中国人被爆者・于瑞雪さん
2回にわたった中国人被爆者・于瑞雪さん遺族の平和公園訪問同行記を綴りましたが、肝心の于瑞雪さんのことを紹介していませんでした。
今日は、19日に行なわれた「和解を導いた力Part4」のチラシや当日配布された資料から、于瑞雪さんの被爆体験などを紹介します。
1992年から始まった広島市民と中国・河北大学による日中共同調査で安野における西松建設の強制労働の実態が明らかになりました。同時にこの調査によって、広島刑務所に収監された14人が、1945年8月6日に原爆被害を受け、全員が帰国していること、爆心地近くで取り調べを受けて、5人が死亡していることが明らかになりました。
于瑞雪さんは、広島刑務所で被爆した14人のひとりです。
于瑞雪さんは、1994年5月に実態調査のために遼寧省大連市の自宅を訪れた広島からの調査団に対し、息子さんに支えられてソファーに座り、被爆の時の様子を次のように話しています。
「8月6日朝8時ごろ、私は両手に手錠をかけられて独房にいました。突然、衝撃波で頭の後ろを撃たれ、右の耳にガラス片が刺さりました。建物はすっかり吹き飛ばされました。何もかも黄色く見えて、目がはっきり見えなくなりました。高い塀があったので、幸い生きていられました」
安野の労働実態については、「いちばん苦しかったのは毎日の労働でした。靴がなく、わらで草履を編んで履きました。わらがなくなると,春と秋は裸足で、冬は足をセメント袋で包み草でしばって働きました。雪がひざの下にあるときにも働きました。どうして生きてこられたのか不思議です」と証言しています。
于瑞雪さんは、帰国後の健康実態について次のように語っています。
「1965年に胃潰瘍になり胃を3分の2切除した。7~8年前から胆のう炎となり、肝硬変を引き起こした。心臓病や高血圧などいろいろな病気に罹っている。血液が悪く栄養を吸収しない。定年は60歳だが、身体の調子が悪く55歳で早期退職をした。医療費は大きな負担になっている。去年の夏までは物につかまって歩けたが、今は寝たきりになった。頭ははっきりしている」
その後病状が悪化し、日本訪問もかなわず、翌年1995年5月に逝去されました。
于瑞雪さんの健康状態を書きながら思い出したことがあります。
二人の娘さんに平和公園を案内しているとき、放射能による健康への影響の内、ガンの発症時期などについて説明したところ、「父の体が弱かったのは、やはり放射能の影響でしょうか」と問いかけられました。「今はガンの発症について話しましたが、放射能の影響は、ガンだけではありません。免疫力などが低下しますので、病気に罹りやすいなど健康への影響があります」と答えました。
国立追悼祈念館を訪れたとき、鎌田七男先生が、放射能の身体への影響について書かれた「広島のおばあちゃん」がありましたので、該当するページを開き、改めて説明を行ないました。
「放射能の健康への影響について」二度質問がされましたので、お父さんの健康状態が悪かったことが、被爆の影響かどうかを確かめたかったのだと思います。
最後に「子どもたちへの影響はないのでしょうか」と問われました。「今のところ医学的調査では、はっきりとした結論は出ていませんが、私は影響があると思っています。例えば、将来の健康不安をいただかなければならないのも、影響の一つだと思っています。」
この私の説明に対する返答はありませんでしたので、どう思われたのかは不明ですが、お父さんの被爆と向き合おうとされているように感じました。
いのちとうとし
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