強制連行中国人被爆者の遺族の平和公園訪問―つづき
原爆資料館見学を終えて、平和公園内の案内です。
慈仙寺跡、韓国人原爆犠牲者慰霊碑、供養塔がある平和公園北側に移動しました。
最初に案内したのが慈仙寺跡です。ここは、私が平和公園を案内するとき、必ず訪れる場所です。
この地面が、この平和公園の中で唯一被爆当時の地面を残していることを説明した後、石灯籠の下に挟まった小石を示しながら、当時の爆風のすごさを話しました。被爆当時のままの状態で原爆の威力を知ることのできる貴重な場所です。
すぐ隣の韓国人原爆犠牲者追悼碑に頭を垂れます。原爆慰霊碑に参拝してからずいぶん時間が経ちましたし、この碑については、きちんと説明したいことがありますので、すぐそばのベンチに座って話すことにしました。
1910年、日本が朝鮮の植民地支配を開始し、土地調査事業などによって、土地を奪われた朝鮮人たちは、農民として自活できない状況に追い込まれ、日本への移住を余儀なくされたこと、そして1944年から始まった徴用は、中国人強制連行と同じように強制によって日本国内で働かされ、広島、長崎で被爆しなければならなかったことなどを話しました。
熱心に聞いてくれました。後になるのですが、広島テレビの取材の場面で、韓国人被爆者のことを話されたようですから、印象に残ったと思われます。
さらに説明を続けます。次は、供養塔です。いまも約7万の遺骨が納められていること、8月6日に多くの遺族がここにお参りすることを紹介しました。そして私が最も伝えたかったことですが、強制連行された中国人で、広島地裁検事局(三川町)か広島西署(現在の県民文化センター)に留置中に原爆に遭い被爆死した人は5名の遺骨が、1950年代後半にこの供養塔に納められた遺骨の中から5体分が、遺骨送還されたが、まだこの供養塔の中に眠ったままの遺骨があることと思われることです。
そういう思いで、供養塔にはぜひお参りして欲しかったのです。
そして、最後に私にとって大事な話をしました。それは、第1回原水禁世界大会に参加した中国代表団が、被爆者救援のために5万元(720万円)のカンパを寄せてくれたことです。そのカンパが当時の被爆者にとって、どれだけ大切なものだったか、そしてその後の日本政府を動かす力になったことを話しました。「民衆の連帯が大切ですね」との答えが返ってきました。
ここで平和公園めぐりは終わり、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(以下「追悼祈念館」)に移動しました。
追悼祈念館を訪れた一番の目的は、于瑞雪さんの遺影を登録することでした。登録の手続きをする前にすでに遺影が登録されている呂学文さんの遺影をみるため、追悼空間へのスロープを下りました。ここには、このブログでも何度も取上げたことのある6枚のパネルがあります。特に説明したのは、3枚目と6枚目です。3枚目は「中国出身者も含まれており、その中には半強制的に徴用された人々もいました。」の文言です。私の説明を聞いた後、中国語の翻訳文を確認するように熱心に読んでおられたのが印象的でした。6枚目は「誤った国策」の部分です。
この2枚はどうしても説明しておきたかったパネルです。
この後,遺影コーナーに行き、呂学文さんの遺影を検索。中国語の説明文をしっかりと読んで、お父さんの遺影が登録されたらどうなるかを確認。
体験閲覧室に行き、いよいよ中国人被爆者于瑞雪さんの遺影登録申請です。
川原さんたちが事前に相談されていたのでしょう,生類を提出すると2,3点家訓があっただけで登録の手続きは終了しました。「父の写真はあまりないので」と話しながら写真を渡されたのが印象に残っています。
その日のうちに、登録が完了すると言うことで、明朝もう一度ここを訪れ、確認するとのことでした。
平和公園での予定は、これで終了です。
この後、二人は広島刑務所に移動されましたが、私はここで別れました。
中国人の平和公園案内は初めての体験でしたが、私にとってよい勉強となりました。
いのちとうとし
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