サッカースタジアム下の遺構の移設作業
今日5日は、「ヒロシマとベトナム(その63)」を掲載する予定でしたが、あかたつさんからの連絡で、一日遅れて明日掲載することになりました。
今日は、サッカースタジアム建設のために行なわれた埋蔵文化財の調査中に見つかり,一部を切り取り保存することになった旧陸軍輜重隊の遺構の移設作業についての報告です。
伊賀上野に行っていた1日に広島市から「切り取り保存を予定していた旧陸軍輜重隊の移行作業が11月末完成予定で始まりました」との電話連絡がありました。
11月に工事が行なわれることは、9月11日のブログ「旧陸軍施設遺構」はどれだ?: 新・ヒロシマの心を世界にで紹介したとおりです。
昨日、好天気に恵まれましたので、現地に行ってきました。
整備が大分進んでいました。馬碑に向かって、真ん中に石畳の園路が作られています。
その園路を挟んで、左右に敷石が並んでします。向かって右側には、アスファルトが溶けた部分と敷石が縦に細長く並んでいます。この黒い部分は、発掘調査時に、遠くからもよく目につく場所でした。
向かって左側には、敷石のみです。右側よりは、小さめです。
それぞれの石には、発掘時に着けられた個別の番号がついています。これによって、発掘時と同じ位置に設置できることになります。
私が訪れた4日は、休日でしたので作業は中断していましたが、作業としてはかなり進んでいるように思えましたので、今月末までには予定通り完成すると思われます。
ただ、この展示でやはり「大きな輜重隊跡を想像するのは難しいだろうな」というのが、率直に感想です。それでもサッカースタジアムに行く道筋にありますので、一人でも多くの人が気づき、目にとめて,この地がかっての軍都広島の中心だったことを想像して欲しいと思います。
9月に訪れたとき、サッカースタジアム東側の芝生広場の東側の「ひろしまスタジアムパーク」の一角にあった「周辺の記念碑等案内地図」がどうなっているか気になりましたので、行ってみました。
被爆遺構の設置が完了するまで撤去したのでしょうか、案内板を見つけることができません。
ただ9月には見ることのできなかった子どもたちが、楽しそうに遊ぶ姿が目につきました。
いのちとうとし
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