ベトナムの歴史(その37) ― ベトナム Now Ⅹ―
ポル・ポト政権打倒、ヘン・サムリン政権樹立
前号で1975年4月から3年8ヶ月続いたポル・ポト政権のもとで、国民の4人に一人(150万人)もの虐殺が繰り広げられたことを紹介しました。カンボジア国民がその「忌まわしき大虐殺」から解放されたのは、ベトナムに支援されたヘン・サムリンがポル・ポト政権を倒した1979年1月です。
ヘン・サムリンはポル・ポト政権の下で主に軍で活動し、1976年には東部地域の師団長・政治委員でした。しかし、ポル・ポトによる「内部の敵」狩りと親ベトナム幹部粛清の嵐の中で1978年5月、ポル・ポト部隊と戦いベトナムに逃れます。同年12月2日、カンボジア東部で反ポル・ポト派の政治的・軍事的組織として、カンプチア救国国民統一戦線を結成し、議長に就任。12月25日、ベトナム軍15万の支援を受けた1万5千の救国国民統一戦線兵士がプノンペンに侵攻。僅か2週間でポル・ポト政権を倒し、1979年1月8日にカンプチア人民共和国(PRK)を樹立。人びとを虐殺の恐怖から解放します。
ポル・ポトなど3派連合と10年間にわたり内戦
しかし、カンボジア国民が真に解放されるには、さらに10年余の時を経なければなりません。政権を追われジャングルに逃れたポル・ポト派、シハヌーク派(FUNCINPEC)、ソン・サン派(KPNLF)の3派が民主カンプチア連合政府(CDGK)をつくり、ヘン・サムリン新政権(カンプチア人民共和国)との内戦を始めたのです。下の表をご覧ください。
資料を基に筆者作成
1863年、フランス保護領として仏領インドシナ国(ベトナム、カンボジア、ラオス)の一つになります。
1953年にシハヌークが90年に及ぶフランス支配からの独立を果たし、カンボジア王国を樹立。
1970年にはロン・ノル将軍がアメリカを後ろ盾にクーデターでシハヌーク政権を倒し、クメール共和国を作ります。
1974年にはクメール・ルージュのポル・ポトがロン・ノル政権を倒し、民主カンプチアを作ります。
1979年にヘン・サムリンがベトナムの支援を受け、ポル・ポト政権を倒し、カンプチア人民共和国を樹立します。
政権を追われたポル・ポトは衰退したロン・ノルを除く仇敵同士と手を握り、ヘン・サムリン新政権(カンプチア人民共和国)に内戦を挑んだのです。アメリカや中国、タイなど各国はヘン・サムリン新政権ではなく、大虐殺を繰り広げたポル・ポト政権(民主カンプチア)を支持し、9月21日の国連総会では日本を含む71カ国が引き続きポル・ポトの国連代表権維持に賛成し、ヘン・サムリン新政権を排除します。
なぜ、日本は「大虐殺ポル・ポト政権」を支持
出典:日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア経済研究所「カンボジアにおける国民国家の形成と国家の担い手をめぐる紛争」(天川直子、2001年)
なぜ、日本を含む国際社会は150万人もの自国民を虐殺したポル・ポト政権やポル・ポトが加わる民主カンプチア連合政府(CDGK)を支持し、虐殺を止めたヘン・サムリン政権(カンプチア人民共和国)を敵視したのでしょうか。誰もが不思議に思うことでしょう。親ベトナム政権がカンボジアにできることを嫌ったアメリカをはじめ西側諸国は、カンボジア国民を解放したヘン・サムリン政権ではなく、反ベトナムのポル・ポト政権が良かったのです。まったく、何と言うことでしょう!残念ながら「アメリカ追随」の姿勢は今も改まっていません。
西欧の列強フランスの植民地支配を脱したインドシナ3国(ベトナム、カンボジア、ラオス)は、「勢力を伸ばし東南アジアに迫りある共産勢力を阻む」とするアメリカの介入(ベトナム戦争)に晒され、1975年の勝利以降も冷戦構造の下で複雑に絡んだ大国の利害と思惑に翻弄されたのです。
ようやく戦火や混乱が静まり、復興・再建への途に就いてから僅か30~40年です。
2月9日から15日までカンボジアとベトナムを訪れ、両国の着実な復興と著しく発展する姿を目の当たりにしました。また惨禍の傷跡を訪ね、「正邪曲直」両面での日本の歴史的な関わりを正しく捉え、問い続けなければと心に刻みました。
次号では、今号と関連して1979年の中越戦争を取り上げます。
2025年2月20日(あかたつ)
[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
« 藤登弘郎作 水彩画集「平和を訴える物言わぬ証人-広島被爆80年」 | トップページ | 安保法制に反対する府中市民の会の2月「19日行動」 »
「旅行・地域」カテゴリの記事
- チェルノブイリデー座り込み(2025.04.27)
- 三つの鼻(2025.04.19)
- 被爆地別の被爆者健康手帳所持者数(2025.04.12)
- 台湾で原発ゼロの日がやってくる(2025.04.10)
- 二葉の里の桜並木(2025.04.07)
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 2025年4月のブルーベリー農園その4(2025.04.30)
- 原爆被害を調べる人のためのガイドブック「ヒロシマ調査・研究入門」(2025.04.29)
- チェルノブイリデー座り込み(2025.04.27)
- 「屍の街」の章題―つづきのつづき(2025.04.28)
- 「屍の街」の章題―つづき(2025.04.26)
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
- チェルノブイリデー座り込み(2025.04.27)
- チェルノブイリ原発事故から39年(2025.04.25)
- 三原地区の4月の「19日行動」(2025.04.22)
- 府中地区 4月の「19日行動」(2025.04.21)
- フクシマを忘れない!さようなら原発ヒロシマ集会実行委員会が中電へ要請書を提出(2025.04.11)
« 藤登弘郎作 水彩画集「平和を訴える物言わぬ証人-広島被爆80年」 | トップページ | 安保法制に反対する府中市民の会の2月「19日行動」 »
コメント