ふくもとまさお著「原発の町から普通の町に」
ドイツ在住の友人福本まさおさんから自著「原発の町から普通の町に」が送られてきました。本には「ドイツはなぜ、脱原発できたのか?」というサブタイトルがついています。
出版社は、東京のアケビ書房で今年3月1日が発行日となっています。
この本は、もともと電子書籍として出版されたものですので、本のあとがきは「紙の本出版に当たり」となっています。その中で福本さんは次のように記述しています。
「ドイツが脱原発できた要因を検証して、しっかり伝えていこう。そう思って、ホームページで連載した記事をまとめて出したのが電子書籍だった。フクシマ原発事故で脱原発を止めたドイツとか、倫理から原発を止めたドイツと、日本においてやたらにドイツの原発が美化されている。ドイツにいるぼくには、それに抵抗がある。ドイツはそれだけでは、脱原発は実現できなかった。
原子力発電をはじめると、原発はすぐに止めることのできるものではない。脱原発にも長いプロセスが必要となる。長い過程においては、いろいろなことが起こる。それに屈せずに、何が起ころうと脱原発を貫徹するには、ドイツの体験から見るといくつもの要因があった。
脱原発は、政治的、法的、経済的、社会的要因が揃わないと実現しない。長い脱原発のプロセスにおいて、社会は原発を必要としない社会へと変化していかなければならない。それは同時に、原発に依存せずに、社会を脱炭素化させていくプロセスである。」
筆者は、ドイツで30年以上にわたって原発問題について取材してきた一つの集大成としてこの本をまとめています。
この本は、23のタイトルから成り立っています。「出版に当たって」にも書かれていることですが、その1は「ドイツはフクシマ原発事故で、脱原発を決めたわけではない」となっており、ドイツの脱原発政策が、フクシマ原発事故によって決められたことではなく、長い政治的プロセスの中で進んだことを2以降で詳細に記述しています。第2章では社会の変化を記述しています。
私がより興味を持ったのは「第3章これからの課題」です。3章のタイトルの最初の部分を並べてみます。
「12原発が止まれば脱原発を達成できたのか 13ドイツから見た日本の最終処分地選定への疑問 14日本でも脱原発はできる 15脱原発における独日の根本的な違い 16ドイツで原発が復活する可能性はあるか」
以下23まで続きますが「21」は「ドイツの脱原発から何を学ぶ?」です。
このタイトルを見ただけでもこの本への興味がわくはずです。さらにこの3章には、「ドイツの最終処分地選定の試み」「急激な原発拡大は自殺行為」の二つの読み応えのあるコラムが掲載されています。
日本とドイツの脱原発運動の現状をよく知っている福本さんならではの内容と言えます。
「脱原発には長いプロセスが求められる そのために必要なのは何か? 原発が止まっても、原発の遺産からは解放されない」
約100ページ余りの本ですので容易に読むことができますし、脱原発をめざすものにとってとっても興味深い内容となっていますので、ぜひ多くの人に読んで欲しいと思います。
定価は、1,320円で、Amazonで購入できます。
いのちとうとし
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