企画展「広島を撮り続けてー大段徳市によるふるさとの記録-」―つづき
企画展「広島を撮り続けてー大段徳市によるふるさとの記録-」を観に行った話しのつづきです。
気になった写真は、1967年9月に写され、「西平和大橋」とタイトルが付けられた一枚です。「本川をまたいで中島町と河原町・土橋をつなぐ橋です。原爆で落橋した新大橋のかわりに1952年にかけられた橋です。」
キャプションは,さらに次のように続きます。
「中島町から西平和大橋を西に望む。平和大橋と一対をなし、欄干は平和大橋と同じくイサム・ノグチによる設計です。建設当初はコンクリート打放しの仕上げを限りなく滑らかにした手触りのものでした。写真中央部には、新大橋の痕跡が残っています。」
新大橋の痕跡と思われる写真中央部を拡大して見ました。
河岸に確かに突起物があります。
実は、以前から西平和大橋を通るとき、「この突起は何だろう」と気になっていました。
この写真展を観た後、すぐに西平和大橋に行ってみました。痕跡が残ったままです。
ちょうど日曜日でしたので、作業員の姿はありませんが、痕跡の真上に河岸の土質を調査するための器具とそれを覆うブルーシートがあります。
突起物の上部はツタのようなもので覆われていますが、新大橋の痕跡に間違いありません。今まで「何だろう」と思っていた疑問が解けました。
公園整備の際撤去されたのでしょうか、対岸(東側)の平和公園側の河岸には、この痕跡は残っていません。どういうことだろう、ちょっと気になるので、帰宅後中島地区の復元地図を見てみました。
上の図では、少し分かり難いかも知れませんが、新大橋は、西平和大橋に対し少し斜めにかけられており、西詰では半分ほど上流側にずれていますが、東詰は西平和大橋の下になっています。ですから東側に痕跡が残っていないのは当然かも知れません。
さらにこの図を見る限りでは、西側の新大橋の痕跡も全体ではなく、一部ということになります。橋の痕跡にしては「こんなに小さな橋だったのか」と思ったのですが、これで納得です。
大段さんの写真さらによく見ると、右側に「水道橋」が写っています。復元地図でも新大橋のすぐ上流に細い二本線で表示されています。いつ撤去されたのかは不明ですが、もちろん現在は、存在しませんので、痕跡はのこっていないかと私が写した写真を見直しました。
そうすると、向こう岸の右端のところに、その左右の石垣は、斜めに組まれているのに一部だけ横組みに組まれた石垣(河岸からツタのようなものが下がっている)があるのがわかります。なぜ、と思いながら、この部分に水道橋があったではないかと勝手に想像しています。
新しい発見やいろいろな想像をかき立ててくれる大段徳市さんの写真ですので、もう何度か訪れようと思っています。
会期は、今月の27日までですので、一度足を運んでみてはいかがでしょう!
いのちとうとし
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