ヒロシマとベトナム(その65)
ともに特別大切な年を迎えて
ヒロシマに暮らしベトナムとの交流に携わる者として迎えた2025年、例年になく思いをめぐらせています。心の病を克服し家族のため懸命に働き、施設で余生を過ごす96歳の特攻志願の海軍飛行兵だった父。虫一匹も殺せなかった純朴な若者が、捕虜を的にした刺突訓練で鬼畜になった体験から平和活動を貫かれた中国帰還者の会の方。多くの被爆者との出会い。「一人ひとりの被爆体験を分かることはできないが、その体験、思いに近づくことはできる」と教えてくださった恩人・・・・。どんなに険しく厳しい中でも「ネバーギブアップ!」と勇気を与えてくださったヒロシマの牽引者・・・・。
元日の原爆ドーム
いずれも52年前の広島転勤以降の出会いであり、「ヒロシマとの出会い」と重なります。
そのヒロシマは「被爆80周年」、「敗戦80周年」を迎え、交流を続けるベトナムは「ベトナム戦争が終結50周年」を迎えます。日本軍の支配下に置かれていたベトナムが独立(建国)したのは日本の敗戦直後の1945年9月2日ですので、今年、ベトナムは「建国80周年」でもあります。
昨年末で一区切りとした「南シナ海の動向」シリーズに変わって、何を始めようかと思い悩んでいましたが、日本が無謀な戦争へと突き進み原爆投下と敗戦に至る経過と、インドシナ進駐との関わりについて調べてみようと思い立ちました。私自身の「ヒロシマに近づいてきた道」を振り返りつつ、「ヒロシマへの道」シリーズを幾号か書いてみようと思います。
「ヒロシマへの道」シリーズ
国際交流活動でよく使われる相互理解というキーワードも、多くは現在と未来に関して使われるものが多い気がします。過去は終わったことであり、相互理解は未来を創造するためのものであるかのようです。「未来志向」という言葉もよく使われます。もちろん、大切なキーワードだと思います。しかし、それは決して過去を閉ざし、過去を清算し、将来だけを見ようということではなく、過去の出来事に真摯に向き合い、今を生きる糧とし、未来の希望を見出すことです。
重ねられた互いの歴史や文化を知り、今に触れ合い、共に未来を描き、分かち合い支え合い、地球人として共に生きるための関係づくり。これが国際交流活動だと思ってきました。
「過去は現在の光に照らされて初めて知覚できるようになり、現在は過去の光に照らされて初めて充分に理解できるようになるのです」、歴史とは「現在と過去のあいだの終わりのない対話です」(イギリスの政治家であり歴史家のエドワード・ハレット・カー著「歴史とは何か」)
(2025年1月5日、あかたつ)
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