被爆者の森の植栽
平和大通りにある「被爆者の森」で、植栽がありました。
昨年秋に「木が傷んだ」ということで植え替えが決まっていた鳥取原爆被害者の会から贈られていたの「二十世紀なし」です。
昨日朝8時40分頃現地に行きました。
現場ではすでに作業が始まったおり、新しい植栽場所の土の掘り起こし、肥料やりが行われていました。
昨年と同じ業者ですので、作業中にいろいろと話を聞かせていただきました。
植え替えの原因は、「木が枯れたから」ときいていたのですが、実際には、病気に罹ったための植え替えでした。
「二十世紀なし」(リンゴなどの果実も)は、近くに「カイヅカイブキ」の木があると、赤星病に罹りやすく、ここもカイヅカイブキが近くにあるので、病気に罹ったことが原因で植え替えることになったのが真相のようです。
昨秋は「鳥取の被爆者団体と相談して同じ二十世紀なしで植え替える」ときいていたのですが、植木業者からのアドバイスで。同じ梨の木ですが、「マメナシ」に代えることになったようです。植え替えの場所も、日当たりを考え周囲に大きな樹木がない、やや東側に移動していました。
「マメナシ」は、三重県地方に多く生息する木で、実はつけますが、その名のとおり実は、マメのように小さいようです。
植栽される木は、鳥取市の千代川沿いにある園芸場で育てられた10年ほどの成木で高さは、約10mです。
そんな説明を聞きながら作業風景を見ていると、スーツ姿の一人の男性が近づいてこられました。気になるものですから「どちらからお越しですか」とお聞きすると、「鳥取県原爆被害者の会事務局長 石川行弘」と書かれた名刺を手渡されました。この日、植え替えがおこなわれるということで、わざわざ鳥取から来られたのです。一昨日山陰は大雪でしたから、「どうやってこられたのですか」とお聞きすると「米子で証言活動があったので、終わってから出雲、浜田を経由し浜田道できました」とのことでした。後でわたったのですが、石川さんは、鳥取大学名誉教授で、農学博士ですので、余計に関心が深かったと思います。それにしても、「よくお見えになったな」と感心しました。
植栽されるマメナシの向こう側で、ネクタイ姿で見守っておられるのが、石川さんです。植え替えを一緒に見ながら話を聞くと、三歳の時にお母さんと一緒に楠木町で被爆されたことが分かりました。農学博士です。植木業者との話も、樹木の話が交わされていました。
石川さんが見守る中で作業は進みました。
9時半過ぎには、ほとんどの作業が済みました。後は、木を保護するための囲いを作り、周辺を整地する作業が残るのみです。
最期まで見届けたかったのですが、10時から原水禁のZOOM会議がありましたので、帰宅し、午後に再度現場を見に行ってきました。
根元は、土が盛り上げられて給水時に水がたまるようにしてあります。
添え木の高さ、向きなど丁寧な作業が行われましたので、きちんと根付き、元気に成長してくれるものと思います。
マメナシの花は、白い花です。鳥取県では、倉吉市で、ママナシで並木がつくられています。石川さんもよく知っておられました。
苗木には花芽がついていますので、この春も花を咲かせてくれるようですから、またここを訪れる楽しみが増えました。
いのちとうとし
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