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2025年2月11日 (火)

旧被服支廠の慰霊祭と講演会

旧被服支廠の保全を願う懇談会が主催した「旧被服支廠の慰霊祭と講演会」が、9日午前10時から9日午前10時から平和記念資料館東館地下第一会議室で行われました。私も会員の一人として参加しました。

旧被服支廠の保全を願う懇談会は、被爆の実相の継承に努め、旧陸軍被服支廠をはじめとする被爆建物の保全のため、様々な啓発活動行うことを目的に、20143月に発足しました。学徒動員中に、被服支廠で被爆した中西巌さんが初代の代表を務めました。

「慰霊祭と講演会」は、菊楽忍さんの司会で始まり、最初に参加者全員で原爆犠牲者への黙祷が行われ、続いて切明千枝子代表があいさつ。

切明さんは、旧被服支廠のすぐ近くに住んでいたことを紹介しながら、軍都広島が戦前どんな町であったかを自らの体験を通して紹介し、「広島は今年被爆80周年を迎えるが、当時に侵略戦争終結の80周年であることも忘れてはならない」とあいさつしました。久しぶりに聞く切明さんの話しでしたが、95歳とは思えない記憶の確かさに今回も驚かされました。

その後、内藤達郎副代表が活動報告、その中で、昨年からはじめた旧被服支廠保全のための「樽募金」活動について紹介し協力を要請しました。会場にも募金用の樽が置かれていました。

252111

続いて、都市計画プランナー山下和也さんの講演です。山下さんは、会場で顔を見て思い出したのですが、2023年11月に行われた広島市主催の「南区の被爆建物を通じて、ヒロシマをさがそう」のガイドを行っていただいた方です。その時の様子は、広島市主催「被爆建物めぐり2023」: 新・ヒロシマの心を世界にと次の日のブログで紹介しています。

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今回の山下さんの話しで、興味を引かれたのは、「地霊」(ゲニウス・ロキ)と言う考え方です。「地霊」とは、霊があると言うことではなく「どのような土地にも、時を経ても消えることのない歴史・記憶の堆積がある」と言う考え方のようですが、旧被服支廠もこうした考えから見ることによって、新しいヒントになるのではという指摘でした。

その一つに、鬼門についての話がありました。広島城の鬼門に当たる位置には寺社群があることを紹介しながら、「平和記念資料館の鬼門(東北)の位置には平和記念聖堂があると考えると面白い」と紹介されました。広島城の鬼門に寺社群があることは、当時の発想からいえば当然のことのように思いますが、平和記念資料館にも鬼門があり、その方向に平和記念聖堂があるという説は、初めて聞くユニークな発想ですので、ちょっとびっくりしながら聞きました。

その後も広島が干拓によって広がったこと、城下町の軸線と現在の広島市の軸線の関係が「重層性」を持っていることなどの説明は、都市計画プランナーの話らしい興味深いものでした。

その中で、多くの軸線が東西、南北に走っている中で、斜めに走っている軸線があるという話しが出てきました。その軸線は、南区民文化センターと産業会館の間、そして南区役所の東側に延びている道路のことです。今は、ビルなどが建ち見通せないのですが、この道の北西延長線は、広島城に達するということです。そんな風に思ってこの道路を通ったことがなかったので、意外な思いで聞きました。なぜこういう道路ができたかは、広島湾の干拓の影響だということのようです。

山下さんの話しは、その後、旧陸軍被服支廠が歩んだ歴史、今後どのような活用されるべきかの話に移りましたが、その内容は、今までにも聞いたことのある内容ですので、ここでは省略します。ただ、最後に「旧被服支廠などの道標を頼りにヒロシマを歩こう、ヒロシマをさがそう」と提起されたことだけ紹介しました。

旧被服支廠は、保存が決まり国の重要文化財に指定されたと安心するのではなく、どういうものにしていくのか、市民が積極的にかかわっていくことが重要だと感じました。

いのちとうとし

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コメント

たる募金ですか 昔、昔にたる募金を集めて その都度カープ遠征出発の広島駅まで届けたと 集めた人が言っていました そういうこともあったのでしょうね 重要文化財史跡指定への道筋は誰も触れません 私は新聞記事で知りました 工事費の半額の補助金が出ますと

匿名希望さん
コメントありがとうございます。
遅くなり申し訳ありません。
ご指摘の通り、重文に指定されれば、国からの補助金が出ます。
たる募金は、行政任せでなく市民が共同でこの大切な被服支廠を残そうという思いを表し、県や市のもっと前向きの財政支出を促そうという思いがこもっているのではないかと思います。
それは、今後の活用をどうするかにも繋がるのではないでしょうか。
大切なことは、重文に指定され保存が決定されたからと安心するのではなく、市民の手によって、未来に継承していくという思いを強めることのように思います。

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