んぼののり面の草を刈り乾かして集めて焼くと黒い焼け跡が景色にアクセントを与える

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65日(木) 農園の庭でタイザンボクの大きな白い花が咲いた。葉も花も大きい

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そろそろ早生のブルーベリー畑に防鳥ネットを貼る時期が来たので単管の柱の継手の部品を交換した。ぼろぼろに錆びている

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ウツギの白い花。昨年根元から切るのをやめて少し伸びしろを残したらたくさん咲いた

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66日(金) ネムノキの葉が高い枝に絵の筆をぽっぽっと乗せるように葉が顔を出してきた

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そろそろジャーマンアイリスも終わり

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ブルーベリー畑の草刈りを始める。緑肥として昨秋種をまいた植物がぼさぼさ伸びている。列の真ん中に置いてある防草シートと隣の列に寄せてから刈るがなかなか手ごわい

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刈る場所の地べた

①レンゲの種は黒くなる

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②まだ頑張って花を咲かせるものもある(クリムソンクローバー)

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畑の中の晩生のブルーベリーの実。摘み取りするにはあと40日は待たないといけない

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農園の花壇のグミの実の赤色が初夏の緑に映える。つまんで口に入れると甘くて渋みのある果汁がひろがる

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社会福祉法人安芸の郷

理事長 遊川和良

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2025年6月 7日 (土)

被爆80周年原水禁世界大会広島県実行委員会結成総会

広島県原水禁は、原水禁世界大会開催まであと2ヶ月となった昨日、自治労会館で「被爆80周年原水禁世界大会広島県実行委員会結成総会」を開催しました。

総会は、高橋克浩県原水禁代表委員の司会進行で始まり、最初の代表委員あいさつを私が行いました。

私は、原水禁大会の名称に「被爆〇○年」と付けられている意味について話しました。原水禁運動が、「いかなる核問題」で対立し分裂した後、被爆3県連(広島、長崎、静岡)の呼びかけで1964年の原水禁大会が開催され、その翌年1965年2月に結成された原水爆禁止日本国民会議(「原水禁国民会議」)が初めて開催したのが、1965年の「被爆20周年原水爆禁止世界大会」でした。大会基調では、大会名称を「被爆20周年」としたことについて、「・この20年間全世界の平和勢力の力で核兵器の使用を許さなかった・被爆国日本にとって、原水爆禁止の意識は、国民的総意。これを積極的に守り育て、厳しい情勢を乗り越えること力として盛り上げることこそ、歴史的伝統を受け継ぎ、発展させる原動力」だとし、原水禁運動の原点である「広島、長崎の被爆の実相」ヘの思いが込められていることを紹介しました。

その後、今年選ばれた第28代高校生平和大使・広島市立基町高等学校3年中島胡桃さん、ノートルダム清心高等学校2年下田梨央さんの二人から決意表明がありました。

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今年も3名の高校生平和大使が選ばれていますが、福山明の星女子高等学校1年永戸あみさんは、都合で参加できませんでした。二人の決意表明に対し「がんばってほしい」との思いがこもった大きな拍手がありました。

続いて被爆80周年原水禁世界大会谷雅志事務局長から、「大会を取り巻く情勢と課題」が提起されました。

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その中で、3月に開催された核兵器禁止条約締約国会議に参加しての思い、NPT再検討会議準備委員会でまとめの文章が出せなかったこと、こうした核状況の中で、被爆国日本政府がどのような役割を果たすべきなのか、また石破政権によって大きく転換した原発政策への取り組み強化が課題であることなどが強調されました。また今年の大会は、世界の核被害者に改めて向きあるために、海外代表を例年より多く招待して充実させることが紹介されました。

その後県実行委員会大瀬事務局長から、広島大会の概要が説明され、大会成功のための協力を要請しました。

被爆80周年原水禁世界大会広島大会は、例年通り8月4日に折り鶴鶴平和行進後、広島県立体育館グリーンアリーナで開会総会を行い、5日は、6つの分会会2つのフィールドワーク、4つの「広場」を市内各会場で開催し論議を深めます。

