「ヒロシマドキュメント被爆80年」1955年8月6日―中国新聞
中国新聞が昨年から連載している「ヒロシマドキュメント被爆80年」は、毎回興味深く読んでいます。
3月16日は、1面の左肩と6面は全ページを使って、1955年8月に広島市で開催された原水禁世界大会について、かなり詳細に記述しています。
初めて知る事実も多くありましたが、何となく気になる記述が数カ所ありましたので、筆者にメールを送りました。その一部を掲載します。
1面関連。
4段目「まとめる東京の全国組織が運動の総括として開催を決めた。広島で署名を集めた市民が被爆10年も考慮して提案し、決定後は広島準備会を結成」の部分です。
この書き方に間違いないのですが、正確には、すでに結成されていた広島県原水協が「世界大会」を提案して開催にいたったことが、少し不明になっています。
このことについては、「ヒロシマ40年森滝日記の証言」の52ページに,次のように記載されています。
まず森滝先生の日記の部分で「協議に入り、来年8月6日原水爆禁止世界大会開催のことを提案す。申し合わせ事項の最重要事項として決議される。」とし、これ以降は栗栖さん(いのちとうとし注:栗栖さんは森滝日記を担当した記者)が書かれたものと思いますが、「中央レベルでも『原水爆禁止世界大会』の広島開催案は、大きな共鳴を呼んだ。署名運動から国際的な大会を持つ組織的な運動へ。ヒロシマから提起した世界大会開催案は、今日まで続く原水禁大会の基礎となった。」と、広島から提案したことが強調されています。
私は、このことは広島の運動にとって重要なことだと思っていますので、このあたりのことは時系列的にきちんと書いておいた方が良いように思います。
6面関連
「広島 救援の組織化が進む」の見出しの2段目最初の2行です。
紙面では、「55年11月 大会宣言の実現を掲げて原水爆禁止広島協議会が発足。」の部分です。
原水爆禁止広島協議会は、1954年に全県的な署名運動の窓口として6月26日に発足した「原水爆禁止広島県民運動本部」が、その後「原・水爆禁止広島県民運動連絡本部」と改名し(時期は、いまちょっと不明ですが)、その後、その組織を発展的に解消し、1954年9月7日に結成されたのが「原・水爆禁止運動広島協議会」(略称広島原水協)です。このことも、「ヒロシマ40年森滝日記の証言」の50ページから51ページに記載されています。
それからこの面の「被害者が発言会場から拍手」の最下段前から3行目からの「広島準備会事務局長の森瀧市郎さんの回顧によれば、広島の原爆被害者からは「もっと多くの声を聞いて欲しい」と要望が上がった。そのため、大会の運営委員会と折衝。市内6会場での2日目の討議の前に急きょ被害者との懇談を設け、それぞれ十数人を配置した」と書かれており、私も先生の「反核30年」を読み、そう思っていたのですが、これも藤居平一関係資料を見ていて、訂正しなければならないのかなと思ったことがあります。
添付した資料はその一枚ですが、大会案内のチラシの裏面の記載されている「大会日程」です。
この資料には、発言者の中に「予定」と書かれているものがありますし、中国の代表が発言する(いのちとうとし注:中国代表は広島大会には間に合わなかったので発言できていない)ようになっていますので、大会前のある時期に決まっていた日程で間違いないと思われます。
この「日程」のよると不思議なことですが、「初日」の日程の中に「原爆被害者の発言」はありません。しかし、2日目の分散会の日程の中で「午前8時から9時までは広島・長崎、静岡焼津の原水爆被害者との会談」と書かれていますので、二日目の被爆者の話は急きょ決まったのではなく、あらかじめ予定されていたと思われます。
以上のような問いかけについて、中国新聞の担当記者から、ここでは省略しますが、宇吹暁著「ヒロシマ戦後史」の該当ページが、資料として添付され丁寧な返答がありました。
例えば「原・水爆禁止運動広島協議会(現在の「広島県原水禁」)の結成時期」については、「ヒロシマ戦後史」を読めば、中国新聞の記述もそれなりの理由があることが理解できました。ただ大事なことは、この歴史を運動的視点からどう見るのかが重要だと私は思っていますので、そうして視点から,私たちは歴史をふりかえる必要があると思います。今後もこうした視点から、記事を読んでいきたいと思います。
いのちとうとし
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