書籍「被爆者阿部静子は語る」
日本被団協のノーベル平和賞受賞を機に、初期の被爆者運動に参加した被爆者についての報道が続きました。
その一人が、今も被爆体験を語り続け今月22日に98歳の誕生日を迎える阿部静子さんです。
阿部静子さんの歩みを本人へのインタビューを下に発刊されたのが「被爆者阿部静子は語るー悲しみに苦しみに生きていてよかった」です。
著者は、「阿部静子+ヒロシマ通信研究会」です。「ヒロシマ通信研究会」は、これまで発刊された「原爆手記」の書誌データをまとめ、検索できる専用サイトヒロシマ通信|TOPページを設け取り組みを続けているグループです。
今回の出版は、このグループのうち3人が、昨年(2024年)4月から14回にわたって阿部さんの証言聞き取りを書き起こし、背景説明を加えて再構成し編集されたものです。
先にも述べたように、阿部静子さんのインタビュー記事が、昨年末幾つか報道されましたが、この本は、それ以前から準備が進みちょうど今の時期に発刊となったものです。
聞き取り編集にかかわった3人は、原爆資料館情報室で「被爆体験記」の入手に努めたり、マスコミ人として長年原爆取材に携わった経験を持つ人たちですので、「幾度も聞き返し、文献資料と照らした細かな質問」によって聞き取り、まとめられ編集されていますので、大変貴重なものといえます。特に、取材者たちによってまとめられた背景説明が、阿部さんの証言をより内容の深いものにしています。
詳細をここで紹介することはできませんので、本に挟まれていた「『被爆者阿部静子は語る』謹呈のごあいさつ」に書かれた紹介文を引用します。
「1945年8月6日、広島市の第六次建物疎開作業に国民義勇隊として動員され、米軍が投下した原爆に爆心地から東南約1.5キロで遭い一命を取り留めましたが、顔や右半身に消えない傷を負いました。復員した夫と義母と生家があった安芸郡奥海田村(現在の海田町)で暮らし、米軍主導の占領統治が開けた1952年、いばらの道を強いられてきた被爆者の集まりに通うようになり、1956年、原爆被害者による初の『国会請願』から広島県原爆被害者団体協議会、続く日本原水爆被害者団体協議会の結成大会に参加しました。彼女がつくった詩『悲しみに苦しみに』は歌曲となり、日本被団協結成総会の会場となった長崎国際文化会館でも歌われました。二男一女の子育てと農作業にいそしみ、原水爆禁止世界大会などでも証言をします。」続いて、阿部さんの海外での証言活動などが書かれていますが、ここでは省略します。
私が、阿部静子さんで最初に頭に浮かぶのは、ここにも書かれていますが、1956年の原爆被害者による初の「国会請願」です。私の手元に、この時の自筆の参加者名簿のコピーがあります。
その中に「八・六の会 阿部静子」の名前があります。最後のページには、「阿部比路志(子供)」の名前が書かれています。阿部さんの子どもさんで、同行した子どもは阿部比路志さんだけです。子どもを同行したことについて、この本の中で阿部さんは次のように話しています。「子ども三人(1954年に長女が誕生)の面倒は見切れんと言われるので、次男(当時六つ)を連れていくことにしました。」
この名簿を何度も目にしていましたので、阿部さんのことは余計に印象に残っています。この参加者名簿にいつかこのブログでも改めて紹介したいと思いますが、「国会請願」に参加した人は42人です。その一人池田精子さんが、昨年12月20日に亡くなられたので、この行動に参加した大人で今も健在なのは、阿部さんだけになりました。
また「被爆者阿部静子は語る」には、貴重な写真が何枚も掲載されていますので、それを見るだけでも興味深いものがあります。
この本は、被爆体験でなく、被爆者運動、原水禁運動の歴史も学ぶことのできる貴重な書籍です。全国の公設図書館や平和講座を開く大学図書館に寄贈することになっているようです。ぜひ図書館で読んで欲しいと思います。
私は、たまたま編著者の一人が私の古くから知人ということで、贈呈されることになり、いつでも読むことができますので、ここで学んだことをぜひこのブログで紹介したいと思います。
いのちとうとし
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