企画展「広島を撮り続けてー大段徳市によるふるさとの記録-」
旧日本銀行広島支店で、15日から広島市が主催する企画展「広島を撮り続けてー大段徳市によるふるさとの記録-」が、開催されていますので、昨日観に行きました。
この企画展は、広島市で中学校の社会科教員として勤務するかたわら、1954年から2002年まで,広島の景観の変化をテーマにして大段徳市さんが撮り続けた写真を展示したものです。
1911年生まれの大段さんが亡くなられたのは2008年ですが、その後遺族から約15万点にも及ぶネガやプリントが広島市に寄贈され、現在整理・デジタルデータ化が進められ,その一部は、広島市公文書館のデジタルアーカイブ・システムで閲覧が可能となっているようです。
大段さんの写真は、道路・河川・橋梁・建物が中心ですので、広島市の発展の様子を見ることができます。
この企画展の展示は、広島市が大きく変貌を遂げた1950年代から1970年代頃の写真が主になっています。しかも定点観測のように,同じ場所を何度も移していますので、その移り変わりもよくわかります。
展示構成は、「・広島を撮り続けて・変わりゆく広島の地形、道路・橋梁の建設と整備・街並みの移ろい」です。
興味をそそられた写真を何枚か紹介します。
1959年1月の平和大通りの宝町・鶴見町から東を望んだ写真です。現在の「被爆者の森」あたりだと想像でしますが、1957年から58年にかけて行なわれた「供木運動」で贈られた木々です。キャプションには、「短期間により多くの樹木を運搬するため、樹高は6mに統一されている」と書かれています。
興味深い一文です。確かに樹木の木の高さが揃っています。
市内には「七つの川がある」と言われていますが(今は太田川放水路ができて6本しかありませんが)、その河岸には、かつては家が建ち並んでいたようですが、今はきれいな緑地公園に整備され,市民の散歩や憩いの場となっています。
私が広島に転勤となった1970年はじめ頃は、相生通と言われた基町、そして駅前周辺にまだ多くの家が建ち並んでいたことを思い出します。大段さんの写真にも河岸に家が建ち並ぶ写真が何枚かもあります。この写真は、1967年3月に駅前大橋から見た京橋川左岸です。後方に比治山が写っています。
キャプションによると1966年8月から比治山橋下流から建物の撤去作業が始まり、1968年には、かなり進んでようですので、この写真は、撤去直前の景色です。
私が広島に来た頃には、このあたりはすでに撤去作業が終わっていたことになりますので、目にしたことのない景色です。
まだまだ、気になる写真がたくさんありました。この写真は、わが家のすぐ近くの風景です。
1956年8月に鷹野橋消防署の望楼から北に向かって写した写真だと説明されています。右端が市役所、鯉城通りを挟んで左手手前にあるのが、農協ビルです。わが家は、農協ビルのすぐ後ろです。今ではとても想像できない風景です。
こういう風に、今の景色を想像しながら見ると、楽しみが増えます。
もう一枚、気になる写真がありましたが、その紹介は明日にします。
いのちとうとし
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