最終日の6日は、県民文化センターで午前9時から「国際シンポジウム」を開催し、最後に「まとめ集会」を開催し、広島大会を終了する計画です。

それらの詳細は、今後順次紹介したいと思います。

なお、大会成功のため取り組まれる、東・西・北の3コースによる平和行進、7月2日から22日までの日程で開催される「第44回反核平和の火リレー」の成功のための協力を要請しました。

被爆80年の節目の原水禁世界対広島大会成功のために取り組みを強化することを確認し、広島県実行委員会結成総会を終了しました。

いのちとうとし

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2025年6月 6日 (金)

ヒロシマとベトナム(その70-2) ―「昭和100年」と父― その2-2

命より重い「御真影」と「教育に関する勅語」

「御真影」と「教育に関する勅語」は神聖なものとされ、その取り扱いは「校内に奉置場を設け、もし守護に不安のある学校は、役場など取り締まりのゆきとどくところに奉安し、保管する」と指示され、先に紹介した奉安殿が各学校に建てられます。

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その「御真影」と「教育勅語」は子どもたちへの影響だけでなく、様々な事件を起こしています。2017年にお茶の水女子大学で「教育史学会シンポジウム」が開催され、大阪府立大学教授・小股憲明(おまたのりあき)さんが「教育勅語・御真影をめぐる不敬事件と学校儀式」を報告し、85の事例を紹介されています。その幾つかを列記します。

欠礼・薄礼

・「御真影」に対する「拝礼を欠いた」(欠礼)として咎められる。(同種の事件多数)

・「十分な拝礼を行わなかった」(薄礼)として、校長や教員が解雇・譴責(けんせき)処分・退職。

服装

・「御真影」奉戴式で教員が首にハンカチを巻いていて不敬と咎められる。

・新年始業式の「教育勅語」奉読の際、学校理事が袴を未着用で奉読、不敬行為と咎められ辞任。

誤読・改定読・語法批判

・卒業証書授与式で「教育勅語」を誤読した校長が左遷。

・「教育勅語」奉読の際、誤って戊申詔書を渡された校長が、部下の過誤を庇うためにそのまま暗唱で奉読したが、途中で行き詰まる。校長と教導が進退伺い謹慎。

式次第・取り扱い・保管

・紀元節式場で号令役の体操教員が御真影拝礼の号令をかけ忘れて式を進行したため混乱、咎められる。

・御真影安置所の雀を追うため安置所に侵入した尋常高等小学校の生徒、不敬を理由に登校停止処分。

・教育勅語奉読の際、最敬礼すべきかどうかを巡って校長と教員が議論。マスコミで、議論すること自体が不敬と批判され、校長が依願免官。

火災・天災による焼失

・教室火災により「教育勅語謄本」も焼失、小使が解雇。(同種の事件多数)

・学校火災による「教育勅語謄本」焼失、宿直教員減俸、校長譴責。(同種の事件多数)

・学校校舎全焼により「御真影」「教育勅語謄本」焼失、校長と宿直職員免職。(同種の事件多数)

・三陸大海嘯(だいかいしょう)の際、校長が「御真影」「教育勅語謄本」の流失を防ぐため逃げ遅れて殉職。

殉職

・1896年(明治29年)6月の三陸大海嘯、尋常高等小学校長が津波襲来に際し家族を非難させた後、御真影を紐で体に結びつけて非難しようとするところを津波に呑まれ死亡。翌日、体に結びつけた「御真影」とともに遺体で発見。「御真影」殉職第1号。

・仙台市県立第一中学校校舎火災の際、書記が取り出そうとして逃げ遅れて殉職。

・「教育勅語謄本」盗難のため減俸処分を受けた校長が、5名の子女を道連れに服毒心中。

・校舎火災にあたって、校長が御真影を取り出そうと猛火の中に飛び込んで焼死。

・関東大震災での殉職者41名(神奈川県27、東京府13、千葉県1)。うち東京13名中の8名までが、「御真影を守護」「御真影奉遷のため奮闘中」の殉職。

 

