結成40周年記念・第10回先人を語る会
広島市原爆被害者の会は、9日の午後1時30分から大手町平和ビル5階会議室で「結成40周年記念・第10回先人を語る会」を開催しました。
広島市原爆被害者の会は、広島県被団協の加盟組織として1984年11月10日に結成されましたが、あっという間の40年です。
1961年に広島県被団協から広島市域の被爆者組織である「広島市原爆被爆者協議会」(歴代の市長が会長を務める)が脱退して以来、広島市内の広島県被団協加盟の組織としては「皆実原爆被害者の会」(会長日詰忍)など数団体が活動を続けてきました。しかし、これらの組織も高齢化が進む中で、新たな広島市域の被爆者組織を作る動きが強まり1984年に「広島市原爆被害者の会」が発足しました。
広島市原爆被害者の会は、発足時から被爆者だけでなく二世など家族を含む「原爆被害者」や支援者も加入できる組織として、運動を続けてきました。私もいつ頃入会したのか記憶が定かではありませんが、かなり早くから会員になったと思います。
40年の回の活動をふりかえり先人に学ぼうと開催された「結成40周年記念・第10回先人を語る会」には、会員など約50人が参加しました。
これまでの「先人を語る会」では、吉川清さん、藤居平一さん、伊藤サカエさん、日詰忍さんなどの足跡を学んできましたが、今回は広島市原爆被害者の会の会長5人の内、これまでに亡くなられた歴代の会長3人初代瀬戸高行さん、2代目坪井直さん、3代目片山春子さんと会長ではありませんが、活動の中心をになってこられた近藤幸四郎さん、沼田鈴子さんを加えた5人の先人を語ることになりました。
最初に広島市被害者の会田中聡司副会長が、パワーポイントを使って「会の活動の歩み」を紹介しました。私も写った懐かしい写真が何枚もあり,当時を思い出しながら田中さんの話を聞きました。
続いて、先人の足跡をたどった後、被爆二世の遊川和良さん、広島県被団協副理事長の原田浩さん、被爆二世の森容子さん、被爆者の豊永恵三郎さん、そして私が、それぞれの思い出を語りました。ここで紹介することができないのが残念ですが、初めて聞く話、思い出深い話しの連続で、私とも縁の深い人たちばかりですので、興味深く聞きました。
私は、最後に話すことになりましたので、次のようなことを話しました。
3人の会長は、いずれも労働運動の経験者です。エッ坪井さんもと思われるかも知れませんが、坪井さんは、教員時代広教組の組合員として石田明さんが中心となって進めた広島県被爆教職員の会の結成に関わっておられるのです。1994年は、当時被団協理事長だった森滝市郎先生が亡くなられ、広島県被団協も事務局体制を変更しようと人選が進んでいるときでした。その時「いい人がいる」と石田明さん推薦があり、近藤幸四郎さんと3人による面談を経て広島県被団協の事務局次長として専従の任に就かれるようになったのです。
広島市原爆被害者の会の結成に大きな役割を果たしたのは、1960年代から70年代の初めに職域の被爆者組織の結成に尽力した人たち、例えば瀬戸さんは国労原爆被爆者対策協議会、近藤幸四郎さんは全電通被爆者協議会会です。
広島市原爆被害者の会は、こうした先人の努力があって、今があることを忘れずに,活動を進めたいと思います。
いのちとうとし
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