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2025年5月 1日 (木)

「屍の街」の章題―つづきのつづきのつづき

今回もまた、「「屍の街」の章題」についてです。

ブログを読んでいただいた方から、「屍の街」の章題について、二つの研究論文の情報が届きましたので、紹介します。

一つは、日本近代文学研究者黒古一夫の論文です。黒古一夫は、文芸評論家としても活躍しており、1983年には原爆文学論集「原爆とことばー原民喜から林京子まで」を出版し、同じ年に出版された「日本原爆文学」の編集委員でもあります。

黒古の論文は、新日本文学1997年4月号に「戦後ある呪詛と怒りの構造―大田洋子の場合―」のタイトルで掲載されています。その中で、「屍の街」の章題(黒古論文では、小題となっている)について、次のように書かれています。

「なお、冬芽社版以降どの版からも、この小題は消えている。この小題がなくなった理由は不明であるが、この小題は消さなくても良かったのではないか、というのが、潮文庫版の解説を書いている小田切秀雄氏の意見である。私も賛同する。小題の一見オーバーと思える表現は、執筆当時の大田の心情が推察できて、かえって興味をそそられる。」

黒古は、この論文で「小題は消さなくても良かった」としていますが、「冬芽社版以降どの版からも、この小題は消えている」ことを紹介しています。この点は、私がこれまでに記述したこととほぼ同じです。

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中央公園西側に移設された大田洋子文学碑

 二つ目は、大阪の高等学校先生である渡部晴美が、「国語教育研究」1980年11月号に「『屍の街』の成立について」のタイトルで書いた論文です。少し長いのですが、章題に関する部分を引用します。

「「中公版」、「冬芽社版」には、各章ごとに章題がつけられている。・・・この章題は、河出書房の市民文庫版で「屍の街」以降は削られており、潮文庫版にもない。

章題を削除した理由に関して小田切秀雄氏は、「一見きわめてどぎつい題がつけられていたのにたいしても、敗戦以前のこの作家の作品をいくらかでも知っている者は、この作家の必ずしも文学的ともいえなかった傾斜の側面と結びつけて、一種の抵抗感をもったに相違ない」「それでのちに作者は各章ごとの題を取ってしまった」(潮文庫版「屍の街」解説P215~P216)と述べている。各章ごとにつけられた「一見きわめてどぎつい題」は、大田の「一種の我中心主義ふうの傾斜」(同)と結びつけて受け取られ、かえって広島の惨状を理解することを困難にしている。そのことを知って、題は大田が取り去ったということである。

大田が「一種の我中心主義ふうの傾斜」によって反感を買っていたことを十分に知っていたかどうかは明らかでない。しかし、どぎつい題がかえって広島の惨状をありのままのものとして理解することを困難にしているということについては、気付いていたものと思われる。

冬芽社版出版のための推敲の過程で、大田は無駄な語を省き文を簡潔なものにしようと努めている。そうすることによって文を押さえ引き締め、表現効果を上げようとしたのである。省かれたものには、・・・。谷崎潤一郎は「文章読本」の中で、むだな形容詞や副詞を多用するのは、「ちょうど、へたな俳優が騒々しい所作を演ずるのと同じ結果に陥」り、かえって効果を弱めるということを述べている。大田にも同じ反省があったものと思われる。章題の削除は、このような反省の延長に立ってなされたものと考えられる。」

黒古一夫は、「章題を削除した理由は不明」としていますが、渡部晴美は、大田が章題を削除した理由として「どぎつい題がかえって広島の惨状をありのままのものとして理解することを困難にしているということについては、気付いていたものと思われる。」とし、さらに、谷崎潤一郎の「文章読本」まで引用して、その理由を示しています。

渡部晴美が示した理由が、正しいかどうかは私の能力では判断できないのですが、「章題を削除した」理由が明記されています。

しかし、この二つの論文は、いずれも「大田洋子全集」が発刊された1982年以前に書かれたものですので、当然のことですが、「章題が削除された」ことについての記述はありますが、私が知りたいと思っている「章題が『全集』以降復活した」理由については、触れられていません。

繰り返すようですが、二つの論文に共通しているのは、「全集」が発刊されるまでは、「冬芽社版以降どの版」にも「屍の街」には「作者の意思によって章題がついていない」ということです。

なぜ「章題が復活したのか」という疑問は、さらに深まります。

(敬称略)

いのちとうとし

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