広島市の「教育勅語」問題に思う

職員研修で「教育勅語」の引用を続ける広島市の松井一実市長は、「爾(なんじ)臣民(しんみん)父母ニ孝ニ、兄弟(けいてい)ニ、友ニ夫婦相和シ」と博愛や修学、公益を説く一節を引用し、他の文でも「先輩が作り上げたもので良いものはしっかりと受け止め、また、後輩につなぐことが重要」と、温故知新の精神で語ったとのことです。

「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」と刻まれた碑文を前に、毎年「平和宣言」を発するヒロシマの市長として、到底考えられない見識です。唖然とし言葉もありません。

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先に紹介した小股憲明さんの「教育勅語・御真影をめぐる不敬事件と学校儀式」冒頭部分は、「ヒロシマの心」と重なるとても大切な一節だと思います。少し長いですが紹介します。

アンダーラインは筆者(あかたつ)が付けました。

詔書(しょうしょ)勅語(ちょくご)(勅書、勅旨、勅諭とも)、両者を総称して詔勅とは法律・命令とは別に天皇の意思を公的に表明したもの。詔書は国家的重大事について、勅語はそれ以外について。教育勅語は、明治天皇が君主の意志として、国民(臣民(しんみん))に道徳を教え諭したもの。その内容は明治憲法の下での近代的国民に求められる諸徳を掲げたものだが、国民主権の原理に立つ日本国憲法と相容れず、今日の学校で憲法・教育基本法に抵触しない形で「教材」として用いることは、「勅語」という性格からしてあり得ない。また、今日の道徳教育は、すでに死んだ明治憲法下の亡霊を生き返らせなくとも、十分に可能である。親孝行、兄弟夫婦仲良く、友達は信じ合いなどの徳目も、教育勅語の専売特許ではない。」

 次号では国民の戦意高揚と「軍国少年」「軍国少女」を作り出すために用いられた当時のプロパガンダをもとに父の少年時代から予科練志願までの深層を辿ってみたいと思います。

(2025年6月6日、あかたつ)

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2025年6月 5日 (木)

ヒロシマとベトナム(その70-1) ―「昭和100年」と父― その2-1

御真影(ごしんえい)教育勅語(きょういくちょくご)

父が生まれた1928年(昭和3年)は、昭和天皇が即位した年です。11月10日の「即位の大礼」に先立つ10月1日、16,338組の「御真影」が宮内省から文部省へ、文部省から各県へ、各県から全小中学校へと下付されました。「御真影」の下付は、明治維新後間もない1872年(明治5年)頃から、徳川将軍家に替わり新たな権力となった天皇を民衆に知らしめるために、天皇の肖像画や写真を官庁や鎮台、軍艦などに下付したことに始まります。

1886年(明治19年)に近代国家建設のため、国家に忠誠を尽くす国民を作り出し、天皇に対する忠誠心の喚起と児童・生徒に国家意識を啓発する一つの手段として学校への「御真影」の下付が広がります。1890年(明治23年)には教育の基本理念と国民実践の徳目を示す「教育に関する勅語」が公布されます。

各学校では、勅語奉戴式(ちょくごほうたいしき)・奉読式(ほうどくしき)をおこない、以後、学校儀式など折りあるごとに奉読され、修身教科書にも巻頭に掲載されて訓育の徹底が図られます。加えて、子どもたちは『少年倶楽部』や『少女倶楽部』など他の戦争プロパガンダ媒体によっても、「軍国少年」「軍国少女」に化していきます。(次号以降で取り上げます)

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1894年(明治27年)の日清戦争、1904年(明治34年)の日露戦争の勝利で朝鮮半島や南満州の権益を手にします。1895年(明治39年)には南満州鉄道と周辺炭鉱などの権益防護を目的に、後に悪名を馳せる関東軍の前進である関東都督府陸軍部(かんとうととくふりくぐんぶ)を設置。列強の中国分割に加わり、「義和団の乱」など清国の混乱やその後の中華民国の内紛に乗じながら駐留軍を増強させます。そして、次第に中国大陸全土への帝国主義的な野望を露わにし、1928年(昭和3年)の張作霖(ちょうさくりん)爆殺、1931年(昭和6年)の柳条湖(りゅうじょうこ)事件、1937年(昭和12年)の盧溝橋(ろこうきょう)事件と関東軍の謀略は続き、ついに日中全面戦争に突入します。

こうして「御真影」と「教育に関する勅語」は明治から昭和にかけ、日本軍国主義(ファシズム国家体制)を完成させるうえで大きな役割を果たします。

「あんぱん」と重なる父の少年時代

「御真影」は火災などからの保護を目的に建てられた奉安殿(ほうあんでん)に収められ、教職員と子どもたちは登下校時には服装を正し最敬礼(さいけいれい)。たとえ遊びの最中でも奉安殿の前を通るときは立ち止まって奉拝(ほうはい)しなければなりません。四大節(よんだいせつ)をはじめ学校行事には「御真影」を最敬礼で奉拝し、「教育に関する勅語」の奉読(ほうどく)が課せられます。

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1900年(明治33年)8月発布の文部省令第21号「小学校令施行規則」には、次のように書かれています。

今田美桜が演じるNHK朝ドラ「あんぱん」の主人公・のぶが、君主に忠義を尽くし、国を愛する模範的な人物という」「愛国の鏡」として女子師範学校を卒業し母校に赴任します。そこに映し出される昭和初期から満州事変、太平洋戦争へと突き進む時代の学校と子どもたちを見て、子ども時代の父に思いを馳せます。

「すすんで予科練を志願したのではない・・・」と、当時の思いを告げる父ですが、恐らく、多くの子どもたちがそうであったように、父もまた無垢(むく)な「軍国少年」でもあったのだろうと想像します。

と同時に〔やなせたかし〕の妻となる〔のぶ〕の当時の深層心理に思いを馳せ、何ともやるせない面持ちになるのは私一人ではないと思います。

(2025年6月5日、あかたつ)

【編集者】あかたつさんから届いた原稿が長めですいたので、今日明日の2回に分けて掲載します。

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2025年6月 4日 (水)

6月の「3の日行動」

戦争をさせない・9条壊すな!ヒロシマ総がかり行動実行委員会が開催する6月の「3の日行動」が、昨日午後5時半から本通の洋服青山前で行われました。

5月は、憲法記念日の3日に県民文化センターで「2025平和といのちと人権を!5・3ヒロシマ憲法集会」を開催しましたので、街頭での「3の日行動」は、2ヶ月ぶりの開催となりました。

昨日のアピールは、次のテーマで行われました。

・学術会議「法人化」問題

・選択的夫婦別姓問題

・呉自衛隊基地「呉軍港復活」問題

・平和和公園「表現の自由」規制問題 

・国会情勢と間近にせまった参議院議員選挙の課題

でした。

いずれも、以前から訴え続けてきた課題であり、また会期末を迎えて喫緊の課題ばかりです。

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私も最後にマイクを握り、「国会情勢と間近にせまった参議院議員選挙の課題」で次のようなことを訴えました。

1月27日に招集された第217回通常国会も、6月22日で会期末を迎えますが、この国会何が論議され、どう決まったのか、なかなか理解できない国会だったように感じます。

物価対策として消費税減税問題が、各党から様々な政策が提起されたにもかかわらず、何の結論も得ないまま会期末を迎えようとしています。

政治と金の問題も同様です。

そんな中で最近マスコミを賑わしているのが、米問題です。農林水産大臣の交代によって登場した小泉大臣の「随意契約による備蓄米放出」です。そのことによって、米価問題が大きく動いていることは否定しません。各家庭の家計費に直結する問題なだけに緊急政策がとられ、米価に新たな動きが出たことは間違いありません。

問題は、当面の対策も必要ですが、国会が論議すべきことは「なぜ、昨年から急激に米価が上がったのか」「最初に放出された備蓄米が市場に出てくるのがなぜこんなに遅くなったのか」などなどの本質的な問題ではないでしょうか。

長年の農業政策の誤り、高温つづきによる米の品質の低下など様々な問題が指摘されています。こうした問題を掘り下げて論議することこそ、国会が果たすべき役割のはずです。

と訴えながら、最後に「今日は、お隣韓国では大統領選挙が行われています。なぜこの時期の選挙か?それは、前大統領の憲法を無視した戒厳令発令に対し、市民が抗議の行動を起こし、辞任に追い込んだからです。この民衆の力に学ばなければなりません。政治の主人公である私たち市民の力で日本でも政治の流れを変えましょう。力を集めれば必ず変えることが出来ます」と訴えました。

国会の会期が延長されなければ、今年の参議院選挙は、7月3日公示7月20日投票日で実施されることがほぼ確実になっています。

昨年の衆議院選挙で、自公政権を少数与党に追い込みました。今回の参議院選挙でも、与党を少数に追い込み、政権交代への大きな足がかりを付けなければなりません。

この「3の日行動」がその一つの役割を果たすことになればよいと思います。

いのちとうとし

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2025年6月 3日 (火)

連合広島主催「戦後・被爆80年シンポジウム」

連合広島が主催する「戦後・被爆80年シンポジウム 対話で平和な世界を!ヒバクシャの思いを次世代へ!!」が61日、広島国際会議場で開かれました。県平和運動センターや県原水禁・県被団協なども加わる核兵器廃絶平和連絡会議などが後援し、全体で1100人が参加しました。

主催者あいさつで連合広島の大野真人会長は、「何気ない日常を過ごすことができているのは、歴史と教訓に学んで築いてきた平和な社会があるから」と平和の尊さを強調する一方、ウクライナへのロシアの侵攻や中東情勢などに触れ、「世界的に対立と分断が深まり、緊迫した状況が続いている」と現在の情勢を分析。その上で、在日米軍基地問題等を取り上げ「戦後80年が経過した現在も、日本中において戦争の爪痕が残っていることを忘れてはなりません」と課題を指摘しました。

また、核兵器禁止条約に背を向け続ける日本政府に対しては、「どこに向かおうとしているのか理解に苦しむ」と疑問を呈した上で、「署名・批准し核兵器保有国と非保有国の橋渡し役として、その先頭に立つよう強く求め行動していきたい」「高齢化が進む広島被団協の思いを背負って、被爆地広島として行動していきたい」と決意が示されました。

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基調講演は元広島市長の平岡敬さん。「被爆80年・ヒロシマ再考~その現在地とこれから~」と題して話されました。

その中で平岡さんは、岸田首相が安保3文書の閣議決定やG7首脳会議で核抑止力を認めた点を取り上げ「ヒロシマの願いを踏みにじった」と強く批判するとともに、「いつまでもG7ではない」と日本政府のG7ばかり軸足を置く外交姿勢に疑問を呈し、ブラジル、ロシア、インドなど、ブリックスと呼ばれる新興国等との関係をより重視する必要性を指摘しました。

 シンポジウムはその後、高校生平和大使の活動報告で閉会。午後には平和コンサートとして広島市立宇品中学校吹奏楽部の演奏と、団体「I PRAY」による「平和創作劇」が行われ、それぞれから平和へのメッセージが発信されました。

大瀨敬昭

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2025年6月 2日 (月)

JR本郷駅のツバメの巣

昨日、三原市・本郷生涯学習センターで開催された「2025部落解放・人権啓発講座」デ、「戦後・被爆80年―広島から平和と人権を考える」のタイトルでの講師を務めるため、本郷に行ってきました。

講演は、何とか無事に終わり、役割を果たすことが出来ました。

帰途につくためJR本郷駅に着いたときです。2階の改札口の前に「頭上注意」と看板が付けられた段ボール箱が置いてあります。

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 「頭上注意」の文字の下に小さな文字で「つばめが巣を作っております。」と書かれています。

頭上を見上げると、監視カメラの上につばめの巣があります。

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つばめの姿は見えませんが、この巣を見ながら思い出すのは昨年わが家の近くの八百屋さんの軒先に作られたつばめの巣です。

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この写真を写したのは、一年前の611日です。すでに卵からひながかえっていたように思います。

少し時間があったので、トイレを使おうと1階に降りました。忙しく飛び回るので、写真に写すことが出来なかったのですが、数羽のつばめが飛んでいます。

1階にも何個かの巣がありました。ここは、天井が高くなっていますが、天井にひっつくように巣が見えます。

 

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外に出ると、入り口にも巣があります。

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この巣には、つばめの姿がありました。

これらの巣の下には、「頭上注意」の貼り紙はありませんが、新聞紙が広げてありますので、気付くことになります。

JR本郷駅は、昨年の51日から無人駅になっているそうですので、巡回の職員が、注意の貼り紙や新聞紙の貼り付けをしているのでしょう。

ちょっと待ち時間がありましたが、つばめの巣がさして時間を潰すことが出来ました。

わが家の近くの八百屋さんにも、もうそろそろつばめの巣が出来てもよい頃だと思いながら、到着した列車に乗り、帰宅の途につきました。

いのちとうとし

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2025年6月 1日 (日)

鹿児島の姶良伊佐地区平和運動センターフィールドワーク

昨日は、一日鹿児島の姶良伊佐地区平和運動センターフィールドワークの案内をしました

原爆資料館の入館者が増えていること知っていましたので、入館者が多くなる前にと午前8時10分に資料館前で待ち合わせ、予約をしていましたのですぐに入館します。

受付を終わると、最初は「平和監視時計」の説明です。そしてエレベーターで2階に移動。時間が早いのでしょう、まだ入館者は少なく少し解説をしながら進んでいきます。

本館の真ん中程まで進むと、だんだんと混み合ってきましたので、他の入館者の迷惑とならないように解説は中止です。

と書き綴っていくと、終わりが見えなくなりますので、後はコースを紹介します。

中島地区の復元図を前に、当時の街の様子、そして復元地図作成のための努力などを話し、後の館内は自由に見学してもらいます。

外に出ると、原爆慰霊碑では「広島平和都市建設法」のことを中心に説明。姶良伊佐地区平和運動センターも反核平和の火リレーを取り組んでいるということですので、反核平和の火リレーが始まった契機を話します。もちろん核実験抗議の座り込みも。次は、国立追悼祈念館です。最初は予定していなかったのですが、やはり6枚の説明板のことは話さなければと入館。時間の関係で、説明板の解説だけです。

続いて爆心地、西向寺を訪れます。西向寺は、私がフィールドワークをするときには必ず訪れる場所です。

原爆ドーム、相生橋、供養塔、韓国人原爆犠牲者慰霊碑、慈仙寺跡、次に義勇隊の碑を予定していましたが、時間がなくなったため、省略して、市女の慰霊碑に行きました。ここでは、建物疎開に動員された多くの学徒が亡くなったことを話します。

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ここで、午前の部は終了。バスで地蔵通りのみっちゃん総本店に移動し、お好み焼きで昼食。

昼食後は、平和公園以外のフィールドワークです。

袋町小学校平和資料館、その後、旧陸軍被服支廠へ移動します。その途中で被爆者の森に植栽されている鹿児島県の「カイコウズ」の木を見に行きました。みんな少し感激です。

旧陸軍被服支廠は、耐震工事が始まっており、かなりの部分が、工事用の幕で覆われていました。次は、広島城跡です。

ここでは主に、侵略戦争の歴史、被爆樹木、中国軍管区の話をしました。

全てのコースが終了したのは、午後4時30分。

少し暑くなりましたが、数日前の雨予報が嘘のように晴れ上がり、天候に恵まれたフォールドワークになりました。

初日の30日には、昼過ぎに岩国に着き、午後は岩国基地問題のフィールドワーク、そして最終日の今日は、自由行動です。宮島訪問、呉探訪と別れるようです。

総勢18人。姶良伊佐地区平和運動センターは、これまでも地区として沖縄訪問などを取り組み、今回の岩国・広島訪問です。

一地区の取り組みとしては、ちょっと驚くような活動です。こうした活動を通じて若い人へ運動が継承されるのだなと感じながら、別れました。

朝から夕方までのフィールドワークでいささか疲れた面もありますので、報告はこれで終わりです。

いのちとうとし

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