伊賀上野に行きました。
伊賀上野に窯を構える伊賀焼の陶芸家谷本景さんの「偲ぶ会」に参加するため、1日、2日と三重県の伊賀上野に行ってきました。
谷本さんは、1988年に初めてギャラリーたむらで個展を開催されて以来のお付き合いですので、ギャラリーたむらの店主と二人で参加し、一言挨拶をしました。
伊賀上野駅に着いたのは、午後1時過ぎでしたので、谷本さん縁のお店「田楽座わかや」で豆腐田楽をご飯の上の載せて食べるお昼の定食を食べました。田楽をご飯に載せて食べるのは初めてです。
「田楽座わかな」には、谷本さんの作品が何点か展示されていました。
「谷本景を偲ぶ会」の会場は、国の史跡に指定されている江戸時代の藩校「史跡旧崇広堂」でした。
「えっ国の史跡で偲ぶ会?」と思ったのですが、伊賀市では、有料での見学だけでなく、最近はさまざまな展示会やコンサートなどで活用されているようです。このアイデアは、谷本さんの提案が基になって始まったようですから、会場としてはふさわしい場所でした。
会場には作品の一部が展示されていました。
150人ほどの参加者で、伊賀市長や教育長同級生などのあいさつのトリを私が務めることになり、偲ぶ会は午後5時前に終了しました。
夕食は、伊賀に来たのだからと伊賀牛のステーキを食べにきました。
朝起きると、ホテルルートインの部屋の窓からは、伊賀上野城がすぐ近くに見えます。
二日目は、市内観光をして午後3時に伊賀上野駅を出発する予定でしたが、豪雨による帰りの列車の運転休止が心配になり、帰りの時間を早くすることにしました。
でもせっかくきたのだからと、朝食後伊賀上野城周辺を散策しました。
伊賀上野城は、藤堂高虎が築城した城で、本丸の西には、日本1,2の高さを誇ると言われる約30メートルの高石垣が作られています。
現在建つ天守閣は、1935年に復興されたものです。
正面は、一部足場を組んで修復中でしたので、東側から写しました。
伊賀上野は、芭蕉生誕の地ですので、お城の周辺にも幾つか縁の建物がありました。
さらに伊賀と言えば、忍者です。忍者屋敷もありましたが、早い時間に行きましたので、まだ開館されていませんでした。
前日に「明日は自宅によって帰って下さい」とお誘いを受けていましたので、午前中の内にと谷本景さんの自宅を訪問することにしました。
谷本さんのお父さん光生さんは、桃山時代に武将茶人に愛されながら、なぜか終焉を迎えてしまった古伊賀を再建された方で、ここで作陶されていたようですが、ちょうど谷本景さんが作陶をはじめたとき、別の場所に自宅や作業場所窯を移され,その後は景さんが、この場所で作陶を続けることになった場所です。
父光生さんが新たに居を構え作陶されたお宅にも行きました。遠くに伊賀上野城が見える小高い場所にありました。
雨の影響で駆け足となった伊賀上野訪問でしたが、有意義な時間を過ごすことができました。
伊賀上野駅を出発したのは、当初の予定を大幅に繰り上げて午前11時21分でした。途中、新幹線などの遅れもあり,往路よりは少し時間がかかりましたが、午後4時過ぎに無事に帰広することができました。
いのちとうとし
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