日本銀行広島支店慰霊碑―つづき
第1会議室に入るとすぐに「これが慰霊碑です」と案内されました。「慰霊碑」は、入ってすぐ左側の壁面にはめ込まれています。
慰霊碑のレリーフの上にハトが三羽飛んでいます。
まず黙祷をささげます。壁面のつくりは、慰霊碑の下に棚のようなもの(献花台になると思われる)があり、旧日銀広島支店と同じような構造です。
レリーフの左側に「慰霊」の文字が刻まれ、その下に碑が建立された「昭和41年8月6日」の日付が、そして、右側には、原爆で犠牲となった42名の名前が刻まれています。毎年8月にこの碑の前で、慰霊祭が行われているそうです。
以下、広島原爆戦災史をもとに日銀広島支店の被害の状況をもう少し詳細を記述したいと思います。
42名の犠牲者のうち、即死者は29名、その後死亡した人が13名です。即死者29名には、動員によって働いていた応召者5名が含まれています。
当時の在籍従業員数は、95人(日銀広島支店のホームページでは「実動者は85人」となっている)ですが、被爆時出勤していた人は、12人でした。その12人のうち死亡した人は5人、重傷者は5人、軽傷者は2人でした。多くは出勤途上で被爆したと思われます。
被爆時の日本銀行広島支店は爆心地から380メートルという近距離ですが、建物が堅牢だったことと、原爆投下の8時15分はまだ開店前ということで1階、2階のシャッターが閉じていたため、爆風により窓枠ごと破壊されたようですが、内部は大破を免れ、即死者が少なかったようです。さらに、建物の南隣にあった国泰寺の墓地のクスノキが原子爆弾の熱線で燃え上がり、この炎によって3階に火が入り、3階は火災が発生しましたが、1階、2階は火災を免れることができたのも犠牲者を少なくすることに繋がったと思われます。
上の写真は、日銀広島支店のホームページに掲載されている川本俊雄さんが写されたものです。手前に大きく写っているのが、焼け残った国泰寺のクスノキの大木と思われます。左奥が日銀広島支店(当時)ですので、その近さがよくわかると思います。
広島原爆戦災史の「被爆後の混乱」には、「6日、店内の労務員室・食堂などを臨時病室として・・・」の記述があります。労務員室・食堂があったということは、当然労務員や食堂の職員がいたと思われますが、何人いたのか、在籍従業員数の中に含まれているのかは、記述がありませんので、不明です。広島原爆戦災史の「在籍従業員数95人」とホームページの「実働者は85人」との差が、この人たちの人数なのでしょうか。
建物の被害の状況は、現在も残る「旧日銀広島支店」を見学すれば、いろいろな説明が書かれていますので、ここでは省略します。
被爆後の日銀広島支店の営業活動については、ホームページに次のように記載されています。
「このように営業所は大きな被害を受けましたが、広島支店は原爆投下2日後の8月8日(水)に営業を再開しました。また、営業所内の窓口を民間銀行等に間貸しし、8日10時半から10行余りの民間銀行等が預金の払出業務を再開しました。預金の払い出しに必要な資金は日銀が民間銀行等に貸し付けました。
多くの預金者は被爆により預金通帳や印鑑を失っている下で、民間銀行等は無通帳・無印鑑の顧客にも臨機応変に払い出しに応じましたが、預金者からの不正な引き出しはほとんどなかったと伝えられています。こうして現金の供給・流通が早期に回復したことは、焦土の下で経済活動を再開させるうえでの一助になりました。
ホームページでは、この記述とともに一行員が書いたと思われる「8月8日の営業開始に向けて」と題した一文(https://www3.boj.or.jp/hiroshima/files/atomic-bomb/jhb03-1-2.pdf)が掲載されています。
「8月8日の営業開始に向けて」を読むと、冒頭の「高山営業課長は、牛田町の安楽寺前にあった合宿に住んでいたが」というちょっとびっくりする記述が目に入りました。
安楽寺は、被爆大銀杏がありますので何度も訪れ、前住職の豊世岡浩治さんにも被爆体験やいろいろなことを教えていただいたお寺です。まさかこのお寺の名前が出てくるとは思いませんでしたので、ここでこの文章を紹介することにしました。
たくさんの資料や展示物がありましたので、その資料もゆっくりと見させていただき、約30分あまりで見学を終了しました。
案内をいただいたお二人には大変お世話になりました。ありがとうございます。
いのちとうとし
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