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2024年10月26日 (土)

強制連行中国人被爆者の遺族の平和公園訪問

今年で17回目を迎える「中国人受難者を追悼し平和と友好を祈念する集い」が、10月の第3日曜日となる20日、安芸太田町安野の中国電力安野発電所に建つ「安野中国人受難之碑」前で行なわれました。私は、体調不良で参加できませんでしたので、広島県原水禁からは大瀬敬昭事務局長が参加しました。

前日の19日には広島安野・中国人被害者を追悼し歴史事実を継承する会が主催する「和解を導いた力 Part4 -『生きてこられて不思議だ』被爆者・于瑞雪さんの生涯をふりかえるー」が、弁護士会館で開催されました。

今年は、久しぶりに中国から于瑞雪さんの二人の遺族,三女の于蘭芬さんと四女の于栄春さんが、来広されました。四女の栄春さんは、2011年10月の和解事業第3回訪日団の一員として来広されていますが、三女の蘭芬さんは、今回が初めての訪日です。

私も「和解を導いた力 Part4」に参加しましたが、今日は21日の午前中に于瑞雪さんの遺族二人の平和公園訪問の様子を紹介したいと思います。

というのは、いつも原水禁世界大会のフィールドワークでお世話になる川原洋子さんからの強い要請で、この平和公園訪問に同行し、案内をすることになったからです。

二人の平和公園訪問は、午前9時に原爆慰霊碑前で合流し、慰霊碑への献花からスタートしました。

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左が四女の栄春さんその右隣が三女の蘭芬さん
ここでは、原爆慰霊碑に収められている死没者名簿について、少しだけ紹介しました。川原さんに聞いたところ、于瑞雪さんなど強制連行された中国人被爆者の名前は、死没者名簿にまだ登載されていないとのことでした。

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その後、原爆資料館に移動し資料館の見学です。移動中に、森滝市郎先生が、平和公園を案内されるとき,「祈りの泉」を「世界には、トレビの泉など有名な泉がありますが、この泉は水を求めて死んでいった被爆者を慰めるための特別の泉です」と紹介されていたことを思いだし、この話とともに多くの被爆者が水を求めて死んでいったことを話しました。

資料館に入ると、そんなに多くの人が並んでいませんので,意外に入館者が少ないなと思ったのですが・・・。

エスカレータで移動する前、平和監視時計を示し、二人のお父さんが被爆されてから28931日が経ったことをまず紹介し,3階に進みました。

3階では、導入展示とも言える広島市の地形模型に映像を投影する「焦土と化した広島」で、二人が知りたいと思われた于瑞雪さんの被爆場所である広島刑務所の位置を示します。爆心地からの距離を見ながら、何度も確認するようにみておられたのが印象的でした。

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私が別れた後の話になりますが、その日の午後二人は、川原さんに案内されて広島刑務所を訪れられました。

本館の展示場に移動します。一気に入館者が多くなり、進むのもままならない状況です。全てを紹介することはできません。

亡くなった子どもたちの遺品の前では、①原爆で亡くなった人たちの内、12歳、13歳の子どもが一番多かったこと②この展示を見て、一人ひとりの顔を思い浮かべて欲しいことなどを話しました。被爆、特に熱線による被害提示では、当時の日常生活で使われていた陶磁器の食器やガラス瓶などを紹介し,爆心地直下の地表温度は3000度から4000度にも達したことに触れました。特に食器類を紹介したのは、あの日も当たり前の日常生活があり、市民が犠牲になったことを知って欲しかったからです。

充分な時間をとることは出来ませんでしたが、原爆被害の実相の一部を触れていただいたと思います。

展示館を出て東館に移動する途中にあるギャラリーで少し時間をとりました。

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それは、中島地区の復元図は、大学の先生、大学生、マスコミなど市民の協力によって復元できたことを知って欲しかったからです。さらにこの平和公園には、当時6つの町があり4000人を超える人たちの暮らしがあったが、一瞬のうちに全ての人々のいのちが奪われてしまった場所であることなどを話しました。

平和公園内でどうしても伝えたい場所がありましたので、駆け足のような資料館見学になりました。

いよいよ平和公園の案内です。たくさんの慰霊碑などがありますが、私が案内したのは,慈仙寺跡、韓国人原爆犠牲者慰霊碑、供養塔がある場所です。

このつづきは明日紹介します。

いのちとうとし

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