梶山夫妻の結婚の誓い
中国新聞連載の「ヒロシマドキュメント被爆80年」は、毎回楽しみにして読む記事です。12日付の「お好み焼き店開業」で登場するお好み焼き「KAJISAN」は、何度か食べに行った店です。昨年長く休業の札が下がり、「いつ再開されるのか」と期待していたのですが、確か秋口だったと思いますが、遂に「閉店」を知らせる紙が入り口に貼り出されてしまいました。いまどうされているのかな、と思っていましたので、懐かしく記事を読みました。
この記事を読みながら、梶山夫妻の結婚のはなしを書いた資料が合ったことを思いだし、探しました。
中国新聞紙面で森滝市郎先生の名前とともに登場する「広島こどもを守る会」の会報18号です。
発行日は、1962年4月30日です。発行所は「広島こどもを守る会 広島大手町8丁目広島平和会館内」です。この住所は、広島県被団協の事務所です。当時の大手町8丁目は、現在の大手町4丁目です。
会報の1ページ目は、「九周年を迎えて」のタイトルで「会長 森瀧市郎」の挨拶文が掲載されています。この文章を読むと、梶山夫妻以外にも前年末にK・Uさんが結婚されたことが紹介されています。梶山夫妻の結婚について次のように書かれています。
「テレビ結婚式でのかの新郎新婦の誓い言葉がありふれた形式の言葉でなく『平和のまもりて』としての強い真実のひびきを発した時に思わず『あっ』と心中に叫んだのである。『これあるかな。私たちの仕事はみのったのだ』と私はまるでみのりの秋の美酒に酔ったかのような満足を覚えたのであった。」
会報の2ページ、3ページには、「結ばれた精神養子 梶山君小椋さんのテレビ結婚」と題した中野千歳さんが書かれた結婚式の様子が写真とともに記載されています。
左上の写真には、梶山夫妻と森滝市郎先生が写っています。右下の写真では、シャンソン歌手石井好子さんが、歌を歌っています。石井さんのことは、別の機会に紹介したいと思います。
今日は、森滝先生が感銘を受けられた二人の誓いの言葉が、全文掲載されていますので、それを紹介します。
私達はいま希望に満ちて結婚いたします。広島に若し原爆が落とされなかったら,お互いは相知ることもなく,今頃は親の元で勉学にいそしんでいることかも知れません。過去二十年間、淋しく苦しい日々を、ここに御列席の方やその他の方々の,はげましや物心両面の援助をいただいて成人の日を迎えることができました。
原爆は、私達の人生を大きく狂わせましたけれども、今は同じ境遇のもと。同じ願いに結ばれて自分達の家庭の幸せを考える時がきました。
これからは二人で協力して,私達のささやかな幸福が又,万人の求める世界の幸福につながるように努力して参ります。
右誓います。
昭和三十七年三月二十七日
梶山 昇
小椋 敏子
中野千歳さんは、この誓いを紹介した後「ききながら私は、日本中の人が心から、このけなげな二人を、不幸にさせない決心をすべきでないかと思ったことでした。」と記述されています。
「もう一度『KAJISAN』でお好み焼きを食べたいな」と思いながら、新聞記事とともに改めてこの誓いの言葉を読みなおしました。
会報の中野さんの記述によれば、会の子どもたちの中で,敏子さんは女子としては7人目のお嫁さん、男子は梶山さんがトップで、精神養子同士というのは初めてのことだったそうです。
梶山敏子さんは、森瀧市郎先生のお別れの会(1994年2月5日)で、広島子どもを守る会代表としてお別れの言葉を述べていただきましたが、その中で「三十二年前に,同じ境遇で結ばれてた私たち夫婦の結婚式に列席してくださり、祝辞をいただいたことを鮮明に覚えています。」触れています。
広島の歴史の一つをたどることができました。
いのちとうとし
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KAJISANのお好み焼き、2度ほど食べにいきました。明るく優しい笑顔で焼いておられました。値段は変えないと話しておられましたが、この物価高の中、難しかったのでは無かったのでは。
投稿: 木原省治 | 2025年4月20日 (日) 16時41分
木原さん
コメントありがとうございます。
私も値段のはなし、直接聞きました。大丈夫かなと思いながら。
森滝先生の話になるとほんとうに懐かしそうに話されていたことが印象的でした。
お店をやめられたのですが、元気で長生きして欲しいと思います。
投稿: いのちとうとし | 2025年4月22日 (火) 10時37分