被爆80年・日本被団協ノーベル平和賞受賞記念イベント
広島被爆者7団体と記念イベント実行委員会が主催し、公益財団法人広島平和文化センターが共催する「被爆80年・日本被団協ノーベル平和賞受賞記念イベント」が、26日午後1時から平和記念資料館地下メモリアルホールで開催されました。
第一部は、オスロで行われたノーベル平和賞受賞式に参加した日本被団協代表委員で広島県被団協理事長でもある箕牧智之さんや第27代高校生平和大使甲斐なつきさんなど5人が登壇し、参加報告を行いました。
ノーベル平和賞授賞式の様子、被爆樹木の種の贈呈、ノルウェーの高校生との交流、たいまつ行進など、ニュースでも報道された様子が、それぞれの思いとともに紹介されました。
広島被団連事務局長で日本被団協代表委員の田中聰司さんは、入院中のため欠席でしたので、「森滝先生や藤居さんなど被団協結成に深く関わられた人たちの写真を手に参加しました」というメッセージが紹介されました。
第二部は、「ノーベル平和賞受賞をどう受け止めたか」のタイトルで、11の団体から代表が、意見を表明しました。
この中で印象に残った発言は、韓国原爆被害者対策特別委員会の権俊五委員長、広島県朝鮮人被爆者協議会金鎮湖会長から、「授賞式での田中代表委員のあいさつは、評価できるが朝鮮半島出身者が多く被爆していることにきちんと触れられなかったのが残念だ」との意見が表明され、さらに金鎮湖会長は「アメリカの原爆投下責任について全く触れられなかった」ことが指摘されたことです。
私も二つの意見の同感です。私は、田中代表委員のあいさつでの中で言って欲しこととして、授賞式以前にある会合で「原爆の被害者は日本人だけでなかったこと。核兵器使用の危機が深まっていること。世界には広島、長崎以外にも多くのヒバクシャがいることを入れて欲しい」と話したことがありますので、二人の意見に同感です。そして「アメリカの原爆投下責任というかアメリカが原爆を投下したことに全く触れられなかったこと」については、このブログでも書きましたので、その通りの思いでした。
私も広島県原水禁を代表した発言する機会がありましたので、この「アメリカの原爆投下責任について触れられなかった」問題」については、触れようと思っていましたので、金鎮湖会長の意見には大きな拍手を送りたい気持ちでした。
私は、日本被団協がノーベル平和賞決定のニュースを見た時、「本当によかったと喜ぶ同時に被団協活動の先頭に立ってこられた先人を思い出したこと。今日の核兵器威嚇・使用の危機が迫る国際情勢に対し、それを止めるために被爆者の力を借りたいとの思いで受賞が決まったこと、そしてこの受賞によって、ますます被爆者や日本の原水禁運動の責任が重くなった」と感じたことを話した後、1955年の第1回原水禁世界大会宣言の中の「原水爆被害者の不幸は実相は、ひろく世界に知られなければなりません。その救済は世界的な救済運動を通じて急がなければなりません。それがほんとうの原水爆禁止運動の基礎であります。原水爆が禁止されてこそ、真に被害者を救うことができます。」の部分を紹介し、「一人でも多くの被爆者のいのちがあるうちに、核兵器廃絶を実現させるのは、私たち原水禁運動の約束・責任だ」と決意を述べました。
この記念イベントには、約230名(私の推測)の参加がありました。
いのちとうとし
[お願い]
この文章の下にある《広島ブログ》というバナーを一日一度クリックして下さい。
« 赤貝のに付け | トップページ | 1. 27ネバダデー座込み »
「ニュース」カテゴリの記事
- 「ヒロシマドキュメント被爆80年」1955年8月6日―中国新聞(2025.03.18)
- 三原の3月「19日行動」(2025.03.11)
- ノーベル平和賞メダルー広島県被団協代表者会議(2025.02.16)
- 守ろう、平和・民主主義・人権!紀元節復活反対!2・11ヒロシマ集会(2025.02.12)
- 被爆二世をめぐる課題に向き合い、国として補償せよ!(2025.02.01)
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 「ヒロシマドキュメント被爆80年」1955年8月6日―中国新聞(2025.03.18)
- 「旧呉海軍工廠砲熕部火工場機械室」見学―つづき(2025.03.17)
- 「旧呉海軍工廠砲熕部火工場機械室」見学(2025.03.16)
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
- 「ヒロシマドキュメント被爆80年」1955年8月6日―中国新聞(2025.03.18)
- 「旧呉海軍工廠砲熕部火工場機械室」見学―つづき(2025.03.17)
- 3・11フクシマを忘れない さようなら原発ヒロシマ集会(2025.03.12)
「#平和推進」カテゴリの記事
- 「旧呉海軍工廠砲熕部火工場機械室」見学―つづき(2025.03.17)
- 3の日行動(2025.03.04)
- ヒロシマとベトナム(その67-2)(2025.03.06)
「核兵器廃絶」カテゴリの記事
- 「ヒロシマドキュメント被爆80年」1955年8月6日―中国新聞(2025.03.18)
- 久しぶりに縮景園に行きました。(2025.03.13)
- 三原の3月「19日行動」(2025.03.11)
- 「放射能とともに歩む」-平和記念資料館ボランティアスタッフ研修会(2025.03.09)
- 2025年3月の県原水禁常任理事会の開催(2025.03.07)
「被爆者」カテゴリの記事
- 「ヒロシマドキュメント被爆80年」1955年8月6日―中国新聞(2025.03.18)
- 久しぶりに縮景園に行きました。(2025.03.13)
- 「放射能とともに歩む」-平和記念資料館ボランティアスタッフ研修会(2025.03.09)
- 2025年3月の県原水禁常任理事会の開催(2025.03.07)
- ビキニ・デー(2025.03.01)
コメント