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2025年3月21日 (金)

ベトナムの歴史(その38-2) ― ベトナム Now Ⅺ その2―

中越戦争の「事実」 

3月7日、ランソンで46年前の中越戦争を取材中に中国軍に銃撃され死亡した『赤旗』記者、高野功さんの「追悼の集い」があったことをメディア各社が報じました。当時、高野記者とともに取材していた『戦場の枯葉剤』で知られる報道写真家の中村梧郎さんたちが開いたものです。

中村さんは一昨年秋、『記者狙撃―ベトナム戦争とウクライナ―』(2023年10月25日、発行:花伝社、発売:共栄書房、1700円)を出版し、その序文にこう記されています。「私は生き残ってしまった。銃弾が飛びしきる中で、頭骨を撃ち抜かれた記者が死んだ。私とポジションを変えたための彼の死であった。それまで死を身近なものと思っていなかった私は、その日以来サバイバーズ・キルト(生き残った者の罪悪感)の苦しさを反芻しつづけることとなった。どのタイミングなのか自分でも分からない。ふいに、生きているのが恥ずかしいという感覚が湧きあがってきて胸を刺す。そのたびに得体のしれぬ奇声が喉をつく。

・・・・そうした堂々巡りを断ち切って、殺された高野功特派員に関わる未発表の事実を記述し、素直に弔ってやりたいと思いはじめたのは、事件から40年を経たのちだった。取材メモは残っている。事件の様相は生々しく記憶してもいる。事件直後には、悲しみのどん底にある遺族がいる前で語れないことがたくさんあった。その未公開だった経緯を正確に記述しておくのは、ベトナム側の関係者がまだ生きていて客観的な証明もできる今のうちしかない。事件前後の事態はきちんと補っておく必要がある。」と、執筆の動機を述べられています。

続いて、「ベトナム戦争で行動を共にした写真家の何人かも戦場取材で殺されたりしている。イラク、アフガン、ウクライナと大国による傲慢な侵略が起きるたびに、私は形容しがたいほどの怒りが涌きあがる。」と、今日につながる憤慨とともに280頁に及びその「事実」を伝えてくださっています。それは、今日の国際情勢を捉えるうえで学び深く、山と紹介したいのですが省きます。是非とも、手にしてください。

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赤旗の高野功記者(眼鏡を掛けた人)は国境紛争の最初の戦況を取材し、1979年3月7日に中国軍に殺害された。(撮影:ミン・ダオ)出典:ベトナム通信社

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高野功記者の追悼の集いで話す中村梧郎さん(左)とン・バン・ドゥオンさん。3月7日、ベトナム北部ランソン出典:共同通信

間もなく4月30日、アメリカの傀儡政権だったベトナム共和国(南ベトナム)の首都・サイゴン(現在のホーチミン市)が陥落し、ベトナム戦争が終結して丸50年を迎えます。翌1976年、南北に分断されていたベトナムは悲願の統一を遂げ、国名をベトナム社会主義共和国に変えてから50周年を迎えます。

 次号では、《なぜ共にフランスやアメリカと戦い、共産党として「兄弟関係」にあったベトナムとカンボジアが戦争したの?》 《なぜ、同じ社会主義国のベトナムと中国は戦争をしたの?》 《日本はどう関わっていたの?》・・・・・と、誰しもが《疑問に思う》ことを見ていきたいと思います。

2025年3月21日(あかたつ)

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