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2024年12月 7日 (土)

ユーロシマ

日本被団協のノーベル平和賞受賞の機に、マスコミが連日日本被団協や被爆者の歩みの報道を続けています。

その一つに中国新聞が、12月1日から連載を始めた「歩み 被団協ノーベル平和賞」があります。

私の知らない歴史の紹介もあり、毎回注目して読んでいますが、その5回目となる12月5日の「国際活動」では少し気になる記載がありました。

この回は大見出しは「被爆者訴え 欧米で共鳴」で、被爆者の海外での証言活動の歴史の一部が紹介されています。気になったというのは、「核戦争に現実味」の小見出しで書かれた次の記述です。少し長いのですが、引用します。

「被団協の訴えは70年代後半から,欧米の反核運動と共鳴し始めた。東西冷戦のさなか、人々は現実味を増す核戦争におびえていた。米ソによる欧州への核ミサイル配備を起点に「ノー・ユーロシマ」(欧州を広島のような核戦場にするな)のかけ声が拡大。被団協は各国からの派遣依頼に積極的に応じた。」

何が気になるかといえば、「ノー・ユーロシマ」の言葉です。この記事の記述に間違いがあるというわけではありませんが、この記述では、「ノー・ユーロシマ」は、欧州の反核運動団体によって作られて言葉のように受け取れます。

じつはこの言葉は、森滝市郎先生が、1981年11月21日に西ドイツ(当時はドイツは東西に分裂していた)ドルトムントで開催された反核集会「クレーフェルト・フォーラム」での連帯あいさつの中で使われたのが、最初です。

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ドルトムントの集会 テーブルの左端が森滝市郎先生

 二週間あまりの「ヒロシマ語り部の旅」をふりかえって、中国新聞の取材に応じた森滝先生は、次のように語っておられます。

「西ドイツの環境保護団体『緑の党』のペトラ・ケリー女史、イギリスの核廃絶運動(CND)のEP・トンプソン氏らが檀上から報告。私は『ヒロシマ・ホロコースト』(大虐殺)の生き証人として聴衆に語りかけ、ドイツ語で締めくくった。『ユーロシマ』(ヨーロッパのヒロシマ化)になってはいけない。世界のどこにも核戦争が起こってはならない。われわれは生きることを欲する。そして生命が勝たねばならぬ。ワーッと歓声が上がった。『廃墟の光』で広島を描いたロベルト・ユンク氏が駆け寄って『よかった、よかった』といってくれた。」

この記述だけでは、「ノー・ユーロシマ」の言葉を森滝先生が最初に使ったということはっきりしないかも知れませんので、別のところに森滝先生自身が書かれたものを紹介します。

1982年7月に発刊された「ヨーロッパ反核79-82」(近藤和子、福田誠之郞編)の巻頭言「核戦争の危機と世界民衆の連帯」の中に、森滝先生は次のように記述されています。

「西ヨーロッパの人々の恐怖は同じように東ヨーロッパの人々の恐怖であるに違いない。81年11月21日西独ドルトムントの集会で『ヨーロッパはユーロシマになってはならない』と叫んだ私はその翌日22日ボンの集会に出た。そこには東ヨーロッパの代表も困難を押して参加していた。民衆の恐怖と憂慮と反核行動に於て西欧も東欧も一つなのである。

私が帰国してまもない頃、東独の平和団体から届いた印刷物にホーネッカー首相の演説が載っていた。その標題は『ヨーロッパはユーロシマとなる必要はない』となっていた。」

中国新聞の連載は、前日の「座り込み」で森滝先生が取上げられていますので、この記事では森滝先生の名前は記載されなかったと思いますが、この二つの文章を読めば、「ノー・ユーロシマ」の語源が、森滝先生であることが理解できるのではと思います。

当時、ヨーロッパでは、1979年に決定された「1983年のNATO軍への地上発射ミサイルパーシングⅡの配備」に反対するため、10万人を超える抗議集会が、各地で開催されていました。この欧米での反核運動の盛り上がりを受け、日本でも1982年3月21日に広島で「反核20万人集会」が開催され、その後の全国各地での数十万人を集める反核集会へと繋がったことを思い出します。

私が原水禁運動の事務局に関わることになったのは、この「3.21反核集会」実行委員会の事務局に入ったことが契機でした。

いのちとうとし

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