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2024年9月 3日 (火)

中国新聞の二つの記事―その1

昨日の中国新聞の二つの記事、興味深く読みました。

一つは、9面の「平和コーナー」に掲載された「私の道しるべーヒロシマの先人たち」です。このブログの執筆者の一人でもある木原省治さんが、広島県原水禁の事務局長、代表委員を長く務めた宮崎安男さんについて語ったものを森田裕美記者がまとめたものです。

木原さんらしい宮崎さんへの思いが伝わってきます。

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この記事を読んで、森田記者に下記のメールを送りました。

「新聞を手にして、すぐに『平和面』を開きました。森田さんのまとめ、さすがと思いながら読ませていただきました。

木原さんの宮崎さんへの思いも伝わりますが、ずいぶんと森田さんの感想が入っているなと思ったのは、私の思い過ごしでしょうか。

被爆者では無いけれど、被爆者以上に被爆者や広島を思い、同時に黒子に徹して活動した希有な人だと思います。

あの労働組合嫌いの伊藤サカエさんが、何かあると『宮チャン、宮チャン』と頼りにしていたことも思い出されます。

平和会館では最後にいろいろありましたが、宮崎さんは最後までその姿勢を貫きました。誰にでも出来ることではありません。

そして、何よりも若い人たちに大きな影響を与えた人です。反核・平和運動だけで無く労働運動の中でも。私もその一人ですが。

資料も大切にした人です。広島県被団協の資料を宇吹さんに整理をお願いしたのも宮崎さんだったはずです。整理が終わった後、原医研に『取りに行ってくれ』と頼んだのも宮崎さんでしたから。

そうそう、『平和会館物語』の小冊子を作ったのも宮崎さんです。中国からのカンパのことなど、貴重に資料が掲載されています。もしこの小冊子が無ければ、『平和会館の成り立ち』も忘れられてしまうことになったと思います。

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森滝市郎先生のお別れ会(94.2.5)の翌々日平和会館で

光生まれだったことが紙面でも紹介されていますが、よく話していたことは、終戦間際になった814日の光大空襲のことでした。宮崎さんにとっての戦争の一番の印象だったと思います。

私も宮崎さんとの思い出は、つきません。90年代の終わりから、2000年代にかけて、よく口論になったものです。その時、いつも言われたのが『誰がこの運動を引き継ぐのだ。君しかいないだろう』。期待をかけていただいたのですが、それに充分答えているだろうかと自問自答しながら、少しでも宮崎さんの思いを引き継ぎたいと思っています。

宮崎さんの死は、あまりにも突然でした。この年は、忘れることが出来ません。7月の参議院選挙に比例区候補として立候補を決意し、その日は、米子の国労の会議であいさつするため移動中の伯備線の車中に電話が入りました。『宮崎さんが亡くなった』との第一声です。先日、元気な姿を見たばかりですから、この宮崎さんが宮崎安男さんだとは、とても思えませんので、『宮崎さんってあの宮崎さんか』と何度も確認したことが忘れられません。翌日は、東京での予定がありましたので、米子から東京に飛行機で移動する予定でしたが、米子でのあいさつを終えると急きょ広島に引き返しました。そして、もう自宅は出られたということで、五日市玉泉院に行き、お別れをし、東京に移動しました。ですから、通夜にも葬儀にも参列できませんでした。

スミマセン。長いメールになってしまいました。ついつい思い出すことが多かったものですから。

こうして、宮崎さんの足跡を伝えていただき本当にありがとうございました。感謝、感謝です。

その思いを込めて、このメールを送らせていただきました。」

もう一つは、22面に掲載されている「ヒロシマドキュメント1945年」です。

この記事の筆者水川恭輔記者にもメールを送ったのですが、それは明日紹介します。

いのちとうとし

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