栗原貞子作「原爆で死んだ幸子さん」―その2
前置きが長くなりましたが、いよいよ「原爆で死んだ幸子さん」にかかわる栗原貞子さんの体験記です。
栗原貞子さんにとって「隣家の幸子さんの死」は、強い衝撃だったようです。
そのことを示すのが、昨日紹介した「栗原貞子全詩編」で、そこには多くの短歌が収録されています。
その中に「原爆投下直後」に作られた短歌として「己斐国民学校収容所にて」と題して、「収容所に近づけ行けば車たんか 行きかいしげく血なまぐさきも」を初句として計18首の短歌が収録されています。この短歌を読み進んでいて気になることに気づきました。18首の短歌の後に次のような記述があるのです。
「作者附記 8月6日原子爆弾の惨状ありて隣家第一県女一年生かえり来まさず、9日ようやくにして死体は己斐国民学校にありときく、即ち叔父君、母君、私の三人で、午後4時より(中略)、私はこのときの情景を、後に『原爆で死んだ幸子さん』の詩に書いた。」
気になることとは、詩「原爆で死んだ幸子さん」の中では、「幸子さん」は、「女学校三年生」となっています。後で全文紹介する体験記には「「家の女学校三年生の『さっちゃん』」と三年生となっています。「栗原貞子全詩編」の「附記」は当然、栗原貞子さんが書かれたもののはずにもかかわらず、なぜか「第一県女一年生」となっているのです。どうにも解けない謎が残ります。
またまた前置きが長くなりました。いよいよ栗原貞子さんの体験記の紹介です。
「No moro Hiroshimas ヒロシマを忘れるな」の中で、栗原貞子さんの肩書きは、次のようになっています。
「廣島郊外祇園町にて罹災をまぬかる35歳詩人 現在生活新聞社 土居貞子」
題はついていませんので、栗原貞子さんの旧姓が「土居」であったことを知らなければ、見逃してしまいそうです。私は、祇園町、生活新聞社の文字が気になり、そして「確か栗原さんの旧姓は土居だった」ことを思い出し、体験記全文を読むことにしました。やはり栗原貞子さんの体験記だと確認しました。そして、「原爆で死んだ幸子さん」の基となる体験記だということに気づいたのです。
先にも紹介しましたが、「栗原貞子全詩編」の注書きには、「作者は、『1952.5.25』と言う日付を入れている。」とこの詩の作成年を記しています。
そうすると、「No moro Hiroshimas ヒロシマを忘れるな」の発行年が、「1950年」となっていますので、この体験記は、当然それ以前に書かれたことになりますので、まさに詩「原爆で死んだ幸子さん」の基になる体験記と言ってようのではないかと思います。
ようやく、体験記の全文紹介にたどり着きましたが、原文は、1500単語という長いものですので、次回に紹介します。
いのちとうとし
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