ヒロシマとベトナム(その67-2)
大本営政府連絡会議で決定された佛印への武力行使
この辺りの事情を1940年7月27日の大本営政府連絡会議で決定された「世界情勢ノ推移ニ伴フ時局処理要綱」から見てみましょう。下の写真を参考ください。「帝国ハ世界情勢ノ変局二対処シ内外ノ情勢ヲ改善シ速二支那事変ノ解決ヲ促進スルト共ニ好機を補足シ対南方問題ヲ解決ス」と、フランスがドイツに降伏した「好機」を利用し、「特二第三国ノ援蒋行為ヲ絶滅スル等凡ユル手段ヲ尽シテ速二重慶政権ノ屈服ヲ策ス」。すなわち、アメリカ、イギリス、フランスなどによる蒋介石支援を絶滅させ、速やかに「重慶政権」(国民党蒋介石政権)を屈服させるとしています。
続いて、「佛印(広州湾ヲ含ム)二対シテハ援蒋行為遮断ノ徹底ヲ期スルト共二我軍ノ補給担任、軍隊通過及飛行場使用等ヲ容認セシメ且帝国ノ必要ナル資源ノ獲得に努」。すなわち、仏領インドシナについては蒋介石支援を遮断させ、日本軍への補給を任じ、軍隊の通過や飛行場の使用を認めさせ、加えて日本帝国が必要とする資源を獲得するとしています。
しかも、「状況二ヨリ武力ヲ行使スルコトアリ」と銘記されているのです。
到底、平和的な「進駐」ではあり得ません。「従わず抵抗すれば武力行使もある」と、25,000人(最終的には5万人)もの軍隊を送り込んで武力制圧した行為は、まさしく侵攻そのものです。
1940年7月27日の大本営政府連絡会議で決定された「世界情勢ノ推移ニ伴フ時局処理要綱」
フランスと日本、二つの帝国主義による植民地支配(二重の軛)
翌1941(昭和16年)年7月には仏領インドシナ南部(現在のホーチミン)に侵攻し、1945年3月9日までフランスと日本軍の共同統治が続きます。形式的には共同統治ですが、実質的には日本軍による支配です。日本はフランス総督府に対し、物資提供や軍の駐留経費負担など課しました。ベトナムの人々は日本による直接的な搾取と収奪に加え、フランス総督府が日本に課せられた要件を満たすための過酷な支配のもとに置かれました。ベトナムの人々は二つの帝国主義国による過酷な植民地支配を強いられたこの時代のことを、「二重の軛」(一つの首に二つの首枷)と呼んでいます。
米軍の沖縄上陸の直前の1945年3月9日、仏印「進駐」の日本軍はフランス軍基地を夜襲しベトナムから放逐。日本軍による単独支配を確立します。この作戦は「明号作戦」と名づけられていますが、「仏印武力処理」とか「3.9クーデター」と呼ばれています。
日本の仏領インドシナ占領は、8月15日のポツダム宣言による無条件降伏で終止符が打たれます。
5年に及ぶ支配によって日本はマンガン、リン酸塩、石炭、・亜鉛などの鉱物資源、ゴム、コーヒー、コメ、トウモロコシ、ジュート麻などの農産物を奪い去りました。結果、1944年秋から1945年春までの半年間に200万人にも及ぶ餓死者を出したのです。
※詳しくは2019年9月5日、「ベトナムとヒロシマ」(その4)-ベトナム200万人餓死-。
および、2023年1月19日「ベトナムの歴史」(その19)-抗仏闘争3-3-を再訪ください。
仏印「進駐」がアジア・太平洋戦争の引き金
日本軍のインドシナ「進駐」の狙いは、アメリカ・イギリス・フランスによる国民党軍(蒋介石)への支援ルートを断ち、戦局の挽回を図ること。軍需物資の枯渇と食糧不足を補うことでした。しかし、この仏領インドシナへの「進駐」はアメリカの対日石油禁輸などの制裁を招き、1941年12月8日の真珠湾奇襲攻撃と石油資源を求めたマレーシア上陸というアジア・太平洋戦争に向けて突き進むことになったのです。
(2025年3月6日、あかたつ)
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