2月1日に開催された二つの講演会
2月1日に開催された二つの講演会の報告です。
午前10時から、広島平和記念資料館地下会議室1で開催されたのが「『中国人』被爆者の碑を考える会 結成2周年記念シンポジウム」です。
「中国人」被爆者の碑を考える会は、ピースボランティアの一人が平和公園を案内しているとき『韓国人の慰霊碑はあるのに、なぜ中国人の原爆犠牲者の慰霊碑はないのですか』と問われたことをきっかけに、2年前に「碑の建立」を目的に発足した組織です。
私も当初会への入会の誘いを受けたのですが、「中国人被爆者と言ってもその背景は複雑なため、どんな碑を建てるのか、あまりにも問題が多すぎ、ほんとうに責任が持てるのか」と思い持っていましたので参加を見送っていました。
今回のシンポジウムでは、「どんなことを話してもらってもよいので、3人のパネラーの一人として参加して欲しい」との旧知の共同代表多賀俊介さん、楠本昭夫さんから要望がありましたので、引き受けることにしました。
今回のパネラーは、広島大学大学院教授中村平らさん、被爆者で「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」前広島支部長の豊永恵三郎さん、そして私の3人です。
中村さんは、「どのような論理で碑を建立しようとしているのか、それぞれの遺族との意思疎通をしているのか。中国人被爆者と言っても当時のさまざまな状況が背景にあるが、それをどう考えるのか。そして日本の加害性はどうするのか。など多くの問題があるので、さらなる研究が必要だ」と指摘。豊永さんからは「韓国人原爆犠牲者慰霊碑の建立、平和公園への移転、統一碑建設に向けての動き」などが、紹介されました。
私は、自分自身がどう中国人被爆者問題にかかわってきたのかを紹介し、中村さんの提起に賛同の意を表明しながら、特に「強制連行された中国人被爆者の問題を早くから、そして今も続けている市民団体の理解と協力なしには、建立は難しい。どう理解していただくのか。拙速であってはならない。」ことを話しました。
「中国人」被爆者の碑を考える会が、発足して2年、このシンポジウムが、会にとって改めて「建てるとすれば、どんな意味を持つ碑か、場合によっては政治的な問題に繋がりかねない問題をどう考えるのか」を検討する機会になればと思います。
午後は、1時半から袋町の市民交流プラザを会場に被爆二世問題で医師の立場から助言、提言を続けていただいている神戸医科大学の振津かつみ医師の「原爆放射線被ばくによる遺伝的(継世代)影響をめぐって」の講演会がありました。
この講演会の主催は、広島市原爆被害者の会二世・三世部会と広島県被爆二世団体連絡協議会の共催で開催されました。同じ被爆二世の組織である二つの団体が、共同して行動するのは、これが初めてではないかと思いましたので、振津さんの話しはこれまでにも何度か聞いていましたが、参加することにしました。
振津さんは、マウス実験の事例を紹介しながらの遺伝的影響についての語るとともに、世界の核被害者にも向けて欲しいと訴えました。参加者は、約40人、「原爆放射線被ばくによる遺伝的(継世代)影響」についての講演を始めての人も多かったと思います。
振津さんの講演内容はもちろんですが、被爆二世団体が共同して開催したことに意義を感ずる講演会でした。
いのちとうとし
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