栗原貞子作「原爆で死んだ幸子さん」―その3
ようやく栗原貞子さんの体験記までたどり着きました。
被爆後3日目の広島の姿が、詩人の目を通して語られています。旧漢字は、一部新漢字にかえてましたが、基本的に本に記載されたままで、以下に全文を紹介します。
廣島郊外祇園町にて罹災をまぬかる。三五歳詩人。
現在生活新聞社 土居貞子
午後の陽の暑い警戒警報下の道を小さな配給車を引きながら私たちは、市内へ急いだ。隣家の女学校三年生の「さっちゃん」の死体を己斐町小学校の死傷者収容所に取りに行くためである。空襲におびえる二人の子供達を説得して出たものの残してきた子供たちが気にかかって不安でならない。
市内へ入ると樹木も建物もきれいになくなり見渡す限りの瓦礫の原となって、いたるところに死傷者がころがっている。
八月の太陽がじりじりと照りつけるその下に髪が焼けちじれ着物もぼろぼろになって男か女かわからない真黒に汚れた顔の人間が無数にころがっている。
あまりに悲惨な異常な現実に転倒してしまった私達は現実へピントを合わせることができないで目眩と嘔吐を感じながら真夏の炎熱と燃え落ちたままくすぶっている余燼とで焦熱地獄のように暑い街を通って己斐の学校に着いたときはもううす暗くなっていた。・・・担架や車を持って死体や負傷者を受けとり来た人達が校門をひきもきらず出入りしている。校庭から廊下にあがるとずらりとならんだ死傷者、収容しきれぬのがコンクリートのたたきの上にもいっぱいである。教室も勿論死臭と汗いきれでむっと臭い。ここの死傷者は体も顔も倍以上にふくれあがり、目は糸のように細く唇は大きくむくれている。発狂したらしい負傷者があっちこっちで奇声をあげている。廊下の死体と死体の間にまだ幼い八歳ばかりの軽傷の男の子が「お母さん」と呼んでいる。どの顔もどの顔も人間とは思えない恐ろしい形相になっている中からいたいけない少年の声をきいた私はそこからしばらく離れることができなかった。「坊やどこ」と聞いてみたものの、今の場合連絡しようもない。「おばちゃんお水頂だい。水、水、水」私はあたえてはわるいかとも思ったけれど校庭に行ってポンプの水を、児童用の竹の筒のコップがあったのでそれに汲み、そっとのませてやった。「じゃあさよなら、いい子をして待っているのよ、母さんがきっと探しに来てくださるから・・・」こんな場合冷静な救助のことなど突差に浮かんではこなかった。私は少年を見捨てて去らねばならなかった。
顔には白いハンカチをおおった女学生の服を着た死体があった。叔父さんにあたる人がハンカチをとろうとしたが火傷でビランしているせいかくついて離れない。でも焼けたモンペの縞模様や胸の名札で「さっちゃん」であることが確かめられた。
さっちゃんのお母さんは泣かなかった。人間として我が子のかかる姿を受けとることはできない。
発狂以上のことである。私達は持ってきたゴザに生きていればこれから花ひらこうとする少女の死体を包まねばならなかった。
抱きかかえる時背も火傷でビランしていたのかピチャッという音がして水気が手のひらに感じられた。私は誰とも対象のはっきりしないものに憤りを感じて全世界に向かって「こんなことがあっていいのか」と声をあげて叫びたいような衝動を感じ、体の表面を冷たいものがサッと通り過ぎて倒れそうになった時、空襲警報が不気味に鳴り出してふっと我にかえった。もうあたりは暗くなって来たが収容所にはローソク一本ともす用意もないようであるし、死傷者の世話をしているような人達も見受けられなかった。やっと校門をくぐって外に出ると担架や配給車が腕々とつずいている。瓦礫の上を死体をのせた配給車はがたがたしながら行き焼け落ちた電線に何度もひっかかって途中で死体が二度ばかり路上に落ちた。見渡せばあちこちの街で死体を一ヶ所にあつめて焼く火が地獄の火のように燃え、市の周辺の山が闇の夜空を赤くこがして世界の終わりのような凄惨だった。
栗原貞子さんは、この体験から生まれたこの詩のことを「『原爆で死んだ幸子さん』と「『生しめんかな』は、被爆直後の作品で、私の戦後の原基点である」(ヒロシマ詩集「未来はここから始まる」23ページ)と紹介しています。
いのちとうとし
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