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2024年12月17日 (火)

江戸・戦前の広島を発見!

旧日銀広島支店で「江戸・戦前の広島を発見!」、22日までの会期で開催されています。

どんな展示になっているか興味がありますので、厳しい寒さの中、昨日会場を訪れました。

会場は行ってすぐに掲げられている「はじめに」には次のように書かれています。

「この企画展は、写真などを通し、広島の街で人々が大切にしてきたものや文化に触れ、皆n影響で古いものは残っていない』といわれ広島市ですが、実は多くの史料が残されています。今回は、それらの中から,現在の広島に暮らす人々にもなじみの深い場所と共に、江戸時代から戦前までの広島市で、人々が喜び祝った管絃祭にまつわる写真を選びました。」

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解説文に引用されているのは二つの書籍です。

一冊は、中島豪一著「古地図と歩く広島」です。

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もう一冊は、薄田太郎著「がんす横丁」です。この本は4分冊になっています。

これらを下に「中島町、広島商、流川・幟町・胡町界隈・旧台屋町・京橋界隈、二葉の里界隈、広島駅周辺、比治山とその周辺、宇品界隈、豪華な御供船で賑わった京橋・本川、幟町周辺」の戦前の様子を映した写真とその解説が展示されています。2冊の本は、私も所持していますので、見覚えのある資料が並んでいます。

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紹介したいのですが、展示されているものは、撮影禁止ですので、チラシの裏にあった写真の内2枚を紹介します。左は猿猴橋、右は御幸橋です。

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熱心に見ていましたので、「興味がありますか」と岡部喜久雄さんから声をかけられました。

岡部さんは、この企画展に関わっておられる一人です。岡部さんとは初対面でしたが、いろいろ興味ある解説をしていただきました。

「このコーナーは、私が作ったものが展示されていますので、写真を撮ってもらってもかまいませんよ」とのこと。展示物の最後の方にこのコーナーはあり、特に戦前の戸別詳細地図があります。

その一枚です。

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米軍が原爆を投下する直前の7月25日写した航空写真とそこの写っている街の当時の戸別地図が並べてあります。右側の地図の上には、幾本ものピンが立っています。このピンは、これまでこの地図を見て、「私の家だ」とか「親類の家だ」とかの情報が寄せられた家でそうです。

こんな地図もありました。

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下部の青丸は「西」と書かれています。森滝市郎先生の岳父西晋一郎宅です。現在の県立美術館のすぐ北側に「西晋一郎旧宅」の看板があり、実際にはどの辺りに家があったのかと思っていましたので、興味ある地図です。岡部さんに話すと、「その通りです」と教えていただきました。

他にも,原民喜が被爆した実家も地図で見つけることができました。岡部さんから「原家は、お父さんの代に家を平屋に建て直した時、頑丈な造りにされたので、爆風でも倒壊しなかったのですよ」と教えていただきました。

さらに「爆心地から約950メートルの距離しかなかった流川教会の牧師だった谷本清さんが、なぜ生き残ることができたのかと不思議に思っていたのですが、娘さんの近藤紘子さんに尋ねたら、『牧師の宿舎が縮景園の近くにあり、そこで被爆したからです』と教えていただきました」などなど、いろいろな情報を提供していただきました。

「もし興味があったらぜひ訪ねてきて下さい。いろいろ資料を持っていますので」とお誘いを受けました。

博識な岡部さんには、聞きたいことが山ほどありますので、ぜひその機会を作りたいと思います。

午後4時過ぎの会場を訪れたので、少し時間が足りない感じですが、有意義な「江戸・戦前の広島を発見!」展示会の見学になりました。

いのちとうとし